わたくしがこんな人になったワケ。

ちょっと、横道それますが。

わたくしについて語ってもよろしいですかね? わたしのサイトなんだから、多少自意識過剰的に自分の事書いてもかまわないわよね? っていいに決まってんじゃんねえ、別にお金もらってやってるわけじゃないんだから。
という事で今回は、わたくしヤヨイの半生記です。(ああ、お客さん、逃げないで!!)

いえね。わたくし、かなり日本人の常識からすると困ったさんなんです。わかってます。
協調性は、人が思ってるよりあると思う。意外と面倒見もいいと思う。(嘘だと思ったら楽園仲間、およびうちの妹などに聞いてみてください。)
しかしなんというか、自我の持ちようが、日本人としてあるまじき深さになっているのです。
それは、自分というものに対する思いこみ、というかもしれません。
で、その自我っていうのは、自意識とは逆方向のものなのね。
なにいってるかわかりませんね。すいません。

あのね。わたしは、自慢とかじゃなく聞いて欲しいんですけど、ものすごく、西洋人受けする容姿なんです。日本ではそうでもありませんが。
客観的証拠が必要なら、通訳としていったファションショーの仕事で、モデルに採用されちゃった、という一件でも覚えといてください。そして、これは本当に自慢とかではありません。

でー。しかも、イタリアといえばナンパ天国です。
しかも、わたしは普段からどちらかといえば人目をひく格好をしているし、しかも、イタリア語がしゃべれちゃうんです。

これで、イタリアで注目されなかったら、嘘でしょ?

というわけで、わたしが道を歩くと、ほんとーに、男という男が振り向くんです
となりに男性がいれば、まだましですが(それでもかなり振り向く)一人歩きなどしていると、日本人の一人歩きというだけで目立つのに、上記の理由が絡んで、とにかく、1日あるいていたら、声をかけないまでもじーっと凝視して、振り向いてみる男性の数は軽く50をこえるんです。
しかも、だいたい、彼らは私がイタリア語が分かるとは思わない。
そこで、無遠慮に、わたしに対する評価を、彼らの間でささやくわけです。

もちろんほとんど誉め言葉ですが、なかには失礼な台詞も混ざります。(わかるでしょ?)
もしくは、「英語わかる?」とかへったくそな英語で話しかけて来たり、「イタリア語わかりまちゅか?」とお子様言葉で話しかけて来たり、つきまとったり、まあとにかく、それはそれはうざいのです。

そんなこと言うと、自慢に聞こえる? でもね、考えて欲しいんですけど。
いくらイタリア男でも、自分と同列の、一人の人間であるイタリア女性に、「英語わかる?」とか「イタリア語わかりまちゅか?」とか、いきなり「おお、かわいい!」とか、そういうこと、言うと思います?
思わないでしょ? 人と人という関係で言ったら、それはものすごく失礼な事だから。
明らかに自分より下のもの、たとえば幼女とか、たとえば犬とか、猫とか、おもちゃ屋のウィンドウにあるお人形とか、そういうのにやることだから。
彼らがそんなに露骨なのは、わたしが外国人で、東洋人で、一人の人間としてみる事ができないから、なわけ。

それに、当然といえば当然ですけど、日本人という事で、お店に入れば、とりあえずVIPあつかい。
わたしは普通のイタリア人と同じでウィンドウショッピングがしたいだけなのに、金のなる木とみられて、下手過ぎる英語で「めい・あい・えるぷ・ゆー?(イタリア人はHの発音がほとんどできない。)」。道端の怪しいもの売りも、物乞いの子供達も、謎の日本語でつきまとう。
地下鉄に乗れば、もちろん注目の的(やばい人達に。)。
たとえば、列にならんでも(イタリアの列はちゃんと列にならない事が多くて、カウンターの内側のお店の人が目で覚えて、順番通り処理する事が多いの)、おみせのにーちゃんとしては、恐らくイタリア語以外の言葉で話すであろうわたしと目をあわすのを避けたがり、後回しになる事もしばしば。
ただでさえ日本人ていうのは、お行儀がよくて文句も言わない、弱腰人種と思われてるんだから。

望んでもないのにつねに注目される、しかも、同列の人間としてではなく、外の世界、もしくは下の世界のものとして。そういうのは嬉しい事でも、自慢できる事でもないでしょ?

