「ゲーム的自己年表」


 エッセイ第1回は題してゲーム的自己年表。つまりは何かというと、別に難しいことでなく俺が今まで会ってきたゲームを
書いていこうというもんである。俺の人生に少なからず影響を与えた数々の名ゲームたち。それらを紹介していこうと思う。
(決してこのコーナーが大日記を毎日書かなくてすむために不定期掲載のエッセイを作ったわけではない・・・多分(汗))

 さて、俺がゲームという物に出会ったのはファミコンではなく、親戚の家で出会ったアタリ社のPONみたいなゲーム(注1)だ。
これがどうしようもなくおもしろくて、親戚とさんざんやっていた記憶がある。
今思うとこれがゲームとの最初の出会いだったわけだ。
 でその後、保育園年長のときにどういう経緯か忘れたけど、我が家にファミコンがやってきたのだ。
ファミコン。一番最初にやったゲームはこれはかなり良く印象に残っている。
「オバケのQ太郎」(注2)食べ物を食べるのが妙に気持ちいいゲームだった。幼児の俺にはたまらないソフトだった(笑)
すっかりゲームというかファミコンにはまってしまった俺は、お年玉をもらうがすぐ上野あたりにゲームを買いに行った。
そこで数本買ったタイトルも結構覚えている。
「Zガンダム」や「忍者ハットリくん」、「クルクルランド」などだ。
さらにここでその店最後の1本だった超超名作のゲーム「アイスクライマー」(注3)も手に入れることに成功したのだ。
 そうそうこのとき初めて「スーパーマリオブラザーズ」も買った。国民的ゲームといっても過言ではないほど最高傑作だ。
「Bダッシュ」という言葉が全国に流行したこともあった。
それは後にスーパーファミコンのマリオでYボタンを使うのにも関わらず、「Bダッシュ」と言うほどに有名な言葉になった。
もちろん当時の子供達はジャンプするときわざわざ腕を上げているなどの奇怪な現象も起きる。
第1次ゲームハマリチルドレン発生とはこのことである。
 こうして徐々にゲームにハマっていき、すでに友達とのおしゃべりで「ブロッケンのカレーパン投げはいてーよなー」とか
「ちくわのなかに鉄アレイ混ぜるなよなー」などという高等専門用語も使えるようになった頃、俺は凄まじいショックを受けた。
 「たけしの挑戦状」(注4)というゲームを買ったのだ。
いや、なんでこれを買ったのかもどうして我が家にあるのかも覚えてないんだけど、これほど俺に衝撃を与えたゲームがあったであろうか!(反語)
どうしても飛行機が途中で謎の爆発を起こして先へ進めないから攻略本を買った。
「カラオケで3回上手いと言われた後、あぶり出しを1時間。そのあいだコントローラーに触ってはだめだ」という一文。
・・・・。
小学生だった俺はその本を投げた。社長を机に埋め込んだあと、その前にう@こ座りをできるこのゲーム。
良く審査を通ったなぁ・・。
 他に「スパイ&スパイ」「バルーンファイト」「結局南極大冒険(だっけ?)」は俺が名作と認めるソフトだ。
特にバルーンファイトは燃えまくった。スパイ&スパイでは罠の応酬がよかった。
「エキサイトバイク」は自分でコースをエディットできる楽しさを教えてくれたゲームだ。
これも俺の中ではアイスクライマーと同じほどお気に入りのゲームだ。
これを近所の怪しいプラモデル屋「クラブ」で買ったという事実を知る者は数少ない。
 クラブで買ったといえば、「キン肉マン」。俺のマイキャラはウォーズマンとブロッケンジュニア。
ぴょーんぴょーんいう軽いサウンドが快いウォーズマンの爪攻撃と、反則臭いブロッケンのカレーパン固めで殺した敵超人の数
はかなりの数になる。
 忘れてはならないゲームとして「スペランカー」(注5)。ROM頭に輝く赤い光が目にまぶしい。
そういった数々のゲームをやりこなし、小学生高学年になる。
話題ではよくドラゴンクエストが出るようになった頃合いだ。ドラクエは出るごとになにかニュースが起こるような国民的RPG。
ファンがめちゃめちゃ多いだけにそれを嫌がる人達も出たくらいだ。RPG代表にドラクエが上がることに嫌気をさした人々は
ファミコンを離れていった。

