新見庄の今
岡山県新見市は、院政時代から戦国時代まで続いた荘園のあったところで、はじめは最勝光院領、のちに後醍醐院の寄進によって東寺領となりました。その様子は『東寺百合文書』の新見庄関係史料で窺い知ることができます。
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現在の新見市域。町を高梁川が流れる。京都への年貢輸送にはこの川を使っていた。また、この川をつたって商人が多く庄内にやってきたようだ。 この画像は南側を向いている。 |
| こちらは撮影地から東側を向いて撮ったもの。 実は、中世の新見庄はもう少し川を遡ったところが中心地で、現在の市域は近世以降に発達したところのようだ。ただ、市庭は現在の市域の辺りにあったことが確認されている。 |
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これは撮影地。「新見城跡」であるとされているようだが、それらしき雰囲気がまったくなくてよくわからなかった。高みに見られる石垣も、最近作られたものであることは明らか。 |
ともあれ、「新見庄」を実際に見たくて訪れたのだが、まったくのピントはずれのところを廻っていたことに後で気づいた。また行く機会ができたと言うべきか…。予習はしておくべきである。

竹本豊重「新見荘」(網野・石井・稲垣・永原編『講座日本荘園史』9、吉川弘文館)1999年
掲載地図より作成
参考文献:石井進『中世の村を歩く』(朝日新聞社)2000年