教育時事問題について考えよう。


教育時事問題を、独断と偏見で、考えてみてみるコーナーです。
いろいろ、反対意見もあると思いますが、
「子供さんのしつけや環境、教育について、
もう一度、真剣に考える機会」になってくれれば幸いです。
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その際は、申し訳ありませんが、スクロールしてご覧になって下さい。


Contents


 学習内容・指導編

 「条件のセンス」と「哲学教育」(NEW)

 「条件のセンス(多面体と錐体)」(NEW)

 「指導内容の無理解」と「ぬるい教え方」(NEW)

 「0のセンス」と「位取り」(NEW)

 作成と指導力(NEW)

 知識と指導力(NEW)

 「文章立式のセンス」〜和算と先取り

 「文章立式のセンス」3

 「文章立式のセンス」2

 「文字のセンス」と「文章立式のセンス」

 「文字のセンス」3

 「文字のセンス」2

 「式のセンス」と「文字のセンス」

 「数字のセンス」6

 「数字のセンス」5

 「数字のセンス」4

 算数・国語の採点基準

 生徒管理30

 分かっているなら、きちんと書く

 「かけ算」の式の作り方

 小学校低学年「宿題は家庭学習の入り口」

 教育理論編

 特別編

 算数・数学のセンス編

 生徒管理(1)〜(26)

 釧路の学力の現状って?(過去版)
 1〜16&平均点が赤点

 釧路の学力の現状って?(過去版)
 17〜

 


 学校生活・しつけ編

 先生編

 指導力不足の逃げ道(NEW)

 通知表に意味を与えよ

 テストで学力をつけましょう

 家庭編

 学力3割・体力3割・気力3割・運1割

 先を見越しても「ありがたみ」は感じない

 地域問題

 何でもかんでも「難しい」

 高校入試で考えてみよう

 釧路の学力状況はどうなっているんでしょう?

 高専の推薦倍率

 総合Bの結果です

 「全国学力テスト」の結果が出ました

 「序列化」、どうなった?

 総合Aの結果です

 今年の中3の受験

 でました〜釧路の平均

 附属のテストは難しい?

 

  
内容が増え、ページが重くなりつつあるので、掲載時期に合わせて分割しました。

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「条件のセンス」と「哲学教育」


「定義」をきちんと把握するのも大事

 「哲学」というと、何となく「ややこしい」とか「面倒」とか「訳が分からない」というイメージを持っている人も多いのではないかと思いますし、「哲学教育」というと、何となく「高校の倫社」のイメージで考える人も多いのではないかと思いますが、根本的な「哲学教育」というのは、そういう「誰が何を言ったか」という知識を覚え込むものではなく「正しく言葉を理解しよう」という教育なんだと思ってください。
 そして、論理的に物事を考える場合、この「言葉の概念」を身につける事がとても大事なんです。

 それで、掲示板にも載せましたが、「角錐には母線が無い」とか「母線の長さはどこだ」とか言っている人がいたんですよ。それで、どうやら、話を聞いてみると、前項で書いた頂点の定義の「4 錐面の各母線の交点」のところに出てくる「母線」という用語と「ユークリッドの円錐曲面」あたりの断片的な知識を勝手に結びつけて「この定義で言っているのは円錐のこと」と勝手な解釈をしていたようなんです。

 ところが、定義などに用いる用語について、きちんと読みとる力があれば、こんなおかしな事は言い出さないはずなんです。例えば、「4 錐面の各母線の交点」のところで、もしも「円錐のみ」に母線が存在するなら、定義には「円錐曲面の〜」というように、円錐のみに限定するような用語が使われるんですね。それが、実際には「錐面の〜」となっているわけですから、これは「錐体全体に当てはまるように設定されている定義」だということが、即時、読みとれる訳で、結果、そんな勝手な解釈をせずに済むんですよ。

 ということで、実は、「哲学」というのは、こういう言葉の概念をしっかりさせ、その言葉を論理的につないでいく方法を身につけていくための「ツール」なんです。そして、実際に出てくる、ニーチェ・サルトル・カント・キルケゴール・ベンサムなども、それぞれの人が何を言ったか、という事も大事なんですが、それ以上に、この人たちは、言葉の概念をどのように組立て、どのように結論を導いていったか、という、その手法が大切になるんです。それを学ぶのが「哲学教育」なんですよ。

 まあ、正直に言うと、日本では社会科で習いますし、テストに出すのも「誰が何を言ったか」ということで出題するのが楽ですから、どうしてもそういう方向に向かいがちですが、本来は、やはり、高校あたりでは「哲学」は「哲学」という教科で習うべき何だと思うんですね。
 そして、根本的な「定義」の段階で、きちんと定義を読みとれず、曲解で物事を進めてしまうと、そこから得られる結論は、最終的に「デタラメのでっち上げ」にしかならないんだ、という、そういう意識を持たせることが、すごく大事な事なんです。

 というのは、今の子供達、自分勝手な解釈で勝手なことをやってしまう傾向が強いんですよ。このコーナーで何度か書いていますが、計算方法がデタラメだったり、国語の言葉の解釈がいい加減だったり。そういうのを払拭させるためには、何でもかんでも、ただ「考えろ」というだけではダメなんです。これではきちんとした思考力は育たない。ただの「でっち上げ」をする子供達を増やしているだけなんです。

 世界的に見ると、フィンランドの子供達が読んでいる「ムーミン」って、実は、そういう論理性に長けている文章だし、ブラジルでは、数年前に、正式に学校の科目として「哲学教育」を行うことになったんです。そして、今の子供達は、将来的に、そういう国の子供達と、一緒に物事を進めていく事になるんですよね。そういうときになって、適当な事を平気で言う人を育ててしまっては、さすがにまずいでしょ。

 ですから、今の段階から、きちんと物事を考えられる子供達を育てよう。それには、大人が勝手なでっち上げをいわないようにしよう、ということになるんですね。

 ちなみに、余談ですが、哲学者のベンサムって、高校の教科書などで、なんか「電話ボックス」みたいなところに服を着て座っている写真で紹介されていたのを覚えていませんか? 実は、彼の遺言で、遺体をそのまま加工(?)して、某大学に安置されているんだとか。そして、その大学では、夜になるとこのベンサムが、大学内を歩き回るという「幽霊話」としても有名なんだそうです。
(2017/03/24)

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「条件のセンス(多面体と錐体)」


条件が違えば「定義」も変わる

 「前提条件の違い」が認識出来ない生徒、というより大人もそうなんですが、そういうケースだと話が支離滅裂になる場合が結構多いんです。どうやら、条件を見抜くセンスが養われていないようなんですね。
 そこで、ここでは、「知識と指導力」の項目で書いた「四角錐の頂点」の事を例にとってお話しします。

 頂点の定義は「大辞林」が一番詳しいので、それを取り上げますね。
1 角を作る二直線の交点
2 多角形の辺の交点
3 多面体の3つ以上の面の交わる点
4 錐面の各母線の交点
5 放物線とその軸の交点

と、こんな感じです。そして、ここで考えて欲しいのが「あれ? 空間図形には多面体と錐体と2つ定義があるぞ」ということ。その違いが何なのか、という話なんです。そこで、まず、順番で先に出てくる多面体から。

 多面体の頂点って、たぶん、分かると思いますが、正四面体だと4つ、立方体・直方体だと8つ、というのが、頂点ですね。いわゆる「尖っているところ(凹面がある場合は、へこんでいるところも入ります)」のことです。ここで「すべてこの多面体の頂点で統一してしまえばいいのに、なんで錐体だけ別に定義があるの?」と考えた方は、数学のセンス、ちょっと一歩リードしている感じですね。

 実は、錐体だけは、別の定義との関連があるんです。その定義〜錐体の高さは「頂点から底面までの距離」。そして、定義というのは、他の定義と矛盾しないように設定されるんですね。そうすると、もしも、錐体の底面のところにある尖りを「頂点」としてしまうと、底面と頂点の距離が0になってしまう、という矛盾が生じるんです。だから、錐体だけは、別に頂点の定義を設定する必要があったんです。まあ、正直に言うと「それだったら、高さの定義を変えろよ」みたいな話なんですが。

 それで、小学校ではどのように習っていたか、というと、まだ「母線の交点」などと言っても、ピンとこない子が多いですから、頂点は「高さの基準となる点」という習い方をしていたんですね。そして、まだ多面体を習っていませんから、もしも、私立中学入試などで「多面体としての知識や思考を問う問題」を出題しようと思ったら、必ず「ことわりがき」として「角すいの底面の尖った部分も頂点として数えます」という文言が入っていたんです。

 それが中学校になるとどうか、というと、錐体の頂点の場合は「小学校と同じ説明」で習うところが多いでしょうか。多面体の頂点は、ここに出てきている「定義」と同様に習っているところが多いと思います。ただ、中1の空間図形で習うのですが、まだ「定義(この言葉を直接習うのは、中2の証明のところ)」という言葉自体を直接習っていませんから、各部の名称とともに、約束事として習うことになっています。

 ただ、ここに来て困るのが三角錐なんですよ。というのは、見方によって、頂点の数が定まらない。
 底面の形が四角形・五角形と、角が増えていれば、底面を1つに確定できますから、頂点は1つに決まるんです。ところが、三角錐だけは、どこを底面にしても成り立つ形なんです。それで、
「どこを底面しても成り立つなら、全部が頂点になる」
という考え方と
「高さを特定するためには、底面に対して1つとみるべきだ」
という考え方があって、ひょっとしたら、もうすでにどちらかに統一されているのかも知れませんが、自分の知っている限りでは、これに決着がついていないはずなんです。これ、ご存じの方がいらっしゃいましたら、教えてください。

 ということで、これから教科書や参考書を見るときに、ちょっと気をつけてみてください。錐体の場合、各部の名称として図が載っていますが「頂点」として示されているのは、てっぺんの尖っている部分だけになっていますよね。また、図として載っているのは大抵は正四角錐で、場合によっては正六角錐などもありますが、絶対三角錐は使いません。それには、上記のような理由があるからなんです。

 そして、ここからが大事なんですが、今書いたように「条件が違うと定義が変わる」ということは、現在「何が条件になっているか」という事を見抜く力が大切になるんです。
 例えば、実際の問題について。最近は混乱を避けるために、あまり「頂点」という言葉自体を使わなくなって来ているようなんですが、以前は「点Pを頂点とする正四角錐P-ABCD」なんていう表記をしていたりしたんですね。こうなると完全に「条件」は「錐体」。だから「錐体の定義」を使うことになりますね。また「正四角錐の頂点の数を5つとする」なんていう表記が出てきたときは「あ、これは、正四角錐という言葉を使っているけど、本質的には多面体の条件を使っているな」と判断できるんです。
 ちなみに、ちょっと発展形ですが、数学で「トポロジー」なんていう分野があります。で、この分野、基本的には「オイラーの多面体定理」を基礎にしてできあがっています。当然「多面体定理」が基盤なので「条件」は「多面体」。したがって、トポロジーと言われたら、出てくる立体は「多面体」の扱いで考えますよね。

 ですから、中学校まででは、特に条件が無い場合、正四角錐と表記されていれば、基本的に「錐体」の定義で見て「頂点は1つ」と考えるんです。もしも、多面体として考えなければならない場合、何らかの条件が示されているはずです。そこを見逃すな、ということですね。
 ところが、条件分けして考えることが出来ない子〜例えば「尖っていれば全部頂点」とざっくりしか考えられない子だと、この分別がつきません。それと同様に「正四角錐と言われたら、頂点は5つじゃないの?」という、何でも単発的な発想でしか、物事を考えられない人も結局は「条件のセンスは無い」と考えた方がいいんです。
 そして、こういう分別つくかつかないか、と言うところが、いわゆる「理系・文系」の分岐点の1つと考えているんです。要するに理系の子を育てようと思った場合、こういう違いを認識できる子を育てるため、定義・定理をきちんと理解させ、使えるように育てなければならないということなんですね。

 これが、平面図形と空間図形で、頂点の定義が違うとか、二次関数で頂点の定義が違うよ、という話になれば、前提となっている形が見た目ですぐに違うと分かりますから、頂点の定義も違う、ということにはすぐに気づくでしょう。大事になるのは、同じ空間図形でも、条件に違いがあるということに気づく力があるかどうかです。本当に力のある子は、こういう違いがわかるんです。

 さらに、この「条件認識力」があるかないかで「論理性」にも大きな差が出ます。よく「て言うか〜」と話題がコロコロ変わる人。どういう条件下で話題が進んでいるか、全く理解出来ていない可能性あり。ただ自分の言いたいことを言っているだけですよね。同様に、話をしていて、最初の話と、出てくる結論が全然違うものになっている人も要注意。条件をきちんと読みとれていない可能性あり。条件の違いよって、話がドンドンずれていっているんです。

 さらに言えば、こういう違いを教えるどころか、空間図形は2時間程度で端折ってお終い。これが、以前の釧路の数学だったんです。これじゃあ、数学の力がつきませんよね。

 正直に言うと、普通に授業をやっている中学校の数学の先生は、ここに書いたことは「当然のこと」として教えていますよね。ただ、小学校の先生になると、科目数が多いため、ここまで確認出来ている人は少ないのではないかと思います。ですから、小学校といえども、5・6年生くらいになると、やはり専門知識を持っている人が教えた方がいいと思います。小学校の高学年から、教科担任制度にした方が、子供達にとってもいいと思うんですが。
(2017/03/19・20)

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指導力不足の逃げ道


大きく2つ

 前回は、指導内容の無理解から起こる指導力不足の話を書いたので、今回はその続きで、そういう状況になった場合、先生はどこに逃げるか、というお話です。

 まず1つ目は「馴れ合いの関係を作る」という事なんです。どういうことかというと、授業が良くわからない、という状況になったときに、自分を責められないように「まあ、このくらいで納得してくれや」という言い訳が通用するように、馴れ合いの関係を作ってしまえ、ということなんですね。
 ところが、これをやると、生徒を注意できなくなってしまうんです。授業中の姿勢が悪くても注意しない。忘れ物をしても注意しない。宿題に至っては「忘れたら注意しなければならなくなってしまうので、出さないようにしよう」ということです。実際に塾講師でも、こういう感覚の人がいたんですから。
 ここから悪循環が始まります。授業が分からない〜まじめに授業を聞かない〜騒がしくなる〜注意しない・・・なんていう感じで、最悪は学級崩壊ですよね。おまけに、遅刻はするわ、忘れ物は平気だわ。
 釧路の場合、極端に学力の低い学校ってあるんですよ。そういうところは、この馴れ合いの関係を疑ってみるといいと思いますよ。

 もう一つは「生徒をバカにする」というケース。「こんなやつ、俺の教えるレベルじゃない」という感じ。関数の解説をしているところで「どうせ、おまえ達、計算ができないだろうけど」という事を生徒の前で平気で言っていた数学教師の話を以前しましたが、もう感覚自体がダメなんですよ。そして、そういうやつが一番最初に言い出すのが「国語力が無い」なんですよ。もちろん、自分も「国語力をつけましょう」ということで、漢字の練習をしようとか、問題集を解きましょう、という事は言うし、それが将来につながるから「お父さん・お母さん、しっかり子供さんの状況を見てください」という事は言いますが、でも、国語力が無いなら無いなりの授業は普通にするわけです。
 ところが、始末に負えないのは、「国語力が無い」と生徒をくさすやつ。それでいて、いざ蓋を開けてみると、生徒の分からない用語を平気で使っていたりしてね。そして、しょうがないから「俺の授業はレベルが高いんだ」と言い出す始末。某小学校の某教諭など、この典型だと思うんですが。

 ということで、結局、こういう所に逃げているのは、実は「指導力不足」なんだ、ということ。そして、数学に関して言えば「センスを見極めて、そこにポイントを落として行くこと」なんです。そして、上記のような事を言っている人は「あ、この人、指導力が低いんだ」と思って構いません。そういう先生に当たったら気をつけろ、ということです。
(2017/03/13)

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「指導内容の無理解」と「ぬるい教え方」


根本の原因は指導内容を把握していないこと

 さて、最近になって、いろいろ「数学のセンス」を中心に書いてきましたが、なぜ、こういう内容を今書いているかというと、実は(気づいている人もいるかも知れませんが)、釧路独自の学力テストと言われているテストの結果が各家庭に届けられているタイミングではないかと思うんですね。それで、その内容で身についていない部分を理解してもらおう、ということなんです。

 そして「ちょっと気になる情報」で書きましたが、釧路北陽の合格ボーダーが帯広工業より低かったりしているんですよ。これ、北陽にギリギリで受かった〜、なんて思っていても、帯広だと「地方の高校の2次募集だね」という話になってしまう、ということなんです。結局、身につけなければならないものを身につけられない、ということですから、先の「就職」「進学」にも大きな影響が出るわけで、現実的には、釧路の子を採用せず、帯広で採用した子を釧路に連れてきている、なんていう企業もあるんですね。こんなんじゃ、釧路はいつまでも景気がよくならないでしょ、ということですよ。
 ただ、高校入試は、すでに終わりました。今から結果を変える訳には行きません。でも、これから高校受験する子、これから中学校に進学する子は、まだまだ、これから救う事が出来るんです。もちろん、高校に受かった子も、高校生活をしっかり過ごして、将来に対して備えて欲しいんです。

 そのためには、自分で身についていないところが分かれば、自力で克服できるでしょ、という「自力で克服を可能にする方策」を提示していくのが、一番、手っ取り早い「改善方法」だと思うんですね。いわゆる「自学力」というやつです。そこで大事になるのが「どこが分かっていないか、自分で知る」ということなんです。
 要するに「何を身につけなければ出来るようにならないのか」「身につけるには、どういう手順で、どのように指導し、どのように確認を行えばいいのか」が教えている先生自身が分かっていない。だから、そういう先生に習った場合、生徒もどうしていいかが分かっていないんです。
 そこで大切になるのは、まず、指導側が「教務内容を把握」し「手順を理解すること」なんです。いわゆる「教務力をつける」ことなんです。それが出来ないと、何をどう変えてみたとしても、結局、学力が上がりません。

