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2005年 観劇感想 下半期U


2005.12.28

シアターコクーン『NODA・MAP 贋作 罪と罰』1回目 A席2階前列上手寄り

野田作品はほぼ初見といっていいです。舞台は円形劇場のように設置され、舞台前方、後方、両方に座席がありました。私の席はA席の2階前列上手寄りでしたので役者の細かい表情はきちんと見えないのですが、全体がよくみえて今回の演出の舞台を観るのにはかなり良い席だったかも。

スロープと階段が囲む菱形の舞台。舞台の周囲には様々な椅子が置かれ、出番のない役者が座り(ようするに役者さんたちは出ずっぱり)、またその椅子を小道具にし、家具にしたり、船にしたり、手錠にしたりと様々な形で使っていました。シンプルなつくりの舞台でしたが見事に場面場面で情景が浮かんできました。

最初はテンションの高い動きやあまり抑揚が無く叫んでいるような台詞廻しに戸惑い、付いていくのが精一杯でしたがいつしか話のなかに惹きこまれ、笑ったり泣いたりしていました。絶えずスピーディに動いている芝居なのですが、その動きに慣れて来ると「言葉」の舞台だと、そう思いました。その言葉ひとつひとつが美しい。特に後半、英と才谷が紡ぎ出す言葉が泣きそうになるくらい綺麗。発せられる一言一言が煌き、透明感溢れる空間がそこにたちあがっているかのよう。最初のうち馴染めないものを感じていた舞台に引き込まれた瞬間、それは才谷が「英、たまには笑えよ」から始る大川での才谷と英の会話でした。才谷がこの言葉を発した瞬間、暖かい空気が流れ、英が「この大川の岸辺に立つと、この景色に抱かれる気がした」そう発した瞬間、大川の水面がキラキラと光り一陣の風が吹いた。私にはそう感じたのです。そして私のなかに幕末の空気が立ち上がり、そして言葉ひとつひとつが流れこんできた。

「人間はすべて凡人と非凡人のふたつに分けられ非凡人は既成の道徳や法律を踏み越える権利がある」その理念のもと、人殺しをする英。だが理想のためと言いながら「人」として追い詰められ崩れていきそうになっていく。人を殺すということがなんなのか、その「罪と罰」。その問いかけは観客にゆだねられる。とても切ないラストでしたが、「人」というものへの希望は捨ててないラストのようにも思いました。とても感動したのだけどなんだか自分で咀嚼しきれないもどかしさも感じています。カタルシスがあるわけでもなく、登場人物たちに共感できるかといえば、実はそうではなく。しかしそこにいる人々は私の身の内に存在する、そうも感じたのです。

松たかこ、古田新太、段田安則がとても素晴らしかった。野田さんは最後の台詞のとこがなんだか凄まじかった。

英は松たかこさん。真っ直ぐなまなざしと凛とした姿が美しい。そしてあまりに真っ直ぐな余裕のなさに英のひりひりするような精神の危うさがありました。そして理想を信じようとして、また信じるがためにした「人殺し」という事実に追い詰められおびえていく焦燥感がじわじわと伝わってきました。松たかこさんのあまりにのびやかな精神の英ゆえに彼女がしでかした事が特殊な出来事ではない事として伝わってくる。ただ、まだ松たかこさん自身が英というキャラクターを消化しきれてない部分があったようにも思います。特に最初のうち松たかこさんは英を受け入れることが完全に出来ていないような気がしました。「人殺し」を正当化することができる英に捉えられるのが怖いのではないのか、と少し思いました。英は純粋さが狂気となっていて、ある意味とても残酷で陰惨なキャラクターでもあると思う。それでも、英@松たかこから発せられる言葉は風を呼びキラキラと光っていました。その美しさゆえに私は英をどう受け入れればいいのか、つい考えてしまうのです。

才谷の古田新太さん、好きな役者さんですが、生の板の上での古田さんを初めて本当に魅力的だと思いました。彼が演じる才谷にはとても暖かい空気が流れていました。懐の大きいキャラクターを自分に引き寄せ、かなり自由にてらいなく演じているようでした。受けの芝居が本当にいいです。本当に自然に受け止め受け入れる。とても大きいものを感じさせました。決して、滑舌がいい台詞廻しではないのですが言葉のひとつひとつが活き活きとしていました。気持ちがあったかいってカッコイイことなんだなあって素直に感じさせてくれました。

刑事、都の段田安則さんはクレバーな存在。冷静に真実を求めていく。断罪するのではなく、見極めようとする視線。この人が出てくると空気が締まる。そこにいる存在として一番ハマっていたのが段田さんでした。

金貸しのおみつ、英の母の清、徳川慶喜の三役を野田秀樹さん。終始テンションの高い役作りにビックリ。でもそのテンションの高さがイヤミではなく、どこか厳しさを湛えている。とても不思議な存在感でした。この物語のなかの三役の役割は混沌とさせるキーの存在。そして憎まれるものとしての象徴として繋がっている。同じ人が三役をすることでその繋がりが表われてきていました。その構成の見事に感嘆。ラストの清と慶喜の二重写しでの台詞には圧倒させられました。「愚かで無意味な存在は殺されてもいいのか?」と…。それを受けて英から出た言葉の美しさ。とても単純な言葉です。でも必要な言葉でした。作家としての野田さんの凄さ。


2005.12.25

国立大劇場『通し狂言 天衣紛上野初花』3回目 1等A席 1階花道脇前方

千秋楽の本日、役者さんたち皆さんがたーっぷりやってらして楽しかったです。1回目、2回目観劇の時は「芝居を観た〜」という感覚だったのですが今日は「歌舞伎を観た〜!」という感じでした。

特に、河内山@幸四郎さんと松江候@彦三郎さんが、二人してたーっぷり台詞を転がしておりましたよ。お互い自分の役柄を楽しみつつ丁々発止していた感じ。メリハリの利いた台詞回しのなんとかっこいいこと。「松江邸書院の場」がこんなに楽しいなんて。高木小左衛門@段四郎さんとか宮崎数馬@高麗蔵さんとかもとっても素敵なのになんで皆寝ちゃうの〜?

大膳@幸右衛門さんもぐっと台詞回しを低くされ目つきも強くし悪役としての存在感をだしてました。そのおかげで「松江邸玄関先の場」でのやりとりがより面白くなっていました。

玄関先で河内山がいきなりべらんめい口調になる部分での幸四郎さんのくだけかたが一段とメリハリがきいていたなあ。その開き直りっぷりといかにも下町のべらんめい口調がいかにも庶民のヒーロー。それだけじゃなくて、緻密な計画のうえでの大ハッタリの緊張感といい、そして見破られてからは頭の回転の速さがあるというのがよくみえる部分といい、今回の幸四郎@河内山には本当にニンマリしてしまう。

染五郎@直次郎は若手だけあって成長著しい。初日と千秋楽では別人のようだ。今後、直次郎は確実に持ち役に出来るな、と思いました。特におっと思ったのが「吉原大口三千歳部屋の場」で、前回まではまだまだひよっこという感じだったのだけど、しっかり丑松の兄貴分としての大きさがでてました。役に対してのメリハリが利いてきた感じ。また「入谷蕎麦屋の場」での逃亡者としての緊迫感が増していました。だから股火鉢やそのあと手を温め、足を暖めするシーンが妙に印象的。寒さのなか凍えながら来たんだなあと感じることができる。この場では一瞬たりとも緊張を解かない直次郎でした。

それにしても染五郎は場に緊張感を持たせるのが本当に上手くなったと思う。だから、ふっと緊張が解けたシーンでみせるふわっとした色気が際立つようになってきたのかもしれない。三千歳との最後の別れの引っ込みで涙が滲んでいました。やっぱり最後「三千歳、もうこの世ではあわれねえぞ」って言わせてあげたかったかも、なんて思いました。ラスト、河内山ってば邪魔とか思った(笑)。でも河内山がいないと絶対三千歳のとこに戻って捕まっちゃいそうな直次郎でもありました。染直次郎は完全に破滅型だなあ。

それにしても最後まで緊張感の保った良いものを見せてもらえた今月の国立でした。


2005.12.17

国立大劇場『通し狂言 天衣紛上野初花』2回目 1等A席 1階花道脇後方

今回は新七(黙阿弥)さんに惚れた。というか『天衣紛上野初花』のなかの江戸、あの世界観に惚れた。金子市之丞が刀をきら〜ん☆と振り下げた時に河内山が言う台詞が「星が落ちたか」ですよ。ぎゃーーーっ、なんてカッコイイの。ピカレスクロマンとかハードボイルドが好きな人は観に行くべきですねっ。

