ジプシーという民族

国家を持たない民族というのは、常に悲劇的です。
いまや国家をもったイスラエルでさえ、悲劇から逃れられていないくらいなんだから。
現在進行形でヨーロッパ各地をさまよう放浪の民には、もちろんさまざまな事情と、終らない悲劇があります。

その民族とは、ロマ民族。所謂、「ジプシー」と呼ばれる人たちですね。
「ジプシー」という言葉は差別的だとして、使用を控えるべきなのですが、イタリアではごく普通に「Zingari(まんま、ジプシー)」と呼ばれているので、ここでは敢えてジプシーと呼ばせていただきます。
イタリアをちょっとでも歩いていたら、絶対にめぐり合うジプシーたち。
彼らは、遠い昔にインドあたりからヨーロッパまで流れ着いた異民族で、まあ早い話が「よそ者」として常に差別されてきたわけです。
定住することも出来ず、あちこちを渡り歩きながら、芸や占い、裏の仕事で生計を立てて、長い長い時を「よそ者」として生き続けてきた、歴史の闇を背負った放浪の民。
そういう一体いつの時代の話か? と思ってしまうような民族が、ヨーロッパでは依然として、存在するのです。
しかも、ごくナチュラルに。

彼らは昔からそうであるように、通常の社会に属することが出来ないので、もちろん普通の仕事も出来ません。というか普通の教育も受けていないので、ジプシーのしゃべるイタリア語は、イタリア生まれのイタリア育ちのはずなのに、文法がめちゃくちゃ。
現代の近代都市で、明らかに普通の市民と違ったいでたちの彼らに、芸や占いで生活費を稼がせてあげられるキャパは無いでしょう。
いきおい、彼らの生活手段は「物乞い」になります。
しかもそこは大陸文化。日本人がイメージする物乞い、橋の上にむしろを引いて正座をし、寒空の下ひたすらに頭を下げてお金をもらう・・というのとは全く違って、それはもうパワフルでアグレッシブです。

ジプシーたちが溜まり場にしている駐車場とか、地下道とかを一人で通りかかると、わたくしでもちょっとびびります。手のひらを上に向けて「ちょーだいポーズ」のジプシーたちが、片や乳飲み子を腕に抱えて、片や子供が新聞紙を広げてわらわらと寄ってくるのです。
うでに捧げ持つ乳飲み子や新聞紙は、しかも、その下から手を伸ばして相手のポケットの中からものを探り出すために使われることもしばしばです。
しかもさあ・・まともな暮らしをしていない人たちなので、すさんでてなんか妙な迫力があるし、汚くて、怖い。
だいたい、危害に及ぶようなことは無いけど・・何がなんだか分からない間に財布をすられないように、皆様ご注意遊ばせ。
たとえすられなくても、長いこと付きまとわれて、「お金頂戴、おなかがすいた、おねがい。お金、お金、お金」とやられるのは、精神的にもかなり不快なものです。
「なんであたしがアンタに金あげなきゃいけないのよ!! ていうかむしろ、誰かあたしにお金頂戴!!」と思うでしょう。それは。普通。

そういう「押しかけ女房的物乞い」攻撃に続いて、彼らの得意なのが「お嬢さんお花はいかが」攻撃です。
これは、男女のデート中に遭遇する可能性がかなり高い。
まだ年端も行かぬジプシーの子供が、両手に抱えきれないくらいの、一輪ずつ包装された薔薇の花を持って、デート中の人々の間をまわってあるくのです。レストランの中にまでずかずか入ってきながら。
そして、「お花はいかが?」ときいたりに「綺麗な恋人にお花の一本もプレゼントできないようじゃあ、男として失格だね」などといいながら、男に花を買わせ、女にプレゼントさせるという・・まあ、需要と供給がかみ合ってる分には別にかまわないんですけどね。しかも、お花は普通に買うより安いし。どういうルートで手に入れてるのかは考えると怖いので考えませんが。
でもこれも、彼らの攻撃のひとつなので、非常にアグレッシブ。
「いらない」といってもかなりしつこく粘ります。最後には根負けして、「わかったよ・・買うよ・・」となってしまうほどに。
ロマンチックなディナーも気分台無し、になる可能性を含んだ、恐ろしい攻撃であるともいえます。

