イタリア人は仕事が出来ない?

世の中の方々のどの程度が、イタリア人との仕事というものを経験したことがあるか分かりませんが、とにかく、イタリア人と仕事をするということは大変なことです。
ほんとーに大変。
いや、例えばわたくしの場合は、たいていの場合において、イタリア人がクライアントとしてわたくしを雇い、わたくしにお金を払ってくれているわけなので、立場としては「イタリア側」にならざるを得ないわけですわね。
で、もちろんそこにも大変なことはたくさんあるわけですが、そのあたりの詳しいことは「通訳というお仕事」をお読みいただくことにして、今回はずばり、何故イタリア人はあんなに仕事が出来ない(ように見える)のか、ということを考察してみたいと思います。

そもそも何を持って仕事が出来る、仕事が出来ない、というか、という話になると思うんですが、わたくしは基本的に全ての仕事(立場が社長だろうと部長だろうと、平社員だろうと、フリーの通訳だろうと、魚屋さんだろうと)において、「レスポンスが早い」ことと、「自分の責任はきっちり自分で取る」ことと、「トラブルを最速、最善の方法で解決できる」ことが、仕事に出来る条件だと思ってるんです。
ま、この辺は人によって違うかもしれないけど、それを論じているとまた違う話になってしまうので、このままいきますが・・とにかく、イタリア人は、このわたくし的に重要な三つのポイントをことごとく、はずすんです。
しかも、それに対して別に悪いと思っていない。

わたくし日本人相手にも、あまりにも仕事が出来ないときぃぃぃぃ、となってしまったりすることは多々あるんですが、そしてそういう人たちに対しても「これは宇宙人か?」と、良く思っていますが、だからもしかしてでも常識的に考えて、日本で「仕事が出来る人」っていうのは、たくさんたくさん、いらっしゃいます。いらっしゃるはずです。
それがさー。イタリア人で「そういう意味で」仕事が出来る人って、あんまりありえないんだよね。
というのは、仕事に対する「常識」が違うから。

まず「レスポンスが早い」ということに関していえば、物理的に、彼らには不可能なんです。
例えばイタリアに一つの質問をするでしょ、答えはまず間違いなく「調べて返答します」です。
しかしこの「調べる」ということのために、彼らは何故かものすごーく、時間をかけるんです。
日本だったら、お客様の質問に対しては出来るだけ早く答える、というのがとても大切だから、誰もがスピードを重要な問題として捉えると思うんですが、イタリアではこの「スピード」という概念がちょっと違うんだよね・・
だからみんなゆっくり質問し、ゆっくりそれを調べ、更に違う人に聞き、その人がまたゆっくり調べ・・とやっているから、いつまでたっても回答が帰ってこない。
催促しても、「だって私が問い合わせている相手から、まだ答えが帰ってこないんだもん」の一点張り。
じゃあその問い合わせてる相手に催促してよ、といってみると、「向こうだってわざと遅くしようと思っているわけじゃないんだから、答えが分かり次第教えてくれるはず。催促したって、状況は変わらない」ということになってしまうわけですよ。
ま、確かに誰もわざと遅く仕様とは思わないだろうけどさ。「急ぐ」という概念そのものが無い。だから当然「急がせる」という概念も無い。それについて説明しても、「できないものはできない」
なんていうか・・流れている時間というものの速度そのものが、日本とは違うんだよね。
一日や二日待っても、人生自体が変わったりしないでしょ? というのが彼らの基本的な考え方だから。
でも日本人としては、「一日や二日で人生が変わるかもしれない、もしも変わらないとしても急ぐ時には急ぐという姿勢や、誠意」を求めるわけで、少なくても「回答が遅くなってごめんなさい」という態度は欲しいところなのよね・・いや、これが一番の問題なんだけどさ。

