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2006年 観劇感想 上半期


2006.04.26

サントリーホール『エフゲニー・キーシン ピアノ・リサイタル』D席2階P席

とりあえず、すげ〜が感想(笑)テクニックがとにかく凄いんですよ。また音色の多彩さにビックリ。音がひとつひとつクリアなのに流れるようにひとつにまとまって広がっていく。音色が非常に多彩でさまざまな印象を残す。鋭角な輪郭のある音ではなく強い音でも非常に柔らかで丸みを帯びている。とても繊細なんだけどパワーがありました。また集中度がかなり高くとてつもなく緊張感がある演奏。

情感溢れるといった演奏ではなくて、心の琴線に触れるとかそういうものではないんだけど意識下に何か残す不思議な個性の持ち主。感性で弾くタイプではなく、とても素直で真摯に楽譜に向き合い、表現している風に感じる。超絶テクニックでとてつもなく美しい音色を聴かせる割に自分の感性を表に出すのが苦手そうな不器用そうな感じを音から受けたのだけど、どこか感覚的な部分になんとなくユニークなものを感じる。まだ彼自身の強い個性というものが表に表れていないのだけど。音に投影された生ぽい感じを受けるキーシンの曲の解釈が妙に気になるのよね。それにしてもこれほどのハイレベルな演奏家でこれぞという個性が固まっていないのは珍しいのではないかしら。色がまだ白なのだ。子供のようと言ったら失礼でしょうか。どこか純真すぎるものを感じます。でもどことなく自我の萌芽が感じられた瞬間があったような感覚。私はキーシンさんのCDは聴き込んではいますが生演奏は初です。だからそんなことを言うほど知っちゃいなんですけど、でもね「意識の変容」を感じたんです。あと3〜4年経ってからまたキーシンさんの演奏を聴きたいと思います。

私が何かを感じたのはベートーヴェン『ピアノ・ソナタ第3番 ハ長調 op2-3』。演奏としてはBestな出来と感じるまではいかなかったんです。特に第一楽章は篭った感じで伸びが足りず第二楽章でようやく音が澄んできたもののちょっとテンポの作り方が独特で、何かが違う。私のイメージするベートーヴェンとは少々違うものでした。そしてたぶん、曲想とは違うであろう、非常に混沌とした焦燥感みたいなものとそこから抜けようとする意思みたいなものがうねっているように感じたのです。ひどく不安定な感覚と研ぎ澄まされコントロールされた力。とても気になる印象的な演奏でした。

ベートーヴェン『ピアノ・ソナタ第26番 変ホ長調 op81a「告別」』 はきらびやかで力強く、伸びやかな音が繰り広げられる。ベートーヴェンらしいドラマチックさのなかにどことなく甘さのある素敵な演奏。

ショパン『スケルツォ全4曲』はとにかく真直ぐな演奏で甘さがない。あまりの多彩な音色にただ聴き惚れていました。あまり考える余地なしというかどんな音を繰り出してくるんだろうかと曲を聴いたというより音を聴いたという感じでした。

アンコールはほぼ1時間…。これには本気でビックリ。演奏が凄いので観客は賞賛の意味で拍手を続けただけで、アンコールを要求してたわけじゃないと思うんですよ。私も実際、アンコール曲を期待してたわけじゃないし。キーシンさんは律儀に観客のいる全方向にいちいち向いておじぎをしてくれます。その誠実さの表れなんでしょうか、拍手が続く限りアンコールに応え弾いてしまうという感じが…。それが続くと後半、キーシンさんが何かピアノにとりつかれてしまったかのごとくにみえて、大丈夫なのかなあと思ってしまいました。でも可哀想かなと思いつつ結局私も最後まで拍手し続けちゃいましたけど(^^;)

ベートーヴェン『ピアノ・ソナタ第3番 ハ長調 op2-3』
ベートーヴェン『ピアノ・ソナタ第26番 変ホ長調 op81a「告別」』
ショパン『スケルツォ全4曲』

アンコール曲:
シマノフスキ『エチュード 変ロ短調 op4-3』
ショパン『エチュード 嬰ハ短調 op10-4』
リスト『ハンガリー狂詩曲 第10番』
モーツァルト『トルコ行進曲』
ショパン『ワルツ 第7番 op64-2』
ショパン『小犬のワルツ』
ブラームス『ワルツ 第15番』


2006.04.22-23

御園座『陽春大歌舞伎』2等2階センター/1等席前方センター

4月22日(土)と4月23日(日)の二日連続の鑑賞です。まとめて感想を書きます。

1日目はまずは舞台全体を俯瞰してみたかったので2等席を取りました。2階7列目センターでしたが花道も七三は確実に見え、歌舞伎座2階席より断然観やすかったです。ほぼストレスなし。2日目は奮発して特別席。2列目センターで、前すぎかな?と危惧していたのですが、舞台自体が歌舞伎座より低めに設置されているので首も痛くならず、脇や奥が見切れることもほとんどなくかなりの良席。歌舞伎座で4列目〜5列目あたりのイメージかな。御園座は趣があまりない劇場でしたが見やすさでいえばかなり良い劇場でした。

『梶原平三誉石切』
染五郎が初代播磨屋型の基本で演じる。梶原平三@染五郎は色んな部分で若い梶原でしたが思った以上に素敵でした。きちっと基本の部分を丁寧にしっかり演じつつ、染五郎ならではという部分もあり、とても爽やかでやんちゃな可愛らしさがある梶原。

花道の出がなんとも華やか。立ち姿の背筋のラインがとても美しく、いつもより大きく見えた。いかにも爽やかで品のいい梶原平三。線の太さはないものの無理に作りこむことなく等身大の正義感と知将としての存在感をみせました。染五郎らしい、と思ったのは刀の目利きの場面。見た瞬間に「良い刀だ」と惚れ惚れする様で目をキラキラさせて、いいもん見せてもらってますという表情をしてみせるのだ。いわゆる刀オタクって感じが全身から滲み出ている。そこがなんとも可愛らしく男の可愛らしさがある。二つ堂を試す場での刀を扱う細かい手順の手捌きは丁寧。幸四郎さんや吉右衛門さんのようにメリハリのある手捌きとまではいかないが、集中度が高いので印象を残す。

六郎太夫親子の訴えを聞く場はじっと受けの芝居。ぐっとハラで受けるという部分はいかにも若く、誠実に聞いているという風情はあるもののもう少し心情が滲みだしてくるといいと思う。少々クールな感じを受けてしまったのでもうちょっと濃くてもいい。自分の立場を明かす場ではその若さも悪い方向にはいかず、若さゆえの正義感にもみえて、そのやんちゃさのある愛嬌が色気にも通じていた。石切では気合が入って背中でもきちんと見せていた。ただ、そのあとの「刀も刀」のノリはもっと大きくやってもいいなあ。あそこは大げさにやるくらいのほうが楽しくっていいです。22日拝見の時には「役者も役者」の大向こうがかかりました(ちょいとタイミングが悪かったけど)。

幸四郎さんに習ったのだとは思いますが所々、吉右衛門さんを彷彿させました。友たちは仁左衛門さんにも似ていると言っていました。演じ方は全然違うし、私は幸四郎さん×吉衛門さんミックスプラスアルファ染個性かなとしか思わなかったのですが、確かに凛と背筋が伸びた立ち姿と品のいい色気が仁左衛門さんとダブるところがあったのかなと思いました。

大庭三郎景親@歌六さん、この方は二月歌舞伎座での六郎太夫が非常にいい味を出されていましたが、今回はがらりと変わって悪役。やはり上手い。悪役としての底の浅さがありながら武将としての品と大きさは失わない。主役を立てる控えぶりのなかで存在感を失わずにいる。今回この役だけなのがかなりもったいない。

俣野五郎景久@亀三郎さんは赤っ面が似合い憎々しげな表情をよくつけていた。太くよく出る声が役柄にも合いとても良かったです。目線がたまにちょっとウロウロしがちなのでその部分を極める時に合わせてくるともっといいかな。このところ、亀三郎さんは個性が出てきていい役者さんになってきたなあと思う。

六郎太夫@錦吾さんはいつも通りの手堅い出来。しかし、このところピタッと役にハマることが多かった錦吾さんにしては印象は薄い。気概のある一本筋が通った人物という部分はとても良かったのだが、父としての情愛の部分があまり出ていなかった。梢のことを思う父親としての切なさ優しさをもっと表現してほしかったな。錦吾さんが筋書きでおっしゃっているように六郎太夫という人物を演じるのは難しいんだろうなあ。

梢@高麗蔵さんは楚々としたはしこい娘。とても丁寧に演じていたのだがこの方のすっきりとした持ち味が裏目に出た感じがしました。娘らしい可愛らしさと色気、また父を心配する情の部分などが、もうひとつ足りない。最近の梢は芝雀さんとか福助さんとか濃い情をみせる役者さんで見てきたせいもあり、もっと情の濃い梢を求めてしまう。

余談:二月に歌舞伎座でかけた幸四郎さんの変形バージョン『梶原平三誉石切』が思った以上にかなり演出を変えていたのだとあらためて思った。幸四郎さんのはよりドラマチックに昇華されていたのだなあ。あれは今現在の幸四郎さんの実力&歌六さんの演技力&芝雀さんの健気な可憐さがあってこそのバージョンだった。このあいだの1回きりのバージョンになってしまうのだろうか。ちょっともったいない気がしてきた。

『本朝廿四孝・狐火』
芝雀@八重垣姫がまさしく赤姫らしいおっとりとした品のよさと芯の強さを見せ、また踊りもかなりの頑張りようで非常に良い出来。琴を入れた常磐津の演奏で、構成もこの一場で独立して見せられるようになっておりほぼ新作といっていい舞踊劇でした。30分ほどの短いものですがとても華やかで見せ場もたっぷりあり、これは今後定番演目になっていけるものだと思う。

芝雀さん渾身の出来と言っていいのではないかと思います。八重垣姫としての恋心の切々した心情がまっすぐに伝わり、なんともいじらしくまさしく赤姫としての存在としていました。「翼が欲しい、羽が欲しい、飛んで行きたい」の台詞に切なさと焦燥感と芯の強さと、そういうものが凝縮されておりました。

そして衣装の引き抜き後の狐つきになった瞬間の異の表情には驚かされました。尋常ならざるそのパワーあふれる目つきが素晴らしかったです。

いわゆる踊りとしては決して上出来とまでは言えないのですがそれでも見せるという部分でとてもよく見せていたと思います。手さばきはしなやかでひとつひとつ丁寧で気持ちが込もっています。足さばきのほうが後半少々重さを感じさせてしまう部分があるのが残念でしたがキメの形はとてもきれいでした。立ち回りもとっても頑張っていました。もっともっと踊りこんで当たり役にしていただきたいです。

『勧進帳』
いつも思うけど幸四郎さんが弁慶の時の四天王の動きはいつも際立って素晴らしいです。今回は錦吾さん、高麗蔵さん、亀三郎さん、亀寿さん。気迫十分なのは勿論のこと、揃った時の統率された動きの美しさにはいつも感嘆します。この美しさが観られるのは1階ではなく2階、3階から俯瞰してみたとき。上から見たときにより鮮明にわかります。弁慶一行と富樫一行が対峙する場も美しい絵となります。この緻密な演出に今回もほれぼれ。演奏も素晴らしかったです。『勧進帳』の時って皆さん、いつも以上に気合がはいりますよねえ。

染五郎@富樫、2年前国立で演じた時よりもレベルアップ。突っ込こんでいくだけの富樫だった部分が受ける富樫の部分をみせ演技に緩急がついた。若さゆえの功名心をみせた富樫から、今回は関守としての責任感や人間的な大きさを垣間見せる。前回以上に能史らしいたたずまい。目の化粧法も少し変えてきて鋭さを強調していた目からもう少し素直でまっすぐな眼差しの目。そして背筋がピンの張ったどこまでも真直ぐで若者らしい正義感あふれる富樫。弁慶と対峙する場でやりとりが明快。問答のテンポが今までよりゆっくりめ。探りあいの部分が強調される。また呼び止めの素早さ、鋭さは見事。ちょっと焦った風なのがかえって感情が伝わり良い。また折檻を止める部分での台詞廻しがかなり前回と変えてきた。本気でやめてくれとの必死感がある。梶原平三でも等身大を感じたが、今回の富樫にも等身大という言葉が浮かんだ。まさしく青年の富樫でした。

台詞廻しに関して今回、随分と工夫してきてゆったりと朗々と語ろうとしていたように思う。かなり謡うような感じになり音の強弱・高低の幅が広い台詞廻し。幸四郎さんの弁慶に合わせてきたのだろう。かなり難しそうだ。低めにとる声は響き心地よいが反対に高めにとる声のほうはまだまだ不安定。台詞廻しの芯の部分を捕らえ切れてない感じ。それと受けの部分のところでまだハラに収めるというところが少し足りないかなあ。ミーハー観点から言うととにかくやっぱり綺麗でかっこいい。そしてどこを切り取っても動きが本当に美しい。動きの美しさがこのところ際立ってみえる。しなやかで鋭い。

芝雀さん@義経、この方の義経が素晴らしかったです。今回芝雀さんは気合がいつもと違うような気がするわ。前回、ちょっと子供ぽさがありふわっとした儚さを感じさせたのだけど、今回は武将としてのキリッとした表情がきちんとありつつ、非常に優しい情味溢れる義経でした。弁慶に手を差し伸べる姿、一緒に泣く姿がとても美しく、そして心からの情愛をみせる。なんともいえない良い表情をされるんです。今月、芝雀さんに関しては期待以上のものをみせてもらいました。

幸四郎さん@弁慶。力のこもった弁慶をみせる。声がかなり伸びて、台詞廻しに迫力があった。特に延世の舞は絶品です。2年前の国立の時よりかなり良い出来というか、2年前に比べ、存在感やオーラが凄いことになってました。やはりこのところ調子が良いだけあるなあ。たぶん、久々に歌舞伎にどっぷり浸かっているせいなのではないかしらん?出てきた瞬間、The主役のオーラがビシバシ。幸四郎さんの弁慶は非常にストイックで厳しい。ひたすら真っ向勝負で一瞬の隙もみせない。ただひたすら義経を逃すためだけの1点集中。余裕をみせながらも実は余裕がない弁慶なのかもしれない。一本気で真面目。

がしかし、それだけの厳しい弁慶であるのに手馴れた役のせいか台詞廻しの部分に余裕がありすぎて、命懸けという緊張感があまり伝わってこないのが残念だ。あまりに朗々と謡いすぎ。それだけ台詞廻しの完成度が高いということでもあるのだが。たぶんに染五郎@富樫がまだ対等でない部分も大きいとは思う…。染ちゃんの富樫自体は非常に良い解釈だし、形や動きも良いのだけど。でもまだまだ対等ではないんだよね。

幸四郎さん弁慶で非常に気になる部分が一箇所ある。義経に労をねぎらわれる場で気が逸れているのでは?思う瞬間がたまにあるのだ。毎回じゃないのでその時の気持ちの集中度の違いなんだろうけど。と書いててフト思ったのだが気持ち本位の芝居をする幸四郎さんがあの大事な場で気を逸らすだろうか?もしや、幸四郎さん的には「御前に座してるのだから身支度を整えないと」という気持ちで手が動くのかもしれない。ただ、その仕草が幸四郎弁慶にはどうにもそぐわないのだ。もっとおおらかで愛嬌のある弁慶がやったら気にならない仕草かもしれない。ところが幸四郎さんだと威圧感があるので一瞬どうにも不遜な雰囲気を醸し出してしまうのだ。あそこの部分がないほうがよりよく見えるので気持ち本位でやっていたとしても我慢してほしいなあ。

