学校について思ったことをいろいろ書こうかなーなんて思っての今回のエッセイです。
さぁみなさんは学校についてどうお思いでしょーか?
あーうぜーなぁかったりーなぁと思いつつも、なければないでそれだと少し寂しくなるかもしれないけどやっぱりならない
かもしれないな、みたいな感じはするものの世間ではいじめだー公金横領だー治外法権だー高校教師で教師もいーじゃん
なんて思われてもいないかもしれないなー的状況を感じつつ、やっぱ日本の学校は「学校」なんだなと思う、なんて
またまた哲学みたいな物言いをしながらも決してそんなつもりはない今日この頃を試験勉強で明け暮れているから、やっ
ぱ学校は休みに越したこたぁねぇな、と我感じるわけであります。
まぁ、どうでもいっか。毎日適当に行っていれば。なんていうのが普遍的な考えではないでしょうか?日本では。
アメリカだと良く聞くのが入学は簡単で卒業が難しい、だそうで。これをなにやら良いと感じた文部省くんたちは日本
もその傾向を入れようかなどと考えているみたいですが、いやはやなにが良いんだかわかったもんじゃありませんな。
一番良いのは入学も卒業も簡単にして、企業側が大学の名前だけで(もしくは特に重視して)採用する制度を改めるの
が一番ではないかと思うわけです。つまり大学は良い企業へ行くための資格としての位置づけを廃止し、学びの府という
本来の姿に戻して欲しいなぁ、なんて思うのです。まぁこういうことを思うことで、いわゆる現在の大学に対して消極的
な姿勢を取っている(俺が)とわかることでしょう、なんて言ってまた自分を低く言っているような日本人っぽさ。
いやいや今回は別に文句を言うつもりで書いたエッセイではないのです。まじで。イヤホント、信じてぷりーず。
映画評論家(?)みたいに「学校って面白いものですね、じゃあまた次のエッセイでお会いしましょう」みたく閉じた
い野望を胸に抱きつつの今回のエッセイなんです。って言っても文部省に対する不満はありまくるわけなんですが。
さて、「学校」です。
なんて言いましょうか、中学校を思い出して下さいな。
なんかこういう現象ってないですか?中学って一年置きに良い学年と悪い学年ができるの。3年が良い学年だとすると
2年が悪い学年で、でもって1年が良い学年なの。ない?少なくとも私はそう感じた中学時代を送ったわけですが、どう
でしょうか同級生たちよ。もちろんその学年が全部が全部悪いわけでも良いわけでもないんですけど。なんていうか学年
が荒れているって感じはしたのよ、上も下も。そう、うちの学年は良い学年(笑)
い・じ・め。ああなんて甘美かつユーモラスあふれる単語であろうか、やめられないね、つーかやめたら生きていけな
いねって感じ?みたいな言葉を吐くあなた(笑汗)、危険ですので交番の前ではそういうこと言わない&思わないように
って言われる筋合いはないかもしんないけど実行しないでね、マスコミうるさいから。
いじめをなくすのに外がどうこういったって始まらない。問題は中なんだから。俺は加害者にも被害者にも幸運にもな
ったことはないし、そのいじめというやつに携わったこともないから軽く言えるけど、実際やな現象だわな。
学校というか生活は明るく楽しく毎日はっぴぃ、が基本かつ一番と思うけどやっぱ閉鎖世界に入ったら摩擦が生じてし
まうのだろうな。こればっかりは可哀想に、というしかない。最後は自殺まで考えてしまい実行してしまうのだから、
本当に可哀想で嫌な現象だ。自殺はやめときな。これから良いことあるかもしんないんだからさー。ま、その苦しさを味
わったことのない俺が言う筋合いは皆無ですな。
先生。重要だよねぇ。生徒は先生を選べないわけだけど、特に年齢が低い時なんてどの先生に当たったかでその後の人
生が決まってしまうわけだ。俺の場合はこれまた幸運にもすばらしきかな先生ばかり。まぁ友人、知り合いの中にはそう
思っていない人も多数いるわけだが少なくとも俺は全ての(若干1名除く)先生に感謝している。
そんな中世の中には悪いことをする先生もいるわけだ。いろいろとな。また悪事を働かないまでも「毎日どうしてこの
俺がこんな馬鹿共相手に授業して、あまつさえ影で悪口を言われなくてはならんのだ」みたく積極的姿勢のかけらも見せ
ないような先生もいるだろうさ。こういう先生にあたったら不幸と言わざるを得ない。特に小学時代に当たったら最悪っ
て感じだ。まったくもってけしからん。
あ、俺が当たった担任の先生はいい人ばかりだったけど、接したことがある先生の全てが良かったといっているわけで
はない。特にあの先生やあんな先生は俺的ブラックリストに載り、ざけんなてめぇの授業なんてきいてやるもんかくやし
かったらテストで赤点とっても5くれなじゃなければ内職しちゃうぜ聞かねぇぜお絵かきしちゃうぜテストでわかんねぇ
