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2005年 観劇感想 下半期T


2005.11.09

サントリーホール『マウリッツオ・ポリーニ ピアノリサイタル ショパン・プログラムC席2F P中央

ベートーヴェン・プログラムの時のピアノの音とまるで違うのに驚きました。プログラムによって調律を変えているんでしょうねえ。ベートーヴェン・プログラムの時はハリのあるピンと張ったような鋭角的な音で高音は力強く煌めくようで、低音はハリのあるテノールようだったのですがショパン・プログラムでは非常に柔らかく丸みを帯びた音。高音はふわっと包み込むような優しさで低音は滑らかなバリトンのような響かせ方でした。同じ人が弾いたとは思えないまるで違う音。でもリズム、パッションはやはりポリーニ氏独特のものでした。はあああ、本当に凄い。

そろそろお歳で完璧と言われた奏法はさすがに怪しい部分も出てきてるかなという部分も多少あり今回も最初のうちは多少ミスタッチが散見されたのですが、とはいえ、聞き込んだ曲だけについ「あっ、」と思うだけで知らない曲では全然わからないし気が付かない程度だし、何よりそのミスタッチですら音の美しさが際立つためにあるようでした。そして後半にいくにつれ調子が上がってきて、どんどん音が美しくなっていき、泣きそうになるような、深く美しい音楽を聴かせてもらいました。音と音の重なり具合、余韻の素晴らしさは表現のしようがない。音に酔いしれました。特に夜想曲 ロ長調 op.62の2曲には柔らかい美しい音色に心の奥が揺すぶられ、知らず知らず胸が締め付けられました。

そしてポロネーズではポリーニ氏独特の早いリズムがさらにヒートアップしていきました。かなりノッてきたのでしょうねえ、うなり声のような鼻歌も飛び出し、すごいことになってました。この速さで弾くわけ?すごすぎ…というかぎゃーーキターーーって感じでしたよ。音の色合いが生き物のように自在に変化してるかのようでした。そして激しくうねり舞い踊っていました。聴いているうちに身の芯がどんどん熱くなり、音に身体を持ち上がられるような気分でした。なんでしょうね、これは。

でもって、アンコールがこれまた凄かった。だって超有名楽曲で聴衆が聴きたいと思うような曲を続けさまに。しかもしかも本当になめらかで美しく優しく、染み入るような演奏。そしてここにきて100%完璧な演奏になってましたよ。音が風にのって駆け抜けていったかのようでした。しかも余韻の残り方が半端じゃないの。ラストのエチュードのテンポの速い超絶技巧もすごかったです、なんとも軽がると弾いているようでした。もう熱狂するしかないですね。

曲目:
夜想曲(ノクターン) ヘ長調 op.15-1
夜想曲 嬰ヘ長調 op.15-2
夜想曲 ト短調 op.15-3
バラード第3番 変イ長調 op.47
夜想曲 ハ短調 op.48-1
夜想曲 嬰ヘ短調 op.48-2
スケルツォ第1番 ロ短調 op.20  
夜想曲 ヘ短調 op.55-1
夜想曲 変ホ長短調 op.55-2
夜想曲 ロ長調 op.62-1
夜想曲 ホ長調 op.62-2
ポロネーズ第5番 嬰ヘ短調 op.44
ポロネーズ第6番 変イ長調 op.53 『英雄』

アンコール:
プレリュード 変ニ長調 op.28-15 『雨だれ』
バラード 第1番 op.23
幻想即興曲 嬰ハ短調 op.66
エチュード 第4番 嬰ハ短調 op.10-4


2005.11.06

サントリーホール『マウリッツオ・ポリーニ ピアノリサイタル ベートーヴェン・プログラムB席2F RA2後方

ポリーニ氏のピアノの音色って非常に独特ですよねえ。それにしてもやっぱり凄いとしかいえない。今日、つくづく思ったのは一流の演奏家の演奏というのは声でも楽器でも音にふくらみがあるんですよねえ。なんというか音を幾重にも重ね、空気に音を纏わせることが出来る、そういう重層的な音を出す人たちなんだなと。

今日の演奏はベートンーヴェンのみのプログラム。昨年、ポリーニ氏のベートンヴェンを聴いて改めてこの作曲家の曲の素晴らしさを教えてもらったような気がしました。それだけにかなり期待して演奏会に臨みました。

ポリーニ氏は登場してピアノの前に座ると無造作といっていいくらいにおもむろに弾き始めました。あれ?ちょっと音が篭ってるかな?しかもミスタッチが多いような?もしや調子悪いのかな?とちょっとドキドキ。でもそれは最初のほうだけでした。少しづつ調子を上げてきたのでしょう。いつもの早いテンポので演奏で一気に弾いていきます。それにしても本当に音色が素晴らしい。この方の音だしは本当に独特。ひとつひとつの音が明快で、低音の力強い響く音と高音のキラキラと輝くような音が幾重にも重なり、音のプリズムを作っているかのよう。なんというかポリーニ氏の周囲で音たちが舞っているかのようです。それが本当に見えるような気さえしていきます。そして演奏するにつれ、音たちがホール全体を包み始め、煌めきながら、私たち観客の周りでも踊り始めます。音、音の奔流。そして深い深い音の世界へといざなっていく。

『ソナタ第1番』は柔らかく優美な感じを受ける曲でした。へえ、ベートンーヴェンって若い頃はこんな曲を書いていたんだと感じていると、後半にいくにつれポリーニ氏の勢いのある弾きぷりに熱が高まっていくような感じも受けました。

そして『ソナタ第3番』、調子が上向いていくのが手に取るようわかります。この曲は明るく若い生命力に溢れた曲という感じ。ポリーニ氏は早いテンポを崩さず、終始力強くまた明るさのある華やかな弾きぷり。テンポがかなり速かったと思うのですが音が崩れないんですよね。すごいなあ。

休憩を挟んだ後は、期待たっぷりだった『ソナタ29番《ハンマークラヴィーア》』。うわーこれは!!もうなんというか、音が広がっていって宙へ突き昇っていくかのようでした。素晴らしかったです。ポリーニ氏が作り上げる音の世界にどっぷり浸る、そんな感覚です。

曲目:
ベートーヴェン『ピアノ・ソナタ第1番ヘ短調Op.2-1 』
ベートーヴェン『ピアノ・ソナタ第3番ハ長調Op.2-3』
ベートーヴェン『ピアノ・ソナタ第29番変ロ長調Op.106《ハンマークラヴィーア》』

アンコール曲:
ベートーヴェン 『6つのバガテル Op.126-3』
ベートーヴェン 『6つのバガテル Op.126-4』


2005.11.05

サントリーホール『ホセ・カレーラス リサイタル』 D席2F P前方

一度くらいは三大テノールの誰かの生声を聴きたいと思って頑張ってチケットを取ったのですが、想像以上にやっぱり凄かった。カレーラス氏は白血病を患って奇跡の復活をとげたテノール歌手。全盛期に較べたら落ちてるということを耳にしておりましたが、「こ、この歌声で落ちてるんですか?ひええまじですか?じゃあ全盛期の頃って本当に凄かったということなんですねっ」というくらい素晴らしかったです。なんというか、声量がたっぷりというだけじゃないんですね、非常に情感溢れていてドラマチック。そして歌声が本当にどこもぶれないというか、すべての歌声がストレートに伝わってくるんです。一番安い席(それでも15000円でしたけど…)のP席(歌手の後ろ姿しか見えない)でしたがアンコールの時に1回、こちらを向いて歌ってくださいました。こういう心遣いも素敵な方でした。

カレーラス氏はプラチナボイスを言われている歌声。そしてまさしくこのハリのある声はプラチナという名称にふさわしいと思いました。ハリがあって伸びやかで、そしてその伸びやかな声が空気に留まり、歌声の余韻がいつまでも残るのです。ああ、本当に素晴らしいです。そして、なにより歌に込められた深い情熱が感じられました。切々とした哀しさ愛しさ、そんな感情が本当にストレートに伝わってきます。歌に包まれ、全身があわ立つようなそんな感覚すら覚えました。

今回のプログラムはオペラ楽曲ではなく歌曲と民謡でしたので派手に歌い上げるというより、本当に繊細に美しくそれでいてたっぷりと聞かせるという感じでした。オペラアリアも聞きたいなと最初のうちは思っていたのですが聴いているうちにこれで大満足してしまいました。

それにしてもアンコール曲が7曲というのにも驚きました。サービス精神旺盛で、案外茶目っ気もあって、それでいてダンディなカレーラス氏。熱狂的ファンがいるのもよくわかります。アンコールになってからの客席は凄かったです(笑)。ほぼ総立ちなのはわかりますが、1階の観客なんて、どんどん前にほうに押し寄せて花束、プレゼント攻勢。しかもスペインの旗振ってますし。そしてカレーラス氏へのアンコール要求は「ホセ、ホセ」と手拍子でした。うわおっ、ここはどこ?状態。クラシックコンサートホールとは思えない熱狂振り。でも、こういうのが苦手な私でも納得というか、「ああ、わかる」と思いましたからね(笑)

曲目:
ドニゼッティ『君をとても愛してる』/ベッリーニ『光さす窓辺』/作者不詳『海に来たれ』/トスティ『秘密』/トスティ『悲しみ』/トスティ『僕は知っている』/ティリンデッリ『レリクイア』/ティリンデッリ『ああ春よ』/デンツァ『ドゥオーロ』/デンツァ『熱望』/デンツァ『夕べ』/モレーラ『つばめ』/モレーラ『ああ、マルゲリーダ』/チョッフィ『五月のある夜』/タリアフェッリ『プジレコの漁夫』/ファルヴォ『彼女に告げて』

アンコール曲:
アディセル『僕に寄り添う影』/トスティ『かわいい口元』/カルディロ『カタリ・カタリ』/リオス『ロッソ』/レンディーテ『グリア』/中村八大『遠くへ行きたい』/デ・クルティス『帰れソレントへ』


2005.11.03

歌舞伎座『吉例顔見世大歌舞伎』昼の部 3A席真ん中

初日からまだ3日目とは思えないほど個々の演目が充実していました。これは後半行くのが楽しみになってきた。心配していた雀右衛門さんの『熊谷陣屋』の相模が素晴らしかった。それと染ちゃんの役者ぶりがやはり大きくなっているなと感じた。かなりシンプルな芝居『息子』でしっかり台詞を聞かせることが出来ていた。ちょっと低めに出す台詞回しがかなり良かった。

『息子』
スコットランドの劇作家ハロルド・チャピンの一幕物を翻案した芝居ということだが江戸時代に持ってきて違和感がない。短い演目ながら余韻が残る静謐な作品。深々と降る雪の寒さが感じられ、親と子のそれぞれの孤独が伝わってくる。また膨らみのある物語が様々な解釈を残し、そこが余韻を持たせているのだろう。たった三人だけのシンプルな芝居だけに力量が試されると思うのだが、染五郎、歌六、信二郎それぞれが持ち味と上手さを見せて緊密感のある良い芝居を見せてくれた。後半にいくにつれもっと余韻のあるものを見せてくれるのではないかと期待。

九年ものあいだ便りも寄こさない息子を真面目に働いているに違いないと信じ込んでいる父親役の歌六さんが非常にいい味を出していた。ちょっと癖のある頑固な親父風情がよく出ており、また盲目的に息子を信じることで孤独感を癒している哀しい人という雰囲気がありとてもピッタリ。子と知ってか知らずか、その微妙な部分の幅もあって、上手い。

大阪に出て身を持ち崩した金次郎役に染五郎。これがまたかなりいい出来。身を持ち崩した無頼な雰囲気がよく出ていていつもの染五郎とは違った味わい。声を低めに押さえた台詞回しや、いきがった様子の立ち振る舞いに色気がある。また、素知らぬフリをして父や知り合いの様子を聞くうちに、少しづつ悔恨の念を現していく表情が見事。そしてその悔恨の念のともに孤独に押しつぶされそうになり、名乗れないまま親に許しをもらいたいと必死なる様が哀しい。ラスト、もっともっと余韻を持たせられるといいな。

捕吏の信二郎さんは場の空気を動かす役目。非常に難しい立ち位置の役を人が良いというほどでもなく、しかし悪い人でもなく、目端の利く「捕吏」という絶妙のバランスの役作りでこなしている。

『熊谷陣屋』
なんといっても雀右衛門さんの相模が素晴らしかった。足元はやはりおぼつかない部分があるのだが、そこは周りのフォローがありそれほど違和感を感じさせない。それどころか、そのおぼつかなさまで相模という女性の細やかな心情、気遣いといったものに昇華させているかのようであった。全身全霊をかけての「相模」であるのかもしれない。静かな気迫、そんなものを感じた。そしてこの方が演じる女性像というのは本当に心から情味溢れる女なのだ。この方の相模の小次郎の首をなんと哀しげに、そしてなんといとおしそうに抱きしめるのか。心からの哀切。

仁左衛門さんの熊谷は非常に細やかな神経の持ち主であった。自分に言い聞かせるように妻、相模に、そして敦盛の母藤の方に戦いの様子を語り、また苦渋の表情を細やかに見せていく。武将として役目を果たす苦渋、父として子に寄せる想いをストレートに表情にのせ、また動きにメリハリをつけながら一気にラストに持って行く。熱演。ストレートすぎる部分もあるように思うが後半こなれていくことを期待。

左團次さんの弥陀六がまだノッてないというかあっさりしすぎなのが物足りない。後半の要の役なのでたっぷりやって欲しいなあ。

梅玉さんの義経が品格があり爽やか。

秀太郎さんの藤の方、子を思う気持ちがよく出ていて悪くはないと思うのだけどなんとなく藤の方のイメージと違う

『雨の五郎』
吉右衛門さんの愛嬌と押し出しで見せている。踊りは決して上手ではないのだけど吉右衛門さんという自身の魅力、それだけで納得させてるところがすごいやね。

『うかれ坊主』
軽妙洒脱というのはこういうことを言うのでしょう。富十郎さんが楽しそうに踊ってらしてそれが観客に少しづつ伝染いくかのように場を和やかにしていった。お見事。でも足捌きやキレは残念ながら以前より衰えているよなあ…。ついもっと出来るのに、と思ってしまうのだけど自分的に見方を変えるべきなんだろうなあと。

『文七元結』
正直びっくり。ほのぼの楽しく、気持ちよく見られる芝居になっていました。世話物は座組の息のあったコンビネーションが必要なのですが、今回、9、10月での
『夢の仲蔵』で一緒にやってきた面子が大半ということが功をそうしたのでしょう。ボケ、ツッコミのバランスがよかったです。悪い人がどこにもいない、という部分が強調されていたのも良かった。ちょっとコクが足りなかった感じではありますが、ここまでまとまりのいい、しかも爽やかで楽しいものを見せてくれるとは思ってもみませんでした。昼の部の打ち出しの演目として最適だったように思います。

長兵衛の幸四郎さん。今年になって江戸世話物を初役で挑んでいます。お正月の二役はまだしも、今回の長兵衛はどう考えても柄にあってる役とは思えなかったのですが、ニンにない部分を芝居の上手さでカバーして演じてました。かなり頑張ってましたねえ。緩急の付け方がやはり上手いのですね。あとかえってガラの大きさが笑いを誘う部分もありましたし、イヤミでないところで笑わせて思った以上に好演。文七に「死ぬなよ」という部分に幸四郎さんらしいよさが出てました。ただ軽さを出そうとしたことで台詞回しにコクがなかったのが残念。やっぱり、この役は菊五郎さんが一番ニンだなちょっと思いました…(笑)

女房お兼の鐵之助さんは大抜擢に近いのでは?気の強いお兼役はとても似合っていて、いい味を出してました。いかにも長屋にいるおかみさんという雰囲気がありました。

角海老女房お駒の秀太郎さんは、妓楼の女房としての色気があってそれこそピッタリ。娘の情にほだされて、懐の深いところを見せる。厳しいなかにも芯がある優しさをみせるところが秀太郎さんらしい表情。

手代文七の染五郎、この人の文七は独特の味わいがあってやはり良い。3年前に吉右衛門さんの長兵衛で文七をやった時も、間の上手さ、台詞の緩急の表情のつけかたがとってもよくて、今まであまり目に入ってこなかった染五郎という役者を再認識したのだけど、今回は前回以上に柔らかさとすっとぼけた情けなさが絶妙に絡んでかなりいい文七。また顔の表情もよくなっていた。3年前のラストは緊張してるだけの顔だったけど、今回は独立して結婚できることの嬉しさがちゃんと出ていた。

娘お久の宗之助は体の表情のつけかたは非常に良いんだけど台詞回しが…なぜにこんなに棒読み?むーん、『夢の仲蔵』で見直したっていうのに、残念。


2005.10.26

日生劇場『夢の仲蔵 千本桜』夜の部 3回目 C席3階センター

『夢の仲蔵 千本桜』3回目観劇(笑)。1回は全体を俯瞰して見たかったので一番安いC席で実質4階からの鑑賞です。本当は楽日を見たかったのですがさすがに平日昼は行けないので前楽の夜の部。

全体的に皆さん、お疲れ気味かな?という感じがしました。それでも終始、テンポを崩さず緊張感を保った芝居となっていました。体が動かない分、どこかしら気持ちの部分で勢いをみせ、踏み込んだ部分を見せてくれたような感じもありました。ああ、でも歌舞伎の部分が荒かったのは否めません。

ここからは今回は完全に染ふぁんの戯言です。感想であって感想でなし。

染五郎が演じてるというのを忘れそうになるほど染ちゃんは怖いくらいに此蔵でした。そしてぼろぼろでした。たぶん、半分は気力で演じていたんじゃないかな。

身体がかなりぼろぼろだろうというのは最初の踊りの時点でわかりました。いつもと較べて腰が落としきれていないし、手先の動きもいつもなら美しく柔らかく動かすところが硬い。もしや腰を痛めた?と思ったくらい(そうでないことを祈りますが…)。「四の切」のときもいつもの安定感のある動きがほとんどできていない。そのためか力を入れようとしてそれこそリキみすぎ?と思う部分も。考えたら2ケ月もの長丁場を昼夜、あれだけのものを演じてきたんですから、相当疲れが溜まっているだろうことは想像つきましたが、もう痛々しいくらい必死でした。

でも、その代わりと言っては変かもしれませんが、「此蔵」の生の顔が出てました。決して染五郎の顔ではない。此としての顔、そして此の心からの叫びでした。世の中を恨み拗ね、心の底から愛情を求め、そしてなにより役者としてか生きていけない、そんな気狂いの目をした此でした。人を殺め、すっぽんから出て来た時の狂気を纏ったオーラが4階で見てすら伝わってきた。そして仲蔵に向ける愛憎半ばの悲痛な叫びは己が魂を芝居小屋に残していきたいという執念でもありました。