それにしてもお客さんの期待度がなにやら特別な感じがした。『勧進帳』は人気演目だし、歌舞伎座でも国立でもワッと盛り上がる。でも何かが違う。客席のワクワク度がもっとダイレクトなのだ。幸四郎さん出演の時は中高年のおじ様方が普段の歌舞伎の時より多い。御園座でも普段歌舞伎を観ないおじ様方が奥さんと一緒に来ているなという雰囲気の方が多かった。まさしく幸四郎さんの弁慶を観に、その目的でやって来るのだ。そして弁慶の出の拍手の多さに期待度を感じ、そして引っ込みでの万来の拍手に「観てよかった」との想いが感じられる。引っ込みでの拍手で鳴り物が聞こえなくなるほどの拍手。ここだけ観客が増えたの?と思うばかりのすさまじい拍手の音、音。それを聞いて、なぜ幸四郎さんが弁慶をやり続けるのかわかったような気がした。回数を重ねることが目的ではないと幸四郎さんはおっしゃる。でも、私はちょっと意地悪く、七代目と自分を重ねようと目指しての数字が目的かな?と思ったりしたことがある。でもそれは違うなとわかった。ただ多くの人に『勧進帳』を観てもらいたい、お客さんが観たいと思う限り続けたい、それが表向きの言葉だけでなく本心だろう。そしてあの万来の拍手が聞こえる限り、やり続けるのだろう。あの拍手は役者冥利につきるだろう。役者としてあれが聞きたくてやるんだろうなあ。


2006.04.16

歌舞伎座『六世中村歌右衛門五年祭追善興行 四月大歌舞伎 夜の部』3等A席前方上手寄り

『井伊大老』
短縮版だった。短縮版だと夫婦の情愛のみクローズアップされる。しかし静の方の館の場だけの短縮版より井伊大老の取り巻く政治状況や、正室の昌子と愛妾の静の方の対比をみせるフルヴァージョンのほうが「死」「別れ」の緊迫感のなかでの情愛がより強調されもっと切なくなるのにと思った。

井伊大老の吉右衛門さん、鷹揚とした殿様らしい大きい存在感。過去を振り返りしみじみと述懐する台詞の巧みさ。持ち味を活かした手堅い出来。しかしながら井伊大老としてはもう少し人物像に厳しいものがあってもいいと思う。また「死」への覚悟といったものがあまり滲み出てなかったのが残念。

静の方の魁春さん、楚々とした品のよさで長年連れ添った愛妾として控えめながら直弼一途な可愛らしさを出す。とても丁寧に演じているし、繊細な表情も悪くはないが、ニンとしてはまだ正室の昌子かなあとか少し思いました。

静の方に関して雀右衛門さんと比べるほうが酷だろうなとは思う。連れ添った年月の重み、信頼しあっているからこその深い愛情、また女を忘れない色気と可愛らしさ、そして「死」を予感して覚悟している直弼のことを包み込む優しさ、そんなものすべてが表現されていた雀右衛門さんの静の方は一生忘れられないだろうとあらためて思った。

禅師の富十郎さん、飄々とした雰囲気はなかなかいいがもう少し枯れた味わいもほしいかな。

なんというか、この座組みだとあまり「死」が見えてこないのよね。うーん私的には『井伊大老』は2年前の幸四郎さん・雀右衛門さんの時のが今のところベストだ。

『口上』
歌右衛門さんの5年祭ということで皆さん、思い出話をされていました。又五郎さんがお元気そうでなにより。雀右衛門さんが少々お元気がないのがちょっと気になった。全般的に左團次さん以外は神妙な口上だったかな。その後に新・松江&新・玉太郎の襲名披露。玉太郎くんが元気で可愛らしかったです。

私の歌右衛門さんの思い出話を少し。私は歌右衛門さん生観劇にぎりぎり間に合いました。とはいってもまだ「歌舞伎」を観るという感覚もなく出演する役者の名前もよくわからない、ただ祖母や母に「お芝居」に連れてもらえるというワクワク感で観ていた時期。私にとって歌右衛門さんは色んな意味で「妖怪」でした。風貌の異様さ(としか当時は思えませんでした)、放つオーラは異界の妖気、そして超絶な体の柔らかさしなやかさ、凄かったとしか言いようがありません。観た演目すら覚えてないのですが今でも印象は強烈です。

『時雨西行』
あんまり好みの踊りではありませんでした…。面白みを感じられず。でも梅玉さんの端正な踊りは大好き。今回も品があって爽やか。藤十郎さんはいつもの色気を押さえ気味に丁寧に踊ってらした感じ。菩薩様になった瞬間、ふわっと大きく見えたのがやはりさすがです。しかしいつもより全体的に踊りがちょっと重い感じがしたのですがお疲れ?

『伊勢音頭恋寝刃』
貢は仁左衛門さんが私には一番しっくりくる。品の良い硬さのなかに甘さをみせる。そのバランスが絶妙。端正ななかに柔らかい愛嬌をみせ、そして武士としてのきりっとした部分もみせるまさしく「ぴんとこな」の貢です。それにしても決まりの姿の美しさにはいつもながらほれぼれします。また妖刀に引きずられ人を殺めはじめる時の冷たい狂気の目がなんとも妖しく美しい。仁左衛門さんの風貌の美しさが際立ちます。

時蔵さんのお紺がかなり良かったです。美しさだけでなく存在感が出てきました。貢を思うお紺としての性根が立ち振る舞い、台詞の端々にありとても素敵でした。この方はここ数年で一気に一皮向けた感があります。

梅玉さんのはしこくて鋭さのある喜助もとても良かったです。

期待してた福助さんの万野は作りすぎのような…。非常に攻撃的な万野。前のめりすぎてメリハリが効かない。柄に合う役だと思ったけど、あんなに老けた感じにしないくてもいいと思うし、いつもの可愛らしいネチこさでやればいいのになあと思いました。いつもの色気もほとんど出てなかったですね。もっと年増の色気を出してくるかと思ったのですが…。福助さんにはたぶん、まだ歌右衛門さんや芝翫さんが出す、冷ややかさ底意地の悪さというものが出せないのだと思う。これはやはり年齢や柄や、色んな部分でまだ若いからだと思う。無理せず福助さんの年齢にあった相応の万野像を見つけてほしい。

東蔵さんのお鹿も可愛らしさがちょっと足りないかなあ。やはり作りすぎ。東蔵さんにしては珍しく気負った感じがした。そのせいかきつめなお鹿造詣。

勘太郎さんのお岸は体はでかいけど可愛らしく健気な雰囲気があってなかなか。雰囲気作りが上手いのでしょう。


2006.04.08

国立大劇場『ピナ・バウシュ ヴッパタール舞踊団』S席真ん中上手寄り

『ピナ・バウシュ ヴッパタール舞踊団』、コンテンポラリーダンス鑑賞です。ダンスはクラシックバレエを一時期わりと観ていて、モダンダンスはベジャールのみという鑑賞歴。そんな私にコンテンポラリーダンスが分るのか?とちょっと不安でしたがどうせなら一切知識を入れないで観ようとチラシも読まずに臨みました。そして予想以上にかなり面白く拝見しました。

今回の『ピナ・バウシュ ヴッパタール舞踊団』の演目はピナ・バウシュの初期作品『カフェ・ミュラー』と『春の祭典』。わかるわからない、というものではなく感覚的に非常にストレートに訴えかけてくるダンスでした。不安感、閉塞感、激情、そんなものがドカンと心に訴えかけてきて、気が付かないうちに自分のなかですさまじく頭がフル回転しはじめるのがわかりました。非常に感覚的かつ生理的な部分でまず受け止めてそれを咀嚼しつつ身体表現のエネルギーを受け止めるという感じ。うむむ、ダンスの感想は音楽の感想以上に書くのが難しいですね。でも後日、もう少し詳細感想を書けるといいなと思っています。

しかし、また鑑賞対象が増えちゃた。コンテンポラリーダンスは一度は観てみようくらいでしたがなんと思いっきり自分の好みの範疇だった。文学でいえば境界線系の本という感じかなあ。揺れの幅が大きい。ああ、咀嚼するのが非常に楽しいんですけどっ。


2006.03.26

PARCO劇場『決闘!高田馬場』4回目 千秋楽 中央やや前方寄り

パルコ歌舞伎4回目は大楽。3回目観劇でもやもやがふっきれ、今日は楽しむぞと思い、そして本当に心の底から楽しみました。楽しかった〜!

最初からお祭り騒ぎなるだろうとの予想に反し、始まる5分前から客席は異常な緊張感に包まれていました。あの空気はいったいなんだったんだろう。私まで緊張してしまった。でも芝居がはじまると一気にテンションが上がっていきました。さすがにノリが違う感じ。しかし役者さんたちはほとんど大筋を外れず気合の入った芝居。それでもところどころ、この日だからこそやったんだね、な小ネタも満載でした。

☆おもん@澤村宗之助さん、普段の役のイメージからすると大人しいタイプの役者さんなのかと思っていたのですが意外や意外に弾けられるタイプの役者さんのようです。いかにも長屋のおかみさんの気が強くて、でも心根は優しくて、だらしない旦那にちょっと呆れつつも心底惚れててしまっているおもんがピッタリでした。何気にみせる上目遣いでにら蔵を見つめるお顔が超ラブリー。犬との立ち回りでは最初の頃に比べ、後半はひとつひとつキッチリ見せ場にしてました。またアドリブがきく役者でもあるなあと。私が見た回で印象的だったのは花道代わりの通路で吉右衛門さんを見つけ「あら、ここにも安兵衛さんが」とニンマリと笑いながら通り過ぎていった一場面。これを観て、宗之助さんの亡くなった師匠の柔軟性溢れた演技をされていた宗十郎さんを思い出しました。

千秋楽ネタ: 偽喧嘩のために男に扮装するシーンでいつもいかにもな太い眉毛を付けて演じているのですが今回は髭まで付けてました。このお髭のことは直前まで相手役の高麗蔵さんに内緒にしていたらしく、普段動じない高麗蔵さんが「ぶっ」と思わず吹き出していました(笑)。

☆にら蔵@市川高麗蔵さん、この方のすっきりした風貌と演技が今回のにら蔵にピタッとハマった時、博打打ちで夢ばかり追いかけ、いわゆる甲斐性無しなんだけど根はいいやつな長屋に住む粋な江戸っ子が現れました。ドタバタしていても何気にキレのいい動きときちっとした姿を決めていくんですよね。持ち味が存分に活かされて、この方の世話物をもっと色々見たいなあと思わせてくれました。

千秋楽ネタ: おもん@宗之助さんに対して「この一月、おまえはいつも俺に衝撃を与えてくれたよなあ…」と愚痴ってました。

☆六郎左衛門@松本錦吾さん、武士として、そして安兵衛の叔父としてちょうど良い重量感がありました。無骨にまっすぐ生きてきたんだろうと思わせる六郎左衛門は非常にかっこよかったです。あくまでも真面目に、しかし四角四面ではない情をみせる。そのバランスが絶妙でした。個人的にこの『決闘!高田馬場』という芝居のなかで惚れそうになったのは六郎左衛門でした。後妻にいってもいいわとか…だって剣の腕前は見事だし、女性には優しそうなんだもん(笑)

千秋楽ネタ: まさかやるとは思わなかった。でもさりげなくやっていた。又八が安兵衛の布団を乱暴に敷き、思わず上掛けをばさっと六郎左衛門のほうに投げつけてしまい、それを受け止め又八に返すというシーン。なんとこの日はその布団をさっと避けてました(笑)。そして投げ出されたその布団を後でそーっと引き寄せ又八に返してました。この間(マ)と終始真面目な顔の取り合わせが妙におかしく、笑いを誘っておりました。錦吾さん、何かやりたかったのねっ。また高田馬場での庄左衛門との立会いでは「オラオラ来いや」とばかりに挑発していたのも今回初めて見ました!

☆洪庵先生@坂東橘太郎さん、終始和み系キャラで、ほわっとした存在感。声がね、なんだか良いんですよ。お話してると気が休まる、そういう感じ。藪医者と知りつつ、つい訪ねていってしまいそうな洪庵先生でした。それにしてもあの体の柔らかさは凄いですね。菊五郎劇団でよく拝見してるような気がしますが、これからもっと注目していきたい役者さんになりました。

千秋楽ネタ: やりたかったんでしょうねえ。たぶんやりたくてウズウズしてたんじゃないかなあ。アドリブネタとしては一番インパクトありましたよ!安兵衛に「手首が痛いから診て」と言われ、いつもは足首を診ちゃうという設定なんですが、この日はなんと安兵衛の胸元に手を突っ込み乳首を診ようとしてました。安兵衛@染ちゃん、くすぐられて焦りまくり(笑)またその次の「喉が痛いから診て」ではなんと見立てが「風邪ですな」のはずだったのに「脱腸ですな」に変わってました。「今年の脱腸はタチが悪くて」とか(笑)これには大爆笑。さすがの染ちゃんも切り返しが出来ず目が点状態「薬はもういいや」と立ち去っていきました〜。

☆おウメ@市村萬次郎さん、アクの強いばあさんキャラをなんとも愛らしく演じてくださいました。かなりアクの強い台詞や場面が多いにも関わらず終始「女としての可愛らしさ」の範疇に納めてくる。これはお見事というしかありません。女形だからこそできたおウメ造詣なんじゃないかと思います。それにしてもどこからどうみても長屋のばあさんにしか見えない。特にこの方の独特の声があまりにハマりすぎておウメさんが実在しているような気になってきます。

千秋楽ネタ: 安兵衛におんぶしてもらって医者に行くシーンの最後に舞台上で病気のウメの扮装(普段の着物の上に寝巻きを羽織ってる状態)を安兵衛@染ちゃんに手伝ってもらいながら解くのですが、その時に染ちゃんに「ひと月のあいだどうもありがとうございました」とお礼をおっしゃってました。安兵衛が痺れ薬のため立ち上がれないシーンでは右京に「なんとかせい、年寄りの知恵袋というではないか」と言われ、右京@亀治郎に「歌わなかった人に言われたかないね」と切り返してました!(亀ちゃんは、このシーンの前の人形劇で「パルコ歌舞伎」主題歌を歌ってとねだられ断っていた)。この絶妙なタイミングったらなかった。大爆笑になったのは言うまでもない。本来は「あんよは上手」と囃すシーンでしたが、その後、立ち上がる際の附け打ちがすぐに入ってしまい安兵衛@染ちゃんは自力で立ち上がってました(笑)附け打ちさん、タイミング早過ぎないかぁ?(笑)

勘太郎さん、亀治郎さん、染五郎さんについては24日観劇感想に書いたので簡単に。

☆又八&堀部弥兵衛@中村勘太郎さん、千秋楽でも熱血安兵衛ラブな又八でした。彼は無邪気さだけでなく屈折した表情を随分と上手く見せられるようになりましたね。

千秋楽ネタ: 長屋回想シーンで又八が「これが蓋を開けてみれば果し合いって言うじゃないですかっ」と言わねばならないところ「これがフエを開けてみれば」とか噛んでましたが「噛んでない」「噛んでない!!」と逆切れ。安兵衛に弥兵衛@勘太くんが「婿になってほしい」とお願いするシーンではどんどん頭を下げていくうちに床に体全体がペッタリ張り付いてました。安兵衛@染ちゃんに「何やってるんだ?」と問われ「死んだばあさんに呼ばれたんじゃ」とか何とか。その後、腰曲げながら起き上がると、染ちゃんに「今、腰の伸びてたじゃないかー!」とツッコミ入れられてました。

☆右京&ホリ&庄左衛門@市川亀治郎さん、最後まで120%の前のめりでの力いっぱいの芝居を見せてくれました。いつもどこか計算して芝居をしている感じを受ける亀ちゃんですが今回はたぶん自身の計算を越えてしまった部分があるのではないかと思います。

千秋楽ネタ: 元来が非常に真面目な方なのでしょう、4回拝見して4回ともアドリブをしているという部分は一切なく、しかしその真面目に受け答えしてしまっている部分で笑わせていました。人形劇で勘太くんに歌ってとねだられ「3役もやってる、来月は金毘羅だしもういっぱいいっぱいなんだよっ」と断る姿や庄左衛門で体力の限界とばかりにヘロヘロになっている姿が本当なだけに笑えます。

