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レーニン「国家と革命」ノート


ここでは、レーニンの「国家と革命」を取り上げ、国家について論じたいと思う。
国家については、すでに政治学者滝村隆一氏が十分に議論しているので、改めて論ずるのは多少気が引けるが、しかし、彼のよって立つ立場とはやや違ったところから論ずるのであるから、ここで取り上げてもいいであろう。
最初に断わっておくが、私は、ソ連が崩壊した今でも、レーニンを偉大な革命家だと考えている。しかし、革命家レーニンには、指導者としての超多忙な生活があり、マルクスやエンゲルスのような学者生活を送れる余裕はなかったはずである。だから、その理論に誤りがあったとしても、或る意味では仕方のないことである。彼の国家論も、そういう意味で誤りを含んでいると考えている。

第1章第1節では、国家の発生の理由を取り上げているが、レーニンは、エンゲルスの「家族、私有財産および国家の起源」を引用した後で、次のようにいう。
「国家は、階級対立の非和解性の産物であり、その現れである。国家は階級対立が客観的に和解させることができないところに、また、その限りで発生する。逆にまた、国家の存在は、階級対立が和解できないものであることを証明している。」
「マルクスに寄れば、国家は階級支配の機関であり、1階級が他の階級を抑圧する機関であり、階級の衝突を緩和させながら、この抑圧を公認し強固なものにする「秩序」を創出することである。」
確かに、エンゲルスの本のその個所を読めば、そのように読めないことはない。また、レーニンの1917年の革命の経験からすると、当時のロシアを支配していたツアーの国家は、「1階級が他の階級を抑圧する機関」であるように見えたであろう。しかし、現象形態から直ちに本質を導いてはならない。

マルクス・エンゲルスの国家論は、直接的には、ヘーゲルの国家論の批判から導かれている。この辺を論ずるためには、少なくともフォイエルバッハにまで遡らねばならない。なぜなら、ヘーゲルに対する克服は、フォイエルバッハを媒介にして行なわれたからである。

1、フォイエルバッハの自己疎外の理論

私は、「ドイツイデオロギー・ノート」で、「唯物論的歴史観の前提」から、議論を出発させたが、一方「ドイツ・イデオロギー」には、そこに至る前段として、フォイエルバッハが取り上げられてある。しかし、私は、私の「ドイツイデオロギー・ノート」では言及しなかった。それは、マルクスらの唯物論を前提にする以上、フォイエルバッハをスッパリ切り落としても問題がないと思ってのことであったが、国家論へ至る道を丁寧に説明するためには、その部分へ立ち戻らねばならない。

この辺の事情については、晩年のエンゲルスの巨匠的概括である「フォイエルバッハ論」が一番参考になる。
フォイエルバッハは、宗教の本質を次のように把握した。
「われわれの宗教的空想がつくりだしたより高い存在というようなものは、われわれ自身の本質が空想のうちに反映されたものにすぎない。」
このことは、「フォイエルバッハに関するテーゼ」(以下、「テーゼ」と略す)では、次のように表現されている。
「フォイエルバッハは、宗教的自己疎外の事実、世界が宗教的、空想的世界と現実の世界とへ二重化されているという事実から出発する。彼の仕事は宗教的な世界をその現世的な基礎に解消するところにある。」
宗教では、神という絶対者の存在する世界が、この現世とは別に存在することになっているが、フォイエルバッハは、その神という存在は、人間自身の本質が空想的に反映したものだとした。人間自身の本質の疎外されたものが神だという意味で、これを自己疎外の理論と言う。神は絶対的で普遍的な存在ということになっているが、それは人間と言うものが絶対的で普遍的な本質を持っているからであり、神はその人間の本質を頭の中で空想的に人間から切り離して神と言う想像的な存在に与えたものであり、また、神はすべてのものの創造者であり、人間や動物や植物などは神が創造したことになっているが、それは、人がさまざまな役立つ生活手段を創りだす能力を持つことから、頭の中で空想的に、その能力を人間から切り離して神と言う想像的な存在に与え、それによってすべての人間や動物などの出現を説明したものということである。これは、宗教の本質を明るみに出したもので、マルクスをはじめ青年ヘーゲル学派はこの理論を「熱狂的に迎えた」のであった。

しかし、マルクスは、この後に、次のような批判を加えている。
「かれは、この仕事がなしとげられてからも、なお主なことがしのこされているということを見落としている。というのは、現世的な基礎が自分自身から浮き上がって、一つの独立の王国を雲の中に確立するという事実は、まさにこの現世的基礎の自己分裂と自己矛盾とからのみ説明されなければならないからである。」
これは、マルクスの立場からなされた批判であるが、フォイエルバッハにはこれを行なうことは不可能であった。なぜなら、フォイエルバッハが空想的な神から地上に降りてたどり着いた人間の本質は、「抽象物」だったからである。
エンゲルスは次のように言っている。
「したがってこの人間は、いつまでも、宗教哲学のうちで口を聞いていたのと同じ抽象的な人間のままである。というのは、この人間は母親の胎内から生まれたのではなくて、一神教的な神から脱皮したのであるから、したがってまた、歴史的に発生し歴史的に限定されている現実の世界に生活していないからである。」(「フォイエルバッハ論」)
たとえば、私の机の上にあるエンピツは、ボールペンやサインペンとともに筆記具という抽象にまとめることができる。さらに消しゴムやノートなどを加えて、更に筆記具の上の文房具という抽象物に組み入れることができる。こうして組み入れる物を拡大して行けば、最後には「物」というような抽象物に辿りつくことができる。フォイエルバッハが辿りついた人間は、こうして抽象のレベルを上げていって最後に辿りつく人類といったような高度に抽象的な人間だったのである。この抽象的な人間の本質を、空想的に人間から切り離して与えたのが、神と言う存在の絶対性と言う本質というわけである。
「かれはキリスト教の神が人間の幻想的反映、映像にすぎないことを証明している。ところでこのキリスト教の神そのものが、ながい間の抽象過程の産物であり、以前の多数の氏族神および民族神の集中的精髄である。したがって、神がその映像である人間もまた現実的人間でなく、同じく多くの現実的人間の精髄であり、抽象的人間であって、したがってそれ自身再び思想像である。」(「フォイエルバッハ論」)
フォイエルバッハは、この抽象的な人間のままで、現実の人間関係も説明しようとした。そうすると、どうなるか。彼が理論的に扱い得るのは、人類、せいぜい自然的な人間、すなわち男と女というような抽象のレベルの関係でしかなかったのである。
「だから彼の場合、人間の本質は、ただ「類」として、すなわち、多くの個人をたんに自然的に結びつける、内的な、無言の一般性としかとらえられない。」(テーゼ)
そういう抽象のレベルで捉えた人間の心の中は、依然として宗教的なままである。
「歴史の過程を無視して、宗教的心情をそれだけで固定し、そして抽象的な―孤立した―人間的個体を前提せざるをえなくなる。」(テーゼ)
これ以上のフォイエルバッハの得た結論については、「フォイエルバッハ論」の「3 フォイエルバッハの宗教哲学と倫理学」に詳しい。

フォイエルバッハは、こうして宗教を批判したが、それは宗教と神学をはじめあらゆる観念論を否定するものであり、唯物論へ至る道であった。
「フォイエルバッハが進んだ道は、一人のヘーゲル主義者が―もっとも全く正統派ではないが、―唯物論へと進んだ道である。この進行は、一定の段階に達すると、かれの先行者の観念論的体系との完全な決裂を引き起こさざるを得ない。あらそいがたい力に迫られて、ついにフォイエルバッハは次のような認識に達せざるを得なかった。ヘーゲルの「絶対理念」の先世界的存在、世界の存在以前の「論理的諸カテゴリーの先在」というようなものは、超世界的な創造者への信仰の空想的な残りものにすぎない。われわれ自身がその一部である物質的な、感覚的に知覚し得る世界が唯一の現実の世界であり、われわれの意識と思考は、それがどんなに超感覚的に見えようとも、物質的で肉体的な器官、脳髄の産物である。物質が精神の産物ではなくて、精神それ自身が物質の最高の産物に過ぎない。これは言うまでもなく純粋の唯物論である。」(「フォイエルバッハ論」)
つまり、フォイエルバッハは、観念論を否定したのである。しかし、彼は、そこで立ち止まってしまい、彼の把握した抽象的人間から現実的人間への橋を見出すことができなかった。
「フォイエルバッハは、彼自身が死ぬほど嫌っていた抽象の世界から生きた現実の世界への道を見出すことがなかったのである。かれは自然と人間に力いっぱいしがみついている。・・・しかしフォイエルバッハの抽象的人間から現実の生きた人間に達するには、人間を歴史のうちで行動しているものと見さえすればいいのである。しかしフォイエルバッハはこれを拒んだ。」(「フォイエルバッハ論」)
実は、彼が辿りついた唯物論には、根本的な欠陥があった。それは、従来の唯物論の欠陥でもあった。 「これまでのすべての唯物論―フォイエルバッハのも含めて―の主要な欠陥は、対象、現実性、感性がただ客体あるいは直観の形式のもとでのみとらえられていて、人間の感性的な活動、実践としてとらえられず、主体的にとらえられていないことにある。・・・フォイエルバッハは、思想的客体とは現実的に区別される、感性的な客体を欲している。しかしかれは人間の活動そのものを対象的活動としてとらえない。」(テーゼ)
「フォイエルバッハは、抽象的な思考に満足せず、感性的な直観に訴える。しかしかれは感性を実践的活動、すなわち人間の感性的活動としてとらえない。」(テーゼ)
「ドイツ・イデオロギー」には、次のようにある。
「フォイエルバッハが人間もまた「感性的対象」であることを見抜いている点で「純粋な」唯物論者たちを大きく引き離していることは確かであるが、しかし彼が人間をただ「感性的対象」としてのみとらえ、「感性的活動」として捉えないことは別としても、彼はこの場合も観想のなかであぐらをかいたままで、人間を彼らの与えられた社会的関連の中でつかむことをせず、彼らを現にあるごときものに仕上げた彼らの当面の生活諸条件のもとでつかむことをしないので、現実的に存在し活動している人間にフォイエルバッハが到達するときはなく、どこまでも「人間なるもの」という抽象物のところにとどまりつづけ、せいぜい感覚のなかの「現実的な、個人的な、生身の人間」を認めるにいたるのが関の山である。」
「感性的な直感」から「感性的活動」への把握の切り替えは、唯物論に弁証法を引き入れることである。私は、「ノート」で、人間は、手に象徴されるように、どんな特殊な情況にも対応出来る一般的な形態を獲得するように進化することによって、自然から相対的に独立したと書いたが、人間を自然から相対的に独立した存在と把握することは、人間を矛盾した存在として把握することである。フォイエルバッハの把握した抽象的人間は、実は、矛盾を排除した人間、正確に言えば、人間の一面、自然的側面を抽象しただけだったのである。だから彼は、対象的活動を行う人間を理論的に把握できなかったのである。
対象的活動=感性的活動とは、人間が自然に対して、自己を対象化することである。これは、物質的な自己疎外であり、ヘーゲルの観念論的な疎外の理論に対して、マルクスが与えた唯物論的な疎外の理論である。この場合の疎外とは、否定ということと同じ意味であって、敵対的という意味を持ってはいない。宗教の場合、人間と神とは敵対的な関係にある。なぜなら、本来の起源である人間の能力を神に与えれば与えるほど神は絶大になっていくが、逆に人間の能力は貧しくなっていくからである。
だから、フォイエルバッハにとって、感性的唯物論を克服する手段は、目の前に与えられていたのである。その手段こそ、ヘーゲルの弁証法であった。彼が創った自己疎外の理論は、ヘーゲルの疎外の弁証法を応用したものであった。しかし、結局、観念論とともに、「かれはヘーゲルを批判的に処理せず、無用のものとして簡単に投げ捨ててしまった」のであった。

フォイエルバッハが始めた作業は、マルクスとエンゲルスによって受け継がれることになる。
「フォイエルバッハが踏み出さなかった一歩は、どうしても踏み出さなければならなかった。フォイエルバッハの新しい宗教の核心をなしていた抽象的人間の礼拝は現実の人間およびその歴史的発展の科学によっておきかえられなければならなかった。このフォイエルバッハを越えてフォイエルバッハの立場をいっそう発展させるという仕事は、1845年マルクスによって「神聖家族」のうちではじめられたのである。」(「フォイエルバッハ論」)
「フォイエルバッハを越えてフォイエルバッハの立場を発展させる」という一見矛盾した仕事こそ、「現世的基礎の自己分裂と自己矛盾」から「自分自身から浮き上がって、一つの独立の王国を雲の中に確立する」ことを解き明かす仕事である。これこそ、フォイエルバッハの自己疎外の理論を完成させる仕事なのである。

2、マルクスの自己疎外の理論

「ドイツにとって宗教の批判は本質的にはもう果たされているのであり、そして宗教の批判はあらゆる批判の前提なのである。」(「ヘーゲル法哲学批判序説」)
マルクスは、フォイエルバッハの宗教批判のやり方を、法や政治や国家の批判に応用して行く。
「人間の自己疎外の聖像が仮面をはがされた以上、さらに聖ならざる形姿における自己疎外の仮面をはぐことが、何より先ず、歴史に奉仕する哲学の課題である。こうして、天国の批判は地上の批判と化し、宗教への批判は法への批判に、神学への批判は政治への批判に変化する。」
フォイエルバッハは、「宗教的自己疎外の事実、世界が宗教的、空想的世界と現実の世界とへ二重化されているという事実」から出発した。マルクスは、政治の世界も、宗教の世界と同様に、世界が二重化されていると指摘する。
完成された政治的国家は、その本質から言って、人間の類的生活であり、人間の物質的生活に対応している。この[物質的生活という]利己的な生活のあらゆる前提は、国家の領域の外部に、市民社会のなかに、しかも市民社会の特性として存続している。政治的国家が真に成熟をとげたところでは、人間は、ただたんに思想や意識においてばかりでなく、現実において、生活において、天上と地上との二重の生活を営む。天上の生活とは政治的共同体における生活であって、そのなかで人間は自分を共同的存在と考えている。地上の生活とは市民社会における生活であって、そのなかでは人間は私人として活動し、他の人間を手段とみなし、自分自身をも手段にまでおとしめ、疎遠な諸力の遊び道具となっている。政治的国家は市民社会に対して、ちょうど天上界が地上界に対するのと同様に、精神主義的にふるまう。・・・人間は、そのもっとも身近な現実のなか、市民社会の中では、一つの世俗的な存在である。人間が自分にも他人にも現実的な個人だとみなされている市民社会のなかでは、人間は一つの真実でない現象である。それとは反対に、人間が類的存在だとみなされる国家のなかでは、人間は想像上の主権の空想上の構成員であり、その現実的な個人的生活を奪い取られ、非現実的な普遍性によってみたされている。」(「ユダヤ人問題によせて」)
「完成された」国家とか「国家が真に成熟をとげたところ」といっているのは、その当時の政治的に遅れたドイツとの対比でいっているので、近代国家のことと考えてよい。また、「市民社会」とは「生産力の或る特定の発展段階の内側における諸個人の物質的交通の全体を包括する。」「いつの時代にあっても国家と爾余の観念論的上部構造の土台をなしているところの、じかに生産と交通から展開する社会組織」(「ドイツ・イデオロギー」)。すなわち、近代国家の中では、人々は、「抽象的な人間」として、言い換えれば、それぞれ平等な政治的権利を持つ個人として、普遍的な国家という政治的共同体を構成する一員として存在し、一方、市民社会の中では、現実的な人間として、すなわち、個々バラバラな私人として振舞っている。国家は神に、国家の中の人間はフォイエルバッハの抽象的人間に相当し、このような市民社会と政治的国家との現実の世界の二重化は、宗教的世界の二重化と論理的に類似していると考えるのである。

マルクスは更に論を進め、この二つの世界の二重化は繋がっていると指摘する。
「反宗教的批判の基礎は、人間が宗教をつくるのであり、宗教が人間をつくるのではない、ということにある。しかも、宗教は、自分自身をまだ自分のものとしていない人間か、または一度は自分のものとしてもまた喪失してしまった人間か、いずれかの人間の自己意識であり自己感情なのである。しかし人間と言うものは、この世界の外部にうずくまっている抽象的な存在ではない。人間とはすなわち人間の世界であり、国家であり、社会的結合である。この国家、この社会的結合が倒錯した世界であるが故に、倒錯した世界意識である宗教を生み出すのである。・・・宗教は、人間的本質が真の現実性をもたないがために、人間的本質を空想的に実現したものである。それゆえ、宗教に対する闘争は、間接的には、宗教と言う精神的芳香をただよわせているこの世界に対する闘争なのである。」(「ヘーゲル法哲学批判序説」)

では、この世界の二重化に対応する「現世的基礎の自己分裂と自己矛盾」というのは、どういうものだろうか。この問題を根本的に解決するためには、前節に述べたように、弁証法を引き入れた唯物論が前提になければならない。今度は、自然に対してだけでなく、人間を相互に矛盾した存在として捉え、人間同士との相互浸透を前面に押し出し、人間を歴史の中で現実に生活しているものとして把握する必要がある。(ここからは、「ドイツ・イデオロギー」に頼ることになる。)
「社会的編制と国家はたえず特定の諸個人の生活過程から出てくる。ただし諸個人と言ってもそれは自他の表象のなかに現れ得るような諸個人のことではなくて、現実に存在しているような諸個人、すなわち、はたらき、物質的に生産しているような諸個人、したがって特定の物質的な、そして彼らの自由選択によるものではないところの諸制限、諸前提および諸条件のもとで活動しているような諸個人の事である。」
この「現世的基礎」の立場に立って初めて、天上の独立王国への道を説明することができるようになる。
全イデオロギーのなかで人間たちと彼らの関係が暗箱のなかでのように逆立ちで現れる場合、この現象は、あたかも網膜上の対象の逆立ちが網膜の直接に生理的な生活過程から出てくるのとまったく同様に、彼らの歴史的生活過程から出てくるのである。
天空から地上へ下るドイツ哲学とはまったく逆に、ここでは地上から天空への上昇がおこなわれる。ということは、人間たちの語ること、想像すること、表象することから出発したり、また語られ、思惟され、想像され、表象された人間たちから出発したりして、そこから生身の人間たちのところへ到達しようとするのではなく、現実に活動している人間たちから出発して彼らの現実的な生活過程からこの生活過程のイデオロギー的反映と反響の展開をも明らかにすると言うことである。人間たちの頭脳の中の模糊たる諸観念といえども、彼らの物質的な、経験的に確かめうる、そして物質的諸前提に結びついた生活過程の必然的昇華物である。」(「ドイツ・イデオロギー」)
このような弁証法的な唯物論的歴史観の上に立って、政治的共同体たる政治的国家を把握すると、次のようになる。ここからは、すでに「ドイツ・イデオロギー」ノートで論じたところであるが、再度取り上げて見る。
「さらに労働の分割と同時に、一個の個人または一個の家族の利益と、交通しあうすべての個人の共同の利益との矛盾が存在することになる。しかもこの共同の利益は単に表象の中に、「普遍的なもの」として存在するだけでなく、むしろなによりもまず現実の中に、労働を分担する諸個人の相互依存性として存在する。そして最後に労働の分割は、人間達が自然発生的な社会のうちに在る限り、従って特殊な利益と共同の利益との分裂が存在する限り、従って活動が自由意志的にでなくて自然発生的に分割されている限り、人間自身の仕業が彼にとって何か余所者の、対立する力となり、彼がそれを牛耳るかわりにそれが彼を抑圧するということのまさに最初の例を、われわれに示している。」
「・・・そしてあたかも特殊な利益と共同の利益とのこの矛盾から共同の利益は国家として、現実的な個別的および総体的利益とは切れたあり方で、一つの自立的な形態をとるのであり、そして同時にそれは幻想的な共同性として存在するのであるが、しかし家族、部族の塊の一つ一つのうちに存在する諸紐帯・・・を常に現実的土台とし、またことに、後ほど述べるように、労働の分割によって当然すでになければならぬはずの諸階級を現実的土台に踏まえている。」
カッコでくくった「表象の中に「普遍的なもの」として存在する」というのは、ヘーゲルの、普遍性の実現が国家だとする表現に対応したものである。国家の普遍性は、「労働を分担する諸個人の相互依存性」、言い換えれば、労働の生産関係に現実的な基礎を持っており、労働の分割=私的所有によって、労働の生産関係の一般性が共同の利益として直接的に現れてこないがために、その共同の利益が、「現実的な個別的および総体的利益とは切れたあり方で、一つの自立的な形態」をとったものということができる。これが、世界の二重化に対応する「現世的基礎の自己分裂と自己矛盾」であり、マルクス・エンゲルスの国家観である。

国家すなわち政治的秩序は従属的な要素であり、市民社会、すなわち経済的諸関係の領域が決定的な要素である。ヘーゲルもそれをとっているような旧来の見方では、国家が決定的な要素で、市民社会は国家によって決定される要素と見られていた。外見はそれに一致している。個々の人間の場合に彼の行為のあらゆる起動力が彼の頭脳を通過して、彼の意志の動機に変わらなければならないように、市民社会のあらゆる要求もまた、−どの階級が支配しているかにかかわりなく−法律の形をとって一般的な効力を得るためには、国家の意志を通過せねばならない。これは事柄の形式的な側面であって、自明のことである。」(エンゲルス「フォイエルバッハ論」)
エンゲルスが「フォイエルバッハ論」の中で階級の発生を取り上げた後でこの文を続けているということは、重要である。ヘーゲルの洗礼を受けていたマルクスやエンゲルスにとって、国家は「政治的秩序」であり、「市民社会のあらゆる要求は、法律の形を取って国家の意志を通過せねばならない」という形式的側面は、自明であった。これを広義の国家と考えてよい。
 問題は次の点にある。
「ただ問題は、個人のであろうと、国家のであろうと、この単に形式的な意志がどんな内容をもっているか、どこからこの内容がくるのか、なぜまさにこれが意欲されて別のものが意欲されないのか、ということである。このことをしらべてみると、われわれは、近代の歴史においては国家の意志は、全体として見て、市民社会の要求の変化によって、どの階級が優勢であるかによって、そしてけっきょくは生産諸力と交換関係の発展によって、決定されることを見出すのである。」
国家は、大体において、生産を支配している階級の経済的諸要求の総括的な形での反映にすぎない」。 ここでエンゲルスが国家の意志が「全体として見て」「総括的な形での」支配的階級の諸要求の反映と言っていることに注意しなくてはならない。市民社会のあらゆる要求は、あくまでそれぞれ個別的で特殊性の中にある。それを普遍性にまで高めて国家の意志を通過させることによってはじめて、一般的な効力を持つ法律に転化できるのである。法は、形式的には普遍的で一般的な共通利害を代表しているように見えながら、「現実的な個別的および総体的利益とは切れたあり方」にある、すなわち特殊な利害関係=経済的支配階級の要求を総括的に内に含んでいるのである。