そして第三の攻撃は、「音楽サーヴィスいたします♪」攻撃
これは、地下鉄などに乗っているときによく訪れるのですが、とある駅で数人が乗り込んできて、いきなりバイオリンナなり、ハーモニカなりアコーディオンを引きはじめ、二曲くらい終るとぼろぼろマクドナルドのカップを差し出しながら、強引に聴衆にさせられた市民達からお金を集めて歩くという、まあある意味ジプシーとしての伝統的なお金の稼ぎ方、ともいえるでしょう。
でもこの攻撃は、それほどアグレッシブではないので、観光客としてはまあ、楽しいときもあるかなあ・・
ま、通勤途中の地下鉄で毎日やられると、さすがにブルーになりますが。
でも結構音楽的にも優れていたりするから、わたくし的にはこれはOK。

その他、手を変え品を変えさまざまな攻撃があるのですが、そしてそれは総じて、イタリア人にとっては単なる「迷惑」なものだったりもするのですが・・
犯罪じゃあ、ないんだよねえ・・

わたくしも、そのアグレッシブな物乞いというアンビバレントな行為には、かなり迷惑を感じているし、相手がアグレッシブである限りびた一文やらぬ。という主義もあるのですが、落ち着いて考えてみれば、それが生きる術なんだよなあ・・と、しみじみしてしまうことも、あるのです。
そういう民族に生まれて、学校にも行けず、仕事にも就けず、それしか生きる道が無い、といわれればねえ・・ヨーロッパという地域に慣習的に残る、大きな民族問題だから、そうそう解決するとは思えないし。
そういう風に差別・迫害してきたヨーロッパ人の責任も大きいわけだし。
生粋のイタリア人として生まれながら、スリや泥棒でいきている人たちに比べたら・・とは思うものの、だからってお金を恵み続けて、彼らがこのままの状態で生きていくというのも、なんかなあ・・
でも国籍もない、当然住民登録なんてしてない人たちをどうやって管理するか、っていうのも難しい問題だしなあ・・
しかも、単なる食うや食わずの「哀れな犠牲者」では無い証拠に、ジプシー民族は「男は働かない」のです。と、いわれています。
そういえば物乞いに来るのも、花を売ったり音楽を演奏するのも、みんな女の人か、子供達
男の人たちは彼らの稼いだお金で生活するというのが伝統なんだってよ。なんかソレも凄くないですか。

その一方で、ジプシー占い(タロット。)とか、そういう彼らの文化が、特殊な魅力を持っていることは間違いないんだよねえ・・フラメンコとかも、もともとはジプシー舞踊だし。スペインなんかのフラメンコ・ダンサーはジプシー部族出身の場合が多いみたいですね。よくわからないけど。

わたくしは個人的には、ジプシーに同情的ではないんです。というか、芸でお金を取るのはいいけど、人にお金をもらうには何らかの対価を払わなきゃいけないことは当たり前だと思うから、彼らに金をねだられる筋合いはないと思ってる。
国家を持たない弱者の悲劇、とは言ったって、だからって図々しく人に迷惑をかけることを正当化しないと思うし・・増して犯罪は論外でしょ。
治安・人権両方の面から、解決して欲しいけど・・無理だろうなあ・・
自分もヨーロッパ外のよそ者である日本人なわたくしとしては、外から、「困ったなあ」と言ってるくらいしか出来ないわけです。
でもイタリア人の反応も、「断固としてあんなやつらに金は恵まない」やら「かわいそうだからレストランに残すチップ分くらいは・・」という感じで、いずれにしろこの民族問題を根本的に解決しようという姿勢は見られないから・・まあ、日本人としては犯罪行為にだけはあわないように、姿を見たら近寄らないのが無難、ってことになっちゃうよねえ。

ところで、ローマ物乞い事情の怖い話をひとつ。

よく行く広場に、真っ黒のローブを頭までひきかぶって、地べたに這いつくばる、としか言いようのない格好で物乞いをしているおばあさんがいます。
前においてある籠に小銭を入れると、「神の祝福のあらんことを!」としわがれた声で言ってくれるんですがね。
ある日、同じ場所を通りかかると、彼女は身体を起こして壁によりかかり、手に握った分厚い札束を数えていました
・・ちょっと、背筋が寒くならないですか? どんなアンダーグラウンドな世界がそこにあるのかしら・・


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