なぜ「染五郎」なんだろう?と自分で思う時がある。なぜこの役者を好きになったんだろう?と。実はまだ自分自身でも把握しきれていない。ただ一つ確かなことがある。染五郎という役者は「役柄」の人物の魂の一端を見せてくれる瞬間があると、そう思わせてくれる、そこが好きなんだと。残念ながらそれは毎回あることではないのだけど。今回はそれを見せてくれたなと思う。今年は今のところ忠兵衛と此蔵で。さて来月もそういうものを見せてくれるでしょうか。


2005.10.22

日生劇場『夢の仲蔵 千本桜』2回目 A席前方センター

今回、先週観た時より全体的にかなり芝居が引き締っていました。特にラストの仲蔵と此蔵の愁嘆場のやりとりに緊迫感が増し、より哀切に満ちたものでした。

幸四郎さんの渾身のラストシーンは凄まじかった。なんだろうね、この方は。時に本当に凄まじい爆発力を見せる。仲蔵として「役者としての狂い」を本当にあの舞台で取り戻して見せた。そしてその業の深さのなかに此蔵への深い愛をも包括した知盛の「おさらば」の慟哭が胸の奥に響いてきた。

それといつもはもっと出来るはずなのに性根の部分でちょっと薄いかな?と思って気になっていた染五郎が良くなっていた。前回、染五郎@此蔵がどことなくピリッとしない部分があったのだけど、どこが?と思ってもどうしても2年前と較べるしかなくて雰囲気が変わったとしか書けなかったのですが、その薄さの原因がちょっとわかったような気がします。此蔵を演じることに気を取られかえって此のほうも忠信のほうも性根の部分があまりきちんと表に出てなかったのではないかと。それと体のキレを見るに前回は少々疲れ気味だったのかもしれない。特にいつもと何か違うと思っていた「四の切」が表情豊かになって元気いっぱいだったのが嬉しい。此として必死にやっているという部分の他に、きちんと源九郎狐としての親への愛情が体全身から出ていました。

また後半の「道行」はやはり暗さや狂気を纏いつつもっと入り込んだものになっていた。目つきがちょっと尋常じゃないんですよね。「何かが違う」そう思わせる。それが人ではない狐を演じているからなのか、此蔵という役者が殺人ということを忘れようと「狂い」なのかに身を投じているからなのか。きっとそのどちらでもあるような気さえ今回はしました。美しい忠信なのにどこか歪みを感じる。

そしてバックステージで此の部分ですが前回、役者バカと言われるガツガツしたものが2年前と較べてあまり感じなかったのですが、今回「役者バカ」としての意地がしっかり見えました。明るさを装った屈折、その部分が前に出てきたような感じです。此の素が見える部分でかなり負けん気の強さが表情に出ていました。そして、ラストの愁嘆場の此蔵のなんと哀しいこと。親恋しい、ただの子供でした。そして役者でしか生きていけなかった哀しい人でした。

私がどうしても秀太郎さん@里好の呪縛から逃れられないまま較べてみてしまった上村吉弥さん@里好。改めてきちんと観ることができました。この方の里好のプライドの持ちようはとても優しいんですよね。非常にまっすぐに生きてきた女形さんという感じで、素直に役者を評価できる懐の深さをもっている。クセの強さはないけど一言に説得力があって、今回この里好さんもとても好きだなあと思いました。

今回、もしかしたらこの方も一皮向けるかも、と思ったのが友右衛門さん@河竹新七。品の良いおおらかさが身上の友右衛門さんですが、いつもとかなり違った面を見せました。こんなに印象的な芝居が出来る人だったんだ。役者たちとは一歩引いた位置にいながら、彼らとは別の作家としての「業」を見せる。人死にを嬉しそうに語るその姿に怖さを感じました。品の良さを失わないだけに、かえって怖い。

今回初参加の市川段之さん@門四郎もかなり印象的です。表情の作り方がほんとに上手い。しかも美味しくできる役柄をほんとに美味しくしてる。とっても楽しくて明るくて、でも単純じゃない。どことなく不思議な役者さんです。

宗之助さん@常世の造詣もとてもよかったです。他の女形の役の人たちが「女」を強調しているのとは違って、「兄さん」なんですよね。可愛いんだけどただ可愛いだけじゃない、そんな雰囲気を見せてました。大人しい、そんな形容がついてしまう宗之助さんですが、そろそろ自己主張の時なんではないでしょうか。

ああ、もう一人一人語りたくなってしまいますよ。今回書かなかった他の役者さんたちも相当完成度が高かったです。彼らの役者としてのレベルの高さを思い知らされました。そして、それぞれのキャラクターに芝居のしどころを作っている「仲蔵」シリーズはもっと続けて欲しいなあと思います。そしてこれがきっかけで古典歌舞伎でもいつもと違う面を見せてくれることも期待したいです。新作ってこういう部分があるからやっぱり新作歌舞伎も必要なんだなあとも思いました。


2005.10.20

アートスフィア『歌舞伎 夢の担い手たち』センター

正式には「坂上みきのビューティフルpresents 『歌舞伎 夢の担い手たち』」です。東京FMのパーソナリティ坂上みきさん司会での愛之助さんと染五郎さんトークショー。

<第一部>

まず染五郎さん登場。坂上みきさんと仲良しらしく、お互い息のあったつっこみ、ぼけ、つっこみが繰り返される(笑)。どんどん話が逸れていくのが可笑しい。早く本筋聞かせて〜と思う部分もあったけど、かなり楽しいトークでした。染ちゃんは真面目なんだけどちょっと天然入ってる感じ。

次が愛之助さん登場。さすが大阪人という感じでくだけた話ぷりがこれまた楽しい。テンションの上がり具合がかなりすごかった。どうやら『狐狸狐狸ばなし』の千秋楽ということもありご自分いわく「ナチュラルハイ」だったらしい(笑)きっとこれが終わったら千秋楽の打ち上げをするつもりなんでしょう。『狐狸狐狸ばなし』共演者の名取裕子さん達が見えられていました。近くに座ってらしたんですが凄い美人。やっぱ一般人とは違うわと思った。

<第二部>

封印切の実演をするということで、これを楽しみにしていました。まずは坂上さん、染五郎さん、愛之助さんの三人で江戸歌舞伎と上方歌舞伎のことについてのトーク。それから実演だったのですがなんとビックリなことに、2畳のタタミと火鉢だけを置いた小さなスペースで羽織袴姿の二人が素顔のままで実演。えええ〜、素踊りならぬ素芝居。しかもトークしたすぐ後でインターバルがないまま、いきなり芝居を始める。この二人の切り替えの早さと集中力には脱帽。役者魂を見せていただきました、という感じ。これを観られただけでも行ったかいがあったというものだ。

芝居のほうはお互い役を変えて同じ場を演じる。「封印切」の八右衛門の挑発に乗り、忠兵衛がつい封印切をしてしまう場面。最初は染五郎@忠兵衛に愛之助@八右衛門で次が愛之助@忠兵衛に染五郎@八右衛門。個人的好みもあると思うが染五郎@忠兵衛に愛之助@八右衛門がどちらもニンにあっていて良い芝居になっていたと思う。

以下個々の感想:

染五郎@忠兵衛は今年6月にやったばかりということもあるだろうが、「つっころばし」風情が良く出ていた。切羽詰った追い詰められ感や、迷いと意地とのない交ぜな表情、まさしく忠兵衛であった。また印象的だったのが動きの美しさ。手の動き、体全体の形が絵になっていた。また手先、足先まで神経が行き届いた柔らかさを持っていた。仁左衛門さんにしっかり習った成果だろう。

愛之助@八右衛門は今年お正月にやったばかり。さすがネイティブな大阪弁での悪態はテンポもよく、そこはかとなく愛嬌がありつつも金持ちぼんぼんの意地の悪さがよく見えた。

愛之助@忠兵衛も今年お正月にやったばかり。当たり前であるが大阪弁での台詞廻しはこちらのほうが断然上。ただ思ったほど「つっころばし」風情が出ていない。骨太でしっかりしすぎているのだ。忠兵衛の弱さが見えてこない。あとどことなく所作がせわしない感じも。二人とも松嶋屋型だと思うのだけど、愛之助さんのほうは鴈治郎型ぽかったような?

染五郎@八右衛門は4年前に大阪松竹座一度やっている。私は未見だが評判は良かったらしい。で期待したが、台詞回しが硬すぎ。大阪弁を言うので精一杯という感じでテンポのよさがでない。また金持ちぼんぼん風情はあるけれど意地の悪さがほとんど無し。しかも立ち振る舞いが上品すぎないか?その代わり「八右衛門って忠兵衛とお友達だったんだよな、そういえば」な親しい間柄な距離感は出てたけどね…。


2005.10.16

日生劇場『夢の仲蔵 千本桜』 A席前方中央上手寄り

私はいわゆるバックステージものが大好きなんですが、この『夢の仲蔵 千本桜』はその点でかなり秀逸な芝居だと今回も思いました。江戸時代の歌舞伎の世界でのバックステージを観せようなんて、よくぞ思いついてくれました。「舞台の上で狂えねえ役者は役者じゃあねえ!」それを役者がこの舞台で言う。この芝居の「役者の業」の部分にやはり惹かれる。舞台の虚が真になる瞬間、そういう舞台をみせて欲しいと私は思ってるんだなあと思いました。

今回は新橋演舞場での初演に較べてかなり「歌舞伎」らしい雰囲気がありました。初演時はストレートプレイとの印象が強かったのですが舞台裏の場面を世話物に近づけたような感じ。それは幸四郎さんと染五郎さんが初演時はかなり現代劇に近い演じ方をしていたのに、今回少し世話ものに近い演じ方にしてたせいかなとも思いました。初演では周囲の歌舞伎役者さんの演じようと少し乖離してる感じがあったのですが、今回役者全体の演じようのバランスがとてもよくなっていました。それは周囲の役者さんたちもいわゆる現代劇の演じ方に慣れた部分もあってお互いは歩み寄れた結果のような気がします。

またやはり物語構成と舞台構成、演出が本当にお見事だなと。物語としては舞台裏と表舞台のリンクのさせかたが上手い。『義経千本桜』の狐忠信の親への情愛や「すし屋」の権太の悲劇の親子物語を仲蔵と此蔵師弟の関係性をうまくリンクさせ、また幸四郎・染五郎親子が演じることで二重性、三重性の意味合いが持たされる。それとは別に江戸時代の楽屋裏風景を役割分担をハッキリさせた個性あるキャラクターを登場させ端的に見せるのも上手い。歌舞伎を知っているとなおさら楽しめる台詞の数々も嬉しい。

舞台構成、演出もかなり秀逸で、セリをうまく使った舞台構成は縦横に奥行きを持たせ舞台転換の間のよさが臨場感を持たせる。この転換の上手さを歌舞伎座で観たいと思いました。それと前回は新橋演舞場を使い、回り舞台で表舞台と楽屋を転換させていたのですが今回、廻り舞台のない日生劇場。どう処理するのかと思ったら、いやはや力技で持ってきました。スピーディさを失わせなかった演出には正直驚きました。こうきたか!また舞台裏の闇からスポットライトを浴びた表舞台へと移動する様など、物語と舞台構成をほんとうにうまくリンクさせた演出だと思います。

さて、内容のほうなのですが、バックステージ部分と劇中劇で演じられる『義経千本桜』の歌舞伎がちょうど半々くらいでしょうか。もしかしたら『義経千本桜』が多いくらいかな?このバランスが非常に難しいところでしょうね。バックステージ部分をたっぷり観たい人と歌舞伎をたっぷり観たい人それぞれ不満が出る可能性がある。私はどちらかということもう少しバックステージ部分での仲蔵と此蔵師弟の葛藤を観たかったような気がします。それを演じられるだけのものを幸四郎さん、染五郎の両方が持っていると思うので。ただ、歌舞伎初心者に『義経千本桜』という歌舞伎狂言に興味を持たせるという部分と舞台裏と表舞台のリンクという意味ではちょうどいい分量かなとも思います。

『義経千本桜』の見所をコンパクトなダイジェスト版に仕立て生演奏、生声で見せたのはいわゆるストレートプレイしか知らない歌舞伎初心者にとってわりといい試みだと思ったのですが、初心者ではない私に判断はつきかねます。一緒に行った歌舞伎初心者の夫婦は最初どうしようと思ったらしいのですがかなり楽しく観られたと言ってくれました。また観た方の感想を拾っていっても初心者のほうがすんなり観てる人のほうが多かった。歌舞伎を知っている人のほうが「難しいんじゃないか?」と心配してる。でも歌舞伎初心者のころ私はイヤホンガイドを借りたことがありません。それでも歌舞伎って楽しいと思いましたし、そんなに親切丁寧でなくても、と思わなくも無いです。勿論、この『夢の仲蔵 千本桜』の多重性のある物語を楽しむためにはストーリーがリンクしていることを知らないで観るより、知っていたほうがより楽しめるのでイヤホンガイドはあってもよかったかもしれません。

前回と較べてしまいますが、今回のほうが歌舞伎の部分がより劇中劇としての機能を果たしてました。同じ配役で2回目ということが大きく作用したのか、個々の役柄の個性が劇中劇のなかにも現れていました。前回、表舞台の部分でそれほど役柄が反映してなかったように思います。あくまでも幸四郎の知盛であり、染五郎の忠信、のほうが大きく出てたように思います。しかし、今回拝見して、仲蔵の知盛、此蔵の忠信でした。どの部分で役に成りきるか、今回はあくまでも『夢の仲蔵』としての役柄で一貫させた役つくりをしてきた感じがしました。仲間内で舞台の評価を言う台詞(「めいっぱいやりすぎて硬すぎる」というようなこと)があるのですが、それに沿った演じ方でした。前回と較べると幸四郎さん、染五郎さんは劇中劇の歌舞伎の演じ方がかなり変化していました。ただそうしたことで、「歌舞伎」のほうの登場人物のキャラクター性が薄れてしまった部分もあるような気がします。だとしたらやはりバックステージ部分をもっと濃くしてもよかったんじゃないかとは思います。

仲蔵の幸四郎さん、この方の存在感、懐の深い演技に、やはり上手いと。台詞の緩急、感情の見せ方の際立ち方はちょっと別格ですね。今回の仲蔵は自分の芝居に対する情熱と座頭としての責任感の狭間で悩む仲蔵でした。前回はもうちょっと俗ぽい仲蔵だったと思うのですが、今回は「芝居狂い」に戻りたいがなかなかそこまでふっきれてない部分を際立たせてたようでした。またラストの知盛の台詞は完全に此蔵に向かって言った台詞となっていました。前回、入水の部分がないのが物足りなかったのですが、今回は「おさらば」、その台詞の哀切さでキリとした部分のほうに納得がいきました。あくまでも仲蔵と此蔵の物語としての終わらせ方。

此蔵の染五郎、この2年間で一回り大きくなったところを見せました。華と存在感がかなり際立ってました。そして前回以上に此蔵としての親恋しさ、仲蔵恋しさに引き裂かれた複雑な心情を見事に表現していました。また後半で神経をピリピリ張り詰めさせ、「殺人」を犯してしまった狂気を身にまとったまま表舞台に立ち忠信を演じる、そういう演技の深さをみせたのにはちょっと感嘆。明るさのなかに見せる鋭い視線に艶やかな色気が出ており、姿の美しさ、所作の美しさ、2年前に比べるとかなりの急成長ぶり。また忠信の踊りでしっかり情景を見せられるようになったのもやはり上手くなったなあと。キメの部分も美しい。それと仲蔵の生い立ちを語るシーンでの演じわけがかなりきちんとできていた。特に義母おしゅんの部分が個人的にかなり良かったと思います。

ただ、イキのよい明るいキャラクターのなかに野心溢れる3階さんとしてのギラギラしたものを見せて説得力を持たせるのには今回くらいが限界かも。今回、華がありすぎて「野心があるし実力もそこそこあるが主役にさせるだけのものがまだ無い下っ端の役者」といった設定にそぐわなくなってきている気がしました。此蔵の秘めた暗さや切なさの部分と相まったギラギラした野心さはまだ線の細さや硬さがあった2年前の前回のほうが見えてたと思う。また、今回此蔵として演じた源九郎狐の忠信は神経を張り詰めた暗さのあるものでしたが、個人的には此蔵の暗さを劇中劇のなかではほとんど見せなかった(見せられなかった?)前回のふわ〜っと柔らか味と色気を見せた雰囲気のほうが実は好きなんですけどね。まあ、染ちゃんが忠信に成り切ったものは『義経千本桜』本興行のほうで見せてもらうしかないですね。

中村大吉の高麗蔵さんが前回以上に小悪党さが出ていたのが驚き。前は少し無理してる感じがあったのですが今回は大吉の持つ世を拗ねた目つき、暗い情念を見事に演じてました。非常に端正な演技をする役者さんですが、今回で一皮剥けるかもしれません。

森田勘弥の秀太郎さんは軽妙洒脱に飄々と演じてらっしゃいました。座元としての世慣れた雰囲気もあって、ご本人が是非やりたかったという勘弥役を活き活きと。小柄ですがとても華のある方だなあと改めて思いました ただ前回の中村里好役が本当に素晴らしく良かったので、どうしても里好役で観たかったと思ってしまった部分もあります。劇中劇での古風ではんりとした色気の静御前は絶品だったなあ。幕外での立女形としてのプライドの出し方とかも独特で。ううっ、また観たいなあ。

中村里好の上村吉弥さん、声が美しく色気と美貌もありとても良かったとは思うのですが、秀太郎さんの里好とつい較べてしまい…。立女役としての格とかプライドとか、そういう部分で物足りなさを感じてしまった。

河竹新七の友右衛門さん。前回、おおらかで品があり人としての大きさのある森田勘弥を造詣されて非常にいいものを見せてくださっていたのですが、今回は勘弥役を譲って、座付の狂言作家を演じられていました。いやあ、これも良かったですねえ。作家としての業の部分をしっかり出されていて、予想以上に芸達者のところを見せてくださいました。普段は品のいい役ばかりですが、クセのある役も十分にいけると思います。

その他にも錦吾さん、鐵之助さん、宗之助さん、錦弥さん、段之さんなどなど皆さん、非常に活き活きと演じていらした印象。このお芝居では普段歌舞伎座では観られない役者さんの違った面も見せてくれるのもいいんですよね。


2005.10.15

国立大劇場『通し狂言 貞操花鳥羽恋塚』 3等席中央

休憩入れて5時間の長丁場。病み上がりの身には少々きつかったけどなかなか楽しめました。「平家物語」から取った題材をオムニバス形式で見せる筋立て。一応、通しとしての物語の一貫性はあるものの登場人物が盛りだくさんすぎて、ひとつの物語としての一貫性を追って観ようとすると訳がわからなくなりそう。