ところで、私達は、すでに完成された自己疎外の理論を知っている。それは、「資本論」の第一章にある貨幣の理論である。
世界の二重化は、商品の世界でも同様である。そこでも、商品の世界と貨幣の世界と、世界が二重化している。貨幣は、商品の中に対象化されている抽象的一般労働が金(の使用価値)に表示(反映)されたものである。貨幣は、価値尺度と流通手段の統一であるが、それは、商品が使用価値と価値の統一であるからであり、それを生む出す労働が特殊な有用労働と抽象的一般労働の統一だからである。
この労働を、人間の意志に置き換えてみると、次のようになる。
人間は、労働を対象化するように、意志を観念的に対象化する。例えば、或る人が禁煙を決意したとする。「タバコを吸うのをやめよう」と意志を固めたが、酒の席で人がタバコをおいしそうに吸っているのを見たりすると、ついタバコに手が出そうになる。そこで、その禁煙の意志を頭の中で対象化し、「タバコを吸うのを止めよ」という、あたかも他人からの命令のような形にして、その対象化した意志を固定化して維持し、時々に起こってくるタバコへの誘惑の意志を抑えつけようとすることになる。この場合は、個人的な意志の観念的対象化であり、対象化された意志=個人的規範はその個人の行動に一定の秩序を与えるものであり、個人の行動にしか影響が及ばないが、政治的国家の中では、法という観念的に対象化された国家意志=国家規範が、多くの国民の行為を規制し、政治的秩序を支える。
さまざまな個人や特殊な集団の社会的規範は、それぞれの個人や集団の特殊な利益を反映しており、その範囲内でだけ有効である。しかし、個人や集団といえど社会の一員である以上、市民社会の生活の生産関係の一端を担っており、その特殊な利益は共同の利益と直接的あるいは媒介的に繋がっている。したがって、特殊な利益の普遍的側面を捉えれば、その対象化された意志である規範を、共同の利益を反映しているように見える国家の規範である法に転化させることが可能である。これはちょうど、価値形態が、個別、特殊、普遍へと論理的に展開される過程と同じである。
商品は労働の特殊性と一般性を使用価値と価値として反映させたが、それは、「独立に行われていて互いに依存しあっていない私的労働の生産物」だからである。
「労働の分割」とは、単なる社会的分業体制ということではない。「農村的家父長制的な工業」や「歴史のあけぼのに見られるような、自然発生的な形態での共同労働」のような、生産手段の共有に基礎を持つ分業は、「労働の分割」ではないからである。なぜなら、その場合には、各労働は独立していても直接的に依存し合っており、共同体全体の配慮の下に行なわれるからである。これが、原始的な共産制である。「たとえば、ペルーのように、何の貨幣も実在しないのに、たとえば協業や発展した分業等々のような経済に最高の諸形態がみられる、きわめて発展した、しかし歴史的には未成熟な社会諸形態がある」(序説)。生産手段の私的所有に基礎を置く分業体制が「労働の分割」であり、私的労働なのである。 同様に、独立に行なわれていて依存し合っていない私的労働者(及び家族)の生活規範は、その一般性を法として反映させる。法は生産関係の一般性に根拠を持つ共同の利益、それは私的所有を維持しつつ同時に社会的共同性を維持するという敵対的矛盾を背負っており、必然的に「生産を支配している階級の経済的諸要求の総括的な形での反映」することになる。このようにして形成された政治的秩序が国家である。
例えば、どこかの市長が露骨な教育条例を制定したが、それとて教育は市民の共同の利益である点に根拠を持っており、表面的には市民全体に利益があるように強調している。しかし、内実は、為政者に忠実に従うように市民を教育することを目指しており、支配階級の特殊な利益を内包するものという具合である。
市や県のレベルでは条例に相当するものが、国のレベルでは法である。立法府である国会を見ていれば理解されるように、法律案は国会の議決を経て国家意志となる。商品が貨幣での価値表現を持つように、法は国家の意志表現である。国会の議決は、法案を国家意志に転化させるための必要な手続きというわけである。これが「法の支配」である。

3、マルクス・エンゲルスの国家論

ここまで来てはじめて、マルクスらの国家観を、正しく記述することができる。
以上より明らかなように、彼らにとって、国家とは、政治的秩序を言うのであり、政治的共同体こそ、国家であると言える。これは、「経済学批判の序言」の中の「法律的、政治的上部構造」と言う表現に該当するものであり、「フォイエルバッハ論」で前節の引用に続く文の中での「国家および国法」「私法」に相当する。(このレベルは、ヘーゲルの法理論が前提になっている。)
その後で、エンゲルスは「国家権力」について説明する。
「国家の内に、人間を支配する最初のイデオロギー的な力がわれわれにたいして現れる。社会は、内外からの攻撃にたいしてその共同の利益をまもるために、自分のために一つの機関をつくりだす。この機関が国家権力である。この機関は、発生するとすぐに、社会に対して独立するようになる。そしてそれが一定の階級の機関となって、この階級の支配を直接に行使するようになればなるほど、ますますそうなってくる。」(「フォイエルバッハ論」)
ここで「国家権力」を「イデオロギー的な力」といっていることは、重要である。国家権力は、国家機関・制度であり、それを規定するのは国法である。時の為政者が個人的な意志を国家意志とするために、国法を捻じ曲げ時に無視してしまうことはあっても、それはあくまで例外である。国家権力が法によって支えられているからこそ、エンゲルスはそれを「イデオロギー的な力」と呼んだのである。国家の共同の利益を守るために創りだした相対的に独自な政治的制度・機関が、国家権力である。これを狭義の国家と言ってもいいであろう。論理的には、貨幣が、その必要から流通手段としての実体的機能を創りだしたように、国家は、その必要から国家権力と言う実体的機関を創りだすのである。それが支配階級の機関となっても、共同の利益をまもるという外観は保持されるのである。

国家と国家権力については、それが発生する以前の社会と比較すれば、より明確になる。それについては、「フォイエルバッハ論」の直前に書かれたエンゲルスの「家族、私有財産および国家の起源」(以下「起源」)が、詳しく教えてくれている。
以前の社会における国家に代わるものは、それは氏族制度であった。エンゲルスは、アメリカインディアンの氏族制度を総括して、次のようにいう。
「この段階では、アメリカのインディアンが実例として用いられなければならないが、そこでは氏族制度が完全にでき上がっていることが見出される。・・・この単純な組織が、それを発生させた社会的状態を完全に充足している。それは社会的状態自身の自然発生的な編成以上のなにものでもない。それは、このように組織された社会の内部で発生しうるすべての抗争を、調整することができるのである。外部に対しては戦争が調整する。この戦争は、部族の絶滅をもって終わることはあっても、その抑圧をもって終わることはけっしてありえない。氏族制度が支配と隷属を入れる余地をもたないことは、それの偉大な点であるが、しかしまたそれの限界でもある。内部に対しては、まだ権利と義務の区別がない。・・・同様に、種種の階級への部族および氏族の分裂も生じ得ない。」
「第3章イロクォイ族の氏族」の中で、エンゲルスは氏族制度を記述した後、次のように感想を述べている。
「そして、その無邪気さと単純さにもかかわらず、なんという驚くべき制度であろう、この氏族制度は!兵隊も憲兵も警察官もなく、貴族も国王も総督も知事も裁判官もなく、監獄もなく訴訟もなく、それでいて万事が規則正しくおこなわれる。すべての不和や争いは、それに関係するものの全体、つまり氏族か部族かによって、または個々の氏族相互の間で、決定される・・・。共同の事項はいまよりもはるかに多い―世帯は一連の家族の共同で、共産制であり、土地は部族所有であり、わずかに小園圃だけがさしあたり世帯に割り当てられている―にもかかわらず、現代の広汎で複雑な行政機構の形跡さえ必要とされない。決定は当事者たちがするのである。そして大部分の場合、数世紀にわたる慣習がすでに万事を規制していた。・・・」 ここでは、氏族制度は、「自然発生的な編成」であり、その「経済的基盤」である原始的な共産制が共同の利益と各家族の利益を本質的に非敵対関係に置く基礎を提供していた。
「人口はきわめて希薄である。・・・分業は純粋に自然発生的であって、両性間に存在するだけである。・・・世帯はいくつかの、往々にして多数の家族の共産制である。共同で作って利用するものは共同の財産である。家屋、園圃、長い小舟がそれである。」
氏族共同体を支えるのは、自然発生的な社会的規範の慣習であり、その規範は暗黙のうちに共同の利益を支えており、わざわざ、「法」、すなわち国家意志による特別の承認を必要としない。すなわち社会規範は、法に転化していないのである。それはちょうど、労働生産物が労働の対象化であっても、その対象化された労働が価値を形成していないようなものである。労働生産物は商品になっていないと同様、社会規範は国家意志としての法になっていないのである。したがって、強制力である国家権力も存在しない。

誰も、貨幣や資本の発生する現場に立ち会った人はいない。国家の発生にも似たところがある。だから、それについては、論理的に推論するしかない。
まず、私的所有の起源について、「起源」第9章の氏族制度の解体の「一般的な経済的諸条件」に関する論理を、マルクスの「資本論」を参考に振り返ってみよう。
「資本論」は次のように言う。
「これらの物を商品として互いに関係させるためには、商品の番人たちは、自分たちの意志をこれらの物にやどす人として、互いに相対しなければならない。したがって、一方はただ他方の同意のもとにのみ、すなわちどちらもただ両者に共通な一つの意志行為を媒介としてのみ、自分の商品を手放すことによって、他人の商品を自分のものにするのである。それゆえ、彼らは互いに相手を私的所有者として認めあわなければならない。契約をその形態とするこの法的関係は、法律的に発展していてもいなくても、経済的関係がそこに反映している一つの意志関係である。この法的関係、または意志関係の内容は、経済的関係そのものによって与えられている。ここでは、人々はただ互いに商品の代表者としてのみ、したがって商品所持者としてのみ、存在する。」(第二章)
第2章の冒頭に出てくるこの文章は、所有というものの起源を、論理的に現わしている。生産物の交換によって、生産者が生産した生産物から、他の生産者が生産した生産物へ、所有関係が移転・延長される。論理的には、この瞬間に、所有と言う関係が発生するのであり、ここに(私的)所有の起源がある。交換と言う媒介関係が、所有と言う直接性を要求したのである。
「商品交換は、共同体の果てるところで、共同体が他の共同体またはその成員と接触する点で、始まる。しかし、物がひとたび対外的共同生活で商品になれば、それは反作用的に内部的共同生活でも商品になる。」(「資本論」)
共同体内部でも商品になるということは、共同体内部にも所有と言う関係が延長・拡大されるということである。
ところで所有関係は、直接的生産者の生産物から、生産者の労働手段にまで、次第にその範囲を拡張させる。なぜなら、生産物の商品としての価値形成に、それらが寄与するからである。一方、この所有関係は、交換された商品の消費過程にも、延長されて行く。なぜなら、交換された商品も、生産者の生活過程または労働過程において生産者および彼の生活を支える家族員に消費され、商品に対象化されていた他人の労働が、生産者および家族構成員に再対象化され、家族構成員も生産者の所有関係に入りこむからである。かくして所有関係は、共同体から、所有に基づく新たな集合体としての個別家族を分離させるのである。
「遊牧民族は最初に貨幣形態を発展させるのであるが、それは、彼らの全財産が可動的な、したがって直接に譲渡可能な形態にあるからであり、また、彼らの生活様式が彼らを絶えず他の共同体と接触させ、したがって彼らに生産物交換を促すからである。」
この間の事情を、エンゲルスは、「起源」で更に具体的に描き出している。
「遊牧部族が他の未開人の群れから分離した。すなわち、最初の大きな社会的分業である。」「ここで遊牧部族が分離したのちには、種々異なる部族の成員のあいだでの交換のための、そして規則的な制度としてのこの交換の形成と確立のための、すべての条件がそろっていることが見出される。当初は部族と部族とが、相互の氏族首長をつうじて交換をおこなった。しかし畜群が単独財産に移りはじめると、個別的交換がますます優勢となり、ついには唯一の形態となった。だが、遊牧部族がその隣人に交換に供した主要物品は家畜であった。家畜は、他のすべての商品がそれによって評価され、またどこででも交換のときに他のすべての商品と引き換えに好んで受け取られる商品となった。」
「いまや畜群やその他の新しい富とともに、家族のうえに一つの革命がやってきた。生業はいつも男性の仕事であったし、生業のための手段は彼によって生産され、彼の財産であった。畜群は新しい生業の手段であり、さしあたりはその馴致が、のちにはその見張りが彼の仕事であった。したがって、家畜は彼のものであり、家畜と交換に得られた商品や奴隷も彼のものであった。いまや生業がもたらす剰余はすべて男性の手に帰した。女性もその享受にはあずかったが、その所有にあずかることはなかった。」
「家庭での男性の事実上の支配につれて、その専制にたいする最後の障壁が崩れた。この専制は、母権制の転覆、父権制の採用、対偶婚の単婚への漸次的な移行によって確認され、永遠化された。しかしそれとともに、古い氏族秩序に裂け目が生じた。すなわち、個別家族が一つの勢力となり、氏族にたいする脅威となって台頭したのである。」

家畜を養う遊牧部族と他の部族との間で、生産物の定期的な交換が始まり、その後、畜群が家族の財産に転化し始めると、氏族同士の交換から個別的な交換へと変化する。その際、家畜が貨幣機能を果たす。同時に、それは氏族から個別家族が徐々に分離しはじめることを意味する。更に、狩猟・漁労から農耕へと生産活動が変化するにつれて、その耕作地も氏族所有ではあっても、個別家族の手に委ねられるようになる。
生産力の増大と生産活動の多様化は、家族内で行なわれていた手工業を農耕から分離独立させると同時に、商品生産と商業を成立させる。さらにそれは、個々の家族の富の増大をもたらす。こうして徐々に個別家族間で貧富の差が現れ始めるとともに、農耕地も、氏族所有から個別家族の私的所有へと移行し始める。商業の活発化は、商人という特別な階級の形成を促し、同時に交換手段としての金属貨幣を普及させる。それは、貨幣の力の開化であり、貨幣の前貸し、利子と高利貸し、債務者と債権者、更に又、私的所有から土地の売却・抵当が発生し、こうして富の集積と集中が新たな少数の階級の派生へと繋がったのである。
こうして原始的な共産制の氏族社会に、労働の分割と、同じことだが、個別家族への生産手段の分割=私有財産が割り込んでくる。これによって、論理的には、氏族の社会規範が直接表していた制度としての共同の利益は、永遠に失われてしまった。すなわち、具体的に現に存在する個々の家族の特殊な利益と、どこにも現れてくる手段を持たないがそれでも現に存在する「労働を分担する諸個人の相互依存性」に現実的基礎をおく共同の利益との、敵対的な矛盾の発生である。これによって、長い間の慣習によって築かれてきた共同体制度が、それが変化するかそれとも押しのけられるかは別として、完成されれば宗教のように転倒された形態として、意識された自立した制度へ徐々に転化しはじめる。すなわち、その制度の中では、「現実的な個別的および総体的利益」を表しているかどうかとは関係なく、「共同の利益」を名乗る特殊な意志は、普遍性を持つという形式を制度自身から承認されたときに、制度の規範として確立される。ちょうどそれは、貨幣が価値尺度として各商品に価格形態を与えるようなものである。貨幣は商品から発生したのではあるが、後には貨幣が商品の価値尺度となるように、この新しい共同体的制度は、いわば社会の規範の尺度として意識の上から経済的社会を支えるのである。こうして貨幣が商品の流通を媒介するように、さまざまな特殊意志を独自の「共同の意志」の下に媒介するようになった時、それが国家の確立へと繋がる。
だが、国家と国家権力の矛盾が発生しても、それだけでは国家は転倒された形態、つまり市民社会の主人とならない。この現実性を与えるものは、国家形態を利用する主体である。すなわち、個々の私的家族が直接集結ないし代理人を媒介し、その特殊利益が現実的に形成・表現され、国家組織を媒介し、国家意志を通じて国家を支配せねばならない。そのためには、ちょうど、資本の理論=貨幣から資本への発展、すなわち貨幣が労働力と言う特殊な商品を見出し、自ら剰余価値を生産し自立した資本の形態を獲得するようにならなければならない。そうして「この瞬間からはじめて労働生産物の商品形態が一般化されるのである」。
論理的にそれに相当する過程が、経済的に支配的な階級の形成と、それに続く政治的な支配階級の形成およびその特殊な利益の国家意志への転化による政治的支配の確立である。このような支配階級の特殊意志の貫徹が、国家意志への媒介過程と国家権力による法的支配の強制を必要とするのである。このときはじめて、法による一元的支配が一般化する。
では、経済的に支配的な階級が、政治的にも支配するようになった時、国家意志は、現実的な、実際的な共同の利益を表さなくなってしまうのか。「ドイツ・イデオロギー」には次にようにある。
「諸個人はただ彼らの特殊な利益、彼らにとっての彼らの共同の利益とは一致しない利益のみを追求するのであり、総じて、普遍的なものは共同性の幻想的形態なのであるからこそ、この普遍的なものはなにか彼らには「余所者の」そして彼らとは「独立な」「普遍的」利益、なにかそれはそれでまた特殊で独特な「普遍的」利益として押し付けられるか、または彼ら自身、民主制の場合におけるように、この分裂の中で動かざるをえない。だからこそ他面、共同の利益と幻想的共同の利益とにたえず現実的にそむくところのこれらの諸々の特殊利益の実践的闘争は、国家としての幻想的「普遍的」利益による実践的な干渉と制御を必要ならしめる。」
「反デューリング論」にも次のような文がある。
「そして、国家と言うものは、同一部族に属するもろもろの共同体の自然発生的な諸群が、はじめはただその共同の利益(たとえば、東洋における灌漑)をはかり、外敵を防御することだけを目的としてつくりあげたものなのだが、このとき以後、国家は、それらの目的と並んで、支配する階級の生活および支配の諸条件を、支配される階級に対抗して暴力によって維持することをも、同様に目的とするようになる。」
国家意志としての法には、意識的かどうかとは別として、現実的な共同の利益も、支配的な階級の特殊な利益も、共に反映されるのである。当然のことながら、現実的な共同の利益も支配的階級の特殊な利益に奉仕させられる内容を持って、であるが。

氏族制度の中に私的所有が引き入れられると、氏族の内部だけでなく、対外的にも変化が生じてくる。氏族の戦争は、「部族の絶滅をもって終わることはあっても、その抑圧をもって終わることはけっしてありえない。」ときに征服が「その住民を一部は駆逐し、一部は貢納義務者にしていた」としても、おそらく氏族制度のなかでは経済的な重要性をもちえなかったであろうし、むしろ儀礼的・宗教的な色彩さえを帯びていたであろう。ところが、「富の獲得が第一の生活目的の一つとして現れる」と「略奪は労働による獲得よりも容易であ」るため、「戦争と戦争のための組織とが、いまや部族生活の規則的な機能と」なる。すなわち、戦争の性格が変化していくのである。
戦争は、共同体としての成員の対外的な共同行為といってよい。したがって、その共同体の経済的諸要求を総括的な形態で反映する。氏族には原理的に「支配と隷属」が要求として存在しないが、私的所有制度の下では、戦争による生産物や労働手段や奴隷の獲得の要求が存在するようになる。それが戦争の性格を変えさせたのである。

以上の論理的な構成が、実際にはどのように発展してきたのだろうか。「論理的取り扱いは、実は、ただ歴史的形態と攪乱的偶然性というおおいを取り去っただけの歴史的な取り扱いにほかならない。」(「経済学批判」書評)。貨幣と同様、ここからが国家であるという明確な線引きはできないだろうが、おそらく相当長い間かかって、歴史的に形成されてきたものであろうと想像される。
「起源」では、その国家の成立の端緒の典型を、古代ギリシャのアテネに見ている。
「第4章ギリシャの氏族」によれば、「ギリシャ人も、・・・すでに先史時代から、・・・アメリカ人と同じ有機的序列によって組織されていた。・・・しかしどんな場合にも氏族は単位であった。」しかし、「ギリシャ人が歴史に現れる時期には、・・・母権制は父権制に席を譲り、台頭しつつあった私的な富は、それによって氏族制度に第一の割れ目をつくった。」 「われわれはホメロスの詩から、ギリシャの諸部族が大部分はすでにいくつかの小さな統合部族に結集していたが、しかしそれらの内部では氏族・胞族・部族がその自立性をなお完全に保持していたことを見出す。彼らはすでに城壁で固めた都市に住んでいた。畜群や畑地耕作が拡大し、手工業がはじまるにつれて、人口は増加した。それとともに富の差が増大し、これにつれて、古い自然発生的な民主政の内部に貴族政的な要素が成長してきた。個々の部族団は、最良の地域を占有するために、そしておそらくはまた戦利品を得るためにも、たえまない戦争をしていた。捕虜を用いた奴隷制はすでに公認の制度であった。」
「これらの部族や部族団の制度」は、@常設の評議会、A民会、B軍指揮者(バシレウス)から成る。「バシレウスは、民衆によって選挙されるか、さもなければ、・・・民衆の公認の機関―評議会または民会―によって確認されるかしなければならなかった、という推測がなりたつ」。「バシレウスは、軍事的職権のほかに、なお神官と裁判官の職権をもっていた。」
エンゲルスは、氏族制度の崩壊の端緒を、次のようにまとめている。「すなわち、父権制と子への財産の相続、これによって家族内での富の蓄積が支援されて、家族が氏族に対立する一個の力となったこと。富の差が、世襲の貴族および王位の最初の萌芽を形成することによって、その制度に反作用をおよぼしたこと。奴隷制が、さしあたりはまだたんに捕虜をもちいた奴隷制にすぎなかったのに、すでに自己の部族員やさらには自己の氏族員をさえ奴隷化する展望を開きつつあったこと。昔の部族と部族との戦争がすでに変質して、家畜・奴隷・財宝を獲得するための陸上や海上での組織的な略奪に、正規の営利源泉になりつつあったこと。要するに、富が最高の善として賛美され尊敬されて、古い氏族秩序が冨の暴力的な略奪を正当化するために乱用されたこと、これである。」