☆安兵衛&中津川祐範@市川染五郎さん、役を膨らませていくことに関してはやはり独特なところがあるなあ。どんな役であろうと役柄の生き方をどこかしらに滲ませ、そこに染五郎自身の味というものを出せるようになってきたと思う。今回かなり骨太な存在感を出せるようになったかなと思う。千秋楽では座長としての顔がそこここに出ていました。皆が皆、小ネタを炸裂するなかしっかりそれを拾いまくって、芝居の流れに目配りするその姿にちょっと感心してしまった。染ちゃんが座長としての責任をしっかり背負っていたからこそ周囲の皆がノビノビと楽しそうに遊べたのかもしれない。そういう結束の強さがストレートに出ていた千秋楽だった。座長としてもよく頑張ったねと褒めたい(^^)

千秋楽ネタ: 回想シーンでの安兵衛と又八の会話。喧嘩指南と思いきや喧嘩をした後は片付けましょうになっていくのが可笑しいのだけど、ここの会話が微妙にいつも違うので三谷さんオリジナルがどこまでで染ちゃんのアドリブがどこまでなのかが気になる。千秋楽では釘が刺ささってしまい引っこ抜いた目玉話が長かった。「目玉が道に落ちていたら大変だぞ」「「きゃ、どこ観てるのよ又八さん」って大事になっちゃうだろ」なんてことをボソボソと話のだけど、このシュールな会話が染ちゃんと勘太くんの素の会話のようにもみえる(笑)

 

カーテンコールは何度あったかな?途中で数えるのをやめました。鳴物さんたちも自己アピールしてるし、ほんとに皆が皆、楽しみながら頑張っていったんだなあというのが見えました、三谷さんも御簾のなかに紛れ込んで顔を見せてくださいました。染五郎、亀治郎、勘太郎の三人はカーテンコールで早替わりを披露。まさかカーテンコールでやるとは思いませんでした(笑)

染ちゃん:安兵衛→中津川祐範→安兵衛
亀ちゃん:右京→村上庄左衛門→右京
勘太くん:又八→堀部弥兵衛→又八

しかもそれぞれ役に成りきってのご挨拶が笑えました。染ちゃんは中津川祐範の時だけ投げキッスしてるし、亀ちゃんは庄左衛門の時に祐範@染にベッタリくっついてるし、勘太くんも堀部弥兵衛の時はしっかりじじむさーく手を振っていた(笑)

途中、染ちゃんが座長としてご挨拶。全員が一丸となってやりきったというという自負が感じられました。うん、ほんとに皆が皆、素敵だったよ。そして新作歌舞伎の可能性を広げてみせた、そんな予感がしました。


2006.03.24

PARCO劇場『決闘!高田馬場』3回目 真ん中上手寄り

チケットが浮いてしまったとの連絡に何人かに声を掛けたのだが生憎この日程で行ける人が見つからず、すでに3回も行けることになっていたのに思わず「私が引き取ってもいい?」と引き取ってしまった分の観劇Dayでした。実は1回目を観た時に、ちょっと後悔しかけた。これを4回観るのか…と。なぜなら楽しい芝居ではあるのだけど、どこか腑に落ちない脚本に多少ガッカリでもあったから。だけど、染ファンとしては染ちゃんが三谷さんと長年温めてきて実現させた新作歌舞伎、応援しないでなんとする、こうなったら見届けてやる、とそんな想いでもいた。

そして、この3回目の観劇が出来たことに感謝している。2週間ぶりに観て改めて「これは歌舞伎だ」とそういう想いを強くした舞台だったからだ。1回目、2回目を観た時よりはるかに歌舞伎色が強く出ていた。どちらかというと三谷色を強く出し、三谷ワールドと歌舞伎の接着剤の役割であった染五郎と勘太郎が強引に三谷ワールドを歌舞伎の世界に引きずり込んだ結果であったと私にはそう思えた。(千秋楽では少しその部分を三谷ワールドに戻していたような気がする、そういう意味でこの日を観られたのが嬉しい)

主演三人の役割もハッキリみえた。図式にするとこう。

勘太郎(世話物の住人であり町人&三谷世界の住人) 染五郎(世話(町人世界)と時代(武士世界)を行ったりきたり&三谷世界と歌舞伎の世界を行ったり来たり) 亀治郎(時代物の住人であり武士&歌舞伎世界の住人)

上手くハメこんだものだと感心した。そして見事に体現してみせた役者たちにはただ感心するばかり。

私が「これが歌舞伎だ」とそう確信したのは歌舞伎役者でしか表現できない江戸の世界がきちんと見えたから。どこがどう変化したのか、それはもう空気としか表現できないのだけど。三谷ワールドは非常に「今」の世界だ。そのなかに「江戸」の世界しいては歌舞伎の世界を上手くエッセンスとしてmixしていた、と前2回観た時は思った。だが今回は違っていた。『決闘!高田馬場』という舞台上にふわ〜っと江戸の粋が立ち上っていた。テンポは相変わらずいいし、ノリも変わらない。ただ、座組みのチームワークがますます良くなってキャラクターがより明快になり、今時なギャグをしようとも「今」の世界ではない「江戸」の住人によりなっていたことと、また現代劇の台詞回し寄りの勘太郎と染五郎が早い台詞回しのなかに江戸の匂いを感じさせるテンポを持ち込んでいたのが大きいと私には思えた。なんというか、あの芝居に登場しない江戸時代の人々の往来が垣間見えたのだ。舞台が膨らんだ瞬間だった。そしてそれは「物語」に起こったではなく、まさしく「歌舞伎役者」が「歌舞伎役者」としてそこにいた結果だった。それを感じた瞬間、私は素直に彼らに賛辞を送ろうと思った。「物語」に喰い足りないものがあろうとそれを凌駕するものを見せた彼らに。

またドラマとしての広がりも少しだけど見えた。安兵衛@染五郎さんと又八@勘太郎さんの関係性がより結びつきの強いものになっていた。この日この二人の最後の場で今まで右京@亀次郎さんのコメディ部分が強く、笑いが起きていたその瞬間を二人の力技でドラマに持っていった。周囲で泣きはじめている人すらいた(観客のすすり泣きの声は前回は聞かなかった)。私には「泣き」までのカタルシスは残念ながら感じなかったのだけど、それでも又八が命を掛けるほどに安兵衛に期待し求めてたもの、そしてそれを悟った安兵衛の悲痛さは十分に伝わってきた。役に戸惑っていたようにみえた染五郎と勘太郎、この二人が吹っ切れたように役にハマりこんでいたからこそ出来た緊張感のある場だったのだろうと思う。

安兵衛@染五郎さん、表情が非常に良くなっていました。ダメになってしまている安兵衛では薄々自覚しつつ認めたくないその狭間で揺れ動く顔、過去の安兵衛は飄々と優しさをみせながらその優しさをちょっとハスに構えみせる無骨さのある顔、そして本当の意味で走り出した瞬間の決然たる顔と。その豊かな表情すべてのなかになにやら艶やかさ色っぽさがありました。長屋の住人たちは単に恩があるから安兵衛が好きなのではなく、愛すべき人間だから好きなのだろうと、そういう説得力が増していたように思う。基本的に立場関係無く、とても「人」が好きな安兵衛。そしてつい甘えてしまえるだけの信頼を持っていた又八に裏切られたと知った瞬間の激情もようやくわかったような気もした。

*愚痴を書くまいと思ったのだけど「武士」として「剣の道」を生きることを怖がった「己自身に負けていた」安兵衛をもっときちんと描いてほしかったと、やはり思ってしまう…。そしてその安兵衛に対する又八の想いも。この二人の友情のあり方がキーポイントだと思うんだけどなあああ。

中津川祐範@染五郎さんはますますキモくなっていました(笑)<褒めてます。あの微妙な足運びどうやってるんだろう?安兵衛でハジけられない分、こちらで発散していますという感じ。にしても祐範だけでなく友人の村上庄左衛門、中津川道場門下生の面々もゲイなんだよね。なぜにゲイ設定にしたんだろう?面白いからだけかな?武士の間で衆道は普通にあった時代というのも一応考えてたりしたのかな?三谷さん、新撰組ではあえて外したネタなのにね。ま、天下のNHKじゃ無理そうだけどな(笑)

又八@勘太郎さんも表情が豊かになっていた。無邪気なまでの素直さで安兵衛を慕い、だからこそ落ちぶれてしまった安兵衛に歯がゆい気持ちを抱いている、そんな又八でした。安兵衛に向ける又八の想いって「愛」だよなーって思う。思う気持ちが強いほど憎しみにもなり、でも愛しているものの本当の姿を見たい気持ちも捨てられない。安兵衛しか見えてない、だからこそ自分の命だけでなく周囲の命すら、安兵衛にかけてしまったんだと、今回はそれがよくわかった。勘太郎くんの熱演がそのまま又八の熱い気持ちと重なった。にしても安兵衛と又八の長屋での1シーンは微妙にシュールな空間となる。この二人でしか出せない密な空間になる。何か共通するものがあるんだろうなと思うんだけど、それが何かはわからない(笑)

堀部弥兵衛@勘太郎さんは完全に遊んでますね。どうやったら観客、(いや染ちゃんと亀ちゃんを、かも)笑わせようかとあの手この手をつくしてる。この日は父親と野田秀樹氏(この日観劇)を「チビのくせにうるさいんだよ」とのたまい、ホリにベチっと叩かれて「星三つです!」と堺正章氏(この日観劇)のマネをしておりました(笑)

小野寺右京@亀治郎さん。右京はやはり立場的に「庶民のヒーロー、安兵衛」の運命をつかさどる存在として三谷さん視点を請け負っているキャラクターかなあと思いました。亀治郎さん自身の演技は変化することはないだろうと思ってその通りではあったんだけど、それでもいい具合に肩の力が抜けて伸び伸びと自分の役割を楽しそうに演じているなあと観ていてちょっとほのぼのしてしまった。最初は猿之助さんに似てると思った台詞回しだけど、肩の力が抜けた分、お父様の段四郎さんに似てるなと今回思いました。

ホリちゃんは、とにかく女性からみて強力キャラだと思う。「後つけちゃった〜(るん)」とか言い方がほんとに可愛い。声が戻ってなかったのが本当に残念だ。ホリは亀ちゃんの声の調子が良い時のほうがより弾けてて可愛らしかったです<後半に観た方々。

庄左衛門は完全に捨ててましたね(笑)。亀ちゃん休憩ターイム。その投げやりな姿がかえって笑えました。この部分で相当、染ちゃんに頼っているのがみえた。染ちゃん、フォローするのに必死(笑)。というか染があまりにごく普通にさらりと演技続行するんでわからなかったけど、どう考えても疲れ具合は同じだろう…。何かの雑誌で亀ちゃんが「全面的に染五郎さんを頼り切っています」と言っていたのはこのことだったか〜(笑)


2006.03.19

歌舞伎座『十三代目片岡仁左衛門十三回忌追善 三月大歌舞伎 夜の部』3等A席前方上手寄り

簡略版。後日詳細感想を書く予定。

『近頃河原の達引 お俊 伝兵衛』
ストーリー自体はさほど面白いものではないと思うのだけど、役者がそれぞれニンにぴったり合っていい味わいの芝居になっていた。我童さんがかなり良かったですね。朴訥して、人柄が滲み出るような、肉親への情のあり方が素晴らしい。秀太郎さんはひさびさに娘役を拝見しましたが独特の色気があってピッタリ。藤十郎はさんは出るだけで濃密な空間を作りやはりさすが。

『二人椀久』
富十郎さんが若々しく当たり役を踊りさすが。菊之助さんはとにかく綺麗。かなり体の作り方が上手くなってきていました。でも雀右衛門さんの姿を舞台に探してしまう私がいました…。あの濃厚な情を感じさせた『二人椀久』はもう観られないのでしょうか…。

『水天宮利生深川 筆屋幸兵衛』
いわゆるザンギリもの。明治という時代にうまくのっていけない元武士の家族の悲劇。子役の健気さも手伝い、暗い話ではあるが無理矢理なハッピーエンドが良しとなる。狂いの場での水天宮にまつわるさりげない趣向(「船弁慶」など)は黙阿弥らしい。時代に取り残された男を幸四郎さんは現在にも通じる悲劇としてとらえ、リアルな人物造詣をしてみせる。だが幸四郎さんはあまり暗く重い物語に見せたくなかったのか心中を決意する場はとてもよかったのに、結局子供を殺せず狂気に陥る場を軽く大仰にみせてなんとなく中途半端。いつものようにスコンと深刻に狂気に陥ったほうが幸四郎さんには合う。狂気に笑いに含ませるのは難しい。それにしても、この話は今の世の中に置いても違和感のない物語ではある。黙阿弥の時代性は「今」でも違和感を感じさせないものがある。しかしながら明治という時代をみせる芝居としては通しでやったほうが面白そうだなとも思った。なぜこの場だけ残ったのかなあ。


2006.03.18

歌舞伎座『十三代目片岡仁左衛門十三回忌追善 三月大歌舞伎 昼の部』3等A席中央

簡略版。後日詳細感想を書く予定。

『吉例寿曽我』
大掛かりな舞台装置の面白さもあり役者も若手〜中堅が揃ってのThe歌舞伎的演目。いかにもな古風な雰囲気がいい。だんまりでは芝雀さんにターゲットオン。大磯の虎がすっかり持ち役になった感がある。それだけの格を見せ、しなやかな色気をみせる。それだけで満足。

『義経千本桜』「吉野山」
意外な拾い物といったところ。正直なところ幸四郎さんの忠信は吉右衛門さん(巡業公演で拝見している)以上にニンじゃないだろうとまったく期待していなかった。でやっぱり、踊りはさほど上手いわけではないし、狐らしい柔らかさもない、愛嬌もないし色気もないし…(ひどい言い様だなっ…をい)。しかし『吉野山』の場を物語ることに重点を置き、静御前との主従関係としての忠信としての役割をきちんとわきまえシンプルに表現し想像していたより良い出来。それになんといってもキメの時の形がやはり見事。踊りがさほど上手くない(失礼!)のにきちんと見せることができるのはこの姿形の美しさがあるからだろう。また福助さんの静御前が美しさとともに白拍子としての色気がいかんなく発揮されなんとも華やかな場になった。

『菅原伝授手習鑑』「道明寺」
昼の部一番の目当てでした。前回通しで観た時にかなり面白く拝見していたのでとても期待していたのだけど今回は役者が揃っていたわりに全体的にちょっと薄味。仁左衛門さん、前回のほうが良かったような気がする…。芝翫さんもちょっと調子が良くなさそうで、いつものたっぷりした濃厚なオーラが薄めだったし…。この場だけ上演するのは難しいのかなあ。うーん、うーん。


2006.03.12

PARCO劇場『決闘!高田馬場』 2回目 前方真ん中

PARCO歌舞伎『決闘!高田馬場』2回目です。やっぱりとりあえず楽しいんですよ。2時間15分、舞台とともに疾走する感じがあります。エンターテイメントとしてかなり上等の部類にはいる芝居だと思う。何より、主役から脇役に到るまで、また裏方の皆も活き活きとやっている、それこそ全力疾走しているその姿を見るだけでもうワクワクし、応援したくなる。「芝居」を作り上げることが好きで、脇にも裏方にも愛着をもって接する三谷さんならではの舞台であろうと思う。そして歌舞伎ファンに美味しい演出と三谷ファンに美味しい味付けをし、とにかく観客を楽しませよう、そういうノリの舞台。だからもう場面、場面を楽しめばいいんだろうと思う。そういう部分では本当に楽しく見られるものになっている。

今回、前回拝見した時より役者さんたちもかなりメリハリが出てきたし、演出もだいぶ整理されてきた。

■演出面が整理されてきた。

・長屋の住人の安兵衛とのエピソード部分が少しタイトになり、ダレ場が減った。

・黒子が出していた障害物を中川道場の面々が出していた。安兵衛たちを邪魔しているものたちの存在がここでもアピールできていて良い変更だと思う。

・幕切れの安兵衛の見せ場の間を少したっぷり取り、印象的に見えるようになっていた。

■役者

染五郎さん、安兵衛にかなり表情に深みが出てきた。単なるダメ男ではない、何かを捨ててしまった哀しさがみえていた。ただ、その安兵衛の想いを拾い出す脚本ではない部分で後半それを活かすことが出来ないでいるのがやはり残念ではある。ただ、それでも愛すべき安兵衛としての存在を飄々と軽やかにてらいなく演じきっている。とことんダメな存在になってしまっても愛すべきものがある、そういう雰囲気がきちんとあるからこそ、多少齟齬のあるキャラクターでも英雄としての運命をもつべき人物として納得させてしまうのだと思う。体のキレが前回より良く、見事なトンボを切っていた。走る姿もますます美しくなっており、またラストの走りの時の表情は本当に良い表情をしていた。先へただ向かうその目がひたすら神々しいまで澄んでいた。名乗りをあげたその瞬間はただひたすらかっこよかった。