主たる人物だけでも源頼政、頼豪阿闍梨の物語、崇徳院等の物語、遠藤武者盛遠、袈裟御前、渡辺亘の物語の三本が語られる。一応、それぞれ独立した物語として楽しめるようになっているので気分を切り替えて観たほうが面白いかも。ヘタに全体像をつかもうとすると物語として薄くなってしまう可能性が。四世南北は顔見世狂言のつもりで書いたようだが、確かに各幕ごとで役者たちの見せ所を作ったお話なんだなあという感じでした。場面場面はかなり面白い出来なのに全幕一貫してものとしてみるとチグハグさが気になって「物語」としてなんだったんだろう?という…。そういう部分で、チグハグさを楽しむのもいいのかも。

南北ってやっぱり一貫性を求めてはいけない物語作家なんだなと思う。一場一場をどう見せるか、人物像もその場その場での気持ち本位。それが南北ものの登場人物の面白さに繋がる。ただ今回、どうやら演出的に一貫性を求めてしまってる感がある、それが面白みを薄くしてるような気もした。一場一場、しっかりたっぷり見せてくれたらもっと面白かったかもなあ。おどろおどろしい部分や、仕掛けなど、そういうとこはたっぷりやってましたが、なんとなく筋立てをわかりやすくしすぎてる気が…。いや、単に私が複雑怪奇なお話が好きだからなんですけどね。難しいとの感想が多かったので気負って観たら、案外わかりやすくて、あら?とか(笑)。

それと役者がかなり揃っていたのだけどそれでも中心人物をやる役者が足りないという贅沢な芝居で今回重要人物に関しては一人二役が多かった。でも一人二役でないほうがより面白かっただろうと思う。あまり一人二役の意味はなかったし。個々の登場人物が「○○実は□□」という設定キャラクターばかりなので、ひとつの役を一人で集中してやったほうがたっぷり感は出ただろうなあ。役者さんたちはかなり頑張っていたんだけどね。

今回は若手がかなり頑張っていたという印象。もちろんベテランの存在感あってこそ、それが際立ったのですが皆さん成長しているなあととても嬉しく思いながら観ていました。

松緑さんは崇徳院で迫力のある筋違いの宙乗りをみせてくれて、そこは面白かったのですがだいぶ大きさは出てきたものの凄みや狂気といったものがほとんど無いのが今後の課題かな。雰囲気が明るすぎるのですね。その代わり、音平(蔵人)のほうが非常にいい出来だったと思います。まっすぐさ、奴らしい面白み等がよくでてました。

孝太郎さんは待宵の侍従と薫をしっかり演じ分けてましたね。待宵の侍従は人妻らしいしっとりとした雰囲気で、薫のほうはおっとりと可愛らしい姫でした。個人的には薫のほうがかなり可愛らしくて気に入りました。

信二郎さんは平宗盛と長谷部信連という正反対の二役をしっかりこなしていました。悪役の宗盛は少々線が細いかなとは思ったものの、しっかり押し出しもあり、重い台詞回しも無理せずきちんと出していたのが印象的。「毛抜」の弾正を経験した効果でしょうか。長谷部信連のほうはニンにあっていてすっきりとした良い出来でした。

他に若手では男女蔵さん、玉太郎さん、亀三郎さん、亀寿さん、それぞれ持ち味を活かしてメリハリのある芝居を見せてくれたと思います。特に男女蔵さんの憎まれ役は非常に良かった。存在感が出るようになりましたねえ。

ベテランでは富十郎さんが少々、やっぱり衰えたなあとの印象を持ってしまったのですがそれでも存在感は抜群でした。なんだかんだいっても最後の場を締めてくれたのは富十郎さんの遠藤武者だったかな。袈裟御前との町家の暮らしを再現してみせた宿六役が絶品でした(笑)このメリハリがつけられるのはベテランならでは。時代からがらりと世話に落としてみせる。うまい。

時蔵さんはこのところ美しさに輝きが増してきましたねえ。今回は小磯と袈裟御前の二役。どちらも堅実。小磯は可愛らしく、またいきなり姫にさせらたときの戸惑いぶりのちょっと天然はいったほわーっとした部分がなんともいえない時蔵さんらしい味わい。袈裟御前は艶やかで芯のある大人の女。やはり町家の暮らしを再現してみせた時の世話の台詞回しがまた絶品。今非常に充実している女形さんでしょうねえ。


2005.10.10

歌舞伎座『芸術祭十月歌舞伎 夜の部』 3等A席前方真ん中

『双蝶々曲輪日記』「引窓」
全体的にさらっと雰囲気で見せる世話のほうに重点を置いた「引窓」でした。たっぷりとした情の濃さや重量感はないものの話の筋がすんなり伝わるわかりやすいものになっていたように思います。

与兵衛のちに十次兵衛の菊五郎さんは無理せず自分のキャラに合わせてきた演じ様だったと思います。町人として生きてきたというキャラクターを全面に押し出し飄々ととても明るい与兵衛でした。武士になったばかりの町人という部分を丁寧に演じていたと思います。しかしすっきりしすぎてて田舎ものの無骨さ無頼さがないのが残念かなあ。2枚目すぎるのよね。それと十次兵衛という武士としての立場の苦渋の選択という部分が少々薄い。あくまでも与兵衛というキャラで一貫した作りでした。

濡髪長五郎の左團次さんもかなりすっきりとしたスマートさのある作り。母への情が明快に見えたのは見事でした。大きさもありますし、見かけも思った以上に濡髪長五郎らしさがありました。ただすっきりしすぎてお相撲さんらしい、もっさりとした雰囲気や人を殺めてきたという翳があまりなかったかなー。

母お幸の田之助さん、とても情の強い母でした。わりと神経の細やかな心優しいといった風情。また小さい頃に別れた子を思う一途な想いが非常にハッキリしていました。濡髪を助けようとする部分では子猫を守る母猫といった雰囲気をなんとなく感じ、なりふり構わずといった部分の「母」の強さが見えたような気がしました。

お早の魁春さんが非常に良かった。手に入ったお役ではあるけれど、よりいっそう艶のある色気があり、また気配りのできる優しさが随所に。またひとつひとつ丁寧に動いてらして、お早という存在がとても明確に出てました。この座組のなかでは一番たっぷりとした演じ方だったと思います。

『日高川入相花王』
玉三郎さんの人形振りでの日高川。さぞかし美しいだろう、うっとりさせてくれるだろうと期待大だった演目。玉三郎さんの人形振りの上手さは「本当の人形のよう」という部分で現在の歌舞伎役者のなかでは随一だろうと思う。そして確かに、人形のように美しく、文楽人形のようであった。そして私は「あれ?小さい」と思ってしまったのだ。さて、この場合、人形のように小さく見えたのは良いことだったのだろうか?私は玉三郎さんの人形振りはこれで3回目である。前回は人形のようだと思えども、非常に大きく見えた。そう、玉三郎さんというのはカメラがクローズアップするかのように遠くから見てでさえ自分の視覚のなかで大きく見えること多い存在感ある役者の一人だ。ところが今回、とても小さく感じた。本物の人形のように。玉三郎さんはあまりに「文楽人形」を意識しすぎているのではないか?振りがあまりに小さくまとめられすぎている。胸の使いかた、頭の使い方、以前の人形振りでのお七やお三輪の時はもっと大胆に体を動かしていたと思うのだけど…そのケレン味を最近嫌っているのだろうか?

でもなにより、あれ?と思ったのは恋する娘の情念がほとんど伝わってこなかったこと。なんでだろう?なぜ?私が受け取れなかっただけ?でも人形振りから離れた最後の岸から上がってきた清姫の体全体からは恨みの情念が立ちのぼっていたかのようだった。その一瞬、ようやく「いつもの玉様だ」とホッとしたのだった。

後見の菊之助さんは人形を操るというより人形に引っ張られていた。タイミングを合わせるのは難しいとは思うがもう少し余裕が欲しい。

『心中天網島』「玩辞楼十二曲の内 河庄」
この芝居はもう鴈治郎さんの芸を楽しめばいい芝居だろうと思う。私は鴈治郎さんの鼻をすする台詞廻しがとても苦手だ。でもやっぱり観るたびに凄い役者だなあと思う。体の作り方の上手さ、風情の出し方、色気と愛嬌の絶妙なバランス。ほんとアホな男なんだけど憎めない上方の男を見事に体現している。和事ってこういうものを言うんだなと、あらためて思い知らされた。

小雪の雀右衛門さんは風情が絶品。死ぬしかない運命を背負った女としての弱さがありそして絶えず意識が治兵衛に向いている。色気があるのに楚々としている、こういう雰囲気は雀右衛門さんならでは。また倒れた時の姿の美しさは見事だ。どうか雀右衛門さんの倒れた姿をちょっとでもいいから目にしてみて欲しい。決して床にべたっと倒れることはしない。倒れてなお美しいのだ。ただやはりお年のせいか、声が弱く台詞は3階席に届くのがやっと。間は悪くなかったと思うのだけど、プロンプがついていた。足運びも辛そうだ。でもやはり雀右衛門さんでなければいみられないという芸の凄さがある。

孫右衛門の我當さんが良い味わいを出していた。実直さがうまく出ており、そこがときに滑稽味に繋がり、また人としての温かみに繋がっている。武士の化けた町人の切り替えの戻りの部分も少しづつ町人らしさを見せていって違和感がない。

江戸屋太兵衛の東蔵さん、河内屋お庄の田之助さんが手堅い出来。


2005.10.08

歌舞伎座『芸術祭十月大歌舞伎 昼の部』 3等席前方花道上

『廓三番叟』
20分ほどの短い踊りでしたが明るく華やかな舞台で気持ちがわくわくしてきてとても楽しめました。傾城の芝雀さんは打掛姿がよく似合い、可愛らしさのなかにほんのり色気も漂わせておりました。踊りはだいぶ精進しているのでしょう、丁寧に品よく踊ってました。手先の動きがとてもきれいになってきたように思います。新造の亀治郎さんは主張のあるしっかりとした踊りで目をひきました。少々細かく動きすぎかな?と思う部分もありましたが、全体的に彼自身にだいぶ華やかが出てきたような感じ。太鼓の翫雀さんは軽やかに楽しそうに踊ってらしていい感じ。

『通し狂言 加賀見山旧錦絵』
期待半分、不安半分の観劇でした。そしてそれは私的には「やっぱり」と思ってしまった内容でした。私はこの芝居にはたっぷりとした濃いものを求めていたのですが、残念ながらすっきりと品のよいものになっておりました。配役を尾上を菊五郎さん、岩藤を玉三郎さんでやったらさぞかし面白いものになっただろうとそんな第一印象。ただし、全体的には物足りないものだったのですが個々の役者の芸や個性はしっかり堪能できたという点では満足度もありました。

菊五郎さんの芸の個性というものは岩藤という徹底した理不尽なきわまりない憎まれ役には向かないのがよくみえました。ただその代わり、予想外な「岩藤」像を見せてもらい、それは大変面白いものでした。岩藤は大抵、立役が演じ押し出しの強さや凄み、憎々しげな部分を強調することで徹底的な悪役として存在させます。ところが菊五郎さんは声は少々低めに作ってはいましたが顔の造りも体全体の形も完全に女形として岩藤を演じておりました。かなり美しくたおやかな「女」の部分が強調された岩藤。お局としての格がしっかりあり、わきまえる部分がきちんと見えすぎるのだ。底意の悪さとかがあんまり見えない。また、どうしても菊五郎さん独特の愛嬌がプライドは高いがそれほどそれを鼻にひっかけてるようないやらしさを感じさせない。

尾上が武道のたしなみが無いのを知っていてわざと御前試合をと意地悪をしかけ、反対にお初にやられてしまう部分で少々哀れさを感じてしまう。悔しさを湛えた後姿の美しさは権力を嵩に着てというより、自身の地位への不安感をみせる。尾上を陥れようと画策するのは、だからこその悪巧みであったかと、そう思わせてしまう。草履討ちの場ですら、とにかくプライドを傷つけられたそのお返しでついやってしまっているような、本当に憎くてやっているようには見えない。どこか女の浅はかさ哀れさが付き纏う。この時の岩藤の引き上げの後姿は恥をかかされたお返しができたという晴れやかさがある。死に至らしめようとする非情さ、とはまではいかないのだ。陰謀ではなくあくまでも女同士の意地の張り合い。大奥にいるお局としての品格がありすぎるのだろう。それをしっかり表現できる菊五郎さんの「女形」の芸には感心した。ただ「岩藤」としては少々押し出しが弱すぎやしないだろうか?菊五郎さんの愛嬌はどちらかというと、商人の出で、たぶん如才なさと利発さで中老に上り詰めたであろう尾上のほうがしっくりくるような気がしてしまった。

尾上役の玉三郎さんの最初の出の覇気の無さに驚く。いったいどうしたことだ。最初から少々仕事に疲れた女に見える。大姫への思いやりへの情、そのなかに姫に頼まれたことをしっかりこなしきたという自信、その両方の凛とした表情が伝わってこない。この場は大姫の覚えめでたい中老としての忠節と利発さが見えないといけないのではないか。岩藤が姫の前で卑しい嫉妬心を燃やすほどの「勢い」というものを垣間見せるべきだろう。

これは玉三郎さんの尾上というキャラクターの解釈が変わったと見ていいのか?それとも玉三郎さん自身が今疲れてしまっていて、覇気が見えないのか。そのどちらかは私にはわからない。でも前回の玉三郎さんの尾上の最初の場は追い詰められてさえ、「なんとかできないものか」との意地があり活き活きとしていた。また大姫への忠節もよりハッキリしていた。だからこそつい、岩藤の存在を忘れて大姫の前に出てしまっていたのだ。ところが今回、あまりにもぼんやりとしてしすぎている。これは菊五郎さんの岩藤があまり憎々しさがないためのメリハリがないせいもあるとは思うのだけど…それにしてももう少しきっぱりした部分があってもいいのではないか。この場で尾上という人の一本気な部分がみえないと後半の辱めを受けた部分でのショックが際立ってみえない。すでにこの場で岩藤から武道のたしなみを問われる部分でガックリ気持ちが落ち込みすぎている。お初が助け舟を出そうと勢いこんで登場するシーン、それほど嬉しそうじゃないんだよね…。またお初が岩藤軍団をやっつけて岩藤の卑怯な手に再試合を申し込み、たしなめる部分も、なんというか、以前はもっとお初に対して嬉しそうな顔を見せたと思う。わりと単純に喜怒哀楽をみせる、そういうちょっと自由闊達な商人出らしいキャラクターを以前は造詣していなかったか?今回は押さえに押さえすぎて武家の女にしかみえないのですが…。うーん、うーんなんだろう。ここの流れが全体のトーンをメリハリがないものにしてしまったような気がする。なんというか、全体的に今回の尾上は最初から疲れきっている。

ただ、その疲れ具合は後半には活きて来るのだけど。蘭奢待を草履にすりかえられなすすべもなく岩藤に草履で打ち据えられる。その頼りない風情などは絶品である。この時の尾上は自分自身が陥れられる隙を作ってしまったという後悔となすすべもないことの屈辱、そのない交ぜな気持ちであろう。ただただ、ここで内省に陥る。悔しさがみえないのは玉三郎さんが尾上はすでにどこか脆すぎる精神の持ち主だと解釈しているのだろうか。やはり前回の印象とは異なる。とぼとぼと花道を下がる、その惚けたような魂の抜け殻のような風情はすでに「死」を暗示させる。その解釈の尾上としての玉三郎さんの一挙一動は凄まじいほどに虚無感を漂わせる。その雰囲気には圧倒させられた。本当に見事な造詣だとは思う。だからこそ部屋に戻った尾上の上の空、もう死を覚悟している、すでに完全に諦めている、その心理を丁寧にみせていく。自分の落ち度を責めに責め、そして町人出のコンプレックスがここで恨み節のように出てくる。すでに愚痴ではない、呪詛のよう。お初の気遣いに涙し、母への想いを見せるそのシーンですら自己憐憫のようにもみえる。「自殺」、そこに向かう女としての説得力は確かにかなりあった。そこしか道はないと思い定めるだけの負のエネルギー。この尾上像はある意味見事な造詣だと、そう思う。でも今回の尾上の終始鬱の人のような覇気のなさは私には観ていて、どうにもそれでいのだろうか?という思いがぬぐいきれないままであった。

なにか割り切れない岩藤と尾上に対して菊之助演じるお初は歌舞伎らしいおおらかで勢いのあるお初像で、見ていて救われた。かなり一生懸命勉強してきたのあろうなと思わせる、きっぱりした台詞廻しとノリのよさ。そして先輩にぶつかっていこうとする勢いが見ていてとても気持ちのいいものでした。ちょっと無骨でまっすぐなお初。尾上を慕い、甲斐甲斐しく世話をするけなげさもあり、一段と華が出てきたように思いました。張り切りすぎて、男の子にしかみえない体の作りになっていたのが少々残念ではありましたが。もう少し柔らかく体を作れると思うので、そこはまだ今回の大役をこなすのに必死で体にまで気が回ってない感じなのでしょうか。後半よくなっているといいですね。また、凛とした声も今回のお初にはピッタリ。ちょっとばかり緩急がなくて、絶えずテンションが高い感じがあるのがやはりちょっと残念。尾上を心配しながら世話をする場はもっと心配気な感じが欲しいし、尾上の自害で岩藤に恨みを返すと誓う部分の怒りもちょっと薄く感じてしまう。もう少し、感情の起伏を台詞にのせられたらなあ。菊之助さんは感情がなかなか外に表れないタイプのように見受けられる、もう少し素直に役の感情を自分の感情に沿わせて演じてもいいんじゃないのかなーと思うときがある。もう少しでそれが出そうと思う一歩手前でさらっと次のシーンに行く。私としては若いのだし、多少はみ出した感情でも出してくれたらなあと思うのだ。

かなりレベルの高い芝居だなと思ったものの、観ていてあまりに自分のなかでさら〜と流れてしまい心動かされることがほとんど無かった。好きな役者が揃っていただけに、とても残念でしょうがない。ほとんど自分でなぜそう思ったのかの検証になっているので、感想ですらなくなっているような気がする…。しかし我ながら書きすぎだ(苦笑)。最近の玉様は演技の質を変えてきてるのはわかる。でもそれが今までの大輪の華のオーラを薄めている気がするのは気のせいだろうか?一時期、容貌が衰えたな、と思った時期がある。その時ですら圧倒的なオーラは消えてはいなかった。ところが容貌を取り戻してきた最近になってオーラが落ちてると感じさせてしまうのはなぜなのだろう。


2005.10.01

シアターコクーン『天保十二年のシェイクスピア』A席2階上手

事前情報をまったく入れずにいたので音楽劇だとすら知らず、皆が歌いだして「えっ?もしやこれミュージカル?」と驚いたりして(笑)シェイクスピア全37品をすべて戯曲のなかに盛り込んだパロディ劇。4時間という長さがまったく気にならずかなり愉しみました。上等のエンターテイメントだったと思います。でもこの作品、シェイクスピアの主作品やバーンスタインの『ウェストサイドストーリー』を知ってないと面白さ半減かな?