そんななかで、自意識過剰に陥らずに、自我を保つには、方法は一つしかありません。

とりあえず、自意識を、一切オフにする事。
あの人がわたしを見てるわ。なんてことをいちいち意識していたら、気が狂うからです。
とにかく、周りを見ない。自分がどういう風に見られているかを気にしてはいけない
自分が、イタリア語をしゃべれる、イタリアに住む(少なくても長いこと住んでいた)日本人であるという事を意識しないで、たとえ英語で話しかけられても、「え?なんで英語で話しかけるの?失礼ね。」くらいの勢いで、イタリア語で切り返す
順番を飛ばされそうなら、いいや、なんて決して思わず、自己を主張する
イタリア語をしゃべるたびにいちいちみんながびっくりするのも気にしてはいけない
日本人だから、と甘くみられる事を恐れず、ただ、個人の自我をもって、自己主張の激しいイタリア人と、しかも自分の母国語ではない言葉で会話し、不利をはねかえして、同列に立つ

これを、日々、やってごらん。

人の見る目なんか気にしちゃいけない。人に譲ったら、甘く見られる。自意識なんてもっていたら、外に1歩も出られなくなる。ただ自我というもの、自分の存在だけを頼りに、道を歩けばコチラを差すように見る視線につぶされないように、とにかく、内側からの自分を支える力でそのプレッシャーを跳ね返して、何事もないような顔をして、1日をすごすってこと。

わたしは、なんとか、バランスをとれるようになるまで、3年かかりました。
留学して最初のころは、わたしを守ってくれるシェルターでもあった、当時のイタリア人の恋人がいなくては、外に出るのも憂鬱でした。
とにかく人に見られる事も、声をかけられる事も、馬鹿にされる事も、甘く見られる事も、イタリア語以外の言葉で話し掛けられる事も、特別視される事も、なにもかも、怖かったし、プレッシャーだった。
で、獲得した自らを内側から支える自我、それをもって帰って日本にきたら・・そりゃ、困ったさんになるよね。
日本は、自我をうすくして、まわりの人の色に染まるのがよしとされる国。というか、それ以前に、ここにいれば、人々はわたしを特別視しない。よくもわるくも、誰にも注目されずに、道を歩ける。でも、わたしの注目されすぎたゆえに人目を気にしないようになってしまった気ままな行動は、かなり特殊みたいねえ・・。

で、べつにわたしのへんてこさの言い訳をしたいわけじゃありません。
ここは日本で、自分が日本に帰ってくる事を望んだ以上、日本に合わせなきゃいけない部分があるのもわかってる。
たとえばね、わたしは圧倒的に、あいづちが少ないんです
相手の話しに、返事をしない、とよくおこられる。
これは、でも、ヨーロッパ流の話し方で、いちいちあいづちを打たないしゃべり方が身についているのよ・・相手の台詞が終わるまで黙って聞く、もしくはあいての台詞をさえぎってでもしゃべる、がイタリア語の普通のしゃべり方。
一緒にヨーロッパにいったとき、妹に指摘されてはじめて気づいたんですけどね。

でもここは日本だから、もちろんあいづちを打たなくちゃいけないという事は、理解してるの。べつに、イタリア流を貫きたいわけじゃないの。

でも、このへんてこさ、わたしの努力だけじゃあどうにもならない事もあるのよ、だって・・という理由を、上記、説明させていただきました。
えー、世の中の、西洋人受けする外見を持った日本女性で一人で西洋にすみたいと思っている方々。
結構大変よ。参考にしてね。(マジっすか?)


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