春雷〜浅水秋緒の場合〜
桜の季節、闇夜に轟く雷の音と、雷神の陰で雷に怯える自分を嘲るかのようににやりと笑っている憎
き女の影…
これらを、浅水秋緒は一生忘れることはないだろう。
これは、幕末、とある小藩の剣術指南格・浅水家の娘、秋緒の屈辱と憎しみの物語…―。
春まだ浅い空は、薄雲をまとっている。
少し肌寒い中、浅水家は師範代で跡継ぎの貴澄(たかずみ)の婚礼準備に大わらわだ。もうすぐやっ
て来る花嫁を迎える準備やら、宴の支度やらで皆走り回っている。
しかし、そんな状況な中、秋緒は竹ボウキを持ったままじっと花嫁の来る道を見つめていた。
秋緒の兄・貴澄に嫁いで来る花嫁・怜姫(れいき)は、藩の筆頭家老の姪で、器量の良い明るい娘だ
という。
しかし秋緒は知っている、彼女の知られざる闇の者であった頃の過去を…。
秋緒は、つい最近まで「秋於丸」という名の男として育てられ、兄や門下生達と共に修行に励み、剣
術の腕を磨いて来た。秋於丸の剣術の腕はかなりのもので、十歳そこそこにして兄を超える実力にな
り、浅水家の闇剣術「浅水流小刀術」を授けられるほどであった。「浅水流小刀術」は、通常の刀よ
りやや短い「小刀」のみを用いて行う剣術で、もともと大柄ではなかった浅水家の祖が創始したもの
である。その機動性と通常の刀以上の殺傷力は他の流派を恐れさせ、それが故に浅水家宗家にしか伝
えられることがなかった。その術を幼くして伝えられた位なのだから、彼女の実力はかなりのもので
あったことがうかがえる。しかし、どれだけ剣術が強かろうと、秘伝を伝えられようと、女である以
上、彼女が家を継ぐことはおろか、真剣を触れることすら許されない。
一月前、秋緒が「女」になった時から、彼女の生活は一変し、竹刀を持つことを禁じられ、「女」と
しての人生を全うするよう、今まで全く構うことのなかった礼儀や家事を一からたたきこまれた。掃
除洗濯飯炊きをするより道場で竹刀や木刀を振り回していた方が性に合う秋緒にとっては、「女」に
なってからの生活は苦痛でしかなかった。そして今現在も、剣術への気持ちは捨てられず、つい竹ボ
ウキを竹刀のように持ってみたくなる衝動にかられる。
しかし、その衝動は強引に抑え付けられる。
「秋緒様ー、もうすぐお嫁さまが来るから、さっさと掃除してしまいなさい!」
(…何さ、来て欲しくもない!あんな闇くずれが…)
秋緒が渋々掃除をしていると、屋敷の向かいに広がっている桜の森から、ぼおっと白い影が近付いて
来る。人のようだ。影は次第に大きさを増して来る。
影は、これから浅水家に嫁入りする怜姫だった。彼女は、女にあらざるほど速く身軽に移動し、桜の
森に潜むかのように静かに近付いて、そして秋緒の方をちらっと見た。
その視線に、秋緒は恐ろしいものを感じた。悪い宿命を感じていた。
(もしかして…私はこの女にとって代わられる!?)
その日の夜、婚礼は盛大に行われた。
白無垢姿の怜姫が、秋緒には自分では抗えないほどとてつもなく大きい存在のように思えた。
果たして、それは事実になるのだろうか…?
ともかく、この日を境に、秋緒の浅水家での立場は急落していくことになる。
その2へ続く→