黙阿弥らしいエッセンスが凝縮されちりばめられていながらも過剰さを廃し、シンプルにぎりぎりまで削ぎ落とされた語り口。それこそ「粋」で「洒落た」味わいがある物語だ。黙阿弥の「江戸」末期を生きてきた人間としての「江戸」への郷愁、滅びいくものへの哀切、そしてなにより「生きてきた時代」への愛情、そんなものが感じられる。これは通しで見るべき芝居ですよ。まずはごく普通に暮らしをする商家を見せ、次にアウトサイドな場、遊郭で生きる人々を見せ、それから特権階級の旗本の暮らしを見せる。これらの場、全てに河内山が絡むことにより一つの「江戸」として繋がっていく。ある意味、河内山は江戸を見せる触媒でもあるのです。その河内山がアウトローなところが心憎い。なんとも上手い構成ですよ。通しだからこそ見えてくるものがあった、そんな感じです。

そしてこの黙阿弥のエッセンスを上手く構成して見せてくれた国立スタッフと幸四郎さん、そしてその意図を見事に表現してくれた役者さんたちの力に感銘を受けました。「江戸」の空気感というのはこういう感じだったのかもしれないと思わせるだけの「空気」が流れていました。そして彼らはそこに生きているという手触りがあったように感じました。リアルでないところのリアルさというのでしょうか。歌舞伎という舞台だからこそ見せられる世界観だとも思いました。

初日周辺で観た時にはその「生きた江戸」の雰囲気の片鱗は見えていましたが、まだ薄かった。しかし中日以降になってその「空気」が密になり濃くなっていました。ふわっと物語が立ち上ってきたかのようでした。いつもなら役者のいわゆる役者ぶりや芸に目が行きがちなのですが今回はすっかり『天衣紛上野初花』の世界のなかを楽しんでいました。

それにしても今回は役者さんそれぞれがストンとその場にハマっていたような感じ。アンサンブルが良いのです。そのバランスの良さをまとめ引き締めたのが河内山@幸四郎さんの存在感と華でしょう。

幸四郎さんは英雄より人間の多重性を備えた人物のほうがより魅力が出る方なのではないだろうか。善と悪、その両極端を同時に備えられる。そして「人」としての業を真正面から受け止めたものを醸し出す。だからこそ、「悪」は「悪」になりそこになにかしらの「義」が見える。にしても今回の幸四郎さんの河内山の造詣は見事だったと思う。豪胆と繊細、どちらの顔を見せる。人の小ささと大きさとをてらいなくみせるからこそ河内山は庶民のヒーローたりえる。すっきりした造詣ながら、たっぷりとした存在感がある。これが相反してないのだからねえ…見事だ。前回、12/3に拝見の時は少し声の調子が良くなかったのだけど、今日は絶好調だった。メリハリの利いたなんとも魅力的な台詞回し。いわゆる一人オーケストラ状態だ、と思いました。<ソロ(ピアノやヴァイオリン等)なのにオーケストラを聴いたような豊かな音を聴かせてしてくれる演奏家がいるのですが、そういう方々を聴いた時と同じ感覚を受けました。

今回、急激に存在感を増したのが三千歳の時蔵さん。柔らか味が増し、けだるい空気を纏いつつ、年下の悪党に惚れきった可愛い女としての存在感。直次郎との距離感が良いんですよねえ。年下に惚れたことでの不安感が言葉に出ていて、私のことどのくらい好きなのかしらって絶えず確かめてる感じ。それでいて姉さん女房としての誘い込むような女の色気がたっぷり。女の意地と弱さの同居。いやーん、いいわあ〜、可愛いわっ。そして「入谷大口寮の場」ではもうただ一途な恋する女。直はんしか見えてない、彼と一緒に居られればいつ死んでもいいと思いつめた女。だからこそ逢瀬がかなった時の嬉しそうで一時でも離れたくない表情に恍惚としたものが現われる。うひゃ、今回の逢瀬はエロかったすよ。

染五郎@直次郎もぐんと良くなっていた。前回、若旦那風だった「吉原大口二階廻し座敷の場」で線の太さが出てまた台詞回しの部分に芯が入った感じがあり、しっかりと御家人崩れの小悪党風情になっていた。それと三千歳@時蔵さんとの距離が近づいた。恋人同士としてのじゃれ合い、甘えあいになってる。三千歳に一緒に死んでと言われ「おらあ、金のために死ぬのはいやだ」というのが、本気でいやがっているというより、甘えて言ってる感じ。自分に惚れてくれてると信じている、その自信がそう言わす。一人寝はいやだから三千歳が部屋に帰ってくるまで寝ないって可愛い男じゃん。直はんも三千歳に惚れてるから言うんだよね。三千歳&直次郎って年上女&年下男の組み合わせでしっくりくるカップルなんじゃないのかと今回思ってしまった。それくらい今回は三千歳@時蔵さん、直次郎@染五郎二人に説得力があった。

後半「入谷蕎麦屋の場」では丁寧に芝居をするところから抜け出てきて、思い切りのよさがありその部分に「粋」が近づいてきた感じがあった(でも「粋」というまでにはまだまだかな)。またそれだけじゃなく、人目を避けてきた逃亡者としての不安感、緊張感のほうをより強く感じさせていた。蕎麦屋夫婦と丈賀ののんびりした空気のなかのこの直次郎の緊迫感を感じさせる空気がこの場を見ごたえのあるものにしていたと思う。「入谷大口寮の場」での花道の出の途中、ちょうど直次郎が周囲の様子を伺うシーンがある。これを真横で観た。まだ花道が高くなっていない場所なのでかなり近くで顔を見ることができたのだけど、その時の染五郎はほんの少し不安そうに油断なくしっかり周囲を伺う直次郎の顔だった。目線がかなり遠くにあって視界には風景しか見えてないそういう表情だった。染五郎ファンにはかなり美味しい位置だったのだけど染ちゃんを見惚れるのではなく直次郎の不安さを見つめる結果となった。悪党になりきれない悪党。人恋しい寂しさのある直次郎。

その直次郎の不安さが三千歳に会うことで癒された。その表情にかなり色気があったように思う。なんというか、しっかり恋人同士の逢瀬に見えた。清元に乗っての三千歳とのキメのシーンが二人ともやたらと美しく色っぽかった。青臭さのなかに男の芯があったという感じかな。台詞廻しが良くなっていたせいかな。どこがどう変化したのかわからないのだけど。そしてラスト、三千歳を置いていくことへの逡巡がよく見えて「もうこの世では会われねえぞ」の台詞がなくてもその辛さを湛えた引っ込みであった。近くでみると染直次郎は別れるのがとっても辛そうな顔してました。

全体が良かったなかで得に今回印象に残ったのは松江候の坂東彦三郎さん。より殿様らしい雰囲気と悪役としての自己中心的ないやーな恐さがありました。彦三郎さんて悪役のイメージが全然ないんですが、今回の悪役はかなりいけてる。

また丑松の市蔵さんに小ずるい表情が出てきていて存在感が出てました。泥の世界にどっぷり浸かった悪党。


2005.12.10

歌舞伎座『十二月大歌舞伎 夜の部』 1等2階下手寄り

『恋女房染分手綱』重の井
児太郎くんが福助さんに非常によく似ていることもあり実の親子で演じたところの面白さがあった。三吉が重の井に自分の母だと言うシーンが無条件に観客が受け入れられる。そのため三吉の必死さにその時点で感情移入することが出来、その後の展開にハラハラすることになる。ただ児太郎くんが子役としてはギリギリの年齢で「健気さ」を感じるには危ういところにあった。声もしっかりしているし、形もしっかりやっている。ところがそれゆえに大人びすぎており、あざとさが見えてしまうのだ。とても頑張っているのはわかるだけにあと1年早かったらとつい思ってしまった。

