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青海省の省都、西寧から車で約四十分ほどのところに忽然と現れるのがこの大寺院とその門前町。さして広くない道の両側に民族服やチベット族の装飾品、日用品を売る店や、お寺の飾り物を並べている店があったりして突然チベット世界に迷い込んだ感があります。
お寺の入り口近くには八基の石の宝塔が並んでいて、あたりは修復工事中のため石畳が掘り起こされていたりで雑然とした感じでした。
チベット仏教ゲルク派の六大寺院の一つであり、その創始者ツォンカパ(1357〜1419)を記念するタール寺が内外に公開されたのは1983年のこと。中国の近代史上最大の汚点となったプロレタリア文化大革命は、多くの世界的文化遺産を灰と瓦礫の山にしてしまいましたが、ここもその被害を免れることなく徹底的に破壊し尽くされたのでした。大々的な修復工事は1991年から4千300万元の総工費を投じて開始され、わたしたちが訪れた時はまだ随所で工事に関わる人々が石材などを三輪車で運んでいました。
トゥプテンがどこからか都合してきてくれたチケットで、美しく彩色された立派な建物の脇を通りぬけて行きます。この建物の玄関口には、金文字で“塔尓寺管理委員会”と書かれた黒漆の衝立がありました。“管理委員会”なんていかにも共産中国らしいネーミングですが、観光スポットの大きなお寺ならどこでも見かけます。
タール寺で一番目立つのは、屋上に金の唐屋根を載せた小金瓦殿と大金瓦殿でしょう。だいたいチベット仏教の大寺院にはこの種のお堂がつきもののようで、伽藍の中でも最も重要な地位を占めているようです。
大金瓦殿はまさしくタール寺の本堂とでも言うべきお堂で、その中にはツォンカパの宝塔が収められています。清の乾隆帝(1711〜1799)もすすんでこのお寺の拡張工事を行いました。宝塔が収められた厨子の上に掛かる扁額は彼の親筆だとか…。
わたしたちが中を拝観している間にも、五体投地しながら大きな幅広のカタを捧げるチベット族巡礼者があとを絶ちませんでした。
ところで、ツォンカパその人については、“母親が彼を身ごもった時に不思議な夢を見た”というお話があります。“夢のお告げ”は“聖なる人”の誕生には不可欠なもののようです。“中観哲学”という凡人にはなかなかわかり難い“ものの見方”を説いて、当時倦怠気味のチベット仏教界に新風を吹き込んだのですから、やはり智慧のシンボル文殊菩薩の化身とされるに相応しい方だったのでしょう。
さてタール寺の“三絶”と言われる物は何だかご存知ですか? “三絶”なんてよく中国の人が観光地を紹介するのに使う言い方みたいですが、要するに最も際立っている“ベスト3”ということです。まずすぐ思い浮かぶのは“酥油花(スーヨウホァ)”でしょう。これはきれいに彩色したヤクバターで作った細工物で、仏像や花はもとより人物や建物など細部まで細かくとてもバター細工とは思えないほどの出来映えですが、これを収めたお堂の中に入るとやはり、ぷーんと甘いバターの香りが鼻をつきます。これは年に一度のお祭りの時(旧暦の1月15日)に毎年作りかえるお供え物なのですが、いまでは見世物になってしまったというわけです。
あとの二つは、それぞれ“壁画”と“堆繍”だそうです。“堆繍”とは、“立体的アップリケで描いた絵”とでも言うのでしょうか、残念ながらわたしはこの二つを意識して目にすることはありませんでした。それにもともとの“壁画”は破壊されてしまったわけですし…。
ところで、チベットの人たちにとって何より大切なのは、ここがツォンカパの生誕地であるということでしょう。大伽藍の前身はツォンカパのお母さんが建てたというストゥーパだったのです。なんと慎ましいお話ではありませんか!
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