シェイクスピア作品は『リア王』『オセロ』『ハムレット』『マクベス』『リチャード三世』『ロミオとジュリエット』『十二夜』『間違いの喜劇』あたりさえ押さえておけばほぼ楽しめると思います。もちろん全作品を知っているとなおのこと楽しいとは思います。さすがに全作品まったく知らない人はいないと思うのですが、シェイクスピア作品を知らなくてもエンターテイメントとして十分楽しめる芝居だとも思います。それにしても脚本のいのうえひさしさん、よくぞまあ、ここまでうまく組み立てたものです。ちょっと脱帽。特に言葉遊びの部分が素晴らしいね。いのうえひさしさんの言葉遊びは時代性を感じさせない部分で書いているのがすごい。またハムレットの「To be, or no to be」の様々な日本語訳を取り込んでいたのも面白かった。今回上演するにあたってかなり削ったらしいですが、元の戯曲を読みたくなりました。もちろんシェイクスピア作品を読んでからの話になるでしょうが(笑)

そして、シェイクスピア作品のエッセンスをこれでもかと詰め込んだ芝居をしっかり天保12年の物語としてテンポよく4時間をまったく飽きさせずにきちんと見せた蜷川さんの演出に7月歌舞伎座の『十二夜』の演出はなんだったんだ?とちょっと思いました。やはり、歌舞伎というものに対して相当遠慮があったんじゃないのかなー。

その代わり、歌舞伎座の経験をかなり今回、活かしてきたのでは?とも思いました。かなり歌舞伎風味を取り入れていたのですが拍子木のタイミング、下座音楽の使い方、長方形の単純な座敷のセットの使い方等、かなり違和感なく使っていましたし、なんといっても早代わりの手法は歌舞伎のときよりかなりいい見せ方でした(笑)。また一人二役の吹き替えも今回のほうが自然。仮面も使用してませんでした。このほうが違和感無いのよね。まあ、いわゆる歌舞伎の見得や、文楽人形ぶりのシーンはさすがにほほえましいといった程度ですが…わざわざ使わなくてもいいだろうとも思う。伝統芸能を知らない人にとっては新鮮なのだろうか?

それと実は全体的に、劇団☆新感線のいのうえひでのり氏演出とコクーン歌舞伎『桜姫』の串田和美演出を洗練させて蜷川演出風味を加えた芝居という風にも見えました。要所要所で「ちょーん」と拍子木の音が入り、照明での場面切り替えは劇団☆新感線を連想させるし、劇中に案内人がいて座敷のセットをこきたない格好した農民が出し入れしテンポよく進める方法は串田さんの『桜姫』に似てるし。これって、たまたまってことなのかな?それとも蜷川さんが二人の演出を取り込んだのかな?。それでなくても芝居に歌に踊りに殺陣がありってことでどうしても劇団☆新感線と較べちゃう。確かいのうえひでのり氏は以前に『天保十二年のシェイクスピア』をやってるんだよね。今回これ見たら確かに新感線向きの芝居だと思った。劇団☆新感線の芝居だよと言われても違和感ないと思う。それにしては随分スマートで洗練されてるけど。それでもお祭り騒ぎや猥雑もあるし、さすが蜷川さん長年商業演劇に携わってきたことだけはある。エンターテイメントとしての演出としてわかりやすく、それでいて泥臭くなくて洗練されて品が良い。

役者さんたちは皆さんかなりハイレベルで個々の力量に感心しました。伊達に豪華な面子を揃えていない。適材適所、皆さん活き活きと魅力的に演じていました。考えたら、皆さんセンターに立つ役者ばっかり揃えてきてるんだよね。彼らを観ててまるでストレスがかからないというのはかなり大きいね。喜劇として単純に楽しむ芝居なので感情の振幅をしっかり見せるものではないものの、台詞が明快で個々の登場人物としてのキャラクターとしてしっかり作りこんでいる。大仰な芝居がピタリとはまり、活き活きとした登場人物たちがそこにいた。私やっぱりある程度完成された芝居が好きなんだなーと思いました。

役者のなかでは木場勝己さんの緩急のうまさ、白石加代子さんの圧倒的な存在感が吉田鋼太郎さんの心情の出し方の上手さが印象的。唐沢さんは口八丁でのし上がろうとする前半がとてもよかった、後半はもっとギラギラドロドロした悪役にしてほしかったかな。爽やかさが邪魔をした感じ。篠原涼子が予想以上に上手く、特におぼこ系のほうが合っていたのが意外。殺陣はちょいとひ弱だったけど伝法な姉御もなかなか。藤原竜也は華があってとても可愛らしい。リズム感があやしく、殺陣がいまひとつ決まらないのが残念…腰が高すぎるせいか?。女形ぽくするシーンがあったのだがそこが色っぽかった。勝村政信さんはあくまで真面目に。そのシリアス一辺倒の演じ方が妙に印象的。この方は声が良いですねえ。


2005.09.30

NHKホール『NHK交響楽団 第1511回定期公演 Cプログラム』D席3F中央上手寄り

ウラディーミル・アシュケナージ(指揮)

ワディム・レーピン(Vn)をひさびさに聴きたいなと思ったのとアシュケナージ氏の指揮がどういうものかも聴きたかったので行ってみました。レーピンを聴くのは10年ぶり。以前はテクニック先行という感じでしたが、今回、音に深みが出てきていました。テクニックは相変わらず見事で一人三重奏か?という超絶技巧。アシュケナージ氏の指揮ぶりは品よく丁寧な曲作りをしているという感じがしました。強烈な個性とかそういうタイプの指揮者ではないかも。

ベートーヴェン『ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品61』 ワディム・レーピン(Vn)
N響はやはり弦が良いですねえ。よくまとまっていて流れるように響く。とてもまとまりのある端正なオーケストラの音出しのなかでレーピンは骨太で真っ直ぐな深い音色を聞かせる。華やかな音ではないのだけど、コクのあるまろやかな音色。特に低音の響きがいい。丁寧で奇をてらわない真摯な演奏ぶりでした。3章のときなどはあまりに音がきれいに絡むので超絶技巧を聴かせてると思わせないほど。またその弦の響きの深さには驚いた。最近、あらためてベートーヴェンていいなあと思う。音が素直に体に染みる。

ショスタコーヴィチ『交響曲第8番ハ短調作品65』
アシュケナージ氏の指揮を聴くならまずはロシアものだろうと期待しておりましたが、期待にたがわずとても良い緊張感のある演奏を聴かせていただきました。ショスタコーヴィチは旋律で聞かせる作曲家ではないのでオケの音作りが鮮明にみえますね。アシュケナージ氏は非常に緻密に丁寧な曲作りをしていたと思います。そしてわりと骨太にしっかりとひとつひとつの音を鮮明にさせていた感じがしました。

弦と木管とパーカッションがとてもレベルの高い出来。これで金管が揃っていたら言うことなしだったのになあーー。N響の金管は個々のレベルがバラバラという感じが。良い人も勿論いるんですが、全体的に揃ってないし、迫力がない。うーんもったない。ただ、一部の金管以外は本当に素晴らしい演奏でした。聴く方も音を聞き逃さないように耳をそばだてオケと観客との間に良い緊張感もあって、とても満足しました。

アンコール曲: バッハ『無伴奏ヴァイオリン・パルテイータ 第2番 サラバンド』 ワディム・レーピン(Vn)
1曲目が終わった時点でレーピンさんがアンコールを弾いてくれました。やはり低音の響かせ方が魅力だ。深く滑らか。来年、リサイタルをする予定らしいので是非聴きにいこう。


2005.09.24

国立小劇場『九月文楽公演 第二部』 1等後方下手

二演目ともかなり濃かった…見ごたえがあって素晴らしかったんですがそれだけにかなり精神的にもぐったりしました。文楽はその世界に入り込んじゃう感覚があって自分もその場にいたような感覚で観てしまうのよね。

『菅原伝授手習鑑』「寺入りの段」「寺子屋の段」
いたずらしたり遊んだりしてる子供たちが可愛い。それぞれきちんと個性があって、先生がいない隙にワイワイしてる様子がほほえましい。歌舞伎でも子供が出てくると無条件に可愛いと思うんだけど人形でもやはり同じだわ。いかにも田舎の子供らしい素朴な感じがよく出ている。一人、管秀才だけは気品ある佇まいで真面目にお勉強。でもちゃんと仲良しさんもいるようで安心、てな感じで感情移入して観てしまう。

千代が小太郎を連れて来る段になると、歌舞伎で『賀の祝』を観たばかりなだけに、すでに悲劇に至る道筋が鮮明なので胸が痛む。小太郎は管秀才とは違って品はあるけど、いかにも武士の子な風貌。人形の頭(かしら)の顔もきちんと考えられてるんだなあと。

源蔵夫婦、「せまじきものは宮使え」の苦渋を見せる。身代わりをどんな気持ちで探していたのだろう。主君の子を守るため他人の子を殺す。子供がいない夫婦だからそれが決意できたのかな?とか。自分の子がいれば自分の子を身代わりにしたのだろうけど。今まで(歌舞伎観劇時)は松王家族の悲劇だけを考えていたのだけど、今回、この夫婦の在り様をとても考えてしまった。主君は彼らにとって「神」にも等しい(実際、神聖化されてる人だし)、ただの忠義だけでなく信心からという部分もあったりするのかなとか。

そんなこを考えてしまったのはあまりに「物語」がストレートに入ってきてしまったせい。この物語は今の感覚ではどうしても受け入れがたい感覚の物語だ。しかし歌舞伎にはこういうお話はとても多い。そして、そういうお話だからと歌舞伎の場合、一場面一場面の人としての感情の揺れ方のほうに意識がいってしまうので、わりと「物語」としての違和感を感じなかったような気がする。あらためて悲惨な物語だったのだなあと思った。この場の語りの住太夫さんの苦渋の深さがそれを考えさせたのかもしれない。それほどにどうしようもない切羽詰った雰囲気があった。そしてその後の子供たちが親たちに呼び出されるシーンの軽妙な語りへの切り替えも見事。田舎の親たちと源蔵、松王丸の身分、知性の違いがくっきりと。これには本当に驚いた。

松王丸の登場の段では松王丸、大きい!それが第一印象。でも最初の出からほんとの病人に見えてしまった。すでに悲しみに打ちひしがれているかのようだ。なぜだろう?そう見えてしまった。こういう松王丸でいいのかな?語りからはそれを感じたのではなく、人形のほうにそれを感じた。ただ、首実検に入ったシーンでは哀哭が真に迫っていた。心の底からの慟哭。

松王丸と千代夫婦が真相を語る部分は実はちょっと物足りなかった。もっともっと悲しみを湛えて欲しかった。

『女殺油地獄』「徳庵堤の段」「河内屋内の段」「豊島屋油店の段」「逮夜の段」
近松、すごい。この物語は300年近く前に描かれたものだ。でも「現在」に置き換えても通じる世界。その現代性、普遍性に驚かされた。

与兵衛は自分自身と目先のことしか考えない短絡的で暴力的な男だ。いまでいうドメスティクバイオレンス男。そしてその性格は親が甘いことで助長している。そしてたぶん外面は悪くもないのだろう。甘やかされて育ったがゆえの可愛げなところをもっている。だからこそ、親はつい甘くなり、お吉は近所のよしみだからと与兵衛に親切にしてしまう。そしてそれをアダにして、先の考えも及ばずに強盗殺人をおかす与兵衛。こんな事件、いまでもよく耳にする。その現代性ゆえになんともいえない恐さを感じ、また殺される側の哀れさに胸が痛む。

それにしても「豊島屋油店の段」の殺しのシーンには驚いた。あんなにダイナミックで臨場感溢れたものだとは。油は油に見立てた光るビニールのようなものを舞台にかけるだけ。滑って転んでの人形の動きで油のつるつるした床を表現する。人形が端から端までつる〜っと滑っていくんですがどうやってあれをやってるのかわからない。後ろから拝見したいと思いました。

お吉を遣うのは蓑助さん。ほんとにこの方が操る人形には華と艶がある。人形とは思えず、かといって人間の佇まいでもない独特の風情を持つ。柔らか味、美しさそしてなにより表情が豊かだ。娘たちの髪を梳くときの優しげな表情、櫛を欠いて不安に思う表情、与兵衛の親の話を聴く親切心ある表情、そして与兵衛に襲われ、子供を残して死にたくないと必死になる形相。「生きてる」としかいいようがない。そして無念そうに手を上げ空を掴みようにして息絶える瞬間、ああ本当に殺されてしまった…ついそう思ってしまった。


2005.09.23

歌舞伎座『九月大歌舞伎 昼の部』 3等席前方花道上

芝翫さんの存在感に圧倒され、吉右衛門さんと富十郎さんの骨太な演技に魅了され、時蔵さんの美しさを堪能した夜の部。

『平家蟹』
開演と同時に場内を真っ暗にし緞帳をスクリーン代わりに源平物語絵巻を次々と映し出す。そこに白石加代子のナレーションがかぶり、今回の物語の発端となった壇ノ浦の戦いの様子を語る。大河ドラマ『義経』を意識し、ストーリーをより観客に判りやすくするための演出。白石さんの独特の語りがこれから始まる世界観を印象付ける。劇中のなかでも同様の話を登場人物たちが語るのでちょっと説明過剰と思う部分もあるけれど、「これからなにか始まるぞ」という空気感を作るのにはいい手法だったのではないだろうか。

平家に使えていた女官たちの没落後の生活という視点のありかたが面白い。貧困のなか身を売ることしかできない女、またそれすらもできない女は浜辺で食べ物を拾う日々…。そういう女のなかに玉蟲、玉琴という姉妹がいる。姉の玉蟲は女官の格好のまま日々源氏を恨み暮らしている。妹の玉琴は現実を受け入れ、身を売り暮らす。

芝翫さんの玉蟲の存在感が凄かった。狂気の淵に身を置く異様さが芝翫さん独特の風貌も相まって恐いまでの迫力。軒下の現れる平家蟹を源氏の武将たちとして語りかけるシーンには背筋が寒くなった。ほんとに恐い…。そこには玉蟲という女性は居らず、妄執に取り込まれた存在がいた。また衣装の深紅の長袴が異様さを際立たせていたと思う。ずずっと引きずる長袴に源氏の恨みの血が染みているかのよう。妹に毒酒を飲ませ、苦しむ様を平然と観ている視線の恐さ。そういう非情さのなかに、「源氏の追っ手がきたらどうしよう」と一瞬怯えをみせる表情の落差、そして蟹に誘われるように海の底へ沈んでいくときの歓喜と官能の表情が見事だった。

魁春さんの玉琴は生活のために身を売る女としての色気を漂わせながらも品格は失わない。そして敵方の武士と恋仲になったことをへの嬉しさが全身からこぼれ可愛らしい。落ちぶれた境遇のなか、生きていくことに喜びを見出せた女。そのしなやかな精神が見える玉琴であった。ああ、女だなあ、そう思った。今回、芝翫さんと魁春さんからは「女」がとてもよく見えた。この二人の「女」像は女としてとても近しいものだった。

橋之助さんの与五郎が好演。すっきりと爽やかな姿と明るさが玉琴に未来をみせた男として説得力があった。またそういう男だからこそ殺されてしまう運命だったんだとも納得する。与五郎が狂気と正反対の位置にいることで、玉蟲の怨念が怨念として際立つものになる。

左團次さんの残月は、煩悩をまだ完全に落としきれていない僧としての存在感があり、とてもいい出来。左團次さんはますます味が出てきましたね。

『勧進帳』
富十郎さんの富樫が素晴らしかった。人生の機微をわきまえた大人の富樫。情に流されるわけではなく、冷静に見極めをしながらも男気をみせる、そんな富樫。台詞回しのひとつひとつのなかに感情のありかたがしっかりと伝わってきました。役人としての厳しさ、弁慶の熱い思いに突き動かされる心、義経一行だと判ったうえでの決断の、どんどん変化していく声のトーンに惚れ惚れ。素晴らしい、見事です。声がかなりハリを取り戻されていてよく通っていたので迫力がありました。引き上げのシーンでは背を向けて天を仰いでみせた。その一瞬に死の覚悟がみえました。

7年ぶりの吉右衛門さんの弁慶。以前拝見したときより大きさがありました。とても骨太で理知に長けた存在としての弁慶でした。また「俺にまかせろ」そんな豪胆さが見え、そこはかとなく男の色気を感じさせる。弁慶の男としての魅力、それが富樫を動かしたようにみえました。台詞回しはいつも以上に低音を響かせて時代物の重厚さのほうが前面に。ただ、重量感をみせようとしたためか、動きが多少重く見えたのが残念。足捌きがちょっとお疲れぎみのようにみえました。

福助さんの義経はとても神妙に丁寧に演じられていたように思います。じっと静かに運命を受け入れるかのように座わっている感じでした。ただ座る姿勢がとても目立つような気がしてしまったのですが、福助さんの華がそう見せたのかな?それとどうしても女性に見えてしまいます。しかしながら弁慶を労う部分では落ち着きがあり武将としての品格がありました。声を低く出そうとしてちょっと無理して出してる感じがあったのが残念。多少声が高くてもいいと思う。

四天王、番卒はどちらも物足りなかったですね。四天王はまとまりというか結束心があまり感じられなかった。また義経のために血気に逸る、そんな部分もあまりみえず。番卒のほうは緊張感があまりないようにみえました。太刀持ちの児太郎くんは調子が悪かったのでしょうか?動作がもたもた…。しっかり出来る子なはずなので余計な心配をしてしまいました。

勧進帳はドラマの面白さのほかに舞台が「絵」になる瞬間がいくつかあるのですが今回「絵」は残念ながらあまり感じませんでした。なんでだろ?やっぱ脇の方々が色々とちょっとづつ動作全体が甘かったせいかも…。

『忠臣連理の鉢植 植木屋』「浅草観音の場」 「染井植木屋の場」 「奥庭菊畑の場」
忠臣蔵外伝で舞台は江戸、なのですがなぜか上方狂言という不思議な演目。長らく途絶えてた演目だか、確かにそれほど面白みのある芝居ではない。半分は役者の色で見せるもの。よほど主役の弥五郎に吸引力がないと後半少々だれる。それにラストお蘭の方の自害で終わるのが後味が悪いし。今回、血が妙にリアルでした…。