福助さんの重の井は母であり女。母としての情愛がたっぷりで、子供が可愛いという部分がハッキリしておりその部分の嘆きがとても上手い。現代的な感覚の嘆きなので知らず知らず胸が締め付けられる。しかし感情が激しすぎるため三吉を思い切れるような女性に見えない。後悔がありすぎて弱い女なのだ。きっぱりと子供を思い切る、その部分の哀しさがあまり伝わらない。どこかで重いものを背負って行きていかなければならない哀れさとそのなかで前を向くしかなかった強さがあるほうが説得力があると思う。そのせいか最後の泣き笑いが物足りなかった。糸にのった形はとても美しかった。福助さんはもう少し格と豪胆さを出せるようになるといいんだけどな。

七之助の腰元若菜のテキパキとした造詣がすっきりとした可愛らしさにもなりとてもよかった。

弥十郎さんの弥三右衛門の飄々とした爺ぶりもなかなかよかった。もう少し愛嬌をのせてもいいかも。

『船辨慶』
期待していた玉三郎さんの
『船辨慶』は期待外れ。能に近づけた新演出という意欲は認めるが…。玉三郎さんが能の表現方法と歌舞伎の表現方法の違いを見極めて無いとは思えないのだがどうしてああいうものにしてしまったのか?今回はただの真似の域でしかなく歌舞伎に消化されておらずアラばかりが目立つ。従来の『船弁慶』でさえ静御前の舞は能役者とつい比べてしまいがちなのに…。今回はあまりに能に近づけすぎて、あらためて能役者の凄さに思いをはせる結果になってしまった。謡い、足捌き、まるで違う。玉三郎さんのは真似事にしか見えないし、そもそも、声も体型も能に向いているとは思えない。柔らかいしなやかさ、それが玉三郎の身上ではないのかしら。なぜそちらの方向に行かないんだろう?存在感は相変わらず素晴らしかったんだけど…それだけじゃ納得はしない。玉三郎さんの静御前、さぞかし義経への切々とした恋情を表現してくれるに違いないと思っていただけに残念すぎる。知盛はあまりに迫力不足。妄執、怨念のオーラがみえず、人外の異様さもない。後半の場で張り詰めた空気感を作り出せてなかった。玉様の出、引っ込みどちらにもほとんど拍手が沸かなかった。これほど拍手が沸かないのも珍しい。観客がどう思ったか端的に表れてると思う。

弥十郎さんの弁慶は大きさもあり朗々とした声も良くピッタリ。

唯一、盛大な拍手を貰っていたのは船頭の勘三郎さん。明るい華、観客を惹きつけるオーラがお見事。間狂言をしごく真面目にしっかりと歌舞伎らしくみせてさすがの底力。

薪車さんの義経は美しい。どことなく緊張していたような感じも。あのメンバーのなかにいたらねえ(笑)

ああ、そういえば曲と囃方はとても良かったです。緊張感の保ったいい演奏だったと思います。

#それにしても今年になって玉様の方向性にだんだんついていけなくなっている。どうしてだろう?玉様のやることなすこと「素敵」としか思ってなかったのに(涙)<私、玉様ファン歴17年です。この年季で今更ついていけないと思うとは…。

『松浦の太鼓』
今年の歌舞伎はNHK大河とコラボしたのか?と思うほど源平に明け暮れた1年だったと思います。そのわりに『義経千本桜』を通しでやってくれませんでしたけどねっ(不満)。しかし年の瀬には、やっぱりあれが観たいじゃないですか。そーですよ、忠臣蔵。12月の歌舞伎座夜の部の打ち出しを『松浦の太鼓』にしたのは非常に良い了見ですよ。はい、それだけで勘三郎さんの株が私のなかでちょっとばかり上がりました(笑)

全体的にかなり軽く仕上がっていましたが前の演目とのバランスを考えると、このくらいのほうが良いのではなかと思います。気分よく楽しく見ることができました。喜劇の方向性を強く打ち出したところに仇討ちを応援している周辺の浮かれ気分を現しているようにも見える部分があり、そういう皮肉な部分がさりげなくみえたのも面白かったです。

松浦侯の勘三郎さんは、ご自分の愛嬌を全面に出し少々軽薄なお殿様を造詣。へたすれば軽佻浮薄になりかねない一歩手前で押さえ、殿らしい品もきちんと備えている。自由気ままで自分の欲望に忠実、だけど情に厚く天真爛漫で憎めない、そんな松浦侯。勘三郎さんの人を惹きつけるオーラがそのまま松浦侯へと転化されたようでした。ただ、このキャラクター造詣のためか、陣太鼓が聞こえてきて、指折り数え意味を図るシーンで笑いが起こるのは痛し痒しかもしれません…。あそこは笑うとこじゃないと思うんだけどなあ。

宝井其角の弥十郎さん。夜の部は全ての演目に出演されていました。脇役で核になるような役者さんが少ないということでしょうか。弥十郎さんは三演目ともしっかり演じ分け、それぞれに存在感を見せました。しかし、其角はちょっと俗ぽい部分がありすぎたかな。もう少し枯れた味わいが欲しかった。勘三郎さんのテンションについていくには、あのくらい俗ぽさがないと負けちゃいそうですが(笑)

お縫の勘太郎くんが、とても可愛らしかった。ごつい顔と体格があまり気にならないほど、しっかり体を作っていました。とてもしなやかで健気な雰囲気を出すのが上手い。

大高源吾の橋之助さんは、風流人には見えませんが一本気な雰囲気が赤穂浪士としては良かったと思います。最後の場の語りに緩急がなさすぎて、聞きづらかったのが残念。

殿様よいしょ5人衆が結構笑えました。


2005.12.06

東京オペラ・シティ『ピエール=ロラン・エマール ピアノリサイタル』 B席3F R4扉

現代音楽の旗手と言われているフランスのピアニスト。現代音楽に苦手意識を持っている私だが、今年4月に聴いた国立パリ管弦楽団の演奏が楽しくてフランス系の音作りに興味を持ったのと、ドビュッシーのピアノ曲ってどんなんだろうという興味から今回の演奏会に足を運びました。私、クラシックコンサートに関しては我ながらいつもツイていると思うのだけど、今回も素晴らしい演奏を聴くことができて本当に満足。

ピエール=ロラン・エマール氏の音は非常にクリアで硬質感を感じさせとても明るさがある音色でした。ひとつひとつの音が綺麗すぎるくらい綺麗でとてつもなく明快。しかも曲によって様々に多彩な音を聴かせてくれる。あまりにクリアな音なので曲の骨格がシンプルに伝わってくる。かといって平坦なわけでもなく非常にパッションを感じられる演奏で曲の表情はとても豊か。

それにしてもブーレーズとクルタークの現代音楽の演奏はちょっと凄かった。うわー、音楽だよ!と心から思いました。宇宙というかSFを感じた。今までこの手の曲は不協和音にしか聞こえてなかった私…。全然違うやんけ。認識を改めました。またドビュッシーも素晴らしかった。まさしく情景や空気感が肌に感じられるような豊かな演奏。繊細で余韻の残る響きが素晴らしい。特に低音は弦楽器の合奏を連想させた。そういえばピアノって弦を弾かせる楽器なんだよな、と。にしてもああいう音が出せるなんて驚いた〜。ラヴェル『夜のガスパール』は私のイメージするものと違っていた。なんだろう?暗い曲というイメージだったんけど洒落た明るい曲になっていた。逆にシューマンもシューマンらしくないというか、こういうシューマンもありなのねーとこれも驚く。叙情とはほど遠い、剥き出しの音というか…うわー、なんて書けばいいんだーー。書きようがないけどなんかすごかったよ。

んでもって、作曲家のイメージから離れたものを聴かせたかと思うとモーツァルトのソナタで、もうモーツァルト以外の何者でもないモーツァルトを聴かせてくれるし。子供っぽい可愛らしいモーツァルトが踊ってるのよ。<感想が意味不明になってきた…。いやはやもう、聴きに行ってよかった〜。

曲目:
ブーレーズ
『ピアノ・ソナタ 第1番』
ドビュッシー
『前奏曲集 第1巻』より「沈める寺」「野を渡る風」「雪の上の足あと」
ラヴェル
『夜のガスパール』「オンディーヌ」「絞首台」「スカルボ」
シューマン
『交響的練習曲 Op.13』(遺作変奏付)

アンコール曲:
ドビュッシー
『前奏曲集第1巻』より「亜麻色の髪の乙女」
モーツァルト
『ピアノ・ソナタ第16番変ニ長調K.570』より第三楽章
ブーレーズ
『4つのノタシオン』
ドビュッシー
『前奏曲集第1巻』より「パックの踊り」
クルターク
『3つのゲーム』
ドビュッシー
『前奏曲集第1巻』より「音と香りが夕べの大気に漂う」


