もう一度訪れてみたい線区ベスト.テン
(その1.2.3.4.5)
1、五能線(川部→東能代147.2km)
メモ・・・・・五”は五所川原(青森県)、“能”は能代(秋田県)を指す。つまり、この二つの土地を結ぶ路線が五能線と呼ばれる所以である。
実際には奥羽本線の 川部〜東能代を日本海沿いに迂回する路線で本線で特急を利用すれば100km足らずを1時間半ほどで行けるところだが、この線を利用すれば150km足らずなのに実に途中の待ち時間を含めると4時間半以上はかかる。
この日僕は弘前から乗車し、奥羽線を青森方向にしばらく走り二つめの川部から五能線に入る。
林檎畑を走る車窓から手を伸ばせば枝を折ることもできそうだ。林檎の花が真っ盛り!
鯵ヶ沢あたりから日本海の海岸沿いに走る。大岩に打ち付ける怒涛、太陽光線により、刻一刻と色を変えて行く岩はまるで映画の場面を見るようである。
当時は上り(東能代行き)の直通列車が無く、深浦で列車を乗り換えたように記憶している。
待ち時間に立ち寄った食堂の地酒と刺身のうまかったこと!
(2002年12月2日五能線に再び乗車しました!)
2、深名線(深川→名寄121.8km)
朱鞠内駅

メモ・・・・・惜しむべくは現在廃線になってしまっている。当時北海道でも有数の赤字路線だったそうである。
1922年( 大正11)、深川−朱鞠内(三股)の軽便鉄道が着工、並行して進められた雨竜ダムの建設に伴い木材積み出しに貢献した(雨竜線、のち幌加内線)。
一方、朱鞠内(三股)−名寄を結ぶ名雨線は1935年に着工され、1941年10月10日、朱鞠内−名寄間全通し幌加内線と合併して深名線と改称された。
林業の衰退と過疎化で深川−名寄間の直通列車もなくなり、1982年、貨物運輸営業が廃止、殆どの駅が無人化されたという。
代替道路の未整備と北海道でも有数の豪雪地帯だったこともあって、地方交通線の対象とはならなかったが1995年9月3日遂に廃止となってしまった。
先述のように深名線は上下とも直通がなく豪雪の朱鞠内駅で乗り換え列車を待つこと約二時間、思わぬ列車交換の場面に遭遇したり、寒さに震えながら若き旅師(?)達との鉄道談義も懐かしい思い出となってしまった。
沿線の「雨煙別→うえんべつ」という駅名に何とも旅情を誘われたが、本来アイヌ語のウエン.ペツ(悪い川)に日本語の漢字を当てたものだそうだ。
そういえば函館本線の支線、上砂川線の終点上砂川の駅標示が「悲別」。
当時テレビドラマのモデルにもなり若者達で結構賑わっていたが、なにかわざとらしい駅名で興をそがれたが、いまはどうなっているんだろう?
《どなたか情報をお寄せ頂ければ幸いです。》
あれほど乗りたかった歌志内線や羽幌線も既に廃線となっており、人気の無い構内に一人当時の栄華を偲ぶこととした。
(北の旅はガラにもなく僕をセンチメンタルにさせるのだ)
3、鶴見線
幹線(鶴見→扇町7.0km)途中支線(武蔵白石→大川1.0km)(浅野→海芝浦1.7km)

メモ・・・・・まさに灯台もと暗し、である。通勤ラッシュに朝夕苦しめられているとは言え、我等が街の近くにこんな面白い線区があったとは!
幹線には懐かしい国電時代のモハ72が走っていたし、さらに武蔵白石→大川間はモハ12が一両で走る。(因みにこれはJR全線中最短距離とのこと。)
鶴見線の沿線は工業地帯建設のための埋めたて地であることから日本鋼管の創立者、白石元治郎氏や二代目社長の大川平三郎氏の名前に因む駅名が面白い。
他にもこの付近一帯の大地主(小野)や財閥(浅野、安善)等のゆかりの駅名が多い。
海芝浦のホームの10メートルほど真下に海面がみえる。まるで停泊中の大型船のデッキから海を眺めているようだ!

4、小海線(小淵沢→小諸78.9km)

メモ・・・・・山梨県と長野県にまたがる高原鉄道。早朝の小諸駅を発車した列車はしばらく信越本線と並行して走る。
処女地(新開地)を意味する乙女と言う駅名がなんとも美しい!
やがて車窓より新雪を抱いた八ヶ岳連峰を臨む!太陽に乱反射する新雪の光りが寝起きの目を射る。
JRハイエスト.ステーション野辺山(海抜1345.67m)には約一時間三十分ほどで到着。
近くの国道141号線の踏切にJR最高地点1375mの標柱が建つ。
次の清里は沿線のビュー.ポイント!だれ言うこともなく“ミニ原宿”が駅前に出現したそうである。
ラケットを持った乙女ならぬギャル達の歓声が暫しのまどろみを破る。(乗車時間約2時間10分)
5、指宿枕崎線(西鹿児島→枕崎87.9km)

(晴天の開聞岳をバックに美しい風景を独り占め!)
メモ・・・・・桜島を望む西鹿児島駅を出発。
鹿児島市を抜けると日本最大の石油備蓄基地のある喜入(きいれ)に着く。巨大なそのタンク群に目を奪われる!
左手に錦江湾を眺めながら、列車は指宿に到着。
数年前、仕事で40日間天文間のホテルに箱詰めになっていた時、親友のピアニストY君の妻君(誤解無きよう)と砂風呂体験目的でここを訪れたこがある。
道に迷って通りすがりの老人に道を訪ねたところ、我々は全くその言葉を解せず、延々と続く親切な案内に閉口した記憶に一人苦笑。
北緯31度11分の日本最南端の駅西大山で途中下車。
駅舎も人気もないプラットホームの周囲にはサツマイモ畑やビニールハウスが広がるばかりだったが、快晴の開聞岳の美しさと「日本最南端の駅」の標柱にひかれての下車だった。
次の列車到着まで(枕崎までは日に5本だけ)の3〜4時間を雄大な風景をしばし独り占めにした!
西大山よりトロトロと車両を一人占領すること約一時間、終点枕崎に到着!
確か開通後十数年しかたっていないのに随分と古びた駅だと思ったら、1983年に廃線になった私鉄鹿児島交通の駅舎をそのまま使用しているとのこと。

