《タンゴ 人物生没年》



  タンゴに関わる主な人物の生年月日、没年月日、主な分野・経歴などを分かる範囲内で記すことにする。前半は生年月日順、後半は姓名順(名字を50音順に)で並べた、
 
  このようなものを制作したのは、ある時浮かんだ、「ピアソラとプグリエーセの年齢差はどのくらいなのか?」、「トロイロとプグリエーセの年齢差は?」という、たわいもない疑問からであった。
 こうした興味で調べて行くうちに、まとめてみようと思い立った。タンゴの歴史は長いので、全てを網羅するという訳には行かないが、とりあえずは主要な人物を取り上げた。
  これを見ると、あらためていかに数多くの人たちがそれぞれに価値のある立派な仕事をして、タンゴというものを今日に伝え残したかを実感し、頭の下がる思いがした。
 おそらくここには書ききれない逸話が無限にあるはずだろう・・・。と同時に、全ての人間はいずれは鬼籍に入る訳で、人間の生き死ということを考えさせられた。
 
  不備がありましたら、ご容赦願いたい。またその際は御連絡、教えをいただけると有り難いと思います。


 
 【生年月日順】

 
 ガビノ・エセイサ 1858年2月3日〜1916年10月12日
  パジャドール(吟遊詩人)。

 アンヘル・ビジョルド 1861年2月16日〜1919年10月14日
  歌手兼ギタリスト。ハーモニカ奏者。作詞作曲家。脚本家。吟遊詩人。サーカスの役者。また無声映画に出演し俳優、ダンサーを務める。「エル・チョクロ」、「エル・ポルテニート」、「エル・エスキナーソ」の作曲者。
  「エル・エントリアーノ」、「ラ・モローチャ」の作詞者。

 ロセンド・メンディサバル 1868年4月21日1〜1913年6月30日
  ピアノ奏者。タンゴ創世記の伝説的人物。正式に音楽を学んだ記録はないが、酒場やダンスホールのお抱えピアニストとして働く。当時の楽器編成は主にピアノ、フルート、バイオリン、ギター。「エル・エントリアーノ」の作曲者

 エンリケ・サボリード 1877年?〜1941年9月19日
  ピアノ奏者。ダンサー。ウルグアイ生まれ。「フェリシア」、「ラ・モローチャ」の作曲者。

 アルフレード・ゴビ(父) 1877年〜1938年
  サーカスでデビュー。ギター奏者、歌手、俳優、ピエロとして働く。何度か訪欧するが、1907年には女優で歌手のフローラ夫人、アンヘル・ビジョルドと共にパリで録音。ダンス教室も開く。サルスエラ、パジャーダ、
  タンゴ、ミロンガの他、コミカルな情景描写の歌も残す。


 ファン・マグリオ ”パチョ” 1880年11月18日〜1934年7月14日
  バンドネオン奏者。楽団リーダー。ドミンゴ・サンタ・クルスにバンドネオンを師事する。自己の4重奏団を結成(バンドネオン、バイオリン、ギター、フルート)。その後、楽団を拡大する。
  タンゴ史上、最初のバンドネオン・ソロを録音。「半ドン(サバド・イングレス)」の作曲者

 ガビノ・コレア・ペニャローサ 1881年2月19日〜1975年10月31日
  「カミニート(ファン・デ・ディオス・フィリベルト作曲)」、「エル・パニュエリート(ファン・デ・ディオス・フィリベルト作曲)」の作詞者。

 ロベルト・フィリポ 1884年5月10日 〜1969年6月14日
  ピアノ奏者。楽団リーダー。オルケスタを率いると共に、ピアノ、バンドネオン、バイオリンX2編成のクアルテート(四重奏団)を結成し古典スタイルを追求する。
  「夜明け」、「アルマ・デ・ボエミオ」の作曲者。「ラ・クンパルシータ」を補作し現在の形式に整え、1916年に初演。

 アグスティン・バルディ 1884年8月13日〜1941年4月21日
  ピアノ奏者。若い時にはギター、後にバイオリン、ピアノ、和声、作曲法を学ぶ。定年まで商社に勤めながら演奏活動も行う。ヘナロ・エスポシト、カルロス・マッチ、ビセンテ・グレコ、エドゥアルド・アローラスなどと共演。
  「ロレンソ」、「恋人もなく」、「ガジョ・シエゴ」、「ラ・ウルティマ・シータ」、「ケ・ノーチェ」、「ティンタ・ベルデ」の作曲者。
  オスバルド・プグリエーセの「アディオス・バルディ」、オラシオ・サルガンの「ドン・アグスティン・バルディ」が捧げられている。

 ドミンゴ・サンタ・クルス 1884年12月20日〜1931年8月5日
  バンドネオン奏者。「ウニオン・シビカ」の作曲者。

 ファン・デ・ディオス・フィリベルト 1885年3月8日〜1964年11月11日
  作曲家。楽団リーダー。彼が創立した楽団は国立オーケストラとして現在も存続する。「カミニート」、「バンドネオンの嘆き」、「ミロンガの泣く時」、「エル・パニュエリート」の作曲者。

 ビセンテ・スカラムッツァ 1885年6月19日〜1968年3月24日
  ピアノ奏者。作曲家。タンゴの演奏家ではないが、ピアノ教授としてクラシック界ではマルタ・アルヘリッチ、ブルーノ・ゲルバー、マウリシオ・カーゲル、ダニエル・バレンボイムなど、
  タンゴ界ではオラシオ・サルガン、オスバルド・プグリエーセ、オスバルド・マンシ、オルランド・トリポディなどを育てる。

 エルネスト・ポンシオ  1885年7月10日〜1934年10月21日
  バイオリン奏者。「ドン・ファン」の作曲者。

 (エル・ターノ)ヘナロ・エスポシト 1886年2月17日〜1944年1月24日
  バンドネオン奏者。1910年代、ブエノス.アイレスで活動後、パリにて活躍。同地で没する。

 マヌエル・ホベス 1886年3月8日〜1927年8月26日
  ピアノ奏者。「パトテロ・センチメンタル(マヌエル・ロメロ作詞)」、「ブエノス・アイレス(マヌエル・ロメロ作詞)」、「ロカ(アントニオ・ビエルゴル作詞)」の作曲者。

 ルイス・バーンステイン 1888年1月28日〜1966年1月1日
  コントラバス奏者。ギターから転向。長兄にバンドネオン奏者のアルトゥーロ・バーンステインがいる。エドゥアルド・アローラス、ラファエル・イリアルテ、アンセルモ・アイエタ、フランシスコ・マティーノたちと共演。
  「エル・アブロヒート」、「ドン・ゴジョ」の作曲者。

 ビセンテ・グレコ 1888年2月3日〜1924年10月5日
  バンドネオン奏者。音色が美しかったことから、「場末のミサ」と呼ばれる。「ロドリゲス・ペニャ」、「オホス・ネグロス」の」作曲者。

 パスクアル・コントゥルシ 1888年11月18日〜1932年5月29日
  「ラ・クンパルシータ(シ・スピエラス・・・で始まる)」、「ミ・ノーチェ・トリステ」、「バンドネオン・アラバレーロ」の作詞者。

 フランシスコ・カナロ 1888年11月26日〜1964年12月14日
  バイオリン奏者、楽団リーダー。ウルグアイ生まれ。オルケスタと共にキンテート・ピリンチョを結成。「センティミエント・ガウチョ」、「ラ・ウルティマ・コーパ」、
  「コラソン・デ・オロ」、「マドレセルバ」の作曲者。

 アウグスト・ベルト 1889年2月4日〜1953年4月29日
  バンドネオン奏者。「ラ・パジャンカ」、「イベッテ」、の作曲者。「ドンデ・エスタ・コラソン(ルイス・マルティネス・セラーノ作詞作曲)」をタンゴに改編。


 サムエル・カストリオータ 1890年〜1932年
  ピアノ奏者。「ミ・ノーチェ・トリステ(パスクアル・コントゥルシ作詞)」の作曲者

 ホセ・マルティネス 1890年1月28日〜1939年7月27日
  ピアノ奏者。アウグスト・ベルト、エドゥアルド・アローラス、フランシスコ・カナロらと演奏する。「パブロ」、「エル・ペンサミエント」の作曲者

 ファン・アンドレス・カルーソ 1890年9月20日〜1931年3月1日
  「アルマ・デ・ボエミオ」、「カスカベリート」、「センティミエント・ガウチョ」、「ウン・プラセール」の作詞者。

 ルイス・アルベルト・フェルナンデス 1890年9月29日〜1947年9月
  作曲家。ウルグアイ生まれ。「エル・ポジョ・リカルド」は、ファン・マグリオ楽団、ドン・パンチョ楽団、カルロス・ディサルリ楽団、ファン・ダリエンソ楽団、アニバル・トロイロ楽団、キンテート・レアル、
  エクトル・バレーラ楽団、アルフレード・デ・アンジェリス楽団、マリアーノ・モーレス楽団、エクトル・スタンポーニ楽団、フェデリコ=グレーラ・クアルテート、レオポルド・フェデリコ楽団、セステート・タンゴ、
  オスバルド・ベリンジェリ楽団、オスバルド・モンテス=アニバル・アリアス、エル・アランケなど多数の楽団によって録音されている。
 
 カルロス・ガルデル 1890?年12月11日〜1935年6月24日
  歌手。俳優。フランス生まれの説あり。タンゴに歌のジャンルを確立する。400種以上の録音を有する。「マノ・ア・マノ(ホセ・ラサーノとの共作、セレドニオ・フローレス作詞)」、
  「想いの届く日(アルフレード・レ・ペラ作詞)」、「ミ・ブエノス・アイレス・ケリード(アルフレード・レ・ペラ作詞)」、「ボルベール(アルフレード・レ・ペラ作詞)」の作曲者。
  アメリカで主演映画「想いの届く日」を撮影終了後、ベネズエラ、コロンビアでステージをこなしながらアルゼンチンへの帰路、コロンビアのメデジン空港で搭乗機が離陸に失敗。
  同乗していたアルフレード・レ・ペラや伴奏ギタリストたちと共に事故死。

 イグナシオ・コルシーニ 1891年2月13日〜1967年7月26日
  歌手。イタリア生まれ。フォルクローレ歌手出身でギターによる弾き語りもこなす。舞台や映画にも出演。

 エドゥアルド・アローラス 1892年2月24日 〜1924年9月29日
  バンドネオン奏者。「バンドネオンの虎」の異名を持つ。リカルド・ゴンサレスに影響されて、独学でバンドネオンを弾きはじめる。「ウナ・ノーチェ・デ・ガルーファ」、「ラ・カチーラ」、
  「デレーチョ・ビエホ」、「エル・マルネ」、「花火(ロベルト・フィリポと共作)」、「コム・イル・フォー」、「ラ・ギタリータ」、「マイポ」の作曲者。パリで亡くなる。

 リカルド・ルイス・ブリグノーロ 1892年3月7日〜1954年3月27日
  バンドネオン奏者。「チケ」の作曲者

 エドゥアルド・ビアンコ 1892年6月28日〜1959年10月26日
  バイオリン奏者。1923年、ヨーロッパに渡り活動。

 ファン・カナロ 1892年7月25日〜1977年3月16日
  バンドネオン奏者。ウルグアイ生まれ。フランシスコ・カナロ実弟。1954年、来日。戦後初の本格的なタンゴ楽団として脚光を浴びる。

 アルベルト・アロンソ 1893年4月12日〜1974年9月27日
  ピアノ奏者。ウルグアイ生まれ。アロンソ=ミノット楽団を結成。1917年に「ラ・クンパルシータ」を録音。

 イボ・ペライ 1893年5月5日〜1959年8月28日
  「アディオス・パンパ・ミア」の作詞者。

 アドルフォ・カラベリ 1893年9月8日〜1947年1月25日
  ピアノ奏者。ビクトル社の顧問として活躍。オルケスタ・ティピカ・ビクトルの結成に尽力する。

 フランシスコ・ロムート 1893年11月24日〜1950年12月23日
  ピアノ奏者。楽団リーダー。「シ・ソイ・アシ」、「ヌンカ・マス」、「ソンブラス・ナダマス」の作曲者。SADAICの創設者の一人。

 ギジェルモ・バルビエリ 1894年9月25日〜1935年6月24日
  ガルデルの伴奏ギタリスト。歌手。「アンクラーオ・エン・パリス/パリにつながれて(エンリケ・カディカモ作詞)」の作曲者。

 カルロス・ビセンテ・ヘロニ・フローレス 1895年〜1953年
  ピアノ奏者。「ア・ラ・ルス・デ・カンデール(フリオ・ナバリーネ作詞)」の作曲者。

 カルロス・レンシ 1895年11月3日〜1963年6月10日
  「ア・メディア・ルス」の作詞者。

 エンリケ・デルフィーノ 1895年11月15日〜1967年1月10日
  ピアノ奏者。オルケスタ・ティピカ・セレクトに参加し、アメリカで録音。「レ・ファ・シ」、「ミロンギータ(サムエル・リンニグ作詞)」、
  「グリセータ(ホセ・ゴンサレス・カスティージョ作詞)」の作曲者。

 マヌエル・ピサロ 1895年11月23日〜1982年
  バンドネオン奏者。1910年代にブエノス・アイレスで活動後、ヨーロッパへ渡り、長らくパリで活動。

 ロシータ・キロガ 1896年1月16日〜1984年10月16日
  歌手。ファン・デ・ディオス・フィリベルトよりギターを学ぶ。アグスティン・マガルディとデュオを組んだ後、ソロとなり、フォルクローレからタンゴとへとレパートリを広げる。
  オデオン所属のカルロス・ガルデルに対し、ビクトル所属の女性歌手として対峙される。

 アントニオ・ボナベーナ 1896年3月14日〜1960年7月22日
  バンドネオン奏者。イタリア生まれ。1930年にガブリエル・クラウシ、フェデリコ・スコルティカティ、ホセ・ティネリなどを集めてアルゼンンチン・コロンビアに録音を残す。

 ファン・カルロス・コビアン 1896年5月31日〜1953年12月10日
  ピアノ奏者。楽団リーダー。コビアンの結成した6重奏団は自身の北米行きにより、フリオ・デ・カロに引き継がれるが、近代的アンサンブルの開祖と位置付けられる。「ノスタルヒアス(エンリケ・カディカモ作詞)」、
  「ロス・マレアドス(エンリケ・カディカモ作詞)」、「エル・モティーボ(パスクアル・コントゥルシ作詞)」「ラ・カシータ・デ・ミス・ビエホス(エンリケ・カディカモ作詞)」、
  「リアチュエロの霧(エンリケ・カディカモ作詞)」、「ミ・レフーヒオ(ペドロ・ヌーマ・コルドバ作詞)」の作曲者。

 セレドニオ・フローレス 1896年8月3日〜1947年7月28日
  「マノ・ア・マノ」、「メンティーラ」、「ラ・マリポーサ」、「コリエンテス・イ・イスメラルダ」の作詞者。

 アンセルモ・アイエタ 1896年11月5日〜1964年9月25日
  バンドネオン奏者。ターノ・ヘナロ・エスポシトにバンドネオンを師事。フランシスコ.カナロ楽団に在籍。「アルマ・エン・ペーナ(フランシスコ・ガルシア・ヒメネス作詞)」、
  「シ−ガ・エル・コルソ」、「パロミータ・ブランカ」、「コラレーラ」の作曲者。

 ラファエル・ロッシ 1896年12月28日〜1982年12月24日
  バンドネオン奏者。ファン・マグリオ楽団、ホセ・マルティネス楽団、ロベルト・フィリポ楽団に在籍。自身の楽団でも録音するが、タンゴ以外の曲も多かった。
  「フエベス」、「センダ・フロリダ(エウヘニオ・カルデナス作詞)」の作曲者。

 フリオ・セサル・サンデレス 1897年2月13日〜1942年6月10日
  ピアノ奏者。「アディオス・ムチャーチョス」の作曲者。

 アドルフォ・ペレス(ポチョーロ) 1897年3月25日〜1977年8月23日
  バンドネオン奏者。ファン・マグリオのオルケスタに入団、教えを受ける。自身のオルケスタでも活動。
 