中津川祐範のほうは楽しそう。安兵衛と対照的な部分でメリハリが利いてきたので早変わりが効果的。かなり濃いキャラになってきてインパクトが出来てきていました。

勘太郎さんは一生懸命。その一生懸命さが又八というキャラに合っていてとても良いのだけど、安兵衛に対する気持ちの揺れの部分がどうもまだ上手くハマってこない。これは脚本が荒すぎるので求めるのが酷なんだろうと思うけど、後半単に投げやりになって思考停止に陥ってしまった又八になってしまっている。ようやく、心の揺れを出す場では右京に邪魔されるしね…。この場、右京は笑いに走るべきではないと思うんだけどなあ。又八最後の真剣な場が真剣な場として受け止められない人も何人かいた。笑うシーンじゃないよね?なところで笑いが起こるのは直前まで笑わせるシーンを持ってきてるからではないかしら。前半の回想シーンでの安兵衛と又八のじゃれあっているかのような間柄のほのぼのさが良いだけに、もう少しなんとかできないかなあと思う。

亀治郎さんはやはり三役ともキャラ立ちしている。基礎がしっかりしているうえで、「見せる」という部分をきちんと意識してやれる。これはかなりすごいことだと思う。特に右京は120%、とにかく全力を出し尽くして前のめりになりながら演じているように思う。しかし右京が熱演のあまりヘタするとウザキャラ一歩手前まできているのは三谷さん的にOKなんだろうか?。歌舞伎的要素の体現が彼にかかっているのだけど、あれ以上いくとパロディになりかねない不安がある。コメディとしてのキャラとしては十分機能しすぎなくらい。この右京、立ち位置が「作者・三谷」の立ち位置なんではないかと思ってきた。「運命(物語)」を支配する立場。うーん、さすがに穿ちすぎかも。

今回はホリと庄左衛門は少々息切れ状態。亀ちゃん大丈夫かな?ホリは声がかなりきつそうで、はじけっぷりが少し大人しくなってしまっていた。前回のほうが良かったなあ。早く声が治るといいですね。

庄左衛門のほうは完全に素の亀ちゃんが出ていたよ。ぜーはーぜーはーと酸素不足で台詞が飛んでしまったらしく、なんと対決相手の菅野六郎左衛門@錦吾さんに「すいません、本当に何を言うか台詞を忘れてしまいました」とか謝ってました(笑)。ここまでボロボロな亀ちゃんを見たら応援するきゃないでしょう。

対する錦吾さんはまったく動じず、そのまま芝居続行。染ちゃんもさりげなくフォロー。高麗屋さんはこういうハプニングにほんとに強い(笑)にしてもやはり菅野六郎左衛門@錦吾さんの存在は見事だと思う。唯一、キャラ立ちはしていない役柄なのだけど、ピシッと締める役割として素晴らしい仕事をしている。

にら蔵@高麗蔵さん、おもん@宗之助さんがだいぶメリハリが出てきて、上手くキャラクターにハマってきていた。見せ場をきちんと見せ場にできているように思う。

おウメ@萬次郎さんはますます可愛らしい婆さんになっていた。いくつになっても女らしい気持ちを忘れない、ステキな女性だ。女形さんの愛らしさって、本当に独特なものがある。いやらしくない可愛さなんだよねえ。

あと、中津川門下生をやっている皆さんが、もうあちこちでやっぱり大活躍。なにげにやっぱり走り回っています。ワンちゃんたちにまでなっちゃうわ、背中踏まれるわ、下手から上手からわらわらと出ては入り出ては入り。そのなかでは乙女系男子を受け持ってる坂東翔太さんが美味しすぎます。

■でもやっぱり注文をつけたくなる私…。

前回3/3(金)に拝見した時に「物足りなさ」が残りました。そしてそれがどこにあるのか、その大部分が脚本の部分に対してということがわかっていたので、割り切って楽しもうとも思っていました。だからとにかく笑って拍手して楽しみました。だけどやはり、もうこれは私の性分としかいいようがないけど、ストーリーがわかっているだけに「どの部分が足りなくて、私としてはこうして欲しかったか」がやっぱり次々と浮かんできてしまう。どうしても「人間同士の濃いドラマ」を求めてしまうんですよ。 染ちゃんが安兵衛というキャラに膨らみを持たせてきた分、かえって脚本の人物掘り下げの部分が足りないことが明確になっていたかなと…。

前回、安兵衛はヘラヘラと酔っ払って人として落ちぶれた姿をさらしているその姿が安兵衛そのままの姿でしかなかったのだが、今回は、自分を見失い、酔うことで自分を誤魔化し、その弱さを自覚している哀しい人間、という部分が滲み出てきていた。しかしながらなぜそうなるに至ったかの心情は描かれず、また自身の弱さを指摘され、自身を正面から見つめていく、そんな部分も描かれない。弱さから這い上がろうとする人間的成長を垣間見せる部分もなく、根底にあるはずの人に優しくできる気骨ある人間として周囲の人間へ対する想いも語る場所もない。すべて一方的に「あなたはこういう人だ」「おまえはこうあるべき」「こうあらねばならぬ」と言われ、ただそのなかに身を投じるしかない。自身が納得しないうちに、走り出す。これでは安兵衛というキャラクターに感情移入することができない。

前回は又八と安兵衛との関係性と右京と安兵衛の関係性が深くあらねばならないのでは?と書いたのだが、実はちょっと違うかもしれないと思った。

今回観て右京と安兵衛の関係性はあまり必要ではなく、又八と安兵衛の関係性、そして叔父の六郎左衛門との関係性が深くなければいけなかったのではないかと思った。なぜ高田馬場へ向かわねばならないのか、そこのモチベーションの部分で叔父との関係が必要であろう。安兵衛の叔父への思いがあり、そして、又八の安兵衛への思いがあってこそ「高田馬場」へ向かう意味付けがなされる。その部分がすっかり抜け落ちている。

安兵衛の叔父への思い。叔父は安兵衛を息子のように思い、心配している。そこが語られるのに、安兵衛は叔父のことをどう思っているのかが語られない。「叔父のために」その部分をきちんと見せる場があれば、ただ「運命に翻弄」されるだけの記号としての安兵衛ではなく、「人間」としての安兵衛が立ち上がってくると思うのだけどなあ。

又八の安兵衛への思い、という部分でも又八の安兵衛に対する心情が描ききれていない。そのため気持ちの変化がどこで、どう起こったのかが見えてこず、どう悩み何を思ってきたのかが見えない。だから又八と安兵衛の最後の会話に説得力が出てこない。「男気のある武士としての安兵衛」を何が何でも見たかったと起こした行動なのであれば、長屋の住人を危険な場所に置いて引っ張っていくのは右京ではなく又八のほうであれば良かったのではないだろうか。さすれば、まだ説得力が出たような気がする。

右京の役回りは「友人」としてではなく「庶民のヒーロー、安兵衛」の運命をつかさどる存在。「安兵衛」を英雄に祭り上げるための存在。ドラマに割って入り、「人間」としての安兵衛を許さない。あるべき存在として虚像を作り上げる。だから大事なところで割って入ってくるのだ。

長屋の住人たち、「安兵衛」を触媒にした「自分探し」。なぜ安兵衛を応援するのか、彼のためではなく自分の生き方を探すため。安兵衛のために死ぬのではなく自分の行き先を定め満足のために死んでいく。だから安兵衛の後押しをするモチベーションにそれほど関わってこないようにみえるのはそのせいかなあ。


2006.03.05

日生劇場『夏ノ夜ノ夢』 B席前方下手寄り

日生劇場に『夏ノ夜ノ夢』初日を観にいきました。面白くないわけじゃないけどわくわくもしなかった…。ラスト以外は作りとしては悪くはなかったと思うのだけど、芝居ができている人が少なかった。それゆえに今回、あらためて歌舞伎役者っていうのは地力があるんだと思い知らされた。きちんと伝えることができていたのは松緑さんだった。台詞廻しは相変わらず舌足らず炸裂ぎみでしたが、一番伝わってきたよ。体が重量級という部分を抜かしても存在感も一番あった。キャラ的には私が期待した陽性キャラではなかったのがとてつもなく残念。おちゃめさとかはずむような軽やかさとか、そんなのものを出したほうが楽しいものになったんじゃないかなあ。脚色と演出との両方が松緑さんに陽性キャラを求めてはいなかった。あまり妖精らしからぬ等身大の青年ちっくなパックでした。

全体的なことをいえばメリハリがほとんど無く、とにかく長く感じた。原作がどうのというより、演出と脚色と役者の力とのバランスで冗長散漫になったような気がする。

演出と脚色は、中途半端。何を描きたかったのか。「エロス」と「人間界と異界の境界線」といったところであろうか。やりたいことはなんとなくはわかったのだけど、大劇場での商業演劇という枠組みのなかでやり切れなかったのだろう、それは薄められ何もかもが中途半端。おかげで原作の錯綜する物語の面白さも薄められ、喜劇としての面白味も失われてしまった。骨格はそのまま使っているので、なんだかんだと物語性は失われていないという部分で「面白くない」とまではいかない。ところどこは楽しい。でも結局その楽しい部分は力がある役者が舞台の上にいた時のみという…。

異界への畏敬が失われた人間界へのメッセージがラストにあるのだけど、どうして言葉で語らせるかね。なぜ「物語」のなかにそれを生み出せないのか。ラストの処理は安易すぎてかなりがっかり。祭の場だけで十分。妖精パックを妖精王と人間の女性の間に生まれたあいの子、という設定にしているのだけど、これがうまく機能していない。

役者のなかでよかったのはまずはパック役の松緑さん。一番脚色されたキャラクターではあるが、その等身大の青年としての存在と、どこにいても浮いてしまう存在としてきちんと伝えるべきものを伝えていた。ただ、このキャラクターは松緑さんの良さをそれほど伝えてはいない。お茶目でいたずらっ子で終始軽口を叩く、そんなキャラのほうが似合ったと思う。

オーベロン役の村井国夫も存在感があった。舞台での居場所をよくわかっているという感じがした。感情のメリハリもいい。

タイターニア役の床嶋佳子さんはエロスを醸し出す女王として存在していた。身のこなしも美しく魅力的でした。 TVで見る顔とはまったく違いました。地力がある女優さんだと思いました。

上記三人だけかな、あの大きい舞台できちんと芝居を見せてくれたのは。あとはクィンス@住田隆とボトム@マイケル 富岡の二人を含む村の劇団青年たちはなかなか頑張っていた。でも皆が揃って、ようやく場を持たせるという感じ。ラストの見せ場でも最初はいいんだけど段々、冗漫な感じになっていく。間のメリハリが足りないというか…。

まあ、単独で言及できるのはこのくらいかなあ。

本来、主役にならなければいけない四人組はTVでは決して悪くないキャラクターたちだと思うのだけど、大きい舞台でやる芝居にはまったくなっていなかった。脇役だったら、こんなに酷評しないのだけど物語を転がしていかなければいけない立場ということを考えたら力不足は否めません。台詞をただしゃべればいいってもんじゃない。叫べばいいってもんじゃない。この実力を身近でみている演出家と脚色家、もっとなんとか考えてあげればよかったにとさえ思った。それなりの見せ方があるんじゃないのかなー。シンプルな芝居は実力がないと無理でしょう。


2006.03.03

PARCO劇場『決闘!高田馬場』 前方上手

今回はネタばれをせずに感想を書きました。たぶんかなりわかりずらい感想になっていると思いますが自分的メモなのでご容赦を。

一、観た直後の全体的な感想

一言でいえば面白かった。思っていた以上にいかにも三谷さんらしい群像劇でした。主役の安兵衛は狂言廻しとしての存在。安兵衛を取り巻く人々の物語でありました。三谷さん本人が「脚本で勝負」と言うだけあってやっつけ?(稽古しながら書いてたらしいですから(笑))とは思えない緻密さがありました。個人的にはもう少し練る余地ありとも思いましたが新作ということを考えたらかなりの出来じゃないかな。演出のほうは正攻法と小劇場的なものを上手くmixした感じ。前半はかなりいい感じ進むのですが後半はもう少しメリハリがほしいかなあ。メリハリがつけばもっと盛り上がるだろうなと思いました。スピード感を出したいのはわかるけど、好みからするともう少し溜めの部分が欲しい。まあ多分やりながら少しづつこなれていくとは思いますが。とか、どうしても演出部分が気になってしょうがない私でした(笑)

歌舞伎としてはいわゆる歌舞伎の世話物として一環した雰囲気があったと思います。役者の力と音の力が大きかったかなと思いました。PARCO劇場というキャパならではの面白さもありましたが、きちんとした花道があればなあと思うシーンがいくつかあったのでもっと大きい小屋で観たいなあと思ってみたりも。十分歌舞伎座でかけられる脚本だと思いました。

二、役者のこと

配役:
中山安兵衛・中津川祐範…市川染五郎
小野寺右京・堀部ホリ・村上庄左衛門…市川亀治郎
又八・堀部弥兵衛…中村勘太郎
おウメ…市村萬次郎  
にら蔵…市川高麗蔵
おもん…沢村宗之助  
洪庵先生…坂東橘太郎  
菅野六郎左衛門…松本錦吾  

ベテランが伊達にベテランでないことを改めて感じ入る。若手は良い意味でも悪い意味でも浮き足立っていたのだがそこに重石としての存在感をみせ場を締める。

安兵衛@染五郎さん、狂言回し的役柄で終始受けの芝居をしなければいけない安兵衛というキャラクターにまだ入り込めていない感じがある。手探り状態。感情の振幅を出せないキャラクターなので感情の揺れを見せる部分が得意な染五郎の持ち味を生かすことができない。なので染ちゃんへのアテガキのわりにかなり冒険的。ダメ浪人〜優しき男〜優しさゆえの弱さ〜運命に走らされる男〜英雄。その変遷をどこまで割り切ってやるか、もしくはどこまで幅を広げて演じるか。どの方向へ行くかはまだ見えない。最後の幕切れ、案外に英雄的オーラは見せていた。台詞回しの間がテンポを早くしようとして良いリズムに乗れてないような気がする。先を急ぎすぎ。落ち着いていきましょう(笑)

中津川祐範@染五郎、スパイスとしての役柄だがこちらのほうが活き活きとしている。マゼンダ色の着物が似合い、ゲイ系オーラを醸し出すに違和感ない(大笑)。それはいいことなのか?おい(大笑)。そっち系キャラが似合うなあああ。『アオドクロ』の天魔王さまも両刀使いぽかったし…。

小野寺右京@亀治郎さん。亀治郎さんは三役ともほぼ100%に近い出来上がりのように思える。右京役に関しては猿之助さんソックリで驚いた。ええっ?似せてるの?それともつい似ちゃったの?台詞回しがもう猿之助さんにダブりまくり。場の空気が読めないというキャラクターを大仰に作りこみ笑いを誘う。非常にメリハリがあり、見せ場を見事にさらっていく。安兵衛との関係性で、最後の安兵衛との場でほんの少し迷いがみえた。友人としているべきか、運命へと押し出す道化的位置にいるべきか。

堀部ホリ@亀治郎さんは『十二夜』の麻阿の発展系。一途すぎて恐いお嬢様。素敵すぎ。亀ちゃんしかできない女形造詣かも。恐いのに可愛い(笑)

村上庄左衛門@亀治郎さん。息も絶え絶えのいっぱいいっぱいの亀ちゃんが見られる。この芝居じゃないと見れないかも。計算しつくす亀ちゃんの思惑を超えた表情が出てくる可能性大な美味しいキャラ。

又八@勘太郎さん、やっぱりこの人は上手いなと思う。でもまだこなれていない。又八の心情を捉え切れていない。後半の又八の立ち位置を表現しきれてない感じ。ここは脚本の荒さに原因があると思う。安兵衛と又八の関係性の深さをもっと描いてほしかった。他の住人とは違う深さがないといけないのではないかしら。ただ、いつも思うが染五郎と勘太郎の相性はとてもいい。二人並んでいるだけで親密な空気が流れる。脚本の荒さはその空気感に多少助けられている部分があった。後半、こなれてくると深さが出てくるかもしれない。役柄的には『新選組!』の平助そのままで意外性がなかったかなあ。ところどころ、勘三郎さんにそっくりだった。血だねえ。

堀部弥兵衛@勘太郎さんはわけのわからなさが良かった(笑)パワフルじーちゃん。変人としか思えないキャラなのだけど飄々とした感じがあるのは勘太郎くんならではかも。

おウメ@萬次郎さん、見事に世話物での長屋のおかみさんだった。その味わいを逸脱することなくはじけたキャラクターを可愛らしく演じていた。美味しいキャラをきちんと美味しくしてみせる力量。また、歌舞伎役者としての意地みたいなのも感じた。

菅野六郎左衛門@錦吾さん、唯一ごく普通のキャラクターなのだが締める存在としてきっちりいた。しかも菅野六郎左衛門として自然な味わい。佇まいといい、叔父として気遣う優しさが滲み出る台詞といい、先月『一谷嫩軍記』で平山をやっていた人物は思えない。お見事。

にら蔵@高麗蔵さん、おもん@宗之助さんはかっちり演じているという範囲。メリハリがもう少し欲しいかな。にら蔵&おもん夫婦はかなりキャラ立ちしているので、その部分をもっと押し出してもいい。見せ場がありすぎてかえって丁寧にやろうという意識が先にたっている感じかも。特に宗之助さんは立ち回りの部分を「おいらが主役」気分でやってくださいまし。

洪庵先生@橘太郎さん、長屋でのスパイス的存在。とぼけた感じがいい。

三、落ち着いてから、思ったこと。

「面白かった」その感情しか残らない。後をひかない。感覚的な面白さ。あるがままを受け入れるだけ。余韻が残らない。思考を刺激されない。

安兵衛は『義経千本桜』の義経的役割。安兵衛自身の本質は語られない。運命が決定事項ゆえ人々が見聞きした安兵衛でしかない。象徴であり記号。いわゆる英雄譚。

物語としては前半世話物、後半時代物へ移行というようにも取れる。物語的な部分で「歌舞伎らしい造詣」に思えた。計算でか、たまたまか?