2005.12.04

国立大劇場『通し狂言 天衣紛上野初花』 2等3階前方センター

この演目は現在「上州屋見世先の場」「松江邸書院の場」「松江邸玄関先の場」を『河内山』として、「入谷蕎麦屋の場」「入谷大口寮の場」を『雪暮夜入谷畦道(『直侍』)』として別々に単独でかけ、通しでかかることは少ない。今回は「吉原大口三千歳部屋の場」「吉原田圃根岸道の場」をいれ、また普段は短縮版で演じられる大詰の「入谷大口寮の場」を原作通りにし、河内山宗俊と直次郎との関係を明確に見せ、また「吉原大口三千歳部屋の場」で登場し三千歳と身請けしようとしてた金子市之丞の正体を明かしています。

通し狂言は物語の人間関係がきちんとわかるし、やはり面白い。でもラストはあれなの?続きは〜?ねえねえ、あの後どうなるの?黙阿弥さん、続き書いて〜といいたくなるラストでした。『雪暮夜入谷畦道』だけ観るとそう思わないのに、なんでだろう?と思ったんですが、短縮版ではラスト、直次郎の捨て台詞があるんですね「三千歳、もうこの世では会われねえぞ〜」と。この捨て台詞が今回、無かったからだ。今回、もしかしたら助かる道もある?とか思わせちゃうラストでした。

初日開けて2日目でしたがそれぞれ役がかなりしっかり入っててそれほど段取りを追う感じにはなっておらず、主役から脇までしっかり揃っていて思った以上に面白い芝居になっていた。全体的に芝居の流れがすっきりとしていながら、一場、一場が締まっており、また黙阿弥らしいちょっとイキな雰囲気がよく出ていたと思う。この時点のあの出来であれば、後半にいくにつれかなりメリハリの利いたもっと絞まったいい芝居になっていくだろうなと期待。

幸四郎さんの河内山はピカレスクロマン風。小悪党部分が強調され、軽みを出しているので「お金が大好き」で「悪さ」をすることが楽しみでしょうがないといった感じの河内山。前回の国立での河内山&直次郎一人二役の時は拝見していなのだが、その前に歌舞伎座で拝見した時は根っからの悪党の鋭さがみえていたように思うけど、今回は愛嬌がのっていて、ちょっと小粋な悪党になっていたように思う。直次郎との関係性がみえたことで、仲間に対する義があるところがみえたせいかもしれない。今日は幸四郎さんには珍しく声の調子が不安定であった。黙阿弥独特の七五調にはとてもきれいに乗っているのだけど、強弱をつける部分で割れたり掠れたり。そのため幸四郎さん独特のメリハリが十分に効いておらずもったいない。

染五郎が初役で臨む直次郎。なんともすっきりと美しい、いい男っぷりを見せました。この一年で役者として一回り成長してきた感がありますね。かなり存在感が出るようになったし、姿が美しくなった。七五調の台詞回しもただ謳いあげるのではなくそのなかに感情の強弱もしっかり聞かせる。ただ、やはり一生懸命やっている部分が滲み出て、アウトローとしての崩れた色気が少々足りない。特に最初の出の「吉原大口二階廻し座敷の場」では品が良すぎて、悪党というより身を持ち崩した若旦那風情にみえてしまう。御家人崩れで、いい女にモテる男なので、ただ崩れきった悪党ではなく骨格に品はあったほうがいいとは思うのだけど、それにしてもお行儀が良すぎるような。時蔵さんとのコンビネーションもこの場が一番年の差を感じさせてしまうので、もう少しこなれてくるといいなあ。この場では河内山@幸四郎さんが入ってきたくらいから、染ちゃんに少しづつ鋭さと色気が出てくるので、まだ時蔵さん相手に少々緊張しているのかな?と思う。

後半の「入谷蕎麦屋の場」の染五郎のほっかむり姿はかなり美しい。またかなりしっかりここを見せ場にしているのには感心。まだ「粋」という段階にはいってないけど、丁寧にやっていて、ひとつひとつの仕草がきちんと明確に伝わり、雰囲気もよくでている。あくまでもカッコイイ直次郎で通して悪党らしい鋭い雰囲気に色気も漂う。また次の「入谷大口寮の場」では若い青臭い部分があるからこその三千歳一途な部分の可愛らしい色気が見えるような感じがある。なぜ別れ話を持ち出すのか、その部分の説得力もある。道連れにしたくない、そんな男の純情ってやつが見える。またそのなかに小悪党の小心さもあり、染五郎らしい造詣だなと思った。

時蔵さんの三千歳は当り役だけに一番こなれた芝居をみせた。しっとりした美しさ、どことなくけだるい雰囲気。前半は売れっ子としての貫禄があり、後半は清元にのって直次郎とつぎつぎとキメを見せていく場の姿の美しさが見事。ただ、その余裕さが菊五郎さん相手だと大人な恋人同士な雰囲気でいいんだけど、染五郎@直次郎にはも少し可愛気な雰囲気を出して、直はん一途さをもう少し全面に出してくれるともっといいなあ。

金子市之丞の左團次さんは剣豪という雰囲気はあまり無いのだけど、しっかり存在感を出して場を締めてくれる。悪そうに見えて実は良い役を珍しく骨太に演じてなかなか。いつもならもっと飄々とやりそうな役柄なのだが押さえたところに大きさをみせた。

高木小左衛門の段四郎さん、上手さをみせる。懐の大きさ、思慮深さが滲み出る台詞回しがとても良い。また貫禄がありながらも一歩引いた家老らしさが姿にあり、お見事。最近、台詞の入りが悪いことが多い段四郎さんだが、今回は台詞もしっかり入っており安定感抜群でした。

松江候の坂東彦三郎さん、セクハラお殿様を品よくおさめ、またプライドの高さを見せた。

大膳の幸右衛門さん、重役としての格を持ちつつちょっと短絡的な大膳をみせる。いかにもな雰囲気がいい。

浪路の宗之助さん、とても可憐。女形として体のつくりがしなやかでとても良い。いい役をもらえると伸びるのではないかなあと先月に引き続き当たり。

按摩丈賀の芦燕さん、飄々とした雰囲気でかなりいい味だしてひさびさに当たりかも。この方も最近台詞の入りが悪くてハラハラさせられることが多かったのだけど、今回はしっかりこなしてました。

新造、千代鶴の段之さん、千代春の京妙さんコンビが美しくいい味わい。


2005.11.27

歌舞伎座『第十回記念 梅津貴昶の会 夜の部』 3階B席上手寄り

清元『保名』 梅津貴昶
梅津氏の踊りは非常に端正で無駄がないですね。体の線がとても綺麗でした。派手な動きはないのですが動きはとても緻密。気品溢れる保名で物狂いを見事に表現されていました。

長唄『鷺娘』 尾上菊之助
梅津氏の振り付けでの鷺娘はかなりシンプル。舞台の使い方は玉三郎さんのと似通ってました。菊之助さんは、頑張ってましたねえ。肩から背中へのラインがちょっと硬くて柔らか味が少々足りないかなとは思いましたが難しい踊りを丁寧に品よく踊りきっていました。特に娘の愛らしさがよく出ていましたし、流れるように大きく舞台を動いていたのも素敵でした。鷺の精の情感を出すのはまだまだこれからでしょうけど、素踊りであれだけ見せられるのは大したもの。それにしても鷺娘の曲はやっぱり素敵だ。

清元『玉兎』 中村富十郎
素踊りなのに情景が見事に見えました。富十郎さんの表現力に脱帽。舞台の空気を一変させるんですよねえ。とても楽しい踊りでした。

常磐津『積恋雪関扉』
関守関兵衛実は大伴黒主:中村勘三郎
少将宗貞:市川染五郎
小野小町・墨染:梅津貴昶

歌舞伎の舞踊劇そのままだった。この演目の芝居部分も舞踊化してるんだと思ったので少々期待はずれ。素歌舞伎も確かに面白かったけど、もっと「踊り」が観たかったです。それに芝居が入ってしまうと、どうしても「役者」二人のほうが目立ってしまうのですよね。梅津氏も女形の台詞回しはとてもお上手だったんですが、やはりあくまでも踊り手なのですよね。踊りの部分はとても綺麗なのですが、表現方法が違うので全体的に地味にみえてしまう。とってももったいないなと思いました。

勘三郎さんはやはり芝居となるとオーラが見事です。この方の台詞回しは非常にリズムカルなんだと改めて思いました。観客の気持ちを高揚させるものを持っている。関兵衛の時の愛嬌がやはり持ち味かなあ。黒主のほうはもう少し異様さが欲しかったような気も。踊りのほうは梅津氏とは正反対。派手というか体を細かくよく動かすし顔の表情が豊か。ただ、梅津氏と並んで踊ると、上半身を動かしすぎかな?と思う場面も。あくまで歌舞伎役者としての表現力溢れる踊り手なんだなあと思いました。あと斧を扱うシーンでハプニングがありましたが素知らぬ顔で続けていたのがさすが。珍しく一箇所、プロンプが入ってましたが、このハプニングで緊張されたかな?

