2003年新春特別企画。そしてヤヨイ@巴の生まれ変わり企画第二段。
だいぶ前にいった義仲お墓参り、愛と涙と奇跡の旅行をご一緒に!


さて。皆さん。
義仲のお墓がどこにあるかご存知ですか。
いえ、普通は知りません。
思い起こせは10数年前。わたくしの高校は都内の国立高校だったため、修学旅行は奈良・京都、という、都内の高校としては非常に近場、というかおてがる、というかしょぼい、というか、まあそんな感じだったわけですが、歴史マニアのわたくしは当然大喜び。
しかも、自由気ままな校風だったため、各班完全自由行動。
わたくしは、グループのお友達に、大声で主張しました。
「頼むから、琵琶湖のほとりにある義仲のお墓参りをさせて頂戴ぷりーづ!!」と。
しかしです。
琵琶湖というのは、滋賀県なんです。奈良・京都、ちょっと足を伸ばして大阪・・というのが許されているとはいえ、高校生の分際で、わざわざそんな渋いところに行こうとする修学旅行班があっていいのでしょうか。

我儘なわたくしも、さすがにそこで無理を通すのはあんまりだ。と思い、おとなしく引き下がったのです。
そして修学旅行中はすっかり静御前な気分で(←何故。)、白拍子ゆかりの紅葉の名所を練り歩いていたりしたのですが。

わたくしの所属していた班じゃない、とあるグループの方々が、「電車の時間が余ったから、ついでに行ってきた。」といって、琵琶湖のほとり、義仲寺にお参りに行ったあげく、「ヤヨイの夢枕に立ってくれるようにお祈りしてきたよ」と言ってお土産に義仲寺のお線香をくれたときには、本当に泣きました。
その友情と、行けなかった自分の不甲斐なさに。

そんなわたくしが10年の歳月を経て、やっとたどり着いた琵琶湖のほとり。
そこには、わたくし自身予想だにしていなかったドラマが待ち受けていたのです!!


そうは言ってもわたくしも年をとりました。
関西方面にコネクションも広げ、今回はなんと車で琵琶湖まで連れて行ってやろう! という剛毅な殿方の助けにも恵まれ、意気揚々と義仲寺を目指すこととなったわけです。仕事で行った大阪から。直接。

しかし。琵琶湖のほとりなどと言うマニアックな場所に、いくら関西人だからってすいすい行き着けるわけがありません。
わたくしは、だいたい助手席に座って地図を見ながらのナビゲーションというのが大得意なんですが(本当です。ね、わたくしを運んでくれる皆々様?)、その日は興奮のあまり、地図さえまともに見られない有様。
すっかり道を間違えて、大きく迂回して戻ろう、と、わき道に入ったとたんの出来事です。

粟津決戦跡/今井兼平の墓

という看板が、いきなりひっそりと、あるではないですか!!!

ちょっとアナタ。あんまりびっくりさせないでよ!!!!

粟津というのはまさにこの琵琶湖畔の地名、というかむしろ義仲討ち死にのピンポイント。だからこそこの地に義仲のお墓があるわけですが、しかし、そのお墓とは別に、まさにその決戦跡と、そして巴御前の兄でもあり、義仲の右腕でもある今井兼平のお墓ですよ。ちょっと。いやほんとに。
地図にも載ってない、ガイドブックにも載ってない、まさに住宅地の片隅の小さな公園ですよ。
道に迷わなかったら間違っても来ないような町外れですよ。

やっぱりわたくしは義仲に愛されているのね!!! 文句があるやつは出て来い!! と言う勢いで、わたくしは半泣きになりながら、その小さな看板の示す矢印の方向へ、車を走らせ・・て、頂きました。



←ほら。まちがいなく粟津原合戦史跡ってかいてあるでしょー!!!
これ見たことある人はそんなに多くないと思うんだよ。というかほとんどいないと思うんだよ。よほどのマニアでもなきゃ!

というわけで、ひとしきり粟津の戦いに思いを馳せ、熱い涙を流すわたくしヤヨイ。
ほんと、運命ってあるのねえ・・
こんな風に運命の出会いがあるとは、誰が想像したでしょうか。
ご一緒してくださった殿方も驚いてたもん。いやマジで。
義仲。ありがとう。愛してるわ・・


で、こっちがわが兄上にして義仲の一番刀、今井兼平兄者のお墓でありんす。
本当のお墓は木曽谷にあるのをお参り済みなんですが、
兼平兄者といえば義仲を自害させるために敵を防ぎまくったり、
その努力も報われず、義仲が敵に討ち取られてしまったときには
「もはや誰がために戦わん! この首欲しいやつにくれてやるわ!!」
と叫んで、自分の刀を喉に差し込んだまま落馬して果てた、という
それはもうわたくし好みの猛者。
しかもちゃんとお花も添えられて、わたくし感動してしまいましたわ。ええ。
そしていよいよ義仲寺へ・・
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