主人公の義士である弥五郎がつっころばしの風情で演じられる。この女好きで女々しくて頼りない弥五郎を梅玉さんが演じる。柔らか味を出すのも上手な方なので上方風味がしっかり出てましたし、可愛げな部分と、義士である部分の堅さがいい感じで同居しておりました。「浅草観音の場」ではその不思議なキャラクター活きてなかなか良かった。しかしながら二幕では堅さのほうが勝り、拗ねてぷんすかする部分のじゃらじゃら感が足りなかったかなあ。恋する男の浅はかさがあまり無いのね。知的な部分のほうが先にたつのでお蘭の方の真意に気がつかないでいるという部分に説得力がない。上方狂言の男を演じるのって難しいんだわと今回も。

お高(お蘭の方)は美しかった〜。恋敵視している若い娘二人とは格が違うんだと、出の佇まいからしてわからせる。大人の女としての余裕と艶やかさ。そして恋する弥五郎の前では一途で健気な女。利用されているとわかりながらも命をかけて弥五郎を愛する。その魂の美しさが姿に表れていました。また逢瀬後のちょっとした仕草で恋人同士の濃厚な時間を持ったのだとわかるその色気が見事。昼の部の精彩に欠いた桜丸とは別人のようだ。この方は立役はしないで女形一本のほうがいいのではないかしら。


2005.09.18

歌舞伎座『九月大歌舞伎 昼の部』 1等席1階前方真ん中

『正札附根元草摺』
荒事と踊りを組み合わせた演目。この両方を表現するのって難しいんじゃないのかしら?とちょっと思いました。絵面は大層綺麗なんですが踊りで表現しなくても?と思わなくもない…。

曽我五郎の橋之助さんは荒事の拵えがとても似合い大きく見えました。この方は歌舞伎役者としての資質はとても良いものがあるなあと今回も感じました。ですが力強さとか勢いが今もう一歩足りない感じ。どこがどうというのがよくわからないのですが。

舞鶴の魁春さんはやはりこのところ役者ぶりが大きくなったなあと思います。相変わらず体のつくりかたが綺麗でたおやか。でも踊りはあまり上手ではないような…(^^;)特に今回は力強さも求められた踊りですしねえ。この方はしなやかで女らしい踊りのほうが似合うと思います。

『菅原伝授手習鑑』「賀の祝」
全体的に地味ではありましたが緊張感を持続させ、なかなかまとまりのある舞台でした。

白太夫の段四郎さんが初役ながらしみじみとした味わいを見せてくれ今後持ち役になるのではないかと思いました。最初のうちはところどころ台詞が怪しいところもありましたがそれをカバーしてありあまる親としての情が伝わってきました。また芯のある強さがかえって悲哀を感じさせるもので、台詞がもっとこなれてきたらかなり良い白太夫になるのではないかしら。

三兄弟の女房たちたちがそれぞれ良い演じぶりでした。千代の芝雀さんは皆をまとめるしっかり女房としての細やかな部分と旦那の松王丸のことをつい自慢してしまう可愛らしさがさりげなく同居していて確実なところを見せる。細かい声の作り方がとてもいい。もう少し女房としての色気が漂わせることができたら本当に良い千代になると思う。

春の扇雀さんが華やかさがあるがいつもよりかなり押さえた表情で丁寧な演じよう。がこの方は最近、顔に気の強さが出てしまい梅王丸の女房としての優しさが表面に出てこないのが少々難点。顔の作りを柔らかくしてほしいかな。

八重の福助さんが非常に品よく可愛らしく演じてとてもよかった。福助さんは表情が豊か過ぎてアダぽくなりがちなので時代物のときはかなり押さえた演じようの時のほうがとても良いものが出る。憂いを帯びながら玄関先で桜丸を待つ風情が絶品。また後半の嘆きは上手さがでて切ない心情がよく出ていた。

さて三兄弟もそれぞれニンにあった役回りでしたが梅王丸の歌昇さんが一歩抜きん出ていた感じですね。体躯を生かしたのびやかな見得。梅王丸の血気盛んな勢いと、後半の父の想いを飲み込んだ表情ともに台詞回しのよさと相まってとても明快。

桜丸の時蔵さんは、出は憂いを帯びたいい表情だったんですが、そのあとがどうも薄い。時蔵さんには珍しく華が出ていない大人しすぎる桜丸でした。むー、残念。

松王丸の橋之助さんは姿とか形は本当に良い。子供ぽい可愛らしさもあり「賀の祝」の場での松王丸はニンだと思うんだけど、やっぱりどこか物足りない。なんだろうなあ。松王丸としての芯が感じられないせいだろうか。それと台詞回しの緩急がもう少し欲しい。

『豊後道成寺』
雀右衛門さんが本当に素晴らしかった。85歳とは思えない娘らしい可愛らしさと色気が全身からこぼれ落ちるよう。満開の桜の屏風のみの舞台中央から静かにセリであがってきた時のなんともいえない美しさよ。もう姿の美しさとしか言い様がないですね。残念ながら膝を痛められていて足捌きはかなり不自由だ。すっ、すっと動けなくて流れるような踊りとは言えない。なのにいつしかそんなことは気にならなくなっていた。

派手さがまったくないごくごくシンプルな振り付け、そして自由のきかない足のために踊る場所もかなり狭い。にも関わらず、あの広い舞台を支配しきっていた。恋する娘としての愛らしさ、恥じらい、一途さ、それが一瞬の切れ目なく踊られていく。なだらかな肩の線の美しさ、手のしなやかさ、可愛らしさと憂いを同居させたまなざし、どこをとっても恋する娘。そして衣装を引き抜いた後半は(引き抜き後の衣装が派手ではないのだけど美しい)、少しづつ恨みの情念が体に纏っていく。たとえようもない深いところから来る、そんな情念。大きくない手の動き、かすかな体の傾き具合、そんな最小限の動きに情念の揺らめきがみえる。そして最後の爆発したような恨みの目の鋭さと絶望。ゆっくりとにぎられていく手の平には自らの純粋な魂を握りつぶすかのようだった。そして異に入り込む。私は涙が出そうだった。

これは、歌舞伎舞踊としての最高峰の境地に達したものだったのではなかっただろうか。気持ちだけで踊る、そういうものだった。

『東海道中膝栗毛』
東京にいるのに愛・地球博のアナウンスを聞き、モリゾー・キッコロに遭遇できました(笑)。

しかしここまでグダグダというかだらだらな芝居を歌舞伎座で目にしようとは…しかも無駄すぎるほどに豪華な面子。この面子でこれをやりますか…。いや一応楽しんだけどさ、なんかもっと違う演目はなかったのか?と小一時間ほど…。なんでしょうねえ、あちらこちらに有名な歌舞伎の場や台詞が仕掛けられ一場面一場面はそう悪くないとは思うんですが演出がひどすぎますね。舞台転換ありすぎ、時間かかりすぎ。もう少し工夫のしようがあるでしょうと。手締めの終わり方は楽しかったですがやはり幕閉めのタイミングがぐだぐだ…最初から最後までぐだぐだって…これアリですか?

役者さん個々は非常に良かった。みんな真面目なのね。富十郎さんが一番楽しそうだったかな。あそこまでハジけてくれたほうが観てて楽しいですね。でも声がちょっと弱かったなあ。やはり声が完全に元には戻ることはないのかなあ…。吉右衛門さんはどう演じたらいいか迷いがあるような感じ。でもすっとぼけた味わいが良かったです。私が観た時には「雪隠の戸を」というところを「雪隠のドアを」と言ってしまいアタフタされてました(笑)次の場で「おれ変なこと言ちゃうし…」とアドリブフォロー。どちらも笑いを誘っておりました。

福助さんと信二郎さんのスリコンビがいい味を出してました。福助さん、こういうはすっぱな役が本当に似合うしかっこいいわ。最近観たなかで一番綺麗に見えた。それがいいのか悪いのかは別としてね(^^;)。信二郎さんは最近急激に自分の味が出てきた役者さんですね。爽やかでちょっと茶目っ気があって、いい感じ。

細木妙珍役の歌江さんは細木数子まんまでした(笑)。見た目からしてほんとにそっくりだし、「ずばり言うわよ」などの言い回しもそっくりでさすがに笑えました。先代仁左衛門、先代勘三郎、歌右衛門の声帯模写は当時を知ってる方なら楽しめたのでしょうが私は残念ながら。でも富十郎さんのまねはそっくりだった。さすが声帯模写が得意な役者さんだけある。また妙珍の弟子の京蔵さんのハジけっぷりが楽しい。

ビックリしたのは翫雀さんの二役。どちらも配役を知らなければ翫雀さんとは判らないようなメイクでのご出演。いやはや、徹底してます。そういう意味では個人的に東蔵さんにも驚かされましたがっ。

皆さんいつもよりかなり崩して?きてるなかできっちり歌舞伎を演じていたのが芝雀さんと梅玉さん。この二人はどこも崩してきてない。つい、崩したくなるような演目のなかである意味すごいと思います、ええ。芝雀さん好きとしては美少女剣士ぷりと仇討ち姿の娘姿が萌え。可愛い〜〜。やっぱりまだ娘が似合うな。梅玉さんは真面目ぶりが最後締めていて良かったです。

まっ、愛・地球博で、愛と平和だもんね…おおらかな気持ちで楽しみのが吉。


2005.09.17

世田谷パブリックシアター『獅子虎傅 阿吽堂 vol.1 〜ヤハイヤ〜』2階中央

『囃子ワークショップ』
亀井広忠・田中傳次郎兄弟の小鼓、大鼓、太鼓、掛け声に関してのレクチャーでした。印象に残ったことを。

・いつもなら真ん中に体のでかい貫禄のある次男、田中傳左衛門がいるのですが今回なぜいないかというと玉三郎さんに拉致されたから(笑)
・次回は三兄弟揃ってやります!と2回目宣言。
・小鼓は長年使い込んだものが音が良い。江戸時代のものと明治時代のものと音比べ。歴然と違いました(驚)
・いい鼓が年々減っているらしいです。古い鼓があったら花瓶などにせず大事にしてくださいとのこと。
・小鼓は乾燥に弱い。演奏中でも音がどんどん変わっていってしまうので息を吹きかけたりして湿り気を含ませ調整している。
・小鼓の皮は薄くて千円札くらいの薄さで馬の柔らかい部分に皮で出来ている。
・まともな音を出すのに10年かかる。
・大鼓は小鼓と反対に乾燥させ締めてから音を鳴らす。乾燥させないものはボケた音で乾燥させた後の音は鋭く張りのある音でした。
・大鼓も馬の皮だが背中などの強い部分を使用。
・太鼓は牛の皮で作られていてバチを使って演奏。
・お祭りなどで演奏する時の姿勢と歌舞伎の演奏の時は姿勢が違う。歌舞伎の舞台上では体を大きくして演奏するので大変。
・大鼓と小鼓の掛け合いは阿吽の呼吸で。お互い背を向けていてもピッタリ合わせていく。
・能での掛け声は登場人物の情況、心境を現すためのもの。

『歌舞伎囃子〜音〜』
とても音が心地よく、知らず知らず気分がノってきて踊り手がいないにも関わらずふわっと情景が浮かんでくる演奏でした。この演奏で気分がかなり高揚しました。

笛:福原寛
小鼓:田中傳次郎
大鼓:田中傳八郎
唄:松永忠次郎
三味線:今藤長龍郎・今藤龍市郎

『舞と囃子による能楽五変化〜神・男・女・狂・鬼〜』
亀井広忠さんのハリがある鋭い声にちょっと圧倒させられました。大鼓の鋭い空へ抜ける音と相まって見事な演奏。また能の囃子はどこか硬質な空気を感じます。そして観世喜正さんの舞がまた見事。面もつけず衣装もつけない舞であるのに異の世界へいざなわれました。最小限の動きで見事な五変化。実はパンフを読んでおらず五変化の内容を知らずに観ていたのですが、はっきりと神・男・女・狂・鬼が見えてきました。

仕舞:観世喜正
大鼓:亀井広忠
太鼓:大川典良
小鼓:観世新九郎
笛:田中義和

『舞踊 道成寺組曲』
これがまた素晴らしい演奏でした。太鼓、大鼓、小鼓、笛というたったこれだけの囃子だけで見事に道成寺の世界を築き上げていました。また大鼓の亀井広忠さんの鋭い声と小鼓の観世新九郎さんの哀愁味帯びた声の掛け合いが見事で掛け声だけでこれだけのものが表現できるのかと驚きました。そして藤間勘十郎さんのしなやかで情感がこめられた踊りも素晴らしかったです。非常に押さえられた振り付けでありながらもしっかりと情念というものが伝わってきました。かなりお若いのにその表現力に目を見張りました。

舞踊:藤間勘十郎
大鼓:亀井広忠
太鼓:田中傳次郎
小鼓:観世新九郎
笛:田中義和


2005.09.10 

国立小劇場『九月文楽公演 第一部』 1等後方下手

『芦屋道満大内鑑』
「大内の段」「加茂館の段」「保名物狂の段」「葛の葉子別れの段」「信田森二人奴の段」

初日公演で満員御礼でした。『葛の葉子別れの段』で保名を操る予定だった吉田玉男さんが体調不良のため休演。代役はお弟子さんの吉田玉女さん。

配役:http://www.ntj.jac.go.jp/cgi-bin/pre/performance_img.cgi?img=94_4.jpg

陰陽師の安倍晴明が安倍保名と信太の森の白狐との間に生まれた子とという伝説をもとにした物語。最愛の恋人、榊の前を亡くし気のふれた保名が信太の森にさまよい、恋人の妹、葛の葉と出会い正気を戻す。その時に偶然助けた白狐がその後、傷ついた保名を葛の葉に化けて助ける、というお話。歌舞伎では「保名物狂の段」の舞踊と「葛の葉子別れの段」がよくかかります。現在、歌舞伎では通しでかかることはほとんど無いんじゃないかな。私は観たことがありません。

今回の文楽は完全通しではありませんが、安倍保名がなぜ狐との間に晴明をもうけるに至ったがよくわかる組み立てでした。やはり通し上演はいい。歌舞伎座でもそろそろ丸本物ものの通し狂言をやってくれないかなー、と思った次第。

本日は初日ながらかなり濃密でまとまりのあるものをみせていただき、非常に満足。今回は太夫さん達の声がかなりストレートに響いてきました。もしや初日周辺は声にまだ疲れがないせい?今までも同じ方々のを聞いてるはずなのですが、皆さん以前聞いたときより非常にハリのある良いお声に聞こえました。人形のほうは文雀さんが非常に良いものを見せてくださいました。

「大内の段」
話の発端が端的にわかり、あーなるほどここから始まったのかと。やはりね、何事にも発端があるんですよ。ここで道満の名が出てきて陰陽師とそれを召抱える大臣の勢力争いということがわかります。

「加茂館の段」
吉田和生さんの榊の前が可愛らしい色気があり、なんとなく菊ちゃん(尾上菊之助)ぽいなーと思いながらみてました(笑)玉女さんの保名はとてもすっきりとした品があり優しげな感じ。この保名と榊の前の若い恋人同士はとても初々しかったです。対する、桐竹勘十郎さんの加茂の後室が押し出しが強く悪女ぽい色気もありなかなかのど迫力で恐かったっす。しかし、結構残虐なお話でしたね。自害する榊の前が可哀想。目の前で恋人に死なれてはそりゃ保名も狂うわな。しかし、保名ってなんとなく地に足がついてなくてふわふわしててちょっとばかり弱い人なのね、だから運が無いんだわというのもよくわかった。

「保名物狂の段」
人形で踊りってどうなの?と思っていたのですがうわー、ちゃんと踊ってる。すごい。玉女さんの保名は本当に上品でまっすぐな感じ。踊りの形も非常に端正で美しかったです。扇の扱いも上手い。ただちょっとばかり色気が足りないなあと。柔らか味とかそういうものが薄いのね。あと物狂いの雰囲気も端正すぎてあまりなかったかな。でもこれを出すのは相当難しいでしょうねえ。歌舞伎でもその雰囲気を出せる人はいないですから。

桐竹紋豊さんの葛の葉姫が品のあるしなやかな娘らしい色気があり美しい姫という印象を残し、目を惹きました。また玉也さんの奴与勘平が力強くユーモラスな雰囲気がよかったです。

「葛の葉子別れの段」
今回なんといっても「葛の葉子別れの段」の女房葛の葉の文雀さんがかなり素晴らしかったです。紋豊さんの葛の葉姫もなかなか良かったのですが文雀さんの女房葛の葉が出てくると歴然と違う。同じ顔の人形なのにーー。女房としての成熟した色気があらわれている。そして子をあやすときの優しい手つきは人形とは思えない。心配げにちょっと首をかしげるなんともいえない楚々とした風情の美しさ。そして狐の本性を少しづつあらわにしていく人と獣の狭間の怪しさ。狐葛の葉に変身したの時の人間離れした美しさはなんだろう。そして何より子別れの場面では母としての情がほとばしる。もうこの場では胸が締め付けられ涙がじわじわと。本当に素晴らしかったです。ううっ、こう書いてても涙が出そう。また竹本綱太夫さんの語りがとてもよかったです。力強くそれでいて細やかな情も感じさせてくれました。

こうなると玉女さんの保名も優しげでとてもよかったのですが、格の違いがちょっと見えてしまいましたねえ。玉男さんだったら、保名の心情がもっと細やかでそれでいて迫力があって色気のあるものだったろうとつい想像してしまって。

「信田森二人奴の段」
大立ち回りの場でとても楽しかったです。与勘平と野干平のやりとりの語りの言葉遊びもわかりやすくてわくわくさせる段でした。


2005.08.26

歌舞伎座『八月納涼歌舞伎 第二部』 3等A席真ん中

『伊勢音頭恋寝刃』
前回17日に観た時のほうが私好みだったかも。確かに前回よりテンポは良かったとは思うんだけど、舞台に流れる空気感がピリッとしてなかった…。

三津五郎さんは前回同様すっきりと芯の強さがある貢。姿はとてもいいしキメの姿の美しさも十分で、、相変わらず台詞はわかりやすい。でもやっぱりすっきりしすぎるような気がするんだけどなあ。大膳ではかなり色気があるのに、貢には色気があまり出て無い。もっと柔らかさとか色気があるほうがいいなあ。それに後半の狂気と凄みがもうひとつ足りない。妖刀に魅入られる狂気とか、そこからくる冷酷さといった部分があまり体に表れてこない。