 ところが、教務力そのものをきちんと理解出来ていないと、教務力とは全然違う話になってしまうんです。文部科学省も「大丈夫か?」と思えるような感じで「1クラスの人数」がどうとか、「授業時間数がどうとか」、結局、そんな話にしかならないんですよ。でも、普通に考えたら分かると思いますが「教える内容をきちんと把握していない状況」で、クラスの人数を変えても、授業時間数を増やしても、結局、結果は同じです。ただ、訳の分からない説明を繰り返したり、ダラダラする時間が増えるだけ。運動会の練習なんて、その最たるものです。どこをどういうふうに指導すれば質が高まるのか、ということを把握せず、ただ、同じ練習を繰り返しているだけ。時間の無駄。それよりも、時間を短くして集中してやらせた方が、まだましです。
 人数を少なくしたところで、教え方が変わらない訳ですから、分からない子はいつまでも分からないままです。そんなの何の効果があるの? 
 ましてや、こんな話を始めると、組合系の教員に「言い訳を与えている」ようなものです。「人数が多いから学力が上げられない」とか「時間数が足りないから授業が終えられない」とか。方針を出すにしても「もう少し考えろよ」という話です。

 そして、もう一つは「教える側の感覚がゆるい」。自分、学校の補習見学に行ったことがありますが、先生の質問が下手すぎて、生徒が何と答えていいか分からずポカンとしているの。大学生のアルバイト感覚なんだろうね。大学生のアルバイトだと、よくある話として「最初に教えたときに理解してもらえなくて、何回か説明をして、ようやく理解してもらえました」なんていうのが。それで、自分が「授業が出来ました」なんて考えているのは大きな間違い。初めて顔を合わせたとか、そういう事ならまだしも、何ヶ月も教えていて、それでもその子の実力を把握出来ずに、説明を何回も繰り返すようなことをやっているのは、完全にアウトなんですよ。一発で行け。これマンツーマンだから何とかなっているわけで、30人、40人を目の前にして、一発目に訳の分からない説明をしたら、その段階でアウトだろうさ。もう少し説明の内容を考えろ、という話。こんなの完全に指導力不足だからね。そして、それでも通用すると思っているところが「ぬるい感覚」ということ。もっと緊張感を持って授業をしなさい、ということですね。
 実は、最近、学力について真剣に考える生徒が多くなってきていて、そうなると、先生の授業がどうなのか、という事が話題に出ることも多くなってきているんですよ。そこで出てきているのが「あの先生の言っていること、わけわからん」。極端に学力が低くて、何を言っても理解できない子だと、しょうがないところもあるけど、平均以上のまずまず理解力のある子でもそういう話が出てくるわけですよ。その授業が、釧路の子供達の学力を大幅におとしている要因なんです。
 もっと、直接教務内容について、まともな研修をしろよ、ということですね。
(2017/03/11)

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「0のセンス」と「位取りのセンス」


時間が分からない子の原因

 せっかくですから「0のセンス」つながりで、位取りから時計の感覚についてお話していきましょう。

 「0のセンス」からつながる大事な内容に「位取りのセンス」があります。1,2,3・・・9といって、次に位が変わって10になる、という、いわゆる「十進法」の進み方ですね。当然、その後、続けていって99の次に100になる、ということですよ。ここに0が使われるんですね。
 これ、子どもの頃から「お風呂に入って数を数える」なんて言うことをやっている子は、割と自然に「十進法」の感覚が身についているケースが多いのですが、この「十進法の感覚」が身についていない子も、現在では結構多いんです。ということは、小学校に入った段階で、きちんと数を数えて、この「十進法の感覚」を身につけさせなければならないんですね。でも、実際には、先生の感覚が「このくらいは出来るだろう」くらいの感覚で、あまり熱心にやっていないのではないか、と考えられるんです。要するに「大人の感覚」で子供達に接している、ということで、出来ていない子の「子どもの目線」までおりて行けていないのではないか、ということなんです。

 そして、この「十進法」の感覚が弱いと「時計の読み取り」が出来ない子が増えるんです。どうしてかというと、時計は「60進法」だから。「何時何分から何時何分まで、何時間何分ですか?」という問題の正答率が著しく落ち込むのは「60で単位が変わる」という感覚が身についていないからなんです。

 それで、今の子供達の「時計の問題」の状況を見ている限り「何時何分」という時計が差している時間を答える事は出来るのですが「何時間何分」と答えさせる問題になると極端に正答率が落ちる。これ、おそらく、全体的な指導の流れとしては、1時、2時などのキッチリした時間を読ませて覚えさせるような指導を行い、そのあと、分をを教えて、とりあえず「何時何分」を答えさせるようにしているだけでお終い(ひょっとしたら30分など区切りのいいところだけしか教えていないところがあるかも!?)。
 そのあと「1時間は60分だよ」という知識だけを与えて、問題を解かせる前にやらなければならない「事前」の「60進法の感覚」を鍛える事無く「何時間何分になりますか」という問題の計算方法を無理矢理教えてこんでいるだけで終わっているのではないか、ということが考えられるんです。
 要するに「学習指導内容の構成」の部分に問題あり、ということなんですね。子供達が学習内容を身につけやすいように「まず最初に何をやって、次に何をやって」という手順がおかしい、もしくは手順が抜けているんです。

 そして、この部分、実は「教科書がよくない」という理由の一つにもなっているんです。先にも書きましたが、教科書は「教える内容」については細かく書いています。ただ、指導内容の「分類」「構成」については、全く考慮されていないと思った方がいいです。もっと正確に言うと「子供達が身につきやすいようにするためには、どういう手順が良いか」という配慮がなく、ただ「とにかく考えさせろ」に重点が置かれているだけなんだと思っていた方がいい。これでは身につくものも身につかない、結局、塾に通っていないとダメ、という結論になってしまっているんです。

 もう一点は、大学生のアルバイト感覚ではダメ、ということです。先生方の中には「家庭教師のアルバイトでこうやって教えたら出来るようになった」なんていう感覚の人もいるでしょう。ところが「中学生に小学校の復習をさせる」のと「小学生に初発で教える」のとでは、その指導方法は全く違うものなんです。すでに勉強してきていて、いろいろな知識を身につけている段階の子供達を教えるのと、初めて目にする内容を教えるのとでは、その授業の「導入方法」が全く異なるからなのです。
 別な表現にすると「身につけているセンス」の質や量が全く違う子に教えなければならない、ということなんです。初発で教える場合には、身につけているセンスがものすごく限られていますから、その「センスがない」ことを前提で授業を進めなければならないということです。
 だから「その単元を初めて目にする子達に教える導入部分から、学年の最後まで」をきちんとやり通していなければ、結局は「上っ面を撫でる」ようなことしか出来ないんです。ちょっとアルバイトで「家庭教師をやったから」「個別指導塾で教えたから」では、その授業は全く通用しない、と思ってかからなければならないんです。

 さて、「位取り」の感覚は、先に書いたように「数を数える練習」をこなしていくことで身につけやすくなります。ですから、小学校の低学年のうちに、安い時計をアナログとデジタルと2つ用意して、子どもに与えて遊ばせておくのが、一番いいと思いますよ。
 「1時58分、1時59分、1時60分・・・かと思ったら、2時だあ!」みたいな。そういうことで子供さんと遊んでみて下さい。そうやって、遊びながら「60進法の感覚」を身につけてくださいね。
(2017/03/10)

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分類と難易度


難易度が設定できないと指導力が上がらない

 前項で「分類」について書いたので、今回はその続きで「難易度設定」のお話。

 実は、前項で書いた「分類」が出来ないと「難易度」が設定できません。というのは、分類をする事によって、その問題と他の問題との違いを認識出来るようになります。すると、その「違い」になっている「要素」を見抜く力があるということですね。そして、その「要素」が難易度に関わってくるんです。
 例えば、「図形」の問題で言うと「補助線があるか、ないか」という項目で分類しますが、問題を解くときに「補助線を自分で書かなくてはならない」ということになれば、あらかじめ補助線が引かれている問題よりも難易度が高い、ということになります。証明問題でも「穴埋め」か「全部自分で書くのか」で、難易度が違いますね。
 そして、このように「見た目ですぐに分かる分類」もあれば「見た目ですぐに分からない」という分類のものもあります。大事なのは「見た目ですぐに分からないもの」についての難易度設定なんです。そういう問題のときに分類が出来なければ、難易度設定が出来ませんし、違いが分からなければ、生徒へのコメントの質も違ってくるのです。

 例として「0のセンス」をずっと使って来ていますから、ここでも「0のセンス」でお話ししますが、この「0のセンス」を理解している先生は、計算練習をさせるときに
「0があるところは、位取りに気をつけて計算しようね」
くらいのことは言えるんです。ところが、この「0のセンス」が欠けている先生は、0が計算能力に大きく影響を与えていることを知りませんから「計算間違いは、落ち着きがないからだ」くらいの感覚でしかありません。だから
「落ち着いて、間違えないように計算しましょう」
というようなコメントになるんです。
 そして、具体的に注意するところをコメントしておくと、子供達は「具体的に注意しなければならない点」を認識できるようになっていくのですが、具体的な学習内容についてコメント出来ないと、子供達も「ただ、何となく注意しているような気になっているだけ」で計算をし、最終的に、きちんとコメント出来る先生に習った子供達より正答率が落ちていく、という事になるんです。

 もう一つは「難易度逆転」の話なんですが、もしも「0のセンス」があらかじめ身についている子がいれば、0の入った計算って、すごく楽にやるんです。普通の数字よりも簡単ですから。ところが「0のセンス」が無い子は「0は嫌い」という感覚で、いろいろ迷った挙げ句、とんちんかんな答えを書いてしまう。となると「センスがある子」は0の入った問題の難易度が低くなるのに対し「センスが無い子」は0の入った問題の難易度が上がるんです。こういうところを見抜いていないと「前の学年の子は出来たのに、今年の子供達は出来ない」などという現象が起きた際、その原因が分からないため、その原因を国語に転化してしまう、という事を平気でやってしまうわけです。何でもかんでも「国語のせい」にしてしまうんですね。
 そして、こういう部分を子供達を教えている中で見抜いていかなければならないんです。そうすることで、子供達に合わせた難易度設定が可能になります。

 中学校の先生で、問題を見て「この問題は難しい」なんて言うこともあると思いますが、「なぜ、この問題は難しいのか」というところを解答解説でコメント出来なければ、そんなの指導にも何にもなっていません。そして、なぜ、きちんとしたコメントが言えないのか、というと「分類」による「要素」の確認が出来ず、ただ何となく「難しい」と言っているだけだからです。そして、その難しい・易しいは、先生の「自分基準」だったりします。分類が出来ていないとしても、最低、問題の正答率くらい見てコメント出来なければならないのですが、入試の問題の正答率を見ていたりしているんでしょうか? 

 また、よく、難しい問題を学力の低めだと思われているような子が突然解いたりして
「わあ〜、すごいね〜」
なんていう場面もあろうかと思いますが、「すごい」と口では言っても、その子に「センス」のあるなしを知っている先生であれば、それは「当然」として認識できるんです。それを「下克上が起きると楽しい」と本気で思っているようでは、指導力が高いとは言えないんですよ。
 というのは、あらかじめ、自分が用意した問題は「この子とこの子は出来る」くらいの当たりがついていなければなりません。その自分の設定と違うところが出てきた場合、子どもに「すごいね〜」と言ってお終いではなく、自分の視点のずれを修正するという心構えがなければならないんです。

 さらに言うと、子供達に「センスがあるかどうか」を見るためには、分類上、先生が確認したいと思っていた「要素」の入っている問題をやらせると、簡単に見抜けるんです。

 ちょっとネタバレですが、くしろ子ども未来塾の算数検定の文章問題で
「1回目3点、2回目0点です。合計何点ですか?」(数字や問題文は違います)
という問題をいれてあります。そして、これで式を作りなさいと言うと
3+2=5
と書く子が非常に多いんです。
 これ、2回目がちゃんとした数字だと間違えずに式を作れるのですが、2回目が0だと「0のセンス」の無い子は躊躇しちゃうんです。+0とやっていいのかどうか分からない。結果、ちゃんとした数字になっている「2回目」の「2」の方の数字をいれてしまうんです。「落ち着いて文章を読んでいないから」じゃ無いんです。0の扱いが分からないんですよ。

 こういう「分類」「難易度設定」が、その先生の指導力に大きく影響しているんです。今まで「こんなの知らなかった」と思った先生は、これから、真剣に切磋琢磨してくださいね。
(2017/03/09)

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作成と指導力


分類が大事

 前項のつながりで、指導力を上げるにはどうしたらいいか、ということを、今度はプリント・テストの作成を基準に書いていきますね。今回もベテランの指導力のある先生にとっては「当たり前」というお話です。

 まず、最初にちょっと考えて欲しいのが、2桁+2桁の計算には、いくつパターンがあるか、ということです。

 1 繰り上がりのないもの(足す数・足される数、共に0を含まない)
 2 繰り上がりのないもの(足す数の一の位が0)
 3 繰り上がりのないもの(足される数の一の位が0)
 4 繰り上がりのないもの(足す数・足される数、共に一の位が0)
 5 一の位のみ繰り上がりのあるもの(答えの一の位が1〜9の数字になるもの)
 6 一の位のみ繰り上がりのあるもの(答えの一の位が0になるもの)
 7 十の位のみ繰り上がりのあるもの(答えの十の位が1〜9の数字になるもの)
 8 十の位のも繰り上がりのあるもの(答えの十の位が0になるもの)
 9 一の位・十の位の2回、繰り上がりがあるもの(答えがすべて1〜9の数字になるもの)
10 一の位・十の位の2回、繰り上がりがあるもの(答えの一の位が0になるもの)
11 一の位・十の位の2回、繰り上がりがあるもの(答えの十の位が0になるもの)
12 一の位・十の位の2回、繰り上がりがあるもの(答えの一の位・十の位が共に0になるもの)

 今まで「0のセンス」については、しつこく書いてきましたが、この「0のセンス」は非常に大切なので、独立した分類になっているということなんですね。そして、市販の問題集などでは、このような分類がしっかり行われていて、例えば旺文社の「計算問題の解き方」という、ピンク色っぽい表紙の問題集では、この分類に当てはまる項目を、例えば「繰り上がりのない2けた+2けたの計算」というようにタイトルとして書いてくれていたりします。すなわち「どのパターンときに出来るか、どのパターンのときに出来ないか」を確認出来るようになっているんですね。そして、自分が見ている限り、こういう分類が一番しっかりしているのは受験研究社の問題集ではないかと思っています。

 さて、この分類がしっかりしていないとどういう事になるか、というと、指導者側が、計算パターンの抜けている部分に意識が行かない。だから、教科書を教えて何となく出来ているな、と思ってそのまま次の単元に進んでいったりするのですが、結局、パターンの抜けているところが穴となって、結果、子供達の学力が頭打ちになってしまう、という事態が起こります。ちなみに、こういうパターン分類というのは、計算に限らず、すべての分野にあることですから、そこが無頓着だと「数字のセンス」や「図形のセンス」などの分類内容が、どんどん抜け落ちていく、ということですね。これじゃあ、学力が上がりません。

 ですから、きちんと分類を行って、一つ一つきちんと確認していくことが大事になるんです。そして、例えば、上記の分類で行けば「1〜4まではすぐに出来た、ところが5のパターンになるとかなり正答率が低い」となった場合、5のパターンに分類される問題を多めに練習するとか。また、答えに0が入る問題の正答率が低いとなれば、その問題を手書きのプリントにして、宿題にするとか。そうやって、補強するところをピンポイントで見ていく事が出来る訳です。自分は、よく「問題の量をこなせ」と言っていますが、単純に300問とか400問と言っているわけではありません。例えば、上記の例で行けば、1〜4までは20問ずつ。5〜8までは30問ずつ、というように、分類したそれぞれから、算定した数値なんです。

 また、自分が作成を担当した「子ども未来塾」のテストも、このような分類のもと、子供達の実力を確認するのにいいパターンをピックアップして作成していますし、同様のことは「算数・数学検定」などでも行われているんです。もちろん、教材会社などは、このあたりの分類については、非常に気を使って参考書や問題集を作成しているんです。だから、そこに知的財産が絡むわけで、問題の配列〜レイアウトなどに著作権がかかる、という仕組みになっているんです。
 ところが、残念な事に、学校の教科書は、この分類について、結構、無頓着なんです。同一パターンが複数ある割には、抜けているパターンがゴソッとあったり。要するに「指導する内容」については、丁寧に書かれている割に、こういう配列については、残念賞なんです。だから、教科書だけ一生懸命やっても学力がつなかいんです。プリントなどで適宜、補充して行かなければならないんですね。

 ちなみに、こういう分類感覚がない人が、きちんと分類されているテストや問題集を見ても、意味が分からないので「自分もこのくらいのプリントなら作れる」くらいに思っているんです。でも、その程度の見識しかない人には、学力は上げられない。たまたま生徒が出来てくれて「ラッキー」なだけなんです。
 そして、こういう「分類に無頓着な感覚の人」って、人から教えられたりしない限り、いつまでも気づかないままで過ごしてお終いだと思いますよ。そして、子供達が出来ない原因が掴めないから、いつまでも「国語が大事」にしかならないんです。