「第5章 アテナイ国家の成立」によれば、国家は、テセウス、ソロン、クレイステネスの制度によって、確立されたとされる。
「書かれた歴史がさかのぼりうるかぎりでは、土地はすでに配分されて私有財産に移っていたが、これは未開の上位段階の末期ごろにすでに比較的発展していた商品生産とこれに照応する商品取引に、適合したものである。穀物とならんで、ブドウ酒とオリーブ油がつくられており、エーゲ海での海上交通は、ますますフェニキア人の手から奪われて、大部分がアッティカの手に帰していった。所有地の売買によって、また農耕と手工業との、商業と航海との分業の進展によって、種種の氏族・胞族・部族の所属者たちはたちまち交錯して、胞族や部族の区域は種々の住民を受け入れざるをえなかったが、それらの住民は、同じ民族のものではあっても、これらの団体には所属していなかったので、自分の居住地にいながら、よそ者であった。なぜなら、各胞族や各部族は、平時にはその関係事項を、アテナイの民衆評議会やバシレウスに送り込まずに、みずから処理していた。ところが、胞族または部族に所属しないでその領域に住んでいたものは、とうぜんこの行政にまったく参加することができなかったからである。
このため、氏族制度の諸機関の規則的な運営は混乱におちいり、すでに英雄時代にその救済が必要となった。テセウスによるといわれる制度が採用された。その変革の要点は、なによりもまずアテナイに中央行政機関が設置されたこと、すなわち、これまで部族が自主的に処理してきた事項の一部が、共同のものであると宣言されて、アテナイにある共同評議会に移管されたことである。・・・これによって、部族や氏族の法慣習に優先する、アテナイの一般的な部族法が生まれた。」
ここでエンゲルスは、部族や氏族の慣習的な規範が、いわゆる法規範に転換され、法規範を対象とする事務を扱う機関が設立されたといっている。それに伴って、おそらく、さまざまな共同事項が、氏族・部族の慣習的規範から法規範に掬い取られたことであろう。そしてなによりも、部族・氏族が表わしていた共同体としての共同の利益である秩序・統一性も、新たな国家が徐々に引き継いだことであろう。こうして、国家という、法規範に支えられた政治的共同体が部族を超えて成立して行くのである。
「テセウスによるといわれる第二の制度は、全民衆を、氏族・胞族・部族にかかわりなく、エウパトリダイすなわち貴族、ゲオモロイすなわち耕作農民、デミウルゴイすなわち手工業者、の三階級に区分して、公職就任の排他的権利を貴族に付与したことであった。なるほどこの区分は貴族による公職就任を除けば、効果なしに終わった。・・・それは重要である。・・・それは、氏族の公職に一定の家族が慣習的に就任していたことが、すでにその公職にたいするこれらの家族のほとんど争う余地のない要求権にまでなりきっていたこと、そうでなくても富によって有力なこれらの家族が、その氏族の外部で独自の特権階級に結束しはじめたこと、そうしてようやく芽生えたばかりの国家が、この越権を神聖化したことを示している。さらにそれは、農民と手工業者との分業がすでに十分強化されていて、氏族や部族による古い編制にたいして、社会的意義における優位を争うまでにいたったことを示している。最後にそれは、氏族社会と国家との両立しがたい対立を宣言している。」
見るように、エンゲルスは、国家の歴史的な出現を、論理的に構成している。すなわち、土地の私有→農耕と手工業、商業と航海の分業→貴族・農民・手工業者の分離確立→中央行政機関と共同評議会である。国家は、私的所有者である貴族・農民・手工業者の共同利益の施行と相互の調整役として現れている。
「畜群や奢侈品での私有の発生は、個々人のあいだの交換を、生産物の商品への転化をもたらした。そしてここに、それ以後の全変革の萌芽がある。生産者がその生産物をもはや直接に自分で消費しないで、交換のために手放すようになるやいなや、彼らはそれに対する支配を失った。・・・商品生産につれて、個々人による自分の計算での土地耕作が生じ、これにつれてやがて個々人の土地所有が生じた。さらに貨幣が、すなわち、他のすべての商品にたいして交換できる一般商品が生じた。・・・古い氏族制度は、貨幣の凱旋行列にたいして無力なことを証明しただけではなかった。それは、貨幣とか、債権者や債務者とか、債務の強制取立てとかいったものにたいして、自分の枠内に単なる余地を見出すことさえ、絶対に不可能であった。・・・全アッティカ領域、とくにアテナイ市自体では、氏族員や胞族員の交錯は世代を重ねるにつれてますますはげしくなっていった。農耕、手工業、手工業の中ではさらに無数の亜種、商業、航海行、等々の種々の生産部門間の分業は、工業と交通の進歩につれてますます完全に発展してきた。いまや住民は、その職業に応じてかなり固定的な諸集団に分かれ、これらの諸集団は、一連の新しい共通の利害をもっていたが、氏族や胞族にはそれをいれる余地がなかったので、その処理のために新しい公職を必要としていた。奴隷の数はいちじるしく増大して、当時すでに自由なアテナイ人の数をはるかにこえていたにちがいない。氏族制度は元来、奴隷制をしらなかったから、この大量の不自由民を制御する手段をも知らなかった。そして最後に、商業は大量の外来者をアテナイにひきよせ、彼らは金儲けが容易なのでここに定着したが、これもまた古い制度によって無権利・無保護のままであり、慣習的な寛容をもって扱われたにもかかわらず、民衆のなかの攪乱的な異分子にとどまっていた。・・・はじめは都市と農村の分業、つぎに都市の種々の労働部門間の分業によってつくりだされた新しい諸集団は、その利益の擁護のために新しい諸機関をつくりだし、各種の公職が設置されていた。そしてつぎに、若い国家はなによりも自己の力を必要としたが、これは航海を業とするアテナイ人にあっては、さしあたり個々の小戦争や商船保護のための海軍力でしかありえなかった。ソロン以前のいつかわからぬ時期に、ナウクラリアという小区画が、各簿族に12ずつ設けられた。・・・」

さて、その後はどうなったか。
バシレウスは、その後、貴族の中のアルコンが取って代わり、貴族に貨幣の富が集中し、その支配が強化された。貨幣と高利貸しが、アッティカの分割地農民を零落させた。「ますますはびこる貴族の貨幣支配は、債権者を債務者から保護するために、貨幣所有者による小農民の搾取を神聖化するために、新しい慣習法をもつくりあげた。アッティカの全耕地には抵当標柱が一面に立ち並び、それにはこの地所はだれだれにこれこれの金額で抵当にはいっている、と書かれてあった。」農民は、小作人となるか、足りない場合には、自分の子供や自分自身を奴隷として売らねばならなかった。

ソロンは、紀元前594年の改革で、「債務はあっさりと無効を宣言された。」また、「たとえば債務者の人格を抵当とする債務契約を禁止することによって、」自由なアテナイ人の奴隷化を阻止した。更に「1個人でも持てる土地所有の最大限度を確定」することによって、貴族の農地所有に制限を加えた。
ソロンの制度改革としては、「評議会は、・・・各部族から百人ずつで、四百人にされた。」また、「市民を、その所有地とそこからの収穫によって4つの階級に区分した」。「すべての公職には上位の3階級のものだけが、最高の公職には第1階級のものだけが就任することができた。」「貴族政的特権は、富の特権と言う形態で部分的に更新されたが、しかし民衆が決定的な力を保持していた。さらに、第4階級は新しい軍事組織の基礎をなしていた。」

ソロンに次いで、紀元前509年のクレイステネスによる革命によって、「貴族を最終的に転落させた。だが、それとともに氏族制度の最後の遺物もまた。」こうして、アテナイの国家の基礎が完成された。
クレイステネスは、氏族を無視した。「アッティカ全域は百の自治区、デモスに分けられ、その各々は自治行政を行なった。各デモスに居住する市民(デモテス)は、彼らの首長(デマルコス)と財務官、ならびに小さな係争事件について裁判権を持つ30人の裁判官を選出した。彼らはまた、自分たちの神殿と守護神または英雄をもち、その神官を選挙した。デモスでの最高権力はデモテスの集会にあった。」「この単位すなわちデモスが十で一つの部族を形成したが、これは古い血縁部族と区別するため、いまや地縁部族とよばれる。この地縁部族は、自治的な政治的団体であるばかりでなく、軍事団体でもあった。」「最後にそれは、アテナイ評議会に50人の評議員を選挙した。」「しめくくりをなすのはアテナイ国家であった。これは、10の部族が選出した500人で構成される評議会によって、そして究極的には、すべてのアテナイ市民が出席権と投票権とを持つ民会によって統治された。これとならんで、アルコンやその他の官吏が、種種の行政部門や裁判所をつかさどった。」

ところでエンゲルスは、「その社会的および政治的諸制度の基礎をなす階級対立は、もはや貴族と一般民衆との対立ではなく、奴隷と自由民との、居留民と市民との対立であった。」とし、最盛期の全アテナイの自由市民約9万人、奴隷36万5千人、居留民4万5千人としている。
ところが、訳注には、「アテナイの住民の構成」として、奴隷の数について、「アテナイの最盛期にあたる前五世紀後半でも、自由な市民15万前後、居留外人3万前後にたいして奴隷は10万前後であったといわれる。」とある。
すると、エンゲルスの「古代国家は、なによりもまず奴隷を抑制するための奴隷所有者の国家であった」という記述は、その直接的なイメージからするとやや奇異な印象を受ける。
むしろ、「小農民経営と独立手工業経営とは、・・・原始的東洋的共有制が崩壊した後で奴隷制が本式に生産を支配するようになりまでは、最盛期の古典的共同体の経済的基礎をなしている」という記述の方が、古代国家としてはふさわしいであろう。「奴隷国家」というのは、「商工業の発展につれて、少数者の手への富の蓄積と集積が、自由市民大衆の貧困化が生じ」それによって、自由市民がルンペン化した後の時代の表現として適切なのではあるまいか。

マルクスの資本論によれば、資本制こそ、私的所有の社会的貫徹であり、完成である。その経済制度に政治的に対応するのが、民主政を原則とする近代国家である。それには、労働力商品が一般化する資本制の普及を待たねばならない。それ以前の社会、特に農耕を主とする社会では、私的所有の発展は不完全であり、そのため近代から見れば、国家の発達も制限されて見える。
ここで、国家の成立とその後の発展の基礎・土台にある経済的条件を、確認しておこう。
経済的支配の条件は、生産手段の私的所有に基づく剰余労働の取得にある。「いつでも、社会の一部の者が生産手段の独占権を握っていれば、いつでも労働者は、自由であろうと不自由であろうと、自分自身を維持するために必要な労働時間に余分な労働時間を付け加えて、生産手段の所有者のために生活手段を生産しなければならない。」(資本論)
古代の場合、経済的支配層はアテナイの貴族であり、ローマの市民である。一方、被支配層は、いずれも奴隷であった。封建時代の場合、経済的支配層は領主であり、被支配層は、農奴であった。
国家の実体化である国家権力(常備軍・警察、官吏)は、直接的生産には携わらない。それも、剰余労働の強制的取得に依存している。したがって、独立した政治的国家の実体を成す国家権力の成立には、個々の社会全体が大量の剰余労働を生み出すことが前提条件である。しかし、労働生産物が価値形態を取ることが通常形態にならない限りは、剰余労働の生産は主とならない。だから、剰余労働が剰余価値としての形態を取った資本主義的経済にならない限りは、政治的国家の経済的独立化の条件は存在しない。
人間の生産諸力がまだ必要労働に全面的に捕らわれていて剰余労働を生む出す余裕さえなかった間は、人々の生活の生産諸関係は、論理的に一体であった。それに対応した上部構造が氏族制度であった。氏族制度自体は、この土台の上で発展しつつ、剰余労働によって養われる支配層が生まれに従い、次第に変形して行く。
奴隷制が支配的になる前の古典的古代の国家は、「自由平等な私的土地所有者相互の関係、外部に対する彼らの結合であり、また同時に彼らの保障でもある。」(「先行する諸形態」)
ここで前提としているのは、自ら土地を所有し、家族とともに働く小規模農耕者である。婦女子の家内副業として紡糸や機織などを営み、自給自足の生活を営む。ただ、個別の限られた部門においてのみ、自立的に手工業が行なわれている。しかし、それもあくまで小規模農業を支える範囲内での営業であり、通常、手工業や商業は蔑視され、解放奴隷などがそれに従事していた。
農耕者とその家族は、皆集まって暮らしており、都市を形成している。この都市こそ、氏族の絆に代替する国家そのものである。なぜなら、他の同様な都市国家による侵略の可能性が常に存在し、そのため戦争行為が重要な共同作業であるから。
このような経済的土台の上に、古代国家の政治的・軍事的制度が成立する。それは、内外の敵から個々の分割地農民の相互の自由と平等を守り維持するための必要不可欠な制度である。ここでの国家の意志・目的は、あくまで自由平等な自給自足的な農民を再生産することであって、そのため、国家は、個々の農民の剰余労働を戦争などの共同行為に振り向ける。
国家は、各家族の私有地とは分離された、共同利用する公用地を持っており、また、個々の分割地農民は、あくまで国家の市民としてのみ私的土地所有を認められている。だから土地所有とは、都市国家の市民の証明とも言える。
ところで、剰余労働は、都市の私的所有の側面がもたらした。そこで、土地の私的所有を認めつつ、共同所有も保存しようとした矛盾の上部構造が、古代の都市国家である。したがって国家は、私的所有を保証するという点を除けば、氏族制度と似たような形式と内容を持っていると言えよう。

ここで重要なのは、私的所有が個別的家族を相互に敵対関係に置く可能性を現実化し、その結果、経済から政治が分離し国家が成立したことである。慣習的な社会規範では社会の秩序が取れなくなり、法によって秩序を維持する必要性が発生したのである。
また、古典古代は小農民経営を基礎としていたので、そのための農地の分割所有の維持と制限が必要であった。貨幣経済の発展による、土地所有の拡大や消失、手工業の独立化・拡大は、いずれもこの土台を破壊することを意味する。したがって、法的にそれを制限し、そのための社会意識諸形態を整えることが、論理的に必要とされる。国家の市民としての土地所有しか認められなかったのも、貴族による貨幣支配を制限し、分割地農民の零落を救済するために、私的所有に制限を加えたのも、このような経済制度の維持が基礎にあったからである。
古代民主政とも称されるアテナイの国家制度は、まさしく分割地農民を土台に持った国家にふさわしい制度であった。始まったばかりの若い国家は、国家としての最低限の権力機関を備え、また、政治的共同体として、内外の敵に対抗するため、警察と海軍を持っており、内容的には、いわば氏族制度の生まれ変わりとして、氏族制度的国家と言ってよいであろう。
「いまやその骨組のできあがった国家が、アテナイ人の新しい社会的状態にいかによく適合していたかは、富と商工業が急速に開花したことに示されている。」(起源)
都市国家自体はこの土台の上で発展し、奴隷制度の本格的採用とともに、自国内の大規模な奴隷制ないし、他都市への奴隷的支配の拡大をもたらし、生産された剰余労働に依存した支配層=貴族・市民が政治的支配層を形成する。
一見すると、大量の奴隷労働による大規模な園圃耕作(ラティフンディウム経営)が、効率的な高い生産力をもたらすように思われるが、それには対応する需要、なかんずく都市人口の増加が必要である。したがって、都市が衰微するにつれ、奴隷制は衰退して行くのである。
こうして、一時は隆盛を極めた国家が広大な領地を獲得しながらも、政治的上部構造の故に、変形しながら衰退して行く。

一方、同じような経済的条件を持ちながらも、別の上部構造を構築したのが、封建制度である。
封建制のヒエラルヒーは、もともとゲルマンの民族移動時代の体制に由来する。常時移動しながらの戦闘行為は、常日頃から軍隊式に各人への明確な役割の割振りと固定を要請する。これが、軍指揮者につき従う従士制の形成を促進した。ゲルマン人は、征服したローマの領地を自分たちで分配したが、なお残る広大な領地は共有地として残された。軍指揮者から転化した王は、それを王領地とし彼の従者に分配した。こうして、忠誠と引き換えの恩寵及び階層的編制という従士制が、後の貴族の基礎となったのである。
もともと、ゲルマン人が慣れ親しんでいた経済的土台は、アテナイやローマと同様に自給自足的な小規模農業ではあったが、「個々の家族長が遠い道のりでへだてられた森林の中に定着していた」(「先行する諸形態」)ので、個々の家族はより自立的であった。彼らの狩猟地・牧草地等共有地は共同所有ではあったが、共同体所有というより、個々の家族の共同所有という性格がより強かった。彼らも氏族組織と同様な制度を持っていたが、それは定期的な集会によって保たれていた連合であった。このような土地所有農民が、ゲルマン人の軍隊の中核をなしていたのであった。
しかし、たび重なる内乱と征服戦によって、彼らは疲弊し零落して行った。そうして、後に農奴となっていく。エンゲルスは、その間の事情を、「起源」に次のように記述している。
「フランクの自由な農民は、その先行者であるローマのコロヌスと似た状態におかれていた。戦争や略奪によって零落した彼らは、新興の豪族または教会の保護に身をゆだねなければならなかった。王権があまりにも弱く、彼らを保護することができなかったからである。しかし、この保護にたいして彼らは高い代償を払わなければならなかった。以前にガリアの農民がしたように、彼らはその土地の所有権を保護主に譲渡しなければならず、この土地を彼から種々不定の形態の貢租負担地として、しかしつねに賦役と貢納の給付と引換えにのみ受け戻したのである。いったんこの従属の形態におちいると、彼らはしだいに人身的自由をも失っていった。数世代のちには、彼らは大部分がすでに農奴であった。」
「このことは、農耕ならびに工業の低い発展段階を前提としている。この全状態は必然的に、支配する大土地所有者と従属する小農民とを生産する。」
このような経済的土台が、農奴の剰余労働の取得の代わりに、彼らの土地を守護するという封建国家の基礎となったのである。封建領主の「戦争や裁判における最高司令」はこのような「土地所有の属性だった」(資本論)。「ゲルマン時代の国家の解体は、ノルマン・サラセン的な圧制に終らずに、恩貸制と保護托身制の封建制度への発展に、またそれから二百年たらずのちに十字軍の大流血に無事に耐えたほどのいちじるしい人口増加に、終ったのである。」

古典古代国家と封建制国家とは、分割地農民経営とそれを支える独立手工業経営の経済的土台という同じ経済的条件を持っていた。このことは、それぞれの国家が、自給自足的な閉鎖的社会を形成していることを意味している。したがって、その基礎を破壊する、私有財産の拡大・貨幣経済の進展は、注意深く避けるか、一定の枠の中に制限されなければならなかったはずである。これこそが、それぞれの国家の共同の利益だからである。

ちなみに、この歴史的過程は、論理的には人間の個別化の過程でもある。
「人間は・・・社会に中でだけ自分を個別化できる動物である。」(序説)
人間の個別化は、各家庭の個別化であり、農耕を基礎とする社会にあっては、生産手段である土地の私的所有化=分割化として現象する。その基礎の上で、農耕から手工業の分離・商業と工業の独立化=人間の生産力の多様化が開始される。だから私的所有は、この段階では、人間社会の進歩でもあったと言えるのである。

4、第1章 階級社会と国家

さて、ここではじめて、レーニンの検討するエンゲルスの文章を取り上げることができる。
マルクスやエンゲルスにとって常識であったヘーゲルやフォイエルバッハは、レーニンにとっては常識ではなかった。すでに「資本論」に記載されていた労働生産物→商品→貨幣→資本という展開された自己疎外の論理(=これこそ唯物論的弁証法の典型)を、彼は理解できなかった。そこで、レーニンは、エンゲルスの本に書かれた文を読み、それを自己流に解釈するしかなかった。ここで自己流とは、彼のいまだ抜け出していなかった俗流唯物論の立場のことである。

レーニンが引用する「起源」からの文を再掲してみる。
「国家はけっして外から社会に押しつけられた権力ではない。またそれは、ヘーゲルの主張するような、『人倫的理念が現実化したもの』、『理性が形象化し、現実化したもの』でもない。それは、むしろ一定の発展段階における社会の産物である。それは、この社会が自分自身との解決できない矛盾に巻き込まれ、自分では払いのける力のない、和解できない対立物に分裂したことを白状するものである。ところで、これらの対立物が、すなわち相争う経済的利害をもつ諸階級が、無益な闘争によって自分自身と社会を滅ぼさないようにするためには、外見的には社会の上に立ってこの衝突を緩和し、それを『秩序』の枠内に保つべき権力が必要となった。そして、社会から生まれながら社会の上に立ち、社会にたいしてますます外的なものとなっていくこの権力が、国家である。」
この文が、「起源」で出てくる前には、氏族制度から国家への検討がなされている。そこで、この文を取り上げるためには、少なくともアテナイ位は取り上げる必要があったのである。
エンゲルスは、この文で、国家の起源と役割を端的に表現している。「解決できない自己矛盾」、すなわち単婚個別家族への分裂と私有財産制が国家の基礎にあり、それが階級対立を招き、「相争う経済的利害をもつ諸階級が無益な闘争によって自分自身と社会を滅ぼさないようにするため」、すなわち共倒れを避けるために、「この衝突を緩和し、それを『秩序』の枠内に保つべき権力」として国家が存在するとしている。

