ブエノスの花屋さん(左側は公衆電話)
《ブエノス日記》

 1989年1月22日 
 午後2時ころ成田着。5時半から出国審査。離陸は1時間遅れて午後8時。カナディアン航空機に搭乗。1時間してから食事(ステーキ)。座席は翼の真上で窓側。エンジンが近くうるさい。いろいろテープを聞くが集中できない。緊張しているのかも。日本時間で午前2時ころに日の出が見える。下は一面雲海だが水平線の方は下から黒、オレンジ、青、黒と微妙に変化していてとても美しい。となりの席は三井の商社マンとのことでよく話しかけてくる。周囲の乗客にも日本人が多い。日本時間で午前3時35分(現地時間午前10時35分)、バンクーバー着。機内清掃、給油のため一時降ろされ、空港内で待たされる。売店は閉まっていて、サービスでコーヒーや紅茶がポツンと置かれているだけ。2時間後、再び搭乗する。日本人が減り東南アジア系の人たちが増えている。機内アナウンスも日本語、英語にフランス語、中国語が加わる。昨日までバイトに追われていたので、今ブエノスに向かっているなんて夢のよう。機内食はビーフシチュー。現地時間午後7時20分トロント着。着陸直前に見えたトロントの町の夜景がとても奇麗。黒いビロードの上に宝石をまき散らしたよう。碁盤の目のように引かれた道路を走る自動車が見える。預けたトランクなどはそのままで、手荷物だけ持ってここで飛行機を乗り換えるのだが出発まで2時間もあるので空港内を歩き回る。あたり前だが外人ばかり。ほとんどが白人だが、黒人や頭にターバンを巻いたインド人?も。コーラを飲みタバコとガムを買う。ちょっと太った黒人の女の子が働いていたがえらく無愛想。午後10時トロント離陸(といっても移動する度に現地の標準時間が異なるので自分にとって昼だか夜だかよくわからなくなっている)。機内食はチキンのクリーム・シチュー。これから南米に向かう訳だが、やはり周囲にはスペイン語を話す人が増えている。東洋系の人はほとんど見かけない。なにか不思議な感じ。

  1月23日
 下は一面雲海。雷なのか、夜の暗い雲海のあちこちで時々丸い光が花火のように現われては消えて行く。幻想的で不思議な光景。現地時間で午前10時にブエノス・アイレスのエセイサ空港着。着陸の際、若干衝撃はあったものの無事着陸したので機内では乗客から大きな拍手がおきる。出国手続きに時間がかかる。3ヵ所しかない窓口に多くの乗客が集まる上に、一列に並ばず無秩序。さらにどんどん割り込んで来る人もいて収拾がつかない。結局荷物を取って外へ出たのが昼の12時。鍛冶さんが迎えに来ているとのことだったので、到着ゲートから出てから探すが見当たらない。すぐに髭をはやした浅黒く若い男が「タクシー?」と声をかけてくるが、事前にタクシーは危ないと聞いていたので無視する。
 とにかく鍛冶さんに電話しようと、到着ゲート近くにある両替所でとりあえず$40を現地通貨アウストラルに替える。電話は専用のコインが必要なのでキオスコで買おうとするが、おばさんの言っている金額が分からないので、持っている金を見せて必要な額だけ取ってもらう。電話するとやっと鍛冶さんと話しができた。あとで分かるのだが、何かの手違いでぼくが来ることなどは全然聞いていないとのことで、電話したとき家にいたのも外出先から用事があってたまたま戻った時だったそうだ。タクシーはあぶないのでレミース(ハイヤーのようなもの?)に乗ってカストラル・ホテルに来るよう言われる。運転手は高速道路ではえらく飛ばすので怖い。途中道路の脇に戦車数台、軍用トラックにそれをとりまく兵士を見かける。ちょっとぶっそうな感じ。ホテルに着くとタイミング良く、鍛冶さんが来てくれた。その話しでは最近ブエノスはドル安でホテルも高く、自分もすぐに日本へ行ってしまうので、悪い時期に来たと言われる。ぼくが来ることに関して斎藤さんからも何の連絡もないとのこと。鍛冶さんはアグリのリハーサルと志賀さんのレコーディングで今日は忙しいらしい。宿泊の手続きをして部屋に行き荷物を置いてから外へ出る。とにかく暑いので何か飲もうと鍛冶さんに教わった、大通りの角にあるグリルという書いてある店へ行く。コークと焼豚みたいな肉を注文。この店は入り口で伝票をもらい、店のあちこちで作っている料理を見て注文するたびに伝票を渡してチェックしてもらい最後に精算するシステム。見て選べるので分かりやすい。食後、向こうのテーブルの中年男性がアイスクリームのようなデザートをうまそうに食べているので、勇気を出して何だか尋ねると「クレーマ〜」とか言ったので、忘れないうちにデザートのカウウンターに行って言われたようにいうと、同じものをくれた。1度ホテルに戻り、徹さんが書いてくれた地図をたよりにフロリダ通りへ行ってみる。暑い。町の印象はかつて繁栄した大都会といった感じ。ヨーロッパ風な大きな建物が並んでいるが、薄汚れてすすけた感じ。放っておいたらさびれたスラムになりそうな通りもある。ヌエベ・デ・フリオ通りは歩道も広いが所どころ土がむき出しになっていたり、1.5mくらいの穴を板でふさいだところもある。ゴミも落ちていて奇麗とは言えない。フロリダ通りに来ると痩せたおばさんが幼児を連れて物乞いをしていた。しかし人通りは多く、やたら歩いている。鍛冶さんの話しでは今は夏のバカンスの時期なのでこれでも普段の半分だそうだ。中にはあぶなそうな人や、声をかけてくる人もある。白人が多いがインディオ風の人も若干いる。黒人は滅多に見かけない。斎藤さんに教わった鈴木トラベルに電話するが、バスで来なさいといわれ、バスの乗り方が分からないので断念。町を歩き回ってホテルに帰る。鍛冶さんも日本へ行ってしまうし、前途多難な感じ。食事で80アウストラル。アドルフォ・ベロンのカセット・テープ3本で90アウストラル使う。

