#レポート開始 「『脳を鍛える』を読んで」 #1 学問の細分化  『脳を鍛える』にたびたび目についたものに学問の細 分化の話があった(P204〜など)。現在学問が膨れあがり どうしても全部を網羅できないために、学ぶことを専門 化・高度化に伴い細分化が進んでいる。さらに本書を読 み受験背景、教育水準の低下なども原因となっているこ とがわかった。  大学案内などを見ているとこの危惧を認知してか、自 然科学、人文社会科学も力を入れ幅広い視野での教育を 強調しているところも多かった。電気通信大学もそうで あり、私がこの大学に入りたいと思った一つの理由とし てこのことが強調されていたということもあった。  しかし私はこの人文教科の中でもさらに細分化が行わ れていて、短い時間なのにも関わらず(逆に短い時間だ からか)ある一部のことを詳しくやって全体を見ること が少ないように感じた。一つの概念・説を詳しく掘り下 げる授業スタイルは教える側がそれを専門としているか ら仕方のないことなのかもしれないが、この立花隆の講 義のように大雑把でも広い知識を与え、刺激を与え、学 生はその刺激を元に授業外でさらなる知識を獲得すれば 良いと思う。(深く高度な概念の方が広く大雑把なもの より刺激がある場合もあるだろうが、私の場合それを理 解し試験のために備えるのが精一杯で、楽しむことも少 なかったし、今でも強く心に残っていることも少ない。 )  そういう意味ではこの認知心理学ほど面白かった講義 はなかった。講義外でもあとを引きずり考えるのもこれ だけで、ただでさえ人文系が少ないのにその中でさえこ のような状況では、さすがに不安も感じる。 #2 文系理系の乖離  学問の細分化に伴い文理系の知識の乖離についても多 くあった(P211〜など)。私は立花隆のように日本が知的 に滅びるとまでは思えないが、全体を見る視野がなくな っていき、専門しか見れない人間が増えるのには同じく 不安がある。  それは知的レベルとして低くなるだけでなく、知識の またはそれまで行ってきた脳の働きの偏りによって、偏 見が生じ、柔軟な考えができなくなるからである。最初 本書を読んだ時は文理系の知識の乖離は研究者レベルで は深刻な問題になるだろうが、普通の企業に勤めたりす る上では本当に基礎知識さえあれば(それすらないのか もしれないのだけど)それほど大きな問題にならないよ うに思った。しかし脳の基本構築がされる若い時期に偏 ったものしかインプットしないのでは柔軟な思考・発想 ができなくなり、その後の思想・信念に大きな隔たりが 生じてしまったり、それにより知識不足の問題以外にも 話が合わないなどで、基本的な対人関係にも支障が出て しまうかもしれない。  また文理シナジー学会の入会案内にこうある。 「さまざまな方面で最新の科学技術が応用されてきたと 同時に、科学技術に対しても文科系を含めた総合的な視 点が必要になってきました。それは科学技術のみを閉じ て考えることでは袋小路に陥り、これを多次元的に考え ない限り発展の見通しがつかないような問題が増えてき たからです。」  つまり今後さらなる発展のためには文系・理系の融合 が必要不可欠なのである。なのに、文理系の乖離が進ん でいて中でも日本はそれが顕著に現れている。また今後 もそれを止めるどころかさらに促進させるような動きも 見える。  私は高度で詳細な内容はいいから、アウトラインをな ぞって広い視野を持つ人間の教育が今後大事と思った。 しかし今の体制を変えさせるのは非常に難しく、変える にしても長い時間がかかるだろうから現在の若者たちは いち早くこれに気づいて『脳を鍛える』べきなのかもし れない。 #3 バランスの良い脳に  本書P82にあるように脳が柔軟なうちにバランスをも ったインプットをし、『脳を鍛える』べきだという立花 隆の話には賛成である。またその脳に刺激を与えるにし てもバランス良く鍛えていかねば、オーム真理教のよう な思想にとりつかれてしまうという事に恐ろしく思った 。日本はまだアグノスティック(不可知論者)(「脳を鍛 える」P333より)がほとんどのためオームみたいなのが 目立ったが、宗教の思想の呪縛により世界のどこかで戦 争があるというのはとても悲しいことに思えた。それほ どまでに固定観念というのは怖いことだと思う。  まぁそれだけではないが、やはりいろんな事を吸収で きるような柔軟なうちに多くの事を体験したり知ること で刺激を与えるというのは大切だろう。慶応義塾大学医 学部脳神経外科大泉太郎氏の『再検証35歳限界説』に 「多くの情報に接し、刺激を受け、なるべく早いうちに 自分の能力を伸ばせる好きな分野を見つけて懸命に取り 組んでいけば、歳を取ってからの衰えも低く抑えられる ということではないでしょうか。繰り返しますが、脳の はたらきとはいろんな要素が組み合わさって評価される もの。本人のやる気で機能の低下はある程度抑えられる ものだと考えています」とあるように、若いうちに脳を 鍛えておくことでその後の30代40代になったときに まだ脳が他の人よりかは柔軟で幅広い味方ができ、そし て脳の老化(劣化)も抑えることができるというならな おさら鍛えておくべきだろう。  といってもこの『鍛える』こと自体曖昧な感じで、ま た『鍛えた』結果が目に見えにくい(特に己には)ゆえ になかなか難しいことだと思う。まずは好奇心を広く持 ち偏った世界にとらわれないように広くバランスの良い 見方をしていくのが大切なのだろう。 #4 世界の見方を変える  バランスの良い入力で健全な脳を鍛えていったとして も常識・信念と呼ばれるものを破って考えることは大変 難しく、アインシュタインのように「アインシュタイン 以前と以後で世界の見方がすっかり変わった」(『脳を 鍛える』P272)とした人は天才と思われ歴史にも名を残 すほどになる。もちろん奇抜な事を言うだけでなく、そ れを証明してみなに納得させないといけないが。  トマス・クーンの「科学革命の構造」によると「通常 科学の目的には、新しい種類の現象を引き出すことは含 まれていない。鋳型にはまらないものは、全く見落とさ れてしまう。科学者は普通、新しい理論を発見しようと 目指しているのではなくて、ただ他人が発見したものに 満足ができないのである。」とあり、科学者の大半は現 存のパラダイムを応用し、精度を増すという仕事をして いることになる。もちろんこれはこれで意味のあるとて も大事な仕事だが、しかしやはりこのパラダイムそのも のを変化させたいわゆる「科学革命」を起こしたアイン シュタインは偉大だと思った。他にも科学者の中には世 界の見方を変えていった人はたくさんいて、科学の歴史 の中では偉大な人とされる人も多いと思うが、それを科 学とは少し距離を置いたいわゆる一般人の「世界の見方 」まで変えてしまったのだからやはりすごい。  アインシュタインが凄い人だというのは別に天才の遺 伝子を持っていたからではなく、生後の脳の肉付けが他 の人より良かったというのはM・C・ダイアモンドの実 験から想像できる。それだけではないにしろ脳はワープ ロでいう辞書ファイルのようなもので鍛えれば鍛える程 良くなっていくとわかった。そしてその入力がもうそろ そろしにくくなってくるというのだから、本書を読んで 焦る気持ちが出てきてしまう。 #5 不可知論者?無神論者?  日本人は神の存在に関してはあまり積極的に話題に参 加しない人が多い。そんなときアグノスティック(不可 知論者)と言えば良いと本書『脳を鍛える』に書いてあ った。さらっと読んだときはなるほどと思い、#3でも その言葉を用いたが、少し考えるとちょっと違う気もし てきた。  いわゆる一般の日本人というのは無神論者なのだと思 う。神の存在はないと思っている。しかし有神論者に対 し積極的に「神なんていないんだ!」と反論するほど積 極的に否定したいのではなく、神があるないの問題など どうでもいい、といったことだと思う。  一方不可知論者というのはどうでもいいとかそういう 浅い考えではないらしい。WEBで不可知論をキーワー ドに検索してみたらこういう事を言う人が見つかった。 「「不可知」というのは,知らなくてもいいとか,どう せわからないのだから諦めろとか,という意味ではあり ません。一人一人がそう簡単に答を出すことができない からこそ,広く論議を尽くさなくてはならない,という 意味です。」(言葉が介在する相互誤解と相互不達につ いて 高本條治より)  本書『脳を鍛える』の一文「非常に知的な立場です。 」というのが実感できた。そしてこの非常に知的な立場 にいる人はおそらくほとんどいないだろう。しかし、「 覚えておくと便利な一言」というタイトルを見てあぁな るほどと感じた。つまり不可知論者という程ではないが 、無神論者ですと積極的攻撃姿勢を見せるよりは自分を 知的に見せる不可知論者の方が良いといっているのかな と思った。  しかし実際聞かれた時私はなんて答えるのだろう。「 無宗教者」というのが一番な気もするが・・・まぁとも かく宗教の事については少し知識を持っておくべきだと も思う。他の人の思考を理解できないにしろ、知ってい るか知っていないかでは随分とコミュニケーションも変 変ってくるだろう。  それにしても宗教を信仰していない人が宗教を信仰し ている人を理解する努力はあるが、逆はなかなかないと いうことは、無宗教の人の方がその点においては柔軟な 脳になっているということなのだろうか。 #6 認知心理学を受講しての考察・感想  大学で受講した講義の中では一番面白く考えることも 多くあった授業という印象がある。特に脳に関すること はとても興味深く今までなんとなく持っていた価値観も 変わった。というのは、今までは精神や魂みたいな曖昧 なものを完全に信じているわけではなかったが完全に否 定もしていなかった。しかし、人の思考や感情といった ものも全て脳の電気信号によるもの、化学反応の結果な んだというような価値観になった。それは脳の仕組みや ドラッグによる効果、リハビリ、遺伝子などといった特 集を見た影響がかなり大きいと思う。  また講義内のVTRやいろいろな資料から多く刺激を 受けいろいろ考えることもしたが、それ以外に学生の前 回の講義レポートを読むことも刺激になった。同じ年の 同じ学校で同じ方向へ進もうとしている人が、同じイン プットを受けてもこうアウトプットが違うものなのかと 思った。あぁ同じ事を思っているとか、この意見には同 意できないといったようなことまでいろいろあった。  毎回レポートを書くこと自体は苦ではなく、逆に面白 いものであったけど、いつも文にする時点で思うように 文章化できず困ったものだった。時間がないということ もあったが、もう少しきちんと思ったことを文にしたか ったと後悔が残っている部分も多々あった。しかしその 思っていたけど文にできなかった部分も次の週に他の人 が同じ事を書いているおかげで、あぁ先週は私もそう思 っていたとか、さらに一歩進んだ意見なども多く、先週 の内容を思い出す以上に本当に刺激になるので、こうい う事は編集とか大変だとは思うけど今後も残した方が学 生には嬉しいことだと思った。  それにしても毎回のレポートといい、今回の課題とい い文章化の難しさをつくづく感じた講義だった気がする 。 #レポート終了