 ヘラルド・ヘルナン・マトス・ロドリゲス  1897年3月28日〜1948年4月25日
  「ラ・クンパルシータ」、「アディオス・アルヘンティーナ」、「モコシータ」の作曲者。ウルグアイ生まれ。
 
 アヘシラオ・フェラサーノ 1897年7月31日〜1980年1月18日
  バイオリン奏者。ロベルト・フィリポ楽団、フランシスコ・カナロ楽団に在籍。オスバルド・フレセド、ファン・カルロス・コビアン、エンリケ・デルフィーノと共演。
 
 エドゥガルド・ドナート 1897年4月14日〜1963年2月15日
  バイオリン奏者。楽団リーダー。「淡き光りに」、「台風」、「エル・アコモード」の作曲者。

 オスバルド・フレセド 1897年5月5日〜1984年10月18日
  バンドネオン奏者。楽団リーダー。オルケスタ・ティピカ・セレクトの後、オルケスタを結成。「エル・オンセ」、「ビーダ・ミア」の作曲者。

 ロシータ・メロ 1897年7月9日〜1981年8月12日
  1911年に「デスデ・エル・アルマ」を作曲。

 フランシスコ・プラカニコ 1898年〜1971年
  ピアノ奏者。アドルフォ・カラベリに師事。自身のオルケスタや歌手の伴奏で活動。「メンティラ(セオドニオ・エステバン・フローレス作詞)」の作曲者。

 ファン・(バウティスタ)・ギド 1898年2月1日〜1945年10月5日
  バンドネオン奏者。ロベルト・フィリポ楽団に在籍。自らオルケスタを結成。

 フランシスコ・デ・カロ 1898年3月23日〜1976年7月31日
  ピアノ奏者。「フローレス・ネグラス」、「ロカ・ボエミア」の作曲者。フリオ・デ・カロ実兄。

 ミノット(エンリケ)・ディ・チコ 1898年10月11日〜1979年9月9日
  バンドネオン奏者。ウルグアイ生まれ。1917年にアルベルト・アロンソと「ラ・クンパルシータ」を録音。ファン・マグリオ・パチョ、フランシスコ・カナロの楽団で活動。
 
 アグスティン・マガルディ 1898年12月1日〜1938年9月8日
  歌手。タンゴとフォルクローレを女性歌手とのデュオやソロで歌う。「アジャ・エン・エル・バホ(ペドロ・ノダ作詞)」の作曲者。

 フランシスコ・ガルシア・ヒメネス 1899年〜1947年
  「アルマ・エン・ペーナ(アンセルモ・アイエタ作曲)」、「シーガ・エル・コルソ(アンセルモ・アイエタ作曲)」、「ソロ・グリス(ラファエル・トゥエゴルス(作曲)」、
  「ラ・ウルティマ・シータ(アグスティン・バルディ作曲)」の作詞家。

 レオポルド・トンプソン 1899年?〜1925年8月21日
  コントラバス奏者。フリオ・デ・カロ楽団などに在籍。「マノ・ブラバ」の作曲者。

 ペドロ・マフィア 1899年8月28日〜1967年10月16日
  バンドネオン奏者。ロベルト・フィリポ楽団、ファン・カルロス・コビアン楽団に在籍後、フリオ・デ・カロ楽団に参加。退団後、自身のオルケスタを結成。「ラ・マリポーサ」、
  「アムラード(ペドロ・ラウレンスとの共作)」、「タコネアンド」の作曲者。バンドネオン教本を出版。

 フリオ・デ・カロ 1899年12月11日〜1980年3月11日
  バイオリン奏者。楽団リーダー。10代でエドゥアルド・アローラス楽団に参加。その後、ファン・カルロス・コビアンのセステート(6重奏団)を引き継ぎ、タンゴに本格的なアレンジを導入する。
  セステート解散後はオルケスタを結成。「トド・コラソン」、「ラ・ラジュエラ」、「コパカバーナ」、「ティエラ・ケリーダ」、「マーラ・フンタ(ペドロ・ラウレンスとの共作)」、「ボエド」、
  「オルグージョ・クリオージョ(ラウレンスと共作)」の作曲者。


 タニア 1900年?〜1999年2月
  歌手。スペイン生まれ。10代のころよりレビュー団に参加。歌手、役者、ダンサーとなる。ブエノス・アイレスでエンリケ・サントス・ディセポロと知り合い、パートナーとなる。

 ホセ・セルビディオ 1900年3月19日〜1969年6月6日
  バンドネオン奏者。オスバルド・フレセド楽団、フランシスコ・カナロ楽団、ロベルト・フィリポ楽団に在籍後、自身のオルケスタを結成。

 パキータ・ベルナルド 1900年5月1日〜1925年4月14日
  バンドネオン奏者。女性初のバンドネオン奏者と言われる。オスバルド・プグリエーセの「レクエルド(想い出)」は彼女に捧げられたと言われる。

 アンヘル・ダゴスティーノ 1900年5月25日〜1991年1月16日
  ピアノ奏者。楽団リーダー。歌手アンヘル・バルガスを擁し人気を得る。「カフェ・ドミンゲス」、「トレス・エスキーナス(アルフェレード・アタディアとの共作、エンリケ・カディカモ作詞)」の作曲者。

 アルフレード・レ・ペラ 1900年6月4日〜1935年6月24日
  作詞家。映画演劇作家。「メロデイア・デ・アラバル(カルロス・ガルデル作曲、マリオ・バティスステージャとの共作)」、「シレンシオ(カルロス・ガルデル、オラシオ・ペトロッシとの共作)」、
  「ミ・ブエノス・アイレス・ケリード(カルロス・ガルデル作曲)」、「想いのとどく日(カルロス・ガルデル作曲)」、「首の差で(カルロス・ガルデル作曲)」、
  「ボルベール(カルロス・ガルデル作曲)」の作詞者。コロンビアのメデジン空港での事故でカルロス・ガルデルと共に亡くなる。

 エンリケ・カディカモ 1900年7月15日〜1999年12月3日
  「ロス・マレアドス」、「両親の小さな家」、「マダム・イボンヌ」、「リアチュエロの霧」、「ノスタルヒアス」、「恋人もなく」、「パ・ケ・バイレン・ロス・ムチャーチョス」、
   「ポール・ラ・ブエルタ」、「シュシェータ」、「ガルーア」の作詞者。演出家、脚本家、映画監督でもあった。

 エドゥアルド・ペレイラ 1900年10月13日〜1973年2月21日
  ピアノ奏者。「マダム・イボンヌ」、「エル・アフリカーノ」の作曲者

 ファン・ダリエンソ 1900年12月14日〜1976年1月14日
  バイオリン奏者。楽団リーダー。「エル・レイ・デル・コンパス(リズムの王様)」と呼ばれる。1930年代、ピアノにロドルフォ・ビアジ、ファン・ポリートを擁して、マンネリズムに陥った
  タンゴ界に躍動感溢れるリズミックな演奏を導入し、脚光を浴びる。その後、フリビオ・サラマンカ(ピアノ)、カルロス・ラサリ(バンドネオン)を中心に活動を続ける。飛行機嫌いと言われ、そのため本人は来日しなかった。

 エンリケ・ロドリゲス 1901年3月8日〜1971年9月4日
  バンドネオン奏者。自身の楽団でタンゴの他、マルチャ、パソドブレ、フォクストロット、ランチェーラなどダンス用に多数録音する。
  「ソン・コーサス・デ・バンドネオン(エンリケ・カディカモ作詞)」の作曲者。

 エンリケ・サントス・ディセポロ 1901年3月27日〜1951年12月23日
  舞台俳優。演出家。「今宵われ酔いしれて」、「カンバラーチェ」、「ジーラ、ジーラ」の作詞作曲者。「メルセ寺院の鐘(アルフレード・レ・ペラ作詞)」、
  「アルマ・デ・バンドネオン(ルイス・セサル・アマドリ作詞共作)」の作曲者。「ウノ」、「エル・チョクロ」の作詞者。歌手タニアのパートナー。

 ホセ・ボール 1901年9月3日〜1994年5月29日
  歌手。ピアノ奏者。ドイツのボンで生まれる。「カスカベリート」の作曲者。

 カジェタノ・プグリシ 1902年1月2日〜1968年11月2日
  バイオリン奏者。イタリア生まれ。ロベルト・フィリポ楽団、フランシスコ・カナロ楽団、ファン・ダリエンソ楽団などでソリストを務める他、自身の楽団でも活動する。

 ロベルト・セリージョ 1902年6月20日〜1955年5月5日
  バイオリン奏者。エドガルド・ドナートと共同でオルケスタを結成。ススセナ・マニサイとヨーロッパへ楽旅。その後、自身の楽団を結成。フランシスコ・フィオレンティーノも一時、在籍する。

 マリオ・フランシア 1902年6月29日〜1981年5月7日
  バイオリン奏者。オスバルド・フレセド、エンリケ・デルフィーノ、ファン・カルロス・コビアン、フリオ・デ・カロらと共演。オルケスタ・ティピカ・ビクトルの初代メンバー。
 
 ペドロ・ラウレンス 1902年10月10日〜1972年7月7日
  バンドネオン奏者。楽団リーダー。フリオ・デ・カロ楽団退団後、自身のオルケスタを結成。同楽団にはオスバルド・プグリエーセ、アルフレーゴ・ゴビ、セサール・サニョーリ、ホセ・コランジェロ、
  シモン・バジュールらが在籍。その後、オラシオ・サルガンのキンテート・レアルに参加。「アムラード(マフィアとの共作)」、「ベレティン」、「マーラ・フンタ(デ・カロとの共作)」、
  「ミロンガ・デ・ミス・アモーレス」、「コモ・ドス・エクストラーニョス(ホセ・マリア・コントゥルシ作詞)」、「マル・デ・アモーレス」の作曲者。

 アスセナ・マイサニ 1902年11月17日〜1970年1月15日
  歌手。劇場での音楽劇や映画を中心に活躍。マニッシュなファッションと説得力ある歌唱で人気を博する。「ペロ・ジョ・セ」の作詞作曲者。

 カルロス・ディ・サルリ 1903年1月7日〜1960年1月12日
  ピアノ奏者。楽団リーダー。「タンゴの紳士」と呼ばれる。そのオルケスタはピアノのどっしりとした左手のリズムに煌めく右手の装飾。鋭いスタッカートと華麗なバイオリン・セクションの対比で人気を集める。
  アレンジはシンプルで、ソロや変奏はほとんど採用しない。生まれ故郷のバイア・ブランカ市で楽団を結成。ブエノス・アイレスに移住し、アンセルモ・アイエタ楽団、ファン・ペドロ・カスティージョ楽団のピアニストとなる。
  その後、自身の6重奏団、またオルケスタを結成しては解散をくり返す。その間、ファン・カナロ楽団、ファン・ダリエンソ楽団のピアニストを務めたり、シリアコ・オルティス、カジェタノ・プグリシとトリオを組んだりする。
  ロベルト・ルフィーノ、アルベルト・ポデスタ、ホルヘ・ドゥラン、アルヘンティーノ・レデスマなどの歌手、バイオリンのロベルト・ギサード、エルビーノ・バルダロ、バンドネオンのフェデリコ・スコルティカティ、
  ホセ・リベルテーラ、フリアン・プラサ、アルフレード・マルクーチ、コントラバスのアムレット・グレコなどを擁する。「バイア・ブランカ」、「ガウチョの巣」、「ミロンゲーロ・ビエホ」の作曲者。

 ルイス・ペトゥルチェリ 1903年1月18日〜1941年2月28日
  バンドネオン奏者。ホセ・マルティネス、ペドロ・マフィア、ファン・カルロス・コビアンと共演。フランシスコ・カナロ楽団、フリオ・デ・カロ楽団、オルケスタ・ティピカ・ビクトル、
  オスバルド・フレセド楽団、自己の楽団で活動。

 フェリシアーノ・ブルネリ 1903年2月7日〜1981年8月27日
  アコーディオン、ピアノ奏者。フランス生まれ。「イルシオン・デ・ミ・ヴィーダ」の作曲者。

 エクトル・アルトーラ 1903年4月30日〜1982年7月8日
  バンドネオン奏者。ウルグアイ生まれ。ウルグアイ、ヨーロッパ、ブエノス・アイレスで活動。
 
 カルロス・マルクーチ 1903年10月30日〜1957年5月31日
  バンドネオン奏者。楽団リーダー。フリオ・デ・カロ6重奏団に在籍。「ミ・ドロール」の作曲者。

 セバスティアン・ピアナ 1903年11月26日〜1994年7月17日
  ピアノ奏者。1930年代、オメロ・マンシと共に様々なタイプのミロンガを作曲し、ミロンガ復興ブームを創る。「ソブレ・エル・プーチョ(ホセ・ゴンザレス・カスティージョ作詞)」、
  「カセロン・デ・テハス(カトゥロ・カスティージョ作詞)」、「シルバンド(カトゥロ・カスティージョとの共作、ホセ・ゴンサレス・カスティージョ作詞)」、
  「ティンタ・ローハ(カトゥロ・カスティージョ作詞)」、「ミロンガ・デル・900(オメロ・マンシ作詞)」、「ミロンガ・センチメンタル(オメロ・マンシ作詞)」、
  「ミロンガ・トリステ(オメロ・マンシ作詞)」の作曲者。カンドンベにも造詣が深い。

 アレハンドロ・スカルピーノ 1904年1月16日〜1970年5月27日
  バンドネオン奏者。「カナロ・エン・パリス(ファン・カルダレーラとの共作)」、「セギメ・シ・ポデス(ファン・カルダレーラとの共作)」の作曲者。

 アントニオ・ロディオ 1904年1月25日〜1980年6月1日
  バイオリン奏者。ペドロ・マフィア楽団でトップ奏者を務める。カルロス・ガルデルやリベルタ・ラマルケの歌伴奏を務める。

 メルセデス・シモーネ  1904年4月21日〜1990年10月2日
  歌手。ロシータ・キロガの推薦でビクターで録音する。映画にも出演。「カンタンド」の作詩作曲者

 アントニオ・スレーダ  1904年10月4日〜1951年6月23日
  バンドネオン奏者。フリアン・ディバストのレッスンを受ける。トリオを結成し、映画館やラジオ局などで活動。またアドルフォ・ラファエル・アヴィレスのコンフントのバンドネオン奏者やサンティアゴ・デヴィンの歌伴奏者、
  カルロス・フィガリ、ロベルト・マイーダとも働く。

 ティタ・メレージョ 1904年10月11日〜2002年12月24日
  歌手。女優。映画「タンゴの歴史」で「エル・チョクロ」を歌う。この映画がきっかけでフランシスコ・カナロ楽団と共演。

 アンヘル・バルガス 1904年10月22日〜1959年7月7日
  歌手。アウグスト・ベルト楽団で歌う。1932年、アンヘル・ダゴスティーノ楽団で歌うようになり、このコンビ、ダゴスティーノ=バルガスは人気を集める。
  その後はエドゥアルド・デル・ピアノやアルマンド・ラカーバの指揮・伴奏楽団で歌う。

 リカルド・タントゥーリ 1905年1月27日〜1973年1月24日
  ピアノ奏者。アルベルト・カスティージョを歌手に迎えたオルケスタ・ティピカ”ロス・インディオス”で人気を博する。