勘三郎さんの万野は関西のおばちゃん度アップ。そして愛嬌がたっぷりすぎて意地の悪さが立っていなかった…。あれえ?前回の寂しいまでの底意地の悪さはどこへ?ああいう万野だから妖刀の魔を引き寄せてしまうのだ、と納得いきそうだった部分がなくなってるよーー。浅はかさゆえの貢への意地悪としか見えなくて、憎めなさ過ぎてしまう。なんというか貢は妖刀に魅入られてしまったがために大量殺人をおかすのだけど、その狭間のシーンでのきっかけになる万野は貢の殺意を引き金にさせるだけの「魔」が、人の「魔」を引き出すそのギリギリの部分が、あったほうがいいような気がするのよね。前回、それがちょっと見えそうだったので期待してたのにーー。これはもう私が求める万野像ということなんだけどね。それを前回ちょっと見せてもらったような気がしちゃったのよ…ううっ。

お紺@福助さん、とっても綺麗なんだけどねえ。何かが足りない。貢@三津五郎さんとお紺@福助さんの間に流れないといけない情があまり見えないんだよねえ。これは福助さんだけのせいじゃないと思うんだけど…。

『けいせい倭荘子 蝶の道行』
毒々しい舞台美術と派手な衣装に若干引きぎみだった前回。あまりのキッチュぶりに数日残像が残っていたくらいで…。でもそのおかげ?で2回目にしてすっかり慣れました(笑)。これもありと思って見てみると、あら結構可愛いじゃん、とか(笑)そう思わないと、また美術に気を取られて二人の表情を見逃しちゃうしね…。次回はぜひ武智演出はやめてくださいまし。

それにつけてもこの舞台での染五郎&孝太郎コンビは本当に美しく見える。二人ともどこか儚げな表情をしているせいかしら?前回観た時よりかなり恋人同士の情感が出ていた。かといって表情を出しすぎることもないので甘ったるいクドさもなかった。そして前回より踊りがふわっと軽やかになってよりファンタジックになっていたように思う。ただそのせいなのか後半スピード感はなくなっていたような気が?でもその代わり、蝶の軽やかさが感じられ、今回のほうが蝶の精としての儚さを感じた。

ここからは今回の染五郎&孝太郎コンビの「蝶の道行」に感じた雰囲気をちょっとばかり妄想モードで(笑)。

「けいせい倭荘子」での年齢設定は知らないけど助国と小槙はロミオ&ジュリエットのように二人ともまだとっても若い恋人同士で恋に突っ走った、足に地が付いてないカップルだったんじゃなかろうか。お互いを愛しいと思うその気持ち優先。だからこそ死後、実らなかった恋の強い想いが魂を蝶の精へと転化させたのだろう。特に中盤での現世の時の思い出話の見初めの部分はもろロミ&ジュリだし、夫婦の部分もどことなくままごとのようでまだまだ「恋」だけといった趣があり、どうしてもそう感じる。そしてそれゆえの儚さ脆さが見えたような気がする。

小槙@孝太郎は自ら死を選んだわけじゃなく、だから夢の国へ来てしまったことで助国に会えたことがただただ嬉しい、そんな感じ。後を追った助国@染五郎はまた引き裂かれるんじゃないかと不安そう。現世で添えなかったことの哀しみが絶えず付き纏っているかのようだ。ラストの助国@染五郎の死ぬ場面では魂になってすら許されない恋の哀しさがみえ、それを追うかのような小槙@孝太郎さんはどこまでも一緒にとの切ない思いで寄り添うように死んでいったかのようだった。

余談:あれえ?「けいせい倭荘子」って最近ではいつ上演されたっけ?なんだか観たような気がしてきた??似たような筋の歌舞伎、他にあったっけ?前回の梅玉さん&時蔵さんの「蝶の道行」を観てるだけかな。本筋のほう、なにかひっかかるんだよなあ。

『銘作左小刀 京人形』
左甚五郎@橋之助さんのご機嫌な雰囲気が楽しい。高麗蔵さんの女房おとくがやはりいいなあ。


2005.08.26

歌舞伎座『八月納涼歌舞伎 第一部』 1等1F席後ろ花道寄り

第1部、第2部を通しでみましたが『金閣寺』が一番楽しかったです。演目的になんだかんだと丸本物が好きみたいだ。だから文楽にもすんなりハマったのかも。

『祇園祭礼信仰記 金閣寺』
ある意味、此下東吉の潜入事件簿(笑)。今回目を惹いたのは前回物足りなかった東吉@染五郎。まだ力みすぎな部分があるなとか、前半はそこはかとなく愛嬌をのせて欲しいなとか、気になるほどではないけど声が高く張るとこが割れちゃって伸びが足りないとか、まあまだまだな部分はあるけれど、三津五郎さん相手に堂々と演じてかなり良い出来だと思った。前回、性根の部分が薄くスマートすぎて印象も薄くなりがちだった部分がしっかり明確に伝わるようになっていた。慶寿院尼がいる場所を気にしつつ引っ込む部分などさりげないシーンにもきちんと表情がのっていた。また見せ場でのキメの姿の美しさとキメる時の間のよさで観客からその見せ場ひとつひとつに拍手を貰っていたのが印象的。また前回より力みが減ったせいか動きに優雅さも見えた。台詞廻しはちょっと重いかなとは思うものの、緩急が非常に良なっていてノリのよさが際立っていた。染ちゃんの義太夫のノリの良さが最近際立つようになってきたと思う。もっと義太夫物をやって欲しい。姿は幸四郎さん似だけどなんとなく初代吉右衛門さんの雰囲気があるように感じたのは気のせいかしらん。

大膳@三津五郎さんはもう安定しているので安心して気持ちよく観られる。本日は色気もたっぷりで前回感じられなかった大きさも見えた。でも、国崩しの不気味なスケールの大きさはまだまだかな。それにしても三津五郎さんの台詞術にはいつもながら惚れ惚れしますな。

雪姫@福助さんはやはり前回同様、前半が可愛らしくて好きだ〜。後半はやはりちょっとアダぽさが見え隠れ。大膳のサドっ気に火をつけるにはあれでも良いのかしらん。ただ桜吹雪のなかの立ち姿にかなり風情が出てきたのはとても良かったなあ。でもやっぱり降ってくる桜の量が少ないと思うわ。個人的にはもっとどっさり降らして欲しい。で、爪先鼠をするところをもう少したっぷりやってほしかったなあ。こういう場はたっぷりやりそうな福助さんだけど、今回あっさりぎみのような気がする。あとやっぱり旦那への情がもう少し欲しいかなあ。

狩野之介直信@勘三郎さんは嘆きつつもやっぱりまだ諦めてない感がする。でも雪姫への信頼が非常によくみえてさすが。

『橋弁慶』
前回観た時よりはメリハリが利いていたような感じ。でもやはりもっと勢いとか緊迫感が欲しいなあ。

今回は主役二人より演奏のほうについ気が取られてしまった。長唄、三味線、鳴り物がバランスよく、また非常にハリのあるかなり良い演奏でした。

『雨乞狐』
勢いにまかせて、という部分がなきにしもあらずだった狐に柔らかさが出てきておちゃめ度アップ。とても可愛いかったです。あと小野道風にしっとり感も出てきてなかなか。すべてのキャラに品のよさが滲んでいたのも印象的。勘太郎くんの踊りは本当にとても端正ですねえ。


2005.08.20

歌舞伎座『八月納涼歌舞伎 第三部』 1等花道外後方

『法界坊』
前回14日に3等席で観劇したときより楽しんで観ることができた。芝居全体にメリハリとまとまりが出てきたのと勘三郎さんの調子がかなり良くなってきた、ということもあるが、座席の問題も大きいとも思った。近くで観てようやく、なるほど、そういう芝居もやっていたのか、と納得したり、表情が細かくころころ変わる様を楽しんだり。特に1幕目、2幕目はそれが顕著だ。でもなんといっても前回同様本当に楽しんだのは「隅田川の場」だったんだけどね。今回観た勘三郎さんの双面の気迫は素晴らしいものがあった。この大喜利の場だけでも満足できそうなくらい勘三郎さんの圧倒的な舞台支配力にほれぼれ。その代わりバランス的に他の役者がちょっとかすんでしまった感はあるけど、それは仕方がない。

それにしてもやはり今回のこの演出は小さい小屋向けだと思った。この演出の芝居をきちんと臨場感溢れるものとして楽しめるのは桟敷席と1等1階席と2階席前方の客だろうなと。もちろん他の演目でも役者の肉体を身近に感じる席で観るとかなり満足度が高くなる。その部分を抜かしても、今回はあまりにもこじんまりと舞台を作りすぎ。個人的な好みだろうがまず舞台上の人形はいらない。ドッキリさせる演出もあるけど、ただのおまけみたいな演出だ。あの演出が無くても十分面白く出来る。それとやっぱり舞台から降りた役者たちをそのまま下で芝居させすぎ。通路として使うのは全然ありだ。全部舞台上でやれとはいわない。1階席の客の特権はあっていい。だけど、場の情況を見せる場まで下にいさせるのはあまりいい手法とはいえない。小芝居は近くで見るとダイレクトなノリとして伝わるし、前回でこういうのがあるのかと判ってみていたせいもあるけど、さほどうるさくは感じなかった。それと全体的に役者の雰囲気がまとまってきたため浮くことがなくなってきたせいでもあると思う。ただやはり内輪ウケのノリに付いていけるかどうかという部分は無きにしも非ず。

さて、主たる役者や気になる役者個々に言及するのが私の感想の流儀なので前回あまり気が乗らなかったのだけど今回は頑張って書いてみる。(前回含めての感想です)

法界坊の勘三郎さん、なんといっても場の支配力や人を惹きつけるオーラが見事。ただ今回あまりに愛嬌をのせすぎのような気がする。1幕目はそれで十分だと思うのだけど2幕目にそれを引きずりすぎ。2幕目に法界坊の人としての嫌らしさや恐さをもっと見せつけたほうがいいと思う。1F席の近くで観た時に実は結構表情に嫌らしさを見せてるのはわかったんだけど、それでも「笑い」に走りすぎて凄みがきかないのだ。2幕目に霊になってまで執着をみせる嫌らしさを強調できたら大喜利の場が唐突でなくなるはず。せっかく双面での切り替えや異様さを見事に表現されていて緊迫感ある素晴らしいものを見せてるからなおさらそう思う。

要助の福助さんがきちんと男になっていたのが意外。真女形が立役をやるとみょうになよなよして男に見えなかったりするのですが福助さんははんなりした風情のなかに骨太さもありました。しかしこの要助はすべてにおいて他人事のような表情をしているのです。勘十郎にいたぶられるときですら、どこか浮世離れ。そこが面白い味わいでした。

番頭正八の亀蔵さんはなんというか、もうこの怪演はアリで結構です、そのままいっちゃってください、という感じでした。あの異様な動きにはビックリ。何度見ても驚いてしまうし、笑えるし。でもこの不気味でおかしな動きがきちんと番頭のいやらしさを体現しているところが見事だなと。

勘十郎の勘太郎くんはお父さんに声や間の取り方が似てきた。コミックリリーフとしてなかなかの出来。ただ、この役には若すぎる。最初3Fで観たときはなかなかインパクトがあって、こういう役も出来るのねと感心したのだけど、そのインパクトが無くなり1Fでみると、勘十郎という役が持ついやらしさとか執着心とかがあまり出てない。品が良すぎるのだろう。ただ、この年齢でこういうコミカルな役をここまで演じられる資質に「次期の勘九郎」という文字が脳裏に浮かぶ。女船頭おさくは丁寧に演じている。

野分姫の七之助くんは可愛らしかったです。堅さがおぼこな姫らしくて、何かといえば短刀で自害しようとする少女まんがちっくな表現が様になっていた。私は七之助くんの女形の硬質な高い声がわりと好みです。

甚三郎の橋之助さんはこういう役回りを演じると本当に活き活きとしてくる。素直に二枚目だねえと思った。今月は橋之助さんは1〜3部すべてで持ち味が活かせる役まわりだった。だがその持ち味ををきちんと活かしきれるかは役者の実力。そういう意味で非常によかった。


2005.08.20

歌舞伎座『八月納涼歌舞伎 第一部』 2等2F席下手寄り

『祇園祭礼信仰記 金閣寺』
舞台装置と衣装が華やかで登場人物も姫は姫らしく可憐で一途、悪役は悪役らしいふてぶてしさで、正義の人は知恵者で身が軽く、悪役実は正義の人の鮮やかな切り替えとそれぞれが「らしい」いかにも「歌舞伎」といった時代物。役者の魅力で見せる出し物の一つ。

今回はなにより大膳役の三津五郎さんが上手さを見せた。大膳という役は単なる悪役ではない。国を動かそうとする大きさ、そして邪悪だが姑息、子供っぽい愛嬌もあり、そして女をいたぶる部分に色気もなくてはいけない。かなり難しい役と思うのだがしっかり見せてくれた。それにしても、三津五郎さんがやるとなんとわかりやすくなることか。とにかく台詞が明快、かつどういう人物なのかという表情も明快。楷書の演技とはこういうことを言うのだと思う(楷書というと幅がなさそうなイメージだが、そういう意味の楷書ではない。名人の楷書だ)。三津五郎さんの大膳は不気味な大きさといったものは残念ながらまだ無いのだが、その代わり憎めない愛嬌ある色気が出ており、また見得の決まりが美しい。それと時代に張る声が本当に良い。太くてハリがあり調子もある。小柄でありながら荒事をニンにできるのはこの台詞術のおかげもあるだろう、見事だ。

雪姫の福助さんは前半がとても可憐で美しかった。佇まいに品があり切ない表情に哀れさが見えた。声が随分と復活してきたようで、まだ高音の伸びは足りないけど、可愛らしい声がだいぶ出てて一段と姫らしさが引き立った。おずおずと大膳の元を訪れる風情も愛らしい。ただ、後半が色気を出しすぎのような気もする。表情が豊かすぎるというか、大膳との立ち回りや踏みつけられる部分の表情に姫らしからぬ陶酔した崩れた表情が見え隠れする。それが福助さんの魅力でもあるんだけど、雪姫に関してはもう少し硬さのある色気が欲しいような…。あと旦那一途な情が少し薄いような感じがする。追い詰められてどうにかして、というより「私がなんとかしてやる」という意思の強さ。まあこれもありだけど。ここら辺は解釈方法だろうから好みの問題かな。桜吹雪が舞うシーン、桜が少ないと思ったのは私だけ?「桜が多すぎないか?」という感想が多いみたいだけど、雀右衛門さんの時はもっと多かった。かき集めてねずみを描くのだもの、多くなくちゃね(笑)ただ、桜の塊が落ちてくるのはいただけない。スタッフの人、もう少し頑張って!

正義の味方、此下東吉に染五郎。悪の大膳と正反対の役がこの東吉。爽やかで真っ直ぐ、そして智恵も回り、身軽でかつ武芸に秀でて強いというまさしくヒーロー。いやあ、これは染ちゃんのニンですな。爽やかで機知に富み、という役を体現する凛とした姿。声もだいぶ前に出るようになって爽やかな台詞回しが心地よい。張るときに少し割れるのが残念だが、ひゅっと裏返る声が前は聞きづらい台詞回しになりがちだったのに、その声できちんと聞かせるようになっている。それと義太夫のノリが非常にいいし、ひとつひとつの動作が丁寧で美しい、ちょっとした裾捌きがきれいに決まるし、見せる。こういう部分で目を惹くようになってきたのねえ。時代ものらしい重厚さがありつつ、颯爽とした真っ直ぐな若々しい正義感がある。んが、やはり足りない部分も。一生懸命勤めているゆえにか、ちょっと硬すぎる。あまりに真っ直ぐすぎてそれじゃ大膳を騙せないだだろうと。最初は大膳に取り入ろうとする愛嬌が必要なのでは?もう少し柔らか味があったほうがいい。へりくだる部分が中途半端なので本性を現す部分での落差の面白みが減る。大膳のほうに愛嬌があるからなおさらもっと可愛らしい愛嬌が必要なんではないかしらん。そこに色気が加わると最強。

橋之助さんの佐藤正清は押し出しが強くて姿はいいがもっと最初は憎たらしい部分がほしい。なんとなく人のよさが見え隠れする。悪役実は…の差があまりでない。この方は姿形はとても良いのでもっと悪の部分をしっかり出せるようになれば一皮向けて大きくなりそうなんだけどなあ。

狩野之介直信の勘三郎さん、はんなりした風情と華はさすがだと思うが絵師にはみえないかな。雪姫が助けなくちゃと思わせるような切ない雰囲気があまりない…実は強そうとかに見える。

『橋弁慶』
人気者若手二人の共演。初々しさはあるけどまだまだこれから、かな。

七之助くんの牛若丸は外見がとても「らしく」ていいけどもう少し隙の無さとかそういう緊張感が欲しいような。

獅童さんの弁慶は姿が大きいし声も良いし、見た目はバッチリ。キメの部分も頑張ってるのはわかる。けどぎこちなさのほうが目立つ。未熟でもそれなりの気迫が込められたものがあればいいのだが残念ながら伝わってこなかった。役者としての資質はかなり良いと思うのでもう少し頑張ってほしい。

『雨乞狐』
踊りの名手といわれる勘太郎くんの躍動感溢れる楽しい演目。120%の力を出し切ってやっているんじゃなかと思うほど一生懸命に踊る姿がすがすがしい。そしてひとつひとつの動作が本当に美しい。手先、足先にまで神経が行き届いている。また5変化する役どころでがらりと雰囲気を変える表現力も見事だ。しっとりしたものでもきちんと空間を埋めることができるのが天才といわれるゆえんだろう。小野道風、狐の嫁での踊りは芝翫さんのほうの血を感じた。お父さんにはない風情がある。


2005.08.17

東京国立近代美術館フィルムセンター 記録映画『一谷嫩軍記』「熊谷陣屋」

昭和18年の7世松本幸四郎が弁慶をしたDVD『勧進帳』を観たときに感じたのだが、この時代の歌舞伎の人物造詣は非常にリアルだ。言葉のひとつひとつ、そして表情のひとつひとつに説得力がある。なんというか人物描写の陰影が濃く、役の性根の幅と深さが感じられる。個々のキャラクターそれぞれが本当に生きた人間として役がたちのぼってきているかのようだ。とても惹き付けられ、圧倒させられた。

初代吉右衛門さんの熊谷は押し出しが強いわけではないのだがとても品格があり、その押さえた表情に男としての豪胆な強さと内に秘めた情の深さがみえる。そして型が手順になっていないのに驚く。気持ちがあってそのうえで型がある感じ。見得なども極める寸前で止める感じであっさり。そのかわりその動きは非常に美しい。心情と動きがまさしく一体となって流れている。それにしても、花道での引っ込みの素晴らしさににはただ感嘆し涙するしかない。我が子を自分の手にかけた、その悲痛な気持ちがここで爆発する。とても押さえられた表現なのに心のなかで泣いているのがみえるのだ。これを書いていて映像を思い出すだけで涙がこみ上げてきてしまう。