箱庭的物語。

みどり狂言的。前後が無い。

祝祭的芝居。

安兵衛からの視点は一切なし。よって見せ場がない。いわゆる芝居のしどころを封印されている。

安兵衛を取り巻く人々の思いが主眼。生き方の模索。長屋連中と安兵衛と精神的な関係性は実は薄い。

右京、又八は安兵衛との関係性は深くあるべきだろうがそこが今回、荒すぎてほとんど洩れている。

心情の拾い出しがネタに走りすぎ見えてこない。

死への扱い。捨て駒。すべてを捨てて神になる。まさしく英雄譚。

人形は可愛いが語られる言葉が表面的になってしまってそこにある感情が伝わらない。すでにある「物語」のなかでの物語でしかない。

文楽のありかた。物語を物語として伝える。そこが面白い。自己投影もしやすい。

歌舞伎は「役者」を介するために役者の感情、解釈が入る余地がある。その余地を広げるか広げないか。観客と役者の感情のぶつかりあいがでる。

四、独り言:「物足りなさの原因」

私が求めた部分にある。私は歌舞伎に単に「物語」のみを求めていないらしい。役者を介した時点で役者の解釈(感情)を求める。行間を読みたいタイプ。解釈を膨らますことに楽しさを感じる。今回の芝居のキャラクターに深みはなかった。感情のぶつかりあいをあえて外してあるような物語だった。そこが物足りない。たぶん本来の「歌舞伎」に求てはいけないものを求めているのかもしれない。私にとっての娯楽って何だろう?


2006.02.26

国立小劇場『二月文楽公演 第三部』 1等真ん中

『天網島時雨炬燵』「河庄の段」「天満紙屋内の段」
近松の「心中天網島」の改作バージョンだそう。「河庄」は歌舞伎で鴈治郎さんで観ていますが後半の話は知らなかった。治兵衛の性格に納得がいきません…。第三部は床が揃っていると聞いていたので楽しみにしていましたが、皆さん迫力があって素晴らしかったです。人形のほうは蓑助さんが格の違いみせた感じ。ラストの心中のリアルさにかなり驚きました。ああいう無様な死に方も見せるですね〜。

「河庄の段」
つい最近、鴈治郎さんと雀右衛門さんの歌舞伎で観ているのですんなり話に入れた。しかし治兵衛ってほんとダメ男だよなあ。この話はダメ男に惚れた女の悲劇って感じもする…。

この段はなんといっても住太夫さんの語りが素晴らしかった。個々のキャラクターの心情がストレートに伝わってくるんですよね。それぞれの語り分けが見事で情景が膨らんでくる。でも声質的には時代もののほうがより住太夫さんの魅力が出るような気もしました。前回の寺子屋が印象に残りすぎかも。

紙屋治兵衛@桐竹勘十郎さんはダメ男ぶりがなかなか。憔悴しきった様子など見てて哀れを催す(笑)もう少し柔らかい色気があるといいなあ。

紀の国屋小春@吉田和生さんは楚々して可愛らしい。が、ちょっと色気不足で存在感も足りないような。和生さんは素直なお姫様系は結構、良いなあと思っていたんだけど、こういう役は難しいんですね。

粉屋孫右衛門@吉田玉女さんは実直で優しそうな孫右衛門を細やかに遣っていた感じがしました。

「天満紙屋内の段」
この段での治兵衛の性格がコロコロ変わるのが納得いきません。別の人の手が入った改作のためなんでしょうけど、見ているとこいつ多重人格者か?と思うほどで感情移入できない…。周りの善意を完全に無視して心中に赴く治兵衛と小春の二人に哀れさをまーったく感じない。場面場面では面白かったりするんですが、流れで見ると不可解な気持ちになってしまう。改作じゃないほうが観て見たいです。

この段ではなんといってもおさん@吉田簔助さん。やっぱりこの方が操る人形は凄い。血肉が通っているんですよ。生きてるの。ひとつひとつの表情の細やかさに圧倒させられます。それにしてもおさんは健気すぎる。惚れた弱みでしょうか。こういう尽くす恩ほどでああいうダメ男に惚れちゃうんですよねえ。

この段で気になったのは治兵衛のお末ちゃんの扱い。白い着物に書かれた手紙を読むシーン、いつもあんなに乱暴なんですか?父のために尼さんにさせられたのに、ひどすぎ。

床では豊竹嶋大夫さんの語りと鶴澤清介さんが気に入りました。特に三味線の音がかなり好みです。


2006.02.25

歌舞伎座『二月大歌舞伎 昼の部』 1等花道寄り前方

『春調娘七種』
十郎の橋之助さん、五郎の歌昇さん、静御前の芝雀さん、それぞれがキャラクターに合っていて春らしい華やかな舞踊になっていました。

私的には芝雀さんメインで見ていましたが可愛いわ〜とそれだけで満足だったりしました。手捌きがとてもしなやかでおっとりとたおやかな静御前でした。お父様にちょっと似てきたかなあ。

橋之助さんは白塗りの拵えがよく似合いきれいでした。柔らか味もあり女形でもいけるなあとか思ったり(福助さんにやっぱり似てるんですが橋之助さんのほうがすっきりとした美人さんになりそう)。踊りも丁寧に美しく踊っていたと思います。

歌昇さんは血気盛んな若者を弾むようなメリハリのある踊りで表現。ころっとした体系がかわいらしく五月人形にようでした。

『一谷嫩軍記』「陣門・組打」
やはり最近の幸四郎さんの演出の試みを面白く感じる。
『熊谷陣屋』の場を知らないと理解しずらいこの難しい場を若者の悲劇と親子の物語としてひとつの芝居として見せようという意欲は思った以上に成功していたと思う。観客たちがかなり集中して観ていたのが感じられた。ドラマとしての緩急がありだらける部分が無かったのは大したものだ。演出的に大きく変えたのは2ケ所。

まず「陣門」で直実が小次郎を敵陣から抱えて出てくる場面、従来だと助け出された小次郎(実は敦盛)の顔を見せないのですが今回、花道七三で兜がズレてしまい一瞬顔を見せる趣向。助け出されたのが小次郎ではないことを観客にハッキリ示していました。「陣門・組打」「熊谷陣屋」を通して見せる場合、陣屋で明かされる驚きが悲劇性を高めるのでまったく必要がないと思いますが「陣門・組打」のみの上演の場合はこれもありかなと思います。従来のやり方だと『熊谷陣屋』を知らない人が観た場合、混乱してしまい物語を味わうまでいかないことが多く話が難しいと捉えられがちだからです。まあ、今回のこんなに親切な演出でしかも『熊谷陣屋』を観たばかりだというのに混乱した人も若干名いましたが…。「いったいどこで摩り替わったの?」と聞かれた日にゃ、幸四郎さんもガックリでしょう(笑)福助さんと芝のぶさん、似てないと思うんだけどねえ。

「組討」では須磨の浅瀬で直実と小次郎扮する敦盛が馬に乗ったままで立ち回りをする場。従来の歌舞伎の演出だとまず浅瀬では大人が立ち回りをし、海のなかに入り込んでの立ち回りでは子役を使った「遠見」という演出をとる。距離感を出すために演出なのだが今回、遠見を使わない演出。これは観客側に緊張感を持続してもらうためにカットしたと思われます。子役を使った「遠見」は子役の可愛らしさとともに、歌舞伎らしい面白い演出ではあるのですが、いかにも紙芝居的な場面になってしまい、観客側の緊張が完全に崩れてしまい笑いを誘う場でもあります。ここのカットは私の好みからすると大賛成ですね。直実と小次郎親子の悲劇性のドラマが凝縮し、特に小次郎の痛々しさが増すように思います。

ただ今回思ったのはやはり「陣門・組打」「熊谷陣屋」は通しでやるべき演目だろうと。今度きちんと通しでやってほしいです。国立あたりでやらないかなあ。

熊谷直実の幸四郎さん、いかにも坂東武者といった風貌と存在感が良かったです。それと台詞回しの巧みさにはやはり惚れ惚れします。最近、台詞回しの緩急が鋭くなってきたように思う。特に今回は義太夫のノリがよく掛け合いの間が素晴らしかったです。今回、前回(4年前)以上に父の情が濃い直実でした。かなり悲哀が強調されていましたが、親子の物語としては等身大で悲嘆の深さ、心情がすんなりと伝わってきます。ただ個人的な好みからすると、初っ端から苦しみ泣きすぎかなと思うのだけどね。小次郎の首を打つまでは押さえたほうがより苦しさが見えるのではないかと思う。でも他の役者(他二名の役者のを見てます)もこの「組打」の場は最初からかなり豪快に苦しんで泣いてるよなあ。んで、いつもそれじゃバレるだろ?と思っていたんでした。今回もやはりそう思った。でもあのくらい迷い泣かないと場がもたない難しい場なのかなあ。もっと抑えても伝えるだけのものを幸四郎さんは持っていると思うんだけど。そういう演技をしたら歌舞伎は心理劇じゃないとか言われちゃうんだろうか?

小次郎の福助さん。基本、やっぱり女形さんだなあという若武者でした。足運びとか女性ぽいのですよね。たぶん、そのせいかと思うのですが初陣で血気に逸る10代の若々しさがみえてこない。これはとても残念でした。ただ、甲冑姿がとても美しく、敦盛と見間違わせるだけの品の良さがありました。それと子としての情のあり方がとてもよく伝わってきて泣かせてくれました。やはり上手いなあとつくずく。福助さんは一貫して小次郎であり、父母を思うやるせない気持ちが表情に現われていてとても切ない小次郎でした。今回の直実と小次郎親子はかなり濃い情のやりとりがあるのでちょっと濃すぎるかなとも思うのですが、それだけに悲劇性があり、なんだかんだこの親子のありかたが好きだったりもします。小次郎/敦盛のなかでは染五郎がいかにも10代の凛とした品があって儚い命を散らした悲劇という感じでこちらも大好きだったんですが、親子の悲哀の部分では福助さんのほうがドラマチックでした。

玉織姫の芝雀さん、とても良かった〜。やっぱりとっても可愛いし<無条件で可愛く感じるのは贔屓目でしょうけど(笑)。世間知らずなお姫様といった風情ピッタリで、婚約者を探す切ない呼び声がいじらしい。恋する夫のために必死になって戦場をさまよい歩く、そんな姿に説得力があるのが結構すごいと思う。姫らしい気位も持ち合わせ、キリッとした部分もみせるだけに、手負いになり目がみえない情況で偽首を愛する夫として嘆き悲しむ姿が切なすぎて涙が出てきます。芝雀さんのかきくどきは声の透明感も手伝って一言一言に哀しみが伝わってくる。なんだか一段と上手くなったかも。

平山の錦吾さんはハマリ役。4年前に観た時も非常に良いと思ったんだけど、今回も本当に素晴らしくいい出来。この敵役が上手くないと話が進まないのよね。憎々しげで小ずるい感じがよくでてる。かといって武将としての存在感もきちんとありヘンな小物感がない。メリハリのある台詞回しと芝居。いい役者さんだなあ。

さてこの芝居に欠かせないのが馬二頭。どちらも表情があり、いい芝居をしてくれました。

今回、義太夫も非常によく謡っていて聴き応えがありました。前半が東太夫さん、後半が綾太夫さん。情景と心情がよく伝わってきて、また役者との間がかなり密に合っていた感じでした。

『お染久松 浮塒鴎』
この演目は芝翫さんにつきる。存在感の大きさとオーラが見事。出てきた瞬間、場が締まったもの。またこういうメリハリのある舞踊は本当にお上手だしなんといっても体の表情が豊か。

お染の菊之助さんと久松の橋之助さんは恋人同士の情感が全然伝わってこない…。菊之助さんは体の使い方が上手になってきている。夜の部で踊りこんでいるおかげかな。大店のお嬢様風情はよく出ていたけど、恋する娘がみえてこない。橋之助さんは曽我十郎のほうが似合っていたし、踊りも良かった。久松のほうはなんとも印象が浅い。久松という役柄がニンではないんだと思う。十郎が良かっただけにこちらの出来がちょっと残念。

『極付 幡随長兵衛』
きゃー、吉右衛門さんカッコイイ!の一言で終わらせてもいいかなと(笑)なんかもう、吉右衛門さんのための芝居って思ってしまうほどピッタリでした。任侠の親分としての懐の大きさが見事に出ていました。体もいつも以上に大きく見えましたねえ。煙管の扱いや着替えの手つきひとつひとつが粋。台詞廻しにキレがあって迫力もあった。張ったときの台詞回しが幸四郎さんにソックリで「ああ兄弟だなあ」と思いました。台詞回しの巧みさはこの兄弟、独特のものを持っている。ただし持ち味がほんとに違うけど。この芝居だったら長兵衛は吉右衛門さん、幸四郎さんは水野でしょう。ああ、この二人の対決が見て観たい。凄まじい丁々発止になりそう。

世話物の女房役はひさびさかな?の玉三郎さんも良かったですね。いかにも任侠の女房って感じの色気と強さ。旦那が死に行くとわかっていながらも気丈に振舞う、その風情がさすがだなと。また、着物を着替えさせる時の切ない表情も素敵だった。まあでも玉様がこういう役をやるとついあとで子分連れて殴りこみしそうとかも思いますが…。あねさんっ!ついていきますとか言っちゃいますよ(笑)。しかし、やはり今月の玉様は膝かどこか足を痛めるような気がしますね。ところどころ裾捌きとかいつもと違います。

水野の菊五郎さん、品がありつつの尊大な殿様でした。菊五郎さん独特の鷹揚さがところどころ出てしまっていて、もう少し鋭さがあってもいいかなあとは思いましたが、きちんと長兵衛@吉右衛門さんを受けて丁寧な芝居。