 逆に、こういう見識があれば、定期テストの問題を見るだけで、その先生の実力が分かります。同一パターンの内容ばかり出しておきながら、その他のパターンについては、ボロボロ抜けている。そういうテストを作っている先生は、パターン分類が出来ていないため、授業で教えている内容でも抜けている内容が大量にある、ということになるんです。もう少し、気を使ってテストを作れるようにならないと。また、こういう分類が出来ていない状態で、単に内容を難しくしろ、というのも、分類が出来ていないと言うことでは「同レベル」なんです。単に難しい問題を出せばいい、ということではないんですよ。
(2017/03/06)

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知識と指導力


知っていると対応力が変わる

 前項で、和算を知っているか知らないか、その差について若干触れたので、その続きで、ここでは、きちんとした教務上の知識があるか無いかで指導力に差が出る、というお話を書いておきますね。ベテランで、指導力の高い先生だと「こんなの当たり前だろ」という話にしかならないのですが、現実問題として、釧路全体が、あまりにも算数・数学の学力が低いのは、おそらく、こういう事を知らない先生が多いのではないか、という想定でのお話です。同じ「センス」の話でも、こちらは「指導のセンス」のようなお話。

 ここで、一つ問題です。
「正四角錐に頂点は、いくつありますか?」
 ちょっと考えてみてください。

 答えは「1つ」です。実は、あのてっぺんのとんがりだけが頂点で、底面の4つの角は頂点とは言わないんです。なぜかというと「頂点の定義」に、底面の4つの角が合わないから。定義については、指導書にちゃんと書いてあります。知らなかった人は、指導書をちゃんと読みましょうね。
 この角錐の頂点、中学入試では結構厳密に扱われていて、きちんと知らないと問題文の意味が読みとれなかったり、解説を見ても、意味が分からなかったりします。気をつけましょうね。
 また「数字のセンス」のところで書いた「0のセンス」なんていうのも、指導書に載っている内容です。「0をきちんと扱えるようにしましょう」なんていう目標が書いてあったりするわけ。

 それで、上記の「角錐の頂点」や「0のセンス」の話を聞いてピンとこない人は、指導書すら満足に読んでいなかったり、読んでいても意味が分からなかったりしているんですよ。実は、教科書って、長年ずっと研究されてきている訳ですから、こういう基本的な、子供達が身につきづらい「センス」などについては、きちんと指導内容として、組み込まれているんですよ。だから、教科書の内容で何が大事になるか、ということくらいは、ちゃんと読み込んで、子供達にきちんと教えなければならないんです(ただ、その配列や手順で、変なところがあるので、そこは直して教えなければならないのですが)。

 そして、こういう知識があるかないかで、指導力が変わる、と言うことなんですが、これは「0のセンス」で例を挙げましょう。

 自分たちの仕事上、よくお母さん方から「うちの子、落ち着いて計算しないから、すぐに計算間違いをするんです」とか「うちの子、計算だけはちゃんと出来ているようなんですけれども・・・」なんていう話をよく聞きます。こういう話を聞いて、大抵は話を額面通りに受け取って「計算を特訓しましょう」とか「計算以外をガッチリやりましょう」と考えるんだと思うんです。ただ、自分は、根性が曲がっていますから、お母さんの前では、額面通りの答え方をしていても「計算が出来ていないのは、落ち着きがないからではなく、計算問題に0が入ると出来なくなるんじゃないか」とか「一見出来ているように見えても、計算問題に0が入ったら、出来なくなるんじゃないか」くらいのあたりをつけておくんです。

 そして、実際に計算をやらせて、間違えているところがあったら、問題に0が入っていないかどうか、真っ先にチェックをするんです。当然、ビンゴ! となるわけです。そうすると「0のセンス」が怪しかったら、先に書いたように「位取り」も怪しい可能性が高いわけで「それじゃあ、九千八百一を書いてごらん」とやるわけです。すると、だいたい3分の1くらいの子が正しく書けない。九千八百一を見て、最初に数字の981を書いてから、位を合わせるために00とくっつけて「98100」と書く子が出てくる、といった具合です。

 それが「0のセンス」を知らない先生だと、単純に「間違えた問題をもう一度解き直ししようね」と計算の仕方を教えるだけでお終い。位取りの確認はしないでしょうし、根本的に「0のセンス」は直っていない訳ですから、結局、0の絡む内容で同じような間違いを繰り返してしまう、ということになるんです。
 要するに、生徒が間違えたときに「どこに着目して良いか」が分からない。だから、付け焼き刃みたいな対応しか出来ない。それで、結局、責任は全部「国語力」というような話になってしまうわけです。ところが実際は、漢字検定を基準で見ても、4級・5級に受かっている子で「繰り下がりの引き算」が怪しい子もいれば、7級・8級に受からないような子でも、小数・分数の計算がちゃんと出来る子もいるわけで、この辺の内容になると、原因は国語では無いんですよ。算数・数学、そのもの自体に原因があるんです。「単元を貫く言語活動」でしたっけ? そんなことじゃ、算数・数学は出来るようにならないんですよ。

 そこで、一番、問題になるのが、こういう内容を、きちんと先生方に指導出来ているんですか? ということなんです。
 教育委員会では、こういう授業内容を指導する立場として、指導参事・指導主事という人がいるんですが、この人たちに、上記のような認識があるんでしょうか? 学校に出向いていって、各学校の先生方の授業を見たときに、単にダメだしするのではなく、こういう内容を現場の先生にきちんと伝えられるんでしょうか? 
 実は、その地域の学力・指導力は、トップの人間の指導力によって大きく左右されるんです。トップの人間の実力が低いと、指導力が上がっていかないんですよ。
 学校の先生だと、我々とは別の、指導上の注意事項なども、もちろんあろうかとは思いますし、その分、大変と言えば大変なのかも知れませんが、それと教務とは、やはり、一線を画し、教えるべき所はきちんと教える、というスタンスでいないとならないと思うのですが。
(2017/03/04)

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「文章立式のセンス」〜和算と先取り


先の学年の事をやってもあまり意味がない

 前項で「和算」の話を書きましたから、ついでに和算についてお話しておきますね。

 ざっと、並べてみるとこんな感じでしょうか。
和差算
消去算
倍数算
分配算
年齢算
差集め算
過不足算
つるかめ算
植木算
方陣算
仕事算
旅人算
通過算
流水算
相当算
時計算
ニュートン算

 小学校で扱う内容なんですけれども、これが中学校でどうなるか、というと、例えば「紙テープをつないで、その長さを文字式で表す」「マッチ棒を並べて図形を作り、その本数を文字式で表す」なんていうのは、実は「植木算」の考え方。方程式で「誰かが誰かを追いかけたり、誰かと出会ったり」するのは「旅人算」の考え方。「列車がトンネルや鉄橋を通過する」というのは「通過算」の考え方なんです。具体的な問題を知りたい方は、市販の問題集などを見ても普通に載っています。そのくらい、普通に扱うレベルなんですよ。そして、学校でも、小学校4年生で「植木算」の考え方をやっていたりするんですね。もちろん、学校でやっている、やっていないに関わらず、小学校3年生で「和差算」くらいの考え方は身につくと思いますよ。

 それで、この和算に関してですが、小学校の先生は教科書を見ていて、ある程度知識はあると思いますが、釧路の場合、この和算がダメなのは、むしろ塾の方ではないかと思います。要するに中学受験があまり絡まないので、小学生をきちんと教えられる先生がいない。中学校を教えていても小学校の内容を研究しようとしないから、こういう問題自体に触れていない。おそらく、この辺が理由だと思います。すなわち、小学生に「幅を広げる内容」を教えられる先生がいない、ということなんです。
 個人の塾だと、ちゃんと出来る先生がいるかも知れませんが、大手の学習塾だと、まず、ダメだと思った方がいいでしょう。もちろん、中学校の先生も、塾と同様、小学生内容を把握できていないでしょうね。結局、どちらも「勉強不足」なんですわ。

 そして、こういう内容を知らないと「レベルの高い」事は「上の学年の内容を教えること」と勘違いし出すんですね。「小学生が中学校の内容を勉強する」とか「中学生が高校の内容を勉強する」ことがレベルの高いこと、と思いこんでしまうんです。これ、社会や英単語とか、そういうものだったら分かりますが、数学となると、それは間違いなんです。
 実例で行くと「公文」がそうなんですよ。

 実は、公文に通っている小学生の子で中学校の内容を習っているとか、高校の内容を習っている、という子は結構います。ところが、こういう子は、中学・高校に行って出来るようになっているか、というと、そういうわけではないんです。実際は、先に公文で中学校の方程式を習っていた、なんていう子がいたとしても、中学校に入って周りの子供達がみんな方程式を習った時点で、周りに追いつかれ、結局、ドンドン学力的に埋もれていってしまうんです。高校内容でも同様です。
 正直に言うと、釧路の場合、学校の平均点が赤点ですから、公文で計算が出来れば上位にいれる、という状況なので、中学生でも公文に通っている子は結構いるんですが、学力が普通の地域では、公文は「だいたい小学校3・4年生まで」。せいぜい引っ張っても「小学生まで」と考えている保護者が圧倒的に多いんです。

 ですから、普通の感覚で考えた場合、算数・数学に関しては、上の学年の内容をやるよりも、今、習っている内容の幅を広げた方が将来的には、圧倒的に有利なんです。

 もう一つ別の例を挙げておきますが、これは東大・京大を輩出している予備校の先生のお話ですが「やはり、中学受験を経験している子としていない子では、中学受験を経験している方が有利で、学力も高い」ということなんだそうです。
 それで、中学受験を考えたときに、小学校の勉強内容は、大抵、小学校5年生か、もしくは6年生の最初の方で終わらせてしまいますよね。なぜ、こういう事をするか、というと、時間を捻出して、考え方の幅を広げる時間を確保したり、考え方の幅を広げる内容をより多く扱えるようにするため、なんです。だから、中学受験の有名塾では、小学生の内容を終わらせたあと「先取りして中学校の内容をやる」なんていうことはしません。先取りが効果が無いことを知っているからです。
 そして、この中学受験で「和算」などを取り入れて、算数・数学の「考え方の幅を広げている」から、大学入試にも有利になるんです。

 ということで、先の学年の内容が出来たからといって、レベルが高いということは、数学ではあり得ません。むしろ、今まで書いてきたような「数学のセンス」を鍛える方向で、今習っている学年の内容を中心に「考え方の幅を広げる」内容を勉強していきましょう。
 それに一番見合っているのは、何と言っても「和算」なんです。
(2017/03/03)

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「文章立式のセンス」3


動く感覚と止まった感覚

 算数・数学の文章問題では、国語のイメージと数学のイメージの取り方が違う、というお話を前項・前々項としてきましたが、おそらく、その極めつけは「動点の問題」ではないかと思います。

 「動点の問題」とは、こういう問題。
 「点Pが三角形ABCの頂点BからCまで、毎秒1センチメートルの速さで移動する。三角形ABPの面積が96平方センチメートルになるのは、点Pが点Bを出発してから何秒後か?」
 図は割愛しましたが、こういうふうに、点が移動する問題なんですよ。

 この問題、純粋に国語的に捉えると、点が動いている状況を想像するんですね。ところがそれでは訳が分からない、とっかかりも掴めないんです。それで、塾の講師は必ずこういうことを言います。
 「動いていると考えると、分かりずらくなるので、96平方センチメートルになったところに点を止めて考えるんだよ」そして、解説も、動いている状況ではなく、1秒後で止まった、2秒後で止まった、という感じで、ビデオのコマ送りのような感覚で解説を入れるんです。

 要するに、子供達が初めてこの手の問題に接したときには、文章通り「動いている状態」を想像してしまうので、それを数学的発想の「点を止めて考える」という、そういう解釈の仕方に切り替えさせるんですね。

 同様の問題が小学校レベルの和算で扱う「通過算」になります。
「長さ128m、時速81kmの特急電車と、時速63kmの快速電車がすれ違います。電車が出会ってから完全に離れるまで7秒かかりました。快速電車の長さは何mですか?」
 これも、すれ違って動いている状態を想像してしまうと、手が出ないんです。だから、すれ違い始めの瞬間と、すれ違い終わりの瞬間で止めた状態を想像する。そして、その間の動きを1秒・2秒・・・と順に設定し、その間の動き方の規則を見つけていく、という考え方をします。そうやって、文章の解釈の仕方を数学寄りにしていくんですね。

 ということなんですが、ここでちょっと考えてくださいね。

 ここで出てきた「動いていると考えると、分かりずらくなるので、96平方センチメートルになったところに点を止めて考えるんだよ」とか、前々項で出てきた「食塩水の問題は、今までと違って、文章を読んでも直接文章内に条件が書かれていないから、それを自分の力で見抜いて行かなければならないんだよ」というように、実は一つ一つの「文章問題」に対し、事前にどういうことを生徒に言わなければならないか、という事が決まっているんですね。よく「授業のシナリオ」なんて言いますが、それこそ「このときには、これを言わなければならない」という文字通り「セリフ」が決まっているんです。ですから、自分が学習塾で数学科の主任をやっていたときには、大学生のアルバイトに、こういう授業で言わなければならないセリフをたたき込むんですね。だから、大学生のアルバイトでも、このくらいの授業が出来るんです。

 ところが、こういう「子供達がどういうところで迷うか」という感性の鈍い人は、動点の問題だと、そばに図が書いてあるので、それを見て、そこに適当に数式を書いてお終い。子供達がどこで分からなくなっているのか、というところに手を伸ばした解説が出来ないんです。ただ「図に書き込め〜」とやり出すんですよ。学校の先生でも塾講師でも、そういう感覚の人って、釧路の場合、結構、いるんじゃないかな、と思います。

 そして、もっと言うと、実は、以前いた北見では、だいたい北見工業大学の学生がアルバイトに来るんですが、こういう元々理系の学生は「動いているのと止まっているのとでは、感覚が違う」ということをすぐに理解して授業に生かせるのですが、釧路教育大の学生だと、その感覚の違いが理解できず、なんかぼんやりしている感じなんですよ。おそらく、理系の子だと、小・中・高校と数学の勉強をしてきた中で、この感覚の違いによって問題が出来る出来ないの差が出るということを実感しているのに対し、文系感覚の子は、きちんとした考え方を持たずに何となく過ごしてきただけなんでしょうね。だから、分からないのかな、と思っています。

 ちなみに、塾の研修の中で「生徒の質問」を想定した対応の練習というのがあります。普通は、実際に生徒から出た質問や、授業の練習の中で説明が足りなかったところに関しての質問になったりしますが、釧路の自分のいた学習塾の場合、なんじゃそりゃ、というような、実際にはあり得ないような質問で、単に「研修を受けている学生や新人講師をいじめているような質問」ばかり並べ立てるような事をやりだすんですよ。いわゆる、今で言う「パワハラ研修」みたいな感じなんですよ。それでいて、授業の流れを身につけるような研修って、ほとんど無いんです。
 大丈夫か?
(2017/03/02)

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「文章立式のセンス」2


小学生の基本

 前項で「これが出来ないと小学校内容の復習が必要」と書きましたが、それでは、小学校ではどんな感じなのかな、ということを小学校低学年内容でお話しますね。

 小学校の低学年では、まだ、言葉の反応自体が薄い、ということを前提に考えるので、例えば「合わせていくつ?」と出てきたら足し算だよ、とか「どちらがどれだけ多いでしょう?」と出てきたら引き算だよ、というところからスタートします。小学校1・2年生だと、こうですね。また、まだ計算自体の弱い子もいますし、ビジュアル的に分かりやすくするために、ミカンがお皿にのった図などを書いたりするわけです。
 それで、これもちょっと考えてもらえば分かると思いますが、慣れてくると、文章を読んでいちいちお皿にミカンがのっているところを想像しながら式を作るわけではないでしょ。「数字」と「合わせていくつ」のような言葉から、足し算の式を作るという作業をするだけなんです。要するに「文章の中から、式を作る条件」を抜き出してサッと式を作って計算をしているだけなんですよ。
 だから、こういう問題に対して反応の悪い子に、もう一度図を書いて丁寧に説明したところで、結局「わかんない〜」ってなりませんか? それは、条件が分からないか、本人の中に迷いが生じる「別の要素」が入り込んでいる、と考えた方が無難なんです。そこを追及しないと出来るようにならないんですよ。

 そして、ここから、上記のような「合わせていくつ」という言葉だけではなく、その他の言葉のバリエーションを増やしてあげることが大事なんです。「全部でいくつ」とか、もしくは、こういうキーワードが出てこないものとか。そういうのに慣れさせて行くんです。そうなると、先生が生徒にやらせる問題を決めるときに「どういう言葉を使っているのか」という事を吟味することが大事になるんですね。
 ところが、そこまで気が回らないと、何となく「文章問題が出来ない」という感覚で、中身を吟味せず、その辺の問題集をまるまるコピーして、生徒に配って「宿題で〜す」のような事をやってしまうんです。それで、著作権に引っかかるとか、そういう問題になって行くんですよ。

 それから、ある程度、文章問題に慣れてきたら、今度は「逆の発想」の問題にも手を着けていきます。例えば、こんな感じ。
「ミカンが皿の上に5個ありました。それに、何個か足すと、お皿のミカンが8個になりました。何個足しましたか?」というレベルのものです。要するに「足しましたか?」という言葉で、引き算をする事になりますね。
 実は、子ども未来塾などで、問題をやらせていると、この「逆の発想」の問題の正答率が予想以上に低いんです。基本的には四則が全部揃って、小学校3年生で扱うことが多いと思うんですが、ここが怪しい。やはり、小学校3・4年生の先生の教える力量が低いのではないかと思うんですが、どうでしょう。