 ピンティン・カステジャーノス 1905年6月10日〜1983年7月2日
  ピアノ奏者。「ラ・プニャラーダ」の作曲者。ウルグアイ生まれ。

 エルビーノ・バルダロ 1905年6月18日〜1971年8月5日
  バイオリン奏者。3歳の時、右手の指を怪我するが、自ら望んで4歳からバイオリンを始める。フィオラバンティ・ブルーニ、ジョルジュ・バレ、ドーロ・ゴルガッティに師事。
  14歳の時、サロン・アルヘンティーナでメンデルスゾーン、バッハ、チャイコフスキーなどのプログラムのリサイタルを開きデビュー。劇場での映画上映の際の演奏でルドルフォ・ビアジと知り合う。
  パキータ・ベルナルド楽団ではオスバルド・プグリエーセと知り合う。ファン・マグリオ楽団、ロベルト・フィリポ楽団(バイオリンのトップはカジュタノ・プグリッシ)、ペドロ・マフィア楽団で演奏。
  1925年、オルケスタ・テイピカ・ビクトルの第1バイオリン奏者を務める他、オルケスタ・ティピカ・ポルテーニョ、ロス・プロビンシアーノスにも参加する。ビクトルではシリアコ・オルティス、
  エドゥアルド・ペレイラとのトリオ、オスカル・アレマンとガストン・ブエノとのトリオを組む。
  1929年、バルダロ=プグリエーセ楽団を結成。メンバーはエルビーノ・バルダロ、アルフレード・ゴビのバイオリン、ミゲル・フラード(後にシリアコ・オルティス)、アニバル・トロイロのバンドネオン、
  オスバルド・プグリエーセのピアノ、ルイス・セバスティアン・アデッソのコントラバスという豪華な布陣であった。その後、フランシスコ・カナロ楽団、ロス・ビルトゥオーソス、オスバルド・フレセド楽団、
  アストル・ピアソラの弦楽オーケストラ、キンテート、カルロス・ディサルリ楽団、ロス・アストロス・デル・タンゴ(アルヘンティーノ・ガルバン編曲・指揮)などで演奏。晩年はコルドバに移住し交響楽団に参加。

 チャルロ 1905年7月7日〜1990年10月30日
  歌手。フランシスコ・カナロ楽団、またはギター・コンフントを伴奏としたソリストとしても活動。アコーディオンを演奏する他、自作曲も多い。

 シリアコ・オルティス 1905年8月5日〜1970年7月9日
  バンドネオン奏者。「心を持ったバンドネオン」、「歌うバンドネオン」と称される。12歳でロベルト・フィリポ楽団にスカウトされる。オルケスタ・ティピカ・ビクトル、フリオ・デ・カロのロス・ビルトゥオーソス、
  バルダロ=プグリエーセ楽団、ファン・ダリエンソ楽団、2ギターとのトリオ・シリアコ・オルティスなど様々な楽団で活躍する。

 アダ・ファルコン 1905年8月17日〜2002年1月4日
  歌手。エンリケ・デルフィーノ、フランシスコ・カナロと共演。1942年に引退し、修道女となる。

 ホアキン・モラ 1905年9月22日〜1979年8月2日
  ピアノ奏者。バンドネオン奏者。「エン・ラス・ソンブラス」、「マルガリータ・ゴティエ」、「ディビーナ」の作曲者。

 フランシスコ・フィオレンティーノ 1905年9月23日〜1955年9月11日
  歌手。バンドネオン奏者。ミノット・ディ・チコにバンドネオンを師事。バンドネオン奏者として兄弟とのトリオでラジオ出演。フランシスコ・カナロ楽団に在籍。リフレイン歌手としてだけ活動しながら、フアン・カルロス・コビアン、
  ロベルト・フィルポ 、フアン・ダリエンソ、アンヘル・ダゴスティーノ、オルケスタ・ポプラール・ダカーポ (フリオ・ポジェーロ指揮、レコーディングのみの楽団)、オルケスタ・ティピカ・ビクトル 、
  ペドロ・マフィア、ミノット・ディ・チコ楽団、ロス・アセス・アルヘンティーノス・デル・タンゴ、ロベルト・セリージョ、マレルバ=バッカロ、ダニエル・アルバレス、ロス・ポエタス・デル・タンゴ 、
  リカルド・マレルバ 、オルケスタ・ティピカ・メリンなどで活動した。アニバル・トロイロ楽団を退団を機に、オルケスタを組織しアストル・ピアソラに指揮・編曲を任せる。
  その後、伴奏指揮はイスマエル・スピタルニクになる。その後、再びリフレイン歌手に戻り、最初はホセ・バッソ楽団、その後、アルベルト・マンシオーネ楽団、
  最後はプグリア=ペドローサ楽団に参加した。メンドーサ州でのツアー中、自動車事故で亡くなる。

 オスバルド・プグリエーセ 1906年3月12日〜1995年7月25日
  ピアノ奏者。楽団リーダー。ペドロ・マフィア楽団、ロベルト・フィリポ楽団、バルダロ=プグリエーセ楽団、カルロス・マルクッチ楽団、ペドロ・ラウレンス楽団、ミゲル・カロー楽団を経て、
  自己のオルケスタを結成。1968年、オスバルド・ルジェーロなど主要メンバーが脱退してセステート・タンゴを結成すると、新たにアルトゥーロ・ペノンの下、ロドルフォ・メデーロス、
  ダニエル・ビネリ、ファン・ホセ・モサリーニ、マウリシオ・マルチェリらを集め再スタートを切る。アルベルト・モラン、ホルヘ・ビダル、ミゲル・モンテーロ、ホルヘ・マシエル、
  アルフレード・ベルーシ、アベル・コルドバ、アドリアン・ギーダらの歌手を擁する。「レクエルド」、「ラ・ジュンバ」、「ネグラーチャ」、「マラン・ドゥラカ」の作曲者。

 ロドルフォ・ビアジ 1906年3月14日〜1969年9月24日
  ピアノ奏者。ファン・ダリエンソ楽団(1935〜38年)に在籍、ダリエンソ・スタイルの確立に尽力する。独立後は自身のオルケスタで活動。

 カトゥーロ・カスティージョ 1906年8月6日〜1975年10月19日
  若い時にはボクサーを目指す。「オルガニート・デ・ラ・タルデ」の作曲者。その後、作詞家に転じ、「カセロン・デ・テーハス(セバスティナン・ピアナ作曲)」、「シルバンド(セバスティナン・ピアナ作曲)」、
  「マリア(アニバル・トロイロ作曲)」、「エル・ウルティモ・カフェ(エクトル・スタンポーニ作曲)」、「ラ・ウルティマ・クルダ(アニバル・トロイロ作曲)」を残す。

 ルシオ・デマレ 1906年8月9日〜1974年3月6日
  ピアノ奏者。「マレーナ」、「ダンディ」の作曲者。

 カルロス・ダンテ 1906年3月12日〜1985年4月28日
  歌手。アルフレード・デアンジェリス楽団の専属歌手。

 ミゲル・カロー 1907年10月28日〜1972年5月24日
  バンドネオン奏者。楽団リーダー。アルヘンティーノ・ガルバンをアレンジャーとして起用。その楽団からはラウル・カプルーン、オスマル・マデルナ、エクトル・スタンポーニ、
  アルマンド・ポンティエル、エンリケ・マリオ・フランチーニ、ドミンゴ・フェデリコ、フリオ・アウマーダ、ラウル・ベロン、アルベルト・ポデスタなどを輩出。オラシオ・サルガン、
  オスバルド・プグリエーセ、フリアン・プラサなども一時期、在籍。

 ホセ・ダメス 1907年10月28日〜1994年8月7日
  バンドネオン奏者。「フイモス(オメロ・マンシ作詞)」、「ナーダ(オラシオ・サンギネッティ作詞)」の作曲者。

 オメロ・マンシ 1907年11月1日〜1951年5月3日
  「スール」、「マレーナ」、「バリオ・デ・タンゴ」、「チェ、バンドネオン」、「フイモス」、「ミロンガ・トリステ」、「ミロンガ・センティメンタル」、「ロマンセ・デ・バリオ」、「デスデ・エル・アルマ」、「エル・ウルティモ・オルガニート」、「ディセポリン」の作詞者。

 エンリケ・カメラーノ 1908年〜1979年
  バイオリン奏者。プグリエーセ楽団の第一バイオリン奏者として活躍。「チケ」、「オルグージョ・クリオージョ」のソロ・バイオリンで知られる。

 ルイス・ルビステイン 1908年〜1954年
  作詩家。「チャルレーモス」の作詞作曲者。「インスピラシオン(ペリグリーノ・パウロス作曲)」の作詞者。

 ダニエル・アルバレス 1908年2月18日〜1983年10月6日
  バンドネオン奏者。フランシスコ・ロムート楽団に在籍。自身のグループでも活動。
 
 ファン・ポリート 1908年7月11日〜1981年10月25日
  ピアノ奏者。ファン・マグリオ楽団、オルケスタ・ティピカ・ブルンスウィック、アンセルモ・アイエタ楽団で活動後、ファン・ダリエンソ楽団のピアニストを長らく務める。

 アルマンド・ブラスコ 1908年10月30日〜1991年11月11日
  バンドネオン奏者。ミノット・ディ・チコにバンドネオンの才能を認められる。エンリケ・ポジェット楽団でオスバルド・プグリエーセと、またアンセルモ・アイエタに代わりファン・ダリエンソと共演。
  その後、ペドロ・ラウレンスと組んでフリオ・デ・カロ6重奏団のバンドネオン・セクションに8年間在籍。カルロス・ガルデルの映画「ルセス・ブエノス・アイレス」も出演。アルマンド・ブリオッティ楽団では
  エドゥアルド・デル・ピアノ、アルフレード・アッタディア、アルフレード・ゴビらと共演。ドミンゴ・フェデリコ楽団にも在籍。

 リベルタ・ラマルケ 1908年11月24日〜2000年12月12日
  歌手。ロシータ・キロガからアドバイスを受ける。舞台、映画でも活躍するが、1946年2月、大統領夫人エバ・ペロン(エビータ)との確執からメキシコに移住。
 
 アルベルト・エチャグェ 1909年3月8日〜1987年2月22日
  歌手。ファン・ダリエンソ楽団専属となり人気を博する。


 オスカル・サビーノ 1910年〜1975年
  ピアノ奏者。フランシスコ・カナロ楽団、ピリンチョ5重奏団でピアニストを務める。

 ホセ・パスクアル 1910年9月28日〜1978年11月2日
  ピアノ奏者。「アラバル」の作曲者。

 アルフレード・デ・アンヘリス 1910年10月2日〜1992年3月31日
  ピアノ奏者。楽団リーダー。アンセルモ・アイエタ、グラシアーノ・・デ・レオネ、ダニエル・アルバレス、フランシスコ・ラウロなどと演奏後、自身のオルケスタを持つ。
  ダンス向きとも言える明快なテンポと簡潔なスタイルで人気を得る。

 ラウル・カプルン  1910年11月11日〜1990年1月23日
  バイオリン奏者。ミゲル・カロー楽団在籍中、華麗なバイオリン・スタイルを確立。

 ホセ・ティネリ 1911年4月13日〜1960年7月27日
  ピアノ奏者。「ポル・ラ・ブエルタ」の作曲者。

 セサル・サニョーリ 1911年4月24日〜2002年12月26日
  ピアノ奏者。ウルグアイ生まれ。ブエノス・アイレスに渡り、ファン・ダリエンソ楽団、マムエル・ブソン楽団、ロベルト・セリージョ楽団、ファン・カルロス・コビアン楽団、アドルフォ・ペレス・ポチョロ楽団、
  ホアキン・ド・レジェス楽団、エルビーノ・バルダロ楽団、アルベルト・カスティージョの伴奏楽団、エクトル・バレーラ楽団などで働く。その後、モンデ・ビデオに帰り、自身のトリオを結成し、
  古典的な演奏スタイルに妙を見せる。

 エドゥムンド・リベーロ 1911年6月8日〜1986年1月18日
  歌手。ギター奏者。オラシオ・サルガン楽団、アニバル・トロイロ楽団に在籍。独立後も、アストル・ピアソラとの「エル・タンゴ」など多くの録音を残す。サン・テルモ地区にビエホ・アルマセンを開店し、
  オーナー兼プロデュサーとして活躍。

 ガブリエル・クラウシ 1911年8月30日〜2010年2月17日
  バンドネオン奏者。兄弟が多く、長兄パスクアル・クラウシからバンドネオンを学ぶ。クラシック作品をソロ・バンドネオンで奏することで著名だが、ミノット・ディ・チコ、ペドロ・マフィア、ファン・マグリオ・パチョ、
  フランシスコ・プラカニコ、ロベルト・フィルポ、フリオ・デ・カロ、オスバルド・フレセドなどの楽団にも在籍している。
 
 ネリー・オマール 1911年9月10日〜
  歌手。フランシスコ・カナロに認められて共演。近年はギター奏者ホセ・カネーを中心としたコンフント伴奏で古典作品を歌う。
 
 ホセ・マリア・コントゥルシ  1911年10月31日〜1972年5月11日
  「コモ・ドス・エクストラニョス(ペドロ・ラウレンス作曲)」、「グリセル(マリアーノ・モーレス作曲)」、「エン・エスタ・タルデ・グリス(マリアーノ・モーレス作曲)」、
  「クリスタル(マイアーノ・モーレス作曲)」、「ソンブラス・ナダ・マス(フランシスコ・ロムート作曲)」、「トダ・ミ・ヴィーダ(アニバル・トロイロ作曲)」の作詞者。

 フロリンド・サッソーネ 1912年1月12日〜1982年1月31日
  バイオリン奏者。楽団リーダー。アントニオ・ポリート楽団でプロ・デビュー。その後、ロベルト・フィリポ、オスバルド・フレセド楽団に参加。歌手フランシスコ・アモールを擁した自己の楽団を結成。
  その後もホルヘ・カサル、ロベルト・チャネル、アンヘル・ディアス、カルロス・マルブランなどの歌手をメンバーに人気を得る。パスクアル・マモーネ、オスバルド・レケーナ、ルシアーノ・レオカタ、
  アルマンド・クーポなども在籍する。エドウアルド・アローラス、ビセンテ・グレコなどの古典作品を、オスバルド・フレセドやカルロス・デサルリのスタイルで処理した演奏を追求。6重奏団でも活動。

 アルフレード・ゴビ 1912年5月14日〜1965年5月21日
  バイオリン奏者。楽団リーダー。フランス生まれ。ファン・マグリオ楽団、ロベルト・フィリポ楽団、バルダロ=プグリエーセ楽団などに在籍。「ア・オルランド・ゴニ」、「カマンドゥラヘ」の作曲者。

 フェデリコ・スコルティカティ 1912年11月6日〜1998年7月2日
  バンドネオン奏者。ウルグアイ生まれ。ロベルト・フィリポ楽団、カジェタノ・プグリシ楽団、ファン・マグリオ楽団、オルクスタ・ティピカ・ビクトル、フランシスコ・カナロ楽団、オスバルド・フレセド楽団、
  タンゴ・オールスターズなど数々の楽団で活躍。カルロス・ディサルリ楽団在籍中には「エル・チョクロ」の変奏を考案。

 ウーゴ・デル・カリル 1912年11月30日〜1989年8月13日
  歌手。エドガルド・ドナート楽団で歌い始める。その後、映画に出演し監督も務める。

 ハイメ・ゴーシス 1913年〜1975年
  ピアノ奏者。フェデリコ・スコルティカティ、マヌエル・ブソン、アントニオ・ロディオ、アストル・ピアソラなどの楽団で活動する。

 ロベルト・グレーラ 1913年6月28日〜1992年9月6日
  ギター奏者。アニバル・トロイロの4重奏団やレオポルド・フェデリコ、カルロス・ガルシアとの共演で知られる他、歌伴奏も務める。クラシック・ギターをピックを用いて弾く。「ア・サン・テルモ」の作曲者。

 アルヘンティーノ・ガルバン 1913年7月13日〜1960年10月8日
  バイオリン奏者。編曲家。フロリンド・サッソーネ楽団、ミゲル・カロー楽団、アニバル・トロイロ楽団などに編曲を提供する。ロス・アストロス・デル・タンゴの編曲・指揮。

 カルロス・フィガリ 1913年8月3日〜1994年10月22日
  ピアノ奏者。フランシスコ・カナロ楽団、アストル・ピアソラ楽団、アニバル・トロイロ楽団に在籍。

 アルフレード・アタディーア 1914年1月9日〜1982年1月30日
  バンドネオン奏者。アルフレード・ゴビ楽団、アンヘル・ダゴスティーノ楽団に在籍。自身のオルケスタでも活動。
 
 オルランド・ゴニ 1914年1月20日〜1945年2月5日
  ピアノ奏者。アニバル・トロイロ楽団創立メンバー。ゴニの左手と言われた、低音部の太く深い表現に秀でる。