唐犬権兵衛の段四郎さんが、柄に合うかな?と思っていたのですが意外や意外、結構ハマっていて印象を残しました。上手いですね。

他、それぞれ役者さんたちがいいバランスで配置されていて、またしっかりと芝居をしていてとても良かったです。ケンカが始まってからの劇中劇をしていた役者陣があたふたおろおろとかなり細かい芝居をしていたのが、ついつい目にいってしまうくらい面白かったです。


2006.02.18

歌舞伎座『二月大歌舞伎 夜の部』 1等花道寄り前方

『梶原平三誉石切』
梶原の参詣の花道での出を無くし、浅黄幕が落とされるとすでに大名連中勢ぞろい。ここから始める今回の演出には賛否というより否の意見しか目にしない。梶原平三がいかにも主役で正義の側と一瞬でわからせる格好の出の演出が無いとはどういうことだ?と思うのも無理はない。役者にとってもせっかくの役者ぶりを観客にみせる美味しい場面なはずだ。その美味しい場面をあえて切った幸四郎さんは
『梶原平三誉石切』という芝居を平三の役者ぶりを堪能する芝居ではなく「物語」として見せた。なるほど、こうきたか!私は非常に面白く拝見した。

最初から大名が居並んでいる場をみせることで平家側の武将として、梶原平三と大庭三郎が同格であることが見て取れる。そのため、観客側は梶原にそれほど思い入れをすることはない。そこに六郎太夫と梢の父娘が花道からやってくる。観客の興味は六郎太夫親子へいくはずだ。娘のために刀を売りたい老父の必死の体と、心配そうに父を見守る娘の清楚でけなけな風情。そうなのだ、観客の思い入れはどこへいくかというとたぶんにこの父娘であろう。ここでの主役はこの父娘なのだ。刀を買ってもらえるのか一緒にハラハラドキドキ。またこの親子はどういったわけでそんなに必死なのかと思いをめぐらせる。おおっ、サスペンスフル。

大名たちはどう出るか。大庭三郎は刀が欲しくてたまらない、だが弟の俣野五郎はちと根性悪。「名刀でなかったらどうする?」「確かにほんとに名刀か?」そこでようやく目利きの梶原平三の存在が大事な存在としていることになる。ここでの梶原はあくまでも平家の武将としているものの、刀の目利きとしはどちらにも公平な立場として存在していることが知れる。刀の目利きとしての鋭さをみせつつ、六郎太夫の話を聞く真剣な面持ちが信頼できる人間として在る。また情に訴えかけられ心動かされる様もあくまでも親子の情愛に感嘆し、命がけの六郎太夫の気概に納得するいった風情。梶原@幸四郎さんは完全に受けの芝居に徹している。

だから胴斬りで六郎太夫を助けた時も、情けをかけた武将としての梶原でしかないのだが、大名たちが立ち去り、六郎太夫が自害しようとするのをたしなめ実は源氏に心を寄せていてとこっそり真相語る部分から一気にもう一回り懐の大きい人物としての梶原をみせていく。前半にしっかりと父娘の情愛をみせ、受けに徹していた梶原だからこそ、その真相の意外性とともにこの後半、一気に主役として立ち上がっていく。この視点の切り替えが源氏側が正義という視点に重なり、大きな流れのドラマとして動いていく。なんとも見事な『梶原平三誉石切』という物語の切り取り方であることか。<こういう演出に感心しきりな私は自分が基本、物語読みでそのなかにミステリ読み属性があるのを確信したわ。

そして、出が無かった分、花道での引っ込みをたっぷりする。通常だと単に刀を買い取りお金を渡し父娘を助けるという晴れやかさで引っ込むところだが、梶原@幸四郎さんはもうひとつそこにドラマを作り今後の行く末を暗示してみせる。これからも平家の武将なれど源氏を助けるつもりとの複雑な心情をみせ、六郎太夫へ含むものを約するかのように目配せしあうのだ。これからおこる戦いへの暗示。流れゆくドラマがそこにあった。深読みしすぎと言われようと、物語としての面白さがこの芝居にはあった。

梶原平三の幸四郎さんは生真面目な雰囲気で捌き役を作り込み前半は終始ハラで受け、後半は知将としての大きさを出して主役としての存在感をみせていく。そして絶妙な台詞回しの緩急がそこにうまく絡んで盛り上げる。幸四郎さんの台詞回しは「唄う」という形容がピッタリくる。非常に音楽的だ。今回はいつもよりストレートにわかりやすく台詞を聴かせていたように思う。また立ち振る舞いの美しさには惚れ惚れ。特に刀を目利きするときの細かい動きがとてもシャープで美しい。いかにもな動きではなくさりげない部分で見せる。

六郎太夫の歌六さん、上手さを見せる。娘への深い愛情がよくみえ、また一筋縄ではいなかない秘めた強さのある六郎太夫であった。表情がとても細かく真に迫っている。また義太夫へのノリのよさ、形のよさが今回よくみえた。そういう部分で細かい表情と大きく感情をみせるときのメリハリがとても良い。歌六さんはご自分の持ち味の雰囲気でみせるのではなく、きちっと役柄の本質を捉えた部分で演じるタイプの役者なのではないかと思う。幸四郎さんに質が似ているので、お互い表面に見えるだけの人物じゃないという二重性をみせる部分で今回非常にいいバランスだった。『息子』の老父役でもいい味を出されていたし、老け役も出来る役者としてこれからももっと役の幅を広げていく役者になるだろう。

梢役の芝雀さん、可憐で愛らしくまた芯の通った情愛が感じられるとてもいい梢だった。梢はそれほどされていないのだけど、梢は芝雀さんが一番しっくりいく。この方はお父さんの雀右衛門さんのように相手を思う気持ちを体から出せる役者になってきたんじゃないかしら。相手の間に合わせるのも上手い。そして可憐な娘役はこの人の右に出るものがいないと思わせるだけのものがある。ますます「娘」に磨きがかかっている。そしてほんのり色気がさすようにもなってきたと思う。このまましっかりとこの持ち味を活かしていってほしい。

大庭三郎役の彦三郎さん、敵役なのだが武将として品格を忘れず、丁寧な演じよう。押し出しは強くないのだがその分、梶原と同格の大名としての存在をアピールしていてやはり今回の芝居のなかでバランスがいい位置にいたように思う。

俣野五郎役の愛之助さん、多少シャープさは残るものの赤っ面がよく似合い骨太さがあってよく頑張っていた。動きもとても明快でひとつひとつが丁寧なので形も美しい。声もよく出ていた。ただ敵役としてはもう少し憎たらしい雰囲気が欲しかったかな。幸四郎さんは今までも愛之助さんを何気に重要な役で起用している。芝居のカンのよさを気に入ってるんじゃないかと推測してみる。

並び大名は敵役側に並んだ4名がしっかり芝居に反応しているに対し、梶原側はベテラン2名がちょっと気がのってない風情。もう少し気を入れてやっていただきたい。それだけに若手の2人松也くん、蒔車さんの行儀のよさが目に付いた。

『京鹿子娘二人道成寺』
今回、一番楽しみにしていたのは
『京鹿子娘二人道成寺』だったんだけど、前回のほうが好きだ。どこがどう違うのかわからないのだけど、今回のほうがエンターテイメント性はあがった気がするけどその代わり情感が減った気がする。まあ、この踊りは二人の美しさにただ見とれて楽しむものだろうとは思う。前回もそれは思ったのだ。だが、なんともいえない陶酔感を味あわせてくれたのは前回のほうだった。踊りのレベルとしては菊之助さんのレベルが上がった分、今回のほうが質としては上だろうと思う。だが踊りの質の違い、花子としての女心を表す表情の違いがハッキリみえ、また二人の花子としての本体と影の境界が曖昧でその部分をいったりきたりしてる二人の微妙なバランスがあった2年前の姉妹のような雰囲気のほうが私は好きだ。

今回は本体と影の役割分担がハッキリしすぎている。その分、わかりやすくはなっていたけど、清姫の正体があまりにもみえすぎてかえって変化に乏しいものになってしまったような気が…。好みの問題だろうけど…。

玉三郎さんの花子は最初から徹底して蛇身だ。絶えず鐘を意識し恨みの目で見つめる。そして娘というよりすでに妖艶さと暗さを纏う女としている。花子に恨みを自覚させ惑わすためだけにいる。こちらの世界に来いと誘う。こういう世界観を徹底してみせるという部分では見事だ。玉三郎さんの美しさ、流れるような踊り、そして何より異界を覗かせる目がそれを見事に表している。菊之助花子(本体)とシンクロしながら踊る部分ではシンクロしながらもどこか本体を絡め取るような雰囲気をみせる。後半になると完全に本体を支配しながら踊ってる感がある。そして表情が少しづつ若々しくさえなっていく。ただ今回、踊りの部分で玉三郎さんは足を痛めてるのかしら?ところどころ気になる足運びの時があった。特に鞠歌で膝を折る時の足運びがスムーズではない。あれっ?思うほどぎこちなかったり…。その分、気迫はありましたが、大丈夫かしら。

菊之助さんは柔らか味が出てきて成長ぶりを見せた。清純な色気があり、白拍子というより生娘といったほうがしっくりくる透明感。前回、必死さがみえた部分に余裕がでてきてかなり踊りの形が綺麗になってきていた。一人で踊る場の空間が断然、密になってきていました。そして玉三郎さんとのシンクロ度があがっていました。このシンクロ具合は実は私はあまりシンクロして欲しくなかったりもしたんだけど…。菊之助さんの踊りは流れるような玉三郎さんの踊りに対してメリハリが明快なタイプのちょっと古風な踊り手だと思っていて、その違いがありつつの踊りのほうが二人の花子の個性の違いがみえて面白かったんですけどね。今回は玉三郎さんに近づいていながらも表情をあまりつけていない分、後半玉三郎花子(影)のあやつり人形のようにみえてしまいました。

『人情噺小判一両』
菊五郎さんと吉右衛門さんという役者でなんとか見せたけど本がダメダメというか私はこの話嫌い。これに限らず宇野信夫とは相性が悪い…好きじゃないかも。

今の感覚からすると受け入れがたい後味の悪い話だ。人情がアダとなることを肯定するその感覚がもうダメ。今の殺伐とした世の中にダメ押しするつもりですか?と。時代ものだったら、その時代に気持ちを馳せ今の感覚でわからない部分を許容できるのだが、タイトルに「人情噺」と入っててしかも昭和に入ってからの芝居と思うとどうにもその語り口の浅さが許せない〜。

役者は皆さん、素晴らしかったですよ。特に安七の菊五郎さんが持ち味を活かして絶品だ。飄々と江戸っ子を体現する。台詞の間のよさといい、身のこなしの軽やかさといい、言うことないし。一番真っ当なのが安七なんだよね。人として正論の持ち主なんだよね。救われて欲しいじゃん。気持ちよく笑ってほしいじゃん。なのに、なんだよ、この本(怒)

浅尾申三郎の吉右衛門さんはご自分の持ち味の大きさと愛嬌で演じる。存在感は大したものだ。だけど浅尾申三郎という人物像の浅さをカバーするのは難しそうだった。なんとなく戸惑いながら演じているようにも思えた。気持ちがどこか乗ってない。しょうがないと思う。浅尾という人物はあまりに単純すぎる。安七を単純に持ち上げて気分よくさせたあと、図らずも思い切り絶望へ落とす、それだけの役割だからだ。せめて孫市に絡むなんらかの背景があればまだしも…。

凧売りの河原崎権十郎も良い味を出していた。凧売りも今の感覚では正論の人だ。子供だからといって「盗み」を見逃すことはやっちゃいけない。ちょっとケンカぱやいけど市井の人としてしっかり生きて来たというプライドの持ち主。そこがよくみえた。

話的には発端からまずもう話しがおかしい。子供だからそれくらい許してやれよ。安市がついつい庇うのはわかる。でもそれを期待する武士の子供って…なんというかうーん。そして父の孫市は周りのことをまったく考えないでプライドだけでとっとと自害。この無理矢理な展開はいったいどうしたものか。納得いかない筋立てだとしか言い様がない。

ただこの芝居で収穫だと思ったことがひとつだけある。菊吉共演が今後も続いてほしいと思わせるものがあったという部分だ。菊五郎さんの軽やかな愛嬌と吉右衛門さんのおおらかな愛嬌がふんわりとしたなんともいい空気感を醸し出していた。


2006.02.11

国立小劇場『二月文楽公演 第二部』 1等前方下手

『小鍛冶』
歌舞伎で猿之助さん、勘九郎さんでの舞台を観ている演目。比べるというより、猿之助さんの素晴らしかった舞台がどうにも目の前に浮かんできてしまって、文楽と歌舞伎の二重写しのようなヘンな感覚での観劇となった。

前半、松羽目の場で宗近と老翁のやりとりがあり、宗近@勘弥さんが品が良くて爽やかでした。後半は鍛冶場で刀を打つ場。宗近と稲荷明神の呼吸が最初合わなかったけど後半よく合わせてきていました。打つ音が、宗近のほうが非常に良い音が出てるのですが稲荷明神のほうは篭った音。神様のほうが響かないと?と思うんだけど。人形の位置関係のせいかしら?

稲荷明神の踊り方は楽しいですね。人形ならではのいかにも人外な動きをさせていました。しかしながら、とにかく猿之助さんの狐らしい神がかり的オーラがあった踊りと、勘九郎さんの品の良い丁寧な宗近と、そして何よりこの二人の息の合い方が絶妙だった1997年12月の歌舞伎座での踊りが目にチラついて…物足りなさが残りました。(9年前…もうそんなに前だったんだと驚きました。それほど印象に強く残っています)

太夫と三味線が居並んでの演奏は迫力があって聴いてて気持ちよかったです。

『曽根崎心中』「生玉社前の段」「天満屋の段」「天神森の段」
第二部のお目当ては『曽根崎心中』でした。1月に観たばかりの坂田藤十郎さんの『曽根崎心中』と較べて観てみたかったのだ。私は断然、文楽の『曽根崎心中』のほうが好きだ。文楽のほうが役者の色が無いだけに世界観がよくみえ、純粋に恋ゆえの心中に思えた。

義太夫は「生玉社前の段」はわりと情感を押さえ、情景を語る感じで、話の導入部としてとてもわかりやすかった。また思い入れがたっぷりしていない分、お初の若々しさが出ていたような感じ。「天満屋の段」はしっかり語っていたなという印象。一途なお初の強さがよくみえました。「天神森の段」の場はとても風情を感じました。曲が良いのかな。物悲しい雰囲気がありました。

人形のほうは「生玉社前の段」「天満屋の段」がいかにも人形という感じで、生きているというふくらみがあまり無かったのですが「天神森の段」で蓑助さんのお初は出てきた瞬間、人形に血肉がついていました。佇まいに清楚な色気が漂い、そして恋に生きる一途さと、死を決意したものの哀しみがありました。勘十郎さんの徳兵衛にはお初を受け止めるだけのものがしっかりあったように思います。初日でしたがイキもあっていましたし、死への道行の切なさ哀れさがよくみえました。


2006.01.29

シアターコクーン『NODA MAP 贋作・罪と罰』 2回目 S席1F舞台裏座席後方

先月、この芝居を観た時は私はいわゆる野田演劇はほぼ初見(生で観た舞台は歌舞伎『研辰の討たれ』のみ)で、いわゆる野田演劇の方法論を知らないままの観劇で最初のうちどうしても入り込めず、大川の川辺のシーンでようやく物語のなかに入っていけたのですが、2回目の今回は最初から入っていけたように思います。(私の1回目感想)

それにしてもやはりシンプルな舞台のなかに喚起される言葉と情景のリアルさには感嘆する。言葉がなぜこんなにキラキラと光って見えるのだろう。私はいったい何をみているんだろう。私は言葉を観ていました。決して技巧を凝らした言葉ではないのにとても美しく感じる。

そして今回は芝居を観て楽しむという部分以外に「人の生(せい)ってなんなんだろう?」と考えてしまいました。「人が生きていくこと」への揺れを私は感じました。そして「人は生きていくべき」と言い切るのではなくたぶん願いとして「生きていてください」と投げかけているのではないかなあとそう感じました。精神主義、物質主義、そのどちらも徹底的にちゃかしてはいるけれど、たぶん信用はしていないけれど、そのすべてをひっくるめて「人の生」への希望を捨てない。だから切ないのだ。生きていくことの不安定さを突きつけられているかのようだった。