 ゲームにはまっていた俺はディスクシステムにも手を出した。
ナゾラーランドは500円で書き換えできるものとして、超お買い得なソフトと俺は今でも思っているのだが、どうやら世間の
人々には良い印象がないみたいだった。そのバカバカしさは超一流だと思うのだが。
ディスクシステムの最初のマリオとルイージの争いを延々と見ていたこともあった。
「良くも飽きずにやっているなぁ」と髭兄弟に向かって問いかけたもんだが、今思うとそりゃああんた(俺)だよ。
ディスクシステムも今でこそ廃れてしまったが、名作も数多く生んだ。
「メトロイド」(注6)「アイスホッケー」とかだ。
アイスホッケーは従姉妹に100円でコピーしてもらったが、これがめちゃめちゃ面白かった。

 ゲームボーイというハードもあった。
ゲームボーイのマリオは見にくいことこのうえなかったが、「テトリス」(注7)はこれまた最高傑作だ。
他にSDガンダムの対戦や、ウルトラマン、海戦ゲームは良く兄弟でやっていたものだ。
もはやゲームボーイは旅行するときの必需品だった。
ゲームボーイ本体が我が家に来たとき、友達のミニ四駆が道路に飛び出し、タイミング良く轢かれたことを覚えている。
全然かんけーないけど。

 スーパーファミコンが出るという情報はコロコロコミックでキャッチした。
すでにゲームの虜になっていた俺は既に買う決心をしていた。
スーパーファミコンで一番最初に買ったのはもちろん「スーパーマリオワールド」(注8)。
長く長く遊べる奥が深いゲームであると同時に、誰もが遊べる幅広い窓口を持つ、奇跡のバランスを兼ね備えているゲーム。
奇跡のバランスは任天堂ブランドの得意技で、かなりはまったゲーム「F−ZERO」(注9)「マリオカート」がある。
 SFC出てすぐはソフトが少なく、「ボンバザル」(注10)に手を出そうかとも思ったが「ファイナルファイト」を選んだその
時の選択は間違ってなかったと思う。
ハガーの後ろ飛びや、「フンフン!」やガムを食うと体力マックスとか、ポイズンオカマなどといろいろな衝撃を俺に与えたソフトだ。
 中学生になってから、友人を家に招き何回も何回もやったゲームが、先述マリオカートと「いただきストリート」だ。
マリオカートでは普段あまりゲームをしない友人がいきなり強くなって燃えた。
いたストはこれまたすごいゲームだ。
めちゃめちゃ面白いが、「友達をなくすゲーム」の噂は伊達じゃない。
毎回やったあとは部屋の空気がどんより重くなり、4人もいるのに言葉数が極端に減るのだ。
このまま別れると後味悪く、次の日学校で気まずいから、必ずいたスト後は「ファイアープロレスリング」(注11)のバトルロイヤルを
やることになっていた。これで気まずい雰囲気を一掃して別れようという作戦だ。
しかし、たまに倒れた相手に3人で頭突きの嵐をおみまいしたり、トップロープからジャンプした瞬間に倒れた奴を起こしたり
と、リンチや裏切りの応酬となりよけいどんより雰囲気が広がったという微笑ましいエピソードもあったりする。
 SFCは俺が最もゲームというものにハマッた時代だったかもしれない。
それはそれは多くのソフトをやった。ドラクエにFFにオウガにロボット大戦にエムブレムに。
バンプレスト産の「バトルドッジボール」では目に見えない程の球をニュータイプ能力を最大限に引き出し取った。
「ザ・グレイトバトルT」では買って1時間でエンディングを見て、無力感に陥ったこともあった。
「ザ・グレイトバトルU」ではアイテム欲しさに2Pと死闘を繰り広げて、双方宇宙に落ちていったこともあった。
 数多くのゲームをやって、それぞれにいろいろな影響を受けたが、SFC時代「ストリートファイターU」(注12)を忘れてはならない。
かねてより、近所の駄菓子屋で何回も20円を投与したゲームが遜色ないデキでSFCで遊べたときは歓喜した。
テレホンサービスでチュンリーの宣伝(注13)を聞いたものだ。四天王が出るという噂(注14)も広がった。
これにより俺は格闘ゲームが好きになったのである。

