国際恋愛のススメナイパート2。

当サイトきっての人気コーナー・辛口ラブ、のしかも多分一番人気の御題、国際恋愛のススメナイ。
ちと思うことありまして、パート2を書かせていただきますわね。
いえ、全ての恋愛、全ての人生と同じく、人の意見なんて所詮は「余計なお世話」です。
なので、別に誰に何を言いたいわけじゃないんですよ。ただわたくしが思ったことを書き留めたいだけです。ええ。

さて、国際恋愛、特にイタリア人との国際恋愛ですが、わたくしもだいぶ大人になったと言うか・・そう、イタリアに対して、最近、とても「余裕」が出来ました。
以前はイタリアが好きでたまらなくて、そしてイタリア人と結婚してイタリアに住むことが自分の目標だ、とすら思っていたわけです。
逆に言ったら、イタリア人と結婚しない限り、イタリアでの生活なんて出来ないと思ってた。
でも最近は、仕事やプライベートで一年に2,3回は難なく行くことが出来るし、逆に言えば嫌な事を一切考えずに、イタリアの「いいところ」だけを見て帰ってこられる、というかむしろ「ローマはわたくしの別荘」と言う感じの状況が確立してきたので、イタリアに対して焦燥感がなくなったのよね・・
そして、言葉のほうも、イタリア人と付き合っていた頃よりも更にうまくなって、わかったことがあるのです。

イタリア人と恋愛をして、イタリアで暮らす、と言うことを前提にしたとき、一番大変なのは「イタリア語が多少できるようになってきた時期」なんです!!

付き合い始めの頃のイタリア人との国際恋愛と言うのは、いいことだらけです。
ローマという街に溢れる日本人観光客の中を、イタリア人と腕を組んで歩くということは(そのイタリア人がある程度以上の見栄えであることは必要ですが)とても優越感を抱けることだし、「わたしは選ばれた!!」という感じの快感もある。貧乏臭い感情ですが、若い頃はそういうのが楽しいのよね・・
そして、イタリア語っていったって、ほとんど彼と一緒にいるわけだから、めんどくさいお店の人との会話とかは彼に任せておけばいいわけだし、わからなくても助けてくれる人が隣にいる以上、何の問題もありません。
恋人同士の間では、カタコトならカタコトなりにうまく通じるんだから。
ま、「愛してる」と「おなかがすいた」と「眠い」が分かれば、それで事足りるわけだし。

でもさ、ちょっと言葉がしゃべれるようになってきて、彼も「このくらいしゃべれれば一人にしても大丈夫だろう」という感じになってきた時に、問題は起こるのですわ。
「ちょっと言葉がしゃべれる状態」というのは、すごく恐ろしいことです。
いつも、自分の言っている言葉が通じないんじゃないか、という不安、相手の言っていることが分からないんじゃないか、という恐怖にとらわれ始めます。

「会話」というのは、それ自体能力です。
「語学力」とは別の、「会話のセンス」という能力、日本人同士の間でも「喋りがうまい人、下手な人」が如実にわかるように、「会話力」というのは才能と努力の両方を要するものだし、人が外見の次に、相手を判断する材料にするのは、「会話力」でしょう。

その「会話力」、「語学」がある程度以上になるまでは、当然レベル0だよね?
母国語でしゃべる場合には、どんなに会話力の無い人でもレベル1はある。
だから語学が中途半端なとき、どんな会話の場でも、自分は確実に、相手よりも劣るのです。
それに気付く程度の「語学力」がついてきたときの恐ろしさは、なかなか背筋の凍るものがありますのよ、皆様。
留学した日本人のかなり多くが日本人同士でつるんでしまったり、外出拒否になってしまうのは、それが原因でしょう。意識してるかどうかはともかく。
彼氏と二人で話してる分にはいいんです。相手も注意深く聞いてくれるし、こっちも安心して、甘えてしゃべっているから、口の滑りもいい。
でもちょっと緊張してしまうような相手、彼氏の友達、とか、彼氏のお母さん、とかとの会話は、少なくてもその当時のわたくしにとっては、拷問のようなものでした。

