義仲道その6。

そして、わたくしは巴御前の生まれ変わりなのか?

義仲の首塚を撫で撫でするわたくし。
実はね、今回の旅をするにあたって、わたくし、義仲の本を色々読み直しましたよ。
高校生くらいの頃から買い集めていたから、結構たくさんあるんだけどね。

しかし、今更なんなんですが、わたくし、巴御前じゃないかもしんない。

いや、ほんと、いろんな意味で今更だとは思うんですけれどもね。でもどうも、巴御前のことがかかれたものを読んでいると、あんまり共感できないっていうか・・ううむ。
巴という人は、その実在自体が疑わしいとされていて、しかし「美貌で怪力の女武者」という設定は当然のごとく世の中の人を刺激したらしく、あっちこっちに「巴伝説」は残っているようなのですが。なにしろ、義仲と生き別れて、その後義仲は死亡が確定しているけど、巴は落ち延びたことになっているから、その後の巴の人生には想像し放題だからね。

そして、巴の存在でさえ怪しいというのに、義仲というのは本当に男冥利に尽きる男で、山吹御前、葵御前という女武者たちが常に伝説の周りを取り巻いているのですわ。しかも正妻の座には藤原の公卿のお姫様だしさ。源平の武将達の中で一番ハーレム度が高い男、義仲。あんまり話題になりませんが、これは注目すべき事実だと思うんですけれどもね。

そういう伝説を、一応は全部真実だとして、美女がひしめく義仲の周りにあって、巴というのは、確かに美しくて強くていつも義仲の隣にあって、それはそれは才色兼備の見本のような人なのですが、そしてわたくしは長いことそういう人になりたかったのですが、よくよく考えてみると、わたくしのキャラと巴御前のキャラは、全然かぶらない

義仲と巴って、どっちかっていうと「同志」、もしくは「将軍とそれに仕える武将」という感じで、イマイチ「恋人同士」という感じがしないのよ。もちろん、愛し合っているというのは前提としてあるのですが、所謂「公の場においては上司と部下、プライベートではラブラブカップル♪」という感じが薄い。
「公」の部分の関係が主にあって、男女としての仲は、なんていうかなあ・・色気がない、というか。
巴はほとんどの場合、義仲に対して滅私奉公。女の魅力はある程度、驕慢でわがままで、でも愛嬌があって・・というところに集約されると思うのですが、巴にそういう要素は全くなし。つねに全体のために己を抑えて、それは恋愛がらみのお話でも同じです。

なんと言っても納得が行かないのは、義経に攻め入られて、京都から落ちなければならない、という悲劇の真っ只中に会って、義仲は正妻である藤原伊子姫のところにいってしまうのですわ。死を覚悟した義仲が最後に抱きたかったのは、巴でも山吹でも葵でもなくて伊子姫だったという。
わたくしならそれ、絶対耐えられないなあ・・
同志として、武将としていくら認められても、女として一番大事にされていないっていうのはねえ・・
それとも人は、誰かをそれほどに愛したら、男女の愛を越えて、ただひたすらにその人に仕えられるのでしょうか。
それは幸せなのでしょうか。一緒に死なせてもらうこともできず、一人で馬を走らせて、どことも知れず落ち延びていった巴は、それでも義仲と一緒に生きた30年足らずを幸せな思い出として思い返すことができたのでしょうか。

しかし、まあ全ては半分以上伝説である義仲と巴の物語。
平家物語も源平盛衰記も、その後の作家の描く物語も、誰かの想像、誰かの手によって語られていくものならば、真実なんて思い込んだもんがちよね。
わたくしが知っている限り、女性が巴御前を書いた小説は見たことがないので、その辺に原因があるのかもしれません。
男から見て「怪力の女武者」というのは、守ってあげたい・傅いてあげたい女性というのとは全然違うし、他の女の存在を余裕で許す、というのも、器が大きくて肝っ玉の太い、高潔で敏腕の女マネージャーという感じで、まあそれを魅力的に書こうとすれば、「同志」になってしまうんだろうけどさ。
だからわたくしはいつか、落ち着いた時間が出来たら(老後とかなのか?)、女から見た、魅力的で美しくて仕事も出来て、狂おしく愛されて幸せに義仲の隣を走った、巴御前を書きたいと思います。
そしてそれをわたくしにとっての巴御前にするということで。どうでしょうか。どうもこうもないですね。すみません。

義仲と道行き。トップへ。