 中学3年になり、親との賭けで見事勝利した俺は「いちにっさん!」の12/3に見事プレイステーションを取得した。
周りにはまだ受験生がいたというのに、「ツインビー対戦ぱずるだま」対戦で盛り上がっていた。
もはやパステルを使う俺にかなうものはいなかった。
やや天狗になった俺はゲームショーかなんかのミニイベントのばずるだま対戦に出たこともあった。
その落下&積みのあまりの速さに後ろから歓声が沸いたほどだ。(注15)
俺は見事参加賞を獲得することに成功した。
 このころ、俺は運命的なゲームと出会う。
ゲームセンターに保護者なしで行ったのは中3が初めてだが、そこで俺は「ヴァンパイア」(注16)というゲームと出会ったのだ。
さらに間もなくその続編「ヴァンパイアハンター」(注17)と出会う。
この俺に最も大きな影響を与えたゲーム。高校の帰りにはゲーセンへ行く習慣が付き、それによってゲーセン仲間もでき、
インターネットも始め、ネット仲間もでき、オフ会にも参加し、アーケード基盤まで手を出そうかとも思ったほどだ。
 ネットや雑誌などで基盤の情報を集め、まさに基盤に一歩足を踏み込んだ頃、一冊の雑誌の記事が俺の目に飛び込んだ。
 「ヴァンパイアハンター、セガサターンに移植」
 もーそれはそれは嬉しい知らせだった。
俺はハンターの発売を待ちきれず、12月末にセガサターンを購入。プレイステーションとの両刀使い(笑)となった。
 ハンターのデキは、とても素晴らしく、デバックモードの存在により基盤版よりも満足できる仕様だった。

 ハンターをきっかけとするゲーセン通いにより、今まであまり触れなかった類のゲームとも会う。
シューティングゲームだ。
それで「レイストーム」、「怒首領蜂」や「蒼穹紅蓮隊」(注18)などという俺の中でメガヒットの作品と出会った。
 もうすでにSFCのソフトは買わなくなり、PSとSSのソフトばかり買うようになった。
いやSSを買ってからはSSソフトのほうが俺好みの作品が多かった。
「EVE〜burst error」に「YU-NO」(注19)、待ち望んでいた「スーパーロボット大戦」の新作、「ナイツ」などたくさん出た。
PSではRPG「FFZ」「WILD ARMS」「パラッパラッパー」などが大のお気に入り作だ。
アーケードでは「D&D」「サムライスピリッツ天草降臨」「マジカルドロップ」などにコインを入れていた。
もしかするとゲームにたくさん触れているのはSFC時代よりも高校1,2年の方が多いかもしれない。
それには小遣いが増えるという経済的な面もからむ。
高3になりヴァンパイアが続編「ヴァンパイアセイヴァー」(注20)も出ることで、しばらくはアーケードを抜け出せないと
思っていたが、このセイヴァー、一般ゲーマーの心を掴むことはできず消えていってしまった。
しかもセイヴァーにハマリ過ぎてしまったばっかりに、俺は他の格闘ゲームはてんでできない体になっていたのだ。
やってみたい格闘はいろいろとあったが、周りのレベルについていけず、とうとうアーケード離れを起こす。
かろうじて「ビシバシチャンプ」「ビートマニア」「スパイクアウト」で繋ぎ止めるも、1ヶ月に1回くらいのペースとなって
しまった。
こういうアーケード離れを促進した一つの理由としては、高校時代毎日通っていたゲーセンが閉店したこともある。
そこのセイヴァーのレベルは俺にとって適度で戦っていて面白かったゲーセンだったのだが、消えて無くなった。

こうしたアーケード離れと同じ頃、我が家にwinパソコンがやってきた。
ヴァンパイアで知り合った人たちの勧めで「Age of Empires」(注21)にはまる。
夜な夜な目をこすりながらは、重弩砲を作り、精鋭戦車を作り、殺されまくりながらも隠密してねばる毎日が続いた。
時を同じくしてPC系最強フリーソフトのゲーム「BM98」(注22)に出会い、日々曲を集めて、その容量は500M近くに
なった。