 この「逆の発想」、近いところでは、次の小学校4年生だと「□(四角)を用いた式」で扱います。ところが、その前の段階である程度慣れていないと、この段階で全然分からなくなってしまう子がたくさん出てきてしまうんですよ。そして、その前段階での慣れが、あまりにも薄い。これが、先に続いていかない一つの原因になっているのではないか、ということですね。
 さらに、この「逆の発想」、遠くで見ると、中学校2年生の証明でも関わって来るんです。いわゆる「論理の逆」というやつですね。「二等辺三角形の底角は等しい」の逆で「底角が等しければ二等辺三角形である」というやつ。小学校の文章問題と侮っては行けません。一見関係なさそうに見えますが、こういう「逆を行ったり来たり出来る感覚」というのは、後々まで影響があるんです。

 ということで、こういう「センス」という視点で、数学全体の流れを考えていくと、学習内容のつながりが細かい部分でハッキリしてきます。自分は、小学校の復習を重要視しているんですが、こういう「センスつながり」というのがあって、小学校の基本的なセンスを鍛えておくと、今まで分からなかった中学校の学習内容がスッと頭に入ってきやすくなるんですね。
(2017/02/28)

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「文字のセンス」と「文章立式のセンス」


国語の読み取りとは違います

 よく文章問題を扱うときに、自分もお母さん達には「文章の読み取りですから国語力が大事です」とは言いますが、実はこれ、国語の文章を読みとるという感覚とは全く別物になります。これは、お父さんの方が経験があると思うんですけれども「おれ、国語は通知表3だったけど、数学は5だったぞ」っていう感じ。以前は、国語の文章を読ませてもなんかパッとしないんだけど、数学だけはバッチリ出来るという男の子って、結構多かったんです。もちろん、漢字が読めないなんていうケースだと論外なんですが、それさえクリアしていれば、後は数学独自の「数学の読み取り方」がしっかり出来ていればオーケーなんです。

 それで、例として、連立方程式の問題を扱ってみますね。
「ある会場の入場料は、大人4人と子ども7人で1360円。大人2人と子ども2人で560円です。大人1人、子ども1人はそれぞれ何円ですか」
 こういう問題が出てきたときに、まず最初、xとyを指定して、そのあと学校の先生は普通に「大人4人と子ども7人で1360円」にアンダーラインを引いたりして式を作らせようとしますね。これ、要するに「立式に必要な条件に当たる部分を文章から抜き出す作業」なんです。これが出来ていればオーケーなんです。そして、そのあと「大人2人と子ども2人で560円です」からもう一つ式を作って、計算して答えを出してお終い。こんなところに国語のイメージとか、必要ですか? 単純に小学校の文章問題で「合わせていくつ」くらいの内容が出来ていれば、それと同じ事を2回やればいいだけです。ただ、釧路の場合「文字式のセンス2」でも書きましたが、この程度のものでも「難しい」というイメージを小学校のときに与えてしまっているから、出来ない子が出てくる、というだけなんです。こうなると、小学校の復習からやらせないとダメですよね。

 さて、次に「速さ」とか「食塩水の問題」になっていきます。そして、ここで大切になるのは、この「立式の条件」が、文章の中に直接書かれていないから、それを読みとることなんです。だから、この問題を説明する前に
「食塩水の問題は、今までと違って、文章を読んでも直接文章内に条件が書かれていないから、それを自分の力で見抜いて行かなければならないんだよ」
ということを前もって話しておかなければならないんです。そうやって、今まで勉強してきたものとの違いをきちんと話してから、内容に入っていかなければならないんです。そして、見た目で分かりやすいように図を書いたりするわけ。
 このように、その問題の狙いや性質・ポイントをきちんと理解して(上記であれば、条件が隠されているとか)、その内容を生徒に与えられるかどうか、という部分が大切になるんです。そういうポイントを理解せずに「ああすれば出来る」「こうすれば出来る」は無意味。もっと「問題自体を研究」しなければならないんです。

 そして、それでも「図を書いてきちんとやろうとしない子」というのがいるんですが、自分が言っているのは、ここまでお膳立てしていても書かない子がいるという話で、単に「図を書けばできるんだぞ〜」という感覚で「書かないんだよな〜」と言っているのとは、根本的に授業のレベルが違うんです。
 図を書かないのは「面倒くさい」とか「俺は図を書かなくても出来る」とか、そういう感覚でいるか、「図をお膳立てしてあげても、どこに何を書いていいのか分からない」という「図や表のセンスが抜けてしまっている子」なんです。国語力とは関係ないんです。
 ただ、大抵の子は「条件を見抜くのに必要だ」という感覚で考えますから、図をきちんと書くようになってきます。そして、頭の中で条件を組み立てられる子は、文章からそのまま式を作るようになりますね。結局、図のイメージなんて関係ないんです。

 食塩水の問題も、ここから一歩進めていくと、今度は「食塩水と水を混ぜる」「食塩水の水を蒸発させる」とか「食塩水の一部を取り出して混ぜる」とか、そういう問題に切り替わってきます。そうなると、一番楽な解法としては、基本の問題との比較で「どの条件がどのように変わるのかを見抜いていくこと」になります。
 ただ、釧路では、ここまでの内容を扱っている学校を見たことがありません。こういう「条件を見抜く練習」をさせないと、学力が上がらないでしょ。そして、こういうレベルの問題を扱えるくらいの余裕で、カリキュラムが組まれているはずですよ。それをやりもしないで、何でこんなに授業が遅れるの? 

 ということで、文章問題の場合、この「条件を見抜く」、そして、見抜いた後「それを文字式で表す」という作業になります。文字式で表すということについては、前項までに書いていますから、ここでは割愛しますが、こういう手順なんです。
 だから、文章問題が出来ないという場合、「条件が見抜けないのか」「見抜けても文字式で表せないのか」というこの2点のどこでつまずいているかを確認していくことになります。
 さらに言うと、この「条件を見抜く」感覚をグラフに置き換えると「関数の問題」が出来るようになりますし、図形に置き換えると「図形の問題」が出来るようになります。「私、計算は出来るけど、その他は・・・」という人は、この「条件を見抜くセンス」が未成熟ということなんですね。

 正直、まだ授業が未熟な1年目とか2年目の先生だと「文章問題だから国語力が必要」という感覚でいる人も多いと思いますが、基本的に「国語の読み取り」と「数学の読み取り」は違うということが大事で、その点を理解していくためには、少なくても一通り自分の力で、中1の正負の数の導入から中3の最後まで、きちんと全学年通して授業を構築出来るようにならないと結局、その時点で何が必要かということが見えません。一部だけを見て、ここは「ああする」「こうする」という事をやってみたところで、そんなのは付け焼き刃の空論にしかならないということです。
 さらに、ベテランがこういった保護者レベルの感覚でいたら、情けない。もう少し「子供達はどこが出来ないか」という事を追及していかないと。そして、何でもかんでも「国語力」と考えているようなら、それは、前項でも書きましたが「文系感覚」で数学の授業を進めようとしている人なんです。
 それでは、根本的に数学の学力をつけることは出来ないんですよ。
(2017/02/27)

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「文字のセンス」3


×÷の省略

 一般的に、文字式で×÷の省略を扱う場合、ただ「約束事」を覚えてお終いなんですね。で、何となく式のままで書く、という感覚の子が多いんです。教えている側もあまり気にしていない。でも、それでは数学が出来るようにならないんですよ。
 どういうことか、というと、文字式の×÷の省略は、初期段階では「計算した答え」という感覚で捉えなければならないからなんです。

 例えば、小学校で
3×5=15
となって、答えが数字ででるでしょ。これに文字が入ってくると
3×a=3a
と表記するんですが、このときに、×が省略された3aは、数字で計算した15と同じ、計算して一つにまとまった「答え」なんだ、という感覚が大切になるんです。

 だから、a÷b×c は、×÷の記号を省略するとac/b(b分のac)となりますが、a÷bcだと、bcはすでに計算された一つの数字と捉えて、a/bc(bc分のa)となるんですね。
 さらに言うと、
a+b
というように、足し算になると計算記号の省略は出来ませんから、答えはそのままa+bとなるんですが、答えを書くときには( )をつけて (a+b)円 というように書きなさいと習いますね。これ、計算した答えとしてひとまとまりとして考えなさい、という意味で( )がついているんです。
 そして、これが進んでいくと
「時速xkmでy時間進むと、xy(km)進む」という表記も、xyは計算された一つの数字と捉える感覚になって行きますし、食塩の量として出てくる0.3x(g)なども、計算して出てくる5gとか10gのように、一つの数字として捉えるようにしていきます。よく問題で出てくる「最も簡単な形で表しなさい」というのは、数字だけの式で言うと「ちゃんと最後まで計算して答えを出しなさい」と言っているのと同じ意味なんです。
 ちなみに、答えに単位をつける場合の( )の付け方ですが、自分の場合は、答えに+−の記号が入るときは(a+b)円 のように答えの方に( )をつける。×÷が省略されているだけの場合はxy(km)のように単位の方に( )をつける、というように指導します。

 という話を聞いたときに、皆さん、どう思いますか? ということなんですが「こんなの初めて聞いた」という人、いませんか? おそらく、釧路出身者は、ほとんど聞いたことがないんじゃないかと思います。こんなの学生時代に習ったことなんか無い、という人が大半だと思いますし、それが高じて、保護者の方でも「こんなのどうでもいいべさ」と思っている人が多いんじゃないかと思うんですね。ところが、それが学力低下の始まりなんです。
 実は、北見・帯広は、こういう細かいところがしっかりしていますし、自分が学生時代も、こういう話を学校できちんとされているんですね。そして、数学というのは、こういう細かな部分をきちんやることが大切。そうやって一つ一つの「数学のセンス」を養っていくことが大切なんです。
 ちなみに、答えの( )の付け方で言うと、生徒が言ってくる内容はこういう差になります。
 北見あたりだと「先生、答えの( )の付け方、こういうときはどうすればいいの?」
 これが釧路だと「先生、そんな( )なんか、どうでもいいしょ?」
 ね、学校できちんとやらないから、生徒の感覚もこういうふうになるんです。

 おそらく、釧路の教師も塾講師も「こんなの数をこなせば何となく身につくでしょ」くらいの感覚なんです。でも「何となく感覚でこなす」と考えるのは、大学で言うと「私立文系」タイプなんです。理系じゃありません。理系って、細かいことまできちんと行かないと気が済まないというタイプなんですよ。ざっくり感覚的に出来ればいいしょ、というものでは無いんです。
 そこをはき違えているから理系が育たないんです。湖陵理数科に行ったにも関わらず文系に変えるのは、単に数学が不得意だからだけではなく、細かいところまで追求しようという姿勢がそもそも身についていないからなんです。

 学校の先生については、上記の内容はみんなが知っていなければならないことなんです。指導書にも載っているでしょ「文字の意味を理解させる」なんていうの。研修授業で取り上げるのはこういうことですよ。「あんなことやりました」「こんなことやりました」ということが書いてありますが、根本的な解決になっているような方法を見たことがありません。
 「自分たちの方法で学力を上げます」と言ったところで、上記のような具体的な方法は持ち合わせていないのではないかと思うんですが、どうなんでしょう?

 ということで、教える側が「俺、何となく学生時代にこれで出来たから」くらいの感覚で、どんぶり勘定の授業で済ましているのであれば、それは大学生のアルバイトと何ら変わりません。なぜ、子供達が出来ないか、ということを上っ面ではなく、もう一歩踏み込んで考えていくことが出来ないと、本当のプロではありません。
 上記の内容を知らずに「俺は釧路で一番数学の授業がうまいんだ」なんて言ってないだろうね。
(2017/02/26)

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「文字のセンス」2


中学校の文字式と小学校の立式の関係2

 前項で、文字式の感覚を書きました。結局、小学校のときにきちんと式を作らないから、中学校の文字式になったとたん、挫折する子が多くなるんです。そして、中学校では「当たり前」の事が、小学校では「難しい」という扱いになってしまうと、子供達の感覚が「文字式は難しい」という感覚になっていってしまうんです。
 ここがいわゆる「目線が低い」という話とつながるんですが、中学校で当たり前に扱うものは、小学校での「できなきゃダメ」くらいの感覚で教えていかないとならないんですよ。それを「難しい」なんて考えているようでは、子供達の学力は全然向上していかないんです。というのは、子供達は自分で「難易度の設定がまだ出来ないから」なんです。だから、小学校の段階で、後々出来なくなってしまうような先入観を与えてはダメ、ということなんですね。そして、そのためには、小学校の先生は、中学校の学習内容を把握し、どこにどうつながっているかを知らないとならないんです。

 さらにもう一つ。「文字のセンス」で大事になるのは「文字を数字と同様に扱えるようにする」というのがポイント。単に数字の代わりに文字を扱っているわけですから、文字に対して「特別な存在」という意識を払拭しなければならないんです。そこで、大切になるのも、やはり小学校のときにきちんと式を書くことなんです。
 子供達が文字式を勉強しているときに、式を作る段階で「単に、数字のところに文字を当てはめればいいんだ」という感覚で勉強を進めて行けるようにすること。そうやっていると、自然に「文字に対する抵抗感」が薄れて行くんです。ここが式を作る重要な部分なんです。
 ところが、釧路ではほとんど式を書かないんですね。結果、文字式は文字式で「数字とは別の扱い」。文字の感覚が薄いまま勉強が進んでいって、最終的に「計算すら満足に出来ない子」が続出。数学の平均点が赤点になってしまうわけですよ。特に中学校の数学で、一番大事なのは「文字のセンス」なんです。文字を自由に扱えるようになって、中学校の数学は一人前。

 裏を返すと、平均点が赤点である以上、「文字の感覚が薄いままの半人前以下の子」が大量にいる、ということなんです。そして、その原因は、小学校のときに、ちょっと面倒な立式は「難しい」と言って、学校の先生が正面切って向き合っていない事にあるんです。

 ただ、これ、もう全国的に蔓延しているのかも知れません。個人的には、小学生を就学前児童と同様の扱いにしてしまって「何でもかんでも誉める」という指導に問題あり、と思っています。誰でも出来るような事をやって、無理矢理「すごいね〜」と言って、イェーと言いながらハイタッチ。これ、せいぜい引っ張っても小学校2年生くらいまででしょう。そこから先は、誰でも出来るような事が出来ていたくらいでは、わざわざ大げさに誉める必要なんか無いんですよ。
 中学校3年生になって受験生になったときに、計算練習で「小学校4年生」の問題をやらせるわけです。そうしたら、6問くらいあって、全問正解すると「よっしゃー」とかやっているわけ。カッコ悪いでしょ。
 「湖陵を受験したいって言うなら、小4の問題くらい、全問正解で当たり前。そんなことで、よっしゃーとか言い出すな。情けない」という話をしてあげて、ようやく、自分の置かれている状況とか、学習内容の難易度についての感覚とか、そういったものが変わって、勉強に対する意識が変わるんです。

 だから、一つ一つの問題を扱うときに、子供達がどういう感覚でこの問題を捉えるか、というところまで考えて扱わないとならないんだ、というお話です。
(2017/02/25)

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「式のセンス」と「文字のセンス」


中学校の文字式と小学校の立式の関係

 今まで書いてきました「数字のセンス」。基本中の基本ですね。すべてで無くても、大抵の人は「あ、こんなこと、やった〜」くらいの感覚でしょうか。おそらくは、今の偏差値で言って65とか70とか、そのくらいから上の国立大学に通っていた人にとっては「今更、何かいているの?」くらいの感覚だと思います。
 唯一「0のセンス」だけは、基礎学力方面の話で、学生時代はよほど学力が低くない限り、普通に出来ていた人の方が多いでしょう。どちらかというと、学校の先生の指導力に関する内容、くらいに思っておけばいいと思います。この「0のセンス」に注意が向かない指導をしている先生は、かなりまずい。ところが、釧路では結構いるようです。
 ちなみに、お父さん・お母さんが子供さんの「0のセンス」をみるのに良い内容を少しだけ書いておきますね。

 100+5で、1005と答えを書く子
 302−126で、十の位の答えが合わない子(引かれる数の間に0が入る計算がうまくいかない)
 245×104の筆算で、0を掛けるところが、うまく行かない子。もしくは、一回「000」と全部書かなければ計算出来ない子(掛ける数の間に0が入ると計算がうまく行かない子)。

 一番最初の1005と答えを書く子は、さすがにいなくなって来ましたが、2番目・3番目に該当する子は、結構いますよ。要するに、学校の先生が学生時代に「このくらいは普通に出来た」という感覚でいて、「0のセンス」をあまり重視していないために起きる現象なんです。そして、こういうところが教務指導力不足の原因になるところなんです。学校の教科書で「0の項目が独立している」という事への理解が無いんですね。そういう先生だと「単に、やり方をごり押ししてお終い」。後は練習だ、くらいの感覚でしかないと思います。
 ですから、お父さん・お母さんは要チェック。「0を適当に扱っているやつは0に泣く」という意識で取り組みましょう。

 さて、そして、タイトルの「式のセンス」と「文字のセンス」です。こんな問題を見てみましょう。
「30円の品物を5個、50円の品物を6個買いました。合計の代金はいくらでしょう」
 これが中学校になると
「30円の品物をa個、50円の品物をb個買いました。合計の代金はいくらでしょう」

 小学校のときは、全部数字で式を作りますね。普通に
30×5+50×6 です。
 中学校では、これが
30a+50b になりますね。

 ここで、何が言いたいかというと、中学校の文字式であれば、これが出来ないと通知表で1とかせいぜい2しょ。ところが釧路では、3とか、場合によっては4がついている子もいるんです。そして、そういう子は、小学校の文章問題を解くときにどういう感覚でいるかというと、小学校の数字の立式は「難しい問題」の範疇、という感覚なんですね。
 要するに、中学校で普通に出来なければならないものを、小学校のときに「難しい」という感覚で教えられているんです。これ、完全に、小学校の先生が「問題の難易度の扱い」を失敗しているんです。これが高じて「とにかく、式が長くなれば、何でも難しい」という感覚になっているようなんです。そんなバカな。