そして「自分の責任は自分で取る」ということに関しても、イタリア人の常識は大きく違います。
特に多いのが「嘘やごまかし」ね。「はったり」といってもいいけど。
普通に考えたら、仕事の商談の席で、一つのことを約束したら、それを守るのは常識以前の問題のはずなんだけど、イタリア人は「あの商談の後で状況が変わった。だから仕方が無い」と、言い切ってしまいます。
そして確かに状況は変わっているのかもしれないし、約束を守ることが難しくなっているかもしれないけど、それでも一度約束したことは完遂するのがビジネスの基本でしょ? ってのが、イタリア人には通じない。
「じゃあどうすればいいんだ? 出来ないものは出来ない。まさかその一つのために自殺してお詫びするわけにも行かない」ってことになるわけですよ。自殺する前にナントカしろよ。と思うけどさ。わたくしとしては。
でもま、出来ないものは出来ないわけで仕方がないといえばそりゃそうなんだけどさ・・仕事って言うのは、一対一であることはまずないからさ、お客さんが小売店に、小売店が卸しに、卸が製造元に、製造元が工場に、工場が職人さんに、という順序でリクエストが届くとして、そのそれぞれの仮定で「急いでるけど限界があるから仕方がない」が溜まってくると、それはもう大変なことになるのよね・・
イタリア国内でそれをやっている分には、まあ文句があろうがなんだろうがお互い様なワケで、待つしかないところは待つんだろうけど・・その常識が通らない日本側の窓口としてはどうにも説明の仕様がない、というのもある。

で、まあ物理的な「納期遅れ」というのは、イタリア人と商売をする上で一番目に付くところなのは間違いないですが、その根本となるのは、「責任能力」というものだと思うんだよなあ・・

多分、仕事の出来る出来ないというのが一番わかるのって、「ミスったときにどうするか」だと思うのね。そりゃ人生順風満帆がいいけどさ、わたくしもミスが多いことでは人後に落ちませんが、とにかく、間違うことも失敗することもあるじゃないですか。
そして、それが自分の責任の仕事だったら、出来るだけ迅速にそのミスをカバーして、被害を最小限に留める、どうしようもないことなら腹をくくって謝る、無駄とわかっていてもできることはなんでもやって、少なくても相手に対しての義理というか、仁義というか、そういうものを全うするとかね。そういうことで仕事の出来る出来ないが判断されるのが日本なのではないかと思うわけです。
それがいいか悪いか、というのはおいておいて、でも少なくても日本の社会では、もうサイアクどーにもならん!ってときには「土下座」とか、それに類する、ある意味「腹の切り方」みたいなものがあるじゃないですか。そして、そうしないために命がけで走り回るという美学(なのか?)も。

イタリア人は基本的に、「だってわたしのせいじゃないから仕方がない」ってなっちゃうのよね。
納期が間に合わない、というときに、それが「確実に私一人の責任、ほかの人には全く関係ない」という状況って、たとえばわたくしがバレンタインデーまでにマフラーを編んでいて、それが間に合わない、という、個人的に物を生産している場合だけじゃない? 個人的手工業の仕事でなければ、間に合わない納期にはさまざまな理由が絶対にある。工場の問題か、それ以前に材料が届かないのかもしれないし、配送の交通手段が間に合わないとか。だから、99%の場合、「わたしのせいじゃない」のは当たり前なんですよ。
でも日本では、「たとえそのマフラーを作るための毛糸の原産地の牧場で羊が死んでしまったから必死で違う牧場と話をつけて間に合うように毛糸を製造したんだけど飛行機がストライキで飛び立たず、なんとか2日遅れで工場に毛糸が入ったと思ったら大規模停電で工場が無力化し、それでも暗闇の中懐中電灯でつくったマフラーの搬入途中でトラックが強盗に襲われた」など、死力を尽くし、しかも絶対自分のせいじゃないところで遅れてしまった納期に関しても、「私が約束をしたことだから私が責任をとって謝る。しかも誠心誠意」というのが美徳だよね?
そういう感覚がイタリア人にはない。
羊が死んだのも、ストライキも停電も強盗もわたしのせいじゃない、だからしかたがない。
それはしかたないけど、じゃあ責任は誰が取るんだ? というのが限りなく曖昧。
だからイマイチ、トラブルに対する対応に腰が入らない。
ものすごーく能力のある人でも、そういう「美学」というか「美意識」というか「責任能力」がない。

それはさ、言っても仕方のないことだとは思います。
イタリア人とビジネスをするうえでは、そういうのってある程度見切っておかなくちゃいけないし。日本側の窓口になるなら、そこまでどうにかするのが役割ってもんだろうし。
でもま、楽じゃないわね。
そして同じようなことを、イタリア人はインド人に対してよく言ってるしな・・世の中ってのは広いものですわよ。


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