The Secret of the Utopia

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<蓬莱山>
 
 

蓬莱山
蓬莱山(イメージ)
中国の伝説では蓬莱(ほうらい)、方丈(ほうじょう)、えい洲を3神山と呼ぶ。中国の東方の海上に存在し、岸辺からその姿を見ることが出来る。黄金や白銀の宮殿や、白衣の仙人がうっすらと見れたという。船で近づいて行くといつの間にか水中に沈んで見えなくなってしまう。さらに没したところまで行こうとすると、大風が吹いて流されてしまう。そのため誰も蓬莱山に辿り着いた者はいないという。

 
中国の歴史書「史記」に蓬莱山と徐福という男の記録がある。時は秦王朝の時代で、中国を統一した始皇帝は強大な権力を持っていた。だが死だけは逃れられない不安だったのだろう。死後の世界を信じ、兵馬踊で有名な始皇帝陵を築いている。またその一方で不老長寿を願って、多くの方士を宮廷に雇い入れていた。方士とは神仙道の使い手で、不老長寿の研究家である。だが彼らは金目当ての詐欺師ばかりであった。
 
その中に徐福という男がいた。史記によると、徐福は蓬莱山に渡って不老長寿の薬を求めてくると始皇帝に申し出た、という。始皇帝は大いに喜んで、徐福に多くの財宝と童子数千人を与えて船出させが、そのまま消息不明となった。
 
10年ほどして、徐福は始皇帝に面会を求めて帰ってきた。徐福の報告は、「蓬莱山を発見したが、サメが邪魔して上陸できなかった。再度上陸を試みたい。」というものだった。病床にあった始皇帝は最後の希望を託して、再び財宝を与え出発させた。
 
しかし徐福はそのまま帰らず、どこか遠くで土地を得て王様になったという。始皇帝は翌年死亡した。(西暦211年)
 
徐福像
徐福(想像画)

富士山
富士山または蓬莱山
さらに「三国志・呉伝・孫権伝」には徐福の後日談がある。西暦230年孫権は配下の衛温、諸葛直に命じて夷州、せん州(いずれも日本をさす)の探索をおこなわせた。その時、土地の古老は「徐福が神仙を求めてこの地に来た。彼は死んだが一族は数万人に増えた」と語ったという。
 
また後周時代(10世紀中頃)の「義楚集(六帖)」には別の記述もある。いわく「日本には富士山という山がある。またの名を蓬莱山という。徐福はこの地に辿り着き、子孫は秦氏を名乗っている」というもの。

 
日本でも徐福伝説は多く伝わっている。
和歌山県熊野には新宮市阿須賀に上陸したという説がある。徐福は5百人の子供と五穀、金銀をもって来航し、農耕技術、捕鯨術、那智紙(徐福紙)の製法を伝えたと言う。阿須賀社裏の山は蓬莱山と呼ばれ、墓も建てられた。
 
山梨県富士吉田市にも同様の説があり、織物の製法を伝えたと言う。当時、富士山は3方を水に囲まれた地形だったらしい。
 
丹後半島伊根町新井崎、鹿児島県串木町冠岳、宮崎県延岡町徐福岩、佐賀県金立山など伝承は各地にある。
 
最近ではゲゲゲの鬼太郎にでてましたね。

 
 


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