一方、レーニンは、国家は、「1階級が他の階級を抑圧する機関」であるとする。「国家は階級支配の機関であり、1階級が他の階級を抑圧する機関であり、階級の衝突を緩和させながら、この抑圧を公認し強固なものにする『秩序』を創出することである」。階級対立は和解できないものであるから、国家が果たすべき「秩序」とは、被支配階級を抑圧し、抑圧を公認し強固にするということになる。
この国家権力機関は、社会の上に立ち、社会に対して外的な機関である。
「エンゲルスは、国家と呼ばれる「権力」、すなわち、社会から生まれながら、社会の上に立ち、社会に対してますます外的なものになっていく権力の概念を展開している。この権力は、主としてなににあるのか。それは、監獄等を意のままにする武装した人間の特殊な部隊にある。」
すなわち、「常備軍と警察」である。これこそ、支配階級に奉仕する武装特殊部隊である。
レーニンにとって、国家は、実体的機関である国家権力と直接的に同一である。したがって、階級抑圧は、この国家権力の属性ということになる。この観点からすると、「常備軍と警察」を、支配階級が「自分に奉仕する武装した人間の特殊な部隊」として把握するのは、論理的に当然であろう。階級敵に対する直接的な取り締まり機関という認識である。
国家の公的暴力には、官吏も含まれる。これを維持するためには、租税と国債が必要である。
以上が、レーニンが第1章第1節〜3節で示している国家観である。
そこには、背景にある法の支配に基づく国家の存在がすっぽりと抜け落ちている。レーニンは、「秩序」を、抑圧を公認し強固なものにする階級的秩序=社会的序列に限定し、上部構造の問題を、土台の問題に解消してしまっているのである。

この極めて単純明快な国家観は、確かにレーニンの生きていた時代の帝政ロシアには、当てはまりそうである。いや、昔の時代だけではない。現在でもこれとよく似た権力構造を持った国家の例、一部の独裁的な支配者層が、軍隊と警察を武器に多数の非支配者層を強引に抑圧している構図を、新聞やニュースで見聞きしている。だからといって、これらの特殊な事例をもって、それを国家一般であるとすることはできない。あくまで特殊な条件下での特殊な国家、あるいは国家の特殊な現象であるからである。
レーニンは、自らの論理的限界から、この特殊性を誤って国家一般に拡大し当てはめた。その結果、国家の役割を非常に狭く限定することになり、国家の示すこれ以外のさまざまな現象・機能・構造を、無視したり捻じ曲げたりこじつけたりして解釈することになった。特に、国家の死滅のような本質から派生する議論について、誤謬が露呈することになった。

エンゲルスが言う「秩序」とは、政治的秩序=法的秩序のことを指している。このことは、レーニンの引用した「起源」からの文章が、「古い氏族制度と対比して国家」を取り上げていることからわかる。氏族制度は、自然発生的な慣習的な社会規範が支えていた。それに対して国家は、法規範が支える制度である。
法規範は、自然発生的な氏族制度と違って、共同体成員の自主的・自発的な実行・服従を期待できない。そこで、それを成員全部に強制・施行する実体的な権力組織が必要となる。エンゲルスが挙げた国家の特徴、すなわち、領域による国民の区分、公権力の樹立、国民の拠出、官吏組織などは、その実体的な国家権力の特徴なのである。

エンゲルスの取り上げた「公権力の樹立」は、「民兵」「艦隊」「憲兵」の「武装した人間」および「物的付属物、すなわち監獄や各種の強制施設からもなる。」
これは、慣習が支えていた自発的な抗争調整機能に代わって現れた法規範の強制力の実体的な機関である。氏族時代ならば、自主的に守られていた秩序は、支配者が支配するためには、国家意志である法を被支配者が守ってくれなければ成り立たない。したがって、従わない者には、強制力によってでも従わせ、違反者は処罰すると言う強力が必要となる。無論、強制力を使わなくても自ら進んで自主的に法に従ってくれればそれに越したことはないが。
レーニンの俗流唯物論では、エンゲルスの国家論は理解できないであろうが、エンゲルスは国家権力をイデオロギー的な力といっている。すなわち、支配階級は法規範を媒介にして、武装した人間や強制施設を設置して取り締まるのである。したがって法的性格の違いによって、軍隊と警察では、その利用の仕方が異なる。軍隊は、主として国家の対外的施策に利用するものであり、これに対して警察は対内的な施策に利用するものであり、後者については、更に裁判所が介在する。
こうように媒介的だからと言って、直接的支配より強力でないとはいいきれない。むしろ、相対的独立を示しているからこそ、より広範でより強力でより一貫性を持たせることができるともいえる。それがイデオロギー的権力の特徴である。

エンゲルスは続ける。
「この公権力を維持するためには、国民の拠出が必要である。―すなわち租税である。・・・租税でももはや足りなくなる。・・・すなわち国債である。・・・公権力と徴税権を掌握して、官吏はいまや社会の機関として社会の上に立っている。」
一つの国家を一人の人間に例えれば、人が活動する前に実践に至る意志を形成せねばならないように、国家は、まず、国家意志を対象化し法規範を成立させる(立法)。その後に初めて、法規範に従って自分の体を動かして活動を開始する(行政)。その後に、更に最初の意志がその結果と合致していたかどうかを検証する(司法)。その体とその活動が、国家権力を構成する官吏とその活動と言うわけである。(この部分は、滝村「国家論大綱」に詳しい。)この組織の実体的な全体が、国家権力を構成する。そのための経済的基礎が、租税と国債である。
「国家権力機関としての官吏の特権的地位の問題」については、レーニンは後の章で取りあげるので、ここでは議論しない。

エンゲルスは、氏族組織の「血の紐帯」に対し、国家は領域、すなわち居住場所による国民の区分を基礎に持つとする。
領域、具体的には領土・領海とは、国家が統治する地理的領域といってよいであろうが、それは、その国家が成立する時点で保持されていた比較的濃厚な労働の生産関係に基礎を持っている。それが秩序維持という共同の利益の礎になっているからである。労働の生産力及び生産関係の中には、労働の対象化のための諸手段も含まれる。ただ、労働の生産関係は本質的関係であって、目で見て手で触れる実体的なものではない。その現象形態すなわち実体的空間的領域、生産手段でもあり諸家族が生活する領域が、国家の領土・領海である。農耕を主とする初期の段階では、なかんずく土地である。むろん、それはその後の歴史的変遷によって大きく変化して行く。
歴史的には、国家の領域は、各国家の戦争を含む交渉の中で決定される。すでに見たように、ギリシャの諸都市国家は、その周囲を城壁で取り囲んでいたが、それは、低い段階での生産諸力をしか持ち得ない運命から必然的に要求される交通関係、すなわち隣り合う都市国家同士の絶え間ない戦争を行なっていたからである。
「軍事的民主政」「軍事的―というのは、戦争と戦争のための組織とが、いまや部族生活の規則的な機能となったからである。隣人の富は、富の獲得が第一の生活目的の一つとして現れる諸部族団の、所有欲を刺激する。・・・略奪は労働による獲得よりも容易であり・・・戦争は・・・今では単なる略奪のためにおこなわれ、恒常的な生業部門となる。」
したがって、領域内では、その都市国家としての統一的な国家権力が隅々まで及んでいなくてはならない。「このような所属場所による国民の組織」は、内部的にも支配権力の強化を促す。それをエンゲルスは次のように表している。
「略奪戦争は、最高軍指揮者の勢力をも下級指揮者の勢力をも高め」、それを世襲制にし、「全氏族制度はその反対物に転化する。すなわちそれは、自分達自身の事項を自由に処理するための諸部族の組織から、隣人の略奪と抑圧のための組織となり、またそれに応じてその諸機関は、民衆の意志の道具から、自己の民衆に対する支配と抑圧のための自立的な機関となる。」

レーニンは、この節の後半で「帝国主義」と第一次世界大戦について触れている。これについては、「帝国」=国家による他国家の征服の問題と絡んで、レーニンの「帝国主義論」を取り挙げねばならない。
レーニンについて言えば、国家と国家権力を同一視したため、独占資本主義を構成する資本家による階級的独裁が、単なるブルジョア階級の暴力機関の独裁と同一視され、帝国主義戦争が、単なる国別暴力機関の闘争に矮小化された。現象的には、それでも時の戦争を理解するに不十分ではなかったが、これは独占資本主義の過小評価と、暴力革命の過大評価を生んでしまう。いずれ「帝国主義論」の誤謬も議論するつもりである。

「国家は階級対立を制御する必要から生じたのであるから、しかしそれは同時にこれらの階級の抗争のただなかで生じたのであるから、それは通例、もっとも有力な、経済的に支配する階級の国家である。そしてこの階級は、国家をつうじて、政治的にも支配する階級となり、こうして、被抑圧階級を抑制し搾取するための新しい手段を獲得する。こうして、古代国家は、なによりもまず奴隷を抑制するための奴隷所有者の国家であったし、同様に封建国家は、農奴・隷農的農民を抑制するための貴族の機関であったし、近代的代議制国家は、資本による賃労働の搾取の道具である。」
エンゲルスは簡単に概括しているが、経済的階級形成→政治的階級支配に至る過程は、アテネ国家でも見たように、相当長くかかる歴史的過程である。

エンゲルスは続ける。
「このほか、歴史上の大部分の国家では、国民に認められる諸権利は財産による等級付けをうけ、これによって、国家は有産階級の、無産階級に対する防衛のための組織であることが、直接に表明されるのである。・・・しかし、このような財産上の区別の政治上での承認は、決して本質的なものではない。逆に、それは国家の発展の低次の段階を表している。最高の国家形態である民主共和政は、・・・公式にはもはや財産上の区別をまるで問題にしない。そこでは、富はその力を間接的に、しかもそれだけいっそう確実に行使する。一方では直接の官吏買収の形で。・・・他方では、政府と取引所との提携の形で。この提携は、国債が増加すればするほど、また株式会社がたんに運輸だけではなしに、生産そのものをもその手中に集中し、さらにその中心点を取引所に見出すようになればなるほど、ますます容易に達成される。」
これに対しレーニンは、「今日では、帝国主義と銀行に支配とは、どんな民主的共和国にあっても、富の無制限の権力を擁護し実現するこれら二つの方法を並々ならぬ技量に「発達」させている。」と書いている。

2節で述べたように、近代国家は、市民社会と政治的国家の完全な分離を達成し、政治=国家と経済の二重化を完成させる。
近代国家の経済的土台は、資本主義的生産様式である。その政治的上部構造は、形式的には、自由な商品交換の原則に一致する政治的自由が保障されている。そこでは、商品生産と商品流通の形式と同様に、一人一人は平等な「想像上の主権の空想上の構成員」であり、自分の意志は自分の良識に基づき決定し、あくまでその同等な主権を行使する。いわゆる「普通選挙権」である。
しかし、その内容は外観とは異なる。資本主義的生産様式は、資本主義的取得様式をもたらすからである。それは、一方に他人の不払労働=剰余労働の生産物を所得する資本家を、もう一方に、彼自身の生産物を所得することの不可能な賃金労働者を、再生産する。このような経済生活における不平等は、資本家階級と労働者階級の形成を促し、両者のさまざまな軋轢と闘争を引き起こす。その結果、それが政治的な領域での解決を求めるようになる。
政治的国家と市民社会は、相互に浸透しあう。
まず、資本家階級と労働者階級はそれぞれ自己を二重化させ、それぞれの政治的代理人を立て、その下で政治的権力として自らを構成し、国家意志と国家権力の支配を巡って政治的に相争う。(経済から政治へ)
一方、政治的権力である国家権力は、共同事務としての経済的権力としても自己を展開する。それは、市民社会を構成する諸家族及び諸階級はそれぞれの特殊な利益のみを追求するが、一方、国家がその目的の一つとしている「共同の利益」の実現は、その中に特殊性を持つ時のみ現実化できるからである。(政治から経済へ)
この二つの相互浸透は、また相互に関係している。
例えば、イギリスにおける標準労働日のための労働者階級の闘争と工場立法(資本論第8章)、その法律による保健条項や教育条項(第13章第9節)の側面がそうである。
「官吏の買収」や「国債」なども、この相互浸透のありかたの一つとして、理解すべきである。更に、その一つに「国有化」がある。
「とほうもなく成長して行く生産力がこのようにみずからの資本と言う性質に抵抗し、このようにみずからの社会的な本性を承認するようにますます強く迫っているということ、このことこそが資本家階級自身に、およそ資本関係の内部で可能なかぎりでこの生産力を社会的生産力として取り扱うことを、ますますやむなくさせるのである。産業の好況期は、信用を無制限に膨張させることによって、また恐慌そのものも、大規模な資本主義的企業の倒産を通じて、各種の株式会社においてわれわれが見るような、大量の生産手段の社会化の形態に向かって押しすすめる。これらの生産手段や交通通信手段のうちには、例えば鉄道のように、もともと非常に巨大なために、これ以外のどんな資本主義的利用の形態もとることのできないものもある。ある発展段階に達すると、この形態でさえももはや十分ではなくなる。資本主義社会の公式の代表者である国家が、それらの指揮を引き受けなければならなくなる。」(「反デューリング論」)
また、資本家階級と労働者階級という二つの対立物も、相互に浸透しあう。
資本論第11章協業で、次のような特別な労働者のことがでてきた。
「いっそう大規模な協業の発展につれて・・・資本家は・・・個々の労働者や労働者群そのものを絶えず直接に監督する機能を再び一つの特別な種類の賃金労働者に譲り渡す。・・・労働過程で資本の名によって指揮する産業士官(支配人)や産業下士官(職工長)を必要とする。監督という労働が彼らの専有の機能に固定するのである。」
このような労働者は、資本家の機能を持った労働者=資本家的労働者といってよい。社会的存在がその意識を規定する。彼らは、次第に労働者的意識とともに資本家的意識を併せ持つようになる。現在では、いわゆる管理部門に従事する労働者がそれにあたる。
「いまでは、資本家の社会的機能はすべて、給料をもらっている職員によって果たされている。」(「反デューリング論」)
また、労働者的資本家も生まれてくる。
労働者が給料の一部を銀行に預けるだけでなく、それで投資信託や株式を買うとしたら、それは労働者的資本家の始まりである。彼は自分の給与から資本家に資本を提供したのである。停年を迎え、退職金や年金を元に本格的に投資信託を始めたとしたら、それはもうりっぱな小資本家である。彼らも同じように、自然に資本家的意識を持つようになっていく。
もっとも資本家も労働者化する。
「資本主義的生産様式は、まず労働者を駆逐したが、いまや資本家を駆逐して、労働者の場合とまったく同じように、さしあたってはまだ産業予備軍のなかへではないが、過剰人口になかへ追いやるのである。」(「反デューリング論」)
現在では、このような資本家や労働者によって、市民社会と国家が支えられているのである。

エンゲルスは、「普通選挙権」について、次にように言っている。
「そして最後に、有産階級は普通選挙権を通じて直接に支配するのである。・・・彼らが自己解放へと成熟するにつれて、彼らは自らを独自の党に結成し、資本家の代表者ではなしに自分たち自身の代表者を選挙するようになる。こうして、普通選挙権は労働者階級の成熟の尺度である。それは今日の国家では、けっしてそれ以上のものであることはできないし、またそれ以上のものにはならないであろう。」
「選挙を通じて平和的に革命が起こせないか」という素朴な期待に対して、エンゲルスは明確に否定している。それは、私有財産制を守る使命を帯びている国家が自らを自己否定することはあり得ないという原理的な観点からだけでなく、階級対立は資本主義的生産様式が続く限りなくならないという経済的観点からでもある。レーニンも、彼の国家抑圧機関論からエンゲルスの見解を肯定している。これについても、後の章で再び取り上げることになる。

エンゲルスはその後で、国家がいずれ歴史上の遺物として博物館入りするといっている。そこで、レーニンとともに、次の「国家の死滅」の問題に移ろう。
レーニンは、エンゲルスの「反デューリング論」第3篇2理論的概説から引用しているが、そこでは、プロレタリアートがブルジョアジーから国家権力を奪い取って生産手段を国有化することで、国家を「揚棄」(レーニンの訳文では「廃絶」)し、無用になった国家権力は次第に眠り込んでしまい、「国家は死滅する」と説明されている。
レーニンも引用している部分を再掲すると、
「プロレタリアートは国家権力を掌握し、生産手段をまずはじめには国家的所有に転化する。だが、そうすることで、プロレタリアートはプロレタリアートとしての自分自身を揚棄し、そうすることであらゆる階級区別と階級対立を揚棄し、そうすることでまた国家としての国家をも揚棄する。・・・国家が真に全社会の代表者として現れる最初の行為―社会の名において生産手段を掌握すること―は、同時に、国家が国家としておこなう最後の自主的な行為である。社会関係への国家権力の干渉は、一分野から一分野へとつぎつぎによけいなものになり、やがてひとりでに眠り込んでしまう。人に対する統治に代わって、物の管理と生産過程の指揮とが現れる。国家は「廃止される」のではない。それは死滅するのである。」
レーニンはエンゲルスの一部の規定に引きずられて、国家を「1階級が他の階級を抑圧する機関」として規定したため、この「国家の死滅」が理解できない。そこでレーニンは、資本主義から共産主義への過程を二つに分け、プロレタリアートが国家権力を奪取するプロレタリア革命で「廃絶」されるのはブルジョア国家であり、その後の社会主義段階では、ブルジョアジーを抑圧して置く必要から階級抑圧機関である国家権力は必要であるとして、その必要がなくなった社会主義革命後の段階で「国家は死滅」すると解釈した。「死滅と言う言葉は、社会主義革命後のプロレタリア国家組織の残存物にかんすることである。」
この社会主義革命後の時代では、完全な民主主義が実現するが、この民主主義と言う国家形態が、「死滅」するのだと考えたのである。

プロレタリアートが国家権力を掌握し、生産手段を国有化するということは、プロレタリアートが政治的・経済的権力を国家権力として確立するということである。その段階で、すでにブルジョアジーは主要な権力を失ったことを意味する。それは、論理的には、同時に国家そのものを「揚棄」(弁証法的な意味で「否定」)したということであって、その後の国家権力の役割は、社会関係への干渉、すなわち社会の社会主義的改造であって、ブルジョア階級の抑圧が主ではない。その干渉が余計なものとなった時、死滅するのは「国家」そのものである。エンゲルスが言う「国家としての国家の揚棄」とは、そういってよければ「階級抑圧機能」の否定と、国家権力の干渉後に現れる共同事務=「物の管理と生産過程の指揮」の保存のことであって、「国家の死滅」とは、「国家の揚棄」の現象形態なのであり、国家の死滅の過程は、プロレタリアートが国家権力を奪取したときから始まっているのである。だから、「国家の揚棄」というのは、レーニンの言う「ブルジョアジーの国家の廃絶」ではない。
一方、レーニンは、国家と国家権力を同一視したため、ブルジョア国家の「廃絶」の後も国家権力の役割が残ることを「国家」が残ることと解釈せざるを得なかった。そこで、国家が残る=階級抑圧機能が残ると考え、「国家」=「階級抑圧機関」という規定と両立させたのである。そのため、社会主義化の過程を自分流に解釈し、エンゲルスのテキストにも書かれていない「ブルジョア国家の廃絶」=プロレタリア革命から「プロレタリア国家組織の残存物」=「プロレタリア国家または半国家」の「死滅」という、「廃絶」から「死滅」の間の時期を捻出し、「プロレタリアートの独裁」と自分流の「プロレタリア国家または半国家」とを結びつけ、それを「プロレタリアートがブルジョアジーを『抑圧するための特殊な力』」として解釈したのである。
レーニンからしてみれば、「誰一人気がつかないのである。これは、一見はなはだ奇異に思われ」たのであろうが、レーニンが気がついたことに誰も気がつかなかったのは当たり前で、レーニンは枯れ尾花に幽霊を見たのである。

すでに説明したことであるが、国家は、社会に私的所有が導入されたために、共同の利益、すなわち労働の生産関係が同時に労働の生産力でもあるあり方が失われないように、社会が市民社会と政治的国家とに自己を二重化し、秩序を政治的に維持しようとしたものである。市民社会を構成する個人または家族およびその集団のあらゆる特殊な要求は政治的に押し出され、国家意志に転化することによって、法規範と言う一般化され対象化された意志の形態となる。国家権力は、その国家意志の実行のために実体化した機関=イデオロギー的な力である。
法の論理は、資本論の中の貨幣の論理として、おなじみのものである。労働生産物=対象化された労働が私的所有の下では商品と言う形態を取るように、社会規範=対象化された意志は二重化された政治的世界では法形態を取る。商品の価値が一般的等価物としての貨幣形態に結晶するように、法の一般性は国家と言う形態に結晶する。更に貨幣は、商品流通の中で、流通機能を実体化され、流通手段として現れるように、国家は国家意志を実現するため国家権力と言う実体的形態を取る。価値形態の転化した貨幣形態が、労働の生産関係の一般性を表現しているように、国家も、それを別の形で表現しているのである。価値を形成する実体は労働時間であり抽象的一般労働であるように、法を形成する実体は国家の意志(=認識)であり、個人又は集団又は階級は、その意志を社会へ押しつけようとすれば、国家の意志を通過させねばならないのである。
したがって、私的所有が廃止されれば、政治的二重化の土台の矛盾が解消し、国家も国家権力も原則的には不必要になる。「社会関係への国家権力の干渉は、一分野から一分野へとつぎつぎとよけいなものになり、やがてひとりでに眠り込んでしまう。人に対する統治に代わって、物の管理と生産過程の指揮とが現れる。」すなわち、階級的な特殊利益が消滅し、その陰に隠れていた共同の利益としての「共同の業務」が、直接、顔を現わすのである。
資本論にあるように、歴史初期の、労働が私的でない部族社会では、労働生産物は商品に転化していないように、社会規範は法律に転化していない。プロレタリア革命は、否定の否定、すなわち、高い段階での部族社会への回帰である。
マルクスらの「国家の死滅」の理論は、弁証法的な唯物論(自己疎外の理論)から論理的に導き出されたもので、エンゲルスは歴史を遡ることによって媒介的に理論的な基礎づけ(氏族制度と国家の起源)を与えたのである。
レーニンが資本論の中のこの弁証法の論理に気がついておれば、先のような解釈を取らなかったろうと思われるが、俗流唯物論から抜けだせなかったレーニンにとって、それは不可能であったろう。