 エクトル・バレーラ 1914年1月29日〜1987年1月30日
  バンドネオン奏者。楽団リーダー。10歳でバンドネオンを学び始める。12歳でデビュー。いくつかの楽団を経て、1940年、ファン・ダリエンソ楽団に入る。1950年、独立して自身の楽団を持つ。
  1971年、アルベルト・マリーノ、ギターラス・デ・オロを伴い来日。「アスーカル、ピミエンタ・イ・サル」の作曲者。

 ウーゴ・バラリス 1914年4月2日〜2002年2月4日
  バイオリン奏者。父はエドゥアルド・アローラスと共演した同名のコントラバス奏者。「最高のセカンド・バイオリン」と評される。14歳の時、ミノット・ディ・チコ楽団でデビュー。
  ラファエル・ロッシの楽団を経て、エルビーノ・バルダロの6重奏団に参加。メンバーは他にアニバル・トロイロとホルヘ・アルヘンティーノ・フェルナンデスのバンドネオン、ホセ・パスクアルのピアノ、
  ペドロ・カラシオーロのコントラバス。その後、アンヘル・ダゴスティーノ、セサル・ギンソ、アルフレード・ゴビ、ファン・カルロス・コビアンらと共演後、アニバル・トロイロ楽団に参加。
  トロイロ楽団から独立したアストル・ピアソラのオルケスタにも参加。1954年にはファン・カナロ楽団のメンバーとして来日。パリ帰国後のピアソラが組織したオクテート・ブエノス・アイレスにも参加。
  ホセ・バッソ楽団では第1バイオリン奏者を務める。またフリオ・デ・カロ、カルロス・ガルシア、ラウル・ガレーロ、セステート・マジョールと共演。近年はブエノス・アイレス市立オーケストラのメンバー。
  「アノネ」の作曲者。

 カルロス・ガルシア 1914年4月21日〜2006年8月4日
  ピアノ奏者。作編曲家。様々な時代のタンゴ様式に精通。またフォルクローレにも造詣が深い。ロベルト・フィリポ楽団に在籍。タンゴ・オールスターズの編曲・指揮。
  またブエノス・アイレス市立タンゴ楽団の初代常任指揮者・編曲者を務めた。

 エドゥアルド・デル・ピアノ 1914年5月14日〜1987年12月21日
  バンドネオン奏者。自己のオルケスタで活動。

 アニバル・トロイロ 1914年7月11日〜1975年5月18日
  バンドネオン奏者。楽団リーダー。ピチューコ(太っていることからゴルドとも呼ばれた)の愛称で呼ばれた。近所のカフェで聴いたバンドネオンの音に魅了され、10歳のころ
  母親よりバンドネオンを買ってもらい、ファン・アメンドラーロ、さらにペドロ・マフィアに師事する。この時のバンドネオンは生涯、持っていたとのこと。
  「バリオ・デ・タンゴ(オメロ・マンシ作詞)」、「ガルーア(エンリケ・カディカモ作詞)」、「マリア(カトゥロ・カスティージョ作詞)」、
  「スール(オメロ・マンシ作詞)」、「ラ・トランペーラ」、「最後の酔い(カトゥロ・カスティージョ作詞)」、「パ・ケ・バイレン・ロス・ムチャーチョス」、「レスポンソ」、「チェ、バンドネオン」の作曲者。
   トロイロ楽団の在籍者にはバイオリンにウーゴ・バラリス、レイナルド・ニチェーレ、バンドネオンにアストル・ピアソラ、トト・ロドリゲス、エルネスト・バッファ、ラウル・ガレーロ、ピアノにオルランド・ゴニ、
   ホセ・バッソ、カルロス・フィガリ、オスバルド・マンシ、オスバルド・ベリンジェリ、ホセ・コランジェロ、歌手にフロレンティーノ、アマデオ・マンダリーノ、アルベルト・マリーノ、フロレアル・ルイス、
   エドムンド・リベーロ、アルド・カルデロン、ホルヘ・カサル、ラウル・ベロン、カルロス・オルメド、パブロ・ロサーノ、ロベルト・ゴジェネチェ、アンヘル・カルデナス、エルバ・ベロン、ロベルト・ルフィーノ、
   ネリー・バスケス、ティト・レジェスなどがいる。

 ロベルト・チャネル 1914年11月26日〜1972年7月24日
  歌手。兄2人ギターと歌のトリオを結成。オスバルド・プグリエーセ楽団、フロリンド・サッソーネ楽団、ホアキン・ド・レジェス楽団。に在籍。ソロとなってからアンヘル・ドミンゲス楽団、オスカル・カスタナーロ楽団が伴奏を務める。

 アルベルト・カスティージョ 1914年12月7日〜2002年7月23日
  歌手。1934年にアルマンド・ネイラ楽団の伴奏でデビュー。その後、アウグスト・ベルト、マリアーノ・ロダスのオルケスタへと移る。芸能活動と平行して、医学を学び学位を取得。1940年にリカルド・タントゥーリ率いる
  オルケスタ、ロス・インディオスの歌手となる。独立してラジオや映画に出演する。またカンドンベを歌い人気を集める。

 アントニオ・ダレッサンドロ 1915年1月31日〜2000年6月29日
  バイオリン奏者。レオン・フォントーバ音楽院の後、ヒラルド・ヒラルディのレッスンを受ける。13歳の時、地元の映画館でデビュー。その後、ラジオなどのタンゴ、ジャズのバンドで活動。フランシスコ・カナロ楽団に23年間在籍。

 アルベルト・マンシオーネ 1915年10月8日〜1998年7月4日
  バンドネオン奏者。ロベルト・フィリポ楽団、ベルナルド・アルバレス楽団で演奏する他、自身のグループでダンスホール、ラジオ・エル・ムンド、ビクトルなどでも演奏する。また歌手エクトル・アルバラード、ルイス・コレア、
  ピアノのオスバルド・レケーナとも共演。

 ホセ・ブラガート 1915年10月12日〜
  チェロ奏者。編曲家。イタリア生まれ。トマシーニ音学院で学ぶ。ブエノス・アイレスに移住後、エルネスト・ペルス、コロン劇場主席チェリストのホセ・プグリシに師事する他、国立音学院で楽器法、和声学、対位法、
  音響学などを学ぶ。ブエノス・アイレス・フィルハーモニカ・オーケストラ、コロン劇場、カルロス・ペッシーナ四重奏団、アルヘンティーノ・ガルバン、エルビーノ・バルダロ指揮の弦楽アンサンブルで活動後、
  マリオ・マウラーノ楽団、アルマンド・ポンティエル楽団、マリアーノ・モーレス、アニバル・トロイロ、ロス・アストロス・デ・タンゴ、アティリオ・スタンポーネとも共演。アストル・ピアソラとは弦楽オーケストラ、
  オクテート・ブエノス・アイレス、8重奏団、9重奏団、最後の6重奏団など共演は多い。ピアソラの出版譜の校訂を務める。また自身が結成した弦楽四重奏団でもタンゴを編曲、録音する。

 アドルフォ・ベロン 1915年〜1982年
  ギター奏者。サラテの生まれ。兄弟に歌手のエルバ・ベロン、ロサ・ベロン、ラウル・ベロン、ホセ・ベロンがいる。ギター・コンフントを結成し、ミュージック・ホール・レーベルに多数の録音を残す。

 エンリケ・マリオ・フランチーニ 1916年1月14日〜1978年8月27日
  バイオリン奏者。ミゲル・カロー楽団退団後、アルマンド・ポンティエルと共同オルケスタを結成。華麗なテクニックと表現で注目される。アストル・ピアソラのオクテート・ブエノス・アイレス、
  オラシオ・サルガンのキンテート・レアルにも参加。「テーマ・オトニャル」、「ペダシート・デ・シエロ(エクトル・スタンポーニとの共作)」の作曲者。

 ファン・カンバレリ 1916年4月15日〜1992年2月18日
  バンドネオン奏者。ロベルト・フィリポ四重奏団、自身のグループで活躍。「バンドネンオの魔術師」と呼ばれる。

 フリオ・アウマーダ 1916年5月12日〜1984年3月4日
  バンドネオン奏者。アベル・ベドゥルーネからバンドネオンを学ぶ。ロベルト・セリージョ、ミゲル・カーロ、アルベルト・ソイフェル、ルシオ・デマーレ、アルベルト・カスティージョ(エミリオ・バルカルセ指揮)、
  エクトル・アルトーラ、ホセ・バッソ、ホアキン・ド・レジェスエンリケ・マリオ・フランチーニなどの楽団で演奏。またアルヘンティーノ・ガルバン編曲・指揮のロス・アストロス・デル・タンゴにも参加。
  ビエホ・アルマセン専属楽団、ブエノス・アイレス市立タンゴ・オーケストラにも参加。バンドネオン教師としても後進の指導に当たる。

 マキシモ・モリ 1916年5月18日〜1987年11月28日
  バンドネオン奏者。父親よりギターとバンドネオンを教わる。アレハンドロ・スカルピーノ楽団でデビュー。ホアキン・モラ、ホセ・ルイス・パドゥーラ、ルイス・ブリヘンティ、マヌエル・ブソンらと働いた後、ミゲル・カロー楽団に参加。
  アントニオ・ロディオ、アントニオ・リオス、マリオ・デマルコ、アントニオ・ロッシーニ、エドゥアルド・ロビーラ、ルシオ・デマーレ=エルビーノ・バルダロ、アンヘル・ダゴスティーノ、エクトル・アルトーラ、ファン・カルロス・オワルド、
  パブロ・モレーノ、ホアキン・ド・レジェスなどの楽団でも第一バンドネオン奏者、編曲家として活躍。バンドネオン・ソロ用の編曲も多数。

 ドミンゴ・フェデリコ 1916年6月4日〜2000年4月6日
  バンドネオン奏者。ミゲル・カロー楽団出身。自身のグループでも活動。「ジュージョ・ベルデ(オメロ・エスポシト作詞)」、「ペルカル(オメロ・エスポシト作詞)」、「サルードス」の作曲者。

 オラシオ・サルガン 1916年6月15日〜
  ピアノ奏者。ダンス・バンドやフォルクローレの歌伴奏で活動後、自身のオルケスタを結成。モダンなアレンジと演奏で脚光を浴びる。1960年以降はキンテート・レアルやウバルド・デ・リオとのデュオで活動する。
  「とろ火で」、「ドン・アグスティン・バルディ」の作曲者。

 エクトル・スタンポーニ 1916年12月24日〜11997年12月3日
  ピアノ奏者。「エル・ウルティモ・カフェ(カトゥロ・カスティージョ作詞)」、「ケデモノス・アキ(オメロ・エスポシト作詞)」、
  「ペダシート・デ・シエロ(エンリケ・マリオ・フランチーニとの共作、ホメロ・エスポシト作詞)」の作曲者。

 アントニオ・リオス 1917年6月13日〜1991年8月13日
  バンドネオン奏者。ロサリオとブエノス・アイレスで活動。マヌエル・ブソン、ニコラス・ヴァッカーロ、アルヘンティーノ・ガルバン、アントニオ・ロディオ、オルランド・ゴニ、ロベルト・ルフィーノら共演する。
  自身のコンフントにはアントニオ・アグリも在籍。アストル・ピアソラのバンドネオン4重奏録音に、レオポルド・フェデリロ、ロドルフォ・メデーロスと共に参加。

 マリオ・デマルコ 1917年8月5日〜1970年2月4日
  バンドネオン奏者。オスバルド・プグリエーセ楽団に在籍。作編曲で貢献する。
 
 アルマンド・ポンティエル 1917年8月29日〜1983年12月25日
  バンドネオン奏者。作編曲家。楽団リーダー。ミゲル・カロー楽団出身。退団後、フランチーニ=ポンティエル楽団、自身のオルケスタで活動。「ミロンゲアンド・エン・エル・40」、
  「ケ・ファルタ・ケ・メ・アセス(フェデリコ・シルバ作詞)」の作曲者。

 エンリケ・アレッシオ 1918年1月8日〜2000年9月6日
  バンドネオン奏者。オスバルド・プグリエーセ楽団、ファン・ダリエンソ楽団に在籍。
 
(エンリケ)キチョ・ディアス  1918年1月21日〜1992年10月5日
  コントラバス奏者。アニバル・トロイロ、アストル・ピアソラ、オラシオ・サルガンなどと共演。キンテート・レアル、セステート・マジョールなどにも参加。

 マリアノ・モーレス 1918年2月18日〜
  ピアノ奏者。フランシスコ・カナロの知遇を得て同楽団に入団。ピアニスト兼編曲家として9年間活動。独立後はオリジナルな楽器編成で自身のグループを組織し、自作曲中心のプログラムによるレビューを企画。
  「クアルテート・アスール(マリオ・バティステラ作詞)」、「アディオス・パンパ・ミア(フランシス・カナロとの共作)」、「ウノ(エンリケ・サントス・ディセポロ作詞)」、「軍靴の響き」、
  「ブエノス・アイレスの喫茶店(エンリケ・サントス・ディセポロ作詞)」、「グリセル(ホセ・マリア・コントゥルシ作詞)」、「クリスタル(ホセ・マリア・コントゥルシ作詞)」、「タンゲーラ」の作曲者。

 エミリオ・バルカルセ 1918年2月22日〜
  バイオリン奏者、バンドネオン奏者。「ラ・ボルドーナ」の作曲者。

 オスマル・マデルナ 1918年2月26日〜1951年4月28日
  ピアノ奏者。ミゲル・カロー楽団に在籍。独立し自身の楽団を持つ。自身の華麗なピアノをフィーチャーしたタンゴ・ファンタシア形式を創出。「コンシエルト・エン・ラ・ルナ」、
  「ジュビア・デ・エストレージャス」の作曲者。

 エクトル・パチェコ 1918年3月15日〜2003年7月28日
  歌手

 マリア・デ・ラ・フエンテ 1918年4月25日〜
  歌手

 レイナルド・ニチェーレ 1918年6月1日〜1998年4月25日
  バイオリン奏者。アニバル・トロイロ楽団の第1バイオリン奏者を務める。エドウアルド・ロビーラとの共演も多い。ブエノス・アイレス市立タンゴ楽団、ネストル・マルコーニ楽団でも活動。

 ドナート・ラシアッティ 1918年10月18日〜2000年5月27日
  バンドネオン奏者。イタリア生まれ。主にウルグアイで活動。リズミックで明解なタンゴ演奏で人気を集める。「アスタ・シエンプレ・アモール」の作曲者。

 オメロ・エスポシト 1918年11月5日〜1987年9月23日
  「ペルカル」、「ジュージョ・ベルデ」、「ケデモノス・アキ」、「ナランホ・エン・フロール」、「ペダシート・デ・シエロ」の作詞者。

 ホセ・バッソ 1919年1月30日〜1993年8月14日
  ピアノ奏者。トロイロ楽団で活動後、自身のオルケスタを結成。

 イスマエル・スピタルニク 1919年8月27日〜1999年10月12日
  バンドネオン奏者。


 アムレット・グレコ 1920年〜
  コントラバス奏者。フランシスコ・ロムート楽団、カルロス・ディサルリ楽団、オラシオ・サルガンのキンテート・レアル、アストル・ピアソラのオクテート・ブエノス・アイレスなどで活動する。

 パンチート・カオ 1920年〜1979年
  クラリネット奏者。「トリオ・ロス・ムチャーチョス・デ・アンテス(ギターはオラシオ・マルビチーノ)」を結成、復古調のタンゴを演奏する。

