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バビロンの架空庭園
メソポタミア地方に栄えた新バビロニア帝国の首都バビロンにあったとされる架空庭園。バビロンは現在のイラクの首都バグダッドより南100キロにあり,当時は世界最大級の都市でした。
 
ネブカドネザル2世の治世(紀元前605〜紀元前562年)に建設されました。”架空庭園”という名前は,何層にもなったバルコニーに植物が植えられている様が,空中からつり下げられているように見えたためついたとされています。

基部は125メートル四方,高さは25メートルほどで,5段のバルコニー状のフロアで構成されていました。各バルコニーは大きな花壇を備えており,大量の土と多くの植物が持ち込まれていまた。建物の四方には幅6メートルの階段があり,最上階まで続いていました。

砂漠の大庭園は毎日多くの水を必要としました。
そこで近くを流れるユーフラテス川から汲み上げられた水が,建物全体にいきわたるような仕組みがあったといいます。
 
しかし現在でも架空庭園の揚水システムについては詳しいことは判っていません。大型の水車を使ってフロアからフロアへ汲み上げたのではないかと考えられています。

架空庭園を建設するキッカケとして,下記の話が残されています。
当時、ネブカドネザル2世はメディア王国から王妃アミティスを迎えていました。メディアは山も多く自然の豊かな国でしたが,バビロンは平坦で雨も少なく自然も多い訳では有りませんでした。そこでネブカドネザル2世はアミティス王妃のために,故郷の森に似せた緑の丘を作ろうと考え,架空庭園が作られたと言います。
  

新バビロニア帝国は紀元前538年アケメネス朝ペルシャによって征服れ,首都バビロンも廃墟となりました。架空庭園も失われてしまい,場所も推定位置しか判明していません。
 
同時期のバビロンには巨大な建物が存在していましたが,美しさの点で架空庭園が七不思議の一つとして選ばれたと思われます。
 

新バビロニア帝国の歴史
 
紀元前625年にアッシリア帝国から独立しました。紀元前612年にはメディア王国とともにアッシリア帝国を滅ぼします。その後,古代オリエント世界はリディア,メディア,エジプト,新バビロニアの4国対立時代を迎えます。そのなかで新バビロニアは有力でユーフラテス川沿いに勢力をのばし、ネブカドネザル2世の時代には地中海のユダ王国まで征服しました。このとき2回の「バビロン捕囚」がおこなわれています。550年にアケメネス朝ペルシャが興り、538年には新バビロニア帝国も滅ぼされました。アケメネス朝ペルシャは525年にオリエント全域を統一しました。 
 
 
番外編:バビロンの城壁
 
フィロンの選んだ七不思議には,バビロンを取り巻く「城壁」も入っていました。
バビロンは紀元前3000年から1500年栄えた大都市であり,それを取り巻く城壁は高さ90メートル(?)厚さ24メートル(?)で,総延長は24(64)キロにのぼり,100の門と250の塔を備えていたといいます。

この「バビロンの城壁」は、後世になって「アレキサンドリアの大灯台」と差し替えられて,今日私たちが知る七不思議リストが成立しました。
 
 
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