更に、「反デューリング論」第2篇4暴力論から、「暴力は、マルクスの言葉を借りれば、新しい社会をはらんでいるあらゆる古い社会の助産婦であるということ、暴力は、社会的活動が自己を貫徹し、そして硬直し麻痺した政治的諸形態を打ち砕くための道具であるということ」という文を引用し、国家の廃絶と暴力革命とを結びつけ、自分の理論の正当性を強調する。
「プロレタリア国家のブルジョア国家との交替は、暴力革命なしには不可能である。」
この議論は、次章以降に詳述されるので、ここでは、この結論はマルクス的な意味で正しいとだけ言っておこう。

補論1) 滝村国家論と近代国家の二重化

さて、すぐれた理論家である滝村氏の「増補マルクス主義国家論」から、関連する部分を取り上げておこう。
彼は、「近代的社会構成」を次のように説明する。
「近代的社会構成の歴史的特質は、社会構造を構成する〈経済的社会構成〉と〈政治的社会構成〉とが、構造的に分離・二重化したてんにある。このことは先ず第一に、社会的・経済的基底における・資本制的生産様式の高度な発展による社会的分業の全面的開花(すなわちMachtにとしての諸階級・階層の多元的展開ということ)に基礎づけられて、近代的社会構成を組成する資本制的な社会的権力が、経済的権力と政治的権力とへはじめて機構的に分化・二重化したことを意味している。」
「ところで近代社会構成の構造的特質としての・経済的社会構成と政治的社会構成との機構的な分離・二重化は、たんに社会的権カレヴェルにおける経済的権力と政治的権力との機構的な分化・二重化の成立のみを意味するものではない。それは第二に、右の如き社会的権カレヴェルでの〈二重化〉に基礎づけられ、かつまたそれに対応して国家権カレヴェルでも、―従来原理的には内に孕みつつも決して機構的かつ制度的に顕現することのなかった―〈政治的国家〉と〈社会的=経済的国家〉とが、はじめて機構的にも分離・二重化して現出したことをも意味している。かくして〈政治的国家〉を中心としたあらゆる(諸階級・階層の)政治的権力の有機的総体と、〈社会的国家〉を頂点として〈国民経済〉的連関において有機的に構成されたすべての経済的権力の体系とが、機構的に分離・二電化した形で成立するに到る。」

これに対比して、滝村氏は、「封建的社会構成の原理的特質を、〈政治〉と〈経済〉との未分化、ないし直接的一体化(同一性)と規定する」。それは、「封建的領主権力の・共同体成員(農民)に対する支配原理(すなわち支配=被支配関係を貫く原理)」であり「また、封主=封臣関係を中軸とした封建的諸関係(簡単にいえば封建的領主階級内部の諸関係)を貫徹する原理」である。
「中世の封建社会では、封建領主権力をはじめとする諸種の封建的な社会的権力は、社会的・経済的基底における交通諸関係の未発展(つまり社会的分業の未発展)に基礎づけられて、それぞれ相互に対立・抗争する独立的かつ閉鎖的な自給自足的共同体として散在しており、かかる封建的アナーキーとも称さるべき状態は、あくまで形式的ではあるが、政治的には伝統的な政治的権威としての〈国王〉によって、一定の秩序(体制)の下に包括されていた。」
「このように封建的支配体制の歴史的特質は、右の如き実質上の封建的アナーキーに立脚した、〈宗教的・政治的〉な〈第三権力〉としての・法王を頂点とする教会的支配体制と、〈現実的・政治的〉な〈第三権力〉としての・国王を頂点とする領主的支配体制との二元的支配体制を、構造的に成立せしめたてんにある。」
「ところでかかる二元的支配体制をも根権的に貫徹する、封建的社会構成の原理的特質は、社会的権力としての封建的諸権力が、〈政治的=経済的権力〉として直接的に一体化(同一性)していて、社会的権力を構成する政治的権力と経済的権力という(あくまで原理的に区別される)二つのモメントが、いまだ機構的に分化(分離)していないてんにある。すなわち農村に根拠をおく領主権力はもとより、商人層や職人層がたてこもる都市(共同体)権力にしても、あるいはまた、〈宗教的・政治的権力〉としての教会権力でさえ、右のエンゲルスの引用からも明らかなように、「最も強力な」封建的土地所有者として〈経済的権力〉でもあったのであり、それらはすべて、〈政治的(軍事的)=経済的権力〉として君臨していたのである。」

滝村氏は、封建的社会の〈政治〉と〈経済〉との直接的同一性を、「社会的・経済的基底における交通諸関係の未発展(つまり社会的分業の未発展)に基礎づけられて」いるとし、近代社会の政治と経済との分離・二重化を、「社会的・経済的基底における・資本制的生産様式の高度な発展による社会的分業の全面的開花に基礎づけられて」いるとしているが、これは実際上は正しくても、論理的には必ずしも正しくない。

これは、滝村氏にはない論理であるが、マルクスによれば、人間の物質的生活の生産過程には、それに対応する共同体が必要である。それは、労働の生産関係が同時に労働の生産力でもあること(生産力と生産関係の直接的同一性)を保証するためである。例えば、個々人が、お互いに遠く隔てられて住んでいて、それぞれ自給自足的な生活を送っていたとしても、継続して生きていくためには、最低限、家族という共同体を必要とする。すなわち、個々人の生活の生産過程にとって、共同性は本質的である。それは、人間の生活過程が相互に依存し合っているということである。
人間が歴史に現れてくるときは、この依存関係は直接的であった。素朴な農耕に基礎を持つ自然発生的共産社会、そこでは相互に直接的に依存し合った生活の生産過程が行なわれているが、その原初的社会の上部構造=原始的共同体の直接的表現こそ、氏族制度であった。エンゲルスが示してくれたように、氏族制度が個々の労働の特殊性を全体の関係の中で調整し一般化する役割を果たしていた。
この中に、「独立に行なわれていて互いに依存し合っていない私的労働」が割り込んでくる。
この労働様式は、直接的な依存関係に基づく共同性=素朴な計画性を破壊し、個々人の労働の生産関係をバラバラにする作用をする。しかし、いくら私的労働が拡大し蔓延しようとも、人間の生活の生産過程が相互に依存しているという本質は変わらない。ただ、それは媒介的になっており、隠されているだけである。
だが、媒介的で直接的でないからこそ、物質的(=経済的)依存関係を実質的に維持し保証する、いわば目に見える(政治的)仕組みが求められる。それは、社会的斥撥である私的労働を土台にしながらも、社会的牽引である共同性を維持するという敵対的矛盾を実現せねばならぬという矛盾した性格を本質的に持つ。これが国家である。古典古代の都市国家・中世の封建的国家・近代の資本制下での国家制度は、このような国家の矛盾の歴史的展開形態なのである。
農耕を基礎とする場合、生産手段の重要部分は土地である。したがって、(農耕)労働の生産関係の法的(=政治的)表現としての所有関係は、土地に関する所有として表れる。そこで、農耕における私的労働を独立的に維持しようとすれば、私的所有としての農耕地を内外の脅威から守る必要があり、そのための方策として二つが考えられる。
一つは、それを共同で守ることである。そのため、相互の独立的労働を保証する、依存形態=共同事務と外敵に対する共同防御(時に戦争による共同略奪)が必要となる。古典古代の都市国家は、それを土地の共同所有=国家所有として実現したのである。
農耕を基礎とする、もう一つの可能な形態は、誰か一人を守護者として(政治的に)定立することによって、その他の農耕者の私的所有の土地の守護を専任させることである。これは、分割農地の所有権の譲渡による安堵と引き換えに賦役と貢納の義務を負うということによって実現された。その農村の封建的土地所有形態の上部構造が領主による中世の封建国家である。封建国家といっても、これも特殊な共同性の実現であって、これが古代の都市国家と異なるのは、土地の私的所有の性格がより強化されていることである。また、古代も中世も、いずれも独立手工業は農耕に依存している。
このような生産関係では、政治は経済に従属しており、それが経済と政治の直接的同一を生み出すのであって、滝村氏のように必ずしも「交通諸関係の未発展(つまり社会的分業の未発展)に基礎づけられて」いるわけではない。社会的分業が発展し交通諸関係が発展していたとしても、農耕に基礎をおいている限りは、生産手段である土地を政治的に扱わねばならず、その結果、経済と政治の同一という特徴は、論理的におそらくなくならないと考えられるからである。
「すべての社会形態には、ある一定の生産があって、それがあらゆるほかの生産に、したがってまたその諸関係が、あらゆるほかの諸関係に順位をしめし、影響をあたえている。この生産はひとつの普遍的な照明であって、ほかのすべての色彩はこのなかにとけこんでおり、またこれによってそれぞれの特殊な色彩が変化をうける。それはひとつの特殊なエーテルであって、そのなかにあらわれるあらゆる定在の比重をさだめる。・・・古代社会や封建社会でのように定住農耕が優勢であるような定住農耕諸民族にあっては―・・・工業とその組織、ならびに工業に照応する所有の諸形態までが、多かれ少なかれ土地所有的な性格をおびており、古代ローマ人のばあいのようにまったく農耕に依存しているか、または中世にみられるように、都市とその諸関係においても農村の組織をまねている。中世においては、資本そのものが―それが純粋の貨幣資本でないかぎり―伝統的な手工業用具等々としてこうした土地所有的性格をおびていた。」(序説)
近代の資本制は、農耕から独立した手工業から出発し、マニュファクチュアから大工業へと生産の基礎を移してきた。その生産様式の特徴は、商品流通の展開により、労働者(生産者)自身が商品になるという最終点にまで到達したということにある。歴史的に生産手段から分離された労働者は、労働力商品となることによって再び生産手段と結びつくのであるが、その場合の共同性は工場制度として実現した。一方で、資本制は、資本家階級と労働者階級とその対立をも生産する。したがって、土地所有的な経済的足かせから解放された近代国家は、形式的には国家権力の第3権力としての性格を強化し相対的独立性を高めるとともに、社会的分業の無政府性と階級対立を緩和させ、資本による剰余価値の取得の永続化を保護するという資本制の下での共同性を実現する役割を演ずる。これが、政治の経済からの相対的独立と政治と経済の分離・二重化の基礎にある。確かに資本制は、論理的には貨幣から、歴史的には商業と発達した分業から出発するとはいえ、近代社会の政治と経済との分離・二重化が「社会的・経済的基底における・資本制的生産様式の高度な発展による社会的分業の全面的開花に基礎づけられて」いるわけでは必ずしもなく、あくまで基礎は資本主義的生産様式自体にある。社会的分業が未発展で交通諸関係が未発展であったとしても、工業に基礎をおく資本制を取る限りは、経済と政治の分離・二重化という特徴は論理的に成立せざるを得ないと考えられるからである。
例えば、マルクスは、イギリスの工場法を、剰余労働に対する「渇望の消極的な表現」とした。「この法律は、国家の側からの、しかも資本家と大地主との支配する国家の側からの、労働日の強制的制限によって、労働力の無際限な搾取への資本の衝動を制御する。」
工場法は、剰余労働を完全に否定するのではなく、認めつつもその無制限な搾取を制限し、永続的に可能な搾取に変えようとするものである。それは、資本主義的経済制度そのものからは直接的には出てこない。したがって、政治的=国家的立場から媒介的に、経済的な秩序を与えようというのである。むしろ、この生産様式は、国家という政治的秩序をもそれに見合ったものに作り替えるといったほうが適切かもしれない。

補注1) 滝村隆一著「国家論大綱」第1巻上下2003年勁草書房
2) 滝村隆一著「増補マルクス主義国家論」1974年三一書房

5、第2章 国家と革命。 1848−1951年の経験

レーニンは、自らひねり出した国家の廃絶から死滅の社会主義過程の理論を元に、彼の革命家としての実践的課題、すなわち、国家権力を奪取する政治的過程の理論的解明目指しながら、マルクスらの「経験」から学ぼうとする。

まず、レーニンは、まず「哲学の貧困」と「共産党宣言」を取り上げる。その中に、レーニンにとって、自分の理論の確証を指示する重要な文言を見出した。それは次の言葉である。
「プロレタリアートの独裁」「国家、すなわち支配階級として組織されたプロレタリアート」
彼は、次のように説明する。
「第一に、マルクスによれば、プロレタリアートに必要なのは、死滅しつつある国家、すなわち、ただちに死滅し始めるし、また死滅せざるを得ないようにつくられた国家だけであるということ、第二に、勤労者に必要なのは、「国家」、「すなわち支配階級として組織されたプロレタリアート」であるということ、これである。」
「国家は、特殊な権力組織であり、ある階級を抑圧するための暴力組織である。ではプロレタリアートはどの階級を抑圧しなければならないのか?もちろん、搾取階級すなわちブルジョアジーだけである、勤労者に国家が必要なのは、搾取者の反抗を抑圧するためにほかならない。だが、この抑圧を指導し、それを実行することができるのは、・・・プロレタリアートだけである。」
「マルクスが国家の問題と社会主義革命の問題とに適用した階級闘争の学説は、必然的にプロレタリアートの政治的支配、プロレタリアートの独裁の承認に、すなわち、何者とも分有を許さない、大衆の武装力に直接立脚した権力の承認にみちびく。ブルジョアジーの打倒は、プロレタリアートが支配階級に転化すること、ブルジョアジーの不可避的な死にもの狂いの反抗を抑圧し、新しい経済制度のためにすべての勤労被搾取大衆を組織する能力のある支配階級に転化することによって、はじめて実現することができる。」
「プロレタリアートには、国家権力、すなわち、中央集権的な力の組織、暴力組織が必要である。」
こうして彼は、次のように問題を提起する。
「だが、もしプロレタリアートには、ブルジョアジーに鋒先を向けた特殊な暴力組織としての国家が必要であるとすれば、この暴力組織の創出は、ブルジョアジーが自分のためにつくりだした国家機構をまえもって廃絶することなしに、それを破壊することなしに、はたして考えられるか、という結論がひとりでに出てくる。」
この問題に対し、彼は、マルクスの「ルイ・ボナパルトのブリューメル18日」、エンゲルスの序文、マルクスの手紙などを引用しながら、次のように論を進める。
「ブルジョア社会に特有な中央集権的国家権力は、絶対主義の没落期に生まれた。この国家機構にとってもっとも特徴的な制度が二つある、―官僚制度と常備軍である。これらの制度が、ほかならぬブルジョアジーと数千の糸で結びついていることは、マルクスとエングルスの著作のなかで再三述べられている。」
「官僚制度と常備軍、これはブルジョア社会の肉体にやどる「寄生体」、この社会をひきさく内的諸矛盾によって生みだされた寄生体、だがまさに生命の毛穴を「ふさぐ」寄生体である。」
「封建制度の没落以来ヨーロッパが数多く経験したすべてのブルジョア革命をつうじて、この官僚・軍事機関の発展、完成、強化がすすんでいる。」
「そこで、すべてのブルジョア政党には、いな、「革命的民主主義」政党をもふくめた、もっとも民主主義的な政党にさえ、革命的プロレタリアートにたいする弾圧を強め、弾圧機関、すなわちほかならぬこの国家機構を強化することが必要になってくる。事件のこのような成行きの結果、革命は、国家権力にたいして「破壊力をことごとく集中」せざるをえないようになり、国家機構を改善することではなくて、それを破壊し廃絶することを任務とせざるをえないようになる。」
「一階級の独裁は、あらゆる階級社会一般にだけ必要なのではなく、またブルジョアジーを打ち倒したプロレタリアートにだけ必要なのではなく、さらに、資本主義と「無階級社会」、共産主義とをへだてる歴史的時期全体にも、必要だということを理解した人だけが、マルクスの国家学説の本質を会得したものである。ブルジョア国家の形態はさまざまであるが、その本質は一つである。これらの国家はみな、形態はどうあろうとも、結局のところ、かならずブルジョアジーの独裁なのである。資本主義から共産主義への移行は、もちろん、きわめて多数のさまざまな政治形態をもたらさざるをえないが、しかしそのさい、本質は不可避的にただ一つ、プロレタリアートの独裁であろう。」
  
レーニンは、国家を「特殊な権力組織であり、ある階級を抑圧するための暴力組織」と規定した上で、マルクスやエンゲルスの理論を解釈する。
その結果、マルクスの言うプロレタリアートの独裁が、「何者とも分有を許さない、大衆の武装力に直接立脚した権力」=プロレタリアートの暴力的組織の成立になってしまった。その結果、ブルジョアジーの国家=官僚制度と常備軍を武器を手にして暴力的に破壊し廃絶するという暴力革命の理論が出てくるのである。
国家は、マルクスが示したように、法による政治的秩序のことである。国家権力は、そのための実行機関であり、無論、その組織も法による規定を受けている。「暴力組織」はその国家権力の一環にすぎない。
レーニンは、ブルジョア国家権力の破壊を、あくまで実体的に、まるでビルのような建物を暴力的に破壊するようなイメージで把握しているが、これは正しくない。ブルジョア国家の破壊とは、その法の体系を徹底的に改造してプロレタリアートの支配に適ったものに作り替え、同時にそれまでの国家権力を支えてきた官僚と軍隊や警察を解散して、プロレタリアートの指示に従う新たな官僚と軍隊や警察に入れ替えることである。ただし、イデオロギー的な権力としての性格、すなわち、法による支配と「中央集権的な力の組織」はそのまま続くのである。当然のことながら、このような革命には、暴力的措置が不可避ではあろうが。
したがって、共産主義への過渡期でも、法による支配と政治的秩序、すなわち国家と国家権力は残っているし、私的所有の関係を完全に払拭し貨幣が消滅して共産的な共同体に席を譲るまでには相当長い年月が予想されるから、その段階までこの制度は続くのであって、必ずしもブルジョア階級を抑圧する暴力組織が残っているわけではない。

レーニンの文章の中に、気になる表現がいくつかある。
まず、プロレタリアートの「独裁」を「何者とも分有を許さない、大衆の武装力に直接立脚した権力」としていることである。レーニンの言う意味は、プロレタリアの権力はブルジョア国家の権力に拘束されないということであろうが、取りようによっては、独裁が、法を無視した専制ということになってしまい、スターリンのような粛清に道を開くことに繋がる。マルクスの言う「独裁」とは、階級支配ということであって、それが専制という政治形態を取るのか、それとも普通選挙制度という形式的な民主主義という形態をとるのかとは別問題である。
また、「官僚制度と常備軍・・・の制度が、ほかならぬブルジョアジーと数千の糸で結びついている」と言っているが、現実にブルジョアジーと数千の糸で結びついていることを認めるにしても、国家権力がブルジョアジーの支配の道具であるのは、その直接的な結果ではない。
国家の法は、それぞれが関連して組み立てられており、エンゲルスの言葉を借りれば「生産を支配している階級の経済的諸要求の総括的な形での反映にすぎない」。(「フォイエルバッハ論」)つまり、イデオロギー的な権力として、内容的には、ブルジョア・イデオロギーを内包しているのである。そこで、国家権力を構成する官吏は、仕事として専ら法を取り扱うが、その結果、意識的にか自然成長的にかを問わず、個人的にもブルジョア・イデオロギーを身につけて行き、特に上級官僚になればなるほどそうなるのであり、支配的なブルジョア・イデオロギーを身に付けた官僚が中央集権の中核にあってこそ、国家のブルジョア的な法律の細目が設定でき、また施行できるのである。すなわち、個々の官僚の精神と法律が相互に浸透していくのである。その結果、国家権力がブルジョアジーの支配の道具となり、更にその結果、「ブルジョアジーと数千の糸で結びついている」ことになっていくのである。このような媒介関係を無視して、階級支配を論ずるべきではない。

6、第3章 国家と革命。 1871年のパリコミューンの経験。マルクスの分析

前節で示したように、プロレタリアートの独裁=労働者階級の政治的支配の具体的な形態を理論的に予想しようとすれば、その先に控えている「未来の国家組織」、マルクスやエンゲルスが「物の管理と生産過程の指揮」としての「共同体」といっている社会の形態を考慮に入れ、そこへの過渡的形態として把握せねばならない。
マルクス・エンゲルスは、その実例、正確に言えば、その萌芽形態を、パリコミューンに見た。そのことが、パリコミューンの崩壊直後にマルクスが書いた「国際労働者協会総評議会の呼びかけ」(「フランスにおける内乱」。以下、「内乱」とする。)に示されている。

レーニンに従ってパリコミューンの検討を進める前に、パリコミューンの基本的な性格を押さえておかねばならない。
エンゲルスは、「フランスにおける内乱」のドイツ語第3版への序文に、つぎのように書いている。
「パリ・コミューンを見たまえ。あれがプロレタリアートの独裁だったのだ。」
すなわち、パリコミューンはプロレタリアートの独裁であったと明確に述べている。
また、前後するが、レーニンも次章で取り上げているエンゲルスの「ベーベルあての手紙」の中に次の文章がある。
「自由な人民国家が自由国家にかえられています。文法的にいうと、自由国家とは、国家がその国民にたいして自由であるような国家、したがって、専制政府をもつ国家のことです。国家に関するこうしたおしゃべりは、いっさいやめるべきです。ことに、もはや本末の意味での国家ではなかったコンミューン以後は、なおさらそうです。プルードンを批判したマルクスの著作や、その後の『共産宣宣冨』が、社会主義的社会秩序が実現されるとともに、国家はおのずから解体し消滅する、とはっきりいっているにもかかわらず、われわれは「人民国家」のことで、無政府主義者からあきあきするほど攻撃されてきました。けれども、国家は、闘争において、革命において、敵を暴力的に抑圧するためにもちいられる一時的な制度にすぎないのですから、自由な人民国家についてうんぬんするのは、まったくの無意味です。プロレタリアートがまだ国家を必要とするあいだは、プロレタリアートは、それを自由のためにではなく、その敵を抑圧するために必要とするのであって、自由についてかたりうるようになるやいなや、国家としての国家は存在しなくなります。だから、われわれは、国家というかわりに、どこでも共同体ということばをつかうように提議したい。このことばは、フランス語の「コンミューン」に非常によくあてはまる、むかしからのよいドイツ語です。」
ここでは、パリコミューンは、本来の意味での国家ではなかったとし、しかもその後で、国家とは敵を暴力的に抑圧するためにもちいる過渡的な制度にすぎないとし、国家という代わりに共同体(共同社会)という言葉を使うよう提案しているのである。つまり、パリコミューンは、敵を抑圧するための暴力装置ではなく、その名の通り、コミューン=共同体であり、それがプロレタリアートの独裁であったというのである。