  1/24(火)
 午前9時半、鍛冶さんが来るが寝ていた。ホテル代を精算(456アウストラル)。以前の倍くらいらしい。ここカステラル・ホテルは高いというので、鍛冶さんの車でオルリというホテルへ行く。部屋に荷物を置き、ロビーに降りてくるとオルランド・トリポディとバイオリンのSさんがレコーディングの打ち合わせ中。挨拶する。鈴木トラベルへ歩いて行く。いろいろ話しを聞いて、部屋の世話をお願いする。鍛冶さんと別れたあと、一人で街をうろうろする。デパートの中で客寄せのためかジャズを演奏していた(tb,tp,cl,el.p,el.b,ds)が、ちゃんとアドリブしていた。フロリダ通りではフォルクローレのグループが2つ(1つはケーナとギターで演奏のみ、もう1つはチャランゴとギターで歌)を見たがどちらもうまい。老人のバンドネオン弾きもいたが、こちらはそんなにうまくはなかった。ホテルの周囲だけだが、随分歩いた。歩いていると、とにかく暑くて喉が乾くのでマクドナルドに入るが、言葉が分からないのでコークを注文して飲む。ピアソラなど譜面(90アウストラル)、ピアソラとタンゴの本(1130アウストラル)、レコード2枚(ラウル・ガレーロ、メルセデス・ソーサ/160アウストラル)を買う。

  1/25(水)
 朝10時にホテルのロビーでペノンに会う予定が、1時間遅れてやってくる。鍛冶さんが手配してくれたものだが、部屋に来て2時間近く見てくれる。レッスンの方針を話す。彼が言うには「スケールやアルペジオは日本にいてもできるから、せっかくブエノスに来たのだから、自分はタンゴを教える」とのこと。昨夜暑かったのでクーラーをつけたまま寝たせいか体調が良くない。熱っぽい感じで身体が重い。左耳が痛む。出発前々日までバイトをしていたせいか、疲れがでているのかもしれない。眠っているとき、腰が痛む。無気力。そんなことでペノンが帰ったあと、午後10時ころまでうとうとしてしまう。空腹で目が覚め外へ行くが、さっぱりしたものが欲しいのでアップル・パイとファンタを注文。

  1/26(木)
 昨日に引き続き体調が良くないのでベッドで寝ていたら、向かいの部屋のSさんが来てドルが欲しいと両替を頼まれた。中華料理の安いバイキングがあると教わる。多少気分が良くなってから外出。フロリダ通りからコリエンテス通りを歩き回り、レコード13枚買う(3枚$15、8枚$43、2枚211アウストラル)。ヴィラ・ロボスとピアソラの譜面を買う。

  1/27(金)
 鈴木トラベルへ手紙の出し方を教わろうと部屋を出たところで、Sさんに会う。レコーディングのトラック・ダウンに行くというので連れていってもらう。ミュージック・ホールのスタジオへ。トリポディ氏と小学生くらいのお嬢さん、エンジニアの人、ピアノのKさん、鍛冶さんも。終わってから皆でカフェへ行き、サンドイッチを食べる。

  1/28(土)
 コリエンテス通りをウルグアイ通りの方へ探索。レコード6枚買う(451アウストラル)。その後、着いた日に行ったグリルという名のレストランで食事。サン・マルティン文化センター近くで楽器屋やライブ・ハウスを発見。ただし土曜日の昼間なので閉まっているところが多い。

  1/29(日)
 フロリダ通りへ行くが日曜日のせいか閉まっている店が多い。夜になると人通りが若干多くなる。ディノ・サルーシのカセットを2本買う(90アウストラル)。

  1/30(月)
 向かいの部屋のS氏、今日、日本へ帰るというので手紙5通預ける。フロリダ通りでカセット7本買う(320アウストラル)。

  1/31(火)
 ヌエベ・デ・フリオ通りでフォルクローレのバンドネオンのレコード1枚買う(49アウストラル)。鍛冶さん、今日、日本へアントニオ・アグリ公演のため行く。夜、ホテル前の店でステーキ他食べる(104アウストラル)。その後、フロリダ通りへ行く。サンバのパーカッションのグループが街頭で演奏していたがかなりうまく、人だかり。テープ3本買う(240アウストラル)が高い。

 *当時のレートは$1=15〜16アウストラル位だったように記憶しているから、たとえば食事1回で104アウストラルというのは$6〜7で¥600〜700といったところか。ステーキに付け合わせのポテト・フライをたっぷり、サラダ、ワイン、デザートでこの値段はかなり安いのではないだろうか。ただし当時はものすごいインフレで交換レートが毎日変化していた。$1=15アウストラルでも、翌日は$1=18アウストラルといった具合で、それに合わせて物価の上昇がひどかった。たとえば15アウストラルのものが翌日には18アウストラルになっていた。だから人々は金が入るとすぐにドルに両替したり品物を買って生活防衛していた。

  2/ 1(水)
 コリエンテス通りを西の方へ歩く。途中、レコード2枚、テープ1本、譜面1冊買う。180アウストラル。

  


BANDONEON表紙に戻る