問題出すなってんだこんちきしょう。
学校というのは現在は面白くなくても過去を振り返ってみると幸せだったなぁと感じる場所である。
って断言しちまうほど俺はそうだと思っている。例えば今だと高校は良かったと思い、高校時代は中学は良かったなと
思い・・・みたいな感じに。逆に未来に希望を描いたりもする。小学時は中学生になったらあれしようこれしよう。
例えば俺の場合、早く中学生になってシャーペンを学校で使ったり、漫画をもっていったりしたいぜ。と思った。
中学の時は早く高校になって、学校帰りにゲーセン行ったりカラオケ行ったり私服でいったりしたいぜ、と思った。
高校の時は早く大学に行って、バイトしたり授業さぼったり帰りに新宿行ったり上履き不必要な生活をしたいぜ、と思っ
た(マジです。嘘でも誇張でもないです)
でも大学に入ったら早く社会人になりたいぜ、なんて思わない。学生が一番というのは良く聞くし、今が不景気なせいも
あるかもしれない。また大人の汚い部分を見過ぎたせいかもしれない。家庭を持って子供と接したいという夢はあるもの
の。仕事も自由で責任が小さいバイトならしたいが・・・って気持ち。
なんか面白い現象だなとおもったりした。
友達。
友達は良いよねぇ。今も昔も、先生やいじめと同様俺は恵まれていると思う。良い友人がいっぱいいるし。
なるほど、こういう友達がなくなればorいなければ確かに自殺も考えてしまうかもななどと思う。
大抵友達の親しさというのは3レベルに分けられる(分けるという言い方は失礼なのだがそれ以外言葉が出ない)。
レベル1は学校で少し話す程度。名前は知っているし嫌いじゃないし。でもあんまり特に話さないかな、みたいな。
レベル2は学校で結構話すかもしんない程度。結構好みも知っているし一緒にゲーセンやらカラオケやら行ったことも
あるくらいは親しい。結構人数も多いかなーみたいな。
レベル3は相手の家に行ったり、自分の家に誘ったりしてかなりいっぱい遊ぶし、学校が進学で違っても良く会う話す
みたいな感じ。俺の場合多いのか少ないのかわからんが、レベル3は8〜10人程度。少ないかもしんない。不満は決し
てない。で、普通ならその上に親友というのがいるはずだが、俺の場合は良くわかんない。そう思える人はいるけど相手
もそう思っているのかどうかわからないという点では親友じゃないのかなぁ?どうだろうなぁ、な状態。
まぁそういうことは置いとくとして、気軽に遊べる、話せる仲間がいるのは良いことだ。そしてそれを大量に作れるの
がひとつとして学校だろう。勉強よりもこういうことが大事という世間一般の説には俺は賛成なアクティブな姿勢だ。
で、レベル2以下(再度言うが失礼かも知れないが便宜的に)の友人とはある一定のジャンルでばかり話す傾向がある。
もちろんその相手がある一定のジャンルの話しかできないというはずはない。けど、例えばある人とはゲームの話ばかり。
そしてまたある人とはアニメの話しばかりというふうに。その人の得意な分野を話しているわけだけど、でもなんかそれ
も寂しい気がするな。どんなもんなんだろうな。摩擦が起きないからそういうふうな方が良いという意見もあるかもしん
ないけどな。わからないや。
友達。学校だけでなく最近ではインターネットという中で擬似的に「会う」ことができる。そんな友達も気軽に話せる
人からそうでない顔も知らない人まで大勢だ。ま、顔も知らないのは友人といえないかもしれない、知り合いかな。
ここらへんは学校から離れるので割愛するが、まぁ友人はいいものだ。大切にねみたく電子ちゃんてきフレーズでこの
段落は切ることにしよう。
学校というものはプラス面もマイナス面もいっぱい持ち抱えている。
けどそれを指摘するばかりでなく、自分の気持ちを良い方に変えるだけでも随分と違う見え方をするし、また楽しく
通えるならそれに越したことはないと思う。ここでぐーたら文部省に「てめー勝手に昨年度と授業内容変えるなよなー!
おかげで頑固な先生が教科書以外をいっぱい力入れちまうじゃねーか!」なんて実は先生に文句言うべき内容じゃないだ
ろうか、と頭悩ますよりも、「さっ!明日に向かってレッツゴーだ。お日様に笑われちゃうゾ」と思った方が良いに決ま
っている!と断言するつもりだったが、この例では必ずしもそうは言えないと気付く俺様。(w
まーようは前向きに行こうってことさ。「♪上〜を向〜いて、あるこう〜涙がこっぼれ〜ない〜よ〜うに!」上ばかり
で前見なきゃ「犬も歩けば電柱に当たる」ぞ!みたいな揚げ足を取ることはやめとく。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・つーか試験を廃止して単位おくれ(結局それが言いたかったんかい!?)
ちゃんちゃん。