染五郎さんもやはり座ってるだけでオーラが出る。勘三郎さんにはまだちょっと負けてるけどね。非常に端正に芝居も踊りもこなしておりました。体の線が梅津氏に負けず劣らず綺麗なのにちょっと驚きました。肩から背中にかけてのラインが本当に綺麗だ。上半身が全然ぶれない。あと柔らか味がここ最近ほんとうに出るようになってきたと思う。染ちゃんで「保名」を観たいと思いました。しかし、染ちゃんの踊りの部分が少なくてがっかり。


2005.11.23

歌舞伎座『吉例顔見世大歌舞伎 昼の部』1等1階席下手寄りセンター前方

『息子』
一番変化してくるだろうと思っていたこの演目、やはりかなり変化しており、より充実していた。『息子』は染五郎と歌六さんの当たり狂言になると思う。何年か後に再演してほしい。また違った味わいが出るだろう。この演目はとてもシンプルなだけに役者の台詞や仕草、動きをどうみるかによってまた観る側の思い入れや気持ちで様々に解釈できる芝居だと思う。私は老父は途中から気が付いていたと、そう解釈した。

頑固で偏屈な爺さんが、荒んだ風体をした金次郎に火に当らせ弁当を食べさせお茶を飲ませ、煙草を吸わせてやる。なぜそんな親切をしてやったのだろう。たぶん、親父さんは今までもこういう若者にいつも食べさせて話を聞いてやってたんじゃないかな。9年も便りを寄こさず所在すらもわからない息子、もしかしたら彼らのように失敗して落ちぶれてるかもしれないという心配は常にあったかもしれない。だからこそ、そういう若者に親切にしてたんじゃないかな。息子は成功して忙しいんだと言い聞かせながらも、絶えず不安も持っていただろう。そしていつか、もしかしたら金次郎もここに来てしまうかもしれないと。

そして、また一人若者が飛び込んでくる。いつものように火に当らせ、食事を与える。最初は世間話。だけど途中気が付くのだ。そして今までに出会ってきた落ちぶれ荒んだ若者たちの末路を聞かせ、自分の息子はそんな風にはなっていない、真っ当に生きてるとそう頑固に言い張るのだ。あそこで金次郎と認めたら、荒んだ金次郎を認めてしまうことになる。今までの哀れな末路を迎えた若者と同じようになってほしくない、そんな気持ちだからではなかったか。そんな生き方はやめてくれ、真っ当に生きてくれと。

金次郎のほうも自分からはどうして言い出せない。期待を裏切ってしまった負い目があるから。父が自分と気が付いてると悟っているからこそ、「息子の名は?」何度もそう聞くんだろう。父の口から「金次郎」という言葉を聞きたくて。そして、やっぱり好きだった女性のこともずっと気になっていたんだよね。だから手紙のことを持ち出す。どうしたろう、あの娘はと…。まだ結婚してないと聞いて、愕然としたかもしれない。両親の期待に応えられず、一人の女性を不幸にしたと。その後悔が、こんな風になりたくてなったわけじゃないとの言い訳になっていく。わかって欲しいと、どうか受け入れてくれと必死になりはじめるのだ。

そして最後、捕吏から逃げた金次郎は父に母の様子を尋ねる「婆さんは達者か?」見知らない人間だったら聞こうはずもない質問。老父は答えてやった後、「早く行け」と促す。逃がそうとする言葉ではないだろうか?閉めた戸ごしに手を合わせ「ちゃん」と呼びかける息子。それを戸のそばで聞く父。金次郎が去った後、ふっと火が消される。父はきっと静かに泣いたに違いない。そう思う幕切れだった。

そう私が感じたのは歌六さん演じる老父は途中から息子と気が付いていたというハラで演じているようにみえたから。金次郎はキセルに火をつけるために火鉢に顔を近づける。そしてその時に火が一瞬燃え上がる、その明るさのなか老父と目を合わせてしまうのだ。この時に父の顔をはっきり見て金次郎は動揺してくる。薄々、父だと知りつつも知らんぶりしている金次郎だがまともに父の顔を見、心が揺れ始めてしまうのだ。ここは金次郎役の染五郎はしっかりとそう演じてきている。そして老父の歌六さんのほうも目があった瞬間、目を見張り、少しだけ動揺したように後ろへ体を動かしていた。手前にいる金次郎の動揺に目がいくので気が付かないほどのほんの少しの動き。ここでハッキリその動揺を見せない、その微妙な加減がよりこの物語の解釈を深くさせている。ここで気が付いていない老父、そう解釈してもやはりとても物悲しい物語になる。

ただ、ラストはわかっていたという演出にしたんじゃないかなあと思う。3日に観劇した時にはラストの小屋を閉めた後の老父の影がなかったように思う。今回、戸のところに火に照らされた影をみせていた。その影が金次郎が「ちゃん」と呼び逃げ去るまであった。その演出は「気が付いていた」部分をみせていたように思った。

染五郎の金次郎の造詣が前回に比べより陰影が深くなっており、父への思慕と期待に応えられなかった後悔の狭間の苦悩がとても切なくなっていた。最初のほうではいきがった様子で悪さをしてきた自分を語り、鋭い目をみせる。また着物を火で乾かす仕草やキセルを扱う仕草など細かい部分をきっちり丁寧に見せるのだが、この堂が入った芝居も良い。そして父と確信した後の台詞と表情のありかたが染五郎の真骨頂。一言一言に父への思慕、自分のやってきたことへの後悔、申し訳なさ、わかってほしいという切ない気持ち、そんなものが滲み出る。そしてラストに「ちゃん」という言葉にそのすべてが託されたようなそんな情感があった。

歌六さんは前回より飄々とした部分を残しつつも、頑固親父の鋭さのほうを強くみせ、またどことなく身を持ち崩した青年たちを語る口調に「ばかなやつら」といいながらも情を寄せてる、そういう雰囲気を出していたように思う。この老父役はとても難しい役だと思うのだが本当に良い味わいをみせてくれた。

『熊谷陣屋』
私にとって今回の
『熊谷陣屋』は雀右衛門さんの相模につきる。存在感、立ち振る舞い、台詞、そのひとつひとつが全てにおいて相模であったように思う。小次郎の母としての顔、武将の妻としての格、可愛らしい妻としての顔、そして藤の方に恩義ある身の身分下のものという部分も決して忘れることがない。足のさばきの衰え、台詞がうまく出てこないことでの空いた間、それが少なくとも私にとって芝居の傷ではなかった。「相模そのものがいる」そう思わせた。小次郎への情愛の深さ、嘆きの深さは心から泣いていたのではないだろうか。その深い絶望は芝居ということを一瞬忘れさせる。私は相模から目が離せなかった。後姿でさえ、悲しみに溢れいた。そして、熊谷が出家し去っていくその時、雀右衛門さんの相模は「死」を決意していた、そう見えた。相模は絶望のなか熊谷を見るのではなく小次郎の面影を見るかのように遠くを見つめているようだった。最後、短剣を握り締めてはいなかっただろうか?見間違いかしら?

