義仲道その5。

芭蕉翁とも道行きなの。

義仲のお墓と並んで立つ芭蕉翁のお墓。
突然ですが、松尾芭蕉について語るコーナーです。

というのはですね、わたくし、芭蕉先生とは、異常によく逢うんですよ。旅の先々で。
まあ、相手は忍者ですからね(松尾芭蕉が伊賀の忍者だという説は結構有名ですよね?)、日本中どこにいっても彼の足跡がある、というのは当然なのかもしれないんですが、しかし、時々わたくしは自分で「もしかしてわたくしば芭蕉の足跡を訪ねる旅をしているんじゃないか?」と思うほど、芭蕉先生とは縁があるのです。
わたくしとしては、彼に対して全くノーマークであるにもかかわらず。

原因は、芭蕉が義仲と西行好きだから。
そしてわたくしも義仲と西行が大好きだから。
そして芭蕉先生もわたくしも大の旅行好きで、好きな人たちの足跡を訪ねて回るのが趣味みたいなものだから。

そう、芭蕉先生とわたくしは、数百年の時を隔ててはいるものの、同じ人たちが好きで、同じような気持ちでその史跡を追っかけて歩いているのです! 結構二人ともミーハーかも。
今回の旅先でも、倶利伽羅峠では
義仲の 寝覚めの山か 月かなし
首洗い池では
無残やな かぶとのしたの きりぎりす
と、それぞれ傑作を詠まれておりますし。特に前者は、傑作ですわねえ。わたくし、この字面を見るだけで涙が出てしまいます。義仲と寝覚めと山と月。なんて美しい並び。そして「かなし。」ああ泣ける!

そして芭蕉の旅の終焉の地はここ義仲寺。一目瞭然義仲のお墓があるお寺。義仲討ち死にの地でもある滋賀県大津市。

しかし、芭蕉先生、相当変わり者だと思うよ。
いくら好きだからって、何もマジで義仲と同じお墓に入らなくても・・

芭蕉って1600年代後半の人なので、義仲は1100年代後半、つまり義仲は芭蕉にとって500年前の人。現代から500年前っていうと・・、まあ信長とか。そのくらい昔の人なわけですわね。
もしくはわたくしとチェーザレ・ボルジアがちょうど500歳違い。
500年前の人を慕うというのがどういうことか、分かっていただけるでしょうか。
しかも義経や頼朝ではなく、敢えて義仲。あくまでメジャーではない、マニア受け系ヒーロー。信長の時代で考えれば・・光秀とか?
現代の超有名作家が、マジで「明智光秀の隣に葬ってくれ」っていったら・・それ、かなりびびるでしょう。下手したら、「いい大人がなにを言ってるの」とお母さんに怒られそうなところです。ある意味究極のミーハー魂

しかしそれを実現してしまった芭蕉。いや、ほんと恐るべし。

わたくしが「木曽殿の隣に葬ってください」って懇願したら、葬ってもらえるんですかね。芭蕉くらい有名にならないと駄目?
俳聖と 将軍と描く 「川」うれし。
って感じで、わたくしも一句作ってみたんですけど。やっぱりだめ?

芭蕉と隣り合わせに義仲のお墓。
とはいえ、芭蕉はちゃんと(?)義経のことも好きで、恐らく一番有名なあの句、
夏草や つわものどもが 夢の跡
は、義経を思いながら詠んだものですね。
わたくし、まだ奥州には行ったことがなくて、次の目標はそのあたりなのですが、わたくし好みの旅程をたてれば、確実に芭蕉の足跡とかぶりますね。全然調べてないけど、それ自信あるわ。期せずして奥の細道、になっちゃうんだろうなあ・・
どうせだから、芭蕉先生のこと、ちゃんと勉強したほうがいいかなあ・・

でも俳句って、表面は潔すぎて、でも実は複雑巧緻すぎて、ちょっと苦手なのですわ。やっぱり「男の文学」という感じがする。もちろん、素晴らしい女性の俳人もたくさんいらっしゃることとは思いますが、個人的には、女のため息、女の喜び、女の悲しみを吐き出すには、どうしても31文字が必要な気がする。
17文字で自然の情景と、更に自身の心情までを描き切ってしまう俳句という形態は、男の、しかも忍者(!)のもののような気がします。17文字を選び出すための集中力とか、切り捨てる勇気とか・・わたくしはくの一ですが、やっぱり無理だと思うの。(既に何を言っているのか自分でもよくわかっていません。)

義仲と道行き。トップへ。