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私は、この旅で二度ほど夢とも現(うつつ)とも分からぬ不思議な現象に遭遇いたしました。
サハリン東部本線を走る夜行寝台車中で、ふっと目を開けた瞬間に無数の星が車窓をめがけて降ってきたのです。そして、未だかつてこんな間近に星空を見たこともなかったのです。(すぐに気づいたのですが、何と“ドリンスク駅”の近辺を列車は走行中だったのです。“ドリンスク駅”(旧落合)といえば宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」の“白鳥駅”のモデルになった駅ではなかったでしょうか。)
もうひとつはシベリア鉄道での真夜中、“ヴャゼンスカヤ駅”だった筈です。ウラジオストークから同乗していた若い兵隊か兵役中の若者達が一斉に下車した時のことです。ホームに整列した彼等の頭上と駅舎をめがけ、吹雪のように降りしきる激しい雪に思わず同室のY氏を起こしてしまうほどの大声を上げてしまったったのです。しばらくして目を開けると、やはり降るような満天の星のなかににオリオンが手に届くような位置に輝いていました。たぶん夢を見ていたに相違ないのですが、今でも夢か現か分かりかね自問を繰り返しつづけている不思議な光景でした。
サハリンも既に日本時代を偲ぶ縁(よすが)は思いの他少なく、北緯五十度線以北でさえニブヒ(ギリヤーク)や樺太アイヌ、オロッコ、の方々の土地と言うよりも、ほとんどロシアの土地、ロシア人の支配する町でしかなかったように見受けられました。日本時代を偲ぶこととは別に、これには一抹の寂しさを禁じ得ませんでした。
また、冒述したロシア極東の街も最早強者共(つわものども)の夢の残骸すら見ることもなく、ここはヨーロッパナイズされたロシア人の、ロシアの街でしかありませんでした。もっとも強者共の夢などとは所詮日本人の思い上がりによる侵略意識に他ならないのですが、豊かな資源を巡り長い間各国の権謀術数に翻弄され続けた極東の町の本来ありうべき姿なのかも知れません。
そう考えると同時に、それぞれの民族が独自の優れた文化を持つ多民族国家ロシアにおいて、その文化はもとよりイデオロギー、宗教の違いを越え豊かに共生し得る道を歩んで欲しいと、折しもニューヨークで起きた忌まわしいテロ事件のニュースをホテルのテレビを見ながら、また我が国のことを考えつつ、強くそう願わずにいられませんでした。
尚、サービス部門や衛生面では今なおソビエト時代の名残を随所に感じましたが、これもまたロシア的と思うことで、私はそれほど苦にはなりませんでした。どうしてもそれが嫌、というのであれば訪れなければ済むことなのです。
また資本主義国家を目指すのであれば、労働の効率や能率的側面などさらに考慮すべき点の多さを痛感したりするのですが、これはロシアの人達の問題であると同時に、これらの改善のためには今後さらに長い時間を要する問題だと思いました。
私の旅先での拙い旅行日記を読んでくれた親友二人から下記のようなMailをいただきました。彼らの許可を得てここに掲載し、私のサハリンとロシア極東の旅の報告を終えることにします。
| 1:はじめに | 2:出発 | 3:ユージノ・サハリンスクにて | 4:夜行寝台、車中にて | 5:旧国境線を越えてノグリキへ |
| 6:北緯52度の町 | 7:旧小沼 | 8:ウラジオストーク | 9:シベリア鉄道 | 10:おわりに |