 ファン・サンチェス・ゴリオ 1920年〜1979年
  バンドネオン奏者。スペイン生まれ。自らの楽団で活動する。
 
 エクトル・マウレ 1920年3月13日〜1976年5月12日
  歌手。ファン・ダリエンソ楽団に在籍。その後、独立してソリストとして活躍。

 ラウル・ベロン 1920年3月30日〜1982年6月28日
  歌手

 ホルヘ・マシエル 1920年9月17日〜1975年2月25日
  歌手。オスバルド・プグリエーセ楽団、セステート・タンゴで歌手を務める。

 フェルナンド・テル 1921年1月22日〜1995年3月29日
  バンドネオン奏者。

 アストル・ピアソラ 1921年3月11日〜1992年7月4日
  バンドネオン奏者。楽団リーダー。幼少期、ニューヨークでカルロス・ガルデルの知遇を得る。アルゼンチンに帰国後、エルビーノ・バルダロの演奏をラジオで聴いてタンゴ演奏家を目指す。
  ミゲル・カロー、フランシスコ・ラウロ、ガブリエル・クラウシの楽団に在籍。18歳でアニバル・トロイロ楽団に入団。独立後、指揮編曲者として、フランシスコ・フィオレンティーノの歌伴奏用オルケスタを結成。
  1954年、パリ留学しナディア・ブーランジェ女史に師事。帰国後、オクテート・ブエノス・アイレスを結成。弦楽アンサンブルで録音。その後、エレキ・ギターを含むキンテート(5重奏団)を結成。
  1964年、ヌエストロ・ティエンポを発表して以降、真にオリジナルな音楽を追求。8重奏団、9重奏団、コンフント・エレクトリコなどを組織。晩年は6重奏団で活動する他、ソリストとしても活動。
  「アディオス・ノニーノ」、ブエノス・アイレスの四季シリーズ、天使のシリーズ、マリア・デ・ブエノス・アイレス(オラシオ・フェレールのテキスト)、などの作曲者。
  またオラシオ・フェレールと組んで、「ロコへのバラード」、「チキリン・デ・バチン」など歌曲も作曲。

 オスカル・エレーロ 1921年7月5日〜1999年2月23日
  バイオリン奏者。「ケフンブローソ」、「ノチェーロ・ソイ」の作曲者。 

 フリビオ・サラマンカ 1921年8月19日〜1999年5月25日
  ピアノ奏者。1940年、ファン・ポリートの跡を継いで、ファン・ダリエンソ楽団のピアニストに就任。退団後は自身のオルケスタを結成し活動を続ける。

 アルマンド・クーポ  1921年12月26日〜1990年7月21日
  ピアノ奏者

 ロベルト・ルフィーノ 1922年1月6日〜1999年2月24日
  歌手。15歳でプロとなる。カルロス・デイサルリ楽団に在籍し、人気を得る。退団後はフランチーニ=ポンティエル楽団、ミゲル・カロー楽団、ロベルト・カロー楽団、アニバル・トルイロ楽団、
  バッファ=ベリンジュエリ楽団、ラウル・ガレーロ楽団、オスバルド・レケーナ楽団などと共演。また作曲した曲も多数。

 アルベルト・モラン 1922年3月15日〜1997年8月16日
  歌手。イタリア生まれ。オスバルド・プグリエーセ楽団に10年ほど在籍し人気を得る。

 ミゲル・モンテロ  1922年7月9日〜1975年8月29日
  歌手。オスバルド・プグリエーセ楽団に4年余り在籍。退団後はホセ・リベルテーラの指揮の伴奏楽団などで歌う。

 アニバル・アリアス  1922年7月20日〜2010年10月3日
  ギター奏者。ペドロ・ラミレス・サンチェスに師事。リベルタ・ラマルケ、ロシータ・キロガ、ロベルト・ゴジェネチェ、フリオ・ソーサ、エクトル・マウレ、スサーナ・リナルディの伴奏を務める。
  アニバル・トロイロの4重奏団に参加。ウーゴ・ディアスのタンゴ作品にも参加。近年はブエノス・アイレス市立タンゴ・オーケストラのメンバー。またオスバルト・モンテスとのデユオを組む。
  ギター教師としても名高い。

 ファン・カルロス・ゴドイ  1922年8月21日〜
  歌手

 オスバルド・ルジェーロ 1922年9月22日〜1994年5月31日
  バンドネオン奏者。オスバルド・プグリエーセ楽団で活躍後、セステート・タンゴを結成。「ボルドネオ・イ・ノベシエントス」、「N.N.」、「パラ・ドス」の作曲者。

 オラシオ・カバルコス(父) 1923年〜1978年
  コントラバス奏者

 アルベルト・マリーノ 1923年4月26日〜1989年6月21日
  歌手。イタリア生まれ。アニバル・トロイロ楽団専属歌手。その後、エミリオ・バルカルセ楽団、エクトル・バレーラ楽団の伴奏で歌う。

 ビルヒリオ・エスポシト 1924年5月3日〜1997年10月25日
  ピアノ奏者。「ナランホ・エン・フロール」の作曲者。

 ロベルト・ディ・フィリポ 1924年6月12日〜1991年2月15日
  バンドネオン奏者。フリオ・アウマーダ、マヌエル・ピサロ、オルランド・ゴニ、フリオ・デ・カロ、アストル・ピアソラらの楽団で働く。後にオーボエ奏者となる。

 ホルヘ・ビダル 1924年8月12日〜
  歌手

 ホルヘ・カルダーラ 1924年9月17日〜1967年8月24日
  バンドネオン奏者、プグリエーセ楽団に在籍。来日しティピカ東京などを指導。「クアルテート・エストレージャス・デ・ブエノス・アイレス」を結成。

 アルベルト・ポデスタ 1924年9月22日〜
  歌手。ミゲル・カロー楽団、ペドロ・ラウレンス楽団、カルロス・ディサルリ楽団で歌う。その後、フランチーニ=ポンティエル楽団、エドガルド・ドナート楽団、ホアキン・モラ楽団と共演。

 ラグリマ・リオス 1924年9月24日〜2006年12月25日
  歌手

 アレハンドロ・バルレッタ 1925年〜2008年4月26日
  バンドネオン奏者。クラシック作品の演奏、作曲で知られる。一時期、ドミンゴ・フェデリコ楽団に在籍。自作曲にバンドネオンとオーケストラのための作品 「コスモ・シリーズ」、
  バンドネオンとオーボエ・オーケストラのための作品「モンテビデオのダブル・コンチェルト」などがある。 

 アルフレード・ベルーシ 1925年1月10日〜2001年1月1日
  歌手

 エドゥアルド・ロビラ 1925年4月30日〜1980年7月29日
  バンドネオン奏者。「ア・エバリスト・カリエゴ」の作曲者。

 ロシータ・キンターナ 1925年7月16日〜
  歌手

 オスバルド・マンシ 1925年8月31日〜1976年4月18日
  ピアノ奏者。フロリンド・サッソーネ楽団、アノバル・トロイロ楽団を経て、アストル・ピアソラ・キンテートのメンバーとなる。

 カルロス・ラサリ 1925年12月9日〜2009年6月9日
  バンドネオン奏者。ペドロ・マフィア楽団でデビュー。ファン・ダリエンソ楽団に25年余り在籍。編曲も担当。解散後、ソリスタス・デ・ダリエンソを結成し、ダリエンソ・スタイルを追求。

 ロベルト・ゴジェネチェ 1926年1月29日〜1994年8月27日
  歌手。オラシオ・サルガン楽団、アニバル・トロイロ楽団に在籍。

 フリオ・ソーサ 1926年2月2日〜1964年11月26日
  歌手

 アティリオ・スタンポーネ 1926年7月1日〜
  ピアノ奏者。作編曲家。

 マリオ・アブラモビッチ1926年10月31日〜
  バイオリン奏者。コロン劇場のバイオリニスト。オスバルド・フレセド、ミゲル・カロー、アルヘンティーノ・ガルバン、エクトル・バレーラ、ファン・ダリエンソ、アニバル・トロイルらと働く。
  セステート・マジョールのメンバー。

 ウーゴ・ディアス 1927年〜1977年
  ハーモニカ奏者。フォルクローレの演奏家だが、ホセ・コランジェロらとタンゴ・アルバムを録音。

 レオポルド・フェデリコ 1927年1月12日〜
  バンドネオン奏者。楽団リーダー。オラシオ・サルガン楽団で第1バンドネオン奏者を務める。アストル・ピアソラのオクテート・ブエノス・アイレス、クアルテート・パケ・バイレン・ロス・ムチャーチョス
  に参加。オスバルド・ベリンジュエリとのトリオ、自己のオルケスタを結成する。1979年、全曲バンドネオン・ソロの”チェ、バンドネオン”を録音。
  「カプリチョ・オトニャール(オスバルド・レケーナとの共作)」の作曲者。

 アルトゥーロ・ペノン 1927年1月15日〜2000年1月10日
  バンドネオン奏者。作編曲家。カルロス・マルクーチ、フランシスコ・レケーナに師事。マヌエル・ブスのコンフント、デイ・アダモ・フローレス楽団、エドガルド・ドナート楽団、ロベルト・ディマス楽団、
  フリオ・デ・カロ楽団、ホルヘ・フェルナンデス楽団、ホアキン・ド・レジェス楽団に在籍。1954年にはファン・カナロ楽団のメンバーとして来日。
  オスバルド・プグリエーセ楽団には24年間在籍。オスバルド・ルジェーロ脱退後には第一バンドネオン奏者を務める他、「ロス・マレアドス」の編曲や、「民衆の芸術家へ」*プグリエーセに捧げた曲、
  「劇場の人々」を作曲する。その後はモントリオール大学で教鞭を取ったり、市立キルメス・タンゴ・オーケストラのディレクトール、ソリストを務める。
  バンドネオンに関する著作「エル・バンドネオン・デスデ・エル・タンゴ」もある。

 ホルヘ・ドラゴーネ 1927年2月12日〜
  ピアノ奏者。作編曲家。自身のグループの他、歌手の伴奏兼アレンジャーとして活動。

 オルランド・トリポディ 1927年2月26日〜1995年8月12日
  ピアノ奏者。オルケスタ・シンボロ・デオスマル・マデルナのピアニストとなる。その後は自己の楽団やロス・シエテ・デル・タンゴ、ネストル・マルコーニ楽団のメンバーとなる。

 オスバルド・タランティーノ 1927年6月6日〜1991年9月10日
  ピアノ奏者。ペドロ・マフィア、エドガルド・ドナート、アルヘンティーノ・ガルバン、エクトル・バレーラの楽団で働く。1954年、ファン・カナロ楽団のピアニストとして来日。
  アストル・ピアソラのキンテート、9重奏団のメンバーとなる。近年はネストル・マルコーニと共演。「シウダ・トリステ」の作曲者。

 ビルヒニア・ルーケ 1927年10月4日〜
  歌手

 オスバルド・ベリンジェリ 1928年2月20日〜
  ピアノ奏者。トロイロ楽団(1956〜68年)に在籍。エルネスト・バッファとのトリオや自身のグループで活動。

 シモン・バジュール 1928年4月4日〜2005年2月8日
  バイオリン奏者

 アルヘンティーノ・レデスマ 1928年6月24日〜2004年8月6日
  歌手。エクトル・バレーラ楽団、カルロス・ディサルリ楽団を経て独立。

 フリアン・プラサ 1928年7月9日〜2003年4月19日
  バンドネオン奏者。プグリエーセ楽団を退団後、結成したセステート・タンゴではピアノを担当する。「ダンサリン」、「メランコリコ」、「ノスタルヒコ」、「ノクトゥルナ」、「パジャドーラ」の作曲者。

 アルフレード・マルクーチ 1929年〜

 エルネスト・フランコ 1929年2月1日〜
  バンドネオン奏者

 ウバルド・デ・リオ 1929年3月11日〜
  ギター奏者。オラシオ・サルガンとのデュオ、キンテート・レアル、オルケスタ、アニバル・トロイロとの「わが街へのノクターン」、 シリアコ・オルティス、エルネスト・バッファとの共演などで知られる。
  近年はオラシオ・サルガンの子息セサル・サルガンが父オラシオに代わってデ・リオと共演している。傍らで演奏している。

 アルベルト・ディ・パウロ 1929年7月12日〜
  バンドネオン奏者

 オラシオ・マルビチーノ 1929年10月20日〜
  ギター奏者。ジャズ演奏家だが、アストル・ピアソラのオクテート・ブエノス・アイレス、キンテート・ヌエヴォ・タンゴなど断続的にピアソラのグループに参加。カルロス・ガルシアと共演するほか、
  歌手の伴奏を自身のグループで行う。パンチート・カオの古典タンゴグループであるロス・ムチャーチョス・デ・アンテスにも参加。近年はレオポルド・フェデリコと共演し自身の編曲になるピアソラのバンドネオン協奏曲をトリオで録音。
  自身のグループによるジャズCDもある。「タンゴロジー」、「ギタラーソ」の作曲者。


 オスカル・バシル 1930年〜
  バンドネオン奏者。フランシスコ・カナロ楽団で活躍。

 ルイス・スタソ  1930年6月21日〜
  バンドネオン奏者。作編曲家。セステートマジョールを結成。

 ペピート・アベジャネーダ 1930年11月30日〜1996年4月29日
  ダンサー。特にミロンガのダンスで名高い。

 リカルド・フランシア 1931年〜
  チェロ奏者。ミゲル・カロー楽団、オスバルド・フレセド楽団に在籍後、訪日し演奏活動、教師を務める。
 
 エラディア・ブラスケス 1931年2月24日〜2005年8月31日
  歌手。「エル・コラソン・アル・スール」の作詞作曲者、「コンタメ・ウナ・イストリア(マリオ・ヤキナン作詞)」の作曲者。「ブエノス・アイレスの冬」などピアソラ作品にも作詞する。

 ファン・カルロス・コーペス 1931年5月31日〜
  ダンサー、振り付け家。

 オスバルド・レケーナ 1931年6月29日〜2010年3月25日
  ピアノ奏者。編曲家。ラウル・カプルン楽団、エドゥアルド・ピアノ楽団、フロリンド・サッソーネ楽団や自己の楽団でピアニストを務める他、ステージ、レコード制作・編曲でも才能を発揮する。
  伯父のフランシスコ・レケーナは、レオポルド・フェデリコやホセ・リベルテーラを育てたバンドネオン教授として名高い。

 ホルヘ・ソブラル 1931年8月25日〜2005年4月10日
  歌手。マリオ・デマルコ楽団でデビュー。ロレンソ・バルベーロ楽団、マリアーノ・モーレス楽団を経て、アストル・ピアソラと共演。

 エクトル・デ・ロサス 1931年10月2日〜
  歌手

 アントニオ・アグリ 1932年5月5日〜1998年10月17日
  バイオリン奏者。ロサリオ出身。バイオリンをデルミディオ・グアスタビーノに師事。ブエノス・アイレスに出て以降、短期間ではあるがオスバルド・フレセド、オラシオ・サルガン、カルロス・ガルシア、ロベルト・パンセラ、
  カルロス・フィガリ、ホルヘ・カルダーラなどの楽団に在籍。アニバル・トロイロ楽団に入った後、アストル・ピアソラ五重奏団に参加。ピアソラに高く評価される。
  ピアソラ五重奏団を退団後は自身のバイオリンをフィーチャーした弦楽アンサンブルを結成。またブエノス・アイレス市立オーケストラ、ファン・ホセ・モサリーニ五重奏団などにソリストとして加わる。

 ロベルト・パンセラ 1932年5月20日〜2005年3月6日
  バンドネオン奏者。ピアノ奏者。作編曲家。オスバルド・フレセド楽団、フランチーニ=ポンティエル楽団他、様々な楽団の編曲を手掛ける。ピアソラのオクテート・ブエノス・アイレス、
  マリアーノ・モーレス楽団にも参加。

 ラロ・シフリン 1932年6月21日〜
  ピアノ奏者。作編曲家。6歳からピアノを始める。アルゼンチンで学んだのち、パリのコンセルバトワールに入学。アメリカに渡り、ディジー・ガレスピーと働き、「ミッション・インポッシブル」など
  映画やテレビの音楽を手掛ける。アストル・ピアソラとの共演でも知られる。