熊谷の仁左衛門さんは存在感が本当に大きかった。そして物語る場でのノリ、極めるときの見得ピシッと決めるとこは決める、その形が本当に美しい。メリハリのある太い台詞回しが熊谷の豪胆さを際立たせる。しかし、それ以上にすべてにおいて情の熊谷でした。武将の義や忠節という部分より、父としての顔のほうが強かったように思います。

『雨の五郎』
吉右衛門さん、少し余裕が出てきた感じで、独特の可愛らしい男の色気を振りまいておりました。立ち回りのきっかけの「はっ!」という掛け声までもどこか色ぽかった。立ち回りの三階さんたちは今月大活躍ですよね。ほんとにきれいに決めて観ていて気持ちよかったです。

『うかれ坊主』
富十郎さんが心から楽しそうに踊ってらっしゃった。キレは衰えたけど、踊りわけが本当に見事。ふわっと女性になる一瞬、なまめかしいまでの色気をみせる。やっぱり凄いわ。

『文七元結』
見事に息のあったアンサンブルでした。掛け合いや動きの間やタイミングが本当に絶妙。そしてそれぞれのキャラクターの個性がアンサンブルの良さで際立っていた。今回の座組みが持つ、独特のからっとした空気感がなんかいい。今まで観てきた『文七元結』に感じてきた空気感とは違うのだけど、ラスト本当に気持ちよく晴れ晴れした気分になれるし楽しいし、泣けるし、これはこれで好きかも。なんだかすごーく不思議な気分。

長兵衛の幸四郎さんが見た目はほんと全然違うわけよ。どうしたって博打と酒におぼれてる左官職人にはみえないの。でも、ちゃんとがらっぱちな江戸っ子だった。歯切れのいい台詞がぽんぽんと幸四郎さんから出る。で、その台詞の間とか緩急が上手い。表情も、怒ったり、すねたり、心配したり、間が抜けた顔だったり、恐縮したりとくるくる変わってなんだかいい。柄じゃない部分を一生懸命に演じることでの滑稽味もあって、とても印象にのこる長兵衛像を作り上げてきたと思う。義理人情の世界を体現するのではなく、一生懸命出そうとするその不器用さがかえってこの世界の義理人情に真実味を持たせた部分もあるんじゃないかなあ。それと「人が死ぬのが一番いけない」、そういう価値観での川端でのやりとりが本当によかった。幸四郎さんのこの挑戦はかなり良い方向に出たと思う。

前回3日の時に子役のような台詞回しで「うーん」と思っていたお久の宗之助さんが、心情をきちんと出す台詞回しになっていて親を思う子の気持ちがストレートに伝わってきて泣かせた。宗之助さんのお久は実は3回拝見しててその棒読み台詞が朴訥な雰囲気を見せてもいたと思っていたのだけど、3日に観た時に違和感を感じたのはやはりそろそろそれでは違和感のでる年頃になってきたということなのかもしれない。考えたら『熊谷陣屋』で四天王をやってりりしい若武者姿をみせてるんだからねえ。もう一歩進んだものをみせてもいい頃だと思う。今回の台詞回しのほうが断然良い。また、今回のお久の設定が貰っ子になっていたのだけど、親思う情の気持ちがでた台詞回しでその設定が生きた。義理の親だからこそと、実の子より恩義を感じていて、身を売るという行動に説得力がでたような気がする。それにしても30歳すぎて化粧っ気のないお久ができるのは凄いと思う。素で女の子にしか見えないんだからねえ…。

文七の染五郎はやっぱり間が絶妙。わりとトントンと進ませる幸四郎さんに合わせて、今回少しだけ間をあっさりぎみにしてきたようだった。思い込みが強くて、ちょっとぱかり情けなくて。でも頭が悪いわけじゃない、きちっとした受け答えのしっかりした部分もみせる。最後独立させてもらえるだけの才気を川端の場で見せた。情け無い愛嬌だけでみせてた前回とまた違う部分をみせてくれた。そして長兵衛が本当にお金をくれたと知って「親方〜」とありがたがる台詞も心からの感謝になっていた。にしても染五郎はやはり存在感が増してきたよなあと思う。3年前に演じた染五郎の文七がとても印象的に残っている。その時の文七もとても良かったのだけどその時はあくまで長兵衛が主役として際立っていたように思う。だけど今回きちんと対等だったもの。あとは、最後の場なんだけど、もっともっと嬉しそうな顔をしてほしいなあ。はにかんだような笑顔は見せるんだけど、まあ、あそこは主人の前だし控えているべきところだからあの程度でいいとは思うんだけど。それでも輝くような笑顔を見たかったような気がする。しかし、染ちゃんはああいう拵えするとほんと美人さんになるなあ。<結局はそこかよ(笑)

お兼の鐵之助さんが、ほんとにいい味だしていた。いかにも長屋にいる気の強いおかみさんだった。ああいうおかみさん、今でもいそう。

家主の幸右衛門さんも良かったなあ。くるくるくるくるしてるのよね(笑)。楽しそうに気持ちよさそうに演じているから、こちらも嬉しくなっちゃう。喧嘩の仲裁したり、仲人したり、いい大家さんだなあ。

鳶頭の友右衛門さんがかっこよかった。あら、あんなにきれいなお顔してたっけ?と思った。この方の立ち姿、座り姿は隙がなくてとても美しい。

この芝居、出てくる人、みんなに愛着もってしまう。みんないいキャラしてるんだもの。


2005.11.19

歌舞伎座『吉例顔見世大歌舞伎』夜の部 1等1階席花道寄り前方

席が非常に良い席だったこともあるけど思った以上に大満足。今月の夜の部の演目でこんなにわくわくさせられるとは思っていなかった。『日向嶋景清』はちょっと平坦な物語運びがもったいなと思いつつ、可憐な芝雀さんの糸滝の父思う思う気持ちに胸打たれ、『鞍馬山誉鷹』では富十郎の子を思う気持ちが現れた見事な構成の狂言に感心し、大くん改め鷹之資くんにほのぼの。高麗屋親子の『連獅子』ではシンプルな中のドラマ性に胸打たれ、染ちゃんのしなやかで時に重力を感じさない美しい子獅子ぶりにうっとり。『大経師昔暦』では運命のいたずらに翻弄されたおさん、茂兵衛の哀れさと演ずる梅玉さんと時蔵さんの色ぽさにため息。

『日向嶋景清』(嬢景清八嶋日記 )
吉右衛門さんが松貫四という名で実父八世幸四郎(白鸚)さんがそれまで共演を禁じられていた文楽の太夫と組んで演じた
『嬢景清八嶋日記』を歌舞伎に書き下ろした新作。

今年4月にこんぴら歌舞伎で観ている演目。少数人数でのシンプルな舞台だけに歌舞伎座に持ってきたらどうなるんだろう?と不安と期待と。結果、こんぴらの小さい小屋ならでは濃い空間では気にならなかった物語の平坦さやメリハリのない流れが広い空間の歌舞伎座では目立ってしまっていたように思う。元々、浄瑠璃にある物語なので新作といえども骨格はきちんとしている。ただやはり一場面を切り取ったことで説明台詞が多くなり、全体のリズムがちょっと間延びしがちかなと。それと景清の心情がかなり激しく変化するのだけど、その変化のしかたが過程を飛ばしてかなり振り切れるので、心情に沿うのが難しいという部分もある。観ている側がなんとなく置いてきぼりされがち。しかし、ラストの視界が開けた海上の船のシーンはダイナミックで視覚的効果抜群。景清の決断を強引に納得させる。あそこに糸滝が乗ってれば完璧なんだけど。とは今の感覚か。

これは主役の力量が相当ものを言う演目だと思う。そして主役の景清の吉右衛門さん、思い入れのあるお役だけに大熱演。大きな存在感と朗々とした台詞回しで景清の苦悩を演じ歌舞伎座の大きな空間を埋める。髪を振り乱し大きく感情を吐露する様はどことなくギリシャ悲劇の主人公のようでもある。でもそんなに娘が可愛いなら追い返すなよとツッコミも入る…。自ら運命に絡め取られちゃった景清でしたわ。糸滝が現われ自分のなかの情に気が付き(実は孤独で人恋しかったのかもしれない)、今までいったい何のために頑なになっていたのかわかんなくなっちゃったんだろうねー。景清の行動は歌舞伎では源氏があくまでも「正義」という部分があることを知らないと読み取れない心情があるわね。

父会いたさ、父の生活のために身を売る娘、糸滝。こんぴらでは隼人くんが演じていて一生懸命さが似合ってましたがさすがに歌舞伎の空間を埋めるにはまだまだ未熟。替わって演じるのが芝雀さん。今回のこの配役はピッタリでした。芝雀さん、十代の娘を演じて違和感なし。武将の娘としての品格がありとても可憐。またこの方の硬質できれいに通る高い声での切々とした嘆きが直接心に響いてくる。ほとんど泣きっぱなしの演技のなか、台詞がきれいに通るのはこの方の良い持ち味だと思う。父想う必死さが端々に感じられ、胸を打たれた。芝雀さんはお父様の雀右衛門と同様に情味がとても深い女性を表現するのが上手いと思う。

