


ウラジオストーク発15時37分発(チケットや駅の時刻掲示板はモスクワ時間で表記されるので、8時37分とある)のノヴォシビールスク行き7号のシベリア鉄道は予定をだいぶ遅れ、18時50分にウラジオストークを発車しました。
発車のベルはおろか何のアナウンスも無いまま突然動き出した列車に、ホームにいた人達はそれこそ大騒ぎだったようです。走る人、罵声を浴びせる人、取り敢えず全ての乗客を拾い集め列車はアムール湾の海岸線沿いを徐々にスピードを上げて行きました。
25年前にハバロフスクから乗ったモスクワ行きのロシア号や、この列車より前に入線していたハバロフスク行きアケアン号に比べ、かなりくたびれ汚れた車両でしたが外国人のあまり利用しない列車に乗れたことは小生に取っては大変に興味あるものでした。
また我々の車両には初めて見る男性の車掌さん(長距離列車では各車両に必ず一名あるいは二名の車掌が勤務する)が担当しており、今度は大変親切にされました。
「食堂車は朝の9時にならないと営業しない」と言う食堂車勤務のウエイトレス達の話を聞きつけた彼は、自分のカップ・ラーメン(韓国製)のうち二つを小生に分けてくれました。“この旅行記は食べる話題ばかりで大変に恐縮しておりますが、三度の食事にありつくのも大変な努力を要した旅でもあったのです。悪しからず(笑)”
我々のコンパートメントにも遊びに来てくれ、外国紙幣を集めるのが趣味だという彼は中国紙幣などを見せてくれましたが、小生も記念にと1000円紙幣をプレゼント(極秘)すると大喜びで特別な便宜をはかることを約束してくれました。
先に述べましたように出発や到着の車内アナウンスの全くない列車で、ハバロフスク到着の丁度一時間前に起こされ、めずらしく深く寝入っていた小生は本当に助かり、大いに感謝しました。もし寝過ごし“ビロビジャン駅”(ユダヤ人自治州)まで行って下車するはめになっていたら、大変な事態になっていたかも知れないのです。
早朝8時に“ハバロフスク駅”着。ここは小生が何度も通過したり宿泊した街の駅であり、また怖い体験をしたこともある反面何となく懐かしい駅でもあります。しかし、現在の“ハバロフスク駅”は工事中で名物の駅時計も稼動しておらず、正面はテントに覆われ無惨な様相を見せていました。駅舎を真正面からにらめつけるハバロフの立像だけが変わらずに健在でした。
今回もまた二人連れの若造民警からパスポートの提示を強要され、あいにく不携帯の罰金をせしめそこなった彼らは何とも無礼な言葉を残して立ち去りました。こういう場合にはいくら悔しくても日本語しか分からぬように振る舞うことに限るのです。
イントゥーリスト・ホテルで朝食後アムール川(黒龍江)の岸辺を散歩。雄大な川の流れとさざ波、そしてさわやかな風が小生の旅の最後を締めくくってくれました!


| 1:はじめに | 2:出発 | 3:ユージノ・サハリンスクにて | 4:夜行寝台、車中にて | 5:旧国境線を越えてノグリキへ |
| 6:北緯52度の町 | 7:旧小沼 | 8:ウラジオストーク | 9:シベリア鉄道 | 10:おわりに |