 エルネスト・バッファ 1932年8月20日〜
  バンドネオン奏者。オラシオ・サルガン、アニバル・トロイロ楽団などに在籍。

 ガトー・バルビエリ 1932年11月28日〜
  サキソフォン奏者。本名レアンドロ・バルビエリ。ジャズ界の人物だがアストル・ピアソラやフォルクローレ作品をテーマとして取り上げる。12歳でクラリネットを始めるがチャーリー・パーカーを聴いて
  サキソフォンに転向。パリで知り合ったドン・チェリーとフリー・ジャズを演奏する。その後、アメリカに渡る。映画「ラスタ・タンゴ・イン・パリ(ベルナルド・ベルトルッチ監督)」の音楽を担当。

 ノベルト・ラモス 1933年〜2003年4月30日
  ピアノ奏者

 オラシオ・フェレール 1933年6月2日〜
  作詞家。タンゴ評論家。ウルグアイ生まれ。「バラーダ・パラ・ウン・ロコ」、「チキリン・デ・バチン」、マリア・デ・ブエノス・アイレスなどアストル・ピアソラとの共作で知られる。
  タンゴの研究本エル・リブロ・デル・タンゴの著者。自作詩の朗読や司会などでも活動。

 ホセ・リベルテーラ 1933年7月9日〜2004年12月8日
  バンドネオン奏者。イタリア生まれ。オスマル・マデルナ楽団、カルロス・ディサルリ楽団に在籍。セステート・マジョール、キンテート・グローリアを結成。「ウニベルソ」の作曲者。

 チコ・ノバーロ 1933年11月4日〜
  歌手、作曲家。

 オスバルド・モンテス 1934年1月8日〜
  バンドネオン奏者。ミゲル・カロー楽団、レオポルド・フェデリコ楽団、アティリオ・スタンポーニ楽団などで活動。近年はアニバル・アリアスとのデュオで妙技を見せている。
  ブエノス・アイレス市立オーケストラのメンバー。

 ビクトル・ラバジェン 1935年〜
  バンドネオン奏者。ロサリオ生まれ。1949年からブエノスアイレスで活動を開始。エドゥアルド・セラーノ楽団、アントニオ・アルシエリ楽団、ミゲル・カロー楽団、エンリケ・マリオ・フランシーニ楽団、
  アルベルト・エチャグエ=アルマンド・ラボルデ楽団、ミゲル・ニヘンソン楽団、フアン・ホセ・パス楽団などに在籍。オスバルド・プグリエーセ楽団では「ガジョ・シエゴ」、「場末のバンドネオン」の編曲も担当。
  1968年、オスバルド・ルジェーロたちとプグリエーセ楽団を脱退し、セステート・タンゴを結成。1989年にはコロール・タンゴに参加。1995年には「フォーエバー・タンゴ」の楽団メンバーになる。
  「メリディオナル」の作曲者。

 レネ・マリーノ・リベーロ 1935年〜2010年3月12日
  バンドネオン奏者。ピアノ奏者。作編曲家。指揮者。ウルグアイ生まれ。6歳からバンドネオン、ピアノ、作曲、指揮など音楽の学習を始める。ブエノス・アイレスではアレハンドロ・バルレッタに
  師事する他、現代音楽も学ぶ。タンゴ以外に、バッハ、フレスコバルディ、ビバルディ、テレマン、バルトーク、プロコフィエフなどと共に自作の現代音楽も演奏する。
  
 ディノ・サルーシ 1935年5月20日〜
  バンドネオン奏者。フォルクローレを演奏していたが、エンリケ・マリオ・フランチーニ楽団に加わりタンゴの演奏編曲も行う。1980年、タンゴ・オールスターズのメンバーとして来日。
  近年はECMレーベルのアーティストとして、フォルクローレをベースとした独自の音楽を追求している。

 メルセデス・ソーサ 1935年7月9日〜2009年10月4日
  歌手。フォルクローレ分野の歌手だが、近年、タンゴ曲を取り上げることも多かった。

 サウル・コセンティーノ 1935年3月21日〜
  ピアノ奏者。作曲家。

 エンリケ・デュマス 1935年5月8日〜2009年1月18日
  歌手。

 オラシオ・モリーナ 1935年9月2日〜
  歌手。絶唱型ではない歌い方で注目を集める。

 スサーナ・リナルディ 1935年12月25日〜
  歌手。女優。

 ベバ・プグリエーセ 1936年〜
  ピアノ奏者。オスバルド・プグリエーセの娘。自己のグループで活動する。

 ラウル・ガレーロ 1936年1月3日〜
  バンドネオン奏者。作編曲家。ラディオ・ベルグラーノ専属オーケストラ、ロベルト・フィルポ(息子)四重奏団、カルロス・ダンテ、アルベルト・モランなど歌手の伴奏楽団、
  ロベルト・パンセラ、オラシオ・サルガン楽団のメンバーとして働く。その後、アニバル・トロイロ楽団に入団し、編曲も行うようになる。同時期、バッファ=ベリンジェリ楽団へも
  編曲を提供する他、オルケスタ・ティピカ・ポルテーニャを率いてエラディア・ブラスケス、ジャンゴ、ロベルト・ゴジェネチェ、ルベン・フアレス、スサーナ・リナルディ、
  エドムンド・リベーロ、ロベルト・ルフィーノ、フロレアル・ルイスなどの伴奏をする。エンリケ・フランチーニ、レオポルド・フェデリコなど他の楽団への編曲提供を経て、
  自己の六重奏団を結成。またブエノスアイレス市立タンゴ・オーケストラの指揮、編曲を手掛ける。オラシオ・フェレールとのコラボも多い。「チェ・ブエノスアイレス」、
  「八月のマルガリータ」の作曲者。

 ミゲル・ビジャスボアス 1936年12月30日〜
  ピアノ奏者。

 オスバルド・ピーロ 1937年1月1日〜
  バンドネオン奏者。作編曲家。ドミンゴ・マティオに師事、バンドネオンを学ぶ。アルフレード・ゴビ楽団、アンヘル・ダゴスティーノ楽団、フリビオ・サラマンカ楽団に在籍後、自身のオルケスタを結成。
  「アスルール・ノーチェ」の作曲者。

 ネリー・バスケス 1937年2月26日〜
  歌手

 オマール・バレンテ 1937年3月30日〜2006年2月1日
  ピアノ奏者。バンドネオン奏者。オラシオ・サルガン、エンリケ・マリオ・フランチーニらと働く。ネストル・マルコーニとバングア・トリオを結成。
  1973年、フランチーニ=ポンティエル楽団ではバンドネオン奏者として来日。
  
 ラウル・ラビエ 1937年8月22日〜
  歌手、俳優。1984年、アストル・ピアソラ五重奏団に帯同し来日。

 グロリア・ディアス 1938年5月17日〜
  歌手。
 
 マリア・ニエヴェス 1938年9月6日〜
  ダンサー。長らくファン・カルロス・コーペスと組む。

 ネストル・ファビアン 1938年11月30日〜
  歌手。1961年、マリアーノ・モーレス楽団の歌手としてデビュー。「絹とキャラコのブエノスアイレス」、「こんばんはブエノスアイレス」といったミュージカル・コメディに出演。その後、テレビ番組や
  「こんばんはブエノスアイレス(ウーゴ・デル・カリル監督)」、「夏の夜の旅(レネ・ムヒカ監督)」、「昔の若者はポマードなんか使わなかった(エンリケ・カレーラス監督)」などの映画にも出演。
  アティリオ・スタンポーネ、オスバルド・レケーナらと海外公演を行う。

 カルロス・マルサン 1939年〜
  ピアノ奏者。

 エクトル・コンソーレ 1939年8月10日〜
  コントラバス奏者。ハムレット・グレコに師事。マリノーノ・モーレス楽団、エンリケ・マリオ・フランチーニ楽団、バングア・トリオに参加。


 ロベルト・アルバレス 1940年〜
  バンドネオン奏者。エクトル・マルセレッティに師事。同楽団でプロデビュー。歌手たちを伴奏するトリオでキャリアを積む。1978年オスバルド・プグリエーセ楽団に参加、11年間在籍。
  アルトゥーロ・ペノン脱退後、1984年からは第1バンドネオン奏者に。プグリエーセ楽団脱退後、1989年、コロール・タンゴを結成。「チャカブケアンド」の作曲者。

 ロドルフォ・メデーロス 1940年3月25日〜
  バンドネオン奏者。ブエノス・アイレスで生まれたが、大学で生物学を学ぶためコルドバに転居。学生バンドをしている時に、ピアソラの勧めでブエノス・アイレスに戻り、本格的な音楽活動を始める。
  オスバルド・プグリエーセ楽団に参加。平行してロック調の音楽観を取り入れたヘネラシオン・セロを結成し独自の活動をする。近年はダニエル・バレンボイム、エクトル・コンソーレとのトリオで録音したり、
  オルケスタを組織したりして、古典の演奏にも力を入れている。教育者としてもアベジャネーダ・ポピュラー音楽学校で教鞭を務め、「タンゴの語法の技術的要素」や「グループ演奏実践」のクラスを受け持つ。

 アミリータ・バルタル 1940年9月24日〜
  歌手。ピアソラの「ブエノス・アイレスのマリア」でマリアを務める。

 ホセ・コランジェロ 1940年10月22日〜
  ピアノ奏者。エクトル・マリア・アルトラに師事し、1955年にラジオ・アルヘンティーナの番組内で、アルベルト・ダビラ楽団のピアニストとしてデビュー。ルイス・サルヴァデオ楽団、エミリオ・オルランド、
  ロレンソ・バルベロの「ラス・ヌエバス・エストレージャス・デル・タンゴ、アンヘル・ヘンタ楽団、フアン・デ・ディオス・フィリベルト楽団、エンリケ・アレッシオ、リカルド・マレルバ、アンヘル・ドミンゲス楽団、
  ロス・ソリスタス・デ・タンゴ(エドゥアルド・ロビラ編曲)、歌手エドゥアルド・ソラノの伴奏などで演奏。1962年、レオポルド・フェデリコに招かれ、フリオ・ソーサのピアノ伴奏をする。その後も、
  レオポルド・フェデリコとの共演をつづけたが、それと平行して、マレルバ(Malerba)とのセッションや自身のカルテットでの活動をこなしていった。「タンゴのための4人の仲間たち」クアルテートは、ラジオ・エル・ムンドでデビュー。
  オスバルド・ベルリンジェリの後任としてアニバル・トロイロ楽団に入団。トロイロの4重奏団でも演奏。また、ネストル・マルコーニ、オマル・ムルタフ、アニバル・アリアスとともにクアルテートを結成する。
  「トドス・ロス・スエニョス」の作曲者。

 フェルナンド・スアレス・パス 1941年1月1日〜
  バイオリン奏者。エンリケ・マリオ・フランチーニ、オルランド・トリポディ、オラシオ・サルガン、ミゲル・カロー、フリビオ・サラマンカ、ペドロ・ラウレンス、アニバル・トロイロ、マロアーノ・モーレス、
  アティリオ・スタンポーネ、レオポルド・フェデリコ、オスバルド・レケーナ、ネストル・マルコーニ、オスバルド・ベリンジュエリ、ラウル・ガレーロ、セステート・マジョールなどで活動後、
  アストル・ピアソラのキンテートのメンバーとなる。現在はソリストとして活動。

 アベル・コルドバ 1941年7月19日〜
  歌手。オスバルド・プグリエーセ楽団の最後の専属歌手の一人。出身地を芸名にする。

 カルロス・ブオノ 1942年〜
  バンドネオン奏者

 マウリシオ・マルチェリ 1942年〜
  バイオリン奏者。エンリケ・マリオ・フランチーニ楽団、アルフレード・ゴビ楽団、アルヘンティーノ・ガルバン楽団、ミゲル・カロー楽団、アニバル・トロイロ楽団に在籍。
  オスカル・エレーロ退団後のオスバルド・プグリエーセ楽団のトップ・バイオリン奏者を務める。その後はソリストとして活動する。

 ネストル・マルコーニ 1942年6月15日〜
  バンドネオン奏者。11歳でピアノと作曲を始める。ホセ・バッソ楽団のメンバーとしてスタートし、フランチーニ=ポンティエル楽団、エンリケ・マリオ・フランチーニ6重奏団に編曲とバンドネオンで参加。
  オマール・バレンテとバングア・トリオを結成。オラシオ・サルガンのヌエヴォ・キンテート・レアルに参加。 アストル・ピアソラ・キンテートの再現や、ピアソラのシンフォニックな作品を演奏。
  アドリアーナ・バレーラ、エクトル・スタンポーニ、ホセ・コランジェロの編曲者として活躍。ロベルト・ゴジェネチェの伴奏者としてカフェ・オメロに出演する他、1987年、映画「スール(フェルナンド・ソラナス監督)」に出演。
  フリオ・イグレシアス、ヨーヨーマ、マルタ・アルゲリッチなどと共演するなど、国際的にも活躍。国内では国立フアン・デ・ディオス・フィリベルト・アルゼンチン音楽オーケストラの指揮者をつとめた。
  現在は、自身のトリオで息子のレオナルド・マルコーニ(ピアノ)、オスカル・ジウンタ(コントラバス)と演奏する他、2007年からはオルケスタ・エスクエラ・デ・タンゴの指揮者をつとめている。バンドネオン教師としても知られる。

 ワルテル・リオス 1942年7月18日〜
  バンドネオン奏者。ロサリオ、サンタフェで活動後、ブエノス・アイレスへ。ウーゴ・デル・カリルやラウル・ラビエの歌伴奏でコロンビア、アメリカ、メキシコ、ブラジルなどをツアー。パリでも活動。
  帰国後はリカルド・ドミンゲスとのデュオの他、5重奏団、6重奏団を結成。リト・ネビアやアドリアーナ・バレーラとも共演。フォーエバータンゴやセステート・マジョールにも参加。マリアーノ・モレス、
  スサーナ・リアルディ、アントニオ・アグリ、エンリケ・カディカモ、メルセデス・ソーサ、ドミンゴ・クーラ、ラロ・シフリンなど共演者は多数。

 ファン・ホセ・モサリーニ 1943年〜
  バンドネオン奏者。レオポルド・フェデリコ、ホセ・バッソ、オラシオ・サルガン、オスバルド・プグリエーセなどの楽団で活動する。1977年、パリに居を移し、ヨーロッパを活動の中心とする。

 ウーゴ・マルセル  1943年1月24日〜
  歌手。オスバルド・フレセド楽団、マリアーノ・モーレス楽団、レオポルド・フェデリコ楽団、セステート・マジョール、ロベルト・パンセラ、アティリオ・スタンポーネ、オスバルド・レケーナなどと歌う。

 ホセ・アンヘル・トーレス  1943年8月28日〜
  歌手

 パブロ・シーグレル 1944年9月2日〜
  ピアノ奏者。ブエノスアイレス音楽院を卒業、その後、ガリア・シャルフマンとアドリアン・モレーノにピアノを、ヘラルド・ガンディーニとフランシスコ・クロプルフに作曲法を学ぶ。
  アストル・ピアソラの新生キンテートに参加。ゲーリー・バートン、フリオ・ボッカ、パキート・デ・リベラ、ミルバ、オルフェウス室内管弦楽団などと共演。エマヌエル・アックスとピアソア作品を録音。
  ギター奏者キケ・シネシ、バンドネオン奏者ワルテル・カストロの参加で制作したアルバム「バホ・セロ」で最優秀タンゴアルバム部門にてラテン・グラミー賞を受賞。

 ドミンゴ・モーレス 1944年12月21日〜1992年10月30日
  バンドネオン奏者。トリオ・コンテンポラネオを結成。カルロス・ガルシアのタンゴ・オールスターズのメンバーとして来日。

 リサンドロ・アドロベール 1945年5月3日〜
  バンドネオン奏者。9歳前からオスカル・ルエンゴ、ペドロ・アギラルにバンドネオンを師事する。国立音学院で和声学、対位法、作曲を学ぶ。14歳の時、ラジオ・ミトレ、ラジオ・ポルテーニョでデビュー。
  ホセ・バッソ楽団、オスバルド・プグリエーセ楽団などに在籍。ルベン・ファレス、オスバルド・ベリンジェリと共演。ルイス・ブラボのタンゴ・ショー「フォーエバー・タンゴ」公演にバンドネオン奏者、編曲、指揮者として参加。

