

一年以上前から計画し、着々と準備をすすめていた今回のサハリンと極東への旅を目前に、小生をとんでもないアクシデントが待ちかまえていました。
八月の半ば頃より身体の変調をきたし、その自覚症状も月末には最悪の状態に達しました。九月一日、遂に県立A病院に緊急入院という状態を余儀なくされたものの、音楽仲間でもあるDr,Mや(耳鼻咽喉科医)I(循環器科医)の反対を押し切り、ほぼ強引に退院を申し出ました。九月七日稚内発のロシア旅行を決行するためです。
今回のロシア旅行は小生独自の構想に基づいたものであり、ツーリストシアターのA氏にかなり無理なお願いをし、そのアレンジやビザの取得、及びバウチャーを発給していただいた旅でもあるのです。さらに戦後は外国人はおろか一般市民をすら難く拒んでいた土地を訪れるといった目的もあったからです。既に身内や係累を失った小生はどこにその生の果てを定めるのも同じこと、むしろ彼の地で果てるのは本望といった心境も多少手伝ってのことでした。
このように体調にかなり不安を抱えた旅ではありましたが、それらの不安を全て忘れさせてくれるような感動と驚きの連続のなかでたどった旅でもありました。
幼い頃より母から繰り返し聞かされた樺太のこと、また戦前の強者共がアナーキーな夢を託した極東の町ウラジオストークのことは言うまでもなく、特に樺太(サハリン)は学生時代に日本最北の地(宗谷岬)に佇み遠くその島影を目にして以来、小生に対し不思議な魅力を放ち続けてきました。しかし戦後、強靱な鉄のカーテンによって遮られたこの海峡を越えその島を訪れることなどもはや絶対不可能と、海峡を前にする度に断念せざるを得なかったのです。
しかしこの十数年来のロシアの政治状況は思わぬ展開を見せ、このたび実現の運びとなったサハリンヘの旅は小生の言葉をはるかに越える感動をもたらしてくれたのです。
これもまた幼小の頃より夢見続けていたシベリア鉄道完乗ヘの夢も、25年前のソ連時代にはナホトカ経由で入国せざるを得なかったため、このたび未踏破のウラジオストーク〜ハバローフスク(正確にはナヂェーンスカヤ)間に乗車し得たことで、シベリア鉄道本線を完乗し遂げたことになりました。
小生の夢の実現は何と25年という長きに及んだ末、ここに完結することができたのです!
из Владивостока

| 1:はじめに | 2:出発 | 3:ユージノ・サハリンスクにて | 4:夜行寝台、車中にて | 5:旧国境線を越えてノグリキへ |
| 6:北緯52度の町 | 7:旧小沼 | 8:ウラジオストーク | 9:シベリア鉄道 | 10:おわりに |