佐治太夫役の歌昇さんはこんぴらの時も非常に安定したものを見せてくれたが今回もとても丁寧。こんぴらの時より佐治太夫が人が良さそうな顔をみせていたようにも思う。きっと糸滝に同情しちゃったのね、という雰囲気。そりゃ、あんなに健気で可憐な娘だもんね。

島人実はの天野四郎と槌屋郡内に信二郎さん、染五郎さん。この二人美しく爽やかすぎて島人に見えません(笑)信二郎さん、台詞まわしも爽やかだし、前より声が太く通るようになった気がする。染ちゃんは、こんぴらでも思ったけどやっぱり素ぽい表情が出てる。役柄になりきれてないというか吉右衛門さんの台詞回しや表情をじっと聞いたり観たりしてるような感じ。覚えようとしてるのかな。

『鞍馬山誉鷹』中村大改め初代中村鷹之資披露狂言
富十郎さんの息子さんに対する親心がひしひしと伝わってきました。70歳差の親子だもんねえ、今出来ることをすべてしてあげたいという気持ちなんだろうなあ。また周囲の役者さんがそれをきちんと盛り立てているのも素敵だ。メンバーが凄い。梅玉さん、仁左衛門丈さん、雀右衛門さん、吉右衛門さんですからねー。

芝居自体もかなり上手く構成された舞台です。景色の紅葉が目にも鮮やかで、鳴り物は華やか、そしてきちんと牛若丸のお話としてストーリーも練られている。立ち回りもかなりの人数を使い、6歳の子供を中心に盛り立てつつ派手に見ごたえある構成。いやあ、これは見事だ。また主役の鷹之資がほんとうによく頑張っていた。きちんと見得を切り、立ち回りのさばきも、三階さんたちが合わせてくれてるにしろきれいに決めた。牛若丸が宙をひらりと舞うところは後見の信二郎さんや三階さんが持ちあげてSFXのよう(笑)。観客みんなでほのぼの。芝居の途中で口上が入る。富十郎さんの真剣な面持ちに胸打たれました。

『連獅子』
高麗屋親子の連獅子は2度目、とはいえ1度目は随分前。その時の印象は連獅子の毛振りの華やかさだけに気を取られ、「綺麗〜、親子だけあって毛振りが揃ってるねえ」という印象程度。その後、色んなペアの連獅子を観て来てそれぞれ踊りの振りも少しづつ違うんだなあと。そのなかではやはり華やかで全ての毛振りがきれいに揃った中村屋親子の三人連獅子が印象に強い。連獅子といえば中村屋親子、というイメージがついたこの演目。今回、高麗屋親子はどういうものを見せるんだろうととても楽しみにしていた。

そして、やられた〜!と思った。ああ、そうか、こういう見せ方をするのかと。高麗屋親子ならではの親獅子と子獅子の物語性が強い演出の連獅子になっていた。親と子の関係性、そして親と子のキャラクターの違いを明快に打ち出していた。踊りのなかでの感情表現が見事で、かなりシンプルな振り付けなのにドラマチック。今の高麗屋親子の関係性の二重写しにも感じられ、なんだかとても胸を打たれてしまった。

前半は幸四郎さんのどっしりとした老成した親獅子と染五郎の若々しいのびやかな子獅子の対比。

幸四郎さんは腰をかなり深く落としてどっしりとした構えでの踊り。親としての威厳が感じられちょっとのそのそと歩く部分が親獅子ぽい。とても丁寧に踊ってらっしゃる。しかしながら踊りとしては染五郎のほうが断然しなやかで美しい。時にふわっと重力を感じさせない軽さをみせ、柔らかく手先まできれいに伸びた美しい形を作る染五郎のほうに目が行くのはいかたなし。それにしても狂言師の姿でありながら人外の雰囲気があり、獅子の親子というのが見て取れるのが見事。

前半では子獅子の崖落としでは幸四郎さんの親獅子の厳しい表情、崖からあがってこず、心配そうに崖を見下ろす表情、そして上がってきた時のうれしそうな表情にぐっと胸が打たれた。「親」だなあと。染五郎のほうは、時にあどけない可愛らしい表情があり、やんちゃな子獅子。なんでこんなに可愛いんだ?というくらい幼い雰囲気もみせる。親を信頼してるって風情にも見えた。崖から落とされて、「なんで落とすの?」「うーん、ちょっと休んじゃえ」と子獅子が花道で休むとこがあるんだけど、座る時がほんとにそんな感じ。花道のそばだったので横顔をまじまじと見つめてしまった。私は染ファンだけど、それでもあれえこんなに綺麗だったけ?と思った。はい、ここ贔屓目ね(笑)

後半、獅子になってからは子獅子の成長ぶりをみせ、親は悠然とそれを見守るという形になっていた。

獅子姿の幸四郎さんは赤の隈取を薄く取っている。「ちょっと年老いた獅子」そう見えた。還暦すぎた63歳、それを意識しての年齢相応の獅子を演じたのかもしれない、そう思った。そして、悠然と自分のペースを決して乱さない毛振り。ゆっくり大きく空気を包みこようなそういう毛振り。そして大きく構え子を見守る。またまっすぐに少し遠くを見つめるかのような目は先の自分の道を見つめてもいるかのようだった。まだまだ自分が信じる道を進む、そういう気概もみえた。

染五郎の獅子は前半のしなやかさ軽さに加え、キレと力強さをみせる。隈取はかなり強めに取り、鋭ささえ感じさせる。前へ前へと進もうとする意志。毛振りはかならず親が終わった後もう一回多く回す。すべてにおいてそうだったので確信犯かな。まだまだ廻したいという気持ちだろうか。花道での毛振りは親と完全に合わせてきた。この親子もここまで揃えられるんだと思うほどきれいに完璧に揃っていた。そして本舞台では毛を前でふるふると揺らし滝のような振りをみせる。この振り付けは初めて見たような?前もやっていた?ここも親子がきれいに揃ってた。親をなぞる、そういう子獅子。

次の毛振りでは子のほうがだんだんと回転を早くしはじめる。勢いよくまわし、親とは好対照。若さある勢いを見せ付ける。そろそろ親をなぞるだけの時期を超えてくる、そんな子獅子。そして今回、最後の最後、染五郎は体勢を変えてきた。斜めを向き、腰を落とさず伸び上がるようにしながらのかなり早い毛振り。子獅子の元気いっぱいの狂乱。親獅子とまったく違うものを見せたことで、親子のキャラクターの違いを明確にした。そして、子も自分の道を歩みだした、そんな風にもみえた。ただそれだけでなく、ちょっとばかり親のほうを向いた姿勢に年老いた親の分も回す、そんな矜持にもみえた。この親子の年齢だからこその連獅子だと、そう思う。しかし伸び上がりながらの斜め毛振りは首に負担がかかりそうだねえ。染ちゃん大丈夫かいな。

と、まあそんな風に解釈させちゃう連獅子でした。私はこの高麗屋親子の連獅子、大好きです。シンプルな振り付けだけに楷書の踊りが気持ちよいし、ドラマチックなのもいい。もうこれは好みなんでしょうが。私の両親も今まで見た連獅子のなかで今回が一番好みだそう。両親はここ数年あまり幸四郎さんを褒めてこなかったのだけど今年になって見直したと言っている。両親は染五郎時代の現幸四郎さんは別格で、50歳代から精彩に欠くようになったと言う(両親は年数回しか観ないのでたまたハズレばかりだった可能性も)。だから元々、芝居のタイプとしては高麗屋さんは好きなんだとは思うけどね。

間狂言の法華僧の玉太郎さん、念仏僧の信二郎さん。この二人も楷書の演技。品を保ちつつ滑稽味をみせる。二人とも台詞が聞きやすい。表情におかしみがあるのは信二郎さんのほう。玉太郎さんよりさすがにちょっと上手だな。今月は信二郎さん大活躍ですね。

『大経師昔暦』
近松門左衛門が大経師の手代の茂兵衛と奥方のおさんが不義密通し、二人を手引きしたお玉とともに処刑された実際の事件を元に脚色した芝居。近松はこの事件を運命のいたずらで思惑が行き違い図らずも悪い方向へ流れさてしまった人々の悲劇として描いています。近松らしい運命論的な物語だなあ。よくよく考えれば物語的にはかなり無理があったりもしますが、善意の持ち主たちが泥沼に陥る過程がうまく描かれ面白い芝居となっている。