レーニンは、「フランスにおける内乱」の3章の詳細な検討に入る前に、まず、マルクスらの共産党宣言の序文(1872年)の次の言葉を取り上げる。
「とりわけコンミューンは、『労働者階級は、できあいの国家機構をそのまま奪い取って、自分自身の目的のために動かすことはできない』ということを証明した。」
彼はそれに加えて、「マルクスの考えでは、労働者階級は『できあいの国家機構』を粉砕し、打ち砕くべきであって、それをそのまま奪取するにとどまってはならないというのである。」
彼は、マルクスがクーゲルマンへあてた手紙の中から、次の文を引用している。
「そこで、私が、フランス革命のつぎの試みは、もはやこれまでのように官僚・軍事機構を一つの手から他の手に移すことではなくてそれを打ち砕くことである、と述べていることに気がつくであろう。そして、これは大陸におけるあらゆる真の人民革命の前提条件である。まさにこのことがわれわれの英雄的なパリの党同志たちが企てていることなのだ。」
レーニンは、このことから、第一に、「あらゆる真の人民革命の前提条件」は、「できあいの国家機構」を打ち砕き、破壊することであるとする。

次にレーニンは「粉砕された国家機構をなにととりかえるのか」と問いを立てる。
そこで、官僚的軍事的国家機構の取り換えの第一は、次のとおりである。
「コンミューンの最初の命令は、常備軍を廃止し、それを武装した人民ととりかえることであった」。

これには若干の説明が必要だろう。(以下、補注3参照)
当時パリには、二つの軍隊があった。常備軍、すなわち正規の軍隊と国民軍である。国民軍というのは、1789年に大革命の際に自然発生的に組織され、その後政府によって公式に認められ、25歳から50歳のフランス国民が義務として加入するものとなっていたが、歴代政府はプロレタリアの手に武器が渡るのを恐れ、訓練も受けさせず、名目だけのものにしていた。しかし、プロシャとの戦争で正規軍がパリから国境に派遣・釘付けになり、パリに迫りくるプロシャ軍に対抗する軍隊が必要になり、国民軍が再び組織されたというわけである。しかしそれでも、できるだけプロレタリアに武器を渡さないように配慮されていた。
だからマルクスも次のように書いている。
「しかし、パリの労働者階級を武装させ、これを戦闘力ある軍隊に組織し、その隊列を戦争そのものによって訓練しないかぎり、パリを防衛することは不可能であった。だが、武装したパリとは、武装した革命ということであった。プロイセンの侵略者にたいするパリの勝利は、フランスの資本家とその国家寄生者にたいするフランスの労働者の勝利となったであろう。」(「内乱」)
しかし、プロシャ軍のパリ包囲を前に、国民軍はしだいに内部連絡網を作り、自主的に代表者の委員会=パリ20区中央委員会を選出し、自立性を高めてきた。この委員会は、マルクスらの指導するインターナショナルのメンバーの労働者代表によって支持されていたが、彼らはマルクスらの忠告にも関わらず、プロシャ軍と徹底抗戦を決意していた。その国民軍が切迫した状況によって武器を手にし、自ら軍事訓練を施し、旧軍人の天下り司令部を排除し、自らの指揮官を選出したのである。それは、プロシャ軍がパリに入場する日が目前となった時に、行動となって現れた。
「国民軍はみずから改組し、旧ボナパルト派部隊のいくらかの残片を除く全部隊によって選出された中央委員会に、その最高指揮権をゆだねた。プロイセン軍がパリに入城する前夜、中央委員会は、プロイセン軍が占領することになっていた当の諸地区内やその付近に投降者たちが裏切的に遺棄しておいたカノン砲やミトライユーズ機関砲を、モンマルトル、ベルヴィル、ラーヴィレットに移す処置をとった。これらの大砲は、国民軍の献金で調達されたものであった。」(「内乱」)パリのこの地区は、いわゆる労働者街であった。
この国民軍の大砲を奪おうとしたティエールの企てが失敗したとき、国民軍は自らをパリの支配者とした。
「ティエールは、ヴィノアをやって、多数の警官と戦列軍数個連隊とを率いてモンマルトルヘの夜襲をおこなわせ、そこの国民軍の大砲を不意打ちによって奪取させようとしたことで、内乱を開始した。この企てが、国民軍の抵抗と、また戦列車が人民と交歓したためとで失敗したことは、よく知られている。」
「パリがよく抵抗することができたのは、まったく、攻囲の結果パリが軍隊を厄介ばらして、大部分労働者からなる国民軍とおきかえていたおかげであった。この事実は、いまや一つの制度とされなければならなかった。そこで、コミューンの最初の政令は、常備軍を廃止し、それを武装した人民とおきかえることであった。」(以上「内乱」)

武器奪還の策謀が失敗したとき、ティエールらは、政府をパリから隣接するヴェルサイユに退却させた。国民軍は、各官庁の差し押さえは行なったものの、官庁の引っ越しは、公然と行なわれたようである。そこで、パリは、いわば政治的には、もぬけの殻になったわけである。それを埋めようとしたのが、パリコミューンであった。国民軍中央委員会は、そのための選挙を直ちに行なった。そうして選挙が終わったとき、中央委員会はその権限を新たに選出されたコミューン議会に譲ることになった。
だから、政府官庁に関して言えば、パリの労働者階級は、マルクスの言う「できあいの国家機構」の抜け殻だけを手にしたわけである。その中に、新たに自らの階級の中から選んだ代替を入れようとした。その上で、新たな政令を発して、「自分自身の目的のために動か」そうとしたのである。これが、「官僚・軍事機構を・・・打ち砕く」ということの意味である。

「コミューンは、市の各区での普通選挙によって選出された市会議員で構成されていた。彼らは、責任を負い、即座に解任することができた。コミューン議員の大多数は、当然に、労働者か、労働者階級の公認の代表者かであった。コミューンは、議会ふうの機関ではなくて、同時に執行し立法する行動的機関でなければならなかった。警察は、これまでのように中央政府の手先ではなくなり、その政治的属性をただちに剥ぎとられて、責任を負う、いつでも解任できるコミューンの吏員に変えられた。行政府の他のあらゆる部門の吏員も同様であった。コミューンの議員をはじめとして、公務は労働者なみの賃金で果たされなければならなかった。」(「内乱」)

このようなコミューンの議会と政府の性格について、レーニンは、「支配階級としてのプロレタリアートのこの組織化」と「もっとも完全で徹底した『民主主義をたたかいとること』」という観点から評価する。
「こうして、コンミューンは、破壊された国家機構をいっそう完全な民主主義ととりかえたに『すぎない』、すなわち、常備軍を廃止し、すべての公務員の完全な選挙制と解任制を採用したに『すぎない』ように見える。ところが実際には、この『すぎない』という言葉は、ある制度を、原則的に異なる他の制度と大々的にとりかえることを意味する。ここにほかならぬ『量から質への転化』の一事例が認められる。すなわち、民主主義は、およそ考えられるかぎりもっとも完全に、もっとも徹底的に遂行されると、ブルジョア民主主義からプロレタリア民主主義へ転化し、国家(=一定の階級を抑圧するための特殊な力)から、もはや本来の国家でないあるものへ転化する。」
実はここにも、レーニンの理論的限界が、示されている。厳密に言えば、マルクスは、パリコミューンに「量から質への転化」を見たのではない。その裏に隠れている「市民社会と政治的国家との現実の世界の二重化」の解消の萌芽(本論の2、3節参照)を、否定の萌芽を見たのである。
マルクスは言う。
「旧来の政府権力の純然たる抑圧的な諸機関は切りとられなければならなかったが、他方、その正当な諸機能は、社会そのものに優越する地位を簒奪した一権力からもぎとって、社会の責任を負う吏員たちに返還されるはずであった。普通選挙権は、支配階級のどの成員が議会で人民のにせ代表となるべきかを、三年ないし六年に1度きめるのではなくて、およそどこかの雇い主がその事業のために労働者や支配人をさがすさいに、個人的選択権が彼の役に立つのと同じ仕方で、コミューンに組織された人民の役に立たなければならなかった。」
「コミューンのほんとうの秘密はこうであった。それは、本質的に労働者階級の政府であり、横領者階級にたいする生産者階級の闘争の所産であり、労働の経済的解放をなしとげるための、ついに発見された政治形態であった。」(以上「内乱」) このような政治形態=政治的上部構造に対応する経済的土台が、「多数の人間の労働を少数の人間の富と化する、あの階級的所有を廃止し」、「現在おもに労働を奴隷化し搾取する手段となっている生産手段、すなわち土地と資本を、自由な協同労働の純然たる道具に変えることによって、個人的所有を事実にし」、「協同組合の連合体が一つの共同計画にもとづいて全国の生産を調整し、こうしてそれを自分の統制のもとにおき、資本主義的生産の宿命である不断の無政府状態と周期的痙摯〔恐慌〕とを終わらせる」ことなのである。このような土台と上部構造との矛盾には、根本的に敵対的なものは存在していない。このことこそが、重要なのである。

レーニンは、特に「すべての国家公務員の俸給の『労働者なみの賃金』水準への引下げ」に注目する。
「この点でとくに注目に値するのは、マルクスが強調しているコンミューンのとった措置、すなわち、あらゆる交際費や官吏の金銭上の特権の廃止、すべての国家公務員の俸給の『労働者なみの賃金』水準への引下げである。まさにこの点に、ブルジョア民主生義からプロレタリア民主主義への、抑圧者の民主主義から被抑圧階級の民主主義への、一定の階級を抑圧するための『特殊な力』としての国家から、人民の多数者である労働者と農民の全体の力による抑圧者の抑圧への急転換がもっとも明瞭に現われている。」
「資本主義文化は、大規模生産、工場、鉄道、郵便、電話その他をつくりだした、そして、これにもとづいて、旧『国家権力』の機能の大多数は、非常に単純化され、登録、記入、点検といった、きわめて単純な作業に帰着させることができるので、これらの機能は、読み書きのできる者ならだれにも容易にできるものとなり、またこれらの機能は普通の『労働者なみの賃金』で容易に遂行できるようになり、これらの機能から、特権的なもの、『上司』的なものの色合いを完全にとりのぞくことができる(またそうしなければならない)。」
この理解には、二つの側面を指摘しておかねばならない。 一つは、レーニンも言うように、政治的活動に専門家を必要としないということである。ただし、全く専門家がいらないということではない。特権的で高給を与えられる職業的な議員や官吏から、「労働者並みの賃金」を与えられる議員や吏員の「労働者、監督、簿記係」にするということなのである。
このことは、議会制度とも関係する。
「議会制度からの活路は、もちろん、代議機関と選挙制の廃棄にあるのではなく、代議機関をおしゃべり小屋から『行動的』団体へ転化することにある。」
「コミューンは、ブルジョア社会の金しだいの腐敗した議会制度を、判断と審議の自由が欺瞞に堕することのないような制度でおきかえる。なぜなら、議員は、みずから活動し、みずから法律を実施し、実際上の結果をみずから点検し、自分の選挙人にたいしみずから直接責任を負うべきものだからである。代議制度はのこっているが、しかし、特殊な制度としての、立法活動と執行活動との分業としての、議員のための特権的地位としての、議会制度は、ここにはない。」
「資本主義は『国家』行政の諸機能を単純なものにする。それは『指揮統率』をやめて、社会全体の名において『労働者、監督、簿記係』を雇うプロレタリア(支配階級としての)の組織に万事を帰着させることを可能にする。」
もう一つは、「社会主義賃金論」の萌芽として把握することである。ここでは、三浦つとむ氏の「レーニンから疑え」から、多少長くなるが引用させていただく。
「社会主義社会においては、労働力を商品として等価交換するという、賃金制度の本質的な部分が打ち破られ、生産力の増大とともに生活資料として分配される部分も増大していく。しかし、労働に対して賃金を受けとるという形態はまだ残っており、やがてはこの形態も清算されることになろう。それゆえ、社会主義という過渡期における賃金政策は、賃金の本質に対する正しい理解の上に立って、賃金制度を克服する方向へ意識的・計挙Iに押しすすめられなければならない。・・・社会主義革命は生活の生産関係の根本的な変革であって、生活資料の生産関係ばかりでなく労働者自身の生産関係もまた根本的に変革されることを必要としている。そしてこの観点に立つとき、いくつかの重要な政策が必要になってくる。まず、社会主義の初期には、旧社会で個人あるいは家族が養育費を負担した労働者がすくなくないのであるから、賃金とは別にある程度の補償を行うことになろう。これは結果として熟練労働者がヨリ多くの収入を得ることになるが、その補償は一定の期間に限られているばかりでなく、賃金についての正しい教育が行われるわけである。つぎに、学校教育に必要な教科書・学用品その他をすべて無料とし、高級学校を卒業しても多くの賃金を与えないことにする。職場の労働者が働きながら教育を受ける場合も同じである。さらに労働力を健康に維持するために、医療もすべて無料でなければならない。これらは、資本主義的な発想からぬけ切れない観察者からは「社会保障」に見えるが、資本主義国家においては教育も医療も原則として個人負担であり、特殊の場合にのみある程度の公的負担が行われるのに対して、社会主義社会においては原則として無料だという点で本質的に異っている。」
「フルシチョフも賃金制度が歪められていることを自覚していない。彼は第21回大会で「同一労働に同一賃金という原則にもとずく社会主義的分配」といった。否、これは資本主義の原則である。 養育費を社会が負担する社会主義では、『異質労働に同一賃金』こそが原則なのである。」

ところで、パリコミューンが、マルクスらのインターナショナルに指導されたものでなかったことに注意せねばならない。
パリコミューンの指導層に思想的に影響を及ぼしていたのは、プルードン主義と無政府主義者のブランキであったと言われるが、プルードンはすでに死んでおり、ブランキは敵の獄中にあった。この二人の思想的な弟子は居たが、実際の活動に関しては、プルードンやブランキの影響はなかったようである。切羽詰まった中での自然発生的な革命主義とも言うべき雰囲気が全体を覆っていたものであろう。まさしく無産大衆の自発的蜂起であったのであろう。それだからこそ、彼らに見合った議会と政府を持つことになったのであろう。
ただ、コミューンの内部は一枚岩ではなかったようである。実質的な指導者であるドレクリュウズもコミューン全体を纏め上げていたとはいえないし、国民軍中央委員会もときどき口をはさんできていた。自然発生的であったが故に、レーニンのような政治的指導者と統一的な理論的指導原理を欠いていたのであろう。それだからこそ、内部的混乱を避け得なかったといえるし、また、レーニンが適切にも指摘したコミューンの原則が、法則性として把握できるということであろう。
それ故、コミューンは、その正直さと準備不足もあって、多くの決定的ともいえる誤りを犯した。
「当時完全に無力であったヴェルサイユにただちに進撃し、こうしてティエールとその田舎地主たちの陰謀の息の根をとめなかったという点」、「その賢明なことと穏健なこととで特筆すべきものである」「コミューンの財政方策」などである。ヴェルサイユへ逃亡できなかった市中にあるフランス銀行には夥しい資金が眠っていたのだが、コミューンの側はそれを知らず差し押さえなかった。
「コミューンの偉大な社会的方策は、行動するコミューンそのものの存在であった。コミューンの個別的な諸方策は、人民による人民の政府のすすむべき方向を示すことしかできなかった。」(「内乱」)
このことばに、2か月余という短命に終わったコミューンの政治的方策が、見事に示されている。

「国民の統一は破壊されるのではなく、反対に、コミューン制度によって組織されるはずであった。みずから国民の統一の具現であると、しかも国民そのものから独立し国民そのものに優越する具現であると主張しながら、そのじつ、国民の身体に寄生する肉瘤にすぎなかった、あの国家権力が破壊される結果として、この統一が現実となるはずであった。」(「内乱」)
レーニンは、「国民の統一を組織すること」という表題の下に、「内乱」のいくつかの文章を引用し、次のように説明を追加している。
「だが、もしプロレタリアートと貧農が国家権力を奪取して、まったく自由にコンミューンにならってみずからを組織し、すべてのコンミューンの活動を統合して、資本に痛撃をくわえ、資本家の反抗を打破し、鉄道、工揚、土地等の私有を全国民に、全社会に移すなら、これは中央集権制にならないだろうか? これはもっとも徹底した民主主義的中央集権制、しかもプロレタリア的な中央集権制にならないだろうか?」
「マルクスは、自分の見解が歪曲されるかもしれないことを予見するかのように、わざわざ強調して、コンミューンが国民の統一を廃絶し、中央集権制を廃止することを望んだかのようにコンミューンを非難することは、意識的な捏造だと言っている。マルクスは、意識的・民主主義的・プロレタリア的中央集権制を、ブルジョア的・軍事的・官僚的中央集権制に対置するために、わざわざ「国民の統一を組織する」という表現をつかっているのである。」
ところで、国民の統一は、コミューンによってはじめて組織されるものであろうか。
「大国民の統一は、はじめは政治的強力によってつくりだされたとはいえ、いまでは社会的生産の有力な一要囚となっているのであるが、コミューン制度は、この大国民の統一を、モンテスキューやジロンド党員が夢想したような小国家の連邦に分解しようとする試みのように、思いちがいされた。」(「内乱」)
マルクスが、「大国民の統一は、はじめは政治的強力によってつくりだされたとはいえ、いまでは社会的生産の有力な一要因となっている」と言っているように、「大国民の統一」は、資本主義的土台に対応する政治的上部構造の重要な一側面なのである。プロレタリア独裁は、ブルジョア国家の階級抑圧の側面は「切り取る」が、この側面は受け継ぐのである。

補注3) パリコミューンの参考書
パリ・コミューンを理解するためには、「フランスの内乱」だけでは不十分である。そこで、私は、大仏次郎の「パリ燃ゆ」(朝日新聞社刊。旧版には、新装版にない挿絵があり、当時を想像するのに参考になる。)を参考にした。国民軍などの知識も、この本に基づくものである。このほかに、リサガレーの「パリコミューン」もある。
4) 「社会主義賃金論」については、「レーニンから疑え」三浦つとむ著(芳賀書店)から、引用した。

7、第4章 つづき。エングルスの補足的な説明

次にレーニンは、パリコミューンの経験に関するエンゲルスの説明を取り上げ、エンゲルスによる自らの理論の確証を得ようとしている。それは、1871年5月のパリコミューン以降のエンゲルスの諸論文に記載されているはずである。
前節で指摘したレーニンの国家論=階級抑圧機関論の欠点がここでも再現されている一方、そこから見落とされる点について、更に取り上げて見る。

レーニンが最初に取り上げたのは、「住宅問題」(1872年)である。この論文には、プルードンとブルジョアの論客の、貧困に陥ったドイツ労働者の住宅問題の解決法が取り上げられてあるが、この中では、エンゲルスは、コミューンの事は直接的にはあまり語っていない。
レーニンが取り上げた引用文とその解説の一部を引用する。
「しかし、いまでももう大都市には、それを合理的に利用しさえすれば真の『住宅難』のすべてをたちどころに緩和するのに十分な住宅があるということだけは確かである。これはもちろん、今日の所有者から収用するか、彼らの家に、家をもたない労働者、またはいままでの住宅に過度に詰めこまれていた労働者を住まわせることによって、はじめてできることである。そして、プロレタリアートが政治権力を奪取するやいなや、そうした公共の福祉の命じる方策は、今日の国家による他の収用や宿舎割当てと同様に容易に実行できるものとなろう。」(「住宅問題」レーニンの引用文から)
「ここでは、国家権力の形態の変更は考察されずに、国家権力の活動内容だけがとりあげられている。収用や宿舎割当ては今日の国家の指令によっておこなわれている。プロレタリア国家もまた形式的な面から見れば、宿舎割当てや家屋の収用を「指令する」であろう。しかし、従来の執行機関、ブルジョアジーと結びついた官僚は、明らかに、プロレタリア国家の指令を実行するには、まったく役にたたないであろう。」
「労働人民によるいっさいの労働用具の『現実の掌握』、全産業の占取は、プルードン主義者の『買い取り』とは正反対だということである。後者のばあいには、個々の労働者が住宅、農揚、労働用具の所有者になるが、前者のばあいには、『労働人民』が家屋、工揚、労働用具の総所有者なのであり、その用益権は、すくなくとも過渡期のあいだは、費用の弁償なしに個人または団体に委譲されることはほとんどないであろう。それはちょうど、土地所有の廃止が地代の廃止ではなく、形を変えてではあるが、地代を社会に委譲することであるのと同じことである。だから、労働人民がいっさいの労働用具を事実上掌握しても、それは、けっして賃貸借関係の維持を排除するものではない。」(「住宅問題」レーニンの引用文から)
「エンゲルスは、きわめて慎重な表現をつかって、プロレタリア国家は「すくなくとも過渡期のあいだ」は、住宅を無償で割り当てることは「ほとんどないであろう」と言っている。全人民のものである住宅を、個々の家族へ有料で貸し付けることは、家賃の取立てとか、一定の管理とか、住宅割当てのなんらかの基準とか、を前提とする。すべてこうしたことは、一定の国家形態を必要とするが、しかし、特殊な軍事・官僚機関ととくに特権的な地位にある公務員とを必要とするものではけっしてない。だが、住宅の無料貸付けが可能となるような状態への移行は、国家の完全な「死滅」と結びついている。」
ここでは、エンゲルスは、政治的国家と市民社会の二重化という観点に立って、政治的権力による市民社会の改造を取り上げているのであるが、レーニンは、それを「国家権力の活動内容」としてしか把握していない。
レーニンにとっては、国家=国家権力=国家機関という図式が成り立つ。そうすると、法による社会の政治的変革の過程が、単なる国家機関の行為=「国家権力の活動内容」に矮小化されてしまう。法による支配が、国家機関の「指令」になり、「一定の管理とか、なんらかの基準とか」が、国家機関による活動のみにより左右されるようになる。このことはまた、国家機関の過大評価ともなって現れる。国家機関の「民主主義」の完成・徹底が、過大評価され、それによって「量から質への転化」、ブルジョア民主主義からプロレタリア民主主義への転化として把握されてしまった。
ところで、エンゲルスが「けっして賃貸借関係の維持を排除するものではない」と言っている点に注意をしておこう。詳細はレーニンに沿って次節で議論することになるが、「過渡期」においては、資本主義的取得関係は廃止されるが、価値関係は維持されるのである。