今はゲームと言えば家ではそのBM98、たまにアーケードにいけばスパイクアウト、ビートマニア3rd。
そして一番愉しい時間を過ごせるのが任天堂のN64の対戦ゲームだ。
任天堂ブランドの奇跡のバランスの力は未だ健在で、「マリオカート」「スターフォックス」「007」を始めとする複数対戦
ゲームが最も面白いゲームだ。

かといって、まだまだゲーム離れはする様子はない。
「FF[」「パラッパラッパーの続編」「セイヴァーの続編」が今最もやってみたいゲームたちだ。
噂の「ディアブロ」(注23)も2が出たらやってみようと思う。1のときは出遅れてしまったからだ。

このような流れを持って現在に至る・・・・。

(注1)ピンポンというかエアホッケーというか、なんとも簡単なようで説明するのが難しいゲーム。
(注2)俺が初めて触れたファミコンゲーム。何故これを最初に買ったのかは不明である。小池さんが良い感じ。
(注3)協力プレイもなんのその。いかに相手に悟られずに相手の足場を崩し、先に自分が上へ行けるかを競うゲーム。
   そのハラハラ感は例えようのない興奮を生み出す。言わずと知れた最高傑作。
(注4)ゲームが開始され最初にやることは、会社内のへそくりを見つけ、社長とうまく交渉し退職金をもらうこと。
   敵ヤクザよりも自宅にいる息子の方が断然強く殺されそうになる。日本を抜け出し次の島へ行く前に大体の人はこの
   ゲームを放棄するだろう。俺はこのゲームでテキーラという酒を知った。体力回復する重要アイテムだ。
   俺はこれを作った人達と、発売をしたメーカー、そして攻略本を完成させたヒトを心より尊敬する。
(注5)膝の高さから落ちると死ぬというゲーム史上始まって以来最弱の主人公を操作し、下へ下へ潜っていくゲーム。
   いまだあの音楽があたまから離れない。銃は敵に当てるためではなく幽霊を脅すために持ってる。
   妙な緊張感のなか、最も慎重に行動したゲームとしてその名を歴史に刻んでいる。
(注6)ゲームのタイトルはほとんどそのゲームの主人公の名前と思っていた俺にとって、実はメトロイドとはあのうにょ
   うにょのぶにぶにのことを指しているという驚くべき事実を知ったときはショックだった。
   そんな衝撃に比べれば実は女だったということで世間を驚かせた事実は些細なものだった。
(注7)GBというものを熟知し、完全にその特性に適している超名作。バランスも申し分ない誰もが認める面白いゲーム。
   しかしそのBGMが「♪うまいうまいうまいうまい、うまーいドンブリッ!」と聞こえるのが嫌だった。
(注8)ルールは特に変わっていないのに、出るごとに驚きを見せてくれるスーパーマリオシリーズ。
   この頃になるとすでにピーチ姫の安否を気遣う者はいなくなり、マリオのお人好しさにみんなは頭を下げる思いだった。
(注9)1人でやるレースゲームとしては俺の中で一番。そのスピード感に酔った。ジャンプの気持ちよさも知った。
   俺がマリオカートを除いては唯一タイムアタックを延々とやったレースゲーム。
(注10)「見ざる!聞かざる!ぼんばざる!!」という言葉が大流行した(嘘)
(注11)梶原がいきなり骨折ったり、馬場が遅かったり、レフリーを流血させたり、一徹をレフリーにしたり、リンチしたり
   などということがアツイゲームだ。やはりバトルロイヤル、これでしょう。
   膝かっくんまでの間がなんともいえないゲーム。
(注12)始めマイキャラが何故かエドモンド本田だった。スーパー頭突きの対空が強かった。で、ガイル、リュウ、ブランカ
   を経てチュンリーに落ち着く。以後、格闘ゲームのマイキャラは女性キャラメインとなったのは言うまでもない。
   唯一の例外は月下の剣士1で守矢だ。抜刀術が好きなため。しかし2になって新キャラが抜刀術使えるから、すぐに
   そっちの女性キャラに鞍替えしたことは想像に難くないだろう。
(注13)電話するとチュンリー(みやむーではない)とカプコンスタッフがなにやら話しているというテレホンサービス。