歌右衛門さんの相模は武家の女としての凛とした強さと母性を兼ね備えた女性であった。とてもしなやかで色気がありながらもしっかりとした芯の強さを感じる。この方の動きは一種独特のものがある。特に手の動きが印象的でそこから女としての情念が醸し出されているかのようだ。(蛇足だが、相模役の私的ベストは雀右衛門さん。歌右衛門さんの相模を見てもそれは変わらなかった)

弥陀六役の白鸚さんはまだこの時40歳代だと思うのだけど、しっかり老人としてそこに居た。そして骨太で隙の無い存在感のある弥陀六だった。なんか、すごいね、この方は。そこにいるだけで存在感があって、そしてちょっとした場も見せ場にしてしまう。敦盛が入った葛籠を担ぎ上げようとするその瞬間、葛籠の重みが手に取るようにわかる。たったそれだけのシーンなのに凄みすら感じた。敦盛という存在がそこに現れた瞬間…。

義経役の17代目勘三郎さんの武将としてのどっしりした重みも印象的。

一谷嫩軍記(107分・35mm・パートカラー)

東京劇場を1950年1月28日と29日の2日間借り切り、初代中村吉右衛門(1886-1954)の当たり狂言「熊谷陣屋」を撮影した記録映画(撮影前日までは17世中村勘三郎の襲名披露興行が同劇場で行われていた)。マキノ正博が監督、岡崎宏三等がキャメラを担当しており、キャメラ8台(9台という記録もある)を操作しながら同時録音で撮影された。タイトルバックと見せ場のワンシーンのみカラー映像になる。使用されたフィルムは翌年1951年に公開される初の長篇カラー作品『カルメン故郷に帰る』で本格的に用いられたリバーサル方式の「フジカラー」である。(素材提供:川喜多記念映画文化財団、復元作業:育映社、IMAGICA)

’50(プレミアピクチュア)(監)マキノ正博 (原)並木宗輔 他 (撮)岡崎宏三 他(出)中村吉右衛門(初代)、中村芝翫(6代目中村歌右衛門)、松本幸四郎(初代松本白鸚)、中村勘三郎(17代目)、澤村訥升(7代目澤村宗十郎)、中村又五郎、中村吉之丞

 


2005.08.17

歌舞伎座『八月納涼歌舞伎 第二部』 3等A席真ん中上手寄り

『伊勢音頭恋寝刃』「油屋 奥庭」
夏狂言として知られる廓を舞台にしているこの演目。団扇、浴衣姿といった風俗描写が涼を呼びまた残酷な殺しの様式美の陰惨さで心も冷やす。

貢に初役の三津五郎さん、白地の絣の着物に黒の羽織姿がよく似合う。和事の柔らかさのなかに一本筋が通った二枚目「ぴんとこな」と言われる役。三津五郎さんはかなりすっきりと芯の強さが表に出ている。伊勢の御師(下級神官)ながら武士という面を強調しているのでお家騒動に絡む話というのが非常にわかりやすい。三津五郎さんは役を理詰めで表現するような部分があり、それが話の本筋を際立たせるのだと思う。その丁寧な演じように小ささを感じることがあったのだが、最近はそこに大きさが加わって見ごたえのあるものを見せてくれるようになったと思う。ただ、今回の貢に関しては理知が勝ちすぎて、短絡的にカッと頭に血がのぼるタイプに見えないのが残念。この人ならば冷静に対処できるんじゃ?と思ってしまう。それに妖刀に魅入られる部分の凄みがまだちょっと足りない。すっきりしすぎているんだよな。もう少し柔らかみと人としての甘さがあるほうが説得力ができると思うんだけど。

貢をいたぶる仲居万野にやはり初役の勘三郎さん。意地の悪さのなかにも勘三郎さん持ち味の愛嬌がそこはかとなく感じられ妙な色気があるのが良い。人をいたぶり人間の醜さをあらわにすることに喜びを見出し、相手を自分の心の醜さと同じところにまで引き下げることで自分を支えてるかのような、そんな哀れな女にも見えた。なんとなく寂しい雰囲気を漂わせているように見えたのは気のせいか。貢を追い込む部分ではもっと女のねちねちした嫌らしさがあるほうがいいかなあ。いやーな女、にまではまだ至ってなかった。こういう部分は女形がやるほうが嫌らしさが出るのかな。

お紺役の福助さん、風情があって姿も美しかったのだがどことなく精彩に欠いた感じがした。丁寧に演じているとは思うのだけど貢に対する想いがあまり出ておらず、愛想尽かしに緊迫感がなかった。何か遊女としての暮らしに疲れ果てて投げやりになってるようなお紺にみえました。福助さん、こういう役は得意だと思うのだけど…。今年いまひとつ乗り切れてない感じがしますね。

お鹿役の弥十郎さんは思ったより可愛らしいお鹿を造詣してました。大柄でごつい方なのでかなり滑稽味が出すぎてしまうのでは?と心配していたけど、お顔を作りすぎなかったのがよかったのかもしれません。きちんと女になっていたのは見事。ただ、やはりまだ女の哀しさや意地といったものがまだ薄いですね。でも、立役ばかりの弥十郎さんにしてみたらかなりの出来だと思います。

喜助の橋之助さんはこういう役が本当にハマる。粋で愛嬌もあって、芯の通った正義感がみえる。私的に今年になって橋之助をかなり見直した。これであともう一段大きな役で良いものを見せてくれるといいなあ。

お岸の七之助は可愛らしかったです。心配げな台詞も廻しもなかなか。立ち振る舞いはまだ硬いですが、女形としての資質が非常にあると思う。

全体としては亀蔵さん、錦吾さんなどの脇が揃っていたせいもありなかなかまとまった良い芝居でした。脇がきちんと仕事をしてくれていると見ごたえがでます。

『けいせい倭荘子 蝶の道行』
ええっと、あのキッチュな舞台美術と衣装はなんですか?思わずのけぞりそうになりました。悪趣味すぎてインパクトはありますがっ。美術と衣装が殺しあってるし、どうにもこうにも…。曲と踊りはなかなか良いものだと思うので美術と衣装をどうか再考してシンプルにしていただきたく…。

踊りのほうは染五郎と孝太郎さんがしっかり世界観を作り上げており、二人とも非常に美しくみえました。染五郎は助国というキャラクターに哀しさを纏わせて憂いを見せ、ラスト哀しさのなか息絶えていったような感じであった。わりと最後のほうはケレンもある踊りだけどヘンに過剰にしなくてすっきり踊っていたのがよかった。この日は回転で軸のバランスを崩しちゃったとこもあったけど、次のとこで見せ場をたっぷりやりそうなとこを我慢して押さえて踊っていたのが非常に好感。美術と衣装がくどいので、あのくらい表情を押さえて端正に踊ってくれたほうがいい。孝太郎さんの小槙は可愛らしく、華やぎがあった。染ちゃんが表情を押さえている分、恋する娘の表情を出していたように思う。これ以上、この二人が表情たっぷりに恋人同士の情感を出したらくどすぎるだろう。このまま端正さを失わないでいってくれるといいな。それにしても染ちゃん、痩せたかな?またまた美人さんになってる。

しかし考えてみたら蝶の精になった悲恋の恋人同士が地獄の火責めというコセンプトもすげーな。それにしても、この踊りは素踊りで見せてくれたほうがよほどこちらに訴えかけてくるんじゃないかと思ったよ。

『銘作左小刀 京人形』
こちらの踊りは舞台がすっきりとしてて内容も楽しいものなので気分転換によかった。人形の名匠、左甚五郎の橋之助さんがきびきびとキレのいい踊りを見せて気持ちがいい。扇雀さんは踊りが上手いという感じはしなかったけど人形ぶりは本当の木彫りの人形という感じで楽しかった。左甚五郎の奥さん(高麗蔵さん)は物分りがいい奥さんだねー。なんというかオタクな旦那を暖かく見守る奥さんって感じ(笑)


2005.08.14

歌舞伎座『八月納涼歌舞伎 第三部』 3等A席後方下手寄り

5月、7月に引き続き外部演出家の歌舞伎公演。野田さん、蜷川さん、串田さんという演出家の歌舞伎を見てきて、野田さんの演出家としての個性って凄いものがあるんだなと思いました。野田さんは役者たちを野田色に染めていた。蜷川さんと串田さんはわりと役者の個性を大事にしている感じを受けました。私としてはどうせなら「歌舞伎」を演出家の色に染めちゃえば面白いかもという期待感を持っているようです。そういうスタンスでの観劇でしたので、平成中村座の歌舞伎を観るという視点が人とちょっと違うかもしれません。ああ、私ったら言い訳から入ってますね。でも自分の偽らざる感想をきちんと書きたいので書きます。

『法界坊』
串田演出の歌舞伎を生で観るのはコークン
『桜姫』に続いて2度目。ビデオでは平成中村座『夏祭浪花鑑』、コクーン『三人吉三』を観ております。串田さんの場合は古典歌舞伎のエッセンスを大事にしつつ、「今」に通じる臨場感を出そうとしているような気がします。ただ生で拝見した『桜姫』と今回の『法界坊』、2作品を観た限りではわりとこじんまりまとまっている感じがしました。ビデオで観た2作品からのイメージではもう少しダイナミックな臨場感があるのかなーと期待していたのですが…。

なんというか『法界坊』は「隅田川の場」以外は小劇場系の芝居という感じが。元々小さい小屋用に演出したものだし、昔ながらの大衆演劇である歌舞伎を再現ということであれば正しい方向性なのだろうか?確かにそれを「今」に再現するのであれば小劇場系にならざるおえないのかなと思いますが…。まあ確かに大衆演劇たる歌舞伎にはなっていました。周囲の観客の頻発する大笑い、大声でのツッコミ、そして一緒に歌を歌う方までいました。もしかしたら私のなかで、こういう観客に驚いて少し引いてしまった部分があるのかもしれない。

でも歌舞伎座でかける時点で大きい小屋向けの演出に変えていく必要もあるのではないかしら?と私は思ってしまうのだ。うーん、この演目は初見なので見当違いなことを言っているかもしれませんが…。

それにしても役者たちに小芝居をさせすぎではないでしょうか?全員に小芝居をさせ、笑わせようとし、それを延々に繰り返す。かえってメリハリがなくなり笑えるものも笑えなくなってしまいました。なんというか笑いの緩急が全然無いんですよね。終始、どこかで笑わせようとする姿勢がみえすぎるというか。小さい小屋で観れば、役者たちの表情や勢いで臨場感を感じられたと思うのですが、今回3Fから観た限りではそれほど勢いのある臨場感も感じられませんでした。

面白くなかったというわけではないのです。間の上手さや、動きの面白さに思わず笑ってしまう部分は多かった。でも全体として「ああ、面白かった〜」という満足する笑いでもなかったのです。『法界坊』は喜劇ではあるけど、怪談でもあって、その筋立てを読む限り、欲と恨みの得体の知れない恐さも、もう少し際立たせてもよかったのではないでしょうか。そうすることによって笑いもその場の雰囲気だけの笑いにならず、また「隅田川の場」も生きてくるのでは?。正攻法で演じられた最後の場が一番ダイナミックに感じられ面白く感じてしまった。これでは頭の固い歌舞伎ファンのようではないか、と自分にツッコミを入れつつも、正直なとこそう思ってしまったのだからしょうがない。いったい、なぜ私が不満に思ってしまうのか、まだ自分のなかで消化しきれていない。1等席でもう一度観るのでそれまで考えておこう。

ちなみに5月の野田さんの『研辰の討たれ』はかなり楽しんだし、小劇場系芝居が嫌いなわけではなく、むしろ好きな部分もある。劇団☆新感線が好きなくらいだからね(笑)。それに串田演出が苦手なわけでもない。現代劇『コーカサスの白墨の輪』は面白く観たし。たぶん、今回何か違うものを求めてしまっていたのかもしれない。勘三郎さんの法界坊が『研辰の討たれ』の辰次と似たキャラクターだったので新鮮味がなく見えてしまったという部分もあるのかな。菊五郎さんか吉右衛門さんでの『法界坊』を観て見たいとちょっと思いながらみてました。


2005.07.31

サントリーホール『プッチーニ・ガラ』 D席LA前方

ソプラノ: ドイナ・ディニートリュ
テノール: ヴィンチェンツォ・ラ・スコーラ
バリトン: ガブリエーレ・ヴィヴィアーニ
指揮者:ニコラ・ルイゾッティ
オーケストラ:東京交響楽団

サントリーホール『プッチーニ・ガラ』を聴きに行きました。8月に上演されるヴィヴィアン・ヒューイット演出/ニコラ・ルイゾッティ指揮『蝶々夫人』の主役三人のお披露目といったところなのかな。プッチーニの有名楽曲中心に歌われるコンサート。

ソプラノのドイナ・ディニートリュの歌声が素晴らしかったです。『トスカ』の『歌に生き、恋に生き』が特に絶品でした。声に非常にハリがあり、そしてとても情感に溢れ、心に響いてきました。それと急遽『修道女アンジェリカ』の『母もなく』から差し替えて歌った『蝶々夫人』『ある晴れた日』の叙情溢れる優しげな歌声も良かったな。リリックソプラノ系の歌手なのかな?

テノールのヴィンチェンツォ・ラ・スコーラは美声。いかにもイタリア歌劇の人の声質とでもいうのでしょうか。聞いていて心地いいし、パワフル。ただ、「ポスト三大テノール」の一人と言われているわりには声の延びが足りないかなと。スコーラ氏に関しては期待しすぎたかも。パヴァロッティさんと同じものを期待してはいけない(^^;)。

バリトンのガブリエーレ・ヴィヴィアーニは背が高くってかっこいい方でした。<まずはそこかよっ(笑)。歌い方は端正で押し出しは強くないものの正統派を聞いた〜という感じでした。

細かい部分では不満もあれど三人ともとてもよかったです。人の声の魅力というものを堪能させていただきました。この三人はまだこれからの若手らしいのですが、それでこんなに聴かせるんだからなあ…オペラの世界も奥深い。それにしてもやはり生で聴くと情感とか、歌声の振動とかが直接伝わってきて、CDを聴いた時の感動とはまた違うなあと、つくづく。

オペラは良い席で見たほうが絶対いいと聞いていたのですが、その訳もわかりました。歌声って前に響くんですよ。いや、たぶんそうだろうは思っていたけど今回、D席で歌手の斜め後方の席で聞いてほんとに実感しました。ダイレクトに声がこちらに伝わってこないんですよーー。もちろん声量があるのでかなり迫力のある歌声を聴かせてもらったんですけどね。それでも演技をしながらフト後ろのほうを向いて歌った時があったのですが、その時の声の聞こえ方の違いは相当なもんでした…。でもオペラで良い席って高くって手が出ない(;;)

オーケストラのほうは、とてもまとまっていて、前に東京交響楽団を聞いた時より断然良かった。それと、ソロを弾いたチェロとヴィオラの音色がきれいでした。指揮者のニコラ・ルイゾッティ氏のノリノリの指揮が見ていて楽しかったです。

曲目:
『トスカ』より/アリア『妙なる調和』/アリア『歌に生き、恋に生き』/アリア『星は光りぬ』
『妖精ヴィッリ』より/『バレエ音楽』/アリア『そんな事はあり得ない』
『トスカ』より/デュエット『二人の愛の家へ』
『マノンレスコー』より/『間奏曲』/アリア『見たこともない素晴らしい美人』/アリア『捨てられて、独り寂しく』
『ラ・ボエーム』より/デュエット『馬車だって?』
『蝶々夫人』より/アリア『ある晴れた日に』
『エドガール』より/アリア『恥ずべきこの愛』
『トゥーランドット』より/アリア『誰も寝てはならぬ』

アンコール曲:
『西部の娘』より『家を出てから俺は』
『ジャンニ・スキッキ』より『私のお父さん』
『西部の娘』より『やがて来る自由の日』


2005.07.30

歌舞伎座『七月大歌舞伎 NINAGAWA 十二夜』 3等A席前方

歌舞伎座『七月大歌舞伎 十二夜』昼の部、2回目の観劇。全体的な印象としては、2回目鑑賞で舞台美術や照明の新鮮さを感じられない分、前回以上に間延び感を感じてしまいました。特に1幕目、2幕目のテンポがちょっときついなあ。大詰は前回よりテンポが良くなっていてかなり楽しく飽きずに見られました。

役者さんたち関しては前楽ということもありノリやアンサブルが非常に良くなっていた。主演の菊ちゃんがかなり良くなっていた。でも突き抜けるまではいかなかったかな。あともう一歩、という感じなんだけどなあ。個人的には時蔵さんの姫ぷりと信二郎さんの殿ぷりに磨きがかかっていて、その部分できちんと笑わせていたのが印象的。それと亀治郎さんと松緑さんのはじけっぷりが凄かった。良くも悪くも目立ちすぎ(笑)。美味しい役をほんとに美味しい役にしてたと思う。私はこのくらいやってもらったほうが好きですね。

続く


2005.07.22

国立劇場『社会人のための歌舞伎鑑賞教室『義経千本桜「川連法眼館の場」』』 1等1階後方真ん中

『歌舞伎のみかた』
笑三郎さんと春猿さんが掛け合いをしつつ舞台機構、鳴り物、義太夫、見得、女形、大向こう等についてわかりやすく時に笑わせながら説明していく。これは初心者にとってかなり親切でいい解説だったと思う。掛け合いも絶妙で、笑いも説明するための範疇でいきすぎず非常に好感をもった。また袴姿の素で忠信と静の「道行」をダイジェストで見せてから本編?の「川連法眼館の場」につなげたのもいいアイディア。笑三郎さんは本来、女形さんのはずだが今回は立役として大活躍。

ただ、ひとつだけ気になったのは、ラストの引っ込みの時に「手拍子」で送ってあげてくださいという部分。実際、最後の宙乗りでの引っ込みは手拍子で送られていった。でもこういうのって自然発生的に起こるのはとても素敵なことだけど、「やって」と言われてやるものではないと思うんだけど…。、私は普通に拍手したかった。手拍子は応援の意味合いがある。弁慶で手拍子がおこりがちなのは、弁慶が必死だから(その役柄に役者を重ね合わせて)だと思う。晴れ晴れと引っ込む狐忠信には拍手のほうが似合っている。