次は、エンゲルスの「権威原理について」(1874年)に関して、である。
「マルクスは、―彼の無政府主義との闘争の真の意味が歪曲されることのないように―プロレタリアートに必要な国家の「革命的・過渡的な形態」をわざわざ強調している。プロレタリアートには国家は一時必要であるにすぎない。・・・われわれは、この目標を達成するために、搾取者に反対して国家権力の道具、手段、方法を一時もちいる必要があると主張する。マルクスは、無政府主義者に反対して、つぎのような、・・・問題提起を選んでいる。労働者は、資本家の束縛を断ち切るさい、「武器を棄てる」べきか、それとも、彼らの反抗を打ち砕くためにそれを彼らにむかってもちいるべきか、と。ところで、一階級が他の階級にむけて系統的に武器をもちいること、それは国家の過渡的形態でなくてなんであろうか?」
レーニンは、エンゲルスの次の文を引用し結論する。
「きたるべき社会革命の結果として、政治的国家が、それとともに政治的権威が消滅するであろうということについては、社会主義者はみな意見が一致している。これはつまり公的諸機能はその政治的性格を失って、社会の真の利益を監視する単純な管理機能に変わるであろう、ということである。しかし、反権威主義者は、権威的な政治的国家を生みだした社会的諸条件がまだ一掃されないまえに一挙にそれを廃止するように要求する。・・・革命は、たしかに、およそこの世の中でもっとも権威的な事柄である。それは、住民の一部が、小銃や銃剣や大砲、つまりおよそ考えられるもっとも権威的な手段をつかって、自分の意志を住民の他の部分におしつける行為である。そして、勝利した党は、その戦いをむだに終わらせたくないなら、彼らの武器が反動どもによびおこす恐怖によって、この支配を持続させなければならない。もしパリ・コンミューンがブルジョアにたいして武装した人民のこの権威を行使しなかったとしたら、コンミューンはただの一目でももちこたえたであろうか?それどころか、コンミューンは、この権威を十分広範に行使しなかったという点で非難されなければならないのではあるまいか?」(「権威原理について」レーニンの引用文から)
「エングルスは問題をこう提起した。無政府主義者は、革命というものを、その発生と発展において、暴力、権威、権力、国家についての革命の特殊な諸任務において、見ようとはしないのである。・・・エングルスはいわゆる牡牛の角をつかんで〔急所をつかんで〕、コンミューンは、国家の、すなわち支配階級として組織された武装したプロレタリアートの、革命的権力を、もっと行使すべきではなかったか、とたずねている。」
レーニンの観点からの論点は明確であるので、論評は不用であろう。しかし、ここでは別の観点からの注意を喚起しておきたい。エンゲルスは次のように、この短い論文の最初の方で確認している。
「ここで用いられている意味の権威とは、他人の意志をわれわれの意志に従わせることである。だから権威というものは、反面において従属を前提としているのである。」 「かりに、ある社会革命が、その権威がこんにち富の生産と分配のすべてをつかさどっている資本家たちを駆逐した、と仮定しよう。完全に反権威主義者の立場にたつために、土地と労働手段とが、それらを使用する労働者たちの共同所有に帰した、と仮定しよう。この場合に、権威は消滅するだろうか、それともそれはその形態だけをかえるのだろうか? 仔細に考察してみよう。」
「われわれがすでにみたとおり、なんびとによって代表されようと、一方におけるある種の権威、他方におけるある種の従属は、社会組織とは無関係に、われわれが財貨を生産流通させる物質的諸条件とともに、いやおうなしに自分をおしつけてくるところのものである。」
この文を前提にして先のエンゲルスの引用文を読むと、エンゲルスは、権威を意志の支配従属関係として理解し、それがあらゆる組織に必要であることを認めており、したがって、革命によって「公的諸機能はその政治的性格を失い、社会的利害を監視するという単純な行政機能に変わる」というのは、市民社会と国家への二重化が消滅することによって、国家における政治的意志の支配従属関係が政治的外皮を剥ぎ取られ、単なる管理機能に変化するということだと理解できる。

次にレーニンは、前節で掲げた、エンゲルスがベーベルへ宛てた手紙(1875年3月)を取り上げる。
これに対するレーニンの説明は、以下である。
「コンミューンが住民の多数者ではなしに、少数者(搾取者)を抑圧しなければならなかったかぎり、それは国家ではなくなりつつあった。コンミューンは、ブルジョア国家機構を粉砕した。特殊な抑圧力に代わって、住民自身が登揚した。すべてこうしたことは、本来の意味の国家からそれたことである。そして、もしコンミューンが強固なものになったなら、そのなかの国家の痕跡はひとりでに「死滅し」、コンミューンには、国家機関を「廃止する」必要はなかったであろう。国家機関は、なにもすることがなくなるにつれて、その機能を停止したであろう。」
レーニンは、あくまで自己流に、コミューンが「少数者(搾取者)を抑圧しなければならなかった」限りで「完全な民主主義」を実現し、「コンミューンが強固なものになった」ならば、この「完全な民主主義」が「死滅」すると解釈している。
これ以上の問題は、後節で取り上げるので、ここでは議論しない。ただ、レーニンは、エンゲルスの真意を理解していないとだけ言っておこう。それは、マルクスの手紙を取り上げるときに明らかとなる。

次に取り上げたのは、1891年6月に書かれたエンゲルスからカウツキーへの手紙、いわゆる「エンフルト綱領批判」である。レーニンは、その中の「政治的諸要求」を取り上げ、共和制、連邦制、地方自治の問題についてエンゲルスの意見を確認している。
「第一の点。もしこの世に、なにか確かなことがあるとすれば、それは、わが党と労働者階級とが、ただ民主的共和制の形態のもとでのみ支配権に到達することができるということである。この民主的共和制は、すでにフランスの大革命がしめしたように、プロレタリアートの独裁のための特有の形態でさえある。」(「エンフルト綱領批判))
「エンゲルスは、ここで、マルクスのすべての著作を赤い糸のようにつらぬいている根本思想、すなわち民主的共和制はプロレタリアートの独裁にまぢかに接近することであるということを、とくにはっきりしたかたちでくりかえしている。なぜなら、民主的共和制は、・・・不可避的に階級闘争のいちじるしい拡大、展開、露出、激化をもたらすので、いったん被抑圧大衆の根本的利益を満足させる可能性が生じるやいなや、この可能性は、かならずまたもっぱら、プロレタリアートの独裁によって、プロレタリアートによる被抑圧大衆の指導によって、実現されるからである。」
「私の考えでは、プロレタリアートがつかうことのできるのは、単一不可分の共和国の形態だけである。・・・ドイツにとっては連邦制的スイス化は、ひどい退歩であろう。・・・それに、だいたいわれわれの「連邦国家」にしてからが、すでに統一目家への過渡なのである。・・・だから、統一共和国ということになる。しかし、それは今日のフランス共和国のような意味の共和国ではない。これは、1798年に創立された帝国から皇帝を引きさっただけのものである。1792年から1798年までのあいだ、フランスの各県、各市町村は、アメリカ型の完全な自治をもっていた。そして、われわれもまたこれをもたなければならない。どのようにして自治制を組織すべきか、そしてどのようにすれば官僚なしにやってゆけるかは、アメリカとフランスの第一共和国とがわれわれに照明してくれたし、またオーストラリア、カナダ、その他のイギリスの植民地がいまなおこれを証明している。そして、このような州および市町村の自治制は、たとえばスイスの連邦制などよりはるかに自由である。」(「エンフルト綱領批判))
「マルクスもそうであるが、エンゲルスは、プロレタリアートとプロレタリア革命の見地から、民主主義的中央集権制、単一不可分の共和国を主張している。彼は、連邦共和制を、例外で発展の障害物であるか、さもなければ君主制から中央集権的共和制への過渡であり、一定の特殊な条件のもとでの「一歩前進」であるか、どちらかだと見ている。そして、この特殊な条件のうちでおもだったものは民族問題である。」
「連邦共和制よりも大きな自由を与えたのは、真に民主主義的な中央集権的共和制であった。言いかえれば、地方や州その他のものの歴史上最大の自由は、連邦共和制によってではなく、中央集権的共和制によって与えられたのである。」

エンゲルスは、マルクスの『フランスにおける内乱』ドイツ語第3版(1891年)への序文で、パリコミューンの経験を総括している。レーニンはこれを取り上げて、みずからの論点を整理している。
レーニンは、国家と国家権力を同一視し、国家権力、すなわち、官僚・軍事機構という国家機構を労働者に占拠させたのが、パリコミューンであるとする。確かに実体的にはその通りであろう。
しかし、何度も言うように、国家と国家機構とは同一ではない。第2節で示したように、国家は市民社会の政治的秩序である。そこで、重要なのは、政治的秩序をブルジョア的なものからプロレタリア的なものに変換することである。これは、政治的秩序を決定する国家意志にプロレタリアの利益(状況に支配される大衆の意志ではない!)を反映させることである。そのためにパリコミューンは何をしたか。
「それまで統治にあたってきた国民軍中央委貝会は、まずもって悪評高いパリ「風紀警察」の廃止を命令してから、コミューンにその権力を譲った。30日に、コミューンは徴兵制と常備軍を廃止して、兵役に耐えるすべての市民の属すべき国民軍が唯一の武装力であると宣言した。コミューンは、1870年10月から〔1871年〕4月までの家賃をすべて免除し、すでに支払ずみの金額は将来の賃借期間に充当することとし、また市設質屋が質物を売るのをいっさいやめさせた。同じ日、コミューンに選出された外国人たちがその職務を確認された。というのは、「コミューンの旗は世界共和国の旗である」からだった。−4月1日、コミューンの吏員の俸給、したがってまたコミューン議員自身の俸給も、最高6000フラン(4800マルク)をこえてはならないと決定された。その翌日には、教会を国家から分離し、宗教上の目的のためのあらゆる国家支出を廃止し、またいっさいの教会財産を国有財産とすることが命令された。その結果、4月8日には、いっさいの宗教的象徴、聖像、教理、祈祷、つまり「個々人の信念の領分に属するすべてのもの」を学校から追放することが命令され、しだいに実行された。・・・4月16日には、コミューンは、工場主の手で閉鎖された工場の統計表を作成することを命じ、またこれまでその工場で働いていた労働者を協同組合に結合してこれらの工場の経営にあたらせ、さらにそれらの協同組合を一大連合体に組織する計画の立案を命令した。−20日には、コミューンは、パン焼工の夜業を廃止し、また第二帝政以来警察の指定した手合―つまり、第一級の労働者搾取者たち―が独占的にいとなんできた職業紹介所を廃止した。この仕事はパリの20の区の区役所に移管された。―4月30目には、コミューンは質屋の廃止を命令した。質屋は、私人による労働者の搾取で、自分の労働用具を所有し信用をうける労働者の権利と矛盾するから、というのであった。・・・」
「こうして、それまで外国の侵略との闘争によって陰に押しやられていたパリの運動の階級的性格が、3月18日以後するどく、くっきりと現われてきた。コミューンに席を占めたのは、ほとんど労働者か定評ある労働者の代表者だけだったので、その諸決定も断然プロレタリア的な性格をおびていた。それらの決定が命じていた改革は、共和主義的ブルジョアジーが怯儒なためにだけ実行を怠ったもので、労働者階級の自由な行動のための欠かしえない基礎であるような改革−たとえば、宗教は国家にとっては私事にすぎないという原則の実施のような―であったか、あるいは、コミューンは直接に労働者階級の利益になり、部分的に旧社会秩序に深く切りこむような決定を公布したか、どちらかであった。しかし、敵の攻囲下の都市では、それらはみな、せいぜい実現の糸口をつけることしかできなかった。」(「内乱への序文」)
このような労働者階級の利益に奉仕する法を施行しようとすれば、それに見合った国家機構を持たねばならない。ブルジョア的には必要であっても、プロレタリア的には不必要という機構もあって、根本的な機構改革が要請される。どの機構を残し、どの機構を切り取るか、どのような新たな機構をつけ加えるか、このような課題を整理するためには、特に、国家機構を構成する吏員に対しては、彼らが身に帯びているイデオロギーを問題とせねばならない。もし、プロレタリア的な意識を持たない者が入り込むと、新たな機構の機能が失われるからである。そのためにコミューンは、次のような確かな保障を確保した。
「コミューンは、そもそものはじめから、次のことを認めないわけにはいかなかった。すなわち、労働者階級はいったん支配権を獲得したなら、古い国家機構を用いてものごとを運営してゆくことはできないということ、この労働者階級は、いま獲得したばかりの自分の支配権をまたもや失うまいと思えば、一方では、これまで彼ら自身にたいして用いられてきた古い抑圧機構をすべて取りのぞかなければならず、他方ではまた、彼ら自身の議員や役人はすべていかなる例外もなくいつでも解任できることを宣言することで、この人々からの自分の安全を確保しなければならない、ということである。」
「このように国家と国家機関とが社会の従僕から社会の主人に転化するのは、これまでのどの国家でも避けられないことであったが、コミューンは、そうならせないために二つの確実な手段を用いた。第一に、行政、司法、教育上のいっさいの地位への任命は、関係者の普通選挙権によっておこない、しかもその関係者がこれをいつでも解任できることにした。また第二に、その地位が高いと低いとにかかわりなく、あらゆる職務にたいしてほかの労働者なみの賃金しか払わなかった。総じてコミューンが払った最高の俸給は、6000フランであった。こうして、地位争いや出世主義をしめだす確かな閂がかけられたのであって、そのうえ代議機関への代表にたいする拘束委任制さえきめたのは、なくもがなのことであった。」(「内乱への序文」)

まず、レーニンは、エンゲルスが「フランスでは、どの革命のあとでも、労働者は武装していた」と書いていることに注目し、「被抑圧階級が武器をもっているかどうか?」に注意を促す。
更に、同じくコミューンが行なった「宗教は国家にとっては私事にすぎないという原則」を命令したと指摘していることに対し、「宗教は党にとって私事であると言言し、こうして革命的プロレタリアートの党を卑俗きわまる『自由思想家的』俗物根性の水準にひきおろした、ドイツ日和見主義の急所をついていた。この俗物根性は、すすんで無信仰状態を認めはしたが、しかし人民をおろかにする宗教的アヘンにたいする党の闘争という任務を否認するものであった。」と言っている。
その後で、彼はエンゲルスの総括から、次のような結論を引き出している。
「エンゲルスは、君主制ばかりでなく、民主的共和制でも、国家は依然として国家であること、すなわち、国家は公務員、『社会の従僕』、社会の諸機関を社会の主人に転化させるというその基本特徴を保持していることを、くりかえし強調している。」
「ここでエンゲルスは、徹底した民主主義が、一方では社会主義へ転化するが、他方では社会主義を要求するという、興味ある限界点に近づいている。なぜなら、国家を廃絶するためには、国家公務の諸機能が、住民の大多数のものに、あとでは全住民ひとりひとりにも、手におえる、こなすことのできる、統制と計算の単純な作業にならなければならないからである。ところで、立身出世主義を根絶するためには、国家公務上の『栄誉ある』職務が、たとえそれが無給であっても、銀行や株式会社内の高給をはむ地位へ跳躍するかけ橋となる―これがすべてのもっとも自由な資本主義国においてさえたえずおこなわれていることであるが―ことができないようにすることが必要である。」
前節で見たレーニンの「量質転化」の一例である。レーニンは、ブルジョア国家の「廃絶」の後に来るプロレタリア国家では、「完全な民主主義」が実現し、そのプロレタリア国家の「完全な民主主義」が「死滅」されて共産主義国家に至ると考えているので、こういう表現になるのである。だから、次のように言う。
民主主義を徹底的に発展させること、そうした発展の諸形態をさがしだすこと、それらの形態を実践によって試験すること等々、すべてこうしたことは、社会革命のための闘争を構成する任務の一つである。個別的には、どのような民主主義も社会主義をもたらすものではない。だが、実生活では、民主主義は、けっして『個別的にある』ものではなく、他のものと『一体をなす』、それは経済にたいしてもその影響をおよぼし、経済の改革を促し、経済的発展の影響をうける、等々。これが生きた歴史の弁証法である。」
レーニンは、国家権力の改革、すなわち、「国家公務の諸機能」を、「全住民ひとりひとりにも、手におえる、こなすことのできる、統制と計算の単純な作業」とし、「交際費や官吏の金銭上の特権の廃止、すべての国家公務員の俸給の『労働者なみの賃金』水準への引下げ」を行なうことを強調しているが、国家と国家権力を規定する法を形成する実体を成す国家の意志については、注意を払っていない。

エンゲルスは、「内乱への序文」の最後に、次のような説明を加えている。
「ほかならぬドイツでこそ、国家にたいする迷信が、哲学からブルジョアジーの、それどころか多くの労働者さえもの一般意識のなかに、もちこまれているからである。哲学的な考え方からすれば、国家は「理念の実現」である。すなわち、哲学的な用語に翻訳された地上の神の国であり、永遠の真理と正義が実現されているか、あるいは実現されるべき領域である。そして、そこから次に、国家と国家に関連するあらゆる事物とにたいする迷信的崇拝が生まれてくる。そして、人々は子供のときから、社会全体の共同事務や共通の利害は、これまでやってきたようなやり方でしか、つまり国家とその上級官庁との手でしか処理することができないものと考えることに慣らされているだけに、なおさらそうした迷信的崇拝が生じやすいのである。そこで、世襲君主制にたいする信仰を捨てて、民主的共和制を信奉するようになりでもすれば、もうそれだけでまったくたいした大胆な一歩をすすめたように思いこむ。しかし、実際には、国家は、一階級が他の一階級を抑圧するための機構にほかならないのであって、しかもこの点では、民主的共和制も、君主制となんら選ぶところがないのである。いちばんいい場合でも、国家は、階級支配をめざす闘争で勝利したプロレタリアートがひきつぐ一つの害悪であって、プロレタリアートは、コミューンがやったのとまったく同じように、それの最悪の側面を、すぐさま、できるだけ切り取るほかはないであろう。そして、いつかは、新しい自由な社会状態のもとで成長してきた一世代が、ついに国家のがらくたをすっかり投げすててしまえるときがくるであろう。」(「内乱への序文」)
これは、単に「ドイツ人に対する警告」だけではない。この国家批判こそ、本論の第1節から3節で議論したように、マルクスの国家論の出発点である。そこを忘れると、誤りが生ずることを肝に銘ずべきである。

一方、これに対するレーニンの説明はこうである。
「さらに二つのことを注意をしておこう。(一)民主的共和制のもとでは、君主制のもとでと『すこしもおとらず』、国家は依然として『一階級が他の一階級を抑圧するための機関』である、とエンゲルスが言っているとしても、これは、ある無政府主義者たちが「教える」ように、抑圧の形態はプロレタリアートにとってどうでもよいということにはけっしてならない。階級闘争と階級的抑圧のより広い、より自由な、より公然たる形態は、プロレタリアートのために階級一般を廃絶するための闘争を非常に楽にしてくれる。
(二)なぜ新しい世代だけが、国家のこのがらくたをすっかりかたづけてしまうことができるのか?−この問題は、われわれがこれから論じようとする民主主義の克服の問題に関連している。」

この節の最後は、エンゲルスの序文「『「フォルクスシュタート」からとった国際問題論集』への序文」(1894年1月)である。 「もっとも、一般に社会主義的であるばかりでなく、直接に共産主義的な経済綱領をもち、すべての国家の克服を、したがって民主主義の克服をも、その政治上の終局目標とする政党にとっては、この言葉は、依然、不適当である。しかし、実際の諸政党の名称は、ぴったりと適合するものではけっしてない。党は発展するが、名称はもとのままだからである。」
「国家の廃絶は同時にまた民主主義の廃絶でもあり、国家の死滅は民主主義の死滅であるということが、いつも忘れられている。」(「序文」、レーニンの引用文から)
「民主主義は、多数者への少数者の服従と同じものではない。民主主義は、多数者への少数者の服従を認める国家、すなわち一階級が他の階級にたいして、住民の一部が他の一部住民にたいして系統的に暴力を行使する組織である。われわれは、国家の廃絶、すなわち、組織された系統的なあらゆる暴力の廃絶、一般に人間にたいするあらゆる暴力の廃絶を、終局目標としている。われわれは、多数者に少数者が服従するという原則がまもられない社会秩序の到来を期待しているのではない。しかし、われわれは、社会主義をめざしながらも、社会主義は共産主義へ成長転化すること、また、それにともなって、人間にたいする暴力一般の、ある人間の他の人間にたいする服従の、一部の住民の他の一部住民にたいする服従の必要はすべて消滅することを、確信している。なぜなら、人間は、暴力なしに、服従なしに社会生活の基礎的諸条件をまもる習慣がつくだろうからである。」
エンゲルスが言っているのは、国家の止揚であって、政治的国家と市民社会の二重化の克服である。そう意味で民主主義の克服を言っているのであって、「廃止」ではない。
政治的には、民主主義とは「多数者への少数者の服従」である。それがブルジョア的であると言われるとき、政治的民主主義が市民社会のレベルでの多数者の利害を反映しておらず、逆に少数者であるブルジョアの利害を反映しているのである。選挙による形式的な多数決が、必ずしも多数者の利害を反映するものではないからである。すなわち、あくまで市民社会の政治的国家への利害の反映という観点から、評価しなくてはならない。
更に、レーニンでおいては、その「廃止」の後には、「暴力なしに、服従なしに社会生活の基礎的諸条件をまもる習慣」が唐突にやってくる。はたして、国家規範=法抜きで、大衆的な習慣の獲得が可能なものだろうか。レーニンは、この認識論的過程を理解しているのであろうか。
レーニンは、規範論抜きの国家論を論じ、国家=国家権力=階級抑圧機関として解釈し、プロレタリア国家という過渡期の(半)国家を仮定したので、民主主義もこういう陳腐な解釈にならざるを得なかった。自ら弁証法家であろうとして努力しながら、「止揚」という弁証法の核心を把握しそこなったレーニンの論理的強制である。

