「エースをねらえ」の教祖様


 昭和の終わり頃、「ムー」というオカルト少年向けの雑誌に、あの大ヒット漫画「エースをねらえ!」の作者が連載記事を出していた。その名も「山本鈴美香の御神託メッセージ」。毎月、神々の話や精神世界の話を教祖の立場で説いており漫画のファンからオカルト少年までけっこう人気を集めていた連載だ。以下の話はそのころ私が実際に確かめた、漫画家山本鈴美香の真実、神山会という宗教団体の教祖として山梨県塩山で宗教的活動を繰り広げる彼女の素顔に迫ってみた一文です。

 K大学の社会学専攻で宗教関係の講義を複数受講していた私はフィールドワークと個人的興味半々に現地へ出向いてみることにした。オカルト雑誌の連絡先にコンタクトすると、ちょうどいいことに、年4回しか開かれない「夏の大祭」という行事があるという。時刻は夕方だったが、自由かつ独り者の私は宿泊の心配も一切せず、手ぶらで出かけたのでした。

 私が住んでいた埼玉県ふじみ野からは思いのほか遠く、到着するとすでに夜10時を廻ってしまった。小さな山をぐるりと回旋するように山道を登っていくと山の中腹にその建物はあった。ワンフロアーの寺はガラス張りで見通しがよく、結構な広さだ。一番奥の中心では護摩がモウモウと焚かれている。

 信者達はほとんどが大学生くらいの若者ばかりで、明らかにあの雑誌に影響された読者か、エースをねらえのファンではないかと思われた。そのおびただしい数の若い男女(200人はいる。女性の方が多い)が道場のワンフロアーの床にすわりこみ(土足禁止だった)、どういうわけか睡魔をこらえて何かを待っているのだった。実際、あぐらをかいたまま下を向いてじっとしている人に向かい、友人らしきが「おい、おまえ寝てんじゃないのか」と諫めていたりしていた。体を休めるのは悪だという教義なのだろうか。

 何かどえらいことが始まる気配だけは感じながらもなかなか始まらない。どのくらい待たされたのだろう、突然
「いらした、姫様がいらした。」声のない声が場内で沸きおこると同時に空気は一変した。皆一斉にもの凄い機敏さで居住まいを正す。教祖が現れたのだ。
 エースをねらえの作者山本鈴美香氏は、白い巫女さん衣装に身を包み、ほっそりしていて美しかった。笑顔もとても魅力的だった。

 神々のパワーで満たされた命の水(酒のこと)を飲みながら、彼女がどんな話をしたのか今となってはほとんど覚えていない。私にとってさほど重要ではないどうでもいい内容だったからに違いない。鈴美香嬢が綺麗だったという印象しか残っていないのだ。多分陳腐なスポコン的、禁欲的な宗教的力付けの話だったと記憶している。がしかし、この場にいる若者の大半は、いろんな人生の悩みを抱え、解決の糸口を探し求める、迷える子羊たちであるようだった。目をランランと輝かせ、彼女の言葉に耳をそばだたせ、食い入るように見つめている。みな本当に真剣なのだった。

 程なく、すわったまま彼女が、突然ぱったり倒れた。
 「姫様ー」
叫ぶ男性信者の声。ほどなく彼女がむっくり起きあがると、さっきとは比較にならない響き渡る声で彼女が発した言葉は!
 「八郎坊太権現であるぞよ!」
いっこく堂顔負けの声帯変化だった。全員が一斉に頭を床にくっつけおじぎする。この世のものとは思えない這いつくばりのスピードだ。
 「ヤローボーさまあああー」
誰かが感極まる雄叫びを発する。
 どうやら神が憑依したということらしい。場内はアラーの神の祈りの儀式のように皆ひれ伏したままだ。
 「我は皆のものを愛しておるぞよ」
 「こうしてこの場で、今というときに、皆と会えるのは偶然のこととは到底思えぬのじゃ。」…中略…「困難を乗り越えみなそれぞれの一番の思いを全うしてくれ、くれぐれも、あきらめてくれるなよ」
 「はい、わかりました、やろうぼうさまあああ」(感激の嵐)
と、そこでまたぱったり倒れる姫。ひれ伏したまま食い入るように見つめる会場の若人。
 「私は○○である」(神の名前忘れた)
 「○○さまああああ」(男女の雄叫び)
 「〜略…一番とは申さぬ、みなのものよ、この○○をどうかそなたの2番目の神としてくだされ、○○はみなを愛する心はどの神にも引けを取らぬつもりぞよ、くれぐれもたのむぞよ」…ずいぶん控えめな神だと思う冷めた私。
 「○○さまああ、わかりましたああああ」
またしてもぱったり倒れる姫、むっくり起きあがり、
 「弁財天であるぞよ」
「べんざいてんさまあああ」
(歓声)、(内容略)
さらに、次の神が姫を憑依する、(略)、憑依終わる、憑依する、(略)、憑依終わる、憑依、(略)、終わり、そして最後に憑依したのは…
 「I AM MARIA」
 「マリアさまああああ!」(信者の叫び)
 「&%$@@&@(意味不明の日本語的発音の英語)」、
 「I LOVE YOU.I LOVE YOU.I LOVE YOU.らーびゅー、らーびゅー(連呼)」
ここでぱったり倒れる姫さま、姫の肉体が限界に達したと判断した付き人が、彼女を抱え上げて別室に連れて行く。(同時に、わんわん泣き叫ぶ感極まった女性も別室に連れて行かれた。)