 ダニエル・ビネリ 1946年3月20日〜
  バンドネオン奏者。キルメス生まれ。オスバルド・ルジェーロたち脱退後の1968年から1982年までオスバルド・プグリエーセ楽団に在籍。在籍中、ファン・ホセ・モサリーニとグループを組む。
  1989年、フリオ・パネの後を受けて、アストル・ピアソラ最後の6重奏団に参加。その後、ミゲル・アンヘル・ソトとミレーナ・プレブスの「タンゴ・ポル・ドス」、「タンゴの薫り」、ダンサーの
  ピラール・アルバレスとクラウディオ・ホフマンの「タンゴ・メトロポリス」などのタンゴ・ショーでもバンドネオン奏者、編曲を務める。ミルバを主人公としたピアソラ=フェレール作の「ブエノスアイレスのマリア」にも参加。
  ピアノのマルタ・アルゲリッチ、ギターのエドゥアルド・イサック、アルゼンチン国立交響楽団、NHK交響楽団、シャルル・デュトワ、ラロ・シフリン、フランツ・ポール・デッカー、イサイア・ジャクソン、シモン・ブレック、
  ヘルマン・グティエレスなどとも共演、国際的なソリストとして活動。

 ルベン・ファレス 1947年11月5日〜2010年5月31日
  歌手、バンドネオン奏者。バンドネオンによる弾き語りで知られる。6歳の時からバンドネオンをドミンゴ・ファバに師事。1956年、バンオネオン奏者としてデビュー。歌手としてもコンクールで優勝する。
  国内ツアーで成功をおさめ、カーニョ・カトルセに出演し、アニバル・トロイロとも共演。カルロス・ガルシア指揮でレコード・デビュー。数々のショーや映画にも出演。「ケ・タンゴ・アイ・ケ・カンタール(カチョ・カスタニャとの共作)」の作者。

 フリオ・パネ 1947年11月30日〜
  バンドネオン奏者。父、叔父がバンドネオン奏者という環境で育つ。13歳の時、フリオ・アウマーダ楽団でプロデビュー。その後、シリアコ・オルティスの後を受けて「エル・ビエホ・アルマセン」のレギュラーとなり、
  ギタリストのエドムンド・サルディバルと組む。オラシオ・サルガン、エンリケ・フランチーニ、オスバルド・マンシ、アルマンド・ポンティエル、アティリオ・スタンポーネ、エクトル・スタンポーニ、ミゲル・カロー、
  ホセ・バッソ、レオポルド・フェデリコ、オスバルド・タランティーノ、ダニエル・ピアソラ、フアンホ・ドミンゲスらと共演。アストル・ピアソラ最後の六重奏団のメンバー。
  また、ラウル・ガレーロとカルロス・ガルシーア編曲・指揮のブエノスアイレス市立タンゴ・オーケストラには1983年よりソリストとして参加。ピアノのニコラス・レデスマと、コントラバスのエンリケ・ゲーラと
  自身のトリオを結成。ラウル・ガレーロ指揮のトゥールーズとドレスデンの交響楽団ではソリストとして演奏。メンドーサ交響楽団にはオラシオ・サルガンと共演し、「オラトリオ・カルロス・ガルデル」を演奏。
  バンドネオン教師としても名高く、マルセロ・ニシンマン、パブロ・マイネッティ、グスタボ・トケル、カルロス・コラーレス、マルセロ・メルカダンテ、マリアーノ・シグナらを育てる。
  「インテルルディオ」、「ア・ロス・オルケスタス(オルケスタたちに捧ぐ)」の作曲者。

 リト・ネビア 1948年7月21日〜
  歌手。ピアノ奏者。ロック、フージョン、フォルクローレの分野で活動後、メロペア・レーベルのプロデューサー兼音楽家として、タンゴの分野でも活動する。


 オラシオ・カバルコス 1950年〜
  コントラバス奏者。12歳から父フェルナンド・カバルコスの下で音楽の勉強を始める。1970年にロペス・ブチャルド音楽院を卒業。ラジオ・エル・ムンド少年楽団、アルゼンチン空軍交響楽団などで演奏し、
  1973年からはコロン劇場オーケストラに参加。オラシオ・サルガン、オスバルド・タランティーノ、ホセ・コランジェロ、フリオ・パネなどと共演。またエドムンド・リベロ、ロベルト・ゴジェネチェ、
  アルベルト・ポデスタ、アルベルト・マリーノ、ラウル・ラビエ、スサーナ・リナルディ、フロレラル・ルイスなど数多くの歌手の伴奏も務める。1981年にはラロ・シフリンのアルバムとサウンドトラックのレコーディングに参加。
  1979年に彼の父が亡くなると、代わってレオポルド・フェデリコ楽団に参加。また平行して国立交響楽団にも加わる。音楽教師としても精力的に活動している。

 ファンホ・ドミンゲス 1951年〜
  ギター奏者。 タト・シフエンテスとハイメ・ダバロスの伴奏として、8歳の時、テレビ番組でプロとしてデビュー。14歳で最初の録音を経験。弟と共にロドルフォ・レシーカ、アルベルト・エチャグエ、アルベルト・ポデスタ、
  アルベルト・モランなど伝説的な歌手を伴奏した。他にも、ウーゴ・マルセル、ネストル・ファビアン、ルベン・フアレス、ビルヒニア・ルーケ、カルロス・アクーニャ、マリア・グラーニャ、ロベルト・ゴジェネチェと共演。
  エンリケ・ジョピス、ロサメル・アラヤ、マリア・マルタ・セラ・リマ、チャンゴ・ニエトといった他のジャンルの歌手とも共演。弟のラウルとのドゥオ、ロス・ドミンゲスやフアンホ・トリオ、ロス・アントニオス、ロス・アビレス
  の他、ネストル・マルコーニ、フリオ・パネ、ラウル・バルボーサとも共演。
 
 アドリアナ・バレーラ 1952年5月9日〜
  歌手。カフェ・オメロの出演でロベルト・ゴジェネチェと知遇を得る。リット・ネビア、エンリケ・カディカモ、ウルグアイ人のハイメ・ロース、グスターボ・サントアローラらとも共演。

 グラシエラ・スサーナ 1953年〜
  歌手。タンゴ、フォルクローレの弾き語り。

 マリア・グラーニャ 1953年6月16日〜
  歌手。12歳でエルビーラ・アキラーノに師事。様々なコンクールで優勝後、オスバルド・プグリエーセに認められ共演。カーニョ・カトルセ、ミケランジェロ、エル・ビエホ・アルマセンなどブエノス・アイレスの代表的なタンゲリーアの他、
  「グランデス・バローレス・デル・タンゴ」などのテレビ番組にも出演。ブロード・ウェイのミュージカル「タンゴ・アルヘンチーノ」にも参加。現在はソリストとして世界各地で活躍。

 ギジェルモ・フェルナンデス 1958年1月28日〜
  歌手。1969年、テレビ番組「グランデス・バローレス・デル・タンゴ」に登場。カーニョ・カトルセ」に出演、アニバル・トロイロ、アティリオ・スタンポーネ、ロベルト・ゴジェネチェと共演。
  オスバルド・ピーロ指揮オルケスタ・ナシオナル・デル・タンゴとも共演。1986年、アメリカへ移住、プロデューサーとして活動。1990年代末、アルゼンチンへ戻り、ホセ・コランジェロの伴奏で来日。


 サンドラ・ルナ 1966年2月27日〜
  歌手

 マルセロ・メルカダンテ 1969年〜
  バンドネオン奏者。ロドルフォ・メデーロスに師事。バンドネオン、和声学、管弦楽法を学ぶ。またフアン・ホセ・モサリーニ、フリオ・パネ、ダニエル・ビネリ、ネストル・マルコーニにも師事。
  在学中にメデーロス、ビネリ、オルランド・トリポディが共同指揮を務めるアベジャネーダ・ポピュラー音楽学校タンゴ・オルケスタのメンバーとなる。1991年、パブロ・マイネッティやエルナン・ポセッティらと結成した
  八重奏団「ラ・ソンブラ」で第二回ヤング・アート・ビエンナーレに参加し受賞。その1年後、スペインのセビリア万博へ向かった時からスペインに居を構える。スペインではトリオ、四重奏団、五重奏団を結成する他、
  各地のオーケストラとも共演。

 マルセロ・ニシンマン 1970年〜
  バンドネオン奏者。マルコス・マドリガルとフリオ・パネに師事。プンタ・デル・エステ市でピアソラと知り合う。パリでギジェルモ・グラエツェルに和声学と対位法を、ホセ・ルイス・カンパーナに管弦楽法を、
  スイスのバーゼルにてホセ・ルイス・カンパーナに管弦楽法を学び、90年代の終わりにからスイスに居を構えた。ブエノスアイレスでフェルナンド・スアレス・パス五重奏団のメンバー。
  ヨーロッパではデンマークの楽団タンゴ・オルケストレとレコーディング。またギドン・クレーメル、ゲイリー・バートン、アサッド兄弟、タンペレ・フィルハーモニー管弦楽団、フィラデルフィア管弦楽団などと共演をした。
  作曲家としては「ラプソディア・エン・タンゴ」、「ラプソディア・ポルテーニャ」、「セニョール・レトルシミエントス」などの作品がある。

 オラシオ・ロモ 1974年〜
  バンドネオン奏者。9歳よりバンドネオンを始める。マルコス・マドゥリガル、フリオ・パネに師事。コロール・タンゴ、エミリオ・バルカルセ指揮のオルケスタ、フェルナンド・スアレス・パス、
  オスバルド・ベリンジュエリ、レオポルド・フェデリコなどと演奏。セステート・マジョールではバンドネオンと編曲を担当。

 クリスティアン・サラテ 1975年〜
  ピアノ奏者。16歳の時にオルケエスタ・コロール・タンゴでプロデビュー。ブエノスアイレス市タンゴ・オーケストラ、フアン・ホセ・モサリーニ5重奏団、フリアン・プラサ6重奏団、ダニエル・ピアソラ8重奏団、
  ワルテル・リオス5重奏団、米山義則楽団、ロドルフォ・メデーロス5重奏団、カルロス・ラサリ指揮フアン・ダリエンソ・オルケスタ、フリオ・パネ・トリオ、バッファ‐デ・リオ5重奏団などで演奏。
  フィリベルト国立オーケストラやコロン劇場オーケストラにもピアニストとして招かれる。タンゴショー「タンゴ・ポル・ドス」やタンゴバー「エル・ビエホ・アルマセン」「ミケランジェロ」、
  「ピアソラ・タンゴ」の音楽監督を務める。映画「タンゴ(カルロス・サウラ監督)」の編曲家。オスバルド・ベルリンジェリの依頼で劇団「タンゴ・アルヘンティーノ(Tango Argentino)」に参加。
   歌手ギジェルモ・フェルナンデス、ラウル・ラビエ、マリア・グラーニャのアルバムの監督と編曲。パブロ・アグリ、ダニエル・ファラスカとのトリオや自身の六重奏団を結成。ルベン・フアレスの伴奏も行う。

 エステバン・リエラ 1980年5月16日〜
  歌手。クラブ「エル・タバノ」が主催する歌手コンクール、ウゴ・デル・カリル・コンクール、国立コスキン・フォルクローレ・フェスティバル、国立ラ・ファルダ・タンゴフェスティバルなど様々なコンクールで受賞を果たす。
  オスバルド・ベリンジュエリ楽団と共に来日。ブエノスアイレス市立タンゴ・オルケスタやバーレ・タンゴと共演。