   密かにこのチュンリーの声に惹かれていたということは未だ誰も知らない秘密である。
   しかし、電話がいつも話し中になっていて、サービス期間中に結局1回しか聞けなかったのが悔しかった。
(注14)中学では何組の誰々がその出し方を知っている!などという噂が出回り、いろんなその「知っているやつ」に聞きに
   いったもんだ。中には「リュウのステータス表示中に波動拳、昇竜拳、竜巻をそれぞれ5回入力」という人間では
   不可能な課題を出すヤツもいた。結局嘘だと気付いたのはかなり後で、結構なショックを受けたもんである。
(注15)緊張の余り、スピードを緩めることを忘れたという隠された事実があることを誰も知らない。
   通常対戦時、ALL下押しっぱなしなどということはほとんどしない・・・。
(注16)その一風変わった雰囲気に誘われるままにやった。その時ビビッとなにか感じるものがあったという。
   しかしサスカッチに乱入され、ぼこぼこにされ、それ以降やらなかったのだが・・・。
(注17)ハンターになって、完全に俺の心を鷲掴みにして離さなかった。
   5段チェーンに魅せられ、モリガン様に捕まり、ダクネスでとどめをさされたって感じだ。
   そして行きつけのゲーセンの通称”お姉さま”との対戦が最高に面白く、ずぶずぶとハマリ、もう完全に抜け出せなく
   なったのである。
   一時期ゲーセンでハンターは姿を消してしまったのだが、俺と友人の作戦により見事復活。何ヶ月も何ヶ月もそこの
   ゲーセンのハンターのインカムを増やした。
   (作戦とは、ハンターが週に1回現れることがあって、その時に大量にインカムを稼がせるのである。で、残りの6日
   はその台はスパストになるのだが、台に座ったりなんかしてインカム防止するのだ。今思えば卑劣な作戦であった)
(注18)俺が出会った中で最高のシューティング。しかもSS版は2800円と最高お得品として名が知られている。
   点数稼ぎとかより、避けて撃つのを楽しみたいヒトにオススメ。特筆すべきはその音楽と演出にある。超ええ!
(注19)友達に勧められ、クリアしたのち、あまりの面白さに自分で買って何回もプレイしているEVE。登場キャラがイイ!
   いろいろ絡まっていてやりごたえ十分のYU-NO!どちらもSSソフトの中で超お気に入り作品。
   それだけにEVEの続編は許せないデキとなっている。
(注20)ハンターをやったとき、俺にとってこれ以上のゲームはないと確信していたが、それをうち破ったのが続編セイヴァー。
   これにより「ヴァンパイアを超えられるのはヴァンパイアだけ」という座右の銘が誕生した。
   ただ一般ウケしなく、寿命が短く、太く短い盛り上がりだった。これをやって後、ディアブロをやったtkyよろしく
   俺も他のゲームと距離を置くようになる(違うか)
(注21)パソコンを買わせる時期を早めたくらいやりたかったゲーム。そしてILLUMINEを作るきっかけにもなったゲーム。
   バランスはちと悪いが、なぜかハマってしまうものがある。そのグラフィックも綺麗。
   重弩砲Rをしたときの気持ちよさは何にも変えられないが、早期ラッシュでボロボロになるときほど悔しい時はない。
(注22)ビートマニアに似ているフリーソフト。そのデキは素晴らしく、ファンの数は星の数ほど。
   しかし似すぎたため、今では公開終了になってしまった。次作を製作とのことだが、未だその姿は見えない。
(注23)ネットワークゲームを一般人にまで知らしめた怪物ゲーム。
   NTTにすばらしい貢献をし、睡眠不足の若者を続出させた。
   「おーわっかなどぅーうぉーりあ」はディアブロを少ししかしらない俺でも知っている有名な言葉だ。
   ブッチャーが最初の関門らしい。


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