 そして、これ、「数字のセンス」のところでも書きましたが、図形の問題であっても

5×5×3.14+12×12×3.14−8×8×3.14

というような、長い式は、とにかく書かないんです。これも中学校になったら、3.14がπになり、ある程度暗算で
25π+144π−64π
って、やるわけでしょう。でも、こういう式すら書かないんです。図形のセンスも無い上に、こういう式すら書かないんですから、当然、他地域に比べて「図形関連」の問題の正答率が極端に落ち込みますわ。全国学力テストの「図形」の悲惨なこと。

 それで、原因を探っていくと、こういう「ひとまとめにした式」を書く練習をするのは、計算の工夫などを習う小学校4年生がメイン。ここで「立式のセンス」をおかしくしてしまっているんです。そして、ここで「式のセンス」をおかしくしてしまうと「文字を使って立式する」わけですから、中学校の文字式の内容が理解できなくなっていくんです。ここから方程式、関数がダメになっていくんですね。
 さらに輪を掛けて、中学校でも式を書かないんですから、なおさら学力が低くなっていく、ということなんです。要するに頭の中で式を組み立てる訓練が無いんですよ。

 ということで、小学校4年生を通過した子供さんには、こういう「立式のセンス」があるかどうか、確認してみてください。ひとまとめの式を作れるかどうか。この感覚が無いと、後々、文字式で苦労します。
(2017/02/24)

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「数字のセンス」6


計算の答えを「記憶」に転化

 今回の話は、学力の高い子は、基本的に「計算の答えを覚えている」ということです。

 例えば、小学校1年生のときには、皆さん、経験があると思いますが、最初のうちは、足し算の計算など、指を折って数を数えたりしていたのではないかと思います。でも、それが、ある程度経つと、指を使わずに頭の中で計算出来るようになりますね。その際に覚えさせるのが「補数」。足して10になる数を覚えて対応するわけです。そして、何度も計算練習をしているうちに、今度はいちいち補数を使わなくても、ある程度答えを覚えてしまって、問題を見た瞬間にサッと答えを書いてしまう、というところまで行き着いている人も多いと思います。
 要するに、習ったばかりのときは、多少時間はかかりますが、何度も繰り返し練習しているうちに、答えを覚えてしまって、簡単な計算だと一回一回計算をしなくても答えられるようになっていくんです。

 そして、答えを覚えて対応しようという方法の最たるものが「かけ算の九九」ですね。いちいち「○が○個分」なんて頭に思い描いて計算しなくても、すぐに答えが出てくるようにする方法を直接習う訳です。

 また、小学校の段階で出てくるものとしては、3.14の計算なんていうのもそうですね。これ、一回一回計算するのは面倒なので、頻度の高い計算の数値は、ある程度覚えてしまっているのではないでしょうか。
 3.14×2= 6.28
 3.14×3= 9.42
 3.14×4=12.56
 3.14×5=15.7
・・・・・・・・・・・・
 このあたりの数値なら、計算しなくても大丈夫、という人も多いはずです。その他で言うと5×5×3.14=78.5あたりも覚えてしまっている人は結構多いのではないでしょうか。
 また、前項で書いた通分の数値などもそうです。分母が12になる場合は、すぐに出てくるでしょう。ちなみに、分母が6と4のときに、きちんと12が出てくるでしょうか? 分母同士をかければいい、という覚え方をして「24」で通分をしている子はいませんか? そういう計算をしているようでは「数字のセンス」が鍛えられません。ですから、この計算で分母を24と書いている子については、最終的な答えは合っていても、わざとに「△で減点」という採点基準にしたりします。要するに「数字のセンス」をしっかり身につけさせようと思っている先生は、そういう採点基準にすることがあるんだ、と理解しておきましょう。
 もっとも、最近は、計算をしているときに、きちんと机の周りを回って、生徒の計算を見て回る先生が少ないんだそうです。教卓にドカッと座って「出来た順に持ってこい」とやり出す教師も多いようですよ。もう少し、きちんと見て回れ、ということでしょうか。

 中学校に入ると、累乗の計算などもこれに当たります。2乗の計算では1〜10までは、それこそ、かけ算の九九と同じですから、基本的には11〜20、ないし25くらいまで。このくらいだと覚えてしまっている人も多いと思います。また、そんなに勉強を頑張っていないと言う人でも、15くらいまでは、普通に覚えてしまっているのではないでしょうか。
11の2乗 121
12の2乗 144
13の2乗 169
14の2乗 196
15の2乗 225
16の2乗 256
17の2乗 289
18の2乗 324
19の2乗 361
20の2乗 400
21の2乗 441
22の2乗 484
23の2乗 529
24の2乗 576
25の2乗 625
 ざっと、こんな感じでしょうか。特に17・19と23に関しては、素数の2乗ですから、ルートの計算あたりでは、なかなか数値を求められない。「ルート289」を整数の「17」にすぐに直せるか、直せないかで、やはり計算力が変わってきますよね。
 そして、累乗で「数字のセンス」として引っかかってくるのが「3乗」。
 最初のうちは「2の3乗」を「6」と答えて×をもらい、改めて「2の3乗は8」と覚え直した人もいるのではないかと思います。ちなみに、昔は、この3乗を「立方九九」と言って、「かけ算の九九」と同様に覚えたんだそうです。ただ、現在でも1〜10までの数値はすぐに出てくるようにしておいた方がいいでしょう。
 1の3乗   1
 2の3乗   8
 3の3乗  27
 4の3乗  64
 5の3乗 125
 6の3乗 216
 7の3乗 343
 8の3乗 512
 9の3乗 729
10の3乗1000
 中学生だと、5の3乗あたりで「25×3」やってしまい「75」と誤答する子も多いですし、高校に進学した後だと、確率の問題で、この手の計算の頻度が高くなります。

 さて、問題なのは、ここからで、この数値を覚えてしまうには、いったいどうしたら良いか、と言うことなんですね。いちいちカードなどを作って、英単語のように覚えよう、なんてやっているのは愚。基本は「計算をきちんとやっているうちに自然に身につく」ものと思ってください。逆に言うと、これが覚えられるくらい計算の練習をしましょうよ、ということなんです。
 さらに言うと、この数値を覚えるためには、形の決まった計算方法で繰り返し練習するのが一番いいんです。ところが、現在では「どうやって計算したらいいか、考えてみよう」です。こんな話で「その都度、計算方法がバラバラ」もしくは「回りくどい方法で計算」していては、人より覚えるのに時間がかかってしまうんです。特に小学校の計算については、教科書が悪化しています。身につきずらいんです。
 また、ここまで覚えるようにしよう、と思った場合、絶対、授業だけでは時間が足りません。家で練習するように宿題が出るのは当たり前なんですね。
(2017/02/22)

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「数字のセンス」5


「約分」・「通分」を見逃さないために

 約分・通分は、当然、「最大公約数」「最小公倍数」の「センス」が抜けていることが原因です。

 今、40代後半くらいの人から上の世代だと、GCM・LCMという言葉を知っているはず。これ、「最大公約数」「最小公倍数」ですよね。実は、この年代の人たちは、最大公約数や最小公倍数について、かなり練習をこなしてきているんです。だから、約分や通分でもミスが少ない。「数字のセンス」が訓練によって磨かれてきているんです。

 ところが、今の子供達は、と言うと、この辺の練習が行われていないんですね。教科書で一通りやったらお終い。小学校5年生・6年生の頃にしっかり鍛えられてきた人から今の子供達を見ると「なんで、こんなことも出来ないの?」となるんですが、それは「ちゃんと訓練されていないから」というのが原因。

 ということは、子供さんの「約分」「通分」の感覚を上げようと思った場合、GCM・LCMを習っていたときと同様に、計算式を使って、共通に割れる数字を探す、という練習が必要なんですね。だから、教科書に載っていようと載っていまいと、個人でしっかり練習をすすめて行きましょう。
 ちなみに、お父さん・お母さんの世代で扱った、最大公約数・最小公倍数の問題では、例えばこんな問題
「5で割っても、7で割っても3余る整数のうち、最も小さい整数を求めなさい」
なんていうのは、小学生でもある程度対応でき、中学校1年生では必修という扱い。それが、今は中学受験問題として取り扱われているレベルなんです。どれだけ全体の学力が下がっているか、これだけを見ても分かりそうなものですね。

 現実的な問題としては、こういう練習が行われていない学生が進学していったときに話題になったのが「分数が出来ない東大生」という話。いくら学力が高かろうが、きちんと練習しなければ、この程度の基本も満足に出来なくなる、といういい見本です。
 だから、「おれは出来るんだ」と思い上がったら絶対ダメ。基本はしっかり練習しないとね。
(2017/02/21)

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「数字のセンス」4


単位を修得するには

 よく「単位が修得できない」「正答率が低い」という話をしていますが、これも、ちゃんと「数字のセンス」からの解決策があるんです。ただ「たくさん練習しろ」という話だけなら、そんなのは素人なんです。授業は時間が限られているんだから、もっと要領よくやれよ、という話。

 実は、単位の修得が出来ない子というのは、単に「1km=1000m」を覚えていない、というだけでは無いんです。というのは、単に知識があれば何となる子だったら、学校の授業でも何とかなるはず。それがおかしいのは、他に原因があると考えてかからなければならないんです。
 そして、その原因の一番は「0のセンス」が無いこと。実は、出来ない子の大半は「0」というのは「数字が無い」と考えているんです。これ、一番分かりやすいのは、わり算で「302」などの、答えの途中に「0」を書かなければならない計算で、答えを「32」とかいてしまう子〜「0」を抜かしてかいてしまう子なんです。要するに「0」は数字がないから、書かなくてもいい、と思っているんです。こういう子って、位取りも鈍いんです。
 位取りについては、これ、いつまでも、下から順に「一・十・百・千・万・・・」なんてやっているようではダメなんですよ。

 例えば、こういうので、練習しておきましょうか。

290168430915

 これ、サッと読めますか? 最初から「一・十・百・・・」なんてやっていませんか? 

2901 6843 0915

 上記のように、4つずつ区切りをつけて、最初の2901を二千九百一億 次の6843を六千八百四十三万 そして、次の0915を九百十五 というふうに出来るようにしておかないと。こういう位取りの練習をしていきながら、「0というのはどういう扱いをするのか」ということ〜「0のセンス」を身につけて行くんです。

 当然、普通の計算でも、0の入った計算をしっかりやって「0のセンス」を身につけて行くんです。
 市販の小学生の計算用問題集では、気の利いたものになると、きちんと「0の入った計算」というふうに、0の部分だけ項目を分けて練習するようになっているんですね。当然、教科書の計算分野でも「0」の部分は、きちんと項目として分かれていたりします。ところが、教える側の感覚として「0は数字が無いから簡単ね」程度で、雑に教えているから、子供達の計算力が上がらないんです。結果、単位も出来るようにならないんです。

 そして、この「0のセンス」が無い子は、実際の単位の問題になると、例えば「1km2mは何kmですか?」という問題では「1.2km」と答えるんです。「1.002km」の0が飛んでしまうんですよ。要するに「0」の部分が隠れてしまうような問題に対応できないんです。「0のセンス」が無いから、頭の中で「0」がどういうふうに入ってくるかが組み立てられないんです。
 そこから、どういうことが起こるかというと、長さの問題では最初に「1m=100cm」と習いますから、その後、どんな単位が出てきても、訳の分からないものは、とりあえず「100にしておけ」というふうに覚えるんです。だから、いつまでも「1km=100m」「1kg=100g」と、適当な感覚で覚えるんです。

 ということで「0のセンス」があるか、ないかは、その後のいろいろな部分の学力差になって表れます。そして、この0の扱いが最初に出てくるのが、小学校低学年。さらに言うと、小学校の1・2年生段階で、この「0のセンス」がスッキリしていない子でも、小学校3・4年生あたりでは、計算練習などを通じて、次第に感覚が身についてくるはずなんです。
 ところが、現状ではそうなっていない。原因は明らかです。小学校の1〜4年生にかけて、きちんと「0のセンス」を身につけさせるという意識で授業に取り組んでいないからです。元々、そういう意識すらない先生が多いのではないか、ということなんです。計算プリントを配って、ただ「やっておきなさい」でお終いになっている可能性が高い、という事が考えられます。

 ですから、お父さん・お母さん、子供さんの勉強の様子を見て「うちの子、0の入った計算をよく間違える」とか「うちの子、位取りをするとき、何かモタモタ考えながらやっている」という場合は、「うちの子、0のセンスが無いんじゃないか」と疑ってみてください。そして、0のセンスが無いようあれば、小学校の低学年用の「0の入る計算問題」から練習をさせて挙げましょう。
(2017/02/19)

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学力3割・体力3割・気力3割・運1割


高校入試に必要なもの

 先日、エフエムくしろの収録に行ってきて、上記の「学力3割、体力3割、気力3割、運1割」のお話をしてきたのですが、いかんせん、時間が短いため、あまりきちんと説明出来ませんでした。それで、ここではラジオをお聞きになる皆さんへ、補足説明をしておきます。これを読んでからラジオを聴いてもらうと、より分かりやすいかな、と思うので、一度、目を通しておいてください。

 まず、「学力3割」ですが、学力の割合が思ったより少なく感じている人も多いと思います。ただ、よくよく考えてみると、高校入試って、だいたい同じくらいの学力の子が受験するんですね。そうなると、学力の差はそれほど大きくはありません。ですから、同じ高校を受験する子より、少し多めに頑張って、落ちる範囲にいる子より、ほんの少しでも学力が高ければいいんです。ですから、学力として考えた場合、3割程度なんですね。

 次に、先に「気力3割」についてですが、ここが「集中力」や「諦めない気持ち」につながります。「集中力」が切れて、いつもは出来ているはずの問題でミスをしてしまったりしては、受かるものも受かりません。また、途中で「もう、分からない」と諦めて投げてしまっては、それ以上点数は上がりません。それに対し、最後まで頑張って、例えば、国語の記述や数学の証明などで、少しでも書いておけば、完全な○でなくても△で1点・2点と部分点が来る可能性があるんです。そこまで頑張りなさい、ということです。

 そして、「体力3割」ですが、いくら「気力」を持とうとしても、「体力」〜いわゆる「学習体力」が身についていないと、気持ちばかりで体がついて行かないんです。ですから、日頃から、きちんと机に座って、長時間勉強できるだけの「体力」をつけておくことが必要、ということです。

 最後に「運1割」ですが、これも「テストが始まるギリギリまで勉強をしましょう」という話です。「運良く、直前に見た内容がテストに出題される」という事も可能性としてあるわけで、子供さんにお話するときには「そうやって、運を呼び込め」と言っているんですが、実際は、出題される可能性はきわめて低いでしょう。本当は、休み時間中に「答え合わせ」のような事をすると、不安感が増したり、自信を無くしたりして、うまくテストに集中できない子が中に出てきます。それを回避させるための方便なんだと思ってください。「休み時間に答え合わせをしているような事をやっている人を見たら、運を逃していると思え」とお話しておくと、子供さんはきちんと休み時間に参考書などを見るようになります。すると、次のテストに向けての頭作り(感覚作り)ができるので、受験のような緊張している場では、この頭の切り替えが効果的な場合があるんです。ただし、直接勉強内容が出てくれる可能性は低いので「1割くらいだぞ」というお話なんですね。単に「答え合わせをするな」というより、こういう形に言い換えてあげた方が、子供さんは実行しやすい、と思ってください。
(2017/02/10)

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何でもかんでも「難しい」


地域の風潮に待ったをかけよう

 小学校の方では、徐々に学力向上への動きが出始めていますが、中学校や保護者の方はいまいちの感があります。
 そこで、今回は、ちょっと保護者には厳しい話。

 実は、釧路のお父さん・お母さん(場合によってはおじいちゃん・おばあちゃん)は、何でもかんでも、ちょっと面倒な学校の勉強内容のものを見ると、すぐ「難しい」と言うんです。例えば、小数・分数の計算を見ただけで「あら〜結構、難しいわね〜」と言い出すような感覚なんです。これ、正直に言わせてもらうと「冗談じゃない」んです。このくらい出来てもらわなければ困るんです。そして、それが高じて、結局、かけ算の九九がままならない子が出てきたり、足し算・引き算のおかしな子が出てきたりするようになっていった、と思ってもらえればいいでしょう。
 全国版の算数検定の問題を見てもらっても分かると思いますし、もちろん、他地域から来ているお父さん・お母さんは「このくらい普通」という感覚で見ていると思いますよ。

 実は、自分が以前にいた学習塾でも、簡単な計算練習プリントがあって、釧路以外の地域の先生は「易しすぎて、ウォーミングアップ程度にしか使えない」という感覚なのに対し、釧路の先生からは「もうちょっと易しくして欲しい」という要望が上がっていたんですね。また、某学習塾の中学校数学のテキストなどを見たこともありますが、薄っぺらの内容がほとんど無いテキスト。よく書店で「基本をしっかり身につけましょう」的な参考書が出ていますが、そちらの方がまだ難しいんじゃないかと思うくらいのテキストだったりします。
 さらに言うと、自分、学習塾時代には、小学校の計算コンクールという感じの一般の子も無料で受験できる「標準テスト」の作成担当もやっていたんです。そのテスト、正答率が8割以上なんです。そういう関係もあり、くしろ子ども未来塾のテストも自分が作成しています。見る機会があれば見て欲しいのですが、これが「標準(正直に言うと標準よりちょっと易しめ)」です。

 そして、これはたぶん、親の世代からずっとそうなんだと思いますが、易しいことしかやってきていないので、釧路の場合、子どもだけではなく、親も教師も、学習塾関係者も「何でもかんでも難しい」という感覚に染まっているんだと思うんですね。

 ですから、これからは感覚を少し変えてください。
 分数・小数は「できて当たり前」。「速さ」の問題でも「は・じ・き」を覚えておけば、誰でも問題くらいはすぐ解ける、出来ないやつは「どうかしてるぜ」くらいの感覚で良いんです。

 小学校の教科書って、基本しか載っていないんですよ。だから、教科書の内容はすべて「出来て当たり前」くらいの感覚で考えていって欲しいと思います。
(2017/02/04)

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高校入試で考えてみよう


高校に入ることだけを考えていてもダメなんです

 1月27日に倍率が出ましたが、ただ単に「受験が厳しい」というような感想だけでは、今後の事が見えてこないのではないかと思いますので、受験生の皆さんや、受験生の保護者の皆さんに考えて欲しいと思ったことを書いておきます。

 まずは、商業・工業・東を受験する皆さんへ。
 ここ数年、就職状況は改善されている、と言われていますが、やはり各高校の下位層は厳しいものがありそうです。実は、去年の春先、自分、自動車の接触事故に遭ったのですが、そのときの相手が商業高校を卒業したての子でした。保険も9:1で、ほとんど相手方の責任となったのですが、話をしたところ、その子、卒業の段階で就職出来ていなかったんです。それで、夜の10時くらいに、高校生の女の子を隣に乗せてフラフラ遊んでいたときに、自分の車と接触したんですね。
 それで、仕事先は見つかったのか、と聞いたところ、その事故を起こした翌日が初出勤だったそうで、仕事先の名前を聞いても「ハローワークでちょっと見ただけで、よくわかんないっす」とのこと。
 まあ、商業高校全部がこういう子がとは言いませんが、せっかく高校に通っても、卒業までに就職が決まらない子というのは、こんな感じの子なんだろうな、と思いました。でも、こういう子でも、商業は受かっているんです。

 ということは、いくら倍率が高い、と言われたとしても、商業・工業・東の学力レベルで受からない子って、どういう状況なのか、ということなんです。不合格だった子が全員そうだ、とは言いませんが、ただ、勉強や就職に関して、ボヤッとした感覚の子が多いんじゃないでしょうか? もちろん、合格した子の中にも、こういう感覚の子はいるんじゃないでしょうか?