補注5)参考にしたのは、以下である。
「住宅問題」大内兵衛訳(岩波文庫) 「権威原理について」、「『「フォルクスシュタート」からとった国際問題論集』への序文」マルクス・エンゲルス選集第13巻(大月書店)

8、第5章 国家死滅の経済的基礎

最後に、いわゆる「ゴータ綱領批判」、マルクスがブラッケへ宛てて書いた手紙(1875年5月)が取り上げられる。
本論の6節、7節で確認したレーニンの誤謬について、本節でまとめておこう。

「エンゲルスは、国家についてのおしゃべりをまったくやめ、国家という言葉を「共同社会」という言葉ととりかえて、綱領から国家という言葉を完全に放逐するように、ベーベルにすすめている。エンゲルスは、コンミューンはもはや本来の意味の国家ではなかった、さえ言明している。ところが、マルクスは、「共産主義社会の未来の国家制度」さえうんぬんしている。すなわち、共産主義のもとでさえ国家が必要であることを認めているかのようである。
しかし、こうした見解は、根本的に誤りであろう。いっそう詳しく考察すればわかるように、国家とその死滅についてのマルクスとエンゲルスの見解は完全に一致していて、マルクスの前記の表現はまさにこの死滅しつつある国家制度をさしているである。」
これに相当するマルクスの文章は、以下である。
「つぎに問題になるのは、国家組織は共産主義社会においてはどんな転化をこうむるか? ということである。いいかえれば、そこでは今日の国家機能に似たどんな社会的機能がのこるか?ということである。この問題にはただ科学的にこたえることができるだけであって、「人民」ということばと国家ということばを千度もむすびあわせたところで、蚤の1跳ねほども問題に近づくことはできないのである。
資本主義社会と共産主義社会とのあいだには、前者から後者への革命的転化の時期がある。この時期に照応してまた政治上の過渡期がある。この時期の国家は、プロレタリアートの革命的独裁以外のなにものでもありえない。
ところで、この綱領は、この後者についても、共産主義社会の将来の国家組織についても、なにも論じていない。」(「ゴータ綱領批判」)
素直に読めば理解できるように、マルクスは「共産主義社会においては今日の国家機能に似たどんな社会的機能がのこるか」といい、この「共産主義社会において残る社会的機能」を「共産主義社会の将来の国家組織」と言い換えている。
この文の前で、マルクスは「現存の社会」が「現存の国家」(上部構造)の(経済的)土台であり、「今日の社会」(土台)は資本主義社会であり、それゆえ「今日の国家組織」(上部構造)は「ある本質的な性格を共通にもっている」といっている。すなわちここでは、市民社会と国家の二重化という観点にたって、「今日の国家」の否定=止揚によって到達する共産主義社会における「社会的機能」を問うているのである。
国家は、市民社会に私的所有が引き入れられその柵に捕らわれてしまったためにどこにも現れることができなくなった人間の生産関係の本質=相互依存性が、政治的秩序=共同性として観念的に転倒された形態で現れたものにすぎない。したがって、国家は、共同性の実現と私的所有の保護という、根本的に敵対的な矛盾を背負っている。階級抑圧は、その矛盾した側面の1発展形態である。国家の止揚(形式的には否定するが内容的に保存する)とは、この敵対的な矛盾を破壊し、抑圧的な形態の下で発展させられてきた内容を掬い取って根本的に改造し、それを正しく共産主義の経済的土台の上に据え付けることである。それをマルクスは「共産主義社会の将来の国家組織」といい、エンゲルスは「共同体」といっているのである。したがって、これはレーニンの言う「死滅しつつある国家制度」を指してはいない。確かに「マルクスとエンゲルスの見解は完全に一致」しており、ただレーニンの見解とは一致していない。
レーニンは、あくまで自分の俗流的な国家理論に固執し、国家=階級抑圧機関として把握したため、国家の止揚が理解できず、マルクスの言う「共産主義社会の将来の国家組織」を「死滅しつつある国家制度」、すなわち「プロレタリア国家組織の残存物」と見なしてしまったのである。
「マルクスとエングルスの外見上の相違は、彼らがとりあげた主題の相違、彼らが追求した課題の相違によるものである。」
レーニンは、この「外見上の相違」を、自らの見解とマルクスらの見解との相違に求めず、マルクスとエンゲルスの「課題の相違」に求めている。

「では、この独裁と民主主義との関係はどうか?」
「資本主義社会がもっとも順調に発展する条件があるばあいには、この社会には民主的共和制というかたちである程度完全な民主主義がある。しかし、この民主主義は、つねに資本主義的搾取の狭いわくでせばめられているので、実際には、つねに、少数者のための民主主義、有産階級だけのための、富者だけのための民主主義にとどまっている。・・・近代の賃金奴隷は、資本主義的搾取の諸条件のために、いまなお窮乏と貧困におしつぶされているので、彼らには「民主主義どころではなく」、また「政治どころではなく」、諸事件が普通のかたちで平穏にすすんでいるばあいには、住民の大多数は公けの政治生活への参加からしめだしをくっている。」
「とるにたらぬ少数者のための民主主義、富者のための民主主義―これが資本主義社会の民主主義である。資本主義的民主主義の仕組みをよく調べてみると、いたるところ、どこにも、・・・民主主義が制限につぐ制限をうけているのを見るであろう。貧乏人にたいするこれらの制限、例外、除外、妨害は・・・これらの制限が総合されると、それは、貧乏人を政治から、民主主義への積極的な参加から除外し、おしのける。」
「しかし、プロレタリアートの独裁、すなわち抑圧者を抑圧するために被抑圧者の前衛を支配階級に組織することは、民主主義の拡大をもたらすだけではない。プロレタリアートの独裁は民主主義を大幅に拡大し、民主主義ははじめて富者のための民主主義ではなしに、貧者のための民主主義、人民のための民主主義になるが、これと同時に、プロレタリアートの独裁は、抑圧者、搾取者、資本家にたいして、一連の自由の除外例をもうける。人類を賃金奴隷制から解放するためには、われわれは彼らを抑圧しなければならないし、彼らの反抗を力をもって打ち砕かなければならない。―抑圧のあるところ、暴力のあるところに、自由はなく、民主主義はないことは、明らかである。」
「人民の多数者のための民主主義と、人民の搾取者、抑圧者にたいする暴力的抑圧、すなわち民主主義からのその排除―これが資本主義から共産主義への移行にさいして民主主義のこうむる形態変化である。」

レーニンが理解する「民主主義」というのは、通常言う「民主主義」とは異なっている。普通「民主主義」とは、法を形成する実体をなす国家意志の成立が、多数の国民の意志によって決し、全国民は成立した法に従わねばならないということ、具体的には、それを全国民による普通選挙による政治的代表者=議員の選出及び議員による多数決により行なうという形式的な政治的制度を指している。(エンゲルスの言う「民主主義の克服」というのも、この意味での民主主義を指している。)しかし、この政治制度は、その国家意志の内容まで決定するものではない。
「ただ問題は、個人のであろうと、国家のであろうと、この単に形式的な意志がどんな内容をもっているか、どこからこの内容がくるのか、なぜまさにこれが意欲されて別のものが意欲されないのか、ということである。」(「フォイエルバッハ論」)
国家意志の総括的な内容が、個々の資本家ではなく階級としての資本家階級の総意、すなわち資本の人格化としての資本家の利益に奉仕する内容を持っているなら、それはブルジョア階級の利益を反映しているのであって、ブルジョア階級の支配=独裁といってよい。例え、国民の大多数を占めるのが、少数の資本家ではなく、労働者であっても、同じである。労働組合や政党が、いわゆる管理部門のサラリーマンや小資本家としての退職者などの労働者の資本家的な意志の側面を反映し、それが国家意志を左右するならば、それはブルジョア階級独裁を支えることになる。だから、例え、労働者階級が国民の大多数を占めていなくても、国家意志が労働者階級の総意に基づいており、それが労働者階級の利益に奉仕する内容を持つなら、プロレタリア独裁である。
論理的には、国家意志の内容の決定と、国民の階級的構成とは、分けて考えなくてはならない。

「民主主義は、平等を意味する。平等のためのプロレタリアートのたたかいと平等のスローガンとが大きな意義をもっていることは、平等ということを階級の廃絶という意味に正しく理解するならば、明らかである。しかし、民主主義は形式的な平等を意味するにすぎない。そして、生活手段の所有にかんする社会の全成員の平等、すなわち労働の平等、賃金の平等が実現されるやいなや、ただちに人類のまえには、形式的な平等から実質的な平等にむかって、すなわち「各人はその能力に応じて、各人にはその欲望に応じて」という準則の実現にむかって前進する問題が不可避的に現われる。」
「民主主義とは、国家形態であり、国家の一変種である。したがってまた、それは、あらゆる国家と同じように、人間にたいして暴力を組織的・系統的にもちいることである。これは一面である。しかし他面、民主主義とは、市民間の平等の形式的承認を意味し、国家制度を決定し国家を統治する万人の平等な権利の形式的承認を意味する。そして、このことはまた、つぎのようなことと結びついている。すなわち、民主主義は、そのある発展段階で、第一には、資本主義に反対する革命的な階級であるプロレタリアートを団結させて、この階級に、ブルジョア国家機構―たとえ共和制的なブルジョア国家機構であっても−、常備軍、警察、官僚制度を破壊し、こっぱみじんに打ち砕き、地上から一掃し、それらのものを、やはり国家機構ではあるけれども、より民主主義的な―人民を一人のこらず参加させた民兵へと転化してゆく武装した労働者大衆というかたちの―国家機構をもっておきかえる可能性を与える。」
「計算と統制―これが、共産主義社会の第一段階を「軌道にのせる」ために、これを正しく機能させるために必要とされる主要なものである。ここでは、すべての市民は、国家―武装した労働者がそれである―に雇われる勤務員に転化する。すべての市民が、一つの全人民的な国家的「シンジケート」の勤務員と労働者になる。要は、彼らが仕事の基準を正しくまもって、平等に働き、平等に受け取ることだけである。これを計算し、これを統制することは、資本主義によって極度に単純化され、監視と記録、算術の四則の知識と適当な受領証の発行といったような、読み書きのできるものならだれでもできる、ごく単純な操作になっている。」

エンゲルスは、「国家の内に、人間を支配する最初のイデオロギー的な力がわれわれにたいして現れる。」(「フォイエルバッハ論」)といい、国家と、内外の攻撃から共同の利益を守る機関として国家権力とを区別して把握する。マルクスも、引用した文の後で、微妙な表現ながら、「政府機関、すなわち分業によって社会から分離した独自の機構を形作っているかぎりの国家の意味」として国家権力を指し、国家と国家権力を区別して把握している。
国家意志が転化した法を施行するのが、国家権力の役割である。この国家権力自体もまた、法による規定を受けている。だからエンゲルスは、国家権力を「イデオロギー的な力」と言ったのである。
国家意志と同様、国家権力を構成する機関が、「すべての公務員の完全な選挙制と解任制を採用し」、「すべての国家公務員の俸給の『労働者なみの賃金』水準への引下げ」が行なわれ、レーニンの言う徹底した「民主主義」が行なわれても、それだけで「プロレタリア民主主義」が実現するものではない。国家機関を構成する国家公務員は、国家の法に従う法の人格化した特殊な「労働者」であって、彼らの選出法や賃金とは区別して考えねばならない。だからこそ、ブルジョア独裁の法体系・政治的秩序から、プロレタリア独裁の法体系・政治的秩序に転換させることが、決定的に重要なのである。
レーニンは、国家=国家権力として把握したため、ブルジョア国家とそれの廃絶後のプロレタリア国家の違いを、国家権力の性格の違い、国家機関の「民主主義」的な程度の違い、民主主義が徹底しているかどうか、に求めている。したがって、レーニンがプロレタリア国家の民主主義として理解した属性は、過渡期の国家権力の階級抑圧機能以外の属性か、または「共産主義社会の将来の国家組織」の萌芽形態の属性か、そのどちらかである。
だから民主主義は「死滅」するのではない。それは「克服」すなわち、止揚されるのである。

「言いかえれば、資本主義のもとでは、本来の意味の国家がある。すなわち、一階級が他の階級を抑圧するための、しかも少数者が多数者を抑圧するための特殊な機構がある。もちろん、少数者である搾取者が多数者である被搾取者を組織的に抑圧するというようなことができるためには、抑圧がきわめて狂暴で、残忍であることが必要であり、血の海が必要である。そしてじっさい、人類は、奴隷制、農奴制、賃金労働制の状態のもとでは、こうした血の海を渡るのである。」

レーニンの国家権力の理解の誤りは、ブルジョア階級とプロレタリア階級をそれぞれ一人の人間として擬人化し、国家権力と言う暴力装置を巡って争う構図を想像するとよい。この構図から、何か連想しないだろうか。そう、エンゲルスが相手にしたデューリング氏である。デューリング氏の理論は、俗流唯物論の典型とも言うべきものであるが、レーニンのような理解は、デューリングのような理論への道に容易に繋がっていく。デューリング氏の克服は、そう簡単ではないのである。

レーニンは、「共産主義社会の第一段階」(普通、社会主義と呼ばれている)を、マルクスに寄りながら概括している。 ここで、レーニンに賛同して社会主義の詳細な説明をするわけにはいかないが、すでにソ連をはじめ主要な社会主義国家が崩壊した今、資本主義との根本的な違いを確認して置く事は、意義のあることであろう。それによって、キューバや現在の中国の社会主義の度合いを見ることもできようからである。
「ところで、この社会的総生産物からは、つぎのものが控除されなければならない。
第一に、消耗された生産手段をおきかえるための補填。第二に、生産を拡張するための追加部分。第三に、事故や天災による障害等にそなえる予備元本または保険元本。
総生産物の残りの部分は、消費資料としての使用にあてられる。」
「総生産物の残りの部分は、消費資料としての使用にあてられる。だが、各個人に分配されるまえに、このなかからまた、つぎのものが控除される。
第一に、生産に属さない一般行政費。この部分は最初から、今日の社会にくらべればきわめていちじるしく縮小され、そして新社会が発展するにつれてますます減少する。
第二に、学校や衛生設備のような、いろいろな欲求を共同でみたすのにあてられる部分。この部分は最初から、今日の社会にくらべていちじるしく増大し、そして新社会が発展するにつれてますます増加する。
第三に、労働不能者等のための元本。つまり、今日のいわゆる公共の貧民救済費にあたるものの元本。」(「ゴータ綱領批判」)
資本主義では、国家(地方自治体を含む)の収入は、個人(家族)や企業などの所得に対する税収という形態を取るが、社会主義では、国家が「社会的総生産物」の一次的な取得者になるので、必要な一般行政費や学校、障害者・高齢者保護費などはそこから削減される。当然ながら、資本主義において必要な複雑な徴税業務は、社会主義ではまったく無用になる。
また、障害者・高齢者などの「労働不能者」に対する保障は、資本主義の場合、個人や家族の所得に対する補填、いわゆる社会保障と言う形態を取るが、社会主義では国家がそれを負担する。

「ここで問題にしているのは、それ自身の土台のうえに発展した共産主義社会ではなくて、反対にいまようやく資本主義社会からうまれたばかりの共産主義社会である。したがって、この共産主義社会は、あらゆる点で、経済的にも道徳的にも精神的にも、それがうまれでてきた母胎たる旧社会の母斑をまだおびている。したがって、個々の生産者は、彼が社会にあたえたのと正確に同じだけのものを―控除をおこなったうえで―かえしてもらう。彼が社会にあたえたものは、彼の個人的労働量である。たとえば、社会的労働日は個人的労働時間の総和からなり、個々の生産者の個人的労働時聞は、社会的労働日のうちの彼の給付部分、すなわち社会的労働日のうちの彼の持分である。彼はこれこれの労働(共同の元本のための彼の労働分を控除したうえで)を給付したという証明書を社会からうけとり、この証明書をもって消費資料の社会的貯蔵からひとしい量の労働を要するものをひきだす。彼は自分が一つの形で社会にあたえたのと同じ労働量を別の形でかえしてもらうのである。
 ここではあきらかに、商品交換が等価の交換であるかぎりで、この交換を規制する同じ原則が支配している。内容と形式はかわっている。なぜなら、変化した事情のもとでは、だれも自分の労働のほかにはなにものもあたえることができないから、また他方では、個人的消費資料のほかにはなにものも個人の所有にうつりえないから、である。しかし、個人的消費資料が個々の生産者のあいだに分配されるときには、商品等価物の交換のときと同じ原則が支配し、一つの形の労働が、他の形のひとしい量の労働と交換されるのである。」(「ゴータ綱領批判」)
労働者が消費資料の社会的貯蔵からひきだすためのひとしい量の労働を要したという個人的労働時間の証明書は、資本主義下での労働賃金とどう違うのだろうか。
労働賃金は、労働者の労働力に対して、それを貨幣で評価した労働力の価格である。これは一般商品の価値に相当する。ところが、ここでいう個人的労働時間の証明書は、労働力の価値ではなく、労働の機能の継続時間=労働時間、すなわち労働産物の中に対象化された労働時間(正確には、労働対象や消耗する労働手段の価値を除いて)であり、労働力の使用価値に相当する。労賃と個人的労働時間の証明書の差は、剰余労働時間(剰余価値)である。これも、社会主義では、共同元本が控除された上で、労働者に還元されるのである。
これは、資本主義と社会主義との根本的な考え方の相違が基礎になっている。
生産手段の社会化(国有化)は、労働手段から分離された労働者を、資本抜きに、再び労働手段と結合することを可能にする。それは、本質的に社会的なものになった生産手段に、本来のあり方を回復されることである。労働対象や労働手段には、今や、多くの労働者によって多くの労働が対象化されており、多くの労働者によってしか生産できないものになっており、その生産物は多くの労働者の生活手段として消費される。個々の労働者の労働力も、多くの労働者の労働が対象化された生活手段の再対象化によって形成されるのだから、社会的なものになっている。だから、労働手段だけでなく、労働者の労働力も社会のものなのである。個々の労働者に許されるのは、労働力の使用価値の側面のみであり、それが個人的労働時間の証明書なのである。
労働手段の国有化は、消耗した労働手段の費用を国家が負担することに繋がる。それが、「社会的総生産物」からの第1〜第3の控除であった。労働力の社会化は、労働力の養成を国家が負担するということを意味する。「反デューリング論」にあるように、資本主義では、複合労働・熟練労働などの養成費は個人ないし家族が負担するので、その高い労賃もその個人のものになるが、社会主義では、その養成費は国家が負担するので、その成果であるより大きな価値も国家のものとなる。また、社会主義では、労働力の養育費としての教育費や、労働力の維持修理費としての医療費も、国家が負担することになる。これが、資本主義の教育費の公的負担や高額医療の社会保障と、根本的に異なるところである。ついでながら、資本主義の下での社会保障の複雑な制度は、社会主義の下では極めて簡素なものになる。
この総体の政策が、すべての労働者の「異質労働に同一賃金」、高級官僚も大学教授も医者もすべて一般労働者と同一賃金となるという「社会主義賃金論」なのである。
このような観点に立って現在の中国や北朝鮮を見るとき、はたして国家の社会主義度はいかがなものであろうか。

「それゆえ、平等な権利は、ここではまだやはり原則上、ブルジョア的権利である。もっとも、ここではもう原則と実際とが衝突することはないが。」
「しかし、こうした欠陥は、長い生みの苦しみののち資本主義社会からうまれたばかりの共産主義社会の第一段階では、避けることができない。権利は、社会の経済的構成およびそれによって制約される文化の発展よりも高度であることは、けっしてできない。
 共産主義社会のより高度の段階において、すなわち個人が分業に奴隷的な従属をすることがなくなり、それとともに精神労働と肉体労働との対立がなくなったのち、労働がたんに生活のための手段たるのみならず、労働そのものが第一の生活欲求となったのち、個人の全面的な発展にともなって生産力も増大し、協同社会的富のあらゆる泉がいっそうゆたかにわきでるようになったのち−そのときはじめて、ブルジョア的権利の狭い限界を完全にふみこえることができ、社会はその旗のうえにこう書くことができる―各人はその能力に応じて、各人にはその必要に応じて!」(「ゴータ綱領批判」)

「そして、そのときはじめて、民主主義は、つぎの単純な事情の結果、死滅しはじめるであろう。すなわち、資本主義的奴隷制から解放された人間、資本主義的搾取の数かぎりない恐ろしさ、野蛮、不合理、醜さから解放された人間は、何世紀ものあいだよく知られ、何千年というものあらゆる格言のなかでくりかえされてきた、共同生活の基礎的な規則をまもる習慣、暴力がなくても、強制がなくても、隷属関係がなくても、国家とよばれる特殊な強制機関がなくても、これらの規則をまもる習慣を、徐々に身につけるであろうということが、それである。」
「なぜなら、すべての人が社会的生産を自主的に管理することを学び、また実際にこれを管理するようになり、計算と、・・・これに類した「資本主義の伝統の保持者」にたいする統制とを自主的におこなうようになれば―そのときには、このような全人民的計算と統制をまぬかれることは、不可避的に、信じられないほど困難で、きわめてまれな例外となり、おそらくきわめて急速で厳重な処罰をともなうために・・・人間のあらゆる共同生活の簡単で基本的な規則をまもる必要は、きわめて急速に習慣となるであろうからである。そしてそのときには、共産主義社会の第一段階からその高い段階へ移り、それと同時に国家の完全な死滅へ移る門戸はひろく開けはなたれるであろう。」

はたして、レーニンの言うように、「共同生活の基礎的な規則をまもる習慣」を獲得することがそんなに容易にできるものであろうかどうかはわからないが、この過程には、国家と国家権力がそれを媒介せねばならないという、プロレタリア国家の重要な役割が存在するのも確かである。
法とそれ以外の社会規範とは、明確に区別して把握せねばならない。法とそれ以外の社会規範とが異なるのは、法が国家意志への媒介を必要とするという点にある。だからこそ、法は、国家権力の強制力を伴うのである。プロレタリア国家には、法を将来の共同社会の社会規範に転化させる過程において、この強制力と国民教育を通ずる積極的な介在が、どうしても必要なのである。

私は、プレハーノフやカウツキーのことをよく知らないので、「国家と革命」第6章については論評を控える。だから、一応「ノート」は本節で最後とする。

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