前半が少し淡々と進んでしまうのがもったいない。役者陣が硬質な品が持ち味の方が多く、上方狂言の濃厚さが出て無いためと思われる。しかしながら、後半は登場人物たちの思惑が交錯していく様が面白く、また主役二人の表情が真に迫り、見ごたえのあるものになっていました。ラスト、月影に照らされる二人の影が磔にされてるようにみえる演出が見事。

茂兵衛の梅玉さん、容貌と声質がお玉(もてもてな女中)に言い寄られながら歯牙にもかけない堅さがある茂兵衛というキャラにピタリと嵌る。それでいて上方の手代の柔らか味があり、後半の場にはかなりの色気もみせる。しかしながら、あっさりが持ち味の梅玉さん、前半が少々深みがない。客先まわりから帰ってきた時の酔った風情に色気が欲しいし、おさんの頼みを安請け合いをしてしまう短絡さもほとんどみえてこない。もう少し、前半を濃くたっぷりやって欲しかったかな。でも後半のあわてた様子や、絶望に陥ったときにみせた色気でその不満もかなり吹っ飛びましたが。

おさんの時蔵さん、この方は今年になって完全に化けましたね。美しさと艶やかさが増し、そしてなんといっても体と顔の表情が多彩になりました。前半のおさんの世間知らずな奥さんといった風情は可愛げ。旦那がお玉にちょっかいを出していると知った時の怒りの部分も、おっとりとした部分をみせる。でも、それが少々不満な部分にも繋がる。前半にもう少し旦那への情を出してきてくれると後半の不義をした絶望感が生きるんだけどなあ。ただ、最後の場はとても良かった。部屋を飛び出した時の姿では色事の艶かしい色気をみせ、茂兵衛と不義をしてしまったと知った時の絶望した表情にはその哀れさに壮絶な色気が漂っていた。花道引っ込みでの表情がなんともいえず素晴らしいものでした。

助右衛門の歌六さんがいけずな番頭をいやらしさと滑稽味のバランスよく上手さをみせる。

お玉の梅枝くん、可憐。台詞もしっかりこなしているしお女中のしたたかさも垣間見せる。体の表情はまだ硬いが、将来有望な女形になることは間違いなさそう。

旦那の段四郎さん、存在感は抜群だかもう少し中年のいやらしさがあってもいいかも。


2005.11.12

新橋演舞場『児雷也豪傑譚話』3階A席 前列センター

復活狂言にスーパー歌舞伎風味と俳優祭のノリをスパイスとして効かせてみました、という感じでした。躍動感溢れるエンターテイメントを期待していったので不完全燃焼。コミック歌舞伎(by菊之助さん)やらクイックマッサージ(by亀治郎さん)などと例えられていたイメージからしてもっと見せ場見せ場の連続で突っ込みどころ満載なハチャメチャなものかと思っていた…。伝奇ものにしては私の好みからいうと筋通しすぎ、説明しすぎ。(ちなみに伝奇もので好きなのはベタだけど『南総里見八犬伝』とか山田風太郎『魔界転生』『八犬伝』だったりする。んでスーパー歌舞伎の『八犬伝』はまったくもって物足りなかった私ですので普通の人の基準とは少々違うかも。大衆的なのよりカルトに走りそうな作品が好きだし。)

基本ごく普通の復活狂言だ、ということを知っていれば不完全燃焼はしなかったかもしれない。そういう意味では事前情報を入れなさすぎたのが敗因?スピード感溢れるという売り文句だったように思うが私の感覚ではあの演出にスピード感は感じない。ちなみに私のエンターテイメントの基準はハリウッド娯楽大作やら劇団四季やら劇団☆新感線やらなのでかなりすれているとは思う(^^;)。それと引き合いに出すのは違うのかもしれないけど「歌舞伎」という部分でも良し悪し、好き嫌いを別として今年になって野田歌舞伎、串田歌舞伎、松本幸四郎『夢の仲蔵』のスピーディな場面転換を見慣れてしまっていた身に「スピード感」という売り文句は、同じかそれ以上のものを期待させてしまっていた。

しかし今回、場面転換の演出が古典歌舞伎の転換のノリだったということと、お家再興にまつわるお話を丁寧に説明している場が多いという部分で「古典歌舞伎」として観る分には十分なスピーディさだとは思うものの、「斬新」とか「新しい試み」といった部分への期待は満足できなかった。なので場面場面では楽しめた部分は多いのだけど全体的評価としては不完全燃焼ぎみという結果になってしまった。

菊五郎劇団の新作にはまったり感が付き物だということを念頭においてこれから観劇に臨むといたします。たぶん、そこが持ち味でもあるのだろうから。

以下、印象に残ったこと。ネタばれ無しのつもりです。

・全編すべて和楽器で押し通した音楽の使い方は好み。クライマックスでは太鼓のビートがかなり効果的だったと思う。

・大蛇、蝦蟇、蛞蝓の着ぐるみでの戦いはかなり楽しかった。それぞれの特徴を生かした動きが見事。見得をきちんと切るのもポイント高し。

・芝居が動いたと感じさせてくれたのは團蔵さんと芝雀さん。さすが芸達者なベテラン。場の持たせ方が違う。團蔵さんのクセがないコミカルさが逆に妙に印象に残る。芝雀さんの娘姿はおっとり品があって出自が姫なのに納得いく姿。しかもダイエット成功でしょうか、とーっても可愛いんすけど(ツボ)。ちなみにあやめとの児雷也の場が某歌舞伎演目のパロディだとわかった人はどれだけいるのか?知らない人には突然のあやめの行動に面食らうだろうねえ。個人的には芝雀さんの芝居がたっぷり見れて良かったんだけど。

・菊五郎さん、松也さんの成金母娘がおかしすぎ。俳優祭のノリだけど楽しいので私的にALL OKです。特に松也さんのコギャルぷりには目が離せませんでした。あの鏡の使い方ったら見事にコギャル。

・児雷也、弱すぎやしないか?お話的に綱手姫最強というのはいいのですか?

・菊之助さんは立役のほうが活き活きして表情もある。時分の華を非常に感じる。宙乗りでの姿の美しさにはほれぼれ。しかし宙乗りでのスクリーンはいらないでしょう。せっかくの臨場感が消えます。菊ちゃんは女の姿になった途端表情が消えてしまうのはなぜですか?あと受けの芝居の時にも表情が消えがちなのも残念。

・亀治郎さんはどの部分でもひとつひとつ丁寧に芝居をする。動きにメリハリがあり受けの芝居も上手い。今回はかなり控えめに盛り立て役に徹していた感じ。立ち回りで派手にしてくるかと思いきや最初から最後までちゃんと女の子だったのがすごい。剣の扱いが猿之助さんに似てる。今回の綱手姫の化粧は可愛かった。

・松緑さん、今回でつくづくこの人は陽の人だと思った。悪役としての暗い凄みはない。可愛げな愛嬌がのるのだけど今回の役は愛嬌があってもいい役だとも思うので良し。全体的に押し出しがあり大きさが出るようになった。舌足らずは以前よりはだいぶ良くなってきたけど台詞の節回しが単調なのがちょっと残念。大蛇丸に関してもう少し立ち回りの見せ場を作ってあげたらいいのに、と思う。私はこの人のはずむような立ち回りが好きなのでもっと堪能したかった。今回の松緑さんを観て完全陽性のヒーローをやらせてみたら楽しそうと思った。

・ラストの立ち回り、既視感ありありでしかももっとレベルの高いのを見ているので残念ながら感心するまでに至らず。昔ながらの立ち回りにスピード感を出したほうがかえって見ごたえあったのでは?菊五郎劇団の立ち回りの美しさ独自性を感じられなかったのは本当に残念。

・既視感ついでに書けば大薩摩の使い方が『夢の仲蔵 千本桜』と同じだった。が、微妙に役割が違った。転換の間を持たせるために使ったのは同じだが彼らを出すタイミングで随分違うものだ。芝居と同化し、転換の間の繋ぎとしての役割を感じさせなかったのは『夢の仲蔵』のほう。

・最後の最後、もう一芝居あったほうが大蛇丸が浄化された部分を明快に出せたのではないかしら?


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