 ですから、自分は、商業・工業・東を受験する子供達は、高校を卒業したらすぐに就職なんだ、という意識を持ってもらいたいと思いますし、その点がボヤッとしたまま過ごさないように、将来の就職に支障が無いように、保護者の目から見て、厳しくしなければならないところは厳しくする、という事が大切ではないかと思っているんです。
 また、釧路だとコーチャン・フォーあたりに就職できると、良い方なのではないかと思うのですが、聞いたところ、コーチャン・フォーでは採用試験で、小学校6年生までの読み書き・計算が出題されるそうです。ですから、やはりそのくらいは出来なきゃならないんですよ。それで、高校でも、小学校の基本計算などの勉強をしているところもあるんです。そういう事をふまえて、もう一度、子供さんの学力をみて下さい。

 それとは逆で、今度は湖陵・江南・北陽のお話です。
 表は、出願者から定員を引いた数で、湖陵は理数・普通を合わせた数です。

高校名 2010 2011 2012 2013 2014 2015 2016 2017
湖陵 8 43 22 31 21 9 51 24
江南 72 6 52 12 28 38 24 26
北陽 28 22 34 14 -2 23 12 8
98 71 108 57 47 70 87 58

 進路指導の仕方やその年の全体的な学力状況もありますので(去年は湖陵の不合格者が多かったので、今年は慎重になったのではないか など)、一概にこうだとは言えませんが、2010年度から通して見てみると、上位3校の出願者が徐々に減ってきている傾向になっていると思います。そして、今年は、市内卒業生が70名以上増加しているため、本来であれば、上位校の志望者が昨年より多くなっているのが普通だと思うのですが、表を見る限り、そうなっていません。
 上位校を目指そう、という意識の子が減ってきているのか、単に学力的に不足している子が増えてきているのか。いずれにせよ、上位校の受験状況が楽になってきているということが言えそうです。そして、このような楽な状況になっていて、果たして、高校卒業後の進学などを考えたときに、高校受験の感覚と同じような感覚で行けるか、ということです。

 要するに、将来の進学を見据えたときに、本来、高校受験の際に身につけておかなければならない「将来の進学に見合うだけの質のレベル」「量のレベル」の勉強に達していないのではないか、ということ。自分の出来ない所を放ったまま「それでも大丈夫」という感覚、英単語など「本来、身につけておかなければならない学習内容が身についていない状況」のままになっていて、それが通用する、と思っている感覚。こういう感覚を一回捨て去らなければなりません。
 この点を子供さんともう一度、しっかりお話するのも、大切なことだと思います。
(2017/01/29)

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釧路の学力状況はどうなっているんでしょう?


今から来年度に備えよう

 今年度も残すところ、あと2ヶ月程度。そして、このくらいの期間があれば、今まで不得意だったところを克服するのにちょうどいい期間ですから、ここで、釧路の全体的な傾向を把握して、これから先の進学・就職に対応できるようにしておければいいのではないかと思い、現状を少しだけお話していこうと思います。

 釧路の学力状況は、釧路の教育を考える会が提言書を出し、市議会で基礎学力保障条例が可決されましたが、この2つの前と後では、やはり学力状況に違いが出てきています。そこで、まずは、具体的な学習内容から。

 漢字についてですが、「提言書・条例」以前では、小学校2年生の漢字が満足に読み書き出来ないまま高校入試を迎える子が少なくありませんでした。状況としては、学年順位で下位20〜30%の子までが漢字の読み書きがままならないと思っていていいかと思います。それが、現在では、小学校2年生の漢字の読み書きが出来ないとなると、学年順位ではほとんど最下位に近い状況。おそらく現状では、下位5%程度まで減少しているのではないかと思います。今のところ、中学生で、小学校の漢字の復習をしている子供達の復習スタートの学年は学力の低い子で3年生、だいたいは4年生あたりから。

 算数の基本については、これは「くしろ 子ども未来塾」の算数検定をベースにお話ししますが、以前では、小学校6年生が小学校1年生内容で不合格になる割合もそれなりにいましたが、現在では、ほとんど皆無状態。最初に引っかかるのは小学校2年生の「単位」や「時計の見方」あたりです。全体的な受験状況を見ても、以前は小学校2年生内容までで、そこから先のテストを受験する子が少なかったのですが、現在では、小学校3年生内容の真ん中くらいまでの受験者が増えています。

 そして、ここまで見てみると、提言書・条例以前と以後では、つまずきスタートの学年が1年分上になってきているという状況だと思ってもらえるといいでしょう。今まで小学校2年生でつまずいていたのが、小学校3年生にシフトしていった、と考えて良いと思います。そして、それにより、全体的に、学力レベルが1年分シフトしてきている、と思ってください。
 ですから、今までは「周りも出来ていないから」と高をくくっていたところが、それでは済まなくなってきている、ということ。例えば、漢字で見てみると、今までは漢字検定5級(小学校卒業程度)の内容が出来ていると、明輝高校あたりには行けたのですが、最近では、それが少しシフトし、漢字検定4級(中学校1〜2年生内容)のものまで手を着けていける状況でなければ、明輝受験者としては国語の力が不足していると考えていった方がいい、という状況になってきているということです。

 さらにここから言えることは、つまずきのスタートとなっている「小学校3年生の指導がどのようになっているのか」ということです。このくらいの学年の生徒であれば、まだ、細かい部分まで行き届いた指導にならなければならないのですが、それが「どんぶり勘定」のような指導になっていないかどうか、ということです。基本的に小学校4年生くらいまでは「指導が雑」という部分が「決定的な命取り」になります。「一度教えたからもう大丈夫でしょ」という感覚で授業を進めるような教師が多ければ多いほど、全体の学力は向上しません。細かい部分まで何度も丁寧に板書などで子供達に学習内容を見せていかなければならないのです。単純に、その点だけを研修で直して行くだけでも、現状を大きく改善できます。果たしてその点は大丈夫なのでしょうか。

 また、全国学力テストの結果から見ると、平成26年度あたりから、全体的な改善傾向が見られるようになってきています。ここ2、3年くらいの期間であれば、その年によって、一喜一憂するような状況でもありますが、大きな流れとして捉えた場合、間違いなく、上方にシフトしつつあるということです。
 とは言っても、まだまだ、全国との差は開いています。その一番の原因となっている部分もデータから見えてきます。
 まず、小学生ですが、国語では「話すこと・聞くこと」が低いんです。原因は明らかです。授業中、先生の話をきちんと聞けない子が多くなっているということです。何かあったら、すぐ隣の子に話しかけたりするような、そういう子を野放しにしているクラスが結構多いのではないでしょうか。そして、その影響が出ているのが算数Bの「数量関係」です。分からなくなったら、すぐに誰かを頼る、という姿勢が出やすいのがこの分野です。いわゆる「速さ」や「%」の部分ですね。わからない子がすぐ隣の子に聞いたりするような、そういう授業姿勢でいるという傾向が出ていると思います。

 中学生では、全体的に言えるのが「簡単な事しかやっていない」「授業進度が遅く、後半の内容を端折る」という、教師の目線や意識の低さです。国語の「読むこと・書くこと」がかなり低い。単に読みとりやすい文章にしか触れていないとこのような傾向になります。数学で言うと「図形」が全然ダメ。授業進度が遅く、教科書の後半の内容になる「図形」の演習不足がそのまま結果に響いています。

 という点を考慮して、今後の家庭での勉強に生かして行って下さい。例えば、高校受験を考えた場合、中学校でやっている図形のレベルでは、明らかに難易度不足で、まともに「証明問題」が出来ないレベルであれば、上位校は難しい、ということです。
(2017/01/26)

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釧路高専の推薦倍率


1月11日が締め切りでした

 釧路高専の推薦受験の倍率が出ています。
 情報工学 1.4
 機械工学 0.3
 電気工学 0.9
 電子工学 0.6
 建築   1.2

 全体   0.8

 昨年は全体の倍率が1.0でしたから、昨年よりも低い結果となっています。ということは、今年は、高専は人気薄と考えて良いのではないでしょうか。となると、今年は、公立高校では、受験者数が増えるため、昨年より厳しい状況の受験になるのですが、それに追い打ちをかけるように、今まで高専を希望していた人が、今年は、公立高校に流れてくると思われます。

 きちんと勉強をしていない子は、本当に辛い受験状況になりそうですよ。
(2017/01/15)

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算数・国語の採点基準


「林先生の初耳学」の話から

 12月25日の「林先生の初耳学」を見た方もいらっしゃるのではないかと思います。そこで、算数の採点基準に関する話が出ていました。ただ、そこでは「合っていればいいでしょ」という感じに受け取る、少し乱暴な感覚で捉えている人もいるのではないかと思いますので、指導側からコメントを入れておこうと思います。

 まず、最初の小数の計算の「3.1+5.9=9.0」と書いて「答えは9で、小数以下の0はいらない」ということで減点された話です。
 これですが、正式にいうと「9.0」というのは、中学校で習う「有効数字」の表記なんですね(たぶん、理科の教科書で見たことがあると思いますが、5グラムを「5.0g」という表記するやつです)。ですから、普通の計算では0を消しましょう、と習います。ただ、小学校3年生の子供達に「有効数字」の話をしても、なかなかピンとこないというのが正直なところで、そのため、一応、採点する側は0を消して○にしてあげる先生が多いと思います。

 それから、小学校5年生で習う直方体の体積で「たて×横×高さ」の順で式を書かなければ×とされたケース。
 実は、直方体の体積に関しては、全部○の扱いなんです。というのは、直方体はどこを底面にしても成り立つため、特に見た目の「たて・横・高さ」にはこだわらない、という考え方をします。そして、当然、そういう互換性のある内容のものを習うため、一つ前の学年の小学校4年生の段階で、交換法則・結合法則を習うわけです。ちゃんと教科書の配列には意味があるんですね。
 ちなみに、この事に関しては、きちんと指導の際「どこを底面にして考えてもいいよ」という話をきちんと授業の中でしなければならないのですが、それが出来ていないんでしょう。当然、台形の面積のときにも、どちらが上底でどちらが下底でもいいんだよ、という話をしておかなければなりません。そうしなければ、台形が横向きで出てきた場合、迷う子が出てくるからです。そういう配慮と言うか、指導技術が未熟な先生が多いということなんでしょうね。

 ただ、この一連の話の中で気になったのが、国語の採点で「〜だから」とか「〜ので」のように語尾をしっかりさせなくても、内容が合っていれば正解にする、という話。
 実は、指導する先生方は「答案というのは、見る相手がいるんだから、答えの文章も丁寧に書きなさい」ということで指導している先生が多いと思います。ちょっと例は違いますが、漢字で考えると分かりやすいかな。
 漢字を書く場合「合っていれば、雑でもいいでしょ」という指導は基本的にしません。ちゃんと分かっているなら、相手もハッキリ分かるように丁寧に書きましょう、という指導になります。これが「文章も一緒」と考えればいいでしょう。単に「形式を重視しているだけ」ではないんです。何というか、その「日本人の美意識」といいますか「おもてなしの精神」といいますか、そういうところをきちんとしましょうよ、という話だと受け止めてくださいね。
(2016/12/26)

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総合Bの結果です


皆さんの学校はどうですか?

 釧路教育活性化会議で、今の中学3年生の総合Bの結果がでていますので、ここに転載しておきます。

中学校 国語 数学 社会 理科 英語 合計 今年の総合A
附属 47.2 35.4 34.0 34.2 43.0 193.8 184.4
阿寒 44.6 25.0 36.0 26.2 33.5 165.3 150.5
鳥取 41.0 24.4 29.6 25.7 31.9 152.6 141.3
幣舞 40.6 26.7 27.8 27.4 26.6 149.0 138.0
青陵 41.0 23.5 26.3 25.6 32.4 148.9 141.6
富原 43.4 22.6 28.1 24.8 27.0 145.9 131.5
春採 42.0 22.6 24.4 23.3 27.2 139.4 133.1
遠矢 38.7 21.5 27.1 22.7 25.2 135.3 126.9
景雲 39.6 19.7 23.3 22.0 25.5 132.7 120.9
別保 42.0 20.9 23.5 18.1 28.0 132.5 121.8
40.0 20.0 22.0 20.0 30.0 132.0 126.0
美原 37.4 20.3 26.7 22.1 24.6 131.3 124.2
共栄 39.2 21.6 21.2 20.6 26.7 129.3 127.0
鳥取西 40.1 19.7 20.3 18.7 24.5 123.3 116.8

 さて、今回の総合Bは、総合Aと比較すると、国語が易しめで、その分、合計で総合Aより10点程度上がっているという学校が多いようです。
 また、個別に科目を見ていくと、附属の社会は阿寒より下回りました。結局、ここから分かることは、普通に勉強すると、このくらいの平均になる〜30点台真ん中くらいの平均になるはずなんです。これ、社会に限らず、数学や理科もそのくらいになるはずなんです。また、国語と英語は、入試と比較しても易しめなので、この段階では40点近い平均になるはずなんです。今回の国語はちょっと易しすぎたかもしれませんが・・・
 ですから、釧路に居ると、附属が出来る、と思ってしまうと思いますが、他地域で過ごした経験のある人〜転勤族あたり〜は、附属が普通で、他の学校がダメすぎる、という感覚なんですよ。
 また、科目で言うと、幣舞の英語が他と比較しても、ちょっと低いでしょうか。景雲・鳥取西のような、比較的人数のいる学校で、数学の平均が10点台というのも、これはまずいでしょう。別保や鳥取西の理科も厳しいですよね。

 ただ、いいように見てみると、以前は数学の平均は10点台のオンパレードでしたから、そこから見ると、少しは良くなってきているのかな。それでも、これだけ低いとなると、何か根本的な部分でずれたことをやっているんだろうな、とも思います。そして、数学は附属の影響でおかしな教え方が蔓延しているんだと思っています。
 これね、附属の教師を寄せ付けず、市内の先生だけで「数学教え方道場」のような場を設けて、基本的な教え方から特訓しないと、たぶん、このまま、あまり変わらないんじゃないでしょうか。
(2016/10/23)

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通知表に意味を与えよ


ただ「勉強が出来る子・出来ない子」という感覚から抜け出そう

 通知表につけられる「1〜5」までの数値。これ、相対評価のときの名残なんでしょうが、ただ単純「勉強の出来る子・出来ない子」の差と受け取っているような気がします。でも、絶対評価になったわけですから、もう少し、その評価に意味合いを与えてもいいのではないか、という気がしています。

 例えば、
 「1」は「このままでは、日頃の生活に支障が出るレベル」とか「非正規雇用でも就職が難しい・もしくは、就職先で勤務を続けることが困難になることが予想される」とか。
 「2」は「事務系でなければ非正規雇用で就職することは可能」
 「3」は「正規雇用は難しいが、非正規雇用であれば可能」「大学進学だと誰でも入れる私立なら可能」
 「4」は「職種を選ばなければ正規雇用可能」「大学進学だと私立」
 「5」は「大学進学で国立や私立上位が可能」

 まあ、就職・進学について、絞った形で例を挙げましたが、その他の基準でも全然構わないので、とにかく、保護者が見て、「この子は、将来的にどのようになるのか」というような、指標になるような意味を持たせてあげることで、勉強や生活姿勢などに対する意識が変わってくるだろうと思うんですね。
 ただ、お題目で「早寝・早起き・朝ご飯」と言ったところで、それがどのような結果になって表れているのかが分からなければ、結局、それほど変化がなく、そのまま、いつも通りで過ごしてしまうことの方が多いと思います。

 せっかく、学校の評価があるのですから、それを保護者が見て、役立つようにしてあげなければ、評価の意味が薄くなってしまうと思うのですが。
(2016/12/21)

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生徒管理(30


集団指導の授業時間は「のべ時間」で考える

 先生方の多くは、45分授業となると、単純に「45分、授業をする」と考えている人が多いのではないでしょうか。ところが、もしも、これを一人一人の個別指導で賄おうとすると、40人のクラスであれば「45×40=1800分」の時間が必要。すなわち、45分の授業をやっていると言うことは、40人のクラスだと1800分の授業をやっていると言うことになるんですね。

 ところがこれで、1人の生徒が45分のうち、20分間ボーっとしていたとすると、実質の授業時間は正味
「1800−20=1780分」。
 20分ボーっとしている子が40人中10人いたとすると
「1800−20×10=1600分」
の授業をやっている、ということになります。

 ということは、暇な生徒を作れば作るほど、正味の授業時間が削られて行くんですね。もちろん、全員、45分間ずっと暇なく勉強する、というのも難しいものですが、だからと言って、必要以上に暇な時間を与えるのは良くありません。

 となると、前の項目で書いた「黒板に出てきてやりなさい」式の授業であれば、もうすでにみんな問題を解き終わっているにも関わらず、黒板の生徒にいつまでも対応しているのは、大幅に授業時間のロス。40人のクラスで5分間授業時間のロスをすると、黒板の一人以外が全員5分ロスしたとして
「5×39=195分」
のロスになるんです。
 「出来た順にもってこい」式の授業をやると、生徒の待ち時間がすべてロスになるんです。

 グループ学習でも同様、全員がきちんとやっているならいいんですが、45分間、グループのやっている内容にずっと参加せず遊んでいる子がいたら、それで大きな時間のロス。先生が雑談を10分間した場合
「10×40=400分」
のロスになるわけです。これだけのロスを毎回の授業で出していると、生徒の平均的な学力はあがりません。

 要するに、集団指導の場合、時間のロスを極力少なくするために、出来るだけ「暇な子」を作らないように対処しなければならないんです。

 そして、もう一点は、この暇な子が授業中に騒いでしまった場合、そこから「授業中に遊んでもいいんだ」という「逆しつけ」をしてしまうことになるんですね。これは自分の経験則からですが、この「のべ時間が8割を切った」場合、騒ぎ出す生徒が出て収まりがつかなくなっていきます。

 ということで、結論として「集団指導では、授業時間数は、生徒の のべ時間 で考えよ」ということなんです。そして、正味時間が確保されているほど「良い授業」という感覚で捉えてもらえればいいでしょう。
(2016/12/20)

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分かっているなら、きちんと書く


解答がドンブリ勘定!?