日本語でなら小粋で愉快な会話が出来るはずの場所で、頭の回転の遅いどんくさい女の子のように、単刀直入なことしか言えない、下手するとその単刀直入なことすら正しく言えないという状況は、物凄くストレスが溜まるのです。
特に、多数の友達同士の会話。イタリア人同士の小粋で愉快でスピードの速い台詞の応酬についていくなど夢のまた夢。意味を理解することすら難しく、「ウケる」台詞の一つを言うのも絶対不可能
会話といえば無意味なほどにまぜっかえしてキメの台詞でオチをつけるのが大好きなわたくし、これには本当に参りました。
自衛手段としては、とり合えず無口なキャラを装って、会話にはあまり加わらず、常に彼氏にしか話しかけない、とかさ。あー日本なら絶対こんなことやらないのにー!!

いまでこそ、どんな会話にもとり合えずついていけるし、グループでしゃべっていてもかなりの確率で「オチ」をモノに出来るわたくしですが、彼と付き合っていた当時はそんなこと出来なかったなあ・・
でさ、わたくしとしては「わたくしヤヨイ」というのは、それが出来るこそヤヨイなわけだし、そんなことも出来ないわたくしを好きと言ってくれるアンタ、それは一体どういうわけ?? わたくしのどこがすきなの? ということになってしまうわけです。

しゃべり始めの言葉って、基本的に、とても楽しいんだよね。
カタコトが通じるのって、ちょっとした冒険みたいで面白いし、相手の言っていることが「こうかなぁ」とおもって、ビンゴだった時は自分が天才かと思うし。
それをやってる間は、楽しい。自分が外国人で、お客様で、イロモノでいることと「ちやほや」されていることが渾然としている時期は、それで十分。

でも、「言葉も満足にしゃべれないしとにかくものめずらしいペット」だったアナタが、少しずつでも、言葉がしゃべれるようになって、状況が見えてきて、「いけてる女の子」とか「いい女」とかになりない、と思ってしまったときに、その世界はぐちゃぐちゃになるのですわ。そして日々、自分のイメージする「わたし」と、言葉の壁、文化の壁、その他の壁に阻まれて「そうならないわたし」とのギャップにふらふらになるはず。そういう日が絶対に来ちゃうはず。

そこを乗り越えるには、わたくしは個人的には、当時の恋愛を終らせなければならなかったんだよね。
特にわたくしの恋人は、とても過保護で面倒見がよかったし、わたくしもめんどくさがりなので、ついつい、彼に頼っていたし、そのことが自分自身でもストレスだったしね。
わたくしは自分の足で、自分の目で、自分の頭で、わたくし自身として、イタリアという国のなかでの自分の立ち位置と自分の居場所を見つけたかったんだとおもう。
彼と結婚しなくても、わたくしから離れていかない、「わたくしのローマ」と言うものを確立させない限り、彼との恋愛自体も成り立たないものだったのですわ。今思えば。

彼と別れて初めて一人でいったローマは、それはそれはいろいろありましたが(泣き喚いたりね・・)でもその時初めて、わたくしは「彼と別れても、ローマは相変わらずローマで、わたくしのローマはなにも変わらない」ということを納得して、安心して、初めて「イタリアという国」と対等に立てたと思うのです。
で、対等に立ってみたら・・結果的には彼とヨリを戻そうという気には、ならなくなっちゃったんだけどね。
まあそれは別のお話よねえ・・。

というわけで皆様。
国際恋愛、短期間で終らせるつもりならきっと楽しい。
素敵な会話もこなせるくらい語学力も会話力も出来て、納得する「自分」になれたら、その後の国際恋愛はもっと楽しい。
でも「その中間の試練」は、彼氏つきだとなかなか乗り換えられないかもしれない、という矛盾に満ちた現実、心のどこかにとどめて置いてくださいませね。


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