以下、もうほとんど感想じゃありません。いつもの妄想モードな思考の弄びです。

この芝居は松たかこ演じる三条英に、三条英を演じる松たかこに、何かを感じることができなければ、たぶん「面白いね」くらいでそれほどひっかかってこないものかもしれないとも思った。それぐらい英を演じる役者が引っ張っていかないと立ち上がってこない物語だ。そして私は松たかこが造詣した英という人物にとても複雑な感情を抱いてしまうのだ。「理想のために人を殺すことが許されるのか」、机上の論理を踏み越えて殺人を犯してしまった英。松たかこの英にはそこに本当の意味での狂気はない。あくまでものびやかで真っ直ぐな精神。だからこそ、恐い。

英の未成熟な硬質さは、10代の少女が犯した殺人や殺人未遂事件を思い起こさせた。彼女たちの殺人はある部分とても無邪気だ。現実感がほんの少し希薄だったがための、それこそ机上の彼女たちだけの論理に従ってしまっただけのようなものに私は思えて、それゆえに私は彼女たちを受け入れたくないと強烈に思ってしまっていた。その感覚を『贋作・罪と罰』の英の殺人に感じてしまった。英自身の咆哮のような悲鳴とともに行なわれる殺人。

だからこそ目が離せなかった。ギリギリの精神のバランス。笑うことができない英はその未成熟さゆえに無防備であまりに純粋だ。時に子供のようにさえ見える。方向を見失った迷子のよう。その孤独をも自覚しないまま何かに追い詰められていく。その焦燥感がどこからきているのか、わかっていないんだろう。美しく感じていた風景も、身近にあった音も感じなくなって「人殺し」という事実が覆いかぶさり何か違うと感じているのに頭がついていかない、認められない。それは自身を拒絶していることに他ならないに。

それを受け止める才谷は「男」だけどどちらかというと父性に傾いている。何が起ころうとも全てを受け入れてくれる彼の存在を認めることにより、ようやく英は自身を、そして罪を受け入れる。その瞬間の英@松たかこの嗚咽とも叫びともつかないあの声はいったいなんだろう。その瞬間だけは言葉ではなく声無き声の力に圧倒された。一言では言い表せない声。その声を吐き出した後の英はようやく穏やかな顔になる。笑顔では無いのだけど、居場所を見つけたそんな顔だった。どこかへようやく辿り着いたのだ。

そしてすべての人に「生きていてください」と願い、未来に向かって「誠実に生きていく」と誓い、愛するものに「愛してる」と告白する。しかし英のその言葉をあざ笑うかのように英の父に愛する才谷は殺される。それが英につきつけられた罰なのだろう。牢獄から出た英はそれでも生きていくのだろうか。たぶん生きていかなければと、きっと思うだろう。その時、英は大川の風をどのように感じるのだろう。ひどく残酷でだからとても切なくて私は泣いてしまった。でも英を受け入れられない自分もいる。でもずっと考えていかないといけないんだろうなあ。

東京千秋楽のこの日、英役の松たかこ以外の役者さんたちは前回観た時より肩の力が抜けリラックスした表情のように思いました。その代わり、ちょっと台詞を噛んだり間違ったりと危うい部分もありましたが…(笑)。まあそこは前回観ていた分、補完しながら見ていました。それでも役への入り込み方は断然良かったです。松たかこは終始張り詰めていました。英という役は緩んではもう英ではなくなってしまう、そういうキャラクター。その英を演じることはかなりの精神力がいるんじゃないのかなあと、カーテンコールの時でさえ笑顔が出ていない表情の彼女を見て思いました。英から抜け出して笑ってくれないかなあなんて思いながらずっと追いかけてみていると、表情が緩んだ瞬間を一瞬だけ見ることができました。それは最後の最後カーテンコールからはけていく時に古田さんが声を掛けた時でした。


2006.01.21

歌舞伎座『坂田藤十郎襲名披露 寿 初春大歌舞伎 夜の部』 1等席1階花道寄り真ん中

『藤十郎の恋』
坂田藤十郎は
『大経師昔暦(おさん茂兵衛)』を演じるのに悩み、不義の心を知るため人妻お梶に偽りの恋を仕掛け、真相を知ったお梶は楽屋で自殺してしまう、といった藤十郎の役者の業を描く物語。いわゆるバックステージものですね。

今回の配役が個人的に面白かったです。昨年『大経師昔暦』に出演した時蔵さん、歌六さんがいて、またバックステージもの『夢の仲蔵 千本桜』で出演した芦燕さん、高麗蔵さん、友右衛門さん、宗之助さん、錦吾さん、鐵之助さんが大挙出演。昨年の『大経師昔暦』『夢の仲蔵』を観ていると別な部分でもかなり楽しめるうまい配役。

しかしこの芝居、本物の女性が出てくるので本物女性も女形がやり、女形も女形がやるその妙な按配が不思議な感覚でした。髪型で判別できるようになっていましたがそれにしてもどちらがどちらか一瞬わからなくなるし(笑)こういう芝居を観ると歌舞伎を観るときは女形さんを「男が演じる女」として見ずに「女」として変換して見ているんだなあと思いますね。<私だけ?

さて、舞台の感想ですが、ああ上方だなあと思いながら見ていました。配役的には関東の役者さんが多いのにきちんとはんなりした空気が流れているんですよね。どこがポイントかなあと思ったんですがまずは衣装の色使いでしょうねえ。色の組み合わせが華やかで視覚的にまず上方がきちんと演出されている。そして酒宴の場というくだけた場でいきなり始まるので大阪弁のやりとりに無理矢理感がないのもまったりとした空気を上手く感じさせたのかも。舞台裏の楽屋風景はもう無条件で面白かった。ああいう役者さんたちの日常の一コマが切り取られているシーンてなんだかほんと好きなのよ。

藤十郎役の扇雀さんは非常に神妙に演じていたような感じでした。いつもの押しの強さがなかった。お父様の新藤十郎さんに教わった通りに演じてるんだろうなという印象。きちんと上方の雰囲気が出てはいたけど、まだなぞってるだけな雰囲気も。なんというか藤十郎という役者の華とか芸に対する執念、業など、そういう部分をあまり感じられず説得力があまりなかった。丁寧にやりすぎて印象が薄くなった感じなのかな。

お梶の時蔵さんは昨年おさんを演じているだけあって役にすんなりハマってとても良かった。離れの座敷では人妻としての色気と藤さまに憧れている可愛らしさがあり、楽屋で真相を知って傷つけられた悲しい表情に女としての意地がみえとても説得力ある造詣だったと思う。

袖崎の宗之助さんのキャラが「女形」として少し声を低めにとり男の部分をさりげなく出してるとこが可愛らしかった。というか『夢の仲蔵』の常世兄さんだーーと勝手に喜んでました。最近、宗之助さんは表情が豊かになってきてとても良くなってきたと思う。

霧浪千寿の高麗蔵さんの立女形としてのプライドの高そうな雰囲気がすっきりとしたお顔と相まっていいキャラ造詣。

『口上』
キンキラ襖が見たかったけど歌舞伎座での襖も上方らしい色合いと柄で華やかでした。総勢18名の口上は壮観でした。今回の襲名は何代目がつかない(ほんとは四代目)いわば新たに坂田藤十郎像を作っていくという70歳過ぎた鴈治郎さんだから許された襲名という感じがある。それを皆が暖かい目で見守り、今まで鴈治郎さんにお世話になった分、応援していきますよという雰囲気でした。口上って役者さんたちがただ並んで御挨拶するだけなのになんだか楽しい。今回お披露目の扇雀さんの長男、虎之介くんがとっても可愛らしかった。新藤十郎さんより拍手をもらっていました。

『伽羅先代萩』
素晴らしい舞台でした。これぞ義太夫狂言だよ、という濃密な空間がそこにありました。新藤十郎さん政岡を筆頭に役者のバランスもよく終始、緊迫感溢れたとても良い芝居でした。丸本物の大歌舞伎の醍醐味というのはこういうとこにあるんだよと突きつけられた感じ。

「御殿」
今回は藤十郎さんの芸の深さを思い知った。山城屋さんの台詞回しが苦手なんて言ってる場合じゃないよと。正直、ここまでのものが観れるとは思ってもみなかった。とにかく藤十郎さんの政岡は本当に見事だった。本行の文楽に近づけた演出ということだが、これが見事に歌舞伎として消化されていた。生身の役者が演じるからこその情感と義太夫のイキが絶妙に絡んだものだった。体に義太夫が染み込んでいるからこそ気持ち本位で糸に乗れるのだとつくづく思い知ったよ。柔らかさを生かした体の使い方のうまさもさることながら緩急の使い分けが絶妙な台詞廻しも本当に見事。

またすべて部分で政岡の乳母としてのそして母としての気持ち本位での芝居があった。型を型として見せてない。まま炊きではお茶のお手前の作法を丁寧にやるのではなく、焦った風に米を手で研ぎ水を入れ焚いていた。早く食べさせてやりたいという気持ちがよく伝わってくるものだった。また乳母としてまず何より鶴千代君を守るという姿勢を貫いていた。千松が短剣でなぶられるシーンでは今までだと打掛で鶴千代君を隠すのだが藤十郎さんはさっと部屋に入れ、まず守る姿勢を取る。その上で我が子がなぶられているのを必死で堪える。政岡の立場の辛さをここで見事に表していた。そして我が子の亡骸を前にしたくどき。ここがまた凄かったなあ。母としての悲痛さだけでなくそのなかに八汐への仇討ちを決意して見せたような気がする。その緊迫感たるや、手に汗握ってしまった。とにかく藤十郎さんの政岡は素晴らしいの一言につきる。

千松の虎之介くんと鶴千代の鶴松くんの子役二人が藤十郎さんの熱演に負けないくらいとても良かった。子供らしいけなげさがありつつ千松は武家の息子としての芯が、鶴千代は殿としての品格が、それぞれきちんとありそしてなにより二人ともしっかり気持ちが入っていました。将来が楽しみ。

八汐の梅玉さんが藤十郎さん@政岡とのバランスがとてもいい八汐でこれまた想像以上に良い出来。熱い政岡に対し、冷ややかに顔色をいっさい変えない冷淡極まる八汐。この攻めではなく受けの八汐がうまく藤十郎さん@政岡の対極に位置することになり、より対決の場に緊迫感が出た。またその押さえた部分にお局としての大きさと品格が出て、女同士の戦いではなく政治的対決がより鮮明になったように思います。

栄御前の秀太郎さんはふてぶてしさと、政岡が味方だと勘違いしてからの馴れ馴れしさの切り替えが上手い。ちょっと心配してた格の大きさもきちんと出ていました。

沖の井の魁春さんがきっぱりとした品格があり、八汐に相対する間がとてもよく政岡を気遣う部分が見えたのがさすが。

「床下」
短い場だけど幸四郎・吉右衛門兄弟対決、さすがに見ごたえがありました。

まず、荒獅子男之助の吉右衛門さんが出た瞬間、でかいっ。荒事の豪快さがあるだけではなく床下に潜み鶴千代君を守っていたという鬱憤したパワーがあり、、そして単なる荒事の記号になりそうな男之助を仁木を逃した悔しさを滲ませた台詞で男之助という人物としてきちんと造詣をして見せた。気合入りまくりでしたねー。

そして仁木弾正の幸四郎さん。すっぽんから出た瞬間の妖気たるや凄まじい。妖術使いとしての怪しさ、悪人としてのふてぶてしい笑いの凄み。幸四郎さんは今の役者のなかで随一の仁木役者だと思う。またゆらゆらと灯に照らされたその姿はいつもの倍増しで美しい。カッコイイよ〜。最近、世話物に新境地を開いている幸四郎さんだけど、ぜひ実悪もやっていただきたい。

『島の千歳』
今月の福助さんはやはりいつも以上に綺麗に見える気がする。振袖姿が可愛らしかった。踊りのほうは神妙に丁寧に踊っていてたおやか。きちんとした品もありました。

『関三奴』
勢いのある楽しい踊りで打ち出しにちょうどいい華やかさ。重い演目の『先代萩』の後だけに『島の千歳』と合わせて一服の清涼剤。

二人で踊る『関三奴』はほぼ同じ振り付けなのでつい見比べてしまう。橋之助さんと染五郎さんは踊りの質がまったく違うので合わせるのが大変だったんじゃないかなあ。で橋之助さんファンには大変失礼ながら染五郎のほうが踊りは断然上手ですね。染五郎の踊りは体の軸がぶれず、足捌き、手捌きが本当にきれいでとても丁寧。余計な動きをせず手先、足先きをしなやかに大きく先のほう出すので動きがまろかや。きちんと曲の音のど真ん中にいる楷書の踊りだった。また踏み込む時にしっかり腰が入ってるので足拍子の音も非常に良い音が出ていました。また毛槍の捌きも体との位置関係がとてもきれいで投げる時もきれいに放物線を描いていた。

橋之助さんは表情が豊かで奴の愛嬌を前面に押し出して雰囲気で見せる踊り。動きが細かいので一見派手に見えるけど、総じてちょっと雑。勢いはあるけど手先、足先の位置があんまりきれいじゃないなあ。それと踏み込みが浅いのか染五郎と一緒に踊っている時、拍子を踏む音があまり鳴っていない。染五郎ばかりがきっちり鳴らしているので踊りのリズムを染に任せているのかな?と思ったくらいだった。


2006.01.16

サントリーホール『イツァーク・パールマン ヴァイオリン・リサイタル』 C席 2F P席

パールマン氏は生ではかなり前に一度だけ聴きに行ったことがありますがCDで聴くよりかなり渋い静かな内省的な音出しだった記憶があります。今回久しぶりに拝聴してやはり音はちょっと地味で音量もそれほどあるタイプではありませんでしたがとても暖かい優しい音色でした。また記憶していた内省的な部分はなく、どちらかというとわかりやすく観客と共に音楽を楽しみましょうといった開放的なものを感じました。とても楽しそうに演奏されていてそれがこちらにも伝わってくる。また本当に丁寧に一音一音を聴かせるという感じで、その音がとても柔らかく綺麗。特に高中音がふわっと伸びた時の音が本当に心地良い音色でした。音に圧倒されるとか、感性の深さに触れるとか、超絶技巧に感動するとか、そういうコンサートではありませんでしたがとてもアットホームな暖かく心地良い空気のなか楽しい音楽を聴いたという感じでした。

バッハ『ヴァイオリン・ソナタ第4番』はちょっと音が硬くさらっとした感じで1曲目ということもありあまり乗ってないかなーという印象。フォーレからはかなり音が伸びてきて聴き応えがあり、フォス『3アメリカン・ピース』は曲調の面白さもありかなり好きな演奏でした。クライスラーは得意とするだけあって音の美しさが断然光ってきて、見事な演奏。またその繊細で美しい音色がとても暖かく、聴いていてこちらの気持ちが和み暖かい気持ちになっていきました。本当に素敵な演奏でした。

パールマン氏は小児麻痺のせいで足が不自由で上半身だけでヴァイオリンを演奏します。音量がそれほどないのはそのせいなのだろうなあと今回改めて思いましたが、それをカヴァーするだけのテクニックの見事さと心から音楽を愛し、それを伝えようとするその姿勢が彼を一流にさせているんだなと感じました。

ピアノ伴奏のロハン・デ・シルヴァ氏の演奏が伴奏者としてかなり良かったです。シルヴァ氏のピアノはとても柔らかく綺麗な音色。しかもバランスが絶妙なのです。前に出るときはしっかり出て、押さえるとこと押さえ、パールマン氏の音色に絶妙に絡んでいました。

J.S.バッハ『ヴァイオリン・ソナタ第4番 ハ短調 BWV1017』
フォーレ『ヴァイオリン・ソナタ第1番 イ長調 op.13』
フォス『3アメリカン・ピース』
クライスラー『クープランの様式によるルイ13世の歌とパヴァーヌ』
チャイコフスキー/クライスラー『ユーモレスク』
クライスラー『美しきロスマリン op.55-4』
チャイコフスキー/クライスラー『アンダンテ・カンタービレ』
クライスラー『愛の喜び』
アルベニス/クライスラー『タンゴ op.165-2』
ヴィエニャフスキ/クライスラー『カプリース イ短調』