 よく、国語の答えの書き方で、理由を述べるときには語尾を「〜から」や「〜ので」にしましょう、という事を聞いたことがあると思いますが、これ、要するに「答えが分かっているなら、解答もきちんと書きなさい」という発想なんですね。なんとなく「合っているからいいじゃん」というものではないんです。それとは逆で「分かっているなら、答えもきちんと書きなさい」ということなんですね。
 ところが、最近の子供達の答えの書き方を見る限り「分かっているなら、解答は適当でいいや」という感覚が蔓延しているのではないか、と思われる場面に直面することが多くあります。要するに、きちんとした形で答えのかけない子が多くいる、ということなんです。

 例として、国語の「〜から」を挙げましたが、その他でも、国言の答えの書き方が分かっていない、出来ていない、という子が多くいます。酷い子だと、書き抜きで字数の合わない子とか。
 そして、これが算数・数学になると、前にかけ算の式の書き方に触れましたが、これも「分かっているなら、答えをきちんと書きなさい」ということですし、これが酷くなると、計算の途中式で「=」を書かなかったり、逆に、証明の問題で、本来「式で表すところ」を全部文章にしてしまい、結局、日本語がおかしくなって点数に結びつかない、というのもあります。

 本来、途中の考え方を大事にする、ということであれば、その「考え方」をきちんと「文章」なり「式」なりで表せるようにしなければならないのですが、調子よく「考え方が大事」と言っておきながら、その答えの書き方が「適当」というのであれば、それは、周りから認められないという事になってしまいます。

 そして、この「解答の書き方」については、指導の影響が大きいんですね。先生がきちんと板書をして、最後まできちんと書いて見せていけば、こういう「適当な答え方」はグッと少なくなります。ところが「板書もせず、口で言うだけ」だったり「ここから先は、自分たちで書いておけ」というような指導法では、子供達は「解答をきちんと書く」という感覚にはならないし、解答の書き方が分からないままになったりするです。
 ということは、適当な解答をかく子が多いというのは、板書が適当な教師が釧路には多い、ということなんでしょうね。どうでしょうか? 参観日に行って、黒板を見てみると、ほとんど黒板に字を書かない先生って・・・、そういう先生が、いませんか? こういう場合、一見、授業が良さそうに見えても、子供達の学力向上に結びついていないケースも多いんです。

 ですから「参観日は黒板注目」。きちんとした書き方で教えているかどうかを確認してくださいね。
(2016/12/10)

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「全国学力テスト」の結果が出ました


国語は「書くこと」、数学は「図形」

 北海道教育委員会のホームページに「全国学力テスト」の管内別の結果データが出ています。出来れば直接見ていただきたいのですが、もうすでに結果が出てしまったものは、しょうがない、と受け入れて、大事なのは、これを見て「どういう対策をするか」ということですね。

 そこで、まずは、小学校の国語ですね。
 これ、全道平均も低いんですが、全国平均と比較すると、やはり国語Aの「書くこと」がいまいちなんですね。となると、学校でのノートの扱い方がどうなっているのか、というところがポイントになると思います。釧路の場合、漢字は各学校で頑張ってくれているようなんですが、文章を書く、ということになると「?」がつきます。
 ですから、例えば、家庭で「日記」をつけるとか、小学校の段階では、そのような事を進めて行くといいでしょう。
 それともう一つですが、国語Bの「話すこと、聞くこと」になると極端に落ち込みます。国語Aでは、全国平均並なんですが、国語Bになって落ち込む、ということは「表現の幅が狭い」ということと考えておきましょう。要するに「全国の標準的な語彙力」よりも、釧路の子供達は劣っている、と考えて良いと思います。「慣用句」だとか、「修飾語の語彙」などを練習することによって、言葉をたくさん覚えておくことが大切ですね。そして、国語Bの語彙力が劣る、ということは、すなわち、成績上位者が伸び悩んでしまう、一つの大きな原因になります。将来的に「上位校」を狙っている子は、同音異義語・同訓異字などの区別がハッキリつくように、漢字検定などで上位の級を狙っていって欲しいですね。

 次に小学校算数です。
 ここで、最も気になるのが、算数Bの「数量関係」が極端に低いということ。これ、全道平均もものすごく低いんですよ。要するに「速さ」とか「%」とか。そして、この低さは、小学校低学年の「単位」の部分、小数・分数の計算が原因になっていることが多く、要するに「計算は出来ても、そもそも小数って何?」というような感覚の子が多くなっている、ということだと思ってください。そして、もっと言うと、少し前に書きましたが、小学校の低学年の段階で、文章問題を的確に式にして解く、という感覚の薄い子が多い、ということを差しています。「出来てるからいいっしょ」と思っていたら、うまく行かなくなってしまうんですね。
 もう一つは、単純に「文章問題の練習量が足りない」。実はこの学年、まだ、小学校の低学年の頃は学校の授業進度が遅く、「文章問題を端折ってしまっていた学年」なんです。
 ということは、ここを解消するためには、恥ずかしくないですから、小学校の低学年まで戻って、文章問題をしっかり解く練習をさせる、ということになります。自分の出来るところまで戻ってしっかり練習させましょう。

 次に中学校です。
 中学校はものの見事に、授業での扱いの悪い部分が、そのまま結果になって顕れています。国語は「書くこと」、数学は「図形」と「文章題」です。要するに「授業でプリントを配って、子供達にノートを取らせていない〜国語の書くこと」、「どうせ出来ないとあまり突っ込んだ文章題を取り扱わない〜数学の文章題」「授業時間数が足りなくなり、端折ってお終い〜数学の図形」。これが中学校の結果です。結局、授業のダメなところが、全部数字になって表れた、と思ってくれればいいでしょう。
 となると、結局、ある程度力がある子は、自分で勉強を進め「少し難易度の高めの文章問題に取り組んだり、図形を先取りしたり」という家庭学習が必要だと思ってくれればいいですし、授業の内容について「自分でまとめノートを作る」」などして、とにかく「書くこと」を練習する、というのが、一番、いい対策法だと思います。
 ちなみに、入試の事を考えたら、中3生は、すでに「三平方の定理」に入っていて欲しいのですが、皆さんの学校はどうでしょうか? これが図形の出来ない原因なんですよ。
(2016/11/29)

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「かけ算」の式の作り方


キーワードは「倍」

 ちょうど小学校2年生の子供達がかけ算を習っていて、その文章題での式の作り方が別のところでも話題になりました。要するに「3×5」が正答で、逆の「5×3」にすると不可となるのは納得が行かない、という話です。
 それで、指導する側ではこのように考えているんですよ、という事を書いておきますね。話を聞いても「納得が行かない」という方もいるかも知れませんが、指導者側の考えているところを知っておくと、学校の先生とおかしなトラブルにはならないと思いますので、参考にしてください。

 問題の文章は「リボンを5人に3本ずつ配ります。全部で何本いりますか?」というもの。この問題で「3×5」はオーケーで「5×3」はダメですよ、という話なんです。

 それで、ここではまず最初に「かけ算」の考え方について話をしておきますが、かけ算というのはそもそも「何かを何倍したもの」という事なんですね。それで、立式においては「○の△倍」で「○×△」という形になるんです。そして、○のことを「かけられる数」、△の事を「かける数」というんです。だから、この△のところには「倍」に当たる数字が来るんですね。
 そこから、上記の問題文では「3本の5人分で15本〜3本の5倍で15本〜3×5=15」という式が正解と判断します。

 それでは、5×3だとどのような解釈になるか、ということなんですが、
 この場合、「5人の3倍は15人」という解釈にすると、人数を求める式という事になってしまいます。答えは同じでも、求めている内容が不適切となるんですね。また「5倍の3本」となると、これは日本語的に変ですね。となると、これを放置しておくと、文章を解釈するときの国語力に後々支障をきたすんです。ですから、ちゃんとした式を作りましょう、という話になるんです。学校の先生の中には、まず、問題の文章を一旦「式を作るときの言葉に直してから、数字で式を作らせる」という指導をしているところもあるんです。そこまでやってくれている先生って、本当に丁寧に教えてくれていると思いますよ。

 正直に言うと、これ、ちゃんと先生の話を理解している子は、普通に「3×5」の式を作って、先生に○をもらってお終いなんです。それを逆に書いてしまう、ということは、意味をきちんと理解していなかったり、意味が分かっていても式にきちんと表すことが出来なかったりしている子、という事になりますから、不可にされてしまう、と考えておいてください。要するに「中途半端に出来ていても、それは認められないんですよ」ということです。

 そして、非常に危険なのが、安易に「5×3」を認めてしまうと、子供さんの中に「単に文章に出てきた順に数字を当てはめて式を作る」という感覚の子が出てくるんです。この問題の場合、文章をちゃんと読まずに、出てきた数字の順に「5×3」とやっている子もいるんですね。そういう子が中学校に行くと、こんな式を作ります。
 「50円の品物をx個買って300円を払ったときのおつり、を文字式で表せ」という問題で50x−300とやってしまうんです。これ、実は、今の高校3年生〜大学生に当たる年齢の子供さんが中学生のときには、半分近く(ひょっとしたら半分以上!?)、こういう式を作っていたんですね。もちろん、これだと「ひかれる数」と「ひく数」の関係が逆ですよね。でも、子供達は、文章で出てきた順に数字や文字を当てはめて、適当に式を作ってしまうようになるんです。そして、この世代が以前話題になった、全国学力テストの「100人の40%を求めなさい」で正答率が34%だった世代なんですよ。
 結局、こういう感覚になってしまったのは、小学校低学年のときに、式をきちんと作る、という感覚が身につけられなかったところに、一番大きな原因があったんですね。

 さらに、周りの大人がいいように解釈して上げて「5×3」でもいいよ、と言ってあげたとしても、子供さんは、そのようには受け取らず、最悪の場合「文章で出てきた順に数字を当てはめてもいいんだ」と考えてしまう子も出てくる、と思っていた方がいいんです。お父さん・お母さんがきちんと勉強を見て上げられる人ならいいんですが、共働きなどで、そんなにしょっちゅう見てあげられない、という場合であれば「ちゃんと学校の先生の言うことを聞いておきなさい」と言っておいた方が安全だと思っていた方がいいと思います。

 ちなみに、ここで書いた「倍」には系統があって、この後「わり算」でも「倍」が出てきますし、皆さんご存じの%も、基本は「倍」の感覚が使われます。「500円の30%」は「500円の0.3倍」という意味ですし、帰省ラッシュの報道で「新幹線の乗車率120%」なんていう話が出てきたら、これは「定員の1.2倍」の人数が乗っているということが分かればいいわけですよね。ですから、簡単なように見えますけれども、簡単だからこそ、小学校の低学年の段階でしっかり「身につけるものは身につけさせる」という感覚が大事になります。これが指導側から見た「かけ算」の立式なんですね。

 ということで、この辺の内容をふまえて、子供さんの答案を見てください。また、学校の先生方も、保護者からいろいろ言われるかも知れませんが、そういうったものにはくじけず、頑張ってくださいね。

(追記1)
 書くのを忘れていた内容があったので、追加しておきます。まずは「交換法則」についてです。「結局、答えが同じになるんだから、どっちでもいいでしょ」という人もいると思いますが、これ、実は「交換法則」の使いかたの勘違いから来ています。本来、交換法則というのは「要領良く計算する方法」であって「立式」には用いないものなんです。
 実際に「交換法則」を習うのは小学校4年生で、そのときには「計算のくふう」という単元で扱います。で、単元名を見てみると分かると思いますが、結局のところ、計算の仕方で習っているんですよね。
 ですから、文章問題の答えを出すまでの流れとして「最初は、文章をきちんと読んで立式」、そのあと「交換法則・結合法則・分配法則」を使えるものは使って、要領よく、速く・正確に計算して答えを出す、ということになります。

(追記2)
 それでは「なぜ、指導側はこのような指導をするのか?」という話ですが、結局のところ「きちんと出来るようにするため」なんです。この件に限らず、指導法というのは「今まで出来なかった事を出来るようにするため」に生まれてくるものなのです。ですから、それまでは「文章を読んで、自分で考えてごらん」というだけだったんだろう、と思うんですね。それが、きちんと出来るようにする指導法が確立され、それが現在に至っているということだと捉えてください。

 そして、図らずとも、釧路や北海道が反面教師のような状況で立証してしまったのですが、実は、以前の釧路は学校進度が遅く、かけ算の内容も「九九を教えてお終い」だったり、最悪は「九九が終わっていなかった」という話があるんですね。ということは、文章問題にはほとんど触れずにお終いだったんです。それで「6cmの3倍は何cmですか?」が出来た子が半分。要するに「倍」の感覚が何もない状況だったんです。
 これ、表記の問題のように「5人が3本ずつ」程度の問題くらいであれば、みんな出来たと思います。ところが「倍」が絡んでくると極端に出来ない。家で自分で勉強しておきなさい、自由にやってもいいよ、ということでは、子供達には「倍の感覚」は身につかない内容なんだ、ということが改めて、証明されてしまっているんですね。

 ですから、子供達が必要な内容を身につけるために大事な指導法ですから、適当なことをやらせず、きちんとやらせておいた方が無難、ということだと思ってください。
(2016/11/10・12)

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先を見越しても「ありがたみ」は感じない


困らなければ感謝しないんだよね〜

 昨日、授業で使った教材の中に松平定信の「花月草紙」の1節があったので、簡単に紹介しますね。

 ある医者が「後で病気になるから、今のうちにこの薬を飲んでおきなさい」と言ったのを「そんなはずがない」と信用せず飲まずに、結局病気になってしまった。ところが、その人は、言うことを聞かなかったのでその医者に行くのがためらわれ、別の医者のところに行った。そして、その医者がいろいろ治療を施し直ったところ、その人は、病気を治してくれた医者に非常に感謝した。
 また、別の人は「後で病気になるから、今のうちにこの薬を飲んでおきなさい」と言われ、気が進まないものの、とりあえず飲んで、結果、病気にはならなかった。すると、その人は「ほら、元々病気になんてならなかったのさ」と思ってしまった。

 この話、医者を「親・先生」、薬を「勉強」というふうに置き換えると、現在の学習状況に通じるものがあるような気がしますね。本当に感謝しなければいけないのは、自分を平穏無事に過ごさせてくれる人なんでしょう。だから、自分たちの仕事っていうのは、別に感謝なんかされなくても、入試や就職を迎えたときに無事に通過させてあげることなのかな。
(2016/11/08)

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小学校低学年「宿題は家庭学習の入り口」


ただやみくもに出してもね・・・

 小学校では、毎回きちんと宿題を出して、子供達に家庭学習をやらせるところも増えてきました。となると、今度は宿題の「質」の問題になってきます。そこで、ここでは「どういうことを目的にして、どのように宿題を出せばいいか」という事について書いていきますね。
 まず、今回は「小学校低学年」向けで。