 こんなちっぽけな私たちのために、あれほどまで体を酷使し、神々の言葉を伝えようとした姫様、何日もろくに眠らず、食事もとらず、私たちを愛してくださった姫さま、肉体の限界にいたるまで神の媒介となり、最後に力つきて倒れられるまで頑張った姫様に対して、場内の若者達は震えんばかりの感動を覚えたのでした。

 日本の神々たちに混じって降りてきた、最後のマリアさまは秀逸でした。なぜマリアさまは英語を話されたのでしょう。母国語のアラム語で話すべきではなかったのでしょうか。もし、聖書時代の言葉が難しいから便宜を考えて英語で話してくださったと言うのなら、一番わかりやすい日本語で話してくれればいいじゃないですか。なんで唐突に英語なのか。それとも聖母マリアでないただのアメリカ人のマリアさんが降りてきたのでしょうか。

 この団体を擁護するつもりも、けなすつもりも毛頭ないけれど、一応言っておくべきことは、信者のみんなが純粋にまじめであること以上に、教祖の姫様がヤマ師でも詐欺師でもなく、まじに教祖とゆう仕事をがんばってやっているらしいということだろう。仮に彼女がペテン師であるのなら、話は早いのだ。白黒はっきりもするのだ。だが、どうやらそうではなさそうだった。姫様に取り憑いたマリアが生前使ったことのない「英語」をしゃべってしまったにもかかわらず、だ。 普通はここで、化けの皮がはがれたな、とか、なんだやっぱり嘘なのかと、納得しておしまいだろう。でも、今では次のように私は考えている。話がややこしいとお思われるかもしれないけれど。

 どういうことかと言うと、憑依現象の「宇宙存在バシャール」のライブを見に行ったときのこと、バシャールの媒介役であるダリルアンカが言うには、チャネリングには媒介(ここではダリルアンカというアメリカ人)の人間的資質が影響してくるというのだ。だから、媒介は何にも努力しないでただ媒介だけやっていればよいわけではなく、絶えず己の資質向上に努めるべきだというものだった。バシャール自体はともかくとしてもこれはこれで納得できる意見だった。

 これに即して考察してみると、姫様が英語を使ってしまったのは、彼女の知識が足りなかったからだと言う答えになる。つまり、媒介役はフィルター役である以上、あくまで媒介のパーソナリティーや思考方法や肉体の枠の範囲内でチャネリング(またはいたこ)が行われるのだという。つまり、媒介としての姫様が、マリアが英語圏出身だと思いこんでいたために、英語を使ってしまったのであって、このマリアの英語現象は媒介としての彼女の資質が未熟なために起きたんだろうということだ。

 それにしても、若者達はこの宗教の教義に惹かれたのではなく、どうみても教祖のパーソナリティーや美貌や漫画に惹かれてやって来るわけだから、姫が老いたり、死亡した後には信者のままであり続けることはできないだろう。こういうタイプの宗教を、カリスマ宗教というのだ。弟子は教祖を永久に越えることができないし、教祖がいなくなるとその宗教の命運も尽きてしまうのです。

P.S.  ところで、「消えた漫画家」という本が出ていることをネットで知り、早速書店で立ち読みした。そこには、神山会潜入記の記述があって、会長である父親(ヒメの父親)がとんでもないやつだとの話が載っており、なるほど、道場中央に陣取っていたあの説教臭い不遜な男が彼女の父親なのかと初めて知ると同時に、その本が指摘する父親と娘の同一化現象に興味津々であった。ともかく、「消えた漫画家」という本は、教祖である鈴美香嬢自体のルポにはなっていなかったので(彼女の父親のルポに止まっている)、ああ、これなら私が神山会のエピソードを書いても2番煎じにはならないな、と胸を撫で下ろし、“ヒメサマ”の“ハイライトシーン”を紹介しました。