恩送り

 江戸時代に「ご恩送り」という言葉があったらしい。本当かどうかは分からない。それでも「ご恩送り」の考え方は好きである。私が「ご恩送り」という言葉を初めて聞いたのは2004年10月7日にNHK教育の「福祉ネットワーク」という番組を見ていた時である。井上ひさしさんが「ボローニャ方式」について確かめようとイタリアのボローニャを訪れた時のことを語っていて、番組の最後に昔の日本を振り返り「ご恩送り」という言葉を紹介してくれた。番組内容はインターネット上で紹介されている。
「恩返し」という言葉はよく知られている。誰かに親切にされたらその人に対して親切にする。一種のギブアンドテイクである。それに対し「恩送り」は誰かに親切にされたらその人に対して親切にするのではなく他の人に対して親切にする。インターネットで調べたら2000年のアメリカ映画「ペイ・フォワード」が「恩送り」と同じ考え方をテーマにしたようである。「恩送り」は特殊な考え方ではなく、集団生活をする「ヒト」という生物が生き残るために身に付けた普遍的な知恵なのかもしれない。人は一人では生きられない。自分を生かすことも重要だが種の保存のために他人も生かさなければならない。そのためには他人を助けなければならない。助けられた方も助けてくれた人を助けるだけでは種の保存に限界があるので他の人を助ける。そうやって助け合うことで「ヒト」は生き延びてきたのだろう。「恩送り」は「ヒト」以外の生物でも見られるかもしれない。知識不足ではっきりしたことは分からないが意識的に行えるのが「ヒト」の特徴かもしれない。
 私はたくさんの人の恩を受けて生きてきた。返していない恩がたくさんある。親から受けた恩は返し切れるものではない。誰かに送るしかない。親が私を育てたように私が子を育てれば恩送りができるかもしれない。残念ながら子はいない。親から受けた恩を子に送れたとしても親以外の人から受けた恩が余る。その恩の送り方を考えながら生きている。考えるばかりで行動が伴わないのが私の欠点である。私が死ぬまでに受けた恩を残らず送ることができるだろうか。難しいかもしれない。それでも少しずつでも送りたいと思っている。とりあえずは私の知っていることを伝えたいと思いインターネット上に言葉を並べている。私が送った情報が誰かの役に立ったなら少しは恩を送ったことになるだろう、と思いながら言葉を並べている。私もインターネットで情報を集めているのだから、恩を送るよりも恩を受けることの方が多いのだが…。
「恩を売る」という言葉がある。「恩」は売れるものらしい。「恩を売る」とは見返りを期待して親切にすることである。すると、給料を期待して会社のために尽くすことも恩を売っていることになりそうである。今の社会は恩を売り合うことで成り立っているのかもしれない。「恩送り」だけの社会は成立しないだろうか。ちょっと想像してみた。誰かが誰かに恩を送り、恩を受けた人が複数の他の人に恩を送る。そしてその恩を受けた人たちも他の人たちに恩を送る。実は映画「ペイ・フォワード」はそのような話らしい。さすがに恩を受け取る人の生活を支えるような恩ではないだろう。しかし、誰もが自分の生活ではなく他人の生活を支えている社会があっても良いかもしれない。見返りを求めたら恩を売ることになるので、誰にも自分の生活を支えてもらえないことを覚悟の上で他人の生活を支えることになる。それでも誰かに支えられて生活が成り立っている。そんな社会は夢物語に過ぎないだろう。それでも想像してみたくなる。最近の世の中は自己中心的で他人のためではなく自分のために生きているように見える人が目立つ。自分のためのマニュアルも流行っている。その反動だろう。「恩送り」だけの社会を夢見てしまう。

2004年12月26日 正己