 そこで、「そもそも」の話なのですが「家庭学習」には「宿題」と「自主学習」の2つがあります。そして、中学・高校と進学していったときに、メインになるのは「自主学習」の方なんですね。
 普通に考えてくれれば分かると思いますが、高校入試で「学校の勉強だけで合格した」とか「教科書の内容だけ勉強していたら、ちゃんと合格した」と言う場合、実は「少し下のレベルの学校」ということになって、「上位校」にはなかなか合格していかないものです。これが「大学受験」ともなれば、なおさらで、高校で勉強した内容をやっているだけで受かった、なんていう話は、ほとんどありません。ほとんど「問題集」や「参考書」を使うでしょ。
 また、社会人となってからは「自分で課題を見つけ〜自分で考えて〜自分で答えを出す」という一連の流れを求められるようになってきます。そして、この流れ、家庭学習のうちの「自主学習」と同じ流れですよね。
 ということは、最終的には「自主学習」が出来るように子供達を鍛えていく、という視点が大切になります。そこから逆算で、小学校のうちに何をさせるか、中学校で何をさせるか、という話になっていくんです。

 そこで、小学校低学年の目標は「家で机に向かう習慣をつける」ということ。ですから、ほんのちょっとでも良いので、なるだけ毎日宿題を出す、ということになります。そして、その際には「具体的にやるものを与えること」。何でも好きなものをやっておいで、と言ったところで「何をしていいか分からない」という子がほとんど。ましてや「お母さんが勉強の面倒を最初からきちんと見て上げる」なんていうことも、共働きの家庭では結構しんどい。だから、子供さんが「すぐにサッと机に座れるように、具体的なものを用意する」のが大前提なんですね。すなわち、この段階で宿題というのは「子供達が机にサッと座れるようにして、家庭で勉強する習慣をつける〜家庭学習の入り口」ということになるんです。

 当然、指導する側も「宿題〜やらなければならないもの」と「自主学習〜自分から進んでやるもの」をきちんと区別して、子供達に話をしなければなりません。「まず宿題をやって、そのあと、自分の好きな勉強をしてみよう」という形で、まず「机に座らせて、そのあと、自主学習へ促す」という指導をしていかなければならないんですね。そして、子供達がその違いを認識できるように指示をしていかなければならないんです。
 こういう発想で捉えると、実は、宿題も自主学習もひとまとめにしてグチャグチャになってしまう「家庭学習ノート」という指導はあまり良いものではない、ということになります。「宿題は宿題」「自主学習は自主学習」ということで、それぞれきちんと提出させ、「やるべき宿題をやって来なかったら注意する」「自分から進んでやってきた子は誉める」という区別が必要なんです。

 さて、ここまで来ると、当然「宿題は出しません」とか「好きなものをやっておいで」という指導は、小学校低学年では「机に向かう習慣をつけさせられない」もしくは「机に座りづらくしてしまう」という指導ですから、あまり良い方法とは言えません。単に学力だけの話では無く「将来につながる良い習慣」というものが身につかなくなってしまうわけですから。
 また、例として、これ、本州方面の先生の話ですが、小学校2年生で「漢字を毎日3つずつ書かせる」とか「計算を10問練習させる」というような宿題を継続的に出している先生がいます。小学校の低学年であれば、こうやって、まず「家庭学習の入り口に立たせること」がその後に大きな影響を与えると思ってください。
 ですから、学校の先生であれば、もう少しキッチリ「目的」「方法」「内容」について考えていかなければならない、と思います。そして、お父さん・お母さん方で、もし、学校の先生がいまいち、というケースがありましたら、家庭の方で、上記の内容に準じた「家庭学習」を進められるように心がけていってくださいね。
(2016/11/01)

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「序列化」、どうなった?


釧路教育活性化会議の結果公表に反対した人たち

 一つ前に書いた総合ABCの学校名公表。実は、これ、最初にやったときに、反対した連中がいたんです。新聞記事にまでなったんですよ。
 そして、その反対した連中の言い分が「序列化が進む」だったんですね。

 ちなみに、そのとき反対したのは
北海道新聞の社説
北海道教育大学釧路校教授
校長会会長(釧路)〜当時

 これ、どういう風に「序列化が進んだ」のか、教えて欲しいですね。
(2016/10/08)

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総合Aの結果です


皆さんの学校はどうですか?

 釧路教育活性化会議で、今の中学3年生の総合Aの結果がでていますので、ここに転載しておきます。

中学校 国語 数学 社会 理科 英語 合計 昨年の総合A
附属 39.3 29.8 35.8 37.3 42.2 184.4 194.9
阿寒 37.1 19.3 35.7 24.6 33.7 150.5 160.2
青陵 33.4 20.3 28.6 27.2 32.2 141.6 117.5
鳥取 31.7 21.4 27.7 30.0 30.5 141.3 131.3
幣舞 32.8 22.5 28.0 28.4 26.8 138.0 142.0
春採 33.0 23.4 24.7 24.5 27.4 133.1 107.9
富原 33.6 19.1 24.9 26.0 27.9 131.5 145.2
共栄 31.8 20.4 21.2 24.9 28.7 127.0 129.6
遠矢 30.9 18.7 26.5 24.6 26.1 126.9 140.2
32.0 19.0 24.0 23.0 29.0 126.0 138.0
美原 29.1 19.1 26.2 24.2 25.6 124.2 140.4
別保 31.0 19.8 25.4 18.9 36.8 121.8 146.5
景雲 29.6 18.5 22.2 24.2 26.4 120.9 142.3
鳥取西 30.5 17.8 23.9 20.2 25.0 116.8 134.0
桜ヶ丘 26.1 19.1 21.6 23.4 25.6 102.9 124.0

 さて、表を見てみると分かると思いますが、数学が悲惨ですね。附属はついに30点を切りました。あちゃ〜。
 そして、もう一つ面白いのが、社会の平均。附属と阿寒と0.1しか差がありませんね。要するに、社会科だって、ちゃんと勉強すれば、附属くらいまでなら出来るようになる、ということです。全国学力テストの結果と総合して考えてみれば分かると思いますが、結局、全体的に「思いっきり勉強不足」ということですね。これだもん、全国平均と大きく差が開きますわ。
 そして、合計で見てみると、10点ほど、昨年より下がるくらいの得点になるようです。ですから、それを基準にしてみてみると、20点近く下がっているのは、全体的に去年の中3より勉強不足気味。逆に点数を上げている学校は頑張ったのではないでしょうか。また、昨年と平均にあまり差がないところも、徐々に力をつけてきている、ということですね。

 ところで、景雲、どうしちゃったんでしょう???
(2016/10/21)

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テストで学力をつけましょう


どういう定期テストが望ましいのか?

 学力テストと定期テストの差が大きい、という話を書いてきましたが、じゃあ定期テストを難しくすりゃいいのか、というと、そういう訳ではありません。この辺、誤解が無いように定期テストのあり方について、書いておきますね。
 そこで、某中学校の総合Aの結果と定期テストの結果を表にしてみました。

テスト 国語 数学 社会 理科 英語 合計
総合A 平均点 31.7 21.4 27.7 30.0 30.5 141.3
正答率 52.8% 35.7% 46.2% 50.0% 50.8% 47.1%
中間テスト 平均点 58.5 59.1 65.5 68.4 58.7 310.2
正答率 58.5% 59.1% 65.5% 68.4% 58.7% 62.0%

 表で見ると分かると思いますが、定期テストは100点満点なのでそのまま平均点が各科目の正答率になりますが、総合Aは60点満点なので、正答率は100点満点に直したときの点数、というように考えてみてください。
 そうすると、学力テストと定期テストの差が一番小さいのが「国語」。次は「英語」。逆に差が多きのが「数学」ということになりますね。

 さて、例えば数学をこの状況で、正答率35.7%〜平均点が35.7点になるように定期テストを作ったとします。そうすると、子供達は「みんな出来ていないんだから、点数が悪くてもしょうがない」になってしまうんです。それだと、子供達の学力は上がりません。
 逆に、もっと点数を取れるように易しくしたら、今度は「点数が良かったんだから、これくらい勉強しておけば良い」という事になって、結局、学力は上がらないんです。
 そこで、子供達がテストの結果を見て、頑張ろうと思う平均点は、特にデータがあるわけではないんですが、自分の見てきた感覚では55〜60%に収まっているときが一番いいんですね。となると、この中学校では、国・数・英は、しっかり子供達の学力を想定してテストを作れている、という判断です。逆に、社・理は、ちょっと定期テストの平均が高い。もう少し難易度を上げて、上位層に「頑張ろう」という気持ちを持たせてあげた方が、全体的なレベルは向上します。
 まあ、正直に言うと、この学校の数学がダメなのは、このテストより前のテストが易しすぎで、1つ前のテストの平均が73点、その前が69点。これじゃあ、子供達、数学をバカにして勉強しなくなりますね。結果、学力テストがガタガタということなんですよ。

 そして、もう一点は、この平均点、各科目で足並みが揃わないとダメなんですよ。というのは、子供達は、目先の点数で判断しますから、易しくて点数を取れる科目が「好き」、難しくて点数を取れない科目は「嫌い」となっていきます。ということは、一科目だけ易しいテストにして子供達の人気取りをしてしまったら、他の科目を勉強しなくなってしまうんです。ですから、ここは教頭の腕の見せ所なんですね。
 おそらく、今の教師は「子供達に嫌われないように」を中心に考えている傾向があるだろう、と思いますから、易しいテストにして、子供達の人気取り〜「私、社会が好き」というような、自分の担当科目を好きになってもらおうとして、易しいテストでつり上げようと思っているケースも多かれ少なかれあると思います。ですから、そこに歯止めをかけるのが教頭の仕事です。

 そして、最終的には、このテストできちんと評価をする、ということです。
 出題の仕方はいろいろあると思いますが、やはり学力の低い子もいるわけで、その子達のために「ここを出すからね」とある程度(3〜4割程度)は点数を取れるようにしてあげればいいんです。ただし、そこまで言っているにも関わらず、全然勉強をしないで、点数が取れない場合。それは、基本的に「意欲・努力」の低い子という判断をして、通知表結果を低くするんです。そして、そういう話をあらかじめ保護者・生徒にきちんとしておくんです。
 万が一、一生懸命やっているにも関わらず、全然点数が取れない、という子がいたら、それは学校の勉強内容について来れていないということですから、通級・特別支援などを保護者と話せばいいんです。そういうことになったら、それこそ、保護者も勉強の事を真剣に考えるようになるんです。

 ということで、上の方ばかりを見て話をしているのは、下の方ばかりを見て話をしているのと、同じです。ですから、ただ単純に「テストを難しくしろ」というのは、おかしな話なんです。学校には勉強が得意な子もいれば、勉強がうまく行かない子もいるわけですから、結局は、平均的に全体をきちんと上げていくという話でなければなりません。
 そして、平均点を55〜60点の間に保ちながら、出来ていない子の補習をしたり、勉強の得意な子に上のレベルの問題を見せてあげたりしながら、授業の改善を行っていけばいいんです。当然の事ながら、学校毎に全体の学力、科目によっての学力が違うわけで、その学校の生徒の学力に見合ったテストを作るため、学校毎に定期テストを用意するんですよね。

 最初のテストのときに55〜60点の間に平均点を持ってきて、子供達の学力が上がってきたら、ちょっと問題を難しくして、次のテストも55〜60点間に平均が収まるようにテストを作る。そして、また学力が上がってきたら、またちょっとテストを難しくして、次のテストも平均が55〜60点の間に収まるようにしていく。そうやって進めているうちに、子供達のテストの平均正答率が、定期テストと学力テストで差が出ないようになって行くんです。
 当然、そのための教材研究やテスト作成力の向上が要求される訳ですから、そういう事を研究センターで行って上げるといいでしょうね。
(2016/10/09)

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今年の中3の受験


釧路市内の中学卒業生 74名増

 学習塾などに通っている方は、塾の方から、すでに情報を得ていると思いますが、今の中学校3年生でみると、釧路市内の中学校卒業予定者が前年度より74人増えます。
 そして、市内の高校では、学級数の増加はありません。
 ということは、市内の卒業生は、ほとんど市内の高校を受験してくると思いますが、そうなると、単純に考えて、不合格者が昨年度より74人増える、ということになりますね。

 こういう状況って、実は、以前にもありました。東高校で60名近く不合格とか。たまたま工業に希望者が集中して、そのときは100名くらい不合格になったとか。おそらく、今年は、それと同様の現象が起きそうです。そして、進路指導がしっかりしていない学校では、大量の不合格者が出るだろう、というお話です。

 ハッキリ言って、きちんと勉強させている学校ならいいんですが、進度が遅れているとか、学力テストの結果が全体的に低いとか、そういう学校は要注意ですね。「学校では普通くらいだ」と思っていたというのが、実際に入試では残念な結果になってしまった、という事も考えられます。
 ですから、学校の状況を考えて、今からでも遅くないですから、しっかり勉強を進めて行ってください。

 ちなみに、現在の中2も書いておきますが、中2生が受験のときは、生徒数は70名減なのですが、江南が1クラス減になる予定です。ですから、考えようによっては、江南より上に行きたい、と思っている人は、今の高校生のお兄さん・お姉さんのときよりも、厳しい受験状況になるよ、と考えていてくれればいいと思います。

 ただし、これが厳しくなったとは考えないでください。今までが、高校の定員割合に余裕がありすぎた〜今までが緩かったんだ、と考えておいて欲しいと思います。
(2016/10/08)

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でました〜釧路の平均


全国学力テスト結果

 実は、10月4日放送の「ストップ・ザ・学力低下」は自分の出演だったのですが、その中で「小学校は改善が進んでいるが、中学校は旧態依然」というお話をしたんですよ。新聞のデータを見た方は分かると思いますが、その通りの結果ですね。

 そして、これ、見たら分かると思うんですが、小6の国語Aは、全国平均を超えたんですよ。全道平均との差を見ると、始めて2点以上の差をつけたんです。これ、自分、ラジオでもお話ししたんですが、小学校では「漢字」に力を入れているところが多くて、この「国語A」で出題されるところは、かなり向上していると思っているんです。ですから、今の段階で「小学校2年生や3年生の漢字の読み書きが出来ない子は、大変だよ」というお話もラジオでしているのですが、それが数字になって表れている、と考えてください。この辺の基本部分に関しては、もう今までのようには行きません。

 逆に、この1つ前にも書きましたが、全道標準レベルの総合A学力テスト〜おそらくは全道平均が「160〜180点」あたりに収まっているだろう〜テストで、学校の平均が130とか140とか、そんなレベルになっている時点で、全道平均なんて超えられるはずが無いんです。総合Aの英語で10点でも、その子の通知表に「3」がついているとか、そんなバカげた通知表をつけているような教師に、まともな授業ができるはずが無いんです。それが釧路の標準になっているんです。だから結果がこうなんです。
 これ、何年も前から言っているんです。それをいつまでも直さないから、何年もずっとこの調子。数学なんて、教師が教科書をきちんと進めていないっていう負い目があるから、きちんとした評価をせずに誤魔化して来ているんだろうさ。基礎学力保障条例があるんだから、訓告・懲戒、バンバン出せよ、って言いたいですね。
(2016/10/07)

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附属のテストは難しい?


未だに妄信している人がいます

 まだ、附属のテストが難しいと思っているお母さんが、結構、多いようです。そこで、今回は「果たしてそうなのか?」という事をお話しておきます。

 これ、単純に「学力テストの平均」と「定期テストの平均」で、その正答率を見ると分かるんです。
 ちなみに、釧路では「学力テストが難しい」という妄信もありますが、これ、義務教育レベルで、なおかつ全道で行っているわけですから、そんな難しいテストなわけが無いんですね。ということで、学力テストと言うのは、極々標準的な〜見方によっては、全国レベルより遙かに易しい〜テストなんです。
 ですから、中3では総合A学力テストがありましたが、このテストで「難しい」なんていうことを言っていたら「笑われる」くらいに考えておいてください。そして、このテストで難しいと思っているならば、それは「自分の学力に対する目線が低いんだ」と捉えて置いて欲しいと思います。ちなみに、公立高校入試の裁量問題は総合Aよりもっと難易度が高くなりますからね。

 さて、そこで、問題の附属のテストが難しいかどうか、という事ですが、これ、単純に「平均点が高いと、みんなが得点できる易しいテスト」「平均点が低いと、みんなが得点出来ない難しいテスト」ということになります。
 それで、例えば、60点満点の学力テストの平均点が42点であれば、正答率は7割ですから、学校のテストで70点の平均になっていて、学力テストと同じ程度の難易度。つまり「全道の標準レベルの定期テスト」という事になります。これが「定期テストの平均点が60点を下回った場合、全道標準より難しい」「80点近くの平均点なら、全道標準よりかなり易しい」ということになりますね。
 同じように、学力テストの平均点が36点であれば、学校の定期テストに換算すると60点程度。学力テストの平均が30点なら、定期テストの平均点が50点程度、となります。この辺を目安にして見てみると、なんのことはない、全道標準レベルと同じくらいの平均になっていますよね。
 ですから、なんのことはない、普通のレベルのテストです。だから、今、大学に入ったくらいの子供さんのときには、理数科を受けたところで、数学の点数が20点台なんていうのがざらにありましたよね。その程度なんですよ。

 そして、附属はまだ全道標準ですけれども、市立の中学校では、学力テストの平均点が20点程度なのに、定期テストの平均が70点近辺になっていたりしませんか? 本来であれば、学力テストを基準にすると、定期テストの平均が33.3点のテストにならないと、全道標準レベルのテストでは無いんですよ。学力テストの平均が30点ならば、定期テストの平均点はちょうど半分の50点程度で全道標準レベル、ということです。
 そうやってみると、定期テストが易しすぎ、というのが分かりますよね。

 ということで、全国学力テストの結果が公表になりました。今後、道内では各管内の状況がデータとして出てくると思います。そして、そこで、学力状況がハッキリしてくると思いますが、結論から言うと「学力目線の低い感覚の教師に習っていたら、子供達の学力は上がりません」。今回の総合A程度で「難しい」と言っているような教師では、その意識が低すぎて、学力向上は無理なんです。
 そのことを頭に入れておいて、今後のデータ発表を待っていてくださいね。
(2016/10/01)

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更新2017年 3月 24日 (金)

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