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ジャンシャル村に入ったのは6月8日のこと、中国に入国してから四日目にあたります。
今年は例年と違ってお天気に恵まれず、蘭州に到着するや雨に降られ、臨夏では上がったものの、村へ向う途中の峠を下ったところで霧に包まれ下車する場所さえ確認しかねるほどでした。幸い無事目的の場所で下りることができましたが、外は歯の根が合わないほどの寒さ。そんな悪天候にもかかわらず子どもたちは今年もわたしを迎えに来てくれました。
相変らず小さい子どもたちに混ざって、中年の男の人が丁寧にわたしに挨拶されました。昨年の新学期から少年先生に代わって正式に着任された韋樹堅(ウェイ・シュジエン)先生です。漢族の方で少年先生と同じ隣村から毎日通ってこられるそうです。
韋(ウェイ)先生は今年四十一歳、教師歴二十一年のベテラン先生です。話の最中にときどき舌を丸めてにっこりされるのは照れ隠しなのでしょうか? いかにも人の良さそうな感じの方です。ツェリンギャ兄さんの話では、村の人たちの評判もとてもよく、韋(ウェイ)先生が来られてから子どもたちがよく勉強するようになったとみな喜んでいるとのことでした。実際、今年初めに行われた郷の統一試験で村の小学校は第二位という輝かしい成績を収めました。
翌日、さっそく学校を訪問することになりました。授業はだいたい午前10時頃から始まります。“だいたい”というのは時間に縛られて生活しているわたしたちにとってはへんな感じがするかもしれませんが、村の学校には時計があるわけでもチャイムが鳴るわけでもありません。それこそ先生の腕時計をたよりに“だいたい”の時間で授業が行われるのです。
ところで10時始業なんてちょっと遅いとは思いませんか? 村の人たちはみなとても早起き、子どもたちといえども7時にはみなちゃんと起きています。それなら8時くらいに初めてもよさそうなものですが、実は子どもたちはひと仕事終えてから学校へ来るのです。
このあたりの人々の生活は半農半牧。ですから牛や羊を放牧することは大切な日課です。子どもたちは朝早くに自分の家の家畜たちを山へ放牧しに行きます。そうして戻ってから朝食をとり、ようやく学校へと出かけるのです。
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先生のお話では一時限は40分くらいで、まず最初の15分くらいで先生が黒板に書きながら指導し、あとの10〜15分間をみんなで練習し、残った時間で各自ノートに自習するという方法をとっているそうです。子どもが集中できる時間は長くてもせいぜい20分くらいだからとのことですが、このあたり、さすがベテラン先生ですね。
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ノートに書き終わったらそれを級長が集めて先生のところへ持っていきます。わからないことや質問のある子はみな先生のところへ直接聞きに来ます。というわけで、教室のドアから先生の部屋まで、質問しに来る子どもたちで行列ができてしまうほどです。先生の指導を受ける子どもたちの表情を見てください。みなとてもうれしそうでしょう? |
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こうして午前中三時限の授業を終えると、各自家に戻って昼食をとり、午後二時から再び二時限の授業があります。学校が終わるのは三時半ごろ。子どもたちはそのまま朝放牧した家畜たちを連れ戻しに出かけ、ようやく家路に就くのです。
小さな村の小学校も、新学期から七人の新入生を迎えて全校42名(男子23名、女子19名)の大所帯となります。(今年に入って男の子が一人退学しました。このことについてはあとでお話ししましょう。)

こうなるともう一つの教室には入りきれません。それに四年生になる子と新一年生をいっしょに学ばせるというのはどう考えても無理があります。そこで新学期からクラス分けをすることになりました。教室は一つしかないと思っていたのですが、幸い同じ広さのお部屋が隣りにもう一つありました。
まず必要なのは机やベンチといった備品です。そうそう、冬になればストーブも必要になってきます。でもそれ以上に心配なのは、韋(ウェイ)先生お一人で二クラスの面倒をみきれるでしょうか? さすがの先生もこれには自信がないようでした。それに上級生は新学期からさらに科目が増えるのです。文具や備品ならなんとか援助できますが、人材は青海省の教育局に頼んで派遣してもらう他ないでしょう。
上級生は新学期から、"漢語"と"算数"に加えて"自然"、"思想品徳"という科目が加わります。それぞれ日本の"理科"、"道徳"のようなものです。"思想品徳"の最初のページには毛沢東をはじめとする共産党の初代指導者が登場したりしてちょっと気になりますが、全体的には、社会生活を送るうえで人として守るべき“道”を教える内容のものです。カラーの挿絵入りで昔話を引用したりして、大人が読んでもけっこう楽しめます。

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今年度の学費支援世帯は一世帯。家は借家でお父さんは出稼ぎに出ているというとても貧しい家庭の子です。ロベン・タシという名前の男の子で、わたしがカメラを向けると泣きそうになってしまいました。ところが彼の弟グンガはまだ小さいのにものすごいきかん坊で暴れん坊なんですよ。同じ兄弟でこんなに性格が違うなんておもしろいですね。 |
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学費支援世帯はこれで合計27世帯となり、その他に教科書、ノート、鉛筆などの学用品代として子ども一人あたり35元、ストーブの石炭代として一冬分500元、さらにクラス分けのための備品代として2千元を手渡してきました。(1元は日本円で約15円くらいです。)
長旅を経て村の入り口に到着した時、いっせいに走ってきてカタをわたしに掛けてくれる子どもたち。その姿はあいかわらず小さいのですが、帰国して写真を見ると確実に成長しているのがわかります。もちろん身体だけではなく精神も。
ジュケも来年はピカピカの一年生?

ツェリンギャ兄さんの一番下の娘(こ)もこんなに大きくなりました。
最後に退学した男の子のことを付け加えましょう。“退学”なんていうと聞こえが良くないですが、これは一つの“選択”という意味です。
その子の名前はラモ・ドルジェといって四年前に学費援助を申し込んだ最初の18名の中の一人でした。両親の離婚で彼は父親のほうに引き取られ、出稼ぎに出ている父親に代わっておじいさんがずっと面倒をみていました。チベット文字を書かせると驚くほど上手で、毎日お経を手本に書き方の練習をしているというのがおじいさんの自慢の種でもありました。でも、子どもらしい明るさや快活さがまったくといっていいほどなく、わたしも彼の笑顔を見たことがありませんでした。村の人たちもこのことには皆心を痛めていたのです。
そんな様子でしたから、今年の初め頃、ツェリンギャ兄さんから手紙でラモ・ドルジェが出家したと聞いたときには、「なんと不憫な……」と思ったものです。でもそんな懸念は村に着いた翌日にはふきとんでしまいました。
その日の朝早く、まだ床をたたんでいないうちに、突然僧衣をまとった男の子が入ってきて満面の笑顔でこちらをじっと見つめています。はて、誰かしら?
その小ラマがあのラモ・ドルジェだとわかったのはしばらくしてからのこと。彼のおじいさんが入ってこられてはじめて知ったのでした。
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同じ子? |
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ラモ・ドルジェはまるで生まれ変わったかのようでした。いいえ、本来のラモ・ドルジェに戻ったのです。彼は自分の道を見つけたのですから。
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