2006.01.14

国立大劇場『通し狂言  曽我梅菊念力弦』 1等A席中央花道寄り後方

「うわ、まさしく南北だよ」の見せ場、見せ場を強引に筋立てしてみました的ごった煮の楽しい芝居でした。菊五郎劇団の新作に付き物と思っていたまったり感は全然感じませんでした。私は菊五郎劇団は純粋な復活狂言の時のほうが好きかも。それとも今月たまたま「まったり感」がなかっただけかしらん?それにしても南北の趣向を趣向として見せる芝居は私やっぱり好き〜。今回、無理矢理筋立てを通そうとしていなかったのも私の好みに合ったのかも。一場、一場で楽しいわ〜、面白いわ〜、綺麗だわ〜とか、おいおいそれでいいのかとツッコミしまくりつつ、ただただ楽しみました。んで、やっぱり私のツボは芝雀さんでした。綺麗だわ、可愛いわ、健気だわ、もうなんだか好きなのよ〜。それと松緑さんはやっぱり陽性のキャラのほうが断然良いと思う。『真夏ノ夜ノ夢』の妖精パックは是非とも観たい。

お正月は曽我物という約束を守れば何を書いてもいいでしょ、とばかりに「おその六三郎」(『八重霞浪花浜荻』)と「おはん長右衛門」(『桂川連理柵』)の世話物パロディを主体に曽我物を加えた三つの話を綯い交ぜにした芝居。世話物のほうが本筋になっているためか曽我物の対面の場もかなり世話に崩してありました。

今回の芝居で観る限りは曽我物はいかにもおまけといった感じで、南北が大好きな「実は××」が無く本筋に絡んでこなったのですが、原作ではもう少し絡ませてあるのでしょうか?曽我兄弟が前面出ない代わりにおその、おはん姉妹を曽我家断絶のために苦労を強いられている武家の娘という設定にしていますが、まあとりあえず強引に関連付けてみましたというとこですか。こちらの筋は有名な心中物の話のパロディということですが元ネタがわからなくても十分楽しめるようになっていました。思ったより南北の隠微な下世話な雰囲気は無かったけど、お正月に観るにはこのくらいサラッとしているほうが楽しめますね。それと本筋に絡まないものの対面の場の華やかさがお正月気分を盛り立てていたように思いました。また大詰にきちんとオチをつけず大立ち回りで華やかに終わらせたのも良かった。あまり考えずに気分よく楽しく過ごせる芝居でありました。

菊五郎さん@大工六三郎はいなせな姿が似合い、見事な粋な男っぷり。やはりこういう役が一番似合います。文句なし。@新藤徳次郎の悪党のほうも色気があって女がコロッと惚れてしまうような色男ぶり。ただし、もう少し悪党としての凄みが効いたらなあと思う場面もいくつか。菊五郎さんの悪党はどこか色んな部分で甘さがある。それが必要な役の時は本当に色ぽくて素敵なのだが(同じ南北の悪党でも『盟三五大切』の三五郎は絶品)、芯から悪党という部分が欲しい時にちょっと物足りなく思う。

菊之助さん@おその&おはんはとにかく美しい。どこをとっても美しくいるというのはなかなか出来ないと思うのですがそれが出来ているのが見事。菊ちゃんは女形は当分は玉三郎さん路線でいくのでしょうね。私としては違う方向性のほうがいいと思っていたのだけど、今はこの路線でかなり成功しているので見守っていこうと思います。また今回はだいぶ風情と表情がでるようになっていました。やはり体の作りが硬いなと思う部分もありましたが、今回、婀娜ぽさがなかなかに良かったですねえ。割と年より背伸びしている感の表情の時のほうが似合いますね。菊ちゃんは年齢のわりに大人びた雰囲気があり、若々しい子供ぽい無邪気な雰囲気があまり無いのですよね。それがどの方向に行くのかはわかりませんが、今は良い方向に来つつあると思います。でも私は、菊ちゃんに無邪気さ、若々しさといった部分も表現してほしいと思っているのですが…まあ、それはこれからのお楽しみということで。

おその、おはん姉妹は同じ穴の狢という部分で同一人物としてみても良いキャラクターだと思われるので演じ分けは必要ないでしょう。同じ役者が二役やり、どちらがどちらかわからなくなりそうな錯綜した雰囲気が面白いと思いました。

松緑さん@曽我五郎時致は稚気溢れた雰囲気で曽我物のとしての雰囲気をしっかり出してきてとても良かったです。ポーズひとつひとつに気を使った姿がとてもきれい決まっていました。台詞もだいぶ聞きやすくなっていますね。これでもう少し抑揚をつけリズムをつけられると聞き応えがでると思うのですが、音楽的なリズム感のある台詞廻しをするのは難しいのでしょうねえ。富十郎さんとの丁々発止の場なのでついつい比べてしまいます。七郎助のほうは松緑さんの成長ぶりを感じました。世話物の松緑さんはどうしても子供ぽさのほうが先にたつことが多かったように思いますがいなせな感じがきちんと出ておりまた大人としての雰囲気が出るようになっていました。また明るい雰囲気が本当に似合います。

芝雀さん@大磯の虎はとにかく艶やかで綺麗。しっかり格もあり存在感が今までより出てきたのではないかしら。女房おきぬのほうもピッタリ。苦労してきた女性としてのしたたかがありつつ、情の濃いしっかり女房。にしてもおきぬの自己犠牲ぶりは人が良いにもほどがある。またそれを納得させちゃう風情が芝雀さんにはあるんだけど。こういう役が似合いすぎっ。それにしても最近、艶が出てきたと思うのは私だけかしらん。声も相変わらず素敵だしうっとり見つめておりました。

松也くん@才次郎がビックリのコメディリリーフぶり。松也くんの芸達者ぶりは本当に見事だ。顔の作りこみもすごいが、表情のつけかた、動き方も迷いがないし細かい。そして、がらりと美女になった化粧坂の少将も見事。顔も綺麗だけど、なにより女形としての体の作りがきちんとできている。この年齢であの柔らかさを出せる役者はそうはいない。どうかこのままいい役者として伸びていってくれることを祈る。

富十郎さん@工藤左衛門祐経は格が見事。またとても爽やかで決してただの悪人ではない大きさをみせる。間が少々危ういところもあったが歯切れのいい朗々とした台詞回しが本当に心地良い。このリズム感を継げる役者、いないだろうなあ…。

團蔵さん@梶野長兵衛がかなりいい味を出しておりました。悪党としての鋭さ、ずるさがしっかりある上に、いきがる様子のなかに人としての弱さが垣間見えかなり良かったです。

萬次郎さん@舞鶴は大ヒットです。いいっ。もうとにかく良い!女の強さ可愛さがたっぷりあって、ちょっと古風な雰囲気も良し。正直、ツボ。可愛い。

信二郎さん@山姥の権九郎、いかにも小悪党風情なんだけどどこか可笑し味があるのは信二郎さんの個性でしょうか。カッコイイんだかカッコ悪いんだかよくわからない髭面が妙に印象的です(笑)


2006.01.08

歌舞伎座『坂田藤十郎襲名披露 寿 初春大歌舞伎 昼の部』 3A席上手寄り真ん中

『鶴寿千歳』
箏曲と囃子による雅な舞踊。真っ白な衣装に少し赤を効かせた平安朝の衣装がとても美しく、雄鶴の梅玉さんと雌鶴の時蔵さんのとても品のいいきれいな舞が映えていました。曲もとても素敵でおめでたい気分になる。

『夕霧名残の正月 由縁の月』
初代藤十郎さんが伊左衛門を演じて大当りをとった作品ということだが原本が残っておらず今回ほぼ新作。傾城夕霧が亡くなったのこと悲しむ伊左衛門の前に夕霧が亡霊となって現われ束の間の逢瀬後、また消えていくという短い演目。今回は夕霧が消えた後にいきなり口上が始まるのでせっかくの余韻が楽しめないのがちょっと残念でした。

伊左衛門の新藤十郎さんは本物の紙衣を着て登場。3階からだと紙の質感がわからず普通の着物のようにみえた。色鮮やかなのは紙だから出る色なのかしら。藤十郎さんのつっころばし。やはり身のこなし、風情ともに見事。

夕霧の雀右衛門さんがとても儚げで美しい。体全体から情の厚さを感じさせ雀右衛門さんだからこその風情が素晴らしい。この演目はこの二人の美しい姿と風情を楽しめばいい。短い演目でしたが濃厚な空間を作り上げていました。

扇屋の主人夫婦が我當さんと秀太郎さん。このお二人が言葉の柔らかさと佇まいで上方の雰囲気を醸し出すのに一役買っている。新藤十郎さん、我當さん、秀太郎さんが揃った口上では上方独特の空気感ある舞台を守っていっていただきたいなあと思いました。

『奥州安達原』
環宮明御殿の場だけだと人間関係がちょっとわかりずらいですね。それでもこの場を見せ場としてきちんと昇華して見せてくれたのでかなり見ごたえがありました。

前半は親子の物語。安倍貞任と駆け落ちをして勘当された平直方の娘、袖萩は父の難儀(環宮が誘拐されその責任をとって切腹)を知り、盲目となり落ちぶれた芸人となった身で子供を連れ、親の元へとやってくる。しかし父は拒絶し家へ入れようとはしない。間に立つ母もなすすべがなく袖萩に祭文を歌わせることで娘の気持ちを聞こうとする。切々と祭文歌い許しを乞う袖萩だが父は許そうとはしない。結局、直方は自害、袖萩も自害してしまう。

後半は武将同士の丁々発止。直方の自害を見届けた勅使桂中納言教氏が立ち去ろうとするが、八幡太郎義家が桂中納言教氏が安倍貞任と見破る。見破られた貞任は駆けつけた弟、宗任とともに戦いを挑もうとするが、義家はそれを止め戦場での再会を約束する。

袖萩の福助さんが非常に良かったです。ひたすら泣きの芝居なのですが母としての顔、娘としての顔がしっかりみえて、感情過多になりすぎない細やかな表情がありました。昨年12月での「重の井」でも同じ親子ものの泣きだったのですが今月のほうがたっぷりしていながらも抑制がきいてストレートに感情に沿うことができました。受け止めてくれる役者陣も良かったのでしょう。福助さんの上手さが引き立ち、とても切ない女性としての存在感がありました。また泣きの芝居のときの顔がこのところ妙に老けてみえていたのですが、今回とても美しく若々しくみえました。

袖萩の娘の山口千春ちゃんがまたとても上手かった。ひとつひとつの仕草が丁寧で母を思う気持ちがしっかりと伝わってくる。本当に健気で愛らしい。福助さんと千春ちゃんの上手さがお互いを引き立てていた感じ。本当に見応えがありました。

袖萩の母、浜夕の吉之丞さんの終始母としての佇まいも素晴らしかった。武家の女としての品格があり、母として自分の意のまま動けない立場の厳しさに耐える姿に切なさがありました。耐えに耐えているからこそ、思わず袖萩親子に打掛を投げてやる瞬間の母の強い気持ちがより見えるのだと思う。

直方の段四郎さんは武将であるがための厳しい父としての存在感があり、最後ようやく心情を吐露する場面での台詞に切なさがありました。

安倍貞任の吉右衛門さんは、姿の大きさと迫力が見事。勅旨としての直衣姿での佇まいは本性を垣間見せつつも勅旨としての品格を持ち、貞任とバレた後の見著し後は不気味さを湛えひたすら大きい。とにかくカッコよかったです。また不気味な面だけでなく、夫と親としての感情をみせる部分で苦渋をみせ人間らしさがあり、安倍貞任というキャラクターが活きていました。通しで見たいなあ。

安倍宗任の歌昇さんは拵えもピッタリだし、声も良いし出来としては悪くないのだけど、どこかインパクトに欠けたかな。この場だけだと宗任の役柄がとてもいやな輩にしか見えないのがマイナス要因かも。

八幡太郎義家の染五郎は凛々しく爽やか。立ち姿もきれいだ。がしかし若造すぎる。貞任、宗任兄弟を受け止めるハラが足りない。懐の深さとか大きさが欲しい。どう贔屓目にみてもただの気の良いおぼっちゃま…(笑)。しかも吉右衛門さんを必死に見つめすぎだってばっ。いや、勉強したい気持ちはわかるんだけどね。ここはしっかりと八幡太郎義家になりきっていただきたい。

『花競四季寿 万才』
芝翫さんが休演の為、一人で踊る予定を福助さんと扇雀さん二人が代行出演。重い演目のあとの箸休めという感じの短い華やかな踊りでした。男女の連れ舞になっていたけど芝翫さん出演の時はどういう踊りだったんだろう?福助さんと扇雀さん、共に丁寧に踊っておりました。福助さんがとっても綺麗なので、ついつい福助さんばかり見てしまいました。

『曽根崎心中』
実は観るのが初めてです。かなり前に両親が鴈治郎さんの当り役だからとかなり楽しみにして観てきて「とにかくダメ、苦手、合わなかった」と今でも「あれで鴈治郎さんに苦手意識を持った」と散々言っているので観るのが恐かったのだ。それであえてパスしてきた演目だったけど、観ないことには始まらないということで、襲名披露はいい機会なのでしっかり観てみることにする。新藤十郎さんの台詞回しは私も苦手だけど、体の使い方の上手さにはいつも感心しているし。それに近松門左衛門の名作といわれてる作品ですからね。

実際あった心中事件を元に脚色しているということですが、確かに下世話な興味をひくカップルだなあとの第一印象。あんまりこの心中に切なさは感じませんでした。やむにやまれぬという部分が薄く感じるのはなぜだろう?確かに二人は追い詰められてはいるんだけど、「死ぬ」ということにやたらと積極的だし、「恋のための死」に憧れて本気でやっちゃったのね感が…。これが演じている藤十郎さんのお初だからなのか、元々そういう心中だったのか。まあ、脚本と役者の相乗効果かもしれない。

お初の藤十郎さん、手馴れている役ということもあるのだろう可愛らしく艶然と演じてらした。可愛らしさが計算高い仕草にもみえるのだけど、世慣れた遊女であれば意識しないであのくらいはやってしまうだろうとも思わせる。情と計算とのすれすれの位置にあるお初だからこその心中かな。終始、お初主導なのが納得いく「女」が演出する「死」だなと思った。うーん、深読みしすぎですかねえ。藤十郎さんのお初には追い詰められた緊迫感を感じないのですよね…。藤十郎さんはさすがに声が若くはないのが残念だけど、やはり体の使い方が見事。ひとつひとつが絵になるようなちょっとした体の置きかたが良いのですよねえ。それに上方役者特有のねっとりした色気と柔らかさには、ほれぼれしてしまう。今、この雰囲気を出せる役者は彼以外いないでしょうね。泣きになると本当に洟を啜るため、ずるずると聞きずらい台詞回しになるのがやはり苦手だけど、かといってこの風情を出せる人もいないと思うとやはり今観ておくべき役者でもあるかなあと思う。

徳兵衛の翫雀さんが藤十郎さん相手に頑張っていたなあという印象。丁寧に徳兵衛という人物を拾い上げて演じていたように思う。ただ思ったほどはんなり風情は無く、わりとすっきりしていた。お初がかなり濃厚なので受ける徳兵衛もどうせなら恋に一途なラブラブモードの濃厚な風情があっても良かったかな〜。かなり真面目系の徳兵衛でした。

久右衛門の我當さんはこういう役が本当に似合いますね。上手さとかそういうものではないのだけど、とてもいい味を出されます。

九平次の橋之助さんは江戸っ子でしたねえ。思いっきり浮いていました。どこをどうとっても江戸からひょいと大阪に遊びに来た若旦那。うーん、いいんでしょうか?ただ、徳兵衛を追い詰める悪役としては「いやなやつ」としての存在感はありましたけど。にしても九平次って『恋飛脚大和往来』での八右衛門の役割だと思うのですがお初に横恋慕するわけでもなく徳兵衛を心配してでもなく、本気で品性が悪い人物だなあ。


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