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エフェソスのアルテミス神殿
小アジアの古代イオニア地方の都市エフェソスにあった神殿。エフェソスは紀元前11世紀頃に建設され,紀元前6世紀には商業,宗教の中心として栄えた。人口は20万人におよび,町を囲む城壁は13キロもありました。
アルテミスは小アジア全域で信仰された神で、神殿に参拝する人が大勢つめかけたといいます。

このアルテミス神殿のあったエフェソスという町はカイストル川の河口にある港町でした。そのため川上からの土砂が堆積し,港が埋まる現象が定期的におきました。この影響から逃れるため街は移動を繰り返しました。初期の神殿は紀元前700年頃建設されていますが,それから何度も移動を重ねました。移築されるたびに神殿の規模は大きくなり,3つ目の神殿は正面16.43m,奥行23.2mになっています。しかしこの神殿も紀元前356年に放火により全焼してしまいます。
 

その後,再建に際して,アテネのパルテノン神殿を上回るものを作ろうという計画になりました。パルテノン神殿は正面31m,奥行き70mで高さ10mの円柱58本を使用しています。そこで倍近い規模の正面55m,奥115m,高さ19mの大理石の円柱127本を使用した巨大な神殿が設計された。建設は長期にわたり最初はクノスの建設家ヘルシフロンが担当,その死後は息子メタゲンが引き継いだ。そしてメタゲン存命中にも工事は終わらず,ペオニートとデメリーが最後の仕上げを担当しました。
 
この神殿を見たビザンティンのフィロは「他の不思議は影に隠れてしまった」と賞賛しています。またこの神殿に詣でるため各地から多くの人があつまりました。
 

ローマ占領時代になって他の都市が衰退する中,エフェソスは交易によって繁栄を続けていました。また神殿も一種の治外法権を認められ,預かった多くの財宝を運用し栄えたと言います。しかし紀元前263年ゴート人の侵入を受け破壊さてしまいます。その後キリスト教化が進んで,エフェソスの再建のために神殿の石材が流用されてしまいました(今の都市遺構はこの時代のモノ)。さらに耐震対策のため湿地の上に立っていた神殿は川が運んでくる土砂のため完全に埋まってしまい,長らく存在は忘れられていました。
1869年イギリスの学者J.T.ウッドにより地下7メートルより遺構が発掘され,当時の様子が正確にわかるようになりました。
現在,アルテミス神殿跡には柱が1本復元されているだけです。
 
悪事で名を残す
 
紀元前356年の神殿への放火はヘラストラトスによるものでした。かれは大きな悪事で後世に名を残そうと思い,計画的に焼き尽くしたのでした。イオニア諸都市の公会議では「今後彼の名は口にしない」ことを申し合わせましたが,名は伝えられています。
この日,アルテミス神はアレキサンダー大王の誕生に立ち会うため神殿を離れており,放火を防ぐことができなかったという言い伝えも残されてます。
 
 
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