 【五十音順(名字を先に)】

 <ア〜オ>

 アイエタ、アンセルモ 1896年11月5日〜1964年9月25日

 アウマーダ、フリオ 1916年5月12日〜1984年3月4日

 アタディーア、アルフレード 1914年1月9日〜1982年1月30日

 アドロベール、リサンドロ 1945年5月3日〜

 アブラモビッチ・マリオ 1926年10月31日〜

 アベジャネーダ、ペピート 1930年11月30日〜1996年4月29日

 アリアス、アニバル  1922年7月20日〜〜2010年10月3日

 アルトーラ、エクトル 1903年4月30日〜1982年7月8日

 アルバレス、ダニエル 1908年2月18日〜1983年10月6日

 アルバレス、ロベルト 1940年〜

 アレッシオ、エンリケ 1918年1月8日〜2000年9月6日

 アローラス、エドゥアルド 1892年2月24日 〜1924年9月29日

 アロンソ、アルベルト 1893年4月12日〜1974年9月27日

 アグリ、アントニオ 1932年5月5日〜1998年10月17日

 エスポシト、オメロ 1918年11月5日〜1987年9月23日

 エスポシト、ビルヒリオ 1924年5月3日〜1997年10月25日

 エスポシト、ヘナロ(エル・ターノ) 1886年2月17日〜1944年1月24日

 エセイサ、ガビノ 1858年2月3日〜1916年10月12日

 エチャグェ、アルベルト 1909年3月8日〜1987年2月22

 エレーロ、オスカル 1921年7月5日〜1999年2月23日

 オマール、ネリー 1911年9月10日〜

 オルティス、シリアコ 1905年8月5日〜1970年7月9日


 <カ〜コ>

 カオ、パンチート 1920年〜1979年

 カスティージョ、アルベルト 1914年12月7日〜2002年7月23日

 カスティージョ、カトゥーロ 1906年8月6日〜1975年10月19日

 カステジャーノス、ピンティン 1905年6月10日〜1983年7月2日

 カストリオータ、サムエル 1890年〜1932年

 カディカモ、エンリケ 1900年7月15日〜1999年12月3日

 カナロ、ファン 1892年7月25日〜1977年3月16日

 カナロ、フランシスコ 1888年11月26日〜1964年12月14日

 カバルコス、オラシオ(父) 1923年〜1978年
 
 カバルコス、オラシオ 1950年〜

 カプルン、ラウル  1910年11月11日〜1990年1月23日

 カメラーノ、エンリケ 1908年〜1979年

 カラベリ、アドルフォ 1893年9月8日〜1947年1月25日

 カリル、ウーゴ・デル 1912年11月30日〜1989年8月13日

 ガルシア、カルロス 1914年4月21日〜2006年8月4日

 カルーソ、ファン・アンドレス 1890年9月20日〜1931年3月1日

 カルダーラ、ホルヘ 1924年9月17日〜1967年8月24日

 ガルデル、カルロス 1890?年12月11日〜1935年6月24日

 ガルバン、アルヘンティーノ 1913年7月13日〜1960年10月8日

 ガレーロ、ラウル 1936年1月3日〜

 カロー、ミゲル 1907年10月28日〜1972年5月24日

 カンバレリ、ファン 1916年4月15日〜1992年2月18日

 ギド、ファン・(バウティスタ) 1898年2月1日〜1945年10月5日

 キロガ、ロシータ 1896年1月16日〜1984年10月16日

 キンターナ、ロシータ 1925年7月16日〜

 クーポ、アルマンド  1921年12月26日〜1990年7月21日

 クラウシ、ガブリエル 1911年8月30日〜2010年2月17日

 グラーニャ、マリア 1953年6月16日〜

 グレコ、アムレット 1920年〜

 グレコ、ビセンテ 1888年2月3日〜1924年10月5日

 グレーラ、ロベルト 1913年6月28日〜1992年9月6日

 ゴジェネチェ、ロベルト 1926年1月29日〜1994年8月27日

 ゴーシス、ハイメ 1913年〜1975年

 コセンティーノ、サウル 1935年3月21日〜

 ゴドイ、ファン・カルロス  1922年8月21日〜

 ゴニ、オルランド 1914年1月20日〜1945年2月5日

 ゴビ、アルフレード(父) 1877年〜1938年

 ゴビ、アルフレード 1912年5月14日〜1965年5月21日

 コビアン、ファン・カルロス 1896年5月31日〜1953年12月10日

 コーペス、ファン・カルロス 1931年5月31日〜

 コランジェロ、ホセ 1940年10月22日〜

 ゴリオ、ファン・サンチェス 1920年〜1979年

 コルシーニ、イグナシオ 1891年2月13日〜1967年7月26日

 コルドバ、アベル 1941年7月19日〜

 コンソーレ、エクトル 1939年8月10日〜

 コントゥルシ、パスクアル 1888年11月18日〜1932年5月29日

 コントゥルシ、ホセ・マリア  1911年10月31日〜1972年5月11日


 <サ〜ソ>

 サッソーネ、フロリンド 1912年1月12日〜1982年1月31日

 サニョーリ、セサル 1911年4月24日〜2002年12月26日

 サビーノ、オスカル 1910年〜1975年

 サボリード、エンリケ 1877年?〜1941年9月19日

 サラテ、クリスティアン 1975年〜

 サラマンカ、フリビオ 1921年8月19日〜1999年5月25日

 サルガン、オラシオ 1916年6月15日〜

 サルーシ、ディノ 1935年5月20日〜

 サンタ・クルス、ドミンゴ 1884年12月20日〜1931年8月5日

 サンデレス、フリオ・セサル 1897年2月13日〜1942年6月10日

 シーグレル、パブロ 1944年9月2日〜

 シフリン、ラロ 1932年6月21日〜

 シモーネ、メルセデス  1904年4月21日〜1990年10月2日

 スアレス・パス、フェルナンド 1941年1月1日〜

 スカラムッツァ、ビセンテ 1885年6月19日〜1968年3月24日

 スカルピーノ、アレハンドロ 1904年1月16日〜1970年5月27日

 スコルティカティ、フェデリコ 1912年11月6日〜1998年7月2日

 スサーナ、グラシエラ 1953年〜

 スタソ、ルイス  1930年6月21日〜

 スタンポーニ、エクトル 1916年12月24日〜11997年12月3日

 スタンポーネ、アティリオ 1926年7月1日〜

 スピタルニク、イスマエル 1919年8月27日〜1999年10月12日

 スレーダ 、アントニオ 1904年10月4日〜1951年6月23日

 セリージョ、ロベルト 1902年6月20日〜1955年5月5日

 セルビディオ、ホセ 1900年3月19日〜1969年6月6日

 ソーサ、フリオ 1926年2月2日〜1964年11月26日

 ソーサ、メルセデス 1935年7月9日〜2009年10月4日

 ソブラル、ホルヘ 1931年8月25日〜2005年4月10日


 <タ〜ト>

 ダゴスティーノ、アンヘル 1900年5月25日〜1991年1月16日

 タニア 1900年?〜1999年2月

 ダメス、ホセ 1907年10月28日〜1994年8月7日

 タランティーノ、オスバルド 1927年6月6日〜1991年9月10日

 ダレッサンドロ、アントニオ 1915年1月31日〜2000年6月29日

 ダリエンソ、ファン 1900年12月14日〜1976年1月14日

 ダンテ、カルロス 1906年3月12日〜1985年4月28日

 タントゥーリ、リカルド 1905年1月27日〜1973年1月24日

 チャネル、ロベルト 1914年11月26日〜1972年7月24日

 チャルロ 1905年7月7日〜1990年10月30日

 デ・アンヘリス、アルフレード 1910年10月2日〜1992年3月31日

 ディアス、ウーゴ 1927年〜1977年

 ディアス、(エンリケ)キチョ  1918年1月21日〜1992年10月5日

 ディアス、グロリア 1938年5月17日〜

 ディ・サルリ、カルロス 1903年1月7日〜1960年1月12日

 ディセポロ、エンリケ・サントス 1901年3月27日〜1951年12月23日

 ディ・チコ、ミノット(エンリケ) 1898年10月11日〜1979年9月9日

 ティネリ、ホセ 1911年4月13日〜1960年7月27日

 ディ・パウロ、アルベルト 1929年7月12日〜

 ディ・フィリポ、ロベルト 1924年6月12日〜1991年2月15日

 デ・カロ、フランシスコ 1898年3月23日〜1976年7月31日

 デ・カロ、フリオ 1899年12月11日〜1980年3月11日

 デマルコ、マリオ 1917年8月5日〜1970年2月4日

 デマレ、ルシオ 1906年8月9日〜1974年3月6日

 デュマス、エンリケ 1935年5月8日〜2009年1月18日

 デ・ラ・フエンテ、マリア 1918年4月25日〜

 デ・リオ、ウバルド 1929年3月11日〜

 デル・ピアノ、エドゥアルド 1914年5月14日〜1987年12月21日

 デルフィーノ、エンリケ 1895年11月15日〜1967年1月10日

 テル、フェルナンド 1921年1月22日〜1995年3月29日

 デ・ロサス、エクトル 1931年10月2日〜

 ドナート、エドゥガルド 1897年4月14日〜1963年2月15日

 ドミンゲス、ファンホ 1951年〜

 ドラゴーネ、ホルヘ 1927年2月12日〜

 トリポディ、オルランド 1927年2月26日〜1995年8月12日

 トーレス、ホセ・アンヘル 1943年8月28日〜

 トロイロ、アニバル 1914年7月11日〜1975年5月18日

 トンプソン、レオポルド 1899年?〜1925年8月21日


 <ナ〜ノ>

 ニエヴェス、マリア 1938年9月6日〜

 ニシンマン、マルセロ 1970年〜

 ニチェーレ、レイナルド 1918年6月1日〜1998年4月25日

 ネビア、リト 1948年〜

 ノバーロ、チコ 1933年11月4日〜


 <ハ〜ホ>

 バシル、オスカル 1930年〜

 バジュール、シモン 1928年4月4日〜2005年2月8日

 パスクアル、ホセ 1910年9月28日〜1978年11月2日

 バスケス、ネリー 1937年2月26日〜

 パチェコ、エクトル 1918年3月15日〜2003年7月28日

 バッソ、ホセ 1919年1月30日〜1993年8月14日

 バッファ、エルネスト 1932年8月20日〜

 パネ、フリオ 1947年11月30日〜

 バラリス、ウーゴ 1914年4月2日〜2002年2月4日

 バルガス、アンヘル 1904年10月22日〜1959年7月7日

 バルカルセ、エミリオ 1918年2月22日〜

 バルタル、アミリータ 1940年9月24日〜

 バルダロ、エルビーノ 1905年6月18日〜1971年8月5日

 バルディ、アグスティン 1884年8月13日〜1941年4月21日

 バルビエリ、ガトー 1932年11月28日〜

 バルビエリ、ギジェルモ 1894年9月25日〜1935年6月24日

 バルレッタ、アレハンドロ 1925年〜2008年4月26日

 バレーラ、アドリアナ 1952年5月9日〜

 バレーラ、エクトル 1914年1月29日〜1987年1月30日

 バレンテ、オマール 1937年3月30日〜2006年2月1日

 バーンステイン、ルイス 1888年1月28日〜1966年1月1日

 パンセラ、ロベルト 1932年5月20日〜2005年3月6日

 ビアジ、ロドルフォ 1906年3月14日〜1969年9月24日

 ピアソラ、アストル 1921年3月11日〜1992年7月4日

 ピアナ、セバスティアン 1903年11月26日〜1994年7月17日

 ビアンコ、エドゥアルド 1892年6月28日〜1959年10月26日

 ピサロ、マヌエル 1895年11月23日〜1982年

 ビジャスボアス、ミゲル 1936年12月30日〜

 ビジョルド、アンヘル 1861年2月16日〜1919年10月14日

 ビダル、ホルヘ 1924年8月12日〜

 ビネリ、ダニエル 1946年3月20日〜

 ヒメネス、フランシスコ・ガルシア 1899年〜1947年

 ピーロ、オスバルド 1937年1月1日〜

 ファビアン、ネストル 1938年11月30日〜

 ファルコン、アダ 1905年8月17日〜2002年1月4日

 ファレス、ルベン 1947年11月5日〜2010年5月31日

 フィオレンティーノ、フランシスコ 1905年9月23日〜1955年9月11日

 フィガリ、カルロス 1913年8月3日〜1994年10月22日

 フィリベルト、ファン・デ・ディオス 1885年3月8日〜1964年11月11日

 フィリポ、ロベルト 1884年5月10日 〜1969年6月14日

 フェデリコ、ドミンゴ 1916年6月4日〜2000年4月6日

 フェデリコ、レオポルド 1927年1月12日〜

 フェラサーノ、アヘシラオ 1897年7月31日〜1980年1月18日

 フェルナンデス、ギジェルモ 1958年1月28日〜

 フェルナンデス、ルイス・アルベルト 1890年9月29日〜1947年9月

 フェレール、オラシオ 1933年6月2日〜

 ブオノ、カルロス 1942年〜

 プグリエーセ、オスバルド 1906年3月12日〜1995年7月25日

 プグリエーセ、ベバ 1936年〜

 プグリシ、カジェタノ 1902年1月2日〜1968年11月2日

 ブラガート、ホセ 1915年10月12日〜

 プラカニコ、フランシスコ 1898年〜1971年

 プラサ、フリアン 1928年7月9日〜2003年4月19日

 ブラスケス、エラディア 1931年2月24日〜2005年8月31日

 ブラスコ、アルマンド 1908年10月30日〜1991年11月11日

 フランコ、エルネスト 1929年2月1日〜

 フランシア、マリオ 1902年6月29日〜1981年5月7日

 フランシア、リカルド 1931年〜

 フランチーニ、エンリケ・マリオ 1916年1月14日〜1978年8月27日

 ブリグノーロ、リカルド・ルイス 1892年3月7日〜1954年3月27日

 ブルネリ、フェリシアーノ 1903年2月7日〜1981年8月27日

 フレセド、オスバルド 1897年5月5日〜1984年10月18日

 フローレス、カルロス・ビセンテ・ヘロニ 1895年〜1953年

 フローレス、セレドニオ 1896年8月3日〜1947年7月28日

 ペトゥルチェリ、ルイス 1903年1月18日〜1941年2月28日

 ペニャローサ、ガビノ・コレア 1881年2月19日〜1975年10月31日

 ペノン、アルトゥーロ 1927年1月15日〜2000年1月10日

 ペライ、イボ 1893年5月5日〜1959年8月28日

 ベリンジェリ、オスバルド 1928年2月20日〜

 ベルーシ、アルフレード 1925年1月10日〜2001年1月1日

 ベルト、アウグスト 1889年2月4日〜1953年4月29日

 ベルナルド、パキータ 1900年5月1日〜1925年4月14日

 ペレイラ、エドゥアルド 1900年10月13日〜1973年2月21日

 ペレス、アドルフォ・(ポチョーロ) 1897年3月25日〜1977年8月23日

 ベロン、アドルフォ 1915年〜1982年

 ベロン、ラウル 1920年3月30日〜1982年6月28日

 ポデスタ、アルベルト 1924年9月22日〜

 ボナベーナ、アントニオ 1896年3月14日〜1960年7月22日

 ホベス、マヌエル 1886年3月8日〜1927年8月26日

 ポリート、ファン 1908年7月11日〜1981年10月25日

 ボール、ホセ 1901年9月3日〜1994年5月29日

 ポンシオ、エルネスト  1885年7月10日〜1934年10月21日

 ポンティエル、アルマンド 1917年8月29日〜1983年12月25日


 <マ〜モ>

 マイサニ、アスセナ 1902年11月17日〜1970年1月15日

 マウレ、エクトル 1920年3月13日〜1976年5月12日

 マガルディ、アグスティン 1898年12月1日〜1938年9月8日

 マグリオ、ファン(パチョ) 1880年11月18日〜1934年7月14日

 マシエル、ホルヘ 1920年9月17日〜1975年2月25日

 マデルナ、オスマル 1918年2月26日〜1951年4月28日

 マフィア、ペドロ 1899年8月28日〜1967年10月16日

 マリーノ、アルベルト 1923年4月26日〜1989年6月21日

 マルクーチ、アルフレード 1929年〜

 マルクーチ、カルロス 1903年10月30日〜1957年5月31日

 マルコーニ、ネストル 1942年6月15日〜

 マルサン、カルロス 1939年〜

 マルセル、ウーゴ 1943年1月24日〜

 マルチェリ、マウリシオ 1942年〜

 マルティネス、ホセ 1890年1月28日〜1939年7月27日
 
 マルビチーノ・オラシオ 1929年10月20日〜

 マンシオーネ、アルベルト 1915年10月8日〜1998年7月4日

 マンシ、オスバルド 1925年8月31日〜1976年4月18日

 マンシ、オメロ 1907年11月1日〜1951年5月3日

 メデーロス、ロドルフォ 1940年3月25日〜

 メルカダンテ、マルセロ 1969年〜

 メレージョ、ティタ 1904年10月11日〜2002年12月24日。

 メロ、ロシータ 1897年7月9日〜1981年8月12日

 メンディサバル、ロセンド 1868年4月21日1〜1913年6月30日

 モサリーニ、ファン・ホセ 1943年〜

 モラ、ホアキン 1905年9月22日〜1979年8月2日

 モラン、アルベルト 1922年3月15日〜1997年8月16日

 モリーナ、オラシオ 1935年9月2日〜

 モリ、マキシモ 1916年5月18日〜1987年11月28日

 モーレス、ドミンゴ 1944年12月21日〜1992年10月30日

 モーレス、マリアノ 1918年2月18日〜

 モンテス、オスバルド 1934年1月8日〜

 モンテロ、ミゲル  1922年7月9日〜1975年8月29日


 <ラ〜ロ>

 ラウレンス、ペドロ 1902年10月10日〜1972年7月7日

 ラサリ、カルロス 1925年12月9日〜2009年6月9日

 ラシアッティ、ドナート 1918年10月18日〜2000年5月27日

 ラバジェン、ビクトル 1935年〜

 ラビエ、ラウル 1937年8月22日〜

 ラマルケ、リベルタ 1908年11月24日〜2000年12月12日

 ラモス、ノベルト 1933年〜2003年4月30日

 リエラ、エステバン 1980年5月16日〜

 リオス、アントニオ 1917年6月13日〜1991年8月13日

 リオス、ラグリマ 1924年9月24日〜2006年12月25日

 リオス、ワルテル 1942年7月18日〜

 リナルディ、スサーナ 1935年12月25日〜

 リベルテーラ、ホセ 1933年7月9日〜2004年12月8日

 リベーロ、エドゥムンド 1911年6月8日〜1986年1月18日

 リベーロ、レネ・マリーノ 1935年〜2010年3月12日

 ルーケ、ビルヒニア 1927年10月4日〜

 ルジェーロ、オスバルド 1922年9月22日〜1994年5月31日

 ルナ、サンドラ 1966年2月27日〜

 ルフィーノ、ロベルト 1922年1月6日〜1999年2月24日

 ルビステイン、ルイス 1908年〜1954年

 レケーナ、オスバルド 1931年6月29日〜2010年3月25日

 レデスマ、アルヘンティーノ 1928年6月24日〜2004年8月6日

 レ・ペラ、アルフレード 1900年6月4日〜1935年6月24日

 レンシ、カルロス 1895年11月3日〜1963年6月10日

 ロッシ、ラファエル 1896年12月28日〜1982年12月24日

 ロディオ、アントニオ 1904年1月25日〜1980年6月1日

 ロドリゲス、エンリケ 1901年3月8日〜1971年9月4日

 ロドリゲス、ヘラルド・ヘルナン・マトス  1897年3月28日〜1948年4月25日

 ロビラ、エドゥアルド 1925年4月30日〜1980年7月29日

 ロムート、フランシスコ 1893年11月24日〜1950年12月23日

 ロモ、オラシオ 1974年〜




  *アーティストの生没年月日、人物の事蹟等は修正、追加する場合があります。

  *アーティストの生没年月日、人物の事蹟、作詞作曲者名などは下記の書籍などを参考にしました。

   タンゴ100年史 上下(高場将美 著) 中南米音楽
   タンゴの歴史 (石川浩司 著) 青土社
   「タンゴ名曲事典」(石川浩司 編) 中南米音楽
   「改訂版 アルゼンチン・タンゴ アーティストとそのレコード」(大岩祥浩 著) ミュージック・マガジン
   El Libro del Tango/ Horacio Ferrer
   TODO TANGO
   Wikipedia
   10 Tango.com


 最後に写真を1枚。プグリエーセを初めスタイルを超えた人たちが一堂に会した凄い写真である。わが恩師のアルトゥーロ・ペノンも写っている。





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