留学のススメと言うか、ススメナイと言うか。

イタリア留学って言うとなんだかみんな「わぁすごいわねえ」とか「羨ましい!」とか、熱く反応してくれるので、恐らくは世間でも「やってみたいことランキング第20位」くらいまでに入るであろうイタリア留学(入らないかな・・)。
実は現時点で、わたくしの猛烈に大切なお友達がイタリア留学を控えていることもありまして、いつもの通り超個人的ではありますが、イタリア留学のススメと言うか、ススメナイというか、を、書いておきたいと思います。
現在留学中のO-call嬢をはじめとする体験者の皆様、ぜんぜん違ったらごめんね。わたくしヤヨイの体験談、とゆーはなしなので。

さて。
留学といっても、わたくしがしたのは大学留学。日本人がほとんどいない(と言うか一人も出会わなかった。)ローマ大学だったので、恐らく最もメジャーであろう語学留学とはちょっと違うのですが、とにかく、留学と言うのはソウソウ甘いものではございません。
いや、場所によるのかもしれない。ペルージャとかシエナとか、外国人大学があるところでは状況は違うのかもしれませんが、少なくてもローマでの留学は、そんなに甘くない、というか。

何故ならまず第一にわたくしたちは黄色人種で、非ヨーロッパ共同体出身なわけです。
「エクストラコムニターリオ」と言う言葉がありますが、これはまさに「共同体の外の人」という意味なのですが、この言葉を、イタリア人は、いささか差別的に使います。
「エクストラコムニターリ(複数形なので語尾変化してます。)が増えたから、治安が悪くなった」とか、「エクストラコムニターリを追い出せ」とか、普通の会話で言います。
それは、何も善良な、そしてかなりのお金をイタリアに落として帰るわたくしたち日本人留学生に対して言っているのではなく、主に不法移民の人たちを指して言っているのですが、しかし。
ヨーロッパ中心主義、というのはかくも根深くイタリア人の心に根付いている、と言う証拠だと思うでしょ?
ヨーロッパ共同体の外の人、ということばが、そのまま、「イタリア人に迷惑をかける浮浪者達」という意味合いを帯びてしまうんだから。
わたくしたちがいきなりそういう罵声を浴びることはまずありません。
でも、そういう文化の中に乗り込んでいくのだということは、例えイタリア人がどれほど親切そうで、どれほど明るそうでも、きちんと心に命じておくべき。
卑屈になれという意味ではなく、敵地に乗り込んでいくと言う意味でもなく、ちゃんとそれを理解して、そのハンディをくつがえして対等に渡り合えない限り、イタリア人と勝負はできません。

ということでさらに言ってしまえば、イタリア人は、言葉もできない外国人と対等に付き合ってくれたりはしません。普通。
というか、わたし達だってそうでしょ? 日本語ができない、しかも英語圏でない、そしてこのさいちょっとタブーって感じですが、西洋人ではない、という条件をつけてもいいや、そういう外国人と、対等に、付き合ったりは多分しない。
人間として、知り合いとして親切にすることはあっても、もしくは、ものめずらしさから最初はかまってあげたとしても、何度も一緒に出かけたり、必要以上に仲良くなったり、心からの親友だと思ったり、というのは、なかなかできないでしょ?
ちゃんとした話が一つもできない相手と、人間として対等な付き合いはできない。ペットやお人形として可愛がれる事はあっても。
だから語学留学でいく以上、まずは言葉ができないことが前提なワケで、そのジレンマをいかに解決するか、が、留学の最初のハードルなんだよね。
語学留学生なんだからしょうがない。できなくてあたりまえ。とは、誰も思ってくれません。

だから、多くの日本人留学生は、自閉症気味に家に引きこもるか(ありがちなのはホームステイ先の家族とだけ会話する、とかね。それが1人暮らしの老人だったりすると、ある意味ギブ・アンド・テイクがなりたっちゃうしな・・それもなんだかな・・)、日本人同士で固まるか、日本人同士とは言わないまでも、外国人同士で固まるか、と言う感じになってくるわけです。

でもさ、外国人同士で固まってもね、だいたい、留学している人たちと言うのは、ヨーロッパ、もしくは北米の人たちだったりするわけ。
特にフランスやスペインからの人たちは、すぐにイタリア語がしゃべれるようになる。
語学学校に言ったら、多分その差は歴然だと思う。
ほとんど文法がかわらない、ラテン語系の母国語の人たちにとっては、イタリア語は東京人にとっての関西弁くらいしか差がないんだから(それはちょっと大げさか?)。だから、ものすごく上達が早い。
英語だって、もともとラテン語→フランス語の影響下でできてる言葉だから、それなりに似てる。
日本語と言うまったく一つも関係のない言語を母国語にしているわたくし達は、(だからこそ文法を混同させることがなく、綺麗なイタリア語を身につけると言う意味では得してるんだけど、それはだいぶレベルが上がってからの話しだし。)ものすごく不利な状況なワケです。

いきなりそんなびびらせてどうする、って感じですが、だって本当にそうなんだもん。

そして、別にそれでもいいと思います。要するに、言葉を勉強しにいってるわけだから、ちゃんと学校に通って、めきめき上達すれば、それでいいと思う。そうしているうちにいつかイタリア語も普通にしゃべれるようになって、普通の友達もできるようになるでしょう。