『義経千本桜』「川連法眼館の場」
私が今まで観て来た「川連法眼館の場」のなかで一番のBestと思っているのは40歳代後半の猿之助さんが演じてらしたもの。これはたぶん、これ以上のものはこれから観ることが出来ないのでは?と思うほどに素晴らしいものでした。そして今年5月の気合の入った菊五郎さんの「川連法眼館の場」も素晴らしかったです。10年前に拝見した菊五郎さんも素敵でしたが今回のほうが私は感銘を受けました。まあ、これを観てしまっているのでどうしてもこれが基準になってしまいます。

ちょっときついかもしれませんが率直に書くと、今回非常に期待していただけに残念ながら私にとってはかなり物足りないものでした。義太夫味がとても薄く、いわゆる物語としての濃密さが足りないように思いました。確かにわかりやすく、ケレンもたっぷりだし、立ち回りも派手で初心者を歌舞伎の入り口に立たせるのにはいいのかもしれない。でも、だけど…がついてしまう。

段治郎さんの義経と笑也さんの静。二人とも姿は美しかったです。でも存在感があまり無かったように思います。二人とも体が義太夫にノリきれていませんでした。それゆえにか、型が型として成り立っていない部分が。型は身体をより美しく見せるだけではなく、その役の心情を表す手段でもあると思うのです。ところがその心情が身体にノッてきていない。また台詞まわしも硬く、情をのせるところまでいってない部分が。義経と静の恋人としての情が見えませんでした。また義経が信頼する家来、忠信を思う情も残念ながら薄かったように思います。

そして主役、右近さんの忠信。一生懸命なのは伝わってきました。また動きの俊敏さは見ていて気持ちのいいものでした。でも肩に力が入りすぎのような…すべてにおいて硬さが目立ってしまっていたように思えます。そして師匠に近づかんとするばかりに、目に見える部分のみを必死になぞろうとしているような…。猿之助さんの口跡の悪さまで似せなくても。猿之助さんは口跡の悪さをカバーしてありあまる表現力、テクニックを持ち合わせています。そして口跡の悪さを味にしてしまっていました。でも右近さんの台詞回しは口跡の悪さばかり目立たせる結果になってしまっていました。右近さんは本来、口跡がいいほうだと思っていました。なぜ自分のよさを活かさないのでしょう。


2005.07.17

DVD『歌舞伎名作撰『勧進帳』鑑賞。

昭和18年11月に歌舞伎座で上演された『勧進帳』の記録映画。弁慶に7世松本幸四郎、富樫に15世市村羽左衛門、義経に6世尾上菊五郎という配役。他にも9世市川海老蔵、5世市川染五郎など、キャストがとんでもなく凄い。この舞台があまりに素晴らしいので記録映画として残しておくことにしたそうだが、残しておいてくれたことに感謝だ。映像がかなり荒く、細かい表情が見られなかったりもするのだがそれでもこの舞台がとても素晴らしいものだというのがわかる。

そして、この時代の『勧進帳』がかなりリアルなものであることに非常に驚いた。なにより言葉が生きているのだ。そして表情が、そして人物像の性根がよりわかりやすく身近だ。そしてそのリアルさが真に迫り、ドラマとして盛り上がっている。今現在上演されている『勧進帳』のほうがより様式化されていると、そう感じた。

それにしても、役者の皆さんの腰の入り方が見事だね。ぐっと腰を入れキワめた時の形の素晴らしいこと。また声が、なんだろう皆さんハリがあってちょっと独特の太い声。発声方法が現在と違うような気がするのだけど、どう違うのかはわからない。でもやはりそれ以上に役に対しての解釈というのか、人物像の捉え方がなんともリアルに立ち上ってくることに圧倒させられた。本当に深いのだ。弁慶の豪胆でかつ繊細な表情、富樫の鋭く厳しいなかでの人としての矜持の持ちよう、そして義経の武将としての大きさのなかでの品と深い情。義経が弁慶を労うシーンの二人の間に流れる情のやりとりでの色ぽさはなんだよ。そして富樫の命をかけたぎりぎりのなかでの情け深さを見せる苦渋の美しさよ。やっぱ、富樫の引き上げはただの泣きじゃないほうが心に響く。ほんと素晴らしいとしか言えない。

そしてこの舞台の素晴らしさは役者だけにあらず。長唄連中の素晴らしさも特筆もの。見事なまでのアンサブルの良さと、個々の音の響きのよさがあいまって迫力がある。役者と演奏の迫力が見事に調和している舞台だ。

それにしてもそれぞれの役者のなんとカッコイイこと。この時代の日本人の顔はとてもしっかりしてて個性的だ。役者だけじゃない、長唄社中の方々の顔も皆とても良いお顔をされている。


2005.07.10

歌舞伎座『七月大歌舞伎 NINAGAWA 十二夜』 3等A席前方

蜷川さんが歌舞伎初演出。シェイクスピア『十二夜』を日本に置き換えて歌舞伎に仕立てた演目です。外部の演出家が入るということでちょっと期待しすぎたかもしれない…。完成度の高い元の戯曲を忠実にそのまま舞台にしてあるのでそれなりに楽しめたのですが、あまりに無難にまとまりすぎて、物足りなさを感じてしまいました。高揚感が感じられず良くも悪くもまったり。わざわざ「歌舞伎」に仕立てるならもう少しはじけて欲しかったです。蜷川さん、遠慮しすぎたんじゃないかしらん?

『十二夜』
随分と原作に忠実にやったなあという印象です。舞台を日本を置き換えただけでいわゆる書き換えはしていない。シェイクスピア劇『十二夜』歌舞伎仕立て風といったところ。かなり刈り込んでいるとはいえ膨大な台詞を多少いつもよりはテンポは早めとはいえど、歌舞伎のゆったりとした台詞回しで発せられるのでどうしてもまったり。『十二夜』という芝居はいわゆる祝祭劇として書かれたロマンチックコメディである。本来、テンポのいい台詞の応酬が「お祭り騒ぎ」の高揚感を持たせる芝居として成り立っているであろう芝居を歌舞伎のテンポに合わせたら…。原作の骨格の強みはよくわかった。だけどまったりテンポのおかげでとてつもなくわかりやすくはなっているけど、口当たりが良いだけのものになってしまった。非常に観やすい芝居になっていることは確か。アクが無いので受け入れられやすい。反面、平坦で印象が薄く、良くも悪くも引っかかってこない。今のところ無難な芝居としか形容できない。祝祭劇としての高揚感は残念ながら感じられず、かといってシェイクスピアのアイロニーな部分も感じられず。前楽にもう一度観にいくので多少変わっていることを期待。

細かい部分にもちょっと言及。ネタばれしてます。

幕開きの舞台美術は「おっ、さすが」と思いました。舞台全体を鏡の幕で覆い、客席を映し出す。この情景は本来客席にいる私たちは絶対に見ることができない光景、壮観でした。そしてライトがあたり一面の桜の木の元でのチェンバロの演奏。一気に『十二夜』の世界へ引き込んでいきます。まあ、ここでごく普通のシェイクスピア劇なんだなという予想もついてしまいましたが…。そして花道から登場する大篠左大臣一行が鏡に映し出される。普段なら3階席から見えない花道上の役者を見ることができるのはかなり新鮮でちょっと嬉しかったです。ただ、鏡の使用が全幕にわたって使用されたため、せっかくの幕開きのインパクトがなくなり、だんだん飽きてきてしまいました。後半、丸尾坊太夫を陥れようとする場で鏡が効果的に使われたところもあったのですが、その場だけの使用で良かったような気がする。それと舞台転換のしかたも回り舞台での転換が多すぎてかなりダレました。芝居の流れがブチブチ切れてしまい、せっかく場が盛り上がって、こちらのテンションもあがってきたかな、というところでのんびり舞台転換。この間がこちらの気持ちを醒ましてしまう。花道や幕外をうまく使えばいいのになーとかちょっと思いました。いちいち場を正面で見せる必要はないと思うのだけど…。そういう意味では役者並びでの絵面が美しい場も残念ながら無かったですねえ。

印象的だったのは照明の使い方。歌舞伎座の平面な照明を使わず、動きのあるものにしていたのですがとても綺麗でした。特に嵐でのうねりを現した照明は美しかったです。ただ、やはりここは歌舞伎座の明るい平坦な照明のほうが活きるのに、と思う場面もいくつか。特に獅子丸の踊りのシーンは羽目もの系の照明のほうが活きたでしょう。セットもあのときだけちんまりしたのは解せません。この場は昼食後まったりできるための踊りの時間という歌舞伎座での見取り狂言演目並び時のセオリーを使ってきて笑えました(えっ?違う?)

あと、気になった演出面ということでいえば、せっかくの早替わりを効果的に見せることが出来てませんでした。うわー、もったいない。このノウハウは菊五郎劇団はきちんと持っているはずなのに、なぜうまく見せられなかったのか?とてつもなく疑問。また菊之助さんの吹き替えに仮面を使ったのも残念。多少似て無くても仮面は使うべきではないと私は思います。人形にしかみえず、舞台で「生きている人間」として浮かび上がってこないのです。(これは玉三郎さんが『於染久松色読販 新版お染の七役』で仮面を使ったときにも思ったのですが、観客側は舞台で魂がはいらないものを見せられてると思うと現実に引き戻されてしまうのではないでしょうか。)この仮面での吹き替えが大詰の場であからさまにあったので、非現実的な大団円の物語に入り込めず、祝祭としてのカタルシスがなおさら失われた気がします。ここで笑いが起きてましたが、楽しい笑いではなく「あらら」といった失笑になってしまうのは失敗でしょう。

さて、役者のほうですが、どの部分で評価すべきか軸をどこに持っていくかで変わりそうです。シェイクスピア劇としてみるか、歌舞伎としてみるか。たぶん、ごっちゃにして評価してしまいそうです。あくまでも私の主観で。

主膳之助・獅子丸実は琵琶姫の菊之助さん。綺麗でしたし、とても可愛らしかったです。声のトーンをしっかり変えてきて演じ分けも丁寧にきちんと出来ていました。ただ表情に乏しく演じわけを台詞のトーンに頼っているなという部分も。顔の表情だけではありません、体全体の表情が硬かったですねえ。主膳之助はしどころのない役なので仕方ないと思いますが獅子丸実は琵琶姫が、声のトーン以外はお小姓さん以外のなにものでもない。女の部分がほとんど出てないのです。ちょっとした仕草、ちょっとした足捌きでかなり「女が男装している」という部分を見せられると思うのですが…。大篠に対する切ない想いを吐露するシーンなどは見せ場だと思うのですが、かなり台詞は頑張っていて切なさが出ていたとは思います。ただ、そこに表情がのってきていない。女としての切なさとか色気とかいった表情もつけていって欲しかったです。このシーンで大篠が獅子丸に対しなんらかの色気を感じないとラストがあまりに唐突になってしまうと思うのです。

丸尾坊太夫と捨助の二役の菊五郎さん。丸尾坊太夫を時代物に寄せた演じ方、捨助を世話のほうに寄せた二役での演じようはさすがだなと感心。ただ、どちらも中途半端なキャラクターで面白みに欠けました。あえて二役をする必要はなかったように思います。丸尾坊太夫はかなり強烈に演じないと説得力が出ないと思うのですがそのオーラが残念ながら出てませんでした。自信たっぷりのいやみなキャラでないと、ただのいじめられキャラで笑えなくなってしまうんあよなあ。捨助のほうは道化ではなかったですねえ。単なる風来坊でしかなく、アイロニーを体現するにはかなり弱かったです。菊五郎さんは丸尾坊太夫一役でよかったんじゃないかなー。台詞や仕草の間とかは上手なんだから徹底的にキャラを作りこんでやってほしかったです。

麻阿の亀治郎さんはお見事でした。芝居上手がうまく活かされ、一番目立っていた。シェイクスピア劇の登場人物としてきちんと成り立っていたのはこの麻阿でしょう。台詞術の上手さ、表情の作り方の上手さが際立っていました。しっかり歌舞伎での張る台詞術と言葉遊びの軽さのある台詞術、どちらもこなしていました。それと顔と体の表情豊かなこと。コメディとしての笑いをほとんど一人でかっさらっていました。麻阿をかなりクセのある小ざかしいお女中として捉え、ちょっと年増風情の化粧にしたのもよかった。最初、一瞬亀治郎さんとはわからなかったけど、案外色気があってあの化粧好きかも。亀治郎さん、素でも楽しんでいるんじゃないかしら?かなり活き活き(笑)。このキャステングは大はまり。

洞院鐘道の左団次さんは相変わらずなんでも自分のキャラに引き寄せてくるなあ。それが今回、上手くハマって楽しいキャラに仕立ててなかなか。

安藤英竹の松緑さんは…あほの子でした。いいのか?あれで?インパクトはかなりあって面白かったんですが…。でも一生懸命なだけにだんだん見てて辛くなってきてしまいました。もう少し気楽に楽しんでやってほしいかも。それにしても、あほの子だけじゃなくどこかいい見せ場とか作れなかったんだろうか?舌足らずなあの声と可愛らしい顔つきで「あほ子」がハマりすぎるだけに…うーんうーん。

織笛姫の時蔵さん、大篠左大臣の信二郎さん は手堅いですね。この兄弟はやはり美しいですなあ。品のある硬さでしっかり歌舞伎の時代物の姫、殿としての芯として存在してました。歌舞伎『十二夜』としてみるならばこの二人のおかげで「歌舞伎」としての重厚さが出てたと思います。ただシェイクスピア劇としてみたときにもう少し軽やかさが欲しかったようにも思います。


2005.07.02

大宮ソニックシティ大ホール『二代目中村魁春襲名披露』 B席4階真ん中

昨年夏に引き続き『二代目中村魁春襲名披露』巡業を観に行きました。しかし大宮ソニックシティはホールでかすぎ…2500名収容のホールだそうな。巡業公演でS席が1万円という価格に驚いたけど確かにこのキャパじゃこのくらい取らないと割に合わないのだろうか。で、ケチってB席にしたら4F席だった。まあ歌舞伎座と違って舞台は見切れるところがなくて観やすかったのですが…遠い(涙)。普段たまにしか使わないオペラグラスをかなりの頻度で使用してました。私の持っているオペラグラスの望遠倍率では役者の顔upなんてとんでもなく、舞台の中央主要人物が全員入る距離なんですもの、かなり舞台が遠いことがわかっていただけるかと。その代わり大きいホールでよかったなと思ったのは花道代わりの舞台袖の距離が長くてきちんと花道の役割を果たしていたとこかな。

『義経千本桜』「吉野山」
魁春さんの静御前は素晴らしかったです。赤姫としての気品と美しさのなかに白拍子としてのあだっぽさも垣間見せておりました。これほど静御前らしい静御前はひさびさという気がしてしまいました。やっぱりさすがだわ、としかいえない。今年になってつくづく思うのですがやはりこの方はここ最近急激に役者としてもう一皮向けている最中なのではないでしょうか?昨年あたり拝見した魁春さんよりどんどん存在感が増しているように思えます。

吉右衛門さんの狐忠信はお初だったのですが今までもやったことあるかしら?全然イメージじゃないんですが(^^;)どうも今年の吉右衛門さんは踊りにも力を入れてやっていかれるおつもりのようですね。とても丁寧に踊られてキメの形もきれいでしたが、どことなく重厚感があって本物忠信のほうに見えてしまう。人外の雰囲気は残念ながらあまり見えず、狐らしい柔らか味も足りないような…。でもところどころ吉右衛門さんらしい可愛げな雰囲気もあり、もう少しこなれていくと狐らしさが出てくるかも。「屋島の戦」の様子は目の前に情景が浮かぶようでさすがと思ったのですが合戦の様子を踊るのは先月の『素襖落』も同じで、もっとガラリと雰囲気が違うものが観たかったなあ、というのが本音。ただあえて得意なものをやらず色んなものに挑戦されている姿には感銘を受けました。

歌昇さんの早見藤太はもう少しへなちゃこぶりがあってもいいかなと思うけど押し出しの強さがあってなかなか面白い藤太でした。花四天王たちは皆とてもキレのいいとんぼを見せていました。面白い形の見せ場もありました。立師の方々はここの部分で色々工夫されるのでしょうねえ。

『口上』
吉右衛門さんが最初のうちしどろもどろでした(笑)疲れていらっしゃったのかな。梅玉さんがいつも以上に早口でした…よく舌が回らないこと。芝雀さんの顔が近年にないほどまんまるでプチショック。

『与話情浮名横櫛』「木更津海岸見染めの場」「源氏店の場」
『与話情浮名横櫛』といえば仁左衛門と玉三郎コンビが連想される演目。どうしてもこの二人の場合、絵面の美しさをめでるって感じになってしまうのですが今回はきちんと物語として楽しめました。それと初日近くのわりにテンポも良かったような気がします。

梅玉さんの与三郎が想像以上にハマっていてよかったなあ。「見初めの場」では放蕩に身を崩している若旦那風情が見事に出ていました。この方はなんとなくちょっと冷たい二枚目のイメージが強かったのですがこういう柔らかい二枚目もなかなかいいですねえ。体の使い方が見事だなあ。「源氏店の場」での切られ与三はもうピッタリですね。特にちょっと高めの涼やかなお声での「しがねえ恋の情が仇…」の名台詞は聴かせます。もう少したっぷり言ってくれてもいいくらい。

芝雀さんのお富、柄じゃないような気がしてどうなることかと思いましたがなかなかの艶ぷり。特に「源氏店の場」でのお富が良かったですねえ。湯上りの色っぽさもあるし、イキな強さもあってきちんとお富の性根をつかんでいらっしゃるのがさすがだなあと。いつもより声のトーンを低くされての台詞廻しでしたが、それが芸者あがりの親分の妾といったご新造さんの貫禄が出ていてなかなか。それでいてそのなかに女らしい情もきちんとあり、とても良かった。ただ「見初めの場」でのお富がかなりまんまるで別な意味でも貫禄が…もう少し細いほうが…。この場は「おっ、きれいないい女」と思われなきゃいけないんだからなあ。あのキュートな別嬪さんの芝雀さんが少しばかりドラえもん。ああ、ショック。その代わり「源氏店の場」では肉感的な色気を感じさせましたが…むーん。そういえば声のトーンを低くされての台詞廻しで普段はお父様とは全然違うお声と思っていたのですが今回はちょっとお父様の雀右衛門さんの声に似ているような気がしました。台詞を言うときの情感に込めかたも似てきているような。

歌昇さんの蝙蝠安。こういう役は珍しいと思いますが小悪党ぶりがなかなか上手い。もう少し愛嬌が出てくるとピタッとハマりそうな気がします。

東蔵さんの和泉屋多左衛門はさりげない情味があっていい。ここ最近、東蔵さんはこういう旦那のお役が多くなってきましたね。いつもとても優し気な旦那でいいなあ。格もきちんと出るようになってきたように思います。


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