でもね、多分そのためには、1年とかでは無理。
いきなり一年間いってきまーす、で、なんとかなっちゃうアメリカ留学とはワケが違う。
まったく馴染みのない言語を現地で勉強しようって事自体、無謀。

だからわたくしはいつも思うのですが、イタリア留学をする前に、少なくても一通りのイタリア語文法は、日本語で、日本人の先生に習うべきです。
メチャクチャ覚えることがあって、眩暈がしちゃうような文法ですが、それをやらない限り、絶対しゃべれるようにならないんだから。
わたくしもいま家庭教師などをやらせていただいて、教えながら、「こりゃ難しいわ。わたし、なんでこんなの覚えられたんだろう?」って思うくらいだけど、とにかく、やらないことには仕方ないのよー。
しかも多分週一回、2時間のレッスンに3年通ったってダメな気がする。
語学の勉強は、レッスンの時間よりも、予習と復習がすべて。(ああドイツ語やらなくちゃ・・)
予習も復習もしないなら、レッスン出てても、あんまり意味ないし。

もちろん、別に日本人とつるんでいてもいい、とにかくイタリアが大好きで、イタリアに住みたいから留学する!!! というのはアリだと思うし、そうしたらいいと思うけど、でもそこにはある意味での人種差別や、言葉の壁が厳然として存在し、ま、三ヶ月くらいならそんなのを感じるまでもないかもしれないけど、長期となると、どうしても孤独とか、ストレスとかを感じることになるのよ。
もしくは、古い言葉ですが、イエローキャブになってみるとか。
そういう意味でなら、言葉などしゃべらなくても、ちやほやしてくれる男の子はいっぱいいるでしょう。自分の中でそれを「わたしのローマの休日♪」と昇華し切れるなら、そうできる人は幸せだと思う。

ま、かといっていきなりイタリア語を完璧に勉強してから留学しろ、というのも、現実的じゃないしね。

わたくしが言いたいのは、そして辛口ラブでは激しく何度も言っていると思いますが、イタリアは、決して楽園ではないってことです。楽園ローマの主催者がなんてことを。って感じではありますが。
旅行で行く、グッチとプラダが安くて、食事が美味しくて、男の子はナンパしか考えていない、能天気な楽園ではないのよ。
滞在許可証をとるためには髪の毛が抜けるくらいの苦労をし(と言いつつ実はわたくしはこのステップを、知り合いのローマ有力者のコネで片付けてしまっているので、実際の苦労はしていなかったりするんだけど・・このコネクションをつかうのがまた、相当めんどくさかったりする。)、イタリア人とのバトルに神経をすり減らし、一時間も来ないバスを待って立ち続けて、それが生活になるのがイタリア留学。
憧れもへったくれもない。
嫌なこともいっぱいあるし、理不尽なこともいっぱいあるし、泣き喚きたくなるような状況もいっぱいある。
それがわかった上で、いかにそれを避けるか、いかにその「現実」を、自分にとっての「楽園」に変えるか、は、留学する人たちの才覚にかかってるわけよ。

言葉もそう。態度もそう。気合も心意気もそう。
「イタリア人はずうずうしいから、負けないくらい押しが強くないと!」なんていって、押して押してずうずうしくしてればいいわけじゃないし、「わたち、いたりあご、しゃべれないんでちゅ。」って言ってりゃ可愛がってもらえるかって言ったらそんなことない(いやむしろそれで乗り切れたら天晴れだとおもうわ・・)。
いままで生きてきた自分の知力体力計算戦略、愛嬌度胸にセンスと柔軟性と、そしてなによりプライドをもって、人種差別と言葉の壁を跳ね返して、楽園を作れるように、努力・・は貧乏臭いけど、うーん・・日々を積み重ねていくこと、が、たぶん留学の一番の意味であり、面白さでもあると思うの。
多分それは、日本で生きていたら、無条件にしちゃってることでしょ? 一生をかけて、人は、たぶん自分の楽園を作るはず。
日本にいたら、生まれたときから、意識せずに少しずつ作っていく自分の世界を、留学したら、まったくのゼロから、まったくの違う環境で、限られた時間でやらなくちゃいけない。良くも悪くも、そういうルールのあるサバイバルゲーム。

一年やそこらで、通訳ができるようになるとは思わない。
だから、たぶん語学留学をするのって、直接仕事に結びつくかどうかは微妙なところだと思う。
それを敢えてするなら、せめて、イタリア人と対等に会話し、友達を作って、ストレスに泣き喚いても、「よしよし。」ってやってくれるような親友を持って、自分の楽園をつくって、できれば、いつでもそこに戻れる環境を作って、帰ってきたくない?

イタリアに憧れている間は、それはたぶん片思いなのだと思うのよ。
でもイタリアと対等になることによって、そして憧れも打ち砕かれ、現実に直面して失望したり、でもやっぱり自分も認められたりしながら、それでも好き、と思ったら、そのときに初めて、両想いになるんだと思う。

そしてわたくしの愛する人たちがイタリアに行くならば、両想いになって帰ってきて欲しいじゃん!

と、思って、ちょっと今回は説教臭いラブレターになってしまいましたわ・・愛の説教なんてまっぴらごめんのわたくし、押